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NARUTO-ナルト-第53巻に寄せて


NARUTO-ナルト-第53巻に寄せて

僕は『NARUTO -ナルト-』とは親がどんなに厚く子を愛しているかを説く物語だと考えています。苦難の末、やっとこさ生まれた我が子にミナトとクシナが何故、九尾を封印したのか?しなければならなかったのか?…巻ノ五十三では、それを克明に綴っています。第一部でまだまだ謎がてんこ盛りの状態の時、木ノ葉崩しで見せた三代目の走馬灯…あそこで出たナルトのおくるみ…そこで得られた期待が確信へと変わる壮大な伏線の回収にダイナミックに絡み合うミナトの想いとクシナの想い。九尾という災厄が木ノ葉隠れを襲い、激しい動乱の中でオトナ達が子を庇い、時に叱りつけ、時に何かを託し、未来を予感させる。その力強さと美しさ切なさを命の儚さをもって、叩き付けられた気がしてなりません。

そして、それらの象徴としてナルトとサスケが居るのだと再確認しました。

「愛」を託されたナルト。

「憎しみ」を託されたサスケ。

二人の姿を子供達は全く別のものと感じてる事でしょう。でも、それは違うのだと、僕は言いたい。伝えたい。これから大人になり、愛を紡いで行く子供達に、断じて二人は違わないのだと教えてあげたいと感じています。『NARUTO -ナルト-』にハマっているおっちゃんとおばちゃんには既に解っている事だからすごく厄介なんだけど、これは子供達へのメッセージなんだ。しかし、今、このタイミングでそれらを手取り足取りお伝えするのは野暮というものでありまして、『NARUTO -ナルト-』という壮大な物語が持つ旨味を削ぐ事に直結している…その危険性を内包しています。そこでふと思うのが近頃の『NARUTO -ナルト-』の本編の無味乾燥した有り様でありましょう。

もしかして、キッ神も同じもどかしさの中で苦悩してるんじゃないだろうか…。

そう感じた瞬間、僕は面白くなくなった『NARUTO -ナルト-』の近頃に対する不満がキッ神に対する申し訳なさとぶつかって弾けとんだ気がしました。僕は巻ノ五十三のレビューを今は書けないと思っています。書いちゃならない部分が多々あるから。このもどかしさは時間が齎す子の成長を、その傍らで見守るしかない親の気持ちに近いんじゃないだろうかと思うのです。人は傷付き、気付き、築く生き物だから教えちゃならない事があるのです。或いは、小説の最後の頁を開く楽しみを奪うような無粋もオトナならば慎まねばならない…とも思います。なので、今は書けない…そう言えるお気楽な立場の僕も…目を瞑ってどっか隅っこに挟まって、口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きてるべきなんだろう。

せめて…今はこの曲を噛み締めて…お待ち下さい。



「奏」(かなで)/ スキマスイッチ

改札の前つなぐ手と手
いつものざわめき
新しい風
明るく見送るはずだったのに
うまく笑えずに君を見ていた

君が大人になってくその季節が
悲しい歌で溢れないように
最後に何か君に伝えたくて
「さよなら」に代わる言葉を
僕は探してた

君の手を引く
その役目が僕の使命だなんて
そう思ってた
だけど今わかったんだ
僕らならもう
重ねた日々がほら
導いてくれる

君が大人になってくその時間が
降り積もる間に僕も変わってく
たとえばそこにこんな歌があれば
ふたりはいつもどんな時も
つながっていける

突然ふいに鳴り響くベルの音
焦る僕 解ける手 離れてく君
夢中で呼び止めて
抱き締めたんだ
君がどこに行ったって
僕の声で守るよ

君が僕の前に現れた日から
何もかもが違くみえたんだ
朝も光も涙も
歌う声も
君が輝きをくれたんだ

抑えきれない思いを
この声に乗せて
遠く君の街へ届けよう
たとえばそれがこんな歌だったら
ぼくらは何処にいたとしても
つながっていける

 
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NARUTO-ナルト-第52巻に寄せて②

 
「とにかく
今のサスケとは誰も闘っちゃダメだ
闘えるのはオレしかいねー…
そういう意味だ」(ナルト)(第52巻/91頁)

