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大蛇丸は何故、「木ノ葉崩し」を起こしたのか?(ep627・六)

 
「大蛇丸…どうしてサスケに
協力することにしたのじゃ?」
<スッ>(穢・ヒルゼン)

「!」(大蛇丸)

「お前は里を潰そうとしていたのに…」(穢・ヒルゼン)

「カブトの中に入っていて分かった…
私の生き方を真似し
全てを蓄積していたカブトも失敗した

今はサスケくんの

違う生き方興味があるだけ……」(大蛇丸)

「あの子はカブトと違い
私を真似なかったから…」(大蛇丸)

<ザッ>(サスケ)

香燐が騒がしくサスケ達に合流する頃、大蛇丸は三代目火影・猿飛ヒルゼンとの静かなる邂逅を果たします。一瞬、虚を衝くようにヒルゼンは大蛇丸に話しかけたのでしょう。大蛇丸は「!」と驚いています。僕は第627話「サスケの答え」で、この行が一番興味深く感じました。確かに大蛇丸は見た目、とても穏やかではあります。しかも表情を少しも変えずヒルゼンの問いに応えています。しかし、その心の内は、大蛇丸の心の鏡のような湖面には確かに波紋が起こっていると、僕は感じました。歓喜。そう言い換えてもいいくらい、その波紋は凡そ負とは違い心地よい。大蛇丸はこの状況を非常に喜ばしく感じている筈です。ヒルゼンが触れた大蛇丸の心の(ひだ)。ここ、感じないと勿体ない…。

大蛇丸は何故、ヒルゼンの一言に「!」っと、心を乱したのか?…と、昔なら考察を仕立てましたかね(※考察扱いにしますけどね)。ま…今はそれをこうして感想の一部で消費してると申しますか、いろんな意味早漏気味で(汗)。内容は同じですから一つお許しを。本誌206頁。この一頁に大蛇丸の人となりが絶妙に描かれてると、僕は思うんです。傍目には凶悪な犯罪者にしか見えない大蛇丸だけど、実は聡明で優しい。僕は大蛇丸が大好きだからあばたもえくぼなんですかね(笑)。でも、大蛇丸の部下が洗脳や恐怖で従ってた訳じゃなかったのは、大蛇丸に魅力があったからでしょう。そして、それは砂隠れの里を巻き込んで木ノ葉を揺らす騒動となりました。

それが大蛇丸の「木ノ葉崩し」本質でしょう。

「動いているものを見るのは面白い
止まっているとつまらないでしょ………

回っていない風車なんて
見るに値せず
…ってね

かと言って…
止まってるのも情緒があっていい時もある…

とにかく…
今は”木ノ葉崩し”という
私が風車を回したい…」(大蛇丸)

「木ノ葉崩し」において大蛇丸はヒルゼンに、その動機をこう説明しています(第13巻/160頁)。あの頃は大蛇丸が何を言っているのか見当すら付きませんでしたっけ。しかし、時が経ち今またこうして大蛇丸とヒルゼンが邂逅する。それが穢土転生という禁忌で成った事の是非は今暫く横っちょに置いておきまして、大蛇丸に歩み寄り、ヒルゼンが大蛇丸がその心の奥に大切に仕舞い込んだ風車に、ヒルゼンがフッと優しく息を吹き、回した事だけは確かでありましょう。ここで大蛇丸が鳴き出さなかったのは大蛇丸の我慢なのか?成長なのか?もうどうでもいい事ですが、「木ノ葉崩し」で背後からヒルゼンの締め上げたあの時、大蛇丸は図らずも涙をポロリと零してしまったんですよね(第13巻/156頁)。

「それほどに嬉しいか…
…それとも…」(ヒルゼン)

<グッ>(大蛇丸)

であるヒルゼンに痛いところを突かれた大蛇丸は自傷で誤摩化すんですけど、大蛇丸のヒルゼンに対する感情が何なのかは言わずもがなでしょう(笑)。大蛇丸の純粋さとは時に巨大な「悪」として感じられるのでしょう。しかし、それは絶対値でありまして、何かと大事にしてしまうのは大蛇丸の力量を「忍術」が増幅してしまうからだと、僕は思います。そして、それが暴走してしまうのを何より大蛇丸の純粋さが許してしまう。大蛇丸は純粋な欲しがりであり知りたがりなだけなのです。その純粋さ純粋純粋超純粋で、子供が遊んでいて蟲を殺してしまうように大蛇丸の無邪気な一挙一動が世界に多大なる迷惑となるだけだから、大蛇丸に「悪」と自分を責める根拠がないのです。

そもそも「悪」とか「善」とかを決める基準が『NARUTO -ナルト-』の世界観として在りません。何たって忍者は暗殺者に過ぎません。恐らく人として、生き物としての最大の禁忌であろう同族殺しを、しかも生業(なりわい)としているのですから、弁護のしようがありません(笑)。六道仙人の子孫として生を受け、チャクラを扱える身なれば、彼ら忍はそれを運命として受け容れて生きている。僕はそう思うのです。極論すれば、「忍術」が使えるのだから使って何がいけないの?という事であります。そして、大蛇丸は「忍術」の全てに興味があるだけなのです。その探究心知識欲が停滞する「忍界」に苛ついたのだと思います。大蛇丸の苛立ちが単に木ノ葉隠れの里に向いてしまった…。

それが「木ノ葉崩し」だったのでしょう。木ノ葉隠れには猿飛先生が居ます。大蛇丸は自分の所行で自分の存在をヒルゼンに知らしめたかったのだと思います。大蛇丸にとって猿飛ヒルゼンとは格別の存在だったと思います。それは大蛇丸が幼くして失った両親にも等しいのかも知れません。そして、その耳目を大蛇丸から奪っていた自来也も大蛇丸にとって格別でありました。大蛇丸をグレさせたのはヒルゼンの「遠慮」だったと、僕は考える人なので、大蛇丸の才能と純度が全てにおいて「徒」(あだ)に思えます。大蛇丸の純粋さというものが無垢に「忍術」向かうなら、その欲求が六道仙人に向かうものまた必然でありましょう。全ての真理…それを得る為に大蛇丸は写輪眼が欲しかった訳です。

しかし、カブトがカブチ丸としてその宿願を為そうとしましたが、非常に残念な結果と相成りました(笑)。それを受けて大蛇丸も反省したのだと思います。それは六道仙人が何でも一人で成し遂げてしまった「安寧秩序」に対する疑問とも同義であろうかと思います。人が完全な存在となる事とはそういう事ではない…。それは今まさにうちはマダラと戦うナルト達が探し求める答えを導く糸口になる気付きなのだと、僕は考えています。大蛇丸はカブチ丸の中でイタチに燻されたも同じでしょう。そして、大蛇丸の中に在る純粋な真理への欲求ある方向性を見出しています。それが大蛇丸のサスケへの援助なのであります。そして、斯様な大蛇丸の変節に気付かぬヒルゼンではありません。

この時…ヒルゼンの気持ちは大蛇丸に対する遠慮や才能に媚びた卑屈さではなく、自分と同じ忍として人として、同じ目線に立った大人としての興味に変わっていました。大蛇丸にヒルゼンが差し向けた一言がどんなにか嬉しかったでしょうか!?よく…よくぞ我慢した!!泣かずに取り繕ったな大蛇丸(笑)。そして、この機を逃さず大蛇丸はヒルゼンに語るのです。大蛇丸の興味を。それは裏を返せば「木ノ葉崩し」の理由であった訳です。有り体に言えば、それは大蛇丸のヒルゼンに向けた謝罪に近いものでありましょう。ただ先にも説明したように、大蛇丸には格別な存在たるヒルゼンには複雑な心境があり、「あの時はゴメンナサイ」とか「殺しちゃってスミマセン」とは言えなかった…(笑)。

「イヤ…眠くてね…
あくびをして涙が出ただけですよ………」(大蛇丸)

「……!」(ガイ/カカシ)

臨場するガイとカカシばかりか暗部達までが「……!」と、今にも「お…おいッ!!」っと大蛇丸に突っ込みたい雰囲気を漂わせて居ましたっけ(笑)(第13巻/158-159頁)。自分の手をクナイで痛めてヒルゼンへの呪縛に近い想いを沈静化させ、大蛇丸は我に返ったのです。大蛇丸にとって木ノ葉で事を起こした意味とはヒルゼンに対するアピール以外の何ものでもありません。ヒルゼンに自分を見て欲しいと願う大蛇丸の自己提示以外、「木ノ葉崩し」に何の意味がありましょう。大蛇丸の想いの大きさが何とも尻の座りの悪い言い訳となり違和感として噴出しただけなのです。大蛇丸はヒルゼンに向き合って欲しかったんだろうな。同じ目線に立って語り合いたかっただけなんだろうな…。

大蛇丸は「木ノ葉崩し」を足掛かりにして「全ての真理」を掻き集め、最終的には六道仙人を目指そうとしたのだろうと思います。しかし、そのプランはカブチ丸たるカブトの失敗によって破綻します。ところで、あの時見せたカブチ丸の醜態とはトビたるオビトの能力を掻き集めた感じと凄く似ていましたね。イタチはそれを燻し浄化したのです。いやさ、そのカッコ良さに大蛇丸は撃ち貫かれたのでしょう(笑)。しかし、それとこれとは別とばかりに、此度のヒルゼンが大蛇丸に与えた千載一遇のチャンスに素直に泣けなかったのはやはり大蛇丸の純粋な意地っ張りさ加減の賜物でしょう。そういうところがまた大蛇丸の魅力でして、ヒルゼンに問い質しておかねばと感じさせる部分でしょう。

結果的にヒルゼンは大蛇丸にを与える為に屍鬼封尽を発動してしまいます。大蛇丸への罰と自分の命が同じ重さだと考えたからです。その想いが大蛇丸の両腕を奪い、そこから大蛇丸の迷走が始まります…。しかし、全ては無駄になることなく、漏れなく大蛇丸の中で集積してサスケを導いている。そして、ここでヒルゼンが大蛇丸の心の(ひだ)を優しく撫でるようにその真意を問う。これらの人生の綾というものに、僕は震えてしまうのです。この時の大蛇丸の喜びや嬉しさを想像すると、こっちまで幸せな気持ちになってしまいます。ヒルゼンは大蛇丸を許したのです。全ての事に意味があり、無駄な事などない。だから大蛇丸の「今」が在るのだと、ヒルゼンは大蛇丸に伝えたかったのだと、僕は思います。ヒルゼンも大蛇丸と同じく謝らなかったけど…(笑)。

ヒルゼンもまた許された…。

大蛇丸は何故、「木ノ葉崩し」を起こしたのか?
第627話「サスケの答え」(六・余話)

ナル×ジャン ケルベロス


 
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大蛇丸はアンコに何を教えたのか?


忍者登録番号 011226
誕生日 10月24日(24歳・さそり座)
身長 167cm 体重 45.8kg 血液型 A型

アカデミー卒業年齢 10歳
中忍昇格年齢 12歳

先ずはアンコの個人情報から。これは、『NARUTO-ナルト-』キャラクターオフィシャルデータBOOK『臨の書』より引用しました。この本って一部終了の前に出てる筈だから、アンコの歳が一部終了で考えると25歳かと思います。ナルトの誕生日が10月10日で、一部終了時、13歳だから、アンコも誕生日が近いので、取り敢えず、アンコも25歳と考える事にしますね(ま、24歳だろうが、25歳だろうが、大勢には影響ないですけどね…笑)。と言う事で、アンコと大蛇丸の時系列は年表にすると以下のようになります。

大蛇丸とアンコの時系列

アカデミー卒業が10歳ですから、大蛇丸への弟子入りはそれ以降と考えるのが妥当かと思います。これは通例なので、大蛇丸は特別…と言うのもアリですが、三代目の「走馬灯」(14巻/94頁)の二人の姿(大蛇丸が綺麗…ポッ…汗…アンコが結構、しっかりしてそう…ミナトたちと比べると幼くない)で、描写的にはアンコの個人情報(臨の書)と一応、符合します。

アンコが大蛇丸の弟子だと分かったのが、ナルトたちの中忍試験の「死の森」での描写でした。中忍試験の受験者の残殺死体が見付かり、大蛇丸の潜入が発覚します。アンコは大蛇丸の居場所を探し求め、「死の森」を疾走するシーンです(6巻/92頁)。この時、アンコは当ても無く死の森を彷徨っているでもなく、大蛇丸に一直線に向かうような感じでした。

何かに急き立てられるように大蛇丸に向かうアンコ…。

(もう、夕刻だわ!!早く見つけないと…!!
完全に暗闇になれば、こっちがますます不利になる…!!
しかし……いったい今ごろ、なぜアイツが…目的は、何…!)

