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「うちはの石碑」(結)

 
「神話は
真実になぞらえて語られる…
かつて六道仙人は忍宗を説き
平和を導こうとしたが…
夢半ばにしてその時が来てしまう

六道仙人は忍宗の力と意志を
二人の子供に託す事にした


兄は生まれながらにし
仙人の”眼”…
チャクラの力と精神エネルギーを授かり

平和には力が必要だと悟った

弟は生まれながらに
仙人の”肉体”…
生命力と身体エネルギーを授かり

平和には愛が必要だと悟った

仙人は最後に死の床で…
後継者を決めなければならなかった…
しかしその決断が永劫続く憎しみの呪いを
生んでしまった」(トビ)


六道仙人の二人の子…兄弟(第49巻/164頁)。六道仙人が輪廻眼を所有し、十尾の人柱力だった事も件のサスケの五影会談乱入の「宣戦」でトビが提示しています(第50巻/77頁)。同時に「人柱力」の封印術システムが十尾を封印して世界を守る為に考案された忍術だった事も明かされています。そして、六道仙人の二人の子を設け、兄に”仙人の”眼”…チャクラの力と精神エネルギー”を与え、弟には”仙人の”肉体”…生命力と身体エネルギー”を与えるように兄弟を生み分けた…と言うよりは、全能の神様にも匹敵する能力を有し、十尾も御し切る正に「完全体」だった六道仙人を、真っ二つに分断するように分けて不完全な状態にするが如く兄弟を創り出したのではないかと、僕は考えております。

「…イザナギとは
本来お前の言う六道仙人の”万物創造”を
応用した術の事だ

もともとうちはと千手は一つだ
その二つの始祖である六道仙人
その二つの血と力を持ち
あらゆるものを創った


想像を司る精神エネルギーを元とする陰遁の力…
それを使って無からを造り
生命を司る身体エネルギーを元とする陽遁の力…
それを使って形にを吹き込む

尾獣達もその一つ…
十尾のチャクラから陰陽遁の力を使い
各尾獣を創造した

想像を生命へと具現化する術

それがイザナギ」(トビ)

第510話「まさかの禁術!!」②(六道の力編)で小南をう…う☆後ろからガッツリと突き刺したトビが禁術・イザナギの説明でこのように言ってました(第54巻/107-108頁)。十尾の人柱力だった六道仙人は”万物創造”により「生命」までも創造できたのです。尾獣もその理屈で六道仙人が造りたもうた「生命」でした。ここでちょっと余談をば少々。チャクラは一応、「土・水・火・風・雷」「五大性質」で一件落着(「チャクラの性質変化6通り」はどうなったのか?(汗)参照)していますんで、五種類しか存在しませんFA六道仙人はそこから「尾獣」という「九種類のチャクラ」を創り出さなければならなかったので、さあ困った…どうしましょうか?!となったのだと思います。

そこで六道仙人五種類のチャクラから任意の二種類のチャクラを取り出す組み合わせ5C2で、新たなチャクラ性質を創出する必要があったのですFA。尾獣は同じく六道仙人が考案した「人柱力のシステム」で人柱力を介して忍界に影響していた筈で、この場合、人柱力が「男か女か…それが問題だ」な訳ですが、どっちにしても人と人の交わりにはあんな事やこんな事がありまして、「人柱力→忍」へのチャクラの伝搬があったものと思われます。それが氷遁、炎遁、灼遁、溶遁、熔遁、嵐遁、沸遁、磁遁、砂遁、閃遁、木遁…十種類(十二種類もありますが…)の「血継限界チャクラ」ではないかと、ナル×ジャンでは予々訴えて来たのであります。詳しくは下記駄文参照されよ(笑)。

「男か女か…それが問題だ」(序)

「男か女か…それが問題だ」(壱)

「男か女か…それが問題だ」(弐)

「男か女か…それが問題だ」(参)

男か女か…それが問題だ」(終)

話を戻すと、六道仙人兄弟の二体も尾獣同様、陰陽遁・万物創造によって拵えたんだと思います。だから厳密に言っちゃうと「人」じゃなくて「人造人間」だったと言えるでしょう。それが人間の女性と交わってチャクラを扱える特別な人間が派生して行った…筈で、先ずは「侍」(サムライ)として世界に関与し、それが「忍」へとシフトして行ったのだろうと思います。恐らくチャクラの運用を重視した正常な進化であり、「侍」は武器に傾倒し過ぎた故に追いてかれたんだと思います。「侍→忍」のシフトは穢土転生軍団にちょっと落ち気味の頃に提示がありましたね。「侍」は性質変化やチャクラ性質に頓着が無く、忍術に相当する概念が希薄で少数派を脱せなかったのではなかろうかと思います。

「仙人は力を求めた兄ではなく…
愛を求めた弟こそ後継者にふさわしいと
そちらを選んだ


長男として当然
自分が後継者だと思い込んでいた兄は納得せず…
憎しみのあまり弟に争いをしかけた

時がたち血が薄れても
二人の兄弟の子孫は争いを続けた

兄の子孫は後にうちはと呼ばれ
弟の子孫は後に千手と呼ばれるようになる

このうちはマダラと
初代火影千手柱間との闘いも
運命だった」(トビ)

第462話「サスケの忍道…!!」(トビ半落ち編)で、トビがカカシ、ヤマト、そしてナルトを前でゲロッた内容です(第49巻/164-165頁)。六道仙人兄弟、二人の男子しか創造していませんから、パンピーの女子と交わり「血が薄れて」しまうのも当然と言えば当然でしょう。ま…交配の早い段階で生まれた女子と直系の男子から発生した一族が兄系では「うちは一族」であり、弟系では「千手一族」「うずまき一族」で、渦潮隠れの里の消滅と共に散り散りになったうずまき一族が人柱力として血継限界一族の核となったのでしょう。これは先にも述べたように「血継限界」の派生に関係してまして、その影響力は兄系弟系両方に及んでいた筈です。また、それに頼らない伝搬も存在したでしょう。

特に千手柱間の「木遁」に関しては扱いが非常にデリケートでありまして、果たして一般的な血継限界と考えるべきか疑問です。それは僕が「木遁」「陰陽遁」の一種、或いは一部分だからではないかと考えているからなんですが、何で柱間だけに木遁が…は未だに謎であります。そもそも「六道の力」を求める輩に「柱間の細胞」は必須アイテム化してますて、輪廻眼の製造工程の重要な鍵となっています。しかし、千手柱間の生い立ちが未だに何一つ語られず、木遁忍術は孫娘の綱手にも伝承せず(汗)。唯一、イザナギユニットを搭載したダンゾウの木遁がかなり洗練されていたのは、大蛇丸ヤマトで失敗(大蛇丸はヤマトの存在を知らなかった)した反動だったのかも知れません。

大蛇丸が「柱間の細胞」の実験体として関与したヤマトの木遁も人工的で加工された材木を発生させているように感じます。”九尾チャクラモード”のナルトの発するチャクラに影響され、ヤマトがその「生命力」を指摘した描写(第54巻/14頁)や、カブトに拉致られたヤマトが外道魔像下の蓮華座に組み込まれて弱いながらも木遁忍術が使えるように強化された白ゼツ軍団が”九尾チャクラモード”の攻撃で樹化する描写は、実験体の生き残りであるヤマトや「柱間の細胞」の培養体の欠損部分を強調しておりまして、それを”九尾チャクラモード”の「生命力」が補完すると考えれば、ナルトが「仙人の肉体」の有り様を示しているように思います。それは同時に柱間の謎の「解」でもあるでしょう。

「うちはには
代々伝わる古の石碑がある

今も木ノ葉の地下にある

そこにはかつての六道仙人
書きつけた秘密が記してある
瞳力がなければ読む事ができず
写輪眼・万華鏡写輪眼・輪廻眼の順に
解読できる内容が増える
」(トビ)

六道仙人が遺した「うちはの石碑」とは瞳力を持つ兄系のみに向けたメッセージであった事は明白です。そして、その内容は瞳力の覚醒ステージに拠って異なります。フガクは万華鏡写輪眼の開眼条件をある程度知っていましたし、サスケも九尾のコントロールや失明のリスクを知ってましたから、恐らく石碑の写輪眼(三つ巴文様)領域には、万華鏡写輪眼の開眼条件やメリット、デメリットが記述されている筈です。イタチが「その写輪眼…お前はどこまで見えている」(第42巻/17頁)とドヤ顔で質問したのは「うちはの石碑」の解読領域に関するものと考えて差し支えないでしょうFA。そして、ガチではありませんが、写輪眼領域の解読内容は巴文様の数で細分化されているのでしょう。