(……こいつ…
サスケとは正反対だな…
こいつのチャクラは…すごく……
明るくて温かい…)
(香燐)

「!!」<ゾク>(香燐)

(何コレ!?
…さらに奥に…こんなチャクラを!!
暗い…!!これはまるで…)
(香燐)(第52巻/86-87頁)


「だからって
みすみす逃がす事はねーだろ!
ナルト…お前は強えーんだせ
ペインを倒した英雄ってやつだろーが!
サスケなんか…」(キバ)

「そうじゃねェ…
そんなんで今のサスケは倒せねェんだ…
それが分かった…」(ナルト)

(あいつの中にも…)(ナルト)(第52巻/90頁)

ダンゾウVSサスケの直後の第七班の再会を終え、お話は第488話「それぞれの里へ」で忍界大戦へと傾れ込んで行きます。里に帰ったナルトと若い衆が木ノ葉の発展場で井戸端会議するんですが、どうもサスケの中に得体の知れないものが在る伏線が盛られています(第52巻/91頁)。一時、サスケの中に九尾事件でミナトが屍鬼封尽した「九尾の陰のチャクラ」が搭載されている可能性が持ち上がって騒然となりまして九尾のコントロール(巻ノ五十三)の前半辺りまで引っぱりましたっけ(笑)。しかも、ナルトのチャクラにちょっとほの字傾向のある香燐のスキャニング情報と、件の発展場でのナルトの思わせぶりな態度が乗っかって胸の奥がザワザワと騒いだのを覚えています。

サスケとナルトの「強化」に関しましては「終末の谷の決闘」「強化・闇」(終末の谷の決闘…第七撃)と「強化・八卦の封印式」(終末の谷の決闘…第八撃)にそれぞれまとめてありますが…サスケには「憎しみ」を、ナルトには「愛」を与える形式でアプローチがあって、極めてコントラストの高い「教育論」が展開されていると、僕は考えていました。例えば香燐がナルトの中の(これではまるで…)とナルトの思わせぶりに押し黙ったサスケの中の(あいつの中にも…)が一緒だったら「サスケ=ナルト」になって逆に辻褄が合いませんし、どうしても屍鬼封尽した「九尾の陰のチャクラ」がサスケに仕舞われる提示が見つかりませんでした。正直、サスケまで九尾頼みだと困る…というのが本音でしたね(笑)。

サスケは「憎しみ」に研ぎ澄まされ、ナルトは「愛」に育まれた…その事実をして僕は「サスケとナルトの表裏が合った」と騒いでまして(笑)、アプローチが全く違っていながら仕上がりが同じになる訳で、それがナルトの「闘えるのはオレしかいねー…」の根拠でありましょう。これはナルトの中二病症例ではなくて、「拳」を合わせたからこそ知れたナルトとサスケの共通の認識なんだと思います。だから、サスケはイタチの眼を移植する決心をし、ナルトはそれまで無意識に避けて来た九尾と向き合う覚悟を決めたんです。二人共与えられるだけだった才能に対して、今度は積極的にアプローチする行動に出た訳です。僕は教育論的に、これを「(真の)自立」と呼ぶんではないかなーと思いました。

『NARUTO-ナルト-』の中の「親心」はチャクラを介在させている為に見え難くなっております。普通は親が子供の近くに居て導くもんですが、術式だのチャクラだのがそれを隠しているからです。天涯孤独の筈のナルトが、実は八卦の封印式の中に父であるミナトと母であるクシナのチャクラを組み込んでおり、絶えずその庇護を受けていたなんて誰も知りはしませんから、サスケじゃなくたって「何であんな奴が…」となると思います。僕もナルトは異常者としか思えませんでしたが、そう思えないようだと、僕が壊れてグレてたと思います(笑)。逆にサスケは全てを奪われる事で強化されていて、香燐が驚くようにナルトとサスケのチャクラは極めて近似するのです。その精度をナルトとサスケは「拳」によって確認した…。

「フカサク様…
九尾の力ゆーのは
”九尾のチャクラ”と”九尾の意志”の
二つが合わさってできとんじゃ」
(ゲロ寅)