この時のアンコの焦り具合には、着る物が決まらなくて、待ち合わせの時間に遅れそうになった女の子みたいな、落ち着かない感じがします。でも、アンコと大蛇丸の出会いは、二人の時系列から考えて、齢(よわい)10歳そこそこの女の子(子供ですよ!犯罪ですよ!ハァハァ…)と、方や30歳半ばのオッサン(笑)ですよ。それが、今、こうしてぶつかろうとしている。アンコをこんな風にしてしまう理由があったのでしょうか?大蛇丸はアンコに、一体、何を教えていたんでしょうか?(笑)

(…まぁ…いいわ。この里に来たのなら、
今日、ここでケジメをつける!
アナタはもう…手配書レベルSの超危険人物…
ここで私が命に代えても仕止めなきゃ………
たとえそれがかなわなくとも…
…とにかく暗部が来るまで―――
足止めだけでもしておく…)

アンコの覚悟…なんですが、これに似たモノを他の描写で見たな…と、思いました(実際はこの描写のかなり後なんですが、コミック反芻派なんで…)。同じ中忍試験のエピソードで、サスケの呪印を「封邪法印」で抑え込む作業をしているカカシの前に大蛇丸が現れたシーンです。あの…雛鳥を守るために。大蛇(だいじゃ)を前に両翼広げ踏ん張る親鳥みたいに(笑)頑張るカカシの名場面です。

「いくらあんたが、あの三忍の一人でも………
今のオレならアンタと刺し違えることくらいは出来るぞ……!」

雷切を大蛇丸に誇示するカカシ(8巻/127頁)。この時、カカシはサスケを守ろうとして立ち塞がるのですが、左目の"写輪眼"は額当ての下に隠したままです。本気のカカシはまず"写輪眼"を誇示するんですが、とうとう大蛇丸の前では"写輪眼"を出しませんでした。再不斬と殺リ合った時には、まず最初に出しましたよね…"写輪眼"。

カカシは本気じゃ無かった!!

つまり、カカシも、その気持ち的にはアンコと同じだったのです。カカシは虚勢を張ってたんです。如何にカカシが強くなっても、端っから勝てるなんて思える相手じゃないんですよ…大蛇丸って。自来也の本気の闘いっぷりを存分に観させてもらったので、「三忍」が如何に凄いかが刷り込まれた…今だから、判る気持ちです。アンコも「仕止める…」とか「足止めだけでも…」とか言ってますが、本心はどうだか…です(って言うか、完璧、強がりだった!)。

(それがアナタから全てを教わった…アナタの部下だった…)
「私の役目よね。大蛇丸」

アンコは大蛇丸の気配に立ち止まります。アンコは大蛇丸の位置を的確に把握する術(すべ)があるようですね(後述)。しかし、恐縮ですが、笑ってしまうのは、自分が大蛇丸にとって如何にも「大きな存在」である事を前提にした語調です。これには、アンコの尋常じゃ無い「思い込み」を感じてしまいます。希望?願望?…もっと言うと、「好きです!」と告ってる感じすらしませんか?(汗)「全てを教わった」とか言っちゃうから、僕も黒くならざるを得ないんだけど(笑)、アンコのこの息み方は逆に可愛らしく感じませんか。

「無理よ」

大蛇丸は即座にアンコのセリフに被せます(6巻/94頁)。この後、もう一度出て来るこれに似たやり取りがあるんですが、はっきり言って、大蛇丸はアンコを相手にはしていません。それは、アンコが弱いと言う理由では無く、アンコに殺意が無い事に拠ると、僕は考えます。大蛇丸はアンコを完璧に掌握していますね。

一瞬、大蛇丸とアンコの交戦が開始します。

(逃がさない…"潜影蛇手"!!)

小型のクナイを仕込んだ手に大蛇丸の舌が襲い、機先を制されたアンコですが、潜影蛇手で大蛇丸の舌を絡めとり樹に化けた大蛇丸を引きずり出します。そのままアンコに体当たりを食らわす大蛇丸。勢いで樹の幹に強(したた)か打ちつけられるアンコ。アンコはクナイを逆手に持ち、左手で押さえた大蛇丸の掌を、自分の手の甲越しにクナイで串刺しにします。

「へっ!つかまえた。大蛇丸。アンタの左手、借りるわよ」

残された大蛇丸の左手と自分の右手の掌を合わせ「印」を結ばせます。「そ…その印は……!」と、大蛇丸が言っていますが(一応、驚いてみせるような口振りです…)、アンコのしようとしている事は大蛇丸も認識しています。忍術の「印」は特殊な場合(「白」は片手の「印」を使用しました)を除いて両手が必要です。

「そう…アナタは私もここで死ぬのよ」

この場合、アンコは大蛇丸の左手を使う事で、大蛇丸の動きを封じつつ、術を発動しようと考えているのです。もしかしたら、大蛇丸のチャクラすら利用しているのかも知れません。「アナタも…」ですから、自爆に近い術なんでしょう。アンコは何やら決死の形相です(笑)。

(忍法・双蛇相殺の…)

アンコが、その決死の術を発動しようとした瞬間。「フフ…自殺するつもり?」と、またもや大蛇丸の台詞が即座に被さり、アンコは慌てて、術の発動を思い止まります(吹き出しの描き方が「無理よ」と同じ形式です…笑)。声のする方にアンコが振り返ると、そこには余裕綽々の大蛇丸がフンズリ返って居ました(笑)。

「影分身よ…」

大蛇丸はアンコを殺して仕舞いたく無かったんだと思います。どうでも良いんだったら、自分の影分身と自爆させて居た筈ですから。大蛇丸はそう言う人なんです。この行動は二人の関係性を考察する上で、ポイントになる部分です。後程、詳しく説明しましょう!

「仮にもお前は里の特別上忍なんだからね…
私が教えた禁術ばかり使っちゃ駄目だろ」

大蛇丸のこの台詞が二人の「間柄」を赤裸々に表現しています。アンコの初手の仕込みの小型のクナイにしても、「潜影蛇手」にしても、自爆ワザの「双蛇相殺の術」にしても全部、大蛇丸がアンコに教えた術なんです。大蛇丸は知っていて、アンコの好きにさせていたんです。最後の自爆はアンコが死んでしまうから止めたんです。アンコは遊ばれてたんです。

「潜影蛇手」は他にサスケも使いますが、口寄せの一種なので、契約の術式を腕に埋込む必要があり(多分、それが禁術指定される所以だと思います)、アンコにその術式を埋込んだのは大蛇丸だと思います。つまり、大蛇丸はアンコの身体を細工してた。ちょっと、エロな言い方すると…弄ってたんです(サスケも一緒です…汗)。

「双蛇相殺の術」も、相手の手を取り、「印」を強制的に結ばせる行程がありますが、それを大蛇丸がアンコの手を取り教えていた筈です。二人は非常に近い距離に寄り添い、手を繋いでいたんですね。指を絡めるなんて、見ようによってはイヤらしい描写だと思いませんか?修行とは言え…羨ましい(笑)(大蛇丸ってもしかしたら、ロリコンだった?…笑)。

きっと、大蛇丸の修行は知性に満ち溢れた楽しいものだったでしょう。アンコは大蛇丸にガッツリと感化されて行った事と思います。子供の頃、ズーッと年上の大学生とかの兄さんや姉さんたちと遊ぶのは楽しかったですよね。それに、アンコもアンコで、結構なオマセさんで、そろそろ「恋愛」に目覚めてしまうような年頃だったのかも知れません。女の子は子供の時から妙に大人びた空気も持ってるしね…。

しかも、アンコは大蛇丸の事を「先生」とは呼んでいません。単なる「部下」で中忍(12歳)になってからの(任務上だけの)付き合いでもないようだし(三代目の「走馬灯」の描写)、全てを教わったから、師弟関係はあったと思うんです。それでも、アンコは大蛇丸を「先生」とは、ただの一度も呼ばなかった。それは、大蛇丸がアンコにとって、「先生」と言う存在だけでは収まり切らなかったから…。もっと別の大きな意味を持っていたからです。

アンコは大蛇丸を愛しています!

もう、これは断定させてもらいます(笑)。アンコの行いは、大蛇丸を明らかに「好き」と言っています。そして、「双蛇相殺の術」を止められたアンコは、余りにも呆気無く戦意を喪失しています(もっとも、最初から、大蛇丸を殺そうなんて思っていなかったろうし、本気で殺そうとしても無理と判っていた…)。アンコは純粋に大蛇丸に会いたかったんです。早い話、直に会って話がしたかったんです。

「ぐっ…い…今さら…何しに来た…!!」(アンコ)

「久しぶりの再会だというのに…えらく冷たいのね…アンコ」(大蛇丸)

「フン…ま…まさか火影様を暗殺でもしに来たっての?」(アンコ)

「いーや、いや!その為には、まだ部下が足りなくて…
この里の優秀そうなのにツバつけとこうと思ってね…」(大蛇丸)

「ぐっ…うっ…」(アンコ)

「さっき、それと同じ呪印をプレゼントして来たところなのよ…」

天の呪印

『天の呪印』

重吾の身体から取り出した「酵素」(タンパク質)をオリジナルにして開発された強力な「呪印」。この対極に『地の呪印』が存在し、それは君麻呂に付与されています。大蛇丸が、アンコに『天の呪印』を与えたと言う事は、それに等しいお気に入りだった…か、お気に入りに使用する前のテストか…。

ところで、大蛇丸が「印」を結ぶとアンコの「呪印」が疼き、痛みを与えるようでした。音の四人衆も呪印によって力を与えられると同時に、大蛇丸に縛られるようになる…と言ってましたから、大蛇丸は何らかの法を用いて外部から「呪印」に関与できるんでしょうね(これがサスケに当てはまらないのが引っ掛かりますが…)。そして、アンコも呪印の疼きによって大蛇丸を感じてた。だから、一直線に大蛇丸に向かえたんだと思います。

アンコの「呪印」は、アンコが大蛇丸に師事していた頃に植え付けられた筈ですから、「呪印」の開発は「九尾事件」の前には始まっていたんでしょうね。だから、重吾が大蛇丸の下に自ら投降したのも、それ以前になりますね。だから、重吾は結構、歳行ってますね。最低でもアンコと同年代程度と考えて良いでしょうね。

で、大蛇丸がアンコにどんな風に「呪印」を植え付けたのかは描写がありませんが、サスケと同じ風だったら…と、僕は考えたりしています。つまり、アンコの首筋に大蛇丸は噛み付いたのです。この時、アンコは嬉しかったんじゃなかな…って。もしかしたら、アンコは「呪印」の危険性も知りつつ、大蛇丸に協力したのかも。アンコは大蛇丸に自分を捧げるように協力した?君麻呂と似てますね。

それを、飲み込むと、この後の二人の会話が、別れたがっている(気のない)男に、まだ心を残している女が噛み付く、痴話喧嘩のようなやり取りに感じられるから不思議です。このエピソードでのアンコの攻撃も、気持ちが自分から離れて逃げようとする男の胸を、泣きながらドンドンと叩く…よくある「アレ」みたいですよね(笑)。