サスケはイタチと殺り合う段階では三つ巴文様で、その瞳力で「うちはの石碑」を読んでなかったのかも知れません。何故なら、「史上最大の兄弟ゲンカ→トビの万華鏡の儀式」のサスケの様子を観察する限り、サスケは万華鏡写輪眼が如何にして開かれるかを知らなかったように思えます。きっと、サスケが「うちはの石碑」を初めて読めたのは「波の国任務」の後で、「うちは虐殺」直後の「そうかそういう事か」は瞳力無しでも読める領域(石碑にグジャグジャと物理的に掘られた文言)が在って「瞳力がないと読めないよ」みたいなメッセージを読んだんではないでしょうか。二つ巴文様の解読内容は三つ巴文様への上がり方くらいですかね。「兎に角、頑張って戦い続けろ!!」みたいな(笑)。

「カカシさん…アナタまさか…」(イタチ)

第二部が始まって直ぐの「我愛羅奪還編」でイタチにカカシが「お前の視力………どこまで落ちてる?」(第29巻/75頁)と煽った直後の…冷静なイタチ(サソリの術のフェイク品ではありましたが)が全身総毛立たせカカシに問うたのは(第29巻/76頁)、カカシが「うちはの石碑」を解読し、まさかの万華鏡写輪眼を開眼した可能性に言及した描写だったと思いますもの。イタチがこんな風に驚くところを見ると、「忘れ去られた伏線集」に集録されてるかも知れないけど…「万華鏡写輪眼を扱うものが三人になる」にカカシは入ってないという事になるでしょう。ということはイタチと密会してたマダラは万華鏡写輪眼の開眼者で、トビ以外のお面ヤローの可能性が微妙に出て来ますよね。

「貴様…オレの体の秘密を…
…あのうちはの石碑を読めもしない
お前ごときが解読したというのか?」
(穢・マダラ)

第560話「うちはマダラ」で、穢土転生で呼ばれたマダラがこんな風に言ってましたけど、在りし日のうちはマダラは永遠の万華鏡写輪眼の開眼者でしたから、石碑の解読領域には輪廻眼の開眼方法が記載されていたのでしょう。だから、兄系でもないのに秘密を知っていた大蛇丸…もとい…カブトを訝(いぶか)しがるのです。多分、マダラの永遠の万華鏡写輪眼には「弟に授けた”仙人の肉体”を手に入れなさい。そうしたら私と同じ眼を授けよう」みたいなメッセージが読めたんだと思います。つまり、「うちはの石碑」には「瞳力の取得方法」が記載されており、その為に兄弟同士で殺し合ったり、弟系の強い個体を探し出してその肉体を奪うよう導くというよりは唆(そそのか)していた訳です。

「おそらくですが……
初代火影柱間と戦った
あの終末の谷で

アナタは死んでなどいなかった

……その時点では…

あの戦いで初代柱間に負けたものの
アナタは柱間の力の一部を手に入れた


…違いますか?」(カブト)

マダラは「うちはの石碑」の記述に従い、終末の谷で千手柱間と決闘したのだと思います。そこで予定通り「千手柱間の力の一部」を手に入れた。恐らく、それが「千手柱間の生きた細胞」で、うちはマダラはそれを自分に移植して輪廻眼を開眼し「全盛期」を迎えるのです。カブトは更に「柱間の細胞」の制御方法を開発していて、穢土転生で召還したマダラを「全盛期以上」に仕上げる事が出来たと思われます。そのノウハウは大蛇丸の実験体であるカブト→ダンゾウのラインで構築されていて、カブトはそれを土台に今度は大蛇丸自身で臨床実験を繰り返し完成度を高めたのでしょう。トビも独自に「柱間の細胞」の移植には成功していまして、トビには唯一の輪廻眼があるから「唯一の六道」なのね。

トビが長門の亡骸から回収した輪廻眼は在りし日のうちはマダラが開眼した輪廻眼であり、うちはマダラが死ぬ前に手下であるトビに託したものでしょう。トビはその眼をうずまき一族の末裔である少年・長門に移植し「六道」を創った訳です。全ては「うちはの石碑」に記載された内容で、つまり「うちはの石碑」には「六道の作り方」が記されている訳です。そして、それは兄系のみに向けられたメッセージだった…。全盛期のうちはマダラはその完成形と言っても良いでしょう。しかし、マダラはそれと同時に死んでしまいます。もしかしたら「柱間の細胞」の毒性に殺られたのかもね。しかし、兄ではなく弟を後継者に選んだ六道仙人が何で今さら兄専の「うちはの石碑」なんか残すのかイミフです。

もっと言わせて貰えるなら、最初から弟だけを創ってお願いすれば良かったじゃないのかしら?しかも争いの火種を残すように自分が選ばなかった兄系を狙い打って「うちはの石碑」なんてメッセージを残して、最終的には弟の肉体を奪って六道仙人を再生する…みたいな教唆しちゃう。これが「安寧秩序」を独り支えていた人のやる事なんだろうか?と疑問なのです。六道仙人って一体どんな人なんだろう?もしかしたら十尾を目の前にアレは「ニャーッ」って叫んでるネコ耳オヤジなんでしょうか?いやいや、アレは「角」でホントに鬼みたいに酷い人なんだわさ!!と考えてみたり…「うちはの石碑」の存在を考えてると、相当ド汚い人物像が浮かぶんだけど、九尾・九喇嘛の回想でアッサリと却下です(笑)。

「私はもう長くない

守鶴・又旅・磯撫・孫悟空
穆王・犀犬・重明・牛鬼・九喇嘛

離れていてもお前達はいつも一緒だ
いずれ一つとなる時が来よう…

それぞれの名を持ち…
今までとは違う形でな

そして私の中に居た時とは違い
正しく導かれる」(六道仙人)

「本当の力とは何か…
…その時まで…」(六道仙人)

(長すぎなんだよ…じじい)(九喇嘛)

第572話「九つの名前」で、めんこい九喇嘛やその他の尾獣達が円座になって、その中央に居る六道仙人の話に耳を傾けていました…。『NARUTO -ナルト-』の単行本の最新刊・巻ノ六十の装丁を飾ってますが、仔尾獣はおぼこくてめんこいです。恐らく、六道仙人が「月」に九つのチャクラに分割した十尾の亡骸を封印した直後…六道仙人の臨終の少し前。幼い九喇嘛が涙目なのはその為でしょう。六道仙人が幽鬼のように清らかに見えるのは「力」を使い果たしたからではないかと、僕は考えています。そして、この円座を見る限り、六道仙人は底意地の悪いネコ耳オヤジでもなく、血も涙も無い鬼のような糞ジジイでもありません(笑)。それよりも不思議なのは尾獣らが凄く良い子な事でしたけど(笑)。

ところで、六道仙人の「いずれ一つとなる時が来よう…」が、当時は「十尾の再統合」だろうと、僕は考えていたんですが、近々にイタチの示した「アイデンティティ論」に啓蒙された僕は考えを変えています。そういう目でもう一度、第572話「九つの名前」を読み込むと、九つの尾獣がそれぞれの「名前」を持ちながら、今までとは「違う形で」ってあるじゃない!!これって分割された尾獣がそのまま「アイデンティティ」を保ちながら共存して行く未来を示唆してるんだと気付くに至る訳です。そして、その「在り方」にこそ、六道仙人が十尾を九つに分割した真意が在るのだと閃いてしまって、久々に背筋に電気が奔りました。当然、十尾の存在とは六道仙人の存在と似たものなんだと思い付く必然♪

六道仙人は何で延命しなかったのか?何たって神様(みたいに全能)なんだから、いくらでも死ななくて済む手段は在った筈なのに…その意味が皆さんには解りますか?きっと六道仙人は世界中の人々にそんな風に質問したかったんじゃないかしら…僕は六道仙人「死を受け容れた理由」を自分達でで考えて欲しいと願ったんだと考えます。きっとこれが「親心」なんだな…と、僕は改めて噛み締めるのです。六道仙人が死を受け容れた深層には、六道仙人は自分一人が支える世界の「安寧秩序」対する疑問があったのでしょう。確かに「六道の力」とは強大で、人々は六道仙人を崇めてさえ居ればいい。しかし、それじゃ世界は何も考えない。それでは人も世界も成長しないのです。

「世界はこれ以上成長する必要などない
無限の月読みの幻術の中で眠っていればいい」
(穢・マダラ)

第562話「己を拾う場所」で…穢土転生で召還されたうちはマダラは確かにそう言いました。恐らく、この考え方は「うちはの石碑」の輪廻眼領域に記載された内容なのではないかと、僕は考えています。兄弟同士で殺し合って永遠の万華鏡写輪眼を開眼したら、今度は弟系の仙人の肉体を奪って輪廻眼を開き「六道の力」を手にしたら、バラバラにした十尾を統合して十尾の人柱力になる。そして、「月」に無限月読を投影して世界を夢に落とす…それが「月の眼計画」の全貌であり、穢土転生のマダラの言い切り方からは「うちはの石碑」教唆が濃厚だと、僕は思います。トビに至っては「全てがオレと一つになる!」(第50巻/72頁)と豪語してまして、一体化願望全開で困ります(笑)。