それを僕らに気付かれまいとキッ神はミスリードの種を植えたんだと思います。これは第490話「九尾の真実!!」(ナルトのチャクラ編)で出てくるけど、九尾の力が憎しみを帯びていて(第52巻/128頁)、それとサスケが与えられた「うちは虐殺」以降の憎しみの累積が匹敵する存在なのでしょう。香燐が見紛うた憎しみのチャクラ。兄系の系譜にはデフォルトで強いチャクラがありますから、手っ取り早く憎しみを増大させる事でそれに応じてチャクラが増加するのだと思います。一方、弟系のナルトには兄系のような強力なチャクラを発生させるエンジンがありませんから尾獣に頼るのが合理的だったと思います。ま、それが九尾で、九尾のチャクラに偶々「憎しみ」が付随していた…というのがご愛嬌だったのかもね(笑)。


「穢土転生…」(トビ)

「二代目火影と大蛇丸様しか使えなかった禁術…
しかし僕で三人目
そして今はその二名も越えている」<スッ>(カブト)

「これは君へのパフォーマンス…
ボクの力を信用してもらうためのね…

安心して下さい
ボクはここへ戦いに来たんじゃない」(カブト)

第489話「忍界大戦へ向けて…!!」でカブトがトビと密会しますが、ぶっちゃけ「自分で自分の親になる」を実践したんだと思います。基本、それが中二病っぽく見えちゃうのはカブトが底の浅い小物だからだと、僕は考えています。『NARUTO -ナルト-』の登場人物で同じ方法で強化されたのはヤマトだったと思います。それがカブトがヤマトに対して抱くそこはかと無い好意に表れていると思います。逆にヤマトからカブトに送られる視線(馬鹿な事を…のアレ)にも近親憎悪にも似た苛立ちが感じられます。カブトとヤマトの違いは自分の力に酔ってるか?酔ってないかの違いで、やはり中二病の症状が顕著に見られるカブトは大蛇丸の力に酔いしれてます。大蛇丸の力を制御してるのが薬物であるのもポイントかな。

逆にヤマトが凄く紳士に見えちゃうのは柱間の力を借りている事実をしっかりと認識してるところにあると思います。ヤマトがナルトが九尾のチャクラに耐えて動けるのに驚いた時に、ナルト自身の力を賞賛したのを覚えてますか?大蛇丸の力を薬物によって制御してるのを横っちょに置いといて、大蛇丸だけでなく扉間をも超えたと豪語しちゃえるカブトに、あの言葉は吐けない筈です。問題は自己の境界線がどんだけはっきりしてるかってところにあると思います。自分をちゃんと知っているというのは自分の大きさではなくて、小ささを知っているという事です。ヤマトが決して不遜でないのも自分の小ささを知っているからです。それがホントにホンモノの大天才のネジが言う「凡小」でありましょう。

呪印や大蛇丸を抜かれる前のサスケが凛としてたのも(イタチ戦の終盤にはやや中二病が出ましたが…)、呪印や大蛇丸をクナイや刀と同義の単なる「道具」として受け容れてたからかと思います。第一部の仔サスケの頃、天の呪印を打ち込まれ死の森でザクの腕をへし折ったり、木ノ葉に音の四人衆が忍び込んでサスケにちょっかい出した時と、「蛇」でブイブイ言わせてデイダラとやり合ってた辺りのサスケは明らかに違って、第二部のサスケは自己の境界線を認識しています。ただ(ただしイケメンに限るの法則)だし「オレ様系キャラ」でもありまして多少ドヤ顔しちゃってるところはあるけど、カブトみたいに痛々しくないです(笑)。その差異がカブトを「大蛇丸のとこに居た…もやし」と呼ばせるのでしょう。

「ボクが何の手札もなく君に会いに来るとでも?
…そう……君は断れない!」(カブト)

「キサマ…
それをどこで手に入れた!?」(トビ)