「欲しい子がいてね…」(大蛇丸)

「くっ…勝手ね……まず死ぬわよ…その子」(アンコ)

「生き残るのは10に1つの確率だけど、
お前と同じで…死なない方かもしれないしね」(大蛇丸)

「……えらく………気に入ってるのね…その子……………」(アンコ)

「嫉妬してるの?ねぇ…!?
お前を使い捨てにしたこと。まだ根に持ってるんだ…アハ…」

ねっ…(笑)。「昔、二人は付き合ってたんじゃないの?」なんて、黒い考えがムクムクと湧き上がって来ますよね。ポテチの袋が開いてたら、やわら、ムシャムシャ貪ってしまいますよね。勢いで指とが噛んじゃいそうですよね。キセルを火鉢で<トンッ>と叩いて…「夜も遅いんだし、少年少女は早く寝て下さい。これから、オトナだけのしんみりとした話し合いがあるんで…」と、羊の一匹でも歩かせたくなりますよね…(笑)。

羊のアニメ(左)

実は…大蛇丸とアンコの深い深い関係をジワッと示唆する描写が残されています。在りし日の三代目が火影の居室(休憩所?執務室の隣?)で、(木の葉崩しに至る)胸騒ぎを感じつつ、四代目の遺影をしみじみと眺めるところに、死の森から打ちひしがれて戻ったアンコが近付きます。その目は救いを求めているかのようでありました(11巻/72頁)。

「火影様」(アンコ)

「……アンコか…」(三代目)

「………」(三代目)

「すみません。私は…」(アンコ)

「死の森から生きて戻った事を悔いておるのじゃな…」(三代目)

「………」(アンコ)

「余計な事じゃ。もう、お前と大蛇丸は何の関係も無いのじゃし…」(三代目)

三代目が言う「関係」が、アンコと大蛇丸の師弟関係だけを言っているんじゃないな…と思いました。大蛇丸は三代目の愛弟子で、アンコは孫弟子に当たります。この場の二人の会話からも、三代目とアンコも、火影と特別上忍と言うよりは、身内…おじいちゃんと出戻りの娘?(笑)みたいな、もっと近しい繋がりを感じます。

もしかしたら、大蛇丸にアンコを任せたのは三代目だったんじゃないかと、僕は考えています。ちょっと行動の怪しい、もしかしたら、ホ○じゃないの?みたいな(でも、それはあくまでも噂であって…)大蛇丸にアンコを任せる事で、大蛇丸の人生が更正できはしないか?と言う一縷の希望を三代目が感じ、アンコを委ねた経緯があったんじゃないかと、僕は考えています。三代目は大蛇丸を何とかして落ち着かせたかったんだと思います。

アンコは大蛇丸の『お嫁さん候補』だった?!

きっと、アンコは三代目とかなり近しい家系で、三代目はアンコを自分の子か孫の如く愛していたんじゃないでしょうか。気立ても器量も良いアンコなら、将来的に、稀代の傑物・大蛇丸の許嫁に申し分ない存在と思い、二人を近付けていったんじゃないか…と、これは僕の(ちょっと黒い…)妄想に過ぎないけど、火影の居室での二人の重々しさは、あまりにもねっとりしていて、妄想心を余計、掻き立てられてしまいます(汗)。

で、肝心の大蛇丸がアンコに何を教えたのか?と言うところ。それは「ブラック・ケルベロスのオトナ部屋」で…と行きたかったんですが、どうも違いそうです。大蛇丸の人間性を考えると、僕が望んでいる展開では無かったんではないかと思います。むしろ、アンコの方がイケイケじゃなかったのかな…と、僕は思います。そして、大蛇丸はそれを絶妙にコントロールしていた。

ま、チクと「黒い」考えを披露するなら…少年少女も将来、いろんな趣向に目覚めると思うから、詳しくはその時、自分で味わって吟味すれば良いと思いますが、最後まで一気に達しない方が「良い!!」ってのも、実は、あるんですよ。かなり高度なテクではあるんですが、これを専門用語で『寸止め』と言います(笑)。そして、大蛇丸はこの「寸止め」で、アンコをメロメロにしちゃったんです(笑)。

大蛇丸はアンコには"手"を出さなかった!!

確かに、大蛇丸は危ない教え方をアンコに意図的にしていたと思います。「潜影蛇手」や「双蛇相殺の術」にしても、ワザとアンコが誤解してしまうような教え方をしたと。もう、手取り足取り…の。大蛇丸の手が触れる。息がかかる。暖かさが伝わる…。それに、アンコの頬が紅潮する。息遣いが荒くなる。心拍数が跳ね上がる。そして、アンコの身体が予感する…きっと、そう言うアンコの敏感な反応を大蛇丸は楽しんでいたんだと思います。潤(うる)んでいくアンコの瞳を見て、大蛇丸は満足したかったんだと思います。

そして、「天の呪印」が大蛇丸によってアンコに施された時には、アンコは恍惚を感じた筈です(恐らく、アンコの首筋に大蛇丸が歯を立ててますからね)。でも、そこまで…で、大蛇丸はそれ以上は先には進まなかった(これが、大蛇丸の『蛇の生殺し』の手練手管と言うやつですね…笑)。それ以上を大蛇丸は望まなかったから…。大蛇丸は高まるアンコの期待や願望を吐き出させる事なく、むしろ、栓をしたのです。「心」にも慣性はあって、塞き止められたアンコの気持ちの内圧は強烈に高まった筈です。その"高まり"をアンコは『恋』と思ってしまった。

大蛇丸は「欲しがる人」だった!

大蛇丸は「所有願望」の化け物(か、虜)と言って良い存在だったと思います。それは彼の「心」の欠落部分が如何に大きいかを物語る反動形成だった筈です。欲しがるんなら、アンコだって喰っちまっただろ…と言うのも確かにあります(汗)。でも、アンコは子供(それが良い!と言う人も確かにいますけど…)だったし、何より、大蛇丸が欲しいのは「自分に対する気持ち」、つまり、アンコの「好意」の筈ですから。そう言うところは、良い意味でも悪い意味でも、大蛇丸は屈折してたんです(純粋に屈折してたんですね)。

両親を早くに失ったのもあるし、三代目にも大蛇丸をこんな風に成長させてしまった罪もあります。不運な事に、彼が人一倍賢く、繊細だったのも、あるにはある。親友の自来也の存在も大きかったとも思います。でも、結局は大蛇丸の人生ですから。責任は大蛇丸にあるのです。誰かのせいにするのは、それこそ「甘ったれ」と言うものです。しかし、それを自分の事のように罪悪感を感じる三代目や自来也は、やっぱり良い人(過ぎる…)なんですね。

結局、大蛇丸とアンコの関係は、大蛇丸の側から評すれば「言葉」の通りの師弟関係のみで、大蛇丸はアンコに「忍術」のみを教えたと、僕は考えます。ただ、禁術やら、ややこしい術ばかりであったんでしょうが、大蛇丸としては"純粋"に師匠としての務めを果たしたと。ただ、アンコはそれでは収まらない(だから、アンコは「全てを教わった」などと言い張るのです)。大蛇丸のイヤらしいところはワザとアンコに火を付けただろうところにあるんです。でも、大蛇丸にハマっちゃうのも、子供とは言え、アンコの人生だから仕方ない(と言えば仕方ない…か…ちょっと酷かな)。

「お前と違って優秀そうな子でね…
なんせ、うちは一族の血を引く少年だから……
容姿も美しいし…私の世継ぎになれる器ね………
あの子が生きていたとしたら…面白い事になる
くれぐれも、この試験、中断させないでね…………」

二人が争った「死の森」で大蛇丸は、こう言い残してアンコの前を去るんですが、これって、「スープを音を立てて啜(すす)る紳士」みたいな感じがしませんか?ワザと女に見限らせるような、大っきな意味での優しさがあると思います。「もうアタシみたいな碌でもない男なんか忘れなさい」と、言ってもアンコは受け入れない事を大蛇丸はイメージしているんです。でも、だから、きっと!そんな大蛇丸をアンコは好きなんだろうな…とも思います。アンコにとって大蛇丸は「別れても好きな人」なんじゃないかな。アンコが一方的に妄想(おも)ってただけの話ではありますが…。

だから、アンコと大蛇丸は極めて清い関係だった…と、僕は思います。『18禁』なのは、アンコの脳内妄想だけの筈です(笑)。きっと、アンコの今の女女(おんなおんな)した…ムンムンするような弾力感は、アンコ自身が自分で練り上げた雰囲気だと思います(もしかしたら、実際の検証は未だないかも知れません…汗)。それは、いつか大蛇丸に振り向いてもらえるように、アンコが必死こいて「女」を磨いていた結果なんだろうな…。涙ぐましいじゃないですか!ま、そうさせる大蛇丸…アンタが悪いのよ。って言うか…羨ましい!!(笑)

でも、アンコの気持ちは、何だか痛いほど解る気がします。
だって、大蛇丸ほど、頼もしく、知性的で、純粋な人って、そうそう居ない。
(誤解され易いけど)大蛇丸って、めちゃくちゃ魅力的な人なんです。

そして、大蛇丸と出会ってしまった事を…好きになってしまった事を…
アンコは微塵も後悔はしていないとも思います。

何故ならば…
それが彼女の「今」を形作っている大切な出来事だった筈だから…。

 

大蛇丸は本当に死んでしまったのか?

 
最初に言い訳をさせて下さい(笑)。

僕は大蛇丸が大好きです。以前、「一番好きなキャラは誰か?」と訪ねられた事がありましたが、その時も、そして、今も大蛇丸とシカマルの間を行ったり来たりしてる状態で、たまにカカシが耳もとで囁いたして揺らいだりしながら。それに「白」もいるしで(笑)…兎に角、大蛇丸は屈指に大好きなキャラなのです。

だから、しっかりと死んでも、実は死んいて欲しくない風に考えちゃうし、物語にもまた登場してもらいたいし…。そう言う「願望」が考察に滲んでしまいます。でも、それはそれで、僕の人間らしい行いなので良いな…とも思っています。

何を言い訳したいかと言うと、そう言う「考察」になりました(笑)…と言う言い訳です(笑)。これは「願望」に近いです。しかも、僕はめちゃくちゃ偏っているから。そんな人が考えたお話だから、そりゃもう「どんだけーッ!!」と言う事になっている…。でも、これが…もし来たら…大穴?!万馬券?!

僕が感じる微かな大蛇丸の「臭い」を綴ってみました。ある人は「ケッ!!」と思う人もいるかも知れない。大勢の人は「つまらない」と思うかも知れない。少しでもそう思って不快になるんだったら読まない方が良いですよッ…と言う言い訳です(笑)。僕だって、ほとんどない(もしかしたら…とも思っている)…と思ってる事です。

僕は日頃から僕が面白いと思う事を書いています。ぶっちゃけ、自分が楽しむ為に書いてるんです。ただ、表現者としての「欲」もあって、誰かに見てもらいたい気持ちもあります。だから、インターネットにぶら下げてるんですけど…。その記述を読んでくれるは有り難いと思っています。でも、この記述は無理して読まなで欲しいです(エッ?!)。

「何だって、読んでやるぜ!!」と言う殊勝な方のみ…読んでみて下さい。











「やっぱり…そう来たわね」

サスケが大蛇丸の寝室に強襲した時に、図らずも大蛇丸はそう言っています(38巻/81頁)。サスケが雷切(正確には千鳥と言う術だがな…笑)の形態変化を使った、あの伸び縮みするチャクラ刀です。サスケは大蛇丸に隠れて、術のバリエーションを増やして行ったんですね。大蛇丸もチャクラ性質(雷遁)は直ぐに分かったけど、刀のような形になる"形態変化"は認識がなかったようです。

しかし、僕はこの時の大蛇丸の言葉に強烈な引っ掛かりを感じてなりません。大蛇丸は件のサスケの変心を予見していました。「やっぱり…」とは、大蛇丸の「想定の範囲内」と言う事です。なのに、ああもあっさり、サスケ(うちはのひよっこ)に大蛇丸が殺られてしまうのは、僕にはどうしても解せないのです。

大蛇丸は本当に死んでしまったのでしょうか?