それと、世界の、人々の、尾獣達の「成長」を願う六道仙人の想いとはほとんど正反対です。僕は「うちはの石碑」を書き始めた当初、これを六道仙人の「解離性同一性障害」(多重人格)で片付けようかしらと考えていました。丁度、同じ時期、穢土転生で呼ばれた無(ムウ)様が「血継淘汰」であり、「分裂」できる体質だったのがヒントとなって、六道仙人が複数の人格が合わさって出来上がっていて、数多くの矛盾を抱えて苦しんでいたんだと説明したかったんですが、「アイデンティティ」「個」「世界」との繋がりの中で説明できる「今」にあって、その解釈は一変したのです。その考えは九体の尾獣達が成す円座の中央に立つ静謐(せいひつ)な六道仙人の姿に拠って補強されました。

六道仙人が自分の死を受け容れたのも、十尾を九つのチャクラに割って「名前」を与えたのも、自分の能力を真っ二つに割るように兄と弟を残したのも、全ては世界の「成長」を促す為だったのだと、僕は考えます。分割された「個」がしっかりとその存在を維持しながら、それぞれが繋がって世界を構築して行くにはどうしたらいいのか?それを「個々」で考えて欲しいが為。人々が、尾獣達が「世界」を感じ、その上で「自己」を感じる。「個」「個」の繋がりが自分で終わってしまわない為には、「個」「(他の)個」を強く意識し与えなければならない。その意義に人々が、尾獣達が真に気付く時、「愛の正体」にそれぞれが気付けるのではないかと、僕は期待します。

その上で、六道仙人「うちはの石碑」を敢えて残した訳です。その意義は六道仙人が自身の存在のみが世界に「安寧秩序」を齎(もたら)す「疑問」に符合するのです。「善」だけでも、「正解」だけでも世界は「成長」できないのです。「善」の対極。「正解」の反対。「光」に対する「闇」もまた必要なのだと六道仙人は考えたのだと思います。六道仙人「ヒール」(悪役)として兄を創り出したのだと思います。しかも追い討ちをかけるように「うちはの石碑」で徹底的にミスリードさせ、艱難辛苦を課します。それもまた人を、世界を「成長」させる為の慮(おもんばか)りであると思われます。しかも、兄系が独走しないように弟系にもちゃんと「道標」六道仙人はしっかりと残しているのです。

僕はそれが「予言」だと、僕は考えております。

「予言通りじゃ…
自来也の弟子二人共が
予言の子として交わり
忍の変革を導く者達だったとは
思わなんだが


あの時…自来也が諦めん選択をした時点で
この事はもう決まっていたのかもしれんのう

……あの本(『ド根性忍伝』)が
本当に世界を変える鍵に
なるとはのう」
(大ガマ仙人)

「終わったようじゃ…」と包帯でグルグル巻きのガマブン太に漏らした後、大ガマ仙人はそう続けました(第42巻/121-122頁)。「大ガマ仙人は何故、ほくそ笑んだのか?」(疑問の考察)では、これを「輪廻眼の解脱」だと説明していましたが、第四次忍界大戦で穢土転生を用いて召還されたうちはマダラの圧倒的な力量を知った今、「ナルトVS長門」の予言の子同士の交わりとは、外道・輪廻天生の術の阻止を意味するのではないかと考えるようになりました。あの戦いとは長門をナルトが説得し外道・輪廻天生の術を木ノ葉隠れの戦死者の蘇生に充てさせ、結果的にうちはマダラの黄泉返りを阻止する戦いであった…大ガマ仙人は真っ白に燃え尽きた長門の死に際に確かにほくそ笑みました。

「…イヤ…長門にしても
オレのための輪廻天生の術を
あんな事に使うとは思わなかった…
裏切るとはな…」(トビ)

サスケを五影会談の襲撃に向かわせた直後、トビは長門の死に言及しています(第48巻/205頁)。そして、長門の外道・輪廻天生の術「ムダ撃ち」に落胆していました。僕は穢土転生の術でなく外道・輪廻天生の術でうちはマダラが召還されていたなら『NARUTO -ナルト-』は終了していたと考える人なので、大ガマ仙人が長門の選択を見てほくそ笑み、予言が成就したかの様な雰囲気になったのが何だかしっくり来ています。その考えを適用するなら、トビは「唯一の六道」と言う割りに外道・輪廻天生の術は使えないのかも知れません。輪廻眼の能力にしても視野共有する外道の術や魔像の鎖など部分的にしか使用していませんから、もしかしたら不完全な「六道」なんではなかろうかと思います。

僕は予てから妙木山大ガマ仙人が啓示する「予言」とはかなり胡散臭いと感じておりました。「うちはの石碑」六道仙人に拠る兄系への関与であると同時に、弟系に対して人の良い蝦蟇(正確には蝦蟇の良い蝦蟇じゃが)に、これまた人の良い自来也みたいな忍に「予言」を与え、選択者として忍界に関与させ、妙木山の独善的な選別により弟子を選別して、早い話が意に沿わない弟子はは自来也に消去させていた訳で、自来也の仙人モードの双肩に二大仙人であるフカサクとシマが乗っかった様など、妙木山の監視以外の何者でもありませんでした。ミナトはそれに気付いていて、仙人モードで二大仙人が融合する「両生の術」八卦の封印式拒絶する設定にしたんではないかと考えております。

実は自来也もその辺に疑問を持っていて雨隠れ潜入任務のペイン戦でワザと殺されたんじゃないかと考えてて、”暁”「うちはの石碑」を叩き台にして忍界に関与するように、自来也も「予言」を踏み台にして忍界に関与してるんじゃないかと考えております。同じように湿骨林(カツユ?→綱手)や龍地洞(大蛇丸)も何らかの形で「予言」との関連があり、ある種の共謀を企ててるんではないのか?!と捏造限界が暴走しております。なので、自来也が忍術すら到底及ばない雨隠れの深海に沈み回収不能で穢土転生されずの行では騒ぎまくりましたっけ(「元…”暁”のメンバーNAVI」参照)。しかし、僕なんかが「予言」を胡散臭く感じるんだから当事者の自来也など疑いまくってた筈です。

六道仙人(の遺志)が各仙人の夢に介入して「予言」をコントロールしてたんではないかと、僕は考えてます<キリッ>。その在り処は「月」が有力と見ています。きっと大ガマ仙人が寝入った頃、「月」から文字通り「天の声」が降りて来て、大ガマ仙人の耳元で囁いてたんだと思います(笑)。ぶっちゃけ…「うちはの石碑」が兄系を瞳力をスペックアップさせる教唆を受け持ち、中二病を拗らせる設定であり、「予言」が弟系の強化を指し示す「道標」として機能してた訳です。しかし、六道仙人には「平和には愛が必要」と最初に答えが在るにも関わらず、選択を後世に委ねたのは紛う事なき「親心」でありましょう。六道仙人は人と世界の「成長」を願っているのです。「成長」とは…(第42巻/30頁)。

「どうするか…自分で考えることだ」(自来也)

「うちはの石碑」(結)
ナル×ジャン ケルベロス

 
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「うちはの石碑」(転)

 
「アンコは
手練のダジム・テラに尾行させております
…この際アンコを始末しては?」(暗部)

「今は大切な時期だ…
…ヘタをして状況を悪くする
可能性は避けたい

人員をもっと増やせ
アンコより先にカブトを拘束するのだ」(ダンゾウ)

(あやつ…ワシと大蛇丸の関係を
知っているやもしれん…)
(ダンゾウ)

第454話「五影登場…!!」で、いよいよ「根」が本気出したーッ!!って展開で、その翌週、お面禁止の五影会談に備えて暗部のお面の下に自前のマスクしてるトルネ(名前も絶妙)にただ者に在らざる存在感を感じましたが、後々トビとカブト(穢土転生の展示)にサクッと消されてしまいました(笑)。ダンゾウもサスケの狂気の千鳥鋭槍で香燐共串刺しになって、最期は裏四象封印の自爆で壮絶に散りました。ダンゾウの右眼の包帯の下には幻術巧者のうちはシスイの右眼が埋め込まれてまして、それを使って五影会談で大博打に出て失敗→逃走の果てのサスケとの死闘でした。うちはシスイの写輪眼に関しては第550話「別天神」で提示があり、シスイの左眼こそナルトに託した「イタチの力」だったのです。

しかし、うちはシスイも万華鏡写輪眼開眼者でありましたから、その右眼を搭載したダンゾウに万華鏡写輪眼が備わっていた描写が無かったのは何故かを考えていました。シスイが最後にイタチに合った時には「すでにダンゾウに左眼を奪われた後だった」とありまして、シスイは生きたまま左眼をダンゾウと「根」の手練達に抉り取られたんではないかと思われます。生きたまま眼を抉るなんて、相手が瞬身のシスイだから至難の業だったでしょう。きっと神無毘橋でリンがオビトに施した様な手術ではなく取っ組み合いの中でメチャクチャ乱暴に眼を盗られたんだろうな…痛かったろうなと(汗)。だから、シスイの右眼はかなりの高確率で「眼軸ごと」ではなく「眼球のみ」が奪われたんじゃないでしょうか。