第490話「九尾の真実!!」で調子に乗ったカブトが勢い、トビのお面の下の顔を青くしちゃうシーンがありました(笑)(第52巻/122頁)。カブトはトビとの交渉に切り札を出して来ます。恐らくお面の下の顔面蒼白の見た穢土転生は「うちはマダラ」だと思います。トビがあれ程驚く事ができるのはマダラ以外ないと思います。サスケを戴く交渉の材料としても適当でしょう。その前に「今はマダラと名乗っているとか」(第52巻/114頁)と牽制してました。そもそも穢土転生で呼べるという事は死んでるのが確定しますから、全世界を向こうにまわして「うちはマダラ」と大見得切った以上、うちはマダラが死んでる…とバレてしまったら恥ずかしくて戦争どころじゃなくなってしまいます(笑)。

カブトはトビの痛いところをがっしりと掴んでて、カブト的には優位に立ってると思ってるんですが、トビはその上でカブトを利用しています。しかし、トビが掌で転がしてると思ってるカブトが実は知ってて転がされてるかも知れないし…その微妙な関係性が二人の丁々発止のやり取りの危なさを増幅してる訳です。決めてはどっちがオトナか?になると思うんですが、どちらもアイデンティティの確立がイマイチあやふやで怪しい(笑)。よーく考えてみると、アイデンティティの獲得と中二病からの脱出は物凄く似ています。そこに気付けるなら『NARUTO -ナルト-』の中のチャクラとか写輪眼が何を意味してるのか解ると思います。僕はその先に『NARUTO -ナルト-』の落としどころがあると見ているんだけど…。

ケルベロスの中二病も未だ癒えず…。


 

NARUTO-ナルト-第52巻に寄せて①

 
NARUTO-ナルト-第52巻に寄せて

第484話「それぞれの第七班!!」

第485話「近く…遠く…」

第486話「拳」

第487話「戦いの始まり…!!」?

第487話「戦いの始まり…!!」?

第488話「それぞれの里へ」

489話「忍界大戦へ向けて…!!」(100406追記)

第489話「忍界大戦へ向けて…!!」(補習)

第490話「九尾の真実!!」(100412追記…キラビ)

第490話「九尾の真実!!」(ナルトのチャクラ編)

第491話「人柱力監禁!!」

第492話「あいさつ」

第493話「闇ナルト」

第494話「キラービーとモトイ」

第494話「キラービーとモトイ」(どうでもいい補足)

しかし…書きました。書きまくりました。結構、真面目じゃん(笑)。まだまだ「熱」あんじゃん…みたいな(笑)。最後の記事が去年の5月か…まだ夏い暑が…暑い夏がやって来る前だ(汗)。しかし、去年の夏は暑かったな…と遠い目になりながら巻ノ五十二に集録されたエピソードを思い出しています。詳しくは週ジャンの感想に認(したた)めてあるのでお時間のある方はもう一度読んでみて下さい。『NARUTO -ナルト-』は週ジャンでバラバラに読むよりも単行本で一気に読み込む方が読み応えがあります。僕もレヴューを書こうとペラペラと頁を捲ってるといつのまにか読み耽ってる…(笑)。それがお話に極めて精巧な連続性が在るからで、確固とした世界観が在るからなんだと、毎度毎度感じさせられてます。

そんなお話に皆さんと同じ時期に出逢えた。これは幸せな事だと熟(つくづく)思います。僕は『NARUTO -ナルト-』の絆に手を伸ばしてしまったんです。図らずもそれを掴んでしまった。一度掴んだら離せなくなってしまう…(イルカさん曰く)。気付けば皆さんも掴んでいた。この素晴らしい物語に撃たれ震えた人達がこんなに沢山居る。その想いは酔狂で始めたナル×ジャンに「使命感」というものを与えるに不足ない純粋なものでした。僕は今その喜びと苦悩の中に居る訳。二つは背中合わせ…実は同じものなんだと物語の「六道仙人のトラップ」は教えています。僕はそれを感じる時、物語の中身とリアルの整合性に震えちゃうのです。ま…それをガソリンにして走ってるポンコツではありますが(笑)。


<ジュウウウウウウウ>(サクラ)

「…お…お前…」(香燐)

「今はまだ喋らないで!
もう少しだから…」(サクラ)

「………」(香燐)

(敵の……お前の気持ちなんか
分かりたくもねーんだ…)
(香燐)


(だから…)(香燐)

<ポロロ…>(だからウチの前で……)(香燐)