「地を這いずる蛇が空を飛びたいと夢見たところで、しょせん無理な話…
それでも、どうにかしたいと巣の中をひよっこを狙っていたお前が…
逆に狙われたのさ。これから空高く飛び立つ…鷹の目にな」

サスケは確かに優秀な忍だし、「写輪眼」と言う特別を有する選民でもありますが、ここまでケチョンケチョンにこき下ろされるほど、大蛇丸は弱くはないと思います。たまたま、幻幽丸(依憑)との相性が悪く、その拒否反応に苦しんでいたり、投薬(レベル10とされる強い薬)を必要とする状態であったり…と、弱っていたのは確かですが。サスケの高飛車な態度に対して、大蛇丸が妙に卑屈というか…激しく反攻しません。この反応は大蛇丸らしくない…と、僕はジメッと疑っているのです(汗)。

「大蛇丸、アンタはオレより弱い。
もうアンタにオレの体をくれてやる必要も無くなったわけだ」

「言うわね…うちはのひよっこが」

「フッ……ひよこじゃなきゃ
手に入りそうにも無かったんだろう?アンタさ…」

サスケは大蛇丸と修行する中で大蛇丸を観察していたんだと思います(38巻/84頁)。大蛇丸の術や戦闘スキル等を緻密に調べ上げ、その結果、導き出された答えだと思います。その上で、大蛇丸を「弱い」と言っているのです。腕相撲で組んだだけで(手合わせ)相手の強さが大体判る…アレだと思います。この大蛇丸に対してサスケのこの評価は間違っていなかった筈です。

しかも、サスケには写輪眼がありますから、大蛇丸のチャクラの流れとか、身体の内部構造(状況)も解っていたんじゃないでしょうか。そして、大蛇丸の身体の中がどんな風になっているか…。それか、何かで大蛇丸が見せたか…。何れはサスケにそれが入るのだから。どっちにしても、サスケは気付いてた…のです。

「白いウロコの大蛇…それがアンタの正体だったとはな…」

身動きが取れない大蛇丸にサスケが草薙の太刀で迫った時、堪らず本体が飛出した…(38巻/89頁)。しかし、不意にこんなものが、たとえ忍者と言えども(笑)、口からガパッと飛び出してきたら、そりゃ、サスケだって吃驚しても良いのに、平然と対応していましたね。それは、サスケが大蛇丸の正体を始めから知ってたからです。

「体から体へ乗り換える為に…実験を繰り返した…なれの果てが、その姿か」

大蛇丸は「魂」や「心」と言った「陰陽論」で言うところの「陽」を肉体(陰)から解き放ち、他者の肉体から肉体を渡り歩ける術を編み出しました。恐らく、他者の身体と自らの「魂」や「心」とのインターフェイスとして、"大白蛇"が必要だったのでしょう。サスケはその写輪眼と卓越した観察力で、大蛇丸の中に存在する、この"大白蛇"を見切っていたのです。

「今なら少し分かる…
肉体という牢獄から抜け出した情報生命としての感覚…
大蛇丸様の夢の一端に触れている感覚」

君麻呂がサスケ奪還編で音の四人衆の加勢に来たシーンです(23巻/31頁)。懐かしい…。ナルトと闘ったんですよね。その後、怪我から復活したリーが来て「酔拳」を披露して奮闘した…。それでも苦戦して絶体絶命になったら、今度は我愛羅が来た。砂の三兄弟の参戦。「ヨシッ!!」って声が出たもんナ(←電車の中でした…汗)。この時ばかりは、萌え上がったなァ。

「僕はもはや肉体ではうごいていない…精神の力だ」

この時、君麻呂は病魔に犯されており、既に肉体は滅びようとしているけど、精神の力のみで動いてると言っていました。君麻呂は、その境遇から大蛇丸の「不死転生」を理解していると言っているのです。ホントは苦しかったんだろうけど、大蛇丸に対するリスペクトはその痛みに勝った。想いだけで、人は動けるのかも知れません。今にも消え去ろうと言う自分が崇拝する大蛇丸に少しでも近付けた気がして、君麻呂は嬉しかったんだと思います。

肉体(陰)を捨て去った「精神」=「魂と心」のみの存在をして『情報生命』としているのだと思います。君麻呂のその言葉が「不死転生」仕組みを適格に言い当てているのだと思います。しかし、肉体と魂の分離は「陰陽論」でいうところの「死」ですから、肉体が今にも滅しようとしている君麻呂は死にかけているんです。それを補うのが「大白蛇」と言う事になるのでしょう。前にも書いたけど、コアと同じ。「魂」や「心」と言った精神をパッケージングするモジュールです。

よく考えてみると、大蛇丸なら君麻呂を、その死から救えたんじゃないでしょうか?「不死転生」を用いて新しい肉体に君麻呂の精神を乗り換えさせれば、君麻呂は死なずに済んだんではないかと思うんです。でも、大蛇丸は君麻呂の死を傍観していました。君麻呂の事が嫌いであった訳でもないし、逆に誉め讃えていましたよね。大蛇丸は君麻呂の身体だけが欲しかったから…?

大蛇丸の気持ちになって考えたら断じてそんな気持ちにはならないから不思議です。大蛇丸は君麻呂の身体が目当てだったのは確かですが、病魔に犯された君麻呂に利用価値がなくなったから君麻呂を切り捨てた訳ではないと思います。大蛇丸はそう言う人格ではないと、僕は思うんです。凄く遠くを見てるんです。大蛇丸の視線は…。

「不死転生」が特殊な術過ぎて修得困難(写輪眼で返せた)でもなさそうなので、この君麻呂に対する仕打ち(扱い)はやや冷淡かな…と思いますが、大蛇丸は君麻呂が身体を乗り換える事で「血継限界」が無くなって(しまうであろう)しまってまで生き延びるのを美しいと感じなかったのかなと、思うんです。それも大蛇丸の優しさなんだと…。

「殺す?この子たち」

「ずいぶんと戦争孤児を見てきたけど惨いものよ。
いっそのこと、ここで殺してやるのが、この子たちにとっても…」

この大蛇丸の台詞には萌えまくりましたっけ(汗)(第372話「泣いている国!!」)。大蛇丸は、本当の「優しさ」を知っている人だと、僕は思っています。自来也とは別の意味で疑われ易いんだけど(笑)、この場で、この子たちを置き去りにするよりは殺してあげるのが、この子たちの為であると、彼の壮大なシミュレーションの果てに導きだされた答えだったんだと、この時は思いました。そして、この考えは君麻呂を助けなかった大蛇丸の行動にも符合するな…と思います。

でも、ブラック・ケルベロス(←真夜中別の顔…笑)としては、大蛇丸がこう切り出す事で、気の良い自来也がこの難民を放置出来なくなって、弟子に取る。それには意味がある事だから…。つまり、大蛇丸も「予言」を知っていた?その上で、自来也を誘引していった描写と捉えれば、ある目的を持ってこの場で、難民の長門(輪廻眼)と自来也を引き会わせた…ようにも見えて来るから、お立ち会い!(汗)だとすると、大蛇丸は…<ズズズズズズッ…>っと、昔は恥ずかしい姿に変身してた僕です…(汗)。

でも、ここは純粋に大蛇丸の真摯な優しさと取りたい…かな。穿った味方なら、もう「どんだけーッ!!」ってとこまでつっ走れる自信はあるけど、そればっかってのも哀し過ぎる…気もしますから。でも、これは『マドララ』(マドンナたちのララバイ)がエンディングで流れるミステリーでは良くある演出なんです。案外、そう言うのが好きだったりします(汗)。でも、忘れてくれて良いです(笑)。昔は自来也すら疑ったんだから…(遠い目)。

でも、しつこいようだけど、自来也がペインを一方的に「役割を間違えた」と言い放ち、消去しようとしている描写には些かの不安を感じています。「善悪」なんて、自分が立つ位置でどっちのも転んでしまう、極めて脆弱な概念なんだから…。例えば、泣叫ぶ大勢の子供達を六人のペインが血まみれになって守っている姿を見たら、どう感じるか?と言う事です。それに刃を向けるのが木の葉の忍びだったらどう思いますか?「暁」がどんな場合でも「絶対悪」とする考えは不自由だと思うし、『NARUTO-ナルト-』の味わい深さを疎外しているように感じてしまいます。

ただ、自来也は自分の意志で行動しています。自分の中の「絶対」に従って行動している。全ての責任をその一身に背負っている。これは正しき大人の姿だと思うんです。男の生き様とも言える。自分に被害の及ばない安全圏からしかモノを見れない人には判らない境地で、自来也は行動しています。僕はその一点に救いを感じてならないのです。

ま、「善悪」なんて不確かな概念に縛られている内は『NARUTO-ナルト-』は見えないですよ。

それじゃあ、楽しめない。

凄く、勿体無い…(笑)。

でも、「大蛇丸VSサスケ」はあまりにも呆気無さ過ぎて、サスケ自身も「終わりか…あまりにもあっけない」(38巻/103頁)と、言っているくらいです(汗)。やっぱり、僕には、「やっぱり…そう来たわね」(←しつこい?)と言う大蛇丸の台詞が引っ掛かって仕方ないんです。あの言葉を言う大蛇丸が、こんなに簡単に殺られるのは、どうしても引っ掛かる。

サスケに殺られた大蛇丸は「本物」なんだろうか?

僕はそこから疑ってます(汗)。大蛇丸が四本目のナルトと闘った時には腕がもげようが、胴体が真っ二つにされようが、口からドンドン複製をつくり出して(脱皮をするが如く)、構わず戦闘を続けていました。その能力が幻幽丸の血継限界で、無限に自分の複製を造り出して活動できる能力であると思うんですが、サスケが強襲して来た時には何故だか使わなかった。それとも、使えなかった?

四本目のナルトとの一戦でも拒否反応が出て活動停止に至ったところを見ると、その特性と大蛇丸が相性が極めて悪かったのだと、僕は考えているんですが、サスケが襲って来た時にも、大蛇丸の調子が悪くて、闘う元気がなかった…と言うのも良いんですが、それだと「やっぱり…そう来たわね」(←しつこい?)に上手く繋がらないと思うんです。

大蛇丸ほどの賢い忍が、予め判っていた想定で、自分を窮地に陥れるような選択肢を残すか?と疑問に思ってしまいます。サスケが攻めて来て、殺られるのが嫌だったら、そうならない策を用意しておくのが大蛇丸ですから…。また、この時、余りにも呆気無く「正体」である白蛇をいきなり曝していますし、そんな深層の秘密や奥の手を、大蛇丸ほどの忍が、こんなに簡単に露呈させるのは"変"だと思うんです。

しかも、しかも…です(汗)、大蛇丸は写輪眼の能力も充分調べ上げてる筈だし、実際にサスケと言う貴重なサンプルが手元にあったのです。この状況でサスケが大蛇丸の秘密をスキャンしない訳ない事を、大蛇丸が考え付かない筈はない!(ハァハァ…)もしかしたら、大蛇丸はサスケを偽っていたのではないか…。もしかしたら、大蛇丸は偽りの姿をサスケに曝していたのではないでしょうか?つまり…。

この大蛇丸はダミーだった!!