イタチが最後の兄弟喧嘩でサスケの眼を奪う幻術を見せましたが、あれも「眼球のみ」の鹵獲(ろかく)でしたし、ダンゾウの場合、サスケ戦で「イザナギ」で時間稼ぎした後、復活したシスイの写輪眼が「黒目→写輪眼」に変移する描写が残ってまして、カカシの移植された写輪眼が常時覚醒(チャクラの消費を抑える為に額当てで蓋をしている)に反しています。これとシスイの左眼の奪われ方と合わせれば、元々ダンゾウに写輪眼に適合する「眼軸」が備わっていた可能性が高くなり、ナル×ジャンで仮説ってたダンゾウが「写輪眼の開眼に至らなかったうちは一族」が満更でもなくなって来ます。ダンゾウはシスイから奪った写輪眼を自分の眼軸に繋ぎうちはの瞳術を開眼した出来損ないのうちは一族だったと思います。

ま…苗字が「志村」なんでアレですが(汗)、写輪眼の「黒目→写輪眼」の変移はうちはネイティヴの反応ですし…。ここで「シスイの写輪眼+ダンゾウの眼軸」を受け容れると、シスイの万華鏡写輪眼まで開眼した眼を移植したにも関わらず三つ巴の第三次覚醒しか発揮できなかった原因を出来損ないのうちは一族だった(かも知れない)志村ダンゾウの「眼軸」の限界だったと考える事ができるのです。カカシはうちは一族ではないのでうちは一族であるオビトの写輪眼を機能させる為に「眼軸ごと」移植する必要があり、オビトがリンに念を押した訳で、カカシが万華鏡写輪眼を開眼し、時空間干渉に拠る遠距離攻撃忍術・神威を発動できたのはオビトの「眼軸」が持つポテンシャルの為せる業でありましょう。

三つ巴の写輪眼第三次覚醒まではデフォルトで一族が持ってて、才能や血筋(志村=分家の分家?)で能力が異なり、術特性に関しては「眼球」に依存していたと考えれば、シスイの幻術特性をダンゾウが継承した事実がかなりリニアに繋がります。しかも、ダンゾウは「柱間の細胞」により肉体活性を行い、強力なチャクラ(←ナル×ジャンではこれを陽遁チャクラと考えています)を写輪眼に供給してましたから結果的に強力な幻術が使用可能だったものと思われます。しかし、ここまで肉体を強化したダンゾウでしたが、恐らくオリジナルの左眼が写輪眼の「写の字」も覚醒しなかったんですから、最期までヒルゼンに自分の存在を問い続けた姿勢に悲哀を感じます。そして、それがダンゾウの貌を決定したのです。

「カブトは大蛇丸の人体実験のデータ
持っている…それを必ず手にいれるのだ」(ダンゾウ)

<カチャ>「ワシの右目・右腕の為に
役に立つはずだからな」
(ダンゾウ)

ダンゾウが意地汚くカブトを求めるのは大蛇丸「実験データ」が欲しいからで、ダンゾウの言う「右目」とはシスイの写輪眼を万華鏡写輪眼にスペックアップさせる期待であり、この時は「イザナギユニット」の存在は知れませんでしたが、恐らく不安定だった「イザナギ」の効果時間を安定させる期待を込めたものだったと思います。ちなみに、「イザナギ」とは写輪眼を使い捨てる禁術で陽遁チャクラ(柱間の細胞が発生するチャクラ)があれば取り敢えずの発動が可能なのでしょう。トビも小南戦で「イザナギ」を発動してまして、トビがオビトの身体を使用してる前提で左眼には眼軸は存在しませんので(カカシに譲渡したから)、経絡系の接続で発動可能の筈。これは霧の隻眼・青白眼が透視したダンゾウの構造に符合します。

ダンゾウが大蛇丸「実験データ」を求めたのは、右腕の「柱間のデスマスク」(=柱間の細胞)の侵蝕対策も含まれてた可能性が高く、ダンゾウは我愛羅が一尾・守鶴に抗したように、或いはサスケが大蛇丸を取り込んで大蛇丸の力を全て奪ったように(大蛇丸の特殊な変わり身をサスケは使用できたり、傷の回復が異様に早かった)「抑えのチャクラ」で抑制していたんだと思います。事実、断末魔に余裕が無くなってダンゾウの右腕の柱間の細胞が暴走しています。ダンゾウも大蛇丸の情報は収集していただろうから、大蛇丸「不死転生の術」を考案していて、それに「柱間の細胞」が関係してて、カブトが臨床実験を経て「柱間の細胞」の侵蝕をコントロールする薬品を作り出したのを察知してた可能性は否めません。

「うちはには
代々伝わる古の石碑がある
今も木ノ葉の地下にある」(トビ)

「そこにはかつての六道仙人
書きつけた秘密が記してある
瞳力がなければ読む事ができず
写輪眼・万華鏡写輪眼・輪廻眼の順に
解読できる内容が増える」
(トビ)

例の「うちはの石碑」のトビの提示で、瞳力が無ければ読む事ができないから、大蛇丸が実験体を使って「うちはの石碑」を解読していたのでは…と、ナル×ジャンでは考えていると「承」で書きましたが、「うちはの石碑」の写輪眼領域の解読はダンゾウが行ったのかも知れません。しかし、ダンゾウが「うちはの石碑」の写輪眼領域を解読したのであれば、ダンゾウは自分の三つ巴を万華鏡にスペックアップさせる手段を知り得た筈なんです。だって、「うちはの石碑」とはその為だけに在るんですから…と、僕は考えていますんで…おっと確信に触れちゃう前に、もう少し前戯を楽しみましょうや(笑)。つまり、「うちはの石碑」の写輪眼領域はダンゾウが解読したのではない可能性が高いと考えられる訳だ。

その可能性は大蛇丸がダンゾウを如何にゾンザイに扱っていたかを考えれば良いでしょう。そもそも、右腕に十個も写輪眼を搭載して「イザナギ」なんて「ドMの受け専」の術しか発動できないのって頭が悪過ぎます。めっちゃレアで強力な木遁忍術まで使えるのに、何が悲しくて写輪眼使い捨てて自分の都合の悪い事実を無かった事にしてるのか理解ができません。差し違えであってもダンゾウの勝ちだか何だか知りませんが、写輪眼が十個もあったら、もっとマシな使い方があるでしょうよ。いくら何でも右腕を曝した醜い姿見れば、ダンゾウが大蛇丸玩具以下だったのは明々白々です。あれは「うちはの力+柱間の力」…つまりダンゾウは「六道の力」試作の試作に過ぎなかったんだと、僕は確信しています。

しかし、写輪眼スキー大蛇丸がここまで「六道の力」に肉迫していて、何で自分に写輪眼を搭載しなかったのでしょうか?第一部の中忍試験。サスケの天の呪印を封邪法印で押さえ込もうとした行で登場した大蛇丸は確かに写輪眼を欲してるようでしたが、それが真実ならカカシを殺してサスケから眼軸ごと奪えたし、適当に優秀な忍を捕獲して「柱間の細胞」を移植して乗っ取れば詰んだ筈。そのくらい強化すればイタチだって自分のモノになったかも知れません。でも、ここで大蛇丸が写輪眼に飛びつかなかったのは、大蛇丸「全ての真理」が欲しい人だったからで、もしかしたらこの時点で「輪廻眼」を狙ってたのかも知れない…「うちはの石碑」を書きながら、僕はそう考えるようになって来たのよ。

だから、ダンゾウに「イザナギ」なんて写輪眼とチャクラの浪費を強いる効率の悪い術だけを与え、ちゃっかりと「六道の力」を実験した。しかも、ダンゾウには「うちはの石碑」を読ませず、シスイの写輪眼の万華鏡を開かせもしない。それは大蛇丸の障害にならない為か、はたまたダンゾウの「眼軸」の限界なのか…今となっては不明ですが、大蛇丸がダンゾウを…それこそダンゾウが「イザナギ」で写輪眼を使い捨てるように…使い捨てたのは疑う余地がありません。これをゾンザイとせねば何をゾンザイと言えましょうか(笑)。しかし、「根」がうちは一族の秘密の集会場を知らないとも思えんが、やはり「うちはの石碑」までは知る由もなかったのか…ともあれダンゾウの大蛇丸依存度が高かったという事か。