(そんな悲しい顔で泣くんじゃねーよ…!
……ちくしょう…)
<ツー…>(香燐)

巻ノ五十二も細かく別けると先ずココ(第52巻/7-8頁)でしょ!!僕は何気に香燐ちゃんってキーパーソンだと思ってまして、彼女の赤髪って「うずまき一族」の末裔っぽくないですか?今後、トビが」「外道魔像にリンクするコマ」として香燐を狙うんじゃないかと考えてます。なんせサスケの千鳥鋭槍に胸を貫かれても死ななかったんだから!!生命力からすればうずまき当確です!!それにどんな傷も一瞬で治療しちゃう特殊なチャクラを持ってます。だから、香燐ちゃんには注目してるんだけど、ココは女同士の共感を味わって欲しいです。香燐がサクラの涙に何かを感じるんだけど、サクラが香燐の為に泣いてるんじゃないってとこがポイントです。悲しいけど…それって「女」なのよねー(スレッガー中尉風)。

サクラが香燐の傷が可哀想で泣いてたなら香燐はきっとズーッともっと楽だったと思います。サクラが大怪我を負って瀕死(香燐はちょっとやそっとじゃ死なないけど…)の自分ではなく、それでも尚、サスケに心を向かわせ変わり果てた「今」に咽び泣いちゃう気持ちに自分を重ねちゃってるのね。香燐も最後の最後まで「サスケの笑顔」を探してましたからね。サクラが自分よりも先に泣いちゃう…女同士だからその涙の意味がドンドン香燐に流れ込んで来る。香燐にはサクラが少しも香燐を気遣わずに治療してるのが解る分、サクラに真っすぐさで負けてる…置いてかれてる感がそこはかと無くあり、それがかつての自分を思い出させるようで胸が苦しくなったんだと思います…傷の痛みではなくて(笑)。

多分、女心を描かせたら古今東西、キッ神は一等賞なんじゃないかと思います。これはもう「少年少女マンガ」の域を完全に逸脱していると言ってもヨカでしょう。きっと、少年少女には香燐の涙の奥底のドロドロしてたり、サラサラしてたり、ネチネチしてる感触は解らないと思います。また、解って欲しくもないんだけど(笑)。きっと、もっともっとご飯を食べて、いろんな世界を見て、物事に触れ、そして傷付け、傷付かなければ解らないと思う。その過程に「H」もあるだろうし、勿論、その先に「I」もあるでしょう(実はその後「J」…「ジュニア」があって「K」…「結婚」が続くという真説が…笑)。人は「傷付き、気付き、築く」と僕は思うから、心も身体も治りが速い若い時期にもっともっと暴れて欲しいんだなーッ。

だから、香燐の(……ちくしょう…)に関しましては少年少女にではなくおっちゃんとおばちゃんに届けばいいと思っとります。それに僕の解釈が全てじゃないから、香燐の涙の成分に関しましてはそれぞれ考えるのも宜しいかと思います。そう言えば、僕はかつて「イルカの“涙“の成分」(アイデンティティ)という考察を書きましたが、アレだって別の解釈があってもいいと言うか当然ある筈です。『NARUTO -ナルト-』は「涙」だけに着目して考察するだけでも面白い作品です。それ程、お話に深みがあるという事です。だから、何度も言うけど少年少女には伝わらなくていい(←しつこいぞー)。おっちゃんとおばちゃんの胸をジーンとさせられれば本望…と、キッ神が宣(のたま)っておられました罠(←嘘!!)。


「ナルト…前に言ったハズだ
親や兄弟もいねぇてめーに
オレの何が分かるってな…」
(サスケ)

<キッ>「………」(サスケ)

「他人は黙ってろ!!!」(サスケ)

それと第485話「近く…遠く…」のココ!!(第52巻/29頁)僕はこの時、激しい「時合」(じあい)を感じましたっけ。それは「家族」(愛について…)を書きなさい…という啓示に他なりませんでした。僕は「家族」を書きながら、その先に在るものを書かないように必死に堪えていました。このくらいの我慢ができなくてものなんか書いてられませんがな(笑)。僕は堪えに堪えました罠。でも、この話題が出て、その上、その直後のエピソードである第486話「拳」「サスケとは?オレが闘る!!」(第52巻/59頁)が出たにも関わらず、今ジャンの「第四次忍界大戦」なんか始めちゃって、しかもその戦闘を維持してるのが白ゼツのクローン軍団とカブトの穢土転生部隊っていうのがお粗末に見えて仕方ないのです。