「さあ…サスケ君。その体を…私にちょうだァァイ!!!」

不自然なくらいに、妙にガッつく大蛇丸です(笑)(38巻/91頁)。僕は大蛇丸が大好きで、彼の事を良く考えるんですが、大蛇丸は非常に賢く、何者よりも「気高い」です。大蛇丸の行いの全ては、その気高さに基づいていると言っても良いくらいで、その大蛇丸がこんな身汚い「求め方」をするのが、めちゃくちゃ訝しいのです。これは大蛇丸じゃない!と、僕はふと思ったものでした。

「そろそろ効いてきたみたいね。
この大白蛇の体液は空気に触れると気化する痺れ毒なのよ…」

切り刻まれたのにピンピンしている大蛇丸(大白蛇)も怪しいです(笑)(38巻/104頁)。その上、大蛇丸の用意した策が、この「痺れ毒」だけ…と言うのもお粗末過ぎると思うんです。この後、サスケの写輪眼による術写しでまんまと「不死転生」を返され、大蛇丸は転生空間ごと乗っ取られてしまうんですが、この状況は「暁」脱退に絡むイタチとの対戦(腕カット事件)で大蛇丸は経験していた筈です。太い楔を穿つ写輪眼独特の金縛りの術もイタチに食らって経験済みだったのです。

この描写も激しく引っ掛かります。大蛇丸が同じ失敗を2度までも犯すとは、僕には到底、考えられません。写輪眼がどんなもので、それとどう闘えば良いかは、大蛇丸ならズーッと考量し、万全の対策を講じる筈だと思うんです。ここまで、呆気無く同じ轍を(大蛇丸が)踏むなんて…ありえないです。大蛇丸が実験室に置いていた指輪(空)の腕。イタチに切り落とされた腕。あれは「臥薪嘗胆」を意味するモニュメントの筈。だから、ありえない…と、どうしても考えてしまうのです。

この場合はむしろ、大蛇丸が積極的にサスケに取り込まれる作戦に出た…と考えるべきだと、僕は思うわけです(ハァハァ…)←ちょっと強引かな…って思ってるんだけど…力押しして息が上がってる(笑)。その(ハァハァ…)です(笑)。もしかしたら、大蛇丸はワザとサスケに破れた。サスケに殺される為に…。取り込まれる為に…。

「………何?アレ…(白眼!)もう、体の三割は取り込まれてる…」

ヒナタが透視するカブトの身体は…(39巻/141頁)。大蛇丸の細胞を「取り込んだ」とカブトは言っていましたが、それが原因で大蛇丸が侵蝕して左目は大蛇丸のそれに変化していました。その"侵蝕"と鬩ぎあう事で自分を感じると、また、訳の判らない事を言う典型的な「ドMの受け」のカブトが妙に悲しく見えたものです(笑)。

しかし、この描写から、大蛇丸は意外に容易く自分の複製を造りだせたのではないかと、僕は想像しています。ある程度の強さを持った忍(或いは自ら進んで身体を差し出すような信奉者)に、大蛇丸の細胞を移植して自分の複製にしてしまう。これも大蛇丸が開発した術だったのかも知れないとまで(汗)、僕は考えているのです。

また、大蛇丸の口から躍り出た大白蛇も実験段階の試作品の可能性だってあります。それには、不完全に「情報生命」としての大蛇丸がコピーされていた。「不死転生」が「魂」(陽中の陽)や「心」(陽中の陰)を情報化して未来永劫に遺す技術とすれば、当然、コピーも可能になる…と言うのが僕の考えです。

例えば、四本目のナルトと闘った大蛇丸と、サスケの殺った大蛇丸は違う個体だったのではないか?と、僕は疑っているのです。それが、時と場合に応じて入れ代わっていた。それにサスケは気付かなかったのかも知れない。だから「大蛇丸、アンタはオレより弱い」と、言ってしまったのではないかと…。サスケが見せられてた(覗けた)のは不完全なコピーの方だったりして。そして、それが大蛇丸の作戦だった…?!

でも何の為に…(黒笑)。

「あの時…あの時、大蛇丸の言う通りにしておけば…そう思ってるのね…」

小南には今にも自来也の胸に飛び込んで泣きじゃくりたいベクトルを感じてしまいます(第372話「泣いている国!!」)。小南は大蛇丸と自来也の対比で、自来也に救われた事に感謝している。感謝しているんだけど、ズッと一緒にいてくれなかった自来也に、三年間だけ面倒みただけで、どっかに行ってしまった自来也に、恨みを持っているのです。

「今さら私たちの前に現れて何のつもりだ!?」

でも、この気持ちは「(大)好き」にも似た憎悪で、女心っちゅうヤツだと思います。どうして、一緒に居てくれなかったの?と言う可愛い憎悪です(笑)。もしかしたら…小南は、自来也のお嫁さんになるのが「夢」だったんじゃないだろうか…と、僕は思っています。

そして、小南は大蛇丸の事も重々知っていると言う事です。「暁」で一緒だったのもあるだろうし、もしかしたら、あの時、難民だった頃から…<ズズズズズズッ…>おっと、いけない(汗)。自来也に対比して言葉を発する程度に大蛇丸を知っている…と。自来也に対して…という事は、そう軽くはない。むしろ、相当に大きい存在であると言う描写であると、僕には思えます。小南の今の身体(ペラペラ)になる経緯もあるだろうし、死んだ方がましだった…ような辛い人生だったのかな。

「大蛇丸にしろ、自来也にしろ、"三忍"は独特な力を使うな」

一方、ペイン(弐)も自来也と大蛇丸を同列に考えるフシがあります(第376話「予言の子!!」)。過去に闘った事があるようにも思えます。でも、大蛇丸は死んでいない。しかも、大蛇丸が「暁」を抜けた後も、大切であるだろう「暁」の指輪(空)も回収しなければ、大蛇丸を処理するでもない。以前は、ここに大蛇丸の巧みな交渉術があって、例えば尾獣(人柱力)を楯にしてる…とか考えてましたが、別の見方もあるかとも思います。何にせよ、「暁」とそこから脱退した大蛇丸の関係は不自然であったと思います。

そして、現在のエピソードです。自来也は「お…お前は…」と、驚いています。誰かが現れた?

「ふふふ…久し振りね。自来也…」

不敵な笑みを浮かべながら、六人のペインの後ろに現れたのが、大蛇丸だったら!!それこそ、『大蛇丸(゚∀゚)ッ!! キタ━(゚∀゚)━━ッ!!』になっちゃいます。超大穴の万馬券です。「サスケVS大蛇丸」のやけにあっさりとした幕引きから、ズッと痼っていた疑念。「暁」の目的に「写輪眼」が深くリンクしていた事実。鏤められた数々の「謎」。もし、あの時、大蛇丸が故意にサスケに殺られた…だとすれば…(ハァハァ)。

活発化する「暁」の行動の為には、一度、死んだ事にした方が行動しやすかった。しかも、大蛇丸の複製(コピー)だったとしても、サスケの内部に自分の「意志」を埋め込めるチャンス。強くなったサスケに「首輪」を付けるのが、大蛇丸の真の目的であったとすれば…あの時点で、サスケに敗れて、取り込まれる事は好都合だった…言えるのではないでしょうか。他にも、「ペインの寝室」とか、「トビ=オビト仮説」なんかも、「第三者」の関与の臭いが一層強くなって来ます。「第三者」って…勿論、大蛇丸ですよ(笑)。つまり…、

大蛇丸が「暁」の黒幕だった…!!!

そう考えると、上手く繋がる「謎」が一杯あります。「暁」内部の二重構造的な情報操作の描写を見ても、サソリやデイダラが大蛇丸を怨んでいたのも、二人が可哀想にすら見えて来るから不思議です(笑)。そして、いよいよ「三年」の期限(奇しくもデイダラが言った言葉です)も近いだろうし、「暁」の存在目的の真相も、そろそろ明かされるべきでしょう(「世界征服」とか「禁術兵器」とか言っていますが…)。

場面がいきなり他所にスイッチしなければ、この仮説は開けた月曜日には判明する筈です。果たして、自来也の目に現れたのは…誰か?!そもそも現れてなかったりして…(←この場合はずっこけて3~4メートルは滑りますから…)。最近、こんな短期間の『謎解き&種明かし』にハマってます(笑)。でも、本編も展開が急で、エピソード的にも短期の伏線の回収が多いから…。こう言う楽しみ方もあると思います。何だか<ドックンドックン>しませんか?

この気持ち…『NARUTO-ナルト-』を思いっきり楽しんでる人には理解ってもらえる…かな…。

……と、まあ、ここまでで普段なら仕舞いになるんですが(汗)、やはり大蛇丸の「暁」黒幕説は脆弱です。と言うのは、大蛇丸が写輪眼の虜になっていたから…。それは純粋な「探究願望」に起因する情動に過ぎないんですが、「暁」の内包する(であろう)大儀とはかけ離れている。

「あと少し…ほんの少しで私のもの…!」

例の長い舌で舌舐めずりをする無邪気な大蛇丸には荷が重過ぎるかも知れません(38巻/68頁)。大蛇丸は純粋にこの世の真理や全ての忍術を解き明かしたいだけだから…。写輪眼には憧れに近い思い入れがあったし…。その大蛇丸の無垢な欲求は無視できません。

ま、早い話。僕は大蛇丸に何処かで絡んで貰いたいだけなんです。だから、サスケの中の大蛇丸でも良いし、カブトが完全に乗っ取られて大蛇丸化するのでも良い。兎に角、何らかの形で復活して欲しい!と言うのが率直な僕の願いです。

大蛇丸は、誤解され易いけど、賢く優しく…何とも言えない魅力をもった人格なんです。このまま消えてしまうには惜し過ぎる人材なんです。もっとも、うちはのひよっこにあっさり殺られてしまうような、思いもよらない『小ささ』も大蛇丸の人間らしさなのかな…なんて思ったりもします。

或いは、自来也が見たものは案外、ペインの敵だったりする展開もアリで、それが大蛇丸化したカブトでも良いですよ。しかも、『八尾・八岐大蛇』のおまけ付きで!そして、自来也のピンチを救ってくれるのです。

「自来也…随分と、お困りのようねェ〜」 

なんて…毒づきながら、大蛇丸が颯爽と現れるのなんて、カッコ良過ぎるじゃないっスか!!僕は大蛇丸が大好きだから…、何故だか期待ばかりしてしまうんです。そう言う期待を僕にさせてしまう…魅力的なキャラなんです。

何か、最期まで言い訳っぽくなってスミマセン。

それでも、『大蛇丸…Come back!!!』
と、言いながらも、大穴に期待してしまうケルベロスなのです…(笑)

 

大蛇丸は何を知っていたのか?

 
「螺旋丸!!」

三竦みの戦いで、ナルトは螺旋丸を会得しカブトを粉砕します(19巻/108頁)。綱手と「初代の首飾り」(とナルトの蝦蟇口)を賭けた…約束の一週間目の出来事だったと思います。ナルトは賭けに勝ったんですね。「ま…まさか…まさか本当に………たった一週間であの螺旋丸を……」と、綱手も目を丸くして、ナルトを見つめていました。螺旋丸の修得が如何に大変な事かを示す描写です。

「あの九尾のガキが……あんなガキが…あの術を……」

その光景に心中穏やかでないのが、大蛇丸です(19巻/111頁)。中忍試験の「死の森」では、九尾の封印式やナルトの成長に興味を示しながらも「でも、今はアナタは邪魔……」(6巻/74頁)と言いながら、<ポイッ>っと捨てちゃったくらいの存在でしか無かったナルトが、何やら急に気になり始めるのです。この時、カブトと相打ちになる形で、ナルトも致命傷を与えられ瀕死の状態になるも、綱手の必死の救命救急で息を吹き返します。

「あの子、よろしくないわね…」

息を吹き返したナルトに更に危機感を募らせる大蛇丸です(19巻/123頁)。大蛇丸も螺旋丸の存在を知っており、当然、術の特性や修得難易度なども解っていたのでしょう。「綱手は医療スペシャリストだ。案じずともナルトの身に心配は無いのォ…。それより、お前はワシと闘ってるんだ。よそ見してる暇はねーだろ」と、いつもながらズレた事を言う自来也など、最早、視界にすら入っていません(笑)。自来也など関係ない…と言った風であります。

「…そういう意味じゃないわよ……」
(まさかここまでの子とはね…あの子が暁に渡ると面倒ね…つまり、殺すなら今!!)