それで、ダンゾウではなくカカシに「うちはの石碑」大蛇丸が解読させた説を思い付いたんだけど、カカシならば小僧・サスケの跡(あと)を付けて「うちはの石碑」に辿り着くのは容易な事です。天照の黒炎を知っていたり、第二部・我愛羅奪還任務における「カカシさん…アナタまさか…」(第29巻/76頁)の万華鏡開眼者の視力低下に言及する辺り「私読んでます発言」ですんで、間違いなくカカシは「うちはの石碑」を読んでいます。つまり、カカシはオビトの写輪眼で「うちはの石碑」の写輪眼領域を解読し、万華鏡写輪眼の開眼方法を入手したのだと思います。ただ一族でないカカシが単独で万華鏡を開けるか否かの判定が難しく、カカシの万華鏡写輪眼の開眼への大蛇丸関与が消し切れん訳だ目薬(笑)。

「……カブトとか言ったな……
お前はどこまで知っている?
…オレの事を」(マダラ)

「おそらくですが……
初代火影柱間と戦った
あの終末の谷で

アナタは死んでなどいなかった

……その時点では…

あの戦いで初代柱間に負けたものの
アナタは柱間の力の一部を手に入れた


違いますか?」(カブト)

第561話「その名の力」のカブトですが、穢土転生・マダラが第四部隊をほぼ壊滅させた「六道の力」が、ほぼ想定通りに再現された実験の成功をしての「ドヤ顔」でありましょう。ここでカブトの物言いに注目するなら、史実や人体実験等々、数々のデータを積み上げて立てた「仮説」穢土転生・うちはマダラ「実証」した感があり、大蛇丸とカブトは「うちはの石碑」の情報に関係なく「六道の力」にアプローチしてた可能性があると思います。その方がカカシと大蛇丸が水面下で接触する黒い歴史も必要なくなりますし、写輪眼スキーを自負する割に、写輪眼を使い捨てる「イザナギユニット」なんてのをダンゾウに与えたり、カカシなんて瞬殺できるのに喰わずにおいたのがしっくり来ます。

そもそも大蛇丸は第一部から穢土転生を使えたんだから、必要な情報は過去のVIPを呼び出して聞き出す事もできたんだし。二代目火影・千手扉間が穢土転生を考案したのも、戦力としての忍術開発ではなく純粋に兄・千手柱間に再会したい一心だったんではないかと、僕は考える人なので、大蛇丸が情報収集に穢土転生を利用してたのはアリだと考えます。しかし、何で二代目のオリジナル忍術(らしい)穢土転生大蛇丸に伝承されたのかは不明で、その点で扉間の黒さは完全に消せぬ…消せぬのだ(汗)。ま…それはそれとして、研究者たる大蛇丸と助手たるカブトが「柱間の細胞」の研究の延長線上の「六道の力」に肉迫していたのは事実。それは「弟系」の正統なアプローチであったのかも知れません。

カブトの「仮説」穢土転生・うちはマダラによって「実証」された今、マダラの「全盛期」「柱間の細胞」を自分の身体に埋め込んだ結果の「輪廻眼の覚醒」にあり、それがマダラの死因と深く関係していると考えて良いと思います。そして、「柱間の細胞」に対する耐性を確保したカブトが特別製の穢土転生・うちはマダラを拵(こしら)えた…それが「全盛期以上」であると、僕は思います。ここで疑問に思うかも知れませんが、「六道の力」試作とも言うべき志村ダンゾウが輪廻眼を覚醒しなかったのは、ダンゾウの眼軸が万華鏡に値しない塩っぱいうちは一族だったからで、ダンゾウが確立できた最大限が無様で醜い姿であり、中二病を脱せぬまま淀みに淀んだ悲しきオトナの末路だったのです。

それこそが「アイデンティティ」の真理なんだけれど、今語るには物悲し過ぎるので先送りと致します。それは自来也が雨隠れの水底に沈んだ時からの僕の決意でありまして、もしかしたらそのままお墓まで持って行くまであるかも(笑)。しかし、自来也の沈んだのが忍術使える忍ですら手が届かない深海だなんて、「何でそんな深くまで死体が行けるんだよ!!」と軽く突っ込ませて頂いて濁します(笑)。でも、ま、大蛇丸の研究って凄い精度だな…そして、それを継承したカブトが「ラスボス」とまで行かないけど、充分「中ボス」たり得る地位にまで押し上げたのも大蛇丸の七光りでしょう。なので大蛇丸が「うちはの石碑」を読んでいようといまいと「六道の力」にいい線まで達してる筈なんだわ。

<グッ><スッ>(マダラ)

「だからか…段取りのいい奴だ
オレ達の計画も知っているのか?」(マダラ)

「あまり詳しくは…
…ただボクはアナタの味方です…

…あの偽マダラが計画通り事を運ぶ気が
あるかどうかは分かりませんが」
(カブト)

「………」(マダラ)

ここで重要なのは「うちはの石碑」永遠の万華鏡写輪眼領域大蛇丸+カブトの仮説が実証した方法論が提示されてるって事です。マダラが上衣の首を広げて胸の辺りを覗いて納得していますんで、そこに「柱間の細胞」…それが柱間と解ったって事は「柱間のデスマスク」が貼付けてあったんではないでしょうか。外道魔像・蓮華座の下の茎に柱間の複製がセットされてましたように、『NARUTO -ナルト-』の世界観における医療忍術を駆使すれば少量の検体から個体を製造する技術が確立しております。ダンゾウの右腕にも「柱間のデスマスク」が埋め込まれてましたし、同種の複製を複数所有していたと考えられます。しかし、それが塵芥で魂を覆う穢土転生で何度も再生する理屈が今のところ不明です。

穢土転生は魂が記憶する在りし日の姿を再現する忍術(のよう)ですので、マダラが為し得た「全盛期」を上回る「全盛期以上」の付加物が再生する道理が解りません。なので、ブローチのように首にぶら下がってるとか、後付けの装備品として付与してるのかな…とも考えられるんですが、細かい話はいいんだよ…でスルーさせて頂きます(笑)。勿論、その付加物には「柱間の細胞」の侵蝕を抑える薬品が仕込まれてまして、それが「全盛期以上」「以上」ね。そして、その「以上」が無かったからマダラは死んだと、僕は考えてます。ここまで書いたら「うちはの石碑」には何が書かれていたのか…僕が言いたい事がもう皆さんにはお分かりですよね。え…!?まさか…お嬢様は素人でいらっしゃいますか?(謎ディナ風…笑)

注目してほしいのはマダラが「オレ達の計画も知っているのか?」と漏らしてるところです。マダラは既に「無限の月読の幻術の中で眠っていればいい」(ep562)で表向きの計画は提示してますんで、こうして「マダラの体の秘密」を知ってて、「六道の力」にも充分に肉迫してるカブト(大蛇丸)に対して「オレ達の計画」をも知ってると疑念を抱くって事は、「うちはの石碑」にそれが書かれてるって事なんだと、僕には思えるのです。穢土転生・マダラはカブト(大蛇丸)が「うちはの石碑」をホントに解読したんじゃないかと、本気で疑ってる…いやいや…戦(おのの)いている…。そうなんです…恐らく「うちはの石碑」輪廻眼領域には、きっとそのような内容の記述があるのです。

つまり、うちはマダラの協力者であるトビの「月の眼計画」とは表向きの大義名分に過ぎない訳です。きっと鬼鮫が草葉の陰で悔しがる事でしょうが、それすら「嘘」(幻)だったのかも知れません。そして、それらが「うちはの石碑」に刻まれている。イタチもシスイもサスケもトビもマダラも、それぞれの瞳力で「うちはの石碑」を読んで感化されてるんです。それが何を意味するのか?そこを深く考えて欲しい…否…考えるべきだと思います。「うちはの石碑」が意味するもの…それこそ六道仙人が自分を真っ二つに分けるように「兄」「弟」を残し、十尾を九つに分割する為に十種類の「血継限界チャクラ」を創出し、地爆天星で十尾の肉体を天空に置いた。そして「うちはの石碑」を残した…(ep562)。

「世界はこれ以上成長する必要などない」(マダラ)

………つづく…次でびます。


 

「うちはの石碑」(承)

 
「アナタの穢土転生特別製です
全盛期以上に仕上げておきました」(カブト)

「全盛期だと」(マダラ)

「……」(マダラ)

お前…
オレの全盛期を知っているのか?」(マダラ)

第560話「うちはマダラ」では穢土転生ではありますが、非常に高貴で威厳のあるその姿…うちはの伝説…「マダラ△」の威風堂々を謁見賜りました。後ろに引っ込んでたカブトが無(ムウ)様の身体に出張ってまでマダラにアクセスするのは多大な興味があるからです。カブトがマダラを穢土転生で完璧に縛って能力マックスまで出し切る事もできるんでしょうが、マダラの場合、マダラの魂の欲求が”暁”の目的に沿っていますので自由に泳がせて差し支えないからで、寧ろマダラの思うままに「力」を解放してもらった方が都合が良いのでしょう。その意味ではカブトも完璧にマダラを把握してる訳ではないと考えられます。その不安と研究者しての興味は表裏一体でありまして俄然wktkのカブトなのです。