<ザッ>「話とは何だ?」(トビ)

<ザッ><ザッ>「イタチの眼をもらう」(サスケ)

「……!」(トビ)

<ザッ>「……やっとその気になったか…」(トビ)

「…”須佐能呼”の使いすぎだな
もうろくに見えてないのも分かっていた
……いいタイミングだ」(トビ)

「すぐに移植してくれ」(サスケ)

「しかし…急だな
どうしたと言うのだ?」(トビ)

「オレは全力でナルトを潰す!
そして奴の全てを否定してやる!」
(サスケ)

「…それだけだ」<ザッ>(サスケ)

しかも第487話「戦いの始まり…!!」?でとうとうサスケは「イタチの眼」の移植を決意します(第52巻/67-68頁)。ナルトもこの直後、ゲロ寅の蔵入り→「九尾のコントロール」に乗り出す事になり、完全にサスケとナルトの表裏が合ったのを確信するに到ります。これは麻雀で言うならば「イーシャンテン」(一向聴:あと1枚で聴牌“てんぱい“になる状態の事)でしょうよ。へたしたら「テンパイ」でも良いくらいです。なのに…なのに…が、僕の「今」なんだと、ここまでしつこく書いたら解って貰えるかしら(笑)。それでも書き続ける…それはやはり皆さんが掴んだ絆を僕も掴んでしまったからだと思う訳。悲しいかなここからお話は萌えない「第四次忍界大戦」に傾れ込んで行くのです…(続く)。

巻ノ五十二レヴューは三つに分割しまーす!!


  

悲しいお知らせ……

 
大変な事に気付きました!!

単行本のレヴュー(単行本の紹介)を完璧忘れてました!!僕の持ってる最新刊って、平成22年11月30日現在で巻ノ五十一だったのね(汗)。しかし、本屋さんに行って僕はワナワナしちゃったんです。だって手に取ったのが巻ノ五十三で、思わず「エッ!!??」だった(笑)。浦島太郎ですか?何処かで眠ってたんですか?随分とサボってました。単行本二巻もすっ飛ばすなんて!!あり得ないでしょ。少なくとも一年前はこんな事はなかったし、二年、三年前だったら1000パーセントあり得ないです。どうしてこんなになっちまったんだろう…と情けなくもありました。前は単行本が出たと同時に購入して、「(新しい本は)角が立ってて気持ち良い」とかほざいてたんですよね…(遠い目)。

そんな訳で、単行本を購入して読み返しています。『NARUTO -ナルト-』に対する興味が薄らいだのかな…と不安な気持ちが過ります。別にそれはそれで仕方ない事だと思いますし、『NARUTO -ナルト-』という作品の変質も確かです。人は常に変わって行くから、永遠はないと思います。でも、だからと言って「愛」がなくなってしまった訳じゃないとも思います。でも、ま…兎に角、今日は本屋さんでビックリして(笑)。『NARUTO -ナルト-』最終回を見届ける約束皆さんとの大切な約束は是非とも守りたいと思っとります。僕も『NARUTO -ナルト-』に魅入られ愛してしまった一人ですので。そこんところは皆さんと同じ気持ちであります。唯唯、ご報告したかったのです………。

忘れててごめんなさい…と(レヴューも書きますね)。

 

NARUTO-ナルト-第51巻に寄せて…③

 
「その右目…
うちはシスイの眼を奪って移植したようですな」(青)

「シスイの瞳術は相手の脳内に入り
あたかも己の意志であるかのように
疑似体験させ操る術だった…」(青)

「操られている事すら気付かない
瞳術でも最高クラス!」(青)