大蛇丸は、自来也を置き去りにして、ナルトを殺そうとします。軟の改造をした舌(プッ)を伸ばし、自来也を投げ飛ばした反動を利用して一気にナルトに迫ります。自来也は綱手に毒をもられ、身体が麻痺した状態です。決して、ワザとやられてるわけではありません(笑)(←ねっ、変と言えば、変でしょ…自来也って…綱手の毒ね…って思っちゃでしょ…笑)。口から飛び出した蛇が草薙の太刀を突き出しています。それに、「…この子をっ!?」と、一瞬反応。綱手が横たわるナルトをかばって、その凶刃に貫かれてしまいます。

何故、大蛇丸は螺旋丸を会得したナルトが「暁」に渡ると「面倒」だったのでしょうか?

大蛇丸が「暁」を抜けたのは、第一部終了から7年前の事。もっとも、この時点で判っているのは、大蛇丸が「暁」を抜けた事くらい。どうして、ナルトが「暁」に渡る事を、大蛇丸が恐れたのか?この時はまだ、その謎が何だか引っ掛からないまま放置されてしまいました。気にはなったけど、痼りにはならなかった…。

「綱手……アンタだけは殺す気なかったのに…
その子に生きてられると諸々の事情で後々、厄介な事になるのよ…
邪魔しないでくれる…」

大蛇丸は過って(笑)貫いてしまった綱手に言い訳しています(19巻/129頁)。その後も、ナルトが「暁」に渡るのは困ると…意味不明にツラツラと言い訳を続けます。螺旋丸を使えると知るまでと知ってからでは明らかに違います。この掌を返したような大蛇丸の言動は何なんでしょうか?

「…この子だけは絶対…守る…!」

大蛇丸が執拗にナルトが興味を示すようになったのと、綱手がナルトの存在を重要視しているのとは意味合いが違うんですが、この時は、それらが混在する事を意識できずに、やや流された(ミスリード)感があります。綱手のそれは、自分の世界がナルトと出会う事で変わった驚きにあり、本来の姿を再生できた感謝にあります。それと、大蛇丸との異質には気付けなかったのです。何せ、大蛇丸の変容は唐突でしたから…。

大蛇丸はきっと、難易度のメチャクチャ高い螺旋丸などと言う術をモノに出来る資質を、ましてや九尾を腹の中に抱える子供(ガキ)が存在し、今は関係なくなった組織=「暁」に、それが渡ると「厄介」…つまり、自分に災難が降り掛かるか、自分の目的達成が疎外されるか、いずれにせよ、自分にとって不利な要素…かなり大きなマイナス要素と考えた…と想像されます。

「ただ、最近、肝心の大蛇丸はその組織(暁)を抜けてのォ…
ちょうど、そのくらいの頃から組織の奴らが2人組で各地へ動き出し…
術やら、何やら、集めてる」

例の刺々しい(笑)カカシと自来也の密会に、その徴候はありました(16巻/156頁)。が、見逃してました(汗)。端ッから「暁」の目的は尾獣だけでは無かったのです。それに大蛇丸は、九尾の存在(そもそも、大蛇丸は九尾をあまり重視していない)だけではナルトに危機感を感じていませでした。つまり、その後の螺旋丸の修得が意味するところの「ここまでの子」が、「暁」に渡る事が大蛇丸には脅威だったのです。

そして、そのサブリミナルな痼りは自来也の雨隠れの里への潜入捜査で、ペインの全貌が徐々に明らかになるに従って大きなものになって来ました。あの顔バレしたペインが秘密の部屋に入って眠りに付いたように見えた、あの「寝室」(?)の描写です。あの「アキラ」を思わせるような世界観のギミックです。

「さて…侵入者を狩るか」<パチ>

目を閉じたと思ったらすぐに開いた…(40巻/189頁)。後から知れるのが、その眼の紋様が「輪廻眼」でした。それが三大瞳術の一つ(その中でも最も崇高な"眼"…笑)である事も、その時、初めて知らされました(汗)。年賀状の「後出し」みたいで猾い!!なんて(僕は思いませんよ…マンセーですから…笑)意見もありましたが…。

バイザーで顔は覆われていて各々を確認できませんが、「暁」がワザワザ、遠隔会議をしていた描写もあるし、身体つきなどが(特に"六"のオデブちゃん)現「暁」メンバーと符合しないと思われ、未だ未出の「暁」の存在が示されたものと思いました。そして、もしかしたら、「ペインが六体いる?」と言う憶測寄りの仮説も生まれました。

寝室に入ったペインが「壱」のベットに就く描写と、次に起き上がるペインが、恐らく「弐」のベットと思われる位置関係(第370話「胸騒ぎ」)である事。しかも二人とも輪廻眼である事。二人の外観が違う事などから推察して、あの六体の人形(ひとがた)はペインであろうと、僕の中では「鉄板」となっています。

(まさかここまでの子とはね…あの子が暁に渡ると面倒ね…)

三竦みで自来也に秘匿しつつも(大蛇丸は自来也に対しては喋っていません)、危惧したナルトの存在感。それが「六体のペイン」と、僕の中で繋がりました(脂汗)。「暁」は攫って来た「忍」を何らかの方法で自由にする術(すべ)があるんじゃないかと思うんです。

だから、大蛇丸は螺旋丸なんて言う(憎っくき逸材=ミナトが開発したたいそうな術…笑)難易度の超高い術を会得したナルトが「暁」に渡る事を恐れたんじゃないでしょうか?そうした素養がある忍が「暁」に渡り、それが自分を襲いに来るから「面倒」と考えたんじゃないか…と言う展開です。

「暁」を抜けた大蛇丸が「暁」の標的であった描写もありましたし…(個人的に恨まれていたのもあった…笑)。それに、大蛇丸が危機感を感じてしまうような「暁」の情報を知り得た…つまり、大蛇丸が在籍中には、かなり深くまで「暁」に関与していた事を窺わせる描写でもあります。それか、大蛇丸が「暁」を調べた…と言う線もあります。

大蛇丸の危惧が「システム・ペイン」(←妄想的仮説ですから…)の核心に関わるようなものであるとしたら…。大蛇丸が「ここまでの子」としてのナルトがペインとして機能したら困ると考えて行動したとしたら…と、僕の中でかなりしっかりと繋がってしまっています。

そして、それは「自来也VSペイン」の交戦が始まってからも、その「妄想」が、ジワジワと太くなる描写が散見されています。一番、濃いのが、ペイン(弐)の口寄せです。自来也はペイン(弐)が口寄せしか使わない事に固執していますが、僕はむしろ、その口寄せ動物の外観に注目しています。

「グルルルルルルル…」

非常に余談ですが、ケルベロスは常に悪者です…滝汗(第375話「二大仙人…!!」)。悪そうな顔をしています。この増幅口寄せの術の犬コロが「ケルベロス」とは言えませんが、ま、イメージです。ひがみです。被害妄想です(笑)。少し前にオンエアされてた「探学Q」も悪役でしたし…(汗)。あんまり子供達に変な先入観を植え付けないで欲しい…な。

ペイン(弐)の口寄せ動物は一貫して

(1)輪廻眼である
(2)身体の何処かに太っといピアスがある
(3)話さない(契約関係の信頼感が希薄?)

…と言う共通点があります。みんな、「それ、邪魔でしょ」ってところに、「それ、刺さってたら絶対(じぇったい)死ぬでしょ」ってくらい、痛い部分に、信じられないくらい太いピアス(ピアスか?ホントに…)が刺さっています(笑)。肉体の構造的に無理目ですよね。関節、動かないのありますよね(笑)。

あのピアス(楔?)を単なる装飾品(アクセサリー)として受け入れるには、僕は余りにもコンサバーティヴ過ぎます(笑)。それに、「ペイン」と言う名前にも意味深さを感じずにはいられません。キリストがゴルゴダの丘で味わった「痛み」(ペイン)が…実はミスリードで、ホントは…。

そして、最新号でペイン(弐)が召還した「暁」のマントの二人。

オデブちゃんは絶対、寝室の「六」です…笑(第377話「仙人モード!!」)。もう一人は不明のロンゲ(最新号の感想参照)。二人とも顔中ピアスだらけです。首や腕にもあるので、恐らく体中、ボディピアスだらけです(汗)。僕なら完璧、「暁」脱退してます(笑)。逃げてます(汗)。マジ、無理ッス。

三体のペインの全てが輪廻眼で、漏れなくピアスだらけ…。自来也はこの中にペインの本体が潜んでいると考えているし、"頭"は三人ともペインで、輪廻眼が視界を共有していると踏んでいます。しかし、口寄せ動物の観察を合わせ考えると、ペインとして行動している三人も、僕には怪しく映ります。で……、

この「ピアス」がペインじゃないかしら…くらいに、僕は考えています。

輪廻眼の描写からして、群体を統括するような視覚なり、空間認識で意識を一体化するような機能が輪廻眼の能力で、むしろ、あの「ピアス」がペインの本体(金属生命体?)で、それか、攫って来た「忍」や口寄せ動物を支配する手段ではないかと考えているのです。つまり、今、闘っているペインも口寄せ動物も似たような存在…?

これが、「暁」に「ここまでの子」が渡ると「厄介」とする大蛇丸の考えの根拠になっています。連れてこられた忍に無理矢理、ピアスを突き刺して操る…とか。だから、ペインの口寄せ動物は皆、無表情で、悲しそうで、話をしませんよね。もしかしたら、ナルトもペインにされてた可能性があるかも…と、ゾッとするような妄想です(笑)。

ここで、気になるのがペインの「弐」と「六」の闘い方。「弐」は口寄せだけ。「六」は術の吸収のみ。「ロンゲ」はヤラレのみ(笑)。←無気味さを感じさせつつ秘匿中です(今は黄泉沼に沈みつつ…)。なんですが、先の大蛇丸が危惧した「ここまでの子」が「暁」に渡ったら「厄介」から推測すると、これらのペインは「力のある忍」と言う事になる。その推測からすると、この闘い方から、彼らを「単能」とするのは危険ではないでしょうか?

つまり、スペシャリストではあるけれど、他の術や技もありますよ…と言う心配です。ナルトだって、螺旋丸以外にも使える術はあるし(汗)、他の優れた忍を観てもいくつかのバリエーションが存在しますから、そもそも、「一系統」の能力しか持っていない…と自来也が決めつけるのは早計ではないかと、僕は心配しているのです。「一対一」になって、「ヨシッ!!」と思ってる自来也を心配しているだけなんです。

何にしても、思い込みは危険です。僕が、「デイダラ」や「玉」みたいな、叙情的な…ちょっと「グッ」(←言い過ぎ…不遜でした…思い上がり…ま、雰囲気で…汗)と来る話ばかり書くと思ってる人は危険です。僕はこんな妄想も一杯するのです。たまに「(妄想ばっかで)がっかりです…」なんて、メッセージが来るけど、それこそ、思い込み過ぎです(汗)。

「ナル×ジャン」すら、僕の数%です。

見誤ってはいけません(笑)。考えは自由であるべきです。でも、こう言う「妄想」って、本編を読みながら、皆、考えてますよね。それを吐き出す為に「ナル×ジャン」やってるんだから…。ここで書いとかないと勿体ない!です。大きな穴に向かって叫びたい気分です。

「仙人モードの自来也の鼻はブッツブツーっ!!」(笑)

ところで、賞味期限が最近、話題になってますが、このネタも非常に短い賞味期限(最短で、明けた月曜日)なので、さっさと上げちゃおう!!と思います。皆さんは、ペインの正体をどう考えますか?僕は以上のような「妄想」に支配されています。コメントで大いに盛り上がりたいところですが…(ちょっと、用事があって…)。

だから…腐っちゃう前に、アップさせて…く…だ……さい…(笑)。



大蛇丸は何故、グレてしまったのか?