「全盛期以上(カブト)>全盛期(マダラ)」

面白いのはカブトが言う「全盛期以上」で、逆にマダラがカブトに探りを入れるくらいの勢いで、ちょっとアタフタしてる風にも見えますね。一応、マダラは柱間と殺り合った「終末の谷」で死んだ事になってますんで、一般的なマダラの「全盛期」とは「永遠の万華鏡写輪眼+口寄せ九尾」であろうと思います。なので当初、忍連合と戦うのも通常忍術か万華鏡写輪眼(”須佐能呼”)に留まっています。カブトは「全盛期以上」と言い切ってますから、「終末の谷」の後のマダラを知ってると言ってる訳です。その辺りの細々した部分を第561話「その名の力」でカブトが示しています。そして、「終末の谷」の後のマダラを知ってるとなると「全盛期」が別の意味になる…その「お約束」がカブトとマダラで一致してるのです。

「やはり憶測通り…
写輪眼の行き着く先は…」(カブト)

「輪廻眼でしたか」(カブト)

「オレがこの眼を開眼したのは死の少し前だ
カブトとか言ったな……
この体に何をした?」(マダラ)

「だから言ったでしょう?
……全盛期以上に仕上げておいたと…」(カブト)

「貴様…
オレの体の秘密を…
…あのうちはの石碑を読めもしない
お前ごときが解読したというのか?」(マダラ)

第560話「うちはマダラ」でカブトの仮説がマダラの実際で検証される中、マダラが微妙に諦めて行きます(笑)。二人の中ではマダラの「全盛期」「終末の谷」ではなく、そこから生き延びたマダラの「死の少し前」…つまり、輪廻眼の開眼時期を指し示しておりまして、マダラとしてはぐうの音も出ない訳です。ここでマダラはカブトの情報量に敗北した感があり、カブトが言う「全盛期以上」には心なしか期待すらしてるようです(笑)。と言うのは、マダラが死んでしまったのはカブトの示す「以上」が無かったからで、マダラが為し得たのが「全盛期」までだったからだと、僕が考えてるからです。そんな風に考えてるもんだから、思わせぶりなカブトの言葉にマダラがガッツリ釣られてると感じるのです(笑)。

しかし、「写輪眼の行き着く先は輪廻眼」と言うのも、「うちはの石碑」解読内容「写輪眼→万華鏡写輪眼→輪廻眼」で変化する提示が大きな伏線であったように思います。瞳力的には連続してる訳ですから万華鏡写輪眼の次は輪廻眼という予想も立っても不思議じゃないですね。実際は、その間には永遠の万華鏡写輪眼というものが存在しますが、うちは意外の忍にそこまで詳細に説明する必要もないし、話がややこしくなるのでトビだって割愛したのかも知れません(笑)。つーか、ここではマダラがうちは一族でないカブト(こういう風に断定してると思います)が「うちはの石碑」解読したかのような疑念を抱いていることから、マダラの「体の秘密」とは「うちはの石碑」に記されてるとバレバレ(笑)。

大蛇丸が写輪眼を手に入れた描写はついぞ在りませんでしたが、写輪眼との関わりはダンゾウの「イザナギユニット」でも濃厚ですし、例えば実験体に写輪眼を移植し「うちはの石碑」解読させた可能性は否めません。もっと言うと、カカシの万華鏡写輪眼の開眼には大蛇丸が関与してると、僕は考えてまして目薬、その見返りに万華鏡を開いたカカシに「うちはの石碑」の万華鏡領域を解読させた可能性が在るんではないかと妄想しとります目薬それが何を意味するか…つーと、カブト(や大蛇丸)がマダラの穢土転生に仕込んだ細工(=全盛期以上)の拠り所である「仮説」をマダラの実戦で検証する必要があった事実がキレイにマッチするのです。ぶっちゃけ、永遠の万華鏡写輪眼を入手できなかったが為に「石碑」解読できなかったという事だ…。

もしかしたら…なんですが、イタチを諦めてサスケに手を伸ばした大蛇丸って、そこまで読み切ってたのかも知れんと思うと凄くないですか?(大蛇丸はイタチが強過ぎて手に負えないみたいな物言いだったけど)。それを正と受け容れるならサスケにアッサリ殺され、それでもイタチの眼は誤摩化せないぞとばかりに十挙剣に封印されたかに見えた大蛇丸も、イタチが命を燃やしてサスケの万華鏡を開き、更に自分の眼を供しサスケに永遠の万華鏡を与える親心を織り込んでの「托卵返し」だったなら、大蛇丸って凄すぎると…惚れます(笑)。その上でサスケを奪い返して「うちはの石碑」永遠の万華鏡写輪眼解読して輪廻眼を得る。そんなシナリオを大蛇丸が描いてたなら、きっと何処かで…と、また白昼夢(それ以上の事をカブトがやっちゃってるから…)でスミマセン(笑)。

かなり大蛇丸に話が傾いてしまったけど、大蛇丸=カブト永遠の万華鏡写輪眼には達してなかった可能性が高いです。だから、うちはの伝説・マダラの穢土転生検証する必要があった…。これは研究者としては正統な姿勢だと思われます。ところで、ここまでカブトがマダラに対して優越してるのは「柱間の細胞」に関する実験データが圧倒的に豊富だからでしょう。これまでの提示では木遁使いのカブトとイザナギ使いのダンゾウがありますが、大蛇丸の扱い方からすれば、ヤマトが先でダンゾウが後で、ダンゾウのがより洗練された実験体だった筈です。特に木遁の完成度からすればダンゾウがヤマトに優越してまして、ヤマトを軽視してた大蛇丸の合理的な思考パターンがしっくり来ます。

そして、大蛇丸はダンゾウで得た「柱間の細胞」の実験データを元に「白蛇」を作り出す。つまり、それが「不死転生の術」であり、それでも「柱間の細胞」の拒絶反応、或いは侵蝕に苦しんでおり、それを解決する為にカブトがいろんな薬品を作り出して大蛇丸に投与してたんだと思います。第一部からそんな描写が残ってますね。ある意味、カブトは大蛇丸臨床実験をしてて、それを基に今度は自分に埋め込んだ「白蛇の細胞」をコントロール出来てるんじゃないかと思います。ちなみに「白蛇の細胞」とは「柱間の細胞」を培養して作り出した特殊な細胞で「弟系・仙人の肉体・生命エネルギー」を司るエンジンだと考えます。その技術が大蛇丸→カブトで洗練され、カブトが凄く偉そうなのです。

つまり、それがマダラの全盛期「以上」の正体な訳だ…(つづく)


 

「うちはの石碑」(起)

 
南賀ノ神社本堂
その右奥から七枚目の畳の下に

一族秘密の集会場がある

そこに
このうちは一族の瞳力が
本来何の為に存在するのか…


その本当の意味が
記されている」
(イタチ)

第一部のクライマックス…巻ノ二十五(上から見たら真っ黒)の全てを裂いて語られたサスケの暗闇…(第25巻/149-150頁)。その中核に在るイタチの存在。そして、イタチが残したの数々…。それらが混ぜこぜになって少年サスケを苛んでいたのは疑いないです。ナル×ジャンの分析ではサスケはブラコンではなくファザコンであります。サスケはフガクの寵愛が受けたいにも関わらず、極めて出来の良いイタチがフガクとの蜜月を恣(ほしいまま)にした。それ故、サスケはイタチが「疎ましい」と感じてて、あろう事か、出来の良いイタチにそれを見透かされ、輪をかけてイタチを意識したのです。そして、サスケの目の上のコブであるイタチが一族を滅ぼし、フガクを奪った…。結果的にサスケにはイタチしか見なくなり、その全てを信じるしかなくなる悪循環が襲うのです。

「そうか…
そういう事か…」
(サスケ)

うちは虐殺直後、傷の癒えたサスケが先ず足を運んだのが「うちはの石碑」だったのはその所為です(第25巻/157頁)。ところで、サスケが第七班の「自己紹介」でサクラに漏らしたイミフの「あの時、泣いてた…」の伏線回収の第403話「涙」で明かされたんですが、この時点でサスケの写輪眼は第一次覚醒(一つ巴文様)を完了していました…が、サスケが写輪眼の覚醒(開眼)を自覚するのは第一部の「波の国任務」での「白」との激戦の最中…「白」の氷遁秘術・魔鏡氷晶の猛攻を木登りの修行のチャクラコントロールをフィードバックして盛り返しつつ、戦いの中で急速に進化して行く「うちは」の真骨頂を確認させて貰いました。なので、サスケの写輪眼はこの時まで休眠してたんではないかと、僕は考えています。

「うちはには
代々伝わる古の石碑がある
今も木ノ葉の地下にある

そこにはかつての六道仙人
書きつけた秘密が記してある
瞳力がなければ読む事ができず
写輪眼・万華鏡写輪眼・輪廻眼の順に
解読できる内容が増える」(トビ)