あわやダンゾウが忍連合軍の総大将になりそうな気配が一瞬で水泡に帰した青の見破りで(第49巻/113頁)、ダンゾウの右眼にはうちはシスイの写輪眼が埋め込まれてる事が明かされました。そう言えば、火の国の大名が見るからに胡散臭いダンゾウを火影に任命した行でも、シスイの写輪眼の瞳術で大名のおばちゃんを操ってたのかしらと、それならば仕方ない!!と、溜飲が下る想いでした(笑)。きっとダンゾウは、シスイの写輪眼の瞳術を使っていろいろと悪さをして来たんだろうと思います。ま…悪さっちゅーと主観が入り過ぎでアレだろうけど、ダンゾウの処世術の要所要所をシスイの瞳術が受け持っていたかと考えると、幻術で人々を騙して理想を求めてたベクトルにはトビの「月の眼計画」と非常に似ています。

トビの場合は十尾の人柱力となったアカツキに、六道仙人の遺品である「月」「大幻術・無限月読」を投影して世の中に「安寧秩序」を齎そうとしたスケールのデカさが、高々、火の国の隠れ里である木ノ葉隠れの火影になりたかったダンゾウとはかなり違うけれど、どっちも人々を夢見心地にして誑(たぶら)かす姑息さが何だか似てると、僕は思うんです。ダンゾウの場合、価値基準がライバルである猿飛ヒルゼン(三代目)に在って、ホントは自己無価値観に塗れたデイダラのおじいちゃんVer.みたいて、誰かに面と向かって自分を見られるのがイヤな人だったのだと思います。多分、その点でもトビとは符合してて、お面越しに自分を「マダラ」と名乗る奥ゆかしさにダンゾウ&トビの似た者同士を感じずにはいられません。


<グイ><ハァ><ハァ><シュルル…>(ダンゾウ)

<スウー…><ハァ>「まだだ………
ここからが…眼で……語る戦いだ…」<ハァ>(ダンゾウ)

(右眼の瞳力が戻ったか…
シスイの眼が復活するまでの間を
イザナギでカバーする…

そういう手はずか…)(トビ)

<ダッ><バチチチ>(サスケ)

<ザッ>「!!」(サスケ)

第480話「犠牲」で、ダンゾウがシブトく吠えるんです。サスケの狂気の千鳥鋭槍が香燐ごとダンゾウの急所を貫いたにも関わらず…です。ダンゾウは「うちはの高み」を目指して一直線に直走るサスケに真っ向勝負したがってるように、僕には見えました。そして、ダンゾウの右眼にはシスイの写輪眼が搭載されている…。ダンゾウがサスケの幻術をイタチの「月読」と比較して扱き下ろしていた描写が、才能に対するジェラシーに思えるし、青をして「瞳術でも最高クラス!」の写輪眼を後生大事に使い、その能力を信じ切る様は「写輪眼さえあれば…(オレだって)」と拳を握りしめるダンゾウのトラウマの人生が、僕には感じられてなりませんでした。あんなに不自然に写輪眼をその身に纏うのは強烈な中二病臭がしてなりません。

復活したダンゾウの写輪眼…シスイの写輪眼…が、「黒目→写輪眼(三つ巴文様)」に<スウー…>っとトランスしてる描写…もう一度見て戴きたい。巻ノ五十一の129頁です。僕はこのシーンが、きっとキッ神のタイムマシン訂正されるだろうと考えてました。新刊を購入して、先ずはこの頁を探しましたから。でも、修正されていなかった…。ダンゾウの右眼は「黒目→写輪眼(三つ巴文様)」に確かに変移(トランス)しています。カカシの写輪眼を見れば分かるけど、移植した写輪眼は常時覚醒する前例が既にあるのです。ダンゾウの右腕のイザナギユニットも常時覚醒しています。僕はそれらの差異を「眼軸」に依存しているんではないかと考えてまして、カカシの場合はオビトの「眼軸」が搭載されている点がポイントです。

しかし、イタチがサスケの写輪眼を奪う描写や、トビがストックする写輪眼を見ても眼球だけが<プカ><プカ>と溶液に浮かんでますから、既に持ち得る者にしてみれば「眼球」こそが写輪眼の個人差なんじゃーないかと思えるのです。つまり、うちは一族間の眼のやり取りに関して限定して考えれば、「眼軸」の移植は必要ないのだと思います。神無毘橋のオビトは一族でないカカシへの移植だったので「眼軸ごと」とエクスキューズを入れたのでしょう。ま…そのような「写輪眼移植マニュアル」が存在したのだと思いますが、それが写輪眼を運ぶ器としての「うちは一族」に課せられた使命であり、命よりも大切な写輪眼を運用する為の心構え「うちは一族」にはその末端に到るまで浸透していたのでしょう。

ダンゾウは開眼しなかった…出来損ない「うちは一族」だった!?