 
<グシュ>「ハァ」「ハァ」「ハァ」

「大蛇丸様…早くお薬を!!」と言いながら薬を差し出す部下を、腕の痛みに苦しむ大蛇丸は殺してしまいます(17巻/176頁)。三代目の屍鬼封尽の呪いは想像以上に厳しく、「…この腕の焼ける様な痛み………ここまでの苦しみだとはね…」と大蛇丸も耐えかねるような痛みだったようですが、大蛇丸は理由もなく面白半分に自分の部下を殺すような人間ではないと思います。この時、腕の痛み以外に我慢ならない理由が大蛇丸には、きっとあったんです。それと似たような事が、サスケ奪還編の終盤でもありました。

「カブト…
ガキをあやすような物言いは止めなさい…」

サスケの到着を待ちわびる大蛇丸をなだめるような言葉を投げかけたカブトを大蛇丸は叱っています(24巻/177頁)。相手がもし、カブトでなかったら確実に殺していたでしょう。そもそも大蛇丸は他者から、慰められたり、哀れまれたりするのが我慢ならない性格なのです。最悪だったのは、木の葉崩しに失敗した直後。アジトに逃げ帰った時の大蛇丸とカブトとの会話にあります。

「私を慰めるような台詞は止めなさい…
殺すわよ……」

三代目と木の葉崩しで闘い、三代目を倒すも自らの両手を屍鬼封尽で奪われ、全ての術を奪われた大蛇丸をカブトが慰めた時の台詞です(16巻/94頁)。この時の顔が一番ヤバいです(笑)。カブトも一瞬、凍りました(笑)。腕が痛いのもあるし、術を失った後悔もある。その痛手を腹心の部下とは言え、他者に慰められたのが大蛇丸には我慢ならなかったのです。この時、大蛇丸はホントに殺そうと思っていたと感じました。それと、対照的な大蛇丸の回想が残されています。サスケとの対決の終盤の回想です。

若き日の三代目と幼き大蛇丸が大蛇丸の両親の墓参をした時、大蛇丸は白蛇の抜け殻を見つけます(38巻/99頁)。自来也、綱手、大蛇丸はアカデミーを6歳で卒業。直ぐに猿飛に師事しています。この時、猿飛24歳。恐らく、その直後の墓参ではないかと、僕は考えています。大蛇丸の両親も忍で、忍界大戦で活躍していたのでしょうが、不幸にも戦死してしまった。大蛇丸も独りぼっちになったと思われます。幼くして両親を無くし、どんなに大天才の大蛇丸と言えども、やはり子供。寂しくないはずがありません。

「この墓で見つけたのも何かの因縁
お前の両親もどこかで生まれ変わってるかもしれないのォ…
いつかまた…
大きくなったお前と会うために」

大蛇丸が白蛇の抜け殻を両親の墓前で見つけます。きっと猿飛は大蛇丸を慰めるつもりで言ったんでしょうが、「…それっていつだろ…?」と、子供らしく反応しています。この時、猿飛と言葉を交わす大蛇丸は歳相応の子供のようでありました。ありもしないような気休めにもにた絵空事を猿飛は言っていた。その「子供をあやすような」猿飛の言葉に大蛇丸は酔いしれているようでもありました。猿飛に対して、子供としての大蛇丸が曝け出されていた瞬間でした。

「幸運と再生…」

この時、その一身で最愛の両親の死を受け止めている最中なのですから、泣きじゃくっていてもおかしくない。そんな時に慰めの言葉を受けながら、猿飛の言葉は心地よく聞き入れているのです。気分を害するでもなく、黙り込むでもなく…。猿飛はこの後、三代目・火影に抜擢される忍ですから、強く賢い人物であったろうし、きっと尊敬できる人物であったのだと思います。大蛇丸にとっては猿飛こそが亡き父の生まれ変わりにすら思えていたんではないでしょうか。大蛇丸は錯角にも似た期待をこの時感じていたのかも知れません。

一方、猿飛は大蛇丸をどんな風に見ていたのでしょうか?

「猿飛先生は
いつも大蛇丸 大蛇丸って
うっせーよ!」

と、幼き自来也も苦言を呈していました(16巻/84頁)。逆にこう言う風にストレートに気持ちを伝えられる自来也だからこそ、心の距離が近く保てたんですが…。しかも、猿飛も憤慨するでもなく耳を貸しています。その雰囲気は仲の良い親子…と言うよりは「親友」のようです。でも、自来也は自来也で大蛇丸との対比に悩んでいたんですね。しかし、能力面においては大蛇丸は他の二人に大きく水をあける「逸材」であったのは確かで、それは自来也のこの「苦言」からも充分に窺い知れます。猿飛も大蛇丸を特別視していた。逆に、自来也はこんな風に普通に叱っていたんです。

「昔よく三人で三代目のジジィに…」

例の「酒酒屋」の暇乞いで、「まさかあいつが死ぬなんてね…」と言った後、綱手が昔話をしようとした時です(第366話「兄弟」)。自来也はバツが悪かったのか、大蛇丸の事を思い出す綱手を見るのが嫌だったのか、別の話題に振ってポシャったんですが、きっと、猿飛(ジジィ)を三人でからかって、自来也だけが捕まって、懲らしめられたエピソードを持ち出そうとしたのではないかと考えています。綱手の記憶の中でも、大蛇丸は決して叱られなかったのでしょう。その代り自来也はしばしば…叱られてた(汗)。

悪意と野望を秘めた瞳…
そういう素養があったのは…
気付いておった…
気付いていて知らぬふりをしてきた…
まだ 戦乱の時代に強く才能に満ち溢れた天才…
まさしく数十年に一人の逸材だったから…
自分の意志と力を受け継いでくれる存在…
そう思いたかった

大蛇丸の禁術開発の現場を押さえた時、三代目は自分の過ちを回想しています(14巻/85頁)。恐らく、三忍の中で大蛇丸は突出した才能を持っていた。「まさしく数十年に一人の逸材」と、多大な期待を寄せていたに違いありません。しかし、それは大蛇丸の「才能」に対しての期待であって、「人」としての大蛇丸への期待ではなかったのです。猿飛は大蛇丸を「忍」とし評価していたのです。自分の夢、果たせなかった心残り、里の戦力…それらを託すスケープゴート(scapegoat…滝汗)としての存在…。自分の「身替わり…」。それは決して「分身」とは同じではない。

それと、対照的なのが自来也の扱いです。例の演習場の鈴取りゲームで、鈴が取れなかった自来也が罰として丸太に縛り付けられて居残るんですが、「ツナデと大蛇丸は帰ってろ」と猿飛も居残るんです。その時、綱手はニコニコしてこの場を離れますが、大蛇丸は猿飛と柱に縛り付けられた方を、「……フン」と一瞥します。大蛇丸は自来也が羨ましかったんじゃないかな?自分も自来也と同じように猿飛に接してもらいたい!と不満に思ってた……。大蛇丸もそれを猿飛に伝えれば良いんだけど、プライドが邪魔した。悲しいスパイラルです。

「………猿飛先生のスケベ…」

猿飛と自来也は同じ目線で、この関係を楽しんでいるようでした(16巻/84頁)。自来也は大蛇丸ほどの天才は持ち合わせていなかったのでしょうが、努力家で賢い子供だった。猿飛も自来也とは非常にウマが合ったのでしょう。三代目の葬式を前に、想い出の演習場で回想するんですが、その時、自来也はきっと…泣いた…と疑っています。

水たまりに映った自来也の目(斜線でツブしてある)。あれはきっと…泣いてたな…(16巻/85頁)。それはそうと、オビトのお墓って、自来也達の演習場の直ぐ近くだったんですね。この時の自来也の気持ちは、カカシがオビトを想う気持ちに似ていたのかも知れません。自来也の「フン」と言うため息。猿飛と自来也は親友か戦友だった…そんな気がしています。

同じように木の葉崩しの三代目の背中を取った大蛇丸も泣きましたよね。「イヤ…眠くてね…あくびをして涙が出ただけですよ………」(14巻/159頁)と、取って付けたような言い訳をしてはいますが、あれは三代目と久しぶりに対面して泣いてしまったんだと思います。大蛇丸にとっては猿飛は親の生まれ変わりのような存在ですから。あの時、流した大蛇丸の涙は自来也が演習場で流した(であろう)涙とちょっと違う味がしたと思っています。大蛇丸も自来也と同じように、猿飛の事が大好きだったんだとは思いますが…。大蛇丸は自来也と違って涙を見せる事ができる人でもあるんです。なんて言うか…とても純粋な存在なんです。

「このくそジジィが!!
何が可笑しい!!」

屍鬼封尽で大蛇丸の両手を一刀両断にし、笑顔で倒れようとする三代目に大蛇丸は怒鳴っています(16巻/50頁)。まるで、不良のバカ息子が親に逆らっているような感じがしませんか。大蛇丸も素直になれなかったのです。こんな風に、もっと早く自分の気持ちを猿飛に投げかけられていたら…。運命は別の方角に転んでいたかも知れない。賢さやプライドの高さが仇になったのかな。何とも可哀想な気がしますね(←「心配なんかしないでよッ」って大蛇丸に怒られそうですけど…笑)。三代目が微笑んでいるのは、大蛇丸を殺さないで済んだからではないかと、僕は考えています。腕だけで済んで良かった…と。人はそんなに都合良く変わるなんてできませんから…。

大蛇丸は三代目火影の後任に立候補しています。恐らく、自薦だったでしょうが、その「邪悪さ」を理由に三代目が却下しています。この時、三代目は自分の後任には自来也を望んでいた筈です。四代目火影の選抜は忍界大戦の終結の頃(九尾事件の少し前)ですから、自来也も(既に「三忍」と呼ばれている)30歳代後半に達していたでしょうし、不断の努力の末、大蛇丸との差も埋まって来たものと思われます。今の自来也から判断するに、人望や人間性も「火影」の器であった事でしょう。

「火影になるべきは
本来お前だったということだ
三代目はずっと次の火影をお前に…」

居酒屋で綱手が三代目の気持ちを思い出しています(第366話「兄弟」)。「ワシはそんなガラじゃない。自由気ままが性に…」と自来也は謙遜しますが、恐らく、ありとあらゆる理由を見つけだして固辞したのでしょう(笑)。この頃、綱手は「縄樹→ダン」の死を経て抜け殻状態の筈ですから、三代目は綱手の見舞いがてら自分の心中を吐露していたのかも知れません。綱手は猿飛が話す自来也の自慢話を聞かされていたとか…。それは親友の四方山話か何かで、綱手もそれに癒されていたのかも知れませんね。

波風ミナトが三代目の目に止まったのはかなり早い時期であったものと思われます。大戦でも「木の葉の黄色い閃光」と恐れられ、一人で戦局を左右させるような「力」を持った存在でありました。しかも、自来也の愛弟子。文句の付けようもないくらいの男前の好青年です。誰もが納得するような傑物であったのは周知の通りです。

「いやミナトは
十年に一度の逸材だ
あれほどの天才は生まれてこん

優しい男だったが根性は筋金入り
瞬く間に四代目になった」

これは大蛇丸にとっても予想外の展開だったんではないでしょうか(第367話「イタチとサスケ」)。しかし、その品格や才能に関しては大蛇丸も認めたと思います。大蛇丸も本物ですから、本物には本物が認識できるものです。もしかしたら、この時点で大蛇丸より強かったかも知れないし。案外、すんなり大蛇丸も四代目・火影を諦めざるを得なかったんではないかと考えています。しかし、自分の代わりが見つかってあっさりと掌を返すような三代目の行動は大蛇丸には非情に映ったことでしょう。それは裏切りに近い。大蛇丸の落胆ぶりは想像に難くないです。