「話がマユツバものになってきたな
六道仙人など…」(オオノキ)

「これは事実だ
彼は存在した
そしてその石碑を残した」(トビ)

何を差し置いても足が向いた南賀ノ神社の秘密の集会場の「うちはの石碑」でしたが、サスケはそこに書かれている筈の「写輪眼の本当の意味」は解読できなかった…そのソースは第467話「宣戦」のトビの長話(第50巻/73頁)。トビを信じるなら「うちはの石碑」は瞳力が無いと解読できない…サスケの写輪眼が休眠状態であればサスケに碑文の解読はできません。だから、少年サスケが呟いた「そうか…そういう事か…」とは、イタチが読めるものが読めない無力感、或いは敗北感。または門前払いされたかの様な惨めさを吐露したものだと思います。そして、この時から「うちはの石碑」とはサスケとイタチの果てしない差を図る指標になったのではないかと思いました。少し探すとそのヒントが見つかりました。

「探しものを見つけに来たのです…」(イタチ)

「………探しもの…?」(カカシ)

ちょっと懐かしい第一部のイタキサの「木ノ葉強襲事件」の一場面(第16巻/136頁)。思わせぶりなイタチのセリフの直後、「うちはの石碑」を読む耽るサスケの後ろ姿が挿入されます。写輪眼は二つ巴文様の二次覚醒。確かサスケが完全に二つ巴文様の写輪眼を覚醒させたのは、死の森で大蛇丸と殺り合った時だったかしら。しかし、大蛇丸にビビるもナルトの頑張り(+九尾のチャクラの迫力)にうちはの血が騒ぎ出してハッスルしちゃって、その才能が大蛇丸の目に留まり「天の呪印」を打ち込まれる事になろうとは(笑)。ま…これもイタチの「托卵計画」の一環ではありましたが。話が横道に逸れちゃったけど、サスケは事あるごとに「うちはの石碑」を読みに行ってた…まさに「臥薪嘗胆」(がしんしょうたん)ですな。

賢いサスケの事だから、早い段階で「瞳力」がないと読めない事や、「瞳力」が上がったら解読内容が変わる事などを理解してたと思います。しかし、サスケが里抜けしてからは「うちはの石碑」は読みに来れなかった事でしょう。大蛇丸の弟子時代に秘密の抜け穴で侵入した説などを唱えた事もありましたが、木ノ葉崩し以降、木ノ葉がのんびりしてると言えども、さすがにそんな危険な抜け穴とか潰すだろと思いますれば、却下とさせて頂きます(笑)。しかし、今は第四次忍界大戦真っ最中で里の主力は挙(こぞ)って戦争に行ってますし、里の警備も手薄になってるんじゃないでしょうか。戦争に行ってないのってコハルとホムラくらいじゃないの?と言うくらい木ノ葉はもぬけの殻状態ですよね…きっと(汗)。

「その写輪眼お前はどこまで見えている」(イタチ)

そして、サスケはイタチの眼を受け容れ「永遠の光り」を手にしましたから、このタイミングできっと「うちはの石碑」が気になると思うんです。イタチが見てた「うちはの石碑」をサスケは見たくなる筈なんです(第42巻/17頁)。サスケにとって「うちはの石碑」はイタチとの差を計る指標的な存在だと先に書きましたが、自分がイタチを超えたかも知れない…否…とうとうイタチを超えられたとサスケは思ってるとしたら、絶対、今の眼で「うちはの石碑」を読みたいと思うんです。サスケは、うちはのアジトで殺り合った時にイタチとの情報量の差を感じてましたから、イタチが読んでた「うちはの石碑」の内容には物凄く興味があると思います。それとちょっとは木ノ葉が懐かしい…イタチもそうだったように。

ところで、「ペイン襲撃事件」で木ノ葉が潰されちゃったけど南賀ノ神社ってどうなったんでしょうか?まだ在るんですかね。ふと、そんな事考えてて、同じ時期にメッセージでも頂いたんですが、奈良家の管理する森の地中深くにバラバラにされて埋められた”暁”の飛段ももしかしたら這い出して来るかも…とする説に思わず、僕は明け方、窓から飛段が覗いてる恐い夢を見て、mjd魘(うな)されて「うわっ!!」と目が覚めてしまいました(笑)。僕は次のサスケの登場は復興中の木ノ葉隠れの里だと思っています。六道仙人の遺した石碑ですから潰されずに残ってる筈です。それで、手薄な木ノ葉で手持ち無沙汰なので復活した飛段を<キュッ>と捻る…みたいなお話を捏造してほくそ笑んでおります(笑)。

そして、サスケにはもう一度呟いて欲しいんです。

「そうか…そういう事か」って……(つづく)。

 

 

万華鏡写輪眼…蓮華覚醒

 
サスケの万華鏡写輪眼

「木ノ葉を潰す」

波打ち際の「木ノ葉潰し宣言」で(第402話/「最後の言葉」)、見開くサスケの両眼は「万華鏡写輪眼」であったと、僕は考えます。イタチとサスケが繰り広げた史上最大の兄弟喧嘩が、サスケの万華鏡写輪眼開眼の為の闘いであった事は、マダラ(トビ)の告白の通りだと思います。それが、イタチの「最後の言葉」であり、「最後の笑顔」の必然性だと思います。

「里を抜けた時より、お前と戦い死ぬことを心に決めていたのだ
その時、お前に新しい力を与えるため…

マダラ(トビ)がサスケを落とした「儀式」(第400話/「地獄の中で」)。その締めで、マダラ(トビ)はイタチの「真意」を仄めかしています。イタチがサスケを大切に想う気持ちがベースには存在しますから、ここで言う「新しい力」とは、マダラが開眼したとされる「真・万華鏡写輪眼」であるべきだと思います。

しかし、この波打ち際のサスケの決意表明の両眼の文様は非常に特殊なもので、通常の写輪眼の三つ巴文様を変形・踏襲してる風ではなく、カッコ良いか悪いかは置いといて(笑)、全く新しいパターンの文様であると思います。マダラやマダラの弟を第一世代。イタチやカカシが第二世代とするなら、サスケは第三世代?!なんてところでしょうか。

マダラ(トビ)が過去に「イタチ以上の目になる」(第40巻/77頁)と、デイダラ戦の後にペインや小南に自慢げに話していましたが、サスケの万華鏡写輪眼の文様にはサスケのポテンシャルの高さや素質が影響していて、やはり、道具(武器)としての写輪眼の「強さ」なのではないかと、僕は考えています。

万華鏡写輪眼の覚醒(開眼)にもランクとかレベルがあって、サスケのそれは相当に高い境地なのではないかと考えます。それで、サスケの万華鏡写輪眼の文様からの連想で「蓮華覚醒」としておこうと思います。仏像が立つ「蓮華座」は悟りの境地の高さを示すもので、サスケの明らかに違う第三世代とも言える文様とマッチして大きな可能性と期待を感じています。

で、これを万華鏡写輪眼と言い切ってしまうのは、真・万華鏡写輪眼の開眼には、兄弟(血縁)の万華鏡写輪眼が必要で、もし仮に、現状のサスケの両眼の万華鏡写輪眼がそれだとすると、既にサスケの両眼には、回収されたイタチの死体(マダラ(トビ)がそう言ってるだけだけどねーッ!)から眼を移植する必要があります。

それだと困るんだな…(汗)

だって、それだとイタチの生存の可能性は完全に否定されますから…。現状で、マダラ(トビ)が言うイタチの「死」は、サスケを猛烈に後悔させ追い込み、開眼を促す為の方便であるとも考えられますし、描写でもイタチの医学的な死亡判定はなかった。ゼツが遠目に観察していて、ゼツ(白)が「死んでない?」と、どっちにも取れそうなトーンを残しただけですから…(笑)。

逆に、サスケの両眼が真・万華鏡写輪眼でないとするならば、イタチは生きてる可能性があると、もう少し引っ張れると思うんです。僕はイタチが好きだし、も一度逢いたい…って言うか、サスケに生きて会わせてやりたい!そして、サスケに謝らせてあげたいんです。サスケの後悔って、イタチに謝れなかった…からだから。子供だったから仕方ないけど、今はオトナになってるから…。

「やっと…たどり着いた…」

サスケはイタチとの闘いでオトナになれたんだと思います。それがあのサスケのベストフェイス(第42巻/133頁)だったと。サスケはイタチに縋り付くだけの…泣いているだけの…子供から、たとえ、怒りであれ、恨みであれ、憎しみであったとしても、自分を培う「庇護」から脱却する事ができたんです。