写輪眼とは一族にあっても誰もが開眼しない能力でした。その開眼には、ある程度ドラマチックなイベントが必要不可欠であり、大切な何かを何としても守らねばならんような不退転の窮地に置かれ、尚かつ、エネルギッシュにその難関を打開するバイタリティが必要なのですから、才能だけあれば何とかなる訳でもなく、例えばメチャクチャ恵まれた環境にあったらどんな大天才であろうとピンチが訪れなくて能力を発揮しようがない状況だってあります。サスケの三つ巴なんかナルトが九尾の衣のチートを纏って攻め込んで来なければならなかっただろうし、写輪眼の開眼要件は一筋縄じゃーいかないから仕方ない(笑)。だから、ダンゾウも才能がそもそもなかった訳じゃないと思うんです。

しかも、苗字が「志村」だし、「うちは」とは違う分家とか、駆け落ちの可能性もあるでしょう。でも、ちゃんと「うちは一族」の写輪眼に合った身体だけは持ってたんじゃないかと思うんです。勿論、「眼軸」をしっかり持ってる。だから、シスイの写輪眼を移植した右眼は「黒目→写輪眼(三つ巴文様)」にしっかりとトランスしたんだと、僕は考えるんです。開眼しなかった出来損ないのうちはだからこそ、「瞳術でも最高クラス!」のシスイの眼を大事に使い、「うちはの高み」に最も近いであろうイタチやサスケを意識して行動してしまう。サスケなんか、「瞳術」の背比べみたいな闘い方だったじゃない。あれって、ダンゾウのトラウマがサスケの才能に過敏に反応したアレルギー反応だったと思うんです。

「ここからが…眼で……語る戦いだ…」

だから、息も絶え絶えになりながら、うちはの若僧のサスケに「眼」で迫ったダンゾウの写輪眼に対する憧れ…って言うのかな。乾き…って言えば良いのかな?そんな哀れさが漂って仕方ないのです。そして、イザナギユニットの十個の写輪眼。きっと、あれは普通の三つ巴だったんだと思います。開眼しただけでも凄いんだけど、そこにも”須佐能呼”まで開眼するとか、特殊な瞳術を発動できるとかの「ヒエラルキー」があるんです。それで、その下層にある普通の写輪眼をダンゾウはイザナギの為に、たった「60Secの夢」として燃やしてたんです。ダンゾウはその右眼に最高峰のシスイの写輪眼を搭載して、その上、柱間のデスマスクで身体エネルギーのドーピングしてるんですから余裕で出来ちゃうのです。

ダンゾウがシスイの眼を温存して、自分の主力に据えてたのは、自由に他人を操れたからだと思います。凄く気持ちが良かったでしょう。火影に選任された行でも大名を手玉に取り、眼前のシカクと暗部を欺いたんだから。何よりダンゾウは自分の出来損ないを悟られずに頂点に登り詰めたかったんだと思います。だから、トランスできるにも関わらず、右眼の写輪眼を包帯で隠してたんじゃないでしょうか。カカシが額当てで隠してるのとは意味が違います。ダンゾウは常時覚醒でチャクラを垂れ流すリスクもないのですから。ダンゾウはシスイの眼で世界中を欺いて火影になり、世界を一つにしたかったんだろうと思います。それはまるでトビが想い描く「月の眼計画」「大幻術・無限月読」そのものじゃないか。

悪夢に魘(うな)されるダンゾウ口寄せ動物が…

夢を喰らう「貘」(ばく)だったなんて…

皮肉すぎるよ…(ナイトメアのダンゾウに捧ぐ…)。

NARUTO-ナルト-第51巻に寄せて…
ナルト×ジャンキー ケルベロス 




 

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