猿飛は大蛇丸を腫れ物に触るように扱って来たから、叱責する事もなかったのでしょう。大蛇丸も如才なかった筈ですし。当然、大蛇丸の道徳観や倫理観に欠けるような行いにも目を瞑って来た事でしょうから、大蛇丸に善悪の概念が希薄になってしまったのも理解できます。子供は家庭の中で道徳や倫理、それ以前に存在する「思いやり」や「優しさ」と言うものを獲得する必要がありますが、それに対するケアは圧倒的に不足していました。

もっとも、大蛇丸程の人格ですから、たとえ子供と言えども、自分のしている事がどんなにいけない事か解っていたかも知れません。解った上で続けた。一つは「素養」があった。それ以上に「興味」があったのでしょう。大蛇丸は探究心の塊みたいな存在ですから…。これは猿飛の後悔のパターン酷似しています。

つまり、年下で(自分より)男前のミナトが自分を差し置いて四代目・火影になった事よりも何よりも、悪に手を染めている自分を何故、三代目は叱ってくれなかったのか?何故、間違った事をしているのに止めてくれなかったのか?大蛇丸は三代目に咎めて欲しかったのではないでしょうか?だって、もし、自分の本当のお父さんなら叱ってくれた筈なんですから…。自来也は叱るのに、何故、自分は叱ってくれなかったの?と言うところにあるのだと。猿飛に怒られたり心配されたりするのは全然嫌じゃなかった。むしろ、嬉しかったのに…。

「猿飛…お前…」(しかし 殺せなかった…)

猿猴王・猿魔は大蛇丸を殺せたのに殺さなかった三代目の心の動きに気付いていました(14巻/87頁)。この時、大蛇丸も一目散に逃げるのではなく、出口のところで立ち止まって三代目を見ています。最後まで自分を止めてくれなかった三代目に物足りなさを感じているように僕には見えました。この時も大蛇丸は叱って欲しかったんだと思います。自分を殺してでも止めて欲しかったんだと思います。「自分の子供だったら叱るだろうに…どうせアタシなんかッ…!!」(それに、オカマだしッ!!…笑)と言う切ない横顔に見えてなりませんでした。この一件を機に大蛇丸は木の葉を抜けてしまいます。そしてこれが、大蛇丸を更生させるラストチャンスであったと、僕は考えています。

そこで、チョチョイと呪印のお力を借りまして妄想を…ズズズズズズッ………。





猿飛は子育てが滅茶苦茶、嫌いだった!!

実子のアスマを見れば解ります(笑)。アスマの場合は猿飛を自ら見限って離れたんです。それは、賢明な選択でした。だから、ちゃんとした大人になれたんです。そう言う、自発的な「父子分離」もあるのです。逆に猿飛は父親よりも個人(男、仕事、職責…)に傾倒する…家庭を顧みない人だったんじゃないかと想像しています。家にもあまり居ない人だったんでしょうね。アスマは寂しかったんだろうな…。今度こそは…とかなんとか思いながら…たまに帰って来たと思ったら口煩かったり…。

アスマが三代目の墓標に話し掛けるシーンがあります(35巻/95頁)。作品中で息子として話し掛けるのはここだけじゃないかな…。中忍試験の申告の時に宣誓しているけど、紋切り型の言葉。師として、小隊長として言葉を発しているだけです。

「アンタはちゃんと
里長としての役目を果たした」

墓前に今まで吸っていた煙草を線香代わりに置きます。アスマは父親である三代目の「社会人」としての生き方を賞賛しています。「かっこいい父親(オヤジ)だったよ…」とは、子供として見た父ではなく、一人の社会人(忍)として俯瞰した「血の繋がった親」としての外面(そとづら)を言っているのだと、僕は感じました。他人が見た「父親」像です。

この時、既に紅のお腹の中には自分の子が居ました。その上で、アスマは自分が捨て駒になってでも「玉」を守る決意をした直後でした。あんなに嫌っていた「父親」と同じ事を自分も選択した。父・猿飛を嫌悪すらしていた自分が、今、同じ事をしようとしている。子供の頃、自分が味わった寂しさを今度が自分が与えてしまう事になろうとは…。

「…今ならアンタの言ってた事も
少しは分かる気がするよ」

これはアスマの言い訳でもあるのです。運命とは残酷なもので、自分が嫌いなものに似てたり、行きたくない方向に得てして進んでしまう。人は自分の考えすら自由にはならないくらい不自由な生き物なのです。人は人生と言う激流の中で翻弄される木の葉にも似て無力なのです。でも、その中で「もがく者」のみが、向きたい方向を向けるものだとも思いますが…。

猿飛は優秀な忍ではありましたが、子育ての方はカラッキシ駄目だったんだと思います。きっと、父親と言う役目に向いてなかった。もしかしたら、親がちゃんと居た(だろう)自来也や綱手には自然に接する事ができるのに、孤児だった大蛇丸だと何だか緊張してしまったとか。自分が親として子供を育てるイメージが持てない人だったんではないでしょうか。親として在る責任を面倒臭く感じる。そして、仕事に逃げてしまった…。

大蛇丸の最大の不幸は幼くして両親を亡くしてしまった事でしたが、止めを刺したのは、親としての能力が圧倒的に不足した猿飛に師事し、尊敬してしまったところにあると思います。そして、もう得られる筈もない、親の愛情を猿飛に期待してしまった…。猿飛は大蛇丸の両親の墓前で、口先だけで優しい言葉でも掛けてしまったんではないでしょうか。慰めようと言う善意だったとは思いますが、大蛇丸が勘違いしてしまうような素振りを見せてしまったんでは…。あの白蛇の回想で…。

一方、大蛇丸と自来也。

二人の関係はどうだったっでしょうか。

第一部終了間際、ナルトがサスケの奪還に失敗し、木の葉病院で怪我の治療に入院しているところに自来也が見舞いに来ます。そこで、サスケを止めようとするナルトをかつての自分と大蛇丸に重ね合わせる回想があります(27巻/38頁)。カカシが皮肉っぽく「かつてのアナタと大蛇丸みたいな関係ですかね」(20巻/99頁)と言った通り、終末の谷での衝突を思わせる激闘が、自来也と大蛇丸にもあったようです。きっと、三代目と猿魔が取り逃がした大蛇丸の追撃戦を自来也が受け持ったとこら辺りでしょう。

「オレ達は"三忍"と呼ばれ…
ガキの頃からの同志じゃなかったのか!?」

自来也・大蛇丸・綱手の三人は半世紀に渡る幼馴染みです。山椒魚の半蔵が闘いの中で認め、残した命。「三忍」と言う証。死線をかいくぐって来た心の繋がり…。その中で、子供の頃から自来也は大蛇丸を意識して来ただろうし、憧れもした。目標ですらあった…そして、大切な友だちであった事でしょう。ナルトが「必死」にサスケを止めたように、自来也も大蛇丸を止めようとしていたのです。

「どこまでもめでたい奴ね
自来也
何をするにも考えが足りない
そんなんだから
私のやっていた事にも気が付かなかったのよ…」

大蛇丸は自来也を責めます(27巻/38頁)。大蛇丸の事ですから、自来也がどんな風に考え、この場で大蛇丸に対峙しているのかは全て認識していることでしょう。しかし、自来也は大蛇丸の本心には気付いていない。「考えが足りない」とは、そう言う事です。これは猿飛にも言える事でしたが、鈍いところが二人はそっくりでした。決して大蛇丸からは言い出せる筈もないのだから…。賢さやプライドが邪魔をするから…。だから、二人には本心を解って欲しかったのだと…。これは大蛇丸の酷く我侭な恨み節でもあったのです。

「バカにも程がある」

大蛇丸の自来也との惜別の言葉です(27巻/39頁)。人の考えは伝わり難いものです。大蛇丸は非常に賢かったから、自分の周りの人間の理解力の低さには辟易としてたんじゃないでしょうか。それは猿飛にしても、自来也にしても代わりはなかった。最早、諦めるしかない。もうグレるしかない!!グレてやるッ!!(笑)自来也…どうして解ってくれないのッ!!

非常に余談ですが…。自来也はナルトの見舞いに来て、サスケを諦めるように説得しようとするんですが、ナルトの「賢いってのがそういうことなら…オレは一生バカでいい…」と言う眩しい言葉に、「バカ」の真意を逆に教えられます。この時の自来也の「じゃあの………」の何とも言えない表情(27巻/45頁)。もしかしたら、自来也はこの時、大蛇丸の苛立ちの真意にも気付いたんじゃないか…。それをこの表情が物語ってるんじゃないか…と疑っています。

ナルトは中忍試験の時も「もし一生、下忍になったって…意地でも火影になるから別にいいってばよ!!!」と言い放ちましたね(4巻/139頁)。ナルトはタロットカードの「0」。「愚者」(The fool)…なのではないでしょうか。そして、もしかしたら、「愚者」こそ、「愚者」になれる者こそ、人生を切り開けるのではないか?と、僕は思います。他者の運命すら左右してしまえるくらいの影響力の根源ではないかと…。そして、この姿こそナルトの魅力なのだと思っているのです。


ここで、また…ズズズズズズッと…(いっそにして下さい…笑)。




大蛇丸は自来也に恋していた!!

自分にはない、おおらかな空気。大蛇丸であればそれに気付けたと思います。自来也の、太陽のような笑顔。海風のように心地良い笑い声。大地のように果てしない大きさ…。大蛇丸は自来也を自然に愛してしまったのだと、僕は考えています。

自来也が猿飛とウマが合ったのは、自来也の人間的な魅力が大きかったと思います。また、自来也は三代目と似ていました。いろんなところがそっくりでした。中でも「鈍い」ところが…。これが大蛇丸にとっては一番不幸な類似点でした。悲しいかな、大蛇丸は自分の好きな二人には尽く理解されない…悲しいループの中を彷徨っていたのです。

螺旋丸を会得したナルトはカブトを打破するも、自らも瀕死の重傷を負います。それを、血のPTSDを乗り越えた綱手が医療忍術で回復に当たります。そこに大蛇丸が割り込んで来て、間違えて綱手を草薙で貫いてしまった時の事です(19巻/129頁)。

「綱手……
アンタだけは殺す気なかったのに…」

綱手は大蛇丸に恋していました。愛していました。綱手の事ですから、特に解り易かったと思います。三忍と猿飛(三代目)は大蛇丸の中でも別格。その中で、綱手だけは殺すつもりはなかったと言う大蛇丸。何故なら、綱手だけが大蛇丸の本心を理解していたからです。それを勿論、大蛇丸も理解していたのです。綱手は大蛇丸は自分が何とかしようと考えていたのでしょうが、残念ながら、大蛇丸の気持ちが自分にはなかった…それは大蛇丸が自来也を愛していたからです。

かつて、綱手は大勢の前で「ド変態」と大蛇丸の事を例えています。あれは、美しい異性(女)である筈の自分ではなく、むくつけき同性(男)の自来也に心を奪われた大蛇丸への痛烈な批判であり、「女」としての自尊心をかつて傷付けられた事へのささやかな反攻だったのです。また、大蛇丸が里を出た事で、自来也がその見張り役になった。それを大蛇丸が喜んでいる事も綱手は感じ取っていたと思われます。それに対するジェラシーもあったでしょう。

蝦蟇・蛞蝓・蟒蛇…「蝦蟇」が「蛞蝓」を食べると、その後、「蟒蛇」に食われてしまうから、「蛞蝓」を食べられない、このため、三者とも身動きがとれない。つまり、微妙な位置関係と互いの距離によってバランスされている…これが「三竦み」の関係です。そんなに近くに居るんだから、憎む事もあろう。愛する事もあるだろう。しかして、遠く離れらてしまえば成立しない関係…。それは、離れられない絆…「三忍」の意味……自来也→綱手→大蛇丸→自来也……今にして思えば、それぞれの「恋」の関係も「三竦み」だったんじゃないかと、切ない想像が胸の奥からワラワラと這い出して来る…まったく…大蛇丸の意地っ張り!!と呟きながら、同時に確かに僕の心の底に居座(いすわ)る…

大蛇丸への好意を、僕は感じてしまうのです。


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