それは…乳(父)離れ。巣立ち。脱皮。割礼…。

このままだと…情緒的な考察過ぎるので(笑)、マダラの万華鏡写輪眼から真・万華鏡写輪眼への推移を分析してみましょう。

マダラの万華鏡写輪眼

マダラの万華鏡写輪眼

マダラの弟の万華鏡写輪眼

マダラの弟の万華鏡写輪眼

開眼と同意に失明に向かう万華鏡写輪眼。その定めはマダラであっても例外ではなく、手の施し様のない状況に追い込まれています(第42巻/123頁)。しかし、それを弟の万華鏡を奪うことで回避しています。そして、弟の眼を移植したマダラの万華鏡写輪眼(真)の文様は自分のオリジナルをベースに、弟の文様が合わさったデザインになっていました。

マダラの万華鏡写輪眼Ver.2

マダラの真・万華鏡写輪眼

眼のやり取り…移植の周辺の描写を観察すると、眼軸(しつこいようですが、ナル×ジャン的には"視神経束"です)までを奪い、自分に移すのではなく、ザックリと眼球だけを移植する形式で、マダラの場合は眼球は弟の物ですから、文様が弟のそれの筈ですが、むしろ、自分のオリジナル文様が色濃く反映されている。

つまり、眼軸に万華鏡の情報や機能が存在して、同時に眼球にも同じように存在する。また、神無毘橋の戦いにおける盟友オビトからの左眼の移植の描写で「眼軸ごと」(第27巻/163頁)と言及している事からは、眼軸が写輪眼のシステムにとって「要部」とも言うべき不可欠の器官と考えられます。

しかも、移植で「眼球」と「宿主」が相互に影響し合う描写からは、他者の眼球を眼軸と組み合わせるとことで、初めてシステムが完成するような、写輪眼とは生来的には不完全なシステムである事が想像されます。そして、それが肉親(血縁)の眼を移植する事で完成する…何とも忌まわしい条件が提示される…存在そのものが「試練」のような…悲しい定めを内包していると言えます。

イタチの万華鏡写輪眼

イタチの万華鏡写輪眼

イタチの万華鏡写輪眼は手裏剣型で(厳密に言うと、「うちは虐殺」前後で変化しています。写輪眼の三つ巴文様から万華鏡写輪眼への移行に関しても明らかに違っています。それを根拠に、「フガク→イタチ」の眼のやり取りを、僕は提唱しています)、それはサスケの両眼にはどう見ても反映されてはいません。

万華鏡写輪眼のマダラのケースを参考に、サスケのそれを想像するなら…

真・万華鏡写輪眼…蓮華覚醒

サスケの真・万華鏡写輪眼 Ver.2

サスケが「蓮華覚醒」なので、その影響でイタチの手裏剣文様も二重配置となる予想です。サスケの覚醒が高度で、これまでにない能力を秘めていて、それがサスケの「眼軸」に存在して、そして、イタチが運んで来た「眼球」が合わさるとで相乗効果を生み出すことになる…(これには、「フガク→イタチ」への迂回経路の眼の移植も考慮に入っています)。

「オレはお前と共に在り続けるさ」

あの縁側の語らいで(第25巻/85頁)、イタチがサスケに残した言葉です。サスケはこの言葉を今後も噛み締めて行く事になるんですが、イタチがサスケに交わした「約束」は「眼球」の授与の契約にも似ている。「うちは一族」にあっては…今、マダラが在るように…それはこの言葉が特別な存在感を持つかも知れない…と言う事です。


と、まぁ…以上のような理由で(笑)、僕はサスケの両眼の文様を「単なる!万華鏡写輪眼」と位置づけて考えています。そして、それはイタチの眼球の移植が未だ為されていない証であり、イタチの生存(安否)に関する一縷の望み、或いは光明とも言える「希望」であります。だから…サスケが真・万華鏡写輪眼でない限り、イタチは生きているかも知れない…と、僕は考えている…次第であります(脂汗)。

「木ノ葉を潰す」

そう意気込むサスケを(第402話/「最後の言葉」)、マダラ(トビ)は流し目で追っかけてるんですが、三つ巴の通常写輪眼です。マダラ(トビ)が「漢」(オトコ)なら、ここは自らも万華鏡写輪眼、或いは真・万華鏡写輪眼で応える筈です。誇示するまでもなく、それが「漢の心意気」と言うものですから!!それをしない…と言う事は、もしかしたら…

マダラ(トビ)は真・万華鏡写輪眼を発動できない!!??

それがペインを前に身汚く訴えた「写輪眼の本当の力が…このうちはマダラの力が」(第40巻/96頁)になるんじゃないのかな…って思ったりしています。つまり、マダラ(トビ)は眼球・眼軸も写輪眼のシステムはマダラであっても、「器」(身体)は別の何か…と言う考えに繋がるんです。それが、オビトなのか、シスイなのか…はたまた…何なのか?は明言できませんが…。

「イタチのことなら何でも知っている
…まぁイタチはそのことに気付かずに死んだがな」

慢心とも言えるマダラ(トビ)(第397話/「真実を知る者」)。その上を行くのがイタチ…と、僕(ら?)は信じたがっている(笑)。それは、イタチが好きだから…とか、男前…とか。カッコ良い…ってのは確かにある!(笑)でも、それだけじゃなくて、確かな描写も残っているんですよ。一つは「違和感」(イタチの考察)で示しましたけどね。

実はもう一つあるの…。

「イタチVSサスケ」が決着して、それをゼツに知らされたマダラ(トビ)が時空間忍術?で、一気にサスケに接触しようとした時、木ノ葉小隊もサスケの居場所に急行しましたよね(第396話/「自己紹介」)。あそこにも数々の違和感が溢れてませんでしたか?ナルトは兎も角(笑)、カカシとヤマトは連携や察しが良過ぎ…だったとは思いませんか?それに、"天照"の情報などが的確過ぎた…。

(土遁・土流割!!)「このまま行って下さい!」(ヤマト)

「よし!ヤマト以外はオレに続け!」(カカシ)

そして、カカシは<スゥー><ギン>っと、万華鏡写輪眼を覚醒させています。当時、森の中のマダラ(トビ)との接触で写輪眼を見せられた焦りだと思ってたんですが、もしかしたら、カカシも仕込みの"天照"を知っていたんじゃないかと、今になって考えるようになっています。カカシは"天照"の黒炎の中にサスケがいて、その眼にはイタチの"天照"が仕込まれている事を知っていたんじゃないでしょうか?!

カカシもナルトのようにイタチの分身と接触していた!!??

イタチがサスケとの接触の前に、ナルトと森の中で接触しています。描写的にはナルトとしか接触していませんが、同様の仕組みでイタチの烏分身がカカシと接触し、VSサスケのシナリオをカカシに伝えていたんじゃないでしょうか?だから、カカシは"天照"の黒炎を知っていたし、その中に突入するシーケンスを用意できた。

そして、そこで倒れているであろうサスケとイタチの身体の意味も知らされていた。そして、マダラ(トビ)よりも先にサスケに接触する可能性もあるから、三つ巴文様ではなく万華鏡写輪眼でサスケに接触するようにカカシに教唆していたと、僕は考ています。あの突入の周辺のカカシとヤマトの連携の良さや焦りっぷりは異常とも言えますから…。

イタチの"天照"の仕込みは「三つ巴文様」にセットされていた?

と、僕は考えていると言う事です。もし発動対象が、マダラ(トビ)なら傷を与えるか、時間を取らせる。カカシの場合は万華鏡写輪眼なので仕込みは発動しない…。そして、サスケの左眼に流し込まれたイタチの「血」を洗い流せば仕込みの"天照"は解除される手筈だった(イタチのリーク)。この場合は、「儀式」はカカシがする事になったでしょう。

イタチはマダラ(トビ)を三つ巴覚醒だと断定していた!!

"天照"の仕込み情報のリーク説を受け入れるなら、イタチはマダラ(トビ)の万華鏡写輪眼、もしくは真・万華鏡写輪眼の所有を否定している事になります。その機微は「今のマダラは負け犬だ…」(第42巻/127頁)と、言い放ったイタチの描写にも奇麗に符合します。そこから、イタチのシナリオはマダラ(トビ)のそれを凌駕していた…と言う考え方も湧き出てきます。

あの黒炎の中に強敵(マダラ)が先行していて、カカシが万華鏡写輪眼でそれに応えた…とするのが自然かも知れませんが、イタチが敷いて来た分厚い配慮はそれにも増して強力だとも考えられます。それに、あの森の中のナルトとの接見…「ど…どういうことだってばよ?」(第40巻/132頁)…だって、まだ明確には示されてはいません。

イタチは分散して捜索にあたる木ノ葉小隊に接触を試み、何かしらの布石を敷いているんではないか?と思うんです。その一つがカカシのあの万華鏡写輪眼の使用の描写(第396話/「自己紹介」)だった…。僕にはそう思えてなりません。そして、その周到さがイタチの行動密度の高さを物語っていると思う。

つまり、他にも…ある!!!!

そして……サスケのあの「眼」が…鷹の眼…蓮華覚醒が…
単なる「万華鏡写輪眼」である事を祈る…ケルベロスです。

実は…あともう一つ、「希望」があって…それは別の「考察」で…ね!!

  

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