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「忍刀」(終末の谷の決闘…第九撃)


「オレは復讐者となり
木ノ葉隠れの里に戦いを挑んだ」(トビ)

第399話「すべての始まり!!」のたった一コマ(第43巻/180-181頁)を起点にして、あーでもない…こーでもない…と捏造グォフォッ(吐血)考察しているのが「終末の谷の決闘」であります。本誌でこの見開きを見た瞬間、僕は身体の「芯」を鷲掴みにされて、激しく揺り動かされた気がしました…。屁理屈抜きに…素直にカッコ良い!!僕の中に在る少年が、そう吠えたッ!!…と、僕は今でも思っています。そして、その一念が今も僕にこんなグォフォッ(吐血)熱(ねつ)を帯びさせ、こんなお話を書かせてるのよ(汗)。この一戦の後、初代火影に就任する千手柱間と、うちは一族の頭領であり、真・万華鏡写輪眼の開眼者・うちはマダラが正真正銘、果たし合った…「終末の谷の決闘」…その真の意味を考える事は、ナル×ジャンの「使命」(=ライフワーク)なんだと、僕は考えています。

これまでも、この見開きに鏤められたアイテムを取り上げて考察(ね、捏造!?)して来ました。「月光」(終末①)、「死神」(終末②・マダラの武装)、「力量」(終末③・柱間の大巻物)、「鬼手仏心」(終末④・柱間の武装)について考察して来ました。ま…かなり前に書いた事もあり、精度的にもアレですが、今も大筋ではそんなに外れていないと考えています。ただ、新証言や新たな描写の提示、及び発掘や、描写の解釈の微妙な変化もあるにはある…(汗)。特に、柱間の武装である七振りの「忍刀」と大型の風魔手裏剣を考えた「鬼手仏心」(終末④)に関しては再考を要する程に重大な新規の描写が出て来て、「鬼手仏心」(終末④)の記述を補完する考察が必要になって来たと感じました。

ホントのところは…「終末の谷の決闘」の時代への関係性の考証…「九尾事件」(終末⑤)。「うちは虐殺」(終末⑥)を示し、次に『NARUTO -ナルト-』「教育論」(=強化論)としての考察…「強化・闇」(終末⑦)、「強化・八卦の封印式」(終末⑧)を纏め上げて、一気に「終撃」に行っちゃおうかしら…実は「終末の谷の決闘」を書こう!!…第399話「すべての始まり!!」のたった一コマ(第43巻/180-181頁)に出逢って、書かねばならない!!と感じた瞬間に思い描いた「終末の谷の決闘」の考察の「〆の情景」がありまして…それを書いてしまうか!!と意気込んでいたところだったんですが、そうは問屋が卸さない…とばかりに、まだまだ書く事がある…道が続いている事に気付きました。その「〆の情景」ドバーッ!!と吐き出すのはもう少し後になりそうッス(笑)。

千手柱間と七振りの忍刀

九尾の口寄せと、首斬り鎌(デスサイズ)と芭蕉扇で武装したマダラ(真・万華鏡写輪眼)に対し、柱間の準備は非常に周到でした。木遁忍術・樹界降誕の守備的な「城塞の陣」(仮称)、尾獣のチャクラを術式化した(?)大巻物(木遁忍術を自動展開していた?)、それに七振りの「忍刀」と風魔手裏剣…。この描写から、柱間がマダラの木ノ葉侵攻を読み切った彼の地(終末の谷)での迎撃戦だったと展開してましたっけ。その辺りは変わらないんですが、何で柱間がこんなに沢山、七本もの!!「忍刀」を準備しなくてはならなかったのかが、疑問と言えば疑問でした(「忍刀」の横っちょにある風魔手裏剣の解釈に関しては、マダラが柱間にプレゼントしたものであり、友情の証みたなもので、柱間がマダラを思い留まらせる為にちらつかせた…との考えは今も変わりませんが…)。


忍刀①

忍刀②

忍刀③

忍刀④

忍刀⑤

忍刀⑥

忍刀⑦


そもそも武器を使う戦闘の場合、身体から離して装備する事を奇異に感じてはいました。それは忍術戦闘においては武器召還(口寄せ…雷光剣化など)が可能だから、自分の手ゴマを見せびらかす必要性はない筈です。これが逆に威嚇の線かとも思わせた機微でしたが、「樹界降誕・城塞の陣」(仮称)の守備力に対する絶対の自信があった上で、マダラの縦横無尽に戦域を駆け巡る戦闘スタイルに対処した柱間スタイルだっと考えます。また、武器を身体から離して装備する事により敵に武器を奪われる難儀な状況も武器が使用者認証の機能を持つ事である程度、防げます(武器を相手に使われなくとも自分が使えなくなる状況はあり得る)。少なくとも柱間には「武器召還<忍刀の提示」の判定はあったのでしょう。

「いよいよだ…
我らが目的を達成するのもあと僅か…
そうなれば全てが本来の形に戻るのだ…」(トビ)

「写輪眼の本当の力が…
このうちはマダラの力が」
(トビ)

雷鳴が轟く雨隠れでペイン(弥彦)と小南を前に、トビが初めてその写輪眼を読者に曝すシーンで(第40巻/94-96頁)、トビがそう叫んでました。僕はトビはうちはマダラそのものではないと思っています。それはトビがかなり不純だから。僕が「終末の谷の決闘」(第43巻/180-181頁)のワンカットに殺られたのは、柱間もマダラも必死に闘ってたからだと思っています。自分の持てる全てで、お互いの存在そのものを懸けた闘いがそこには確かに在った…。お互い正々堂々と死力を振り絞って闘ったからこそ、僕の「芯」は揺り動かされた…のだと思っています。そして、それは今、僕らが見せられているトビの黒幕的な暗躍が示すこ狡さとは明らかに真逆です。もし、トビがうちはマダラそのものならば、正々堂々と満月の晩に火影に決闘を申し込む筈です(笑)。

それはトビ自身も隠してはいなくて、”暁”が目的とする事が達成されるまでは、全ては未だ「本来の形」ではないと、公然と言っています。”暁”の目的の一端は「尾獣集め」にあるでしょう。それは最近の提示で外道魔像と関係していて、その計画名が「月の眼計画」(第453話/「五影会談前夜…!!」)であろう事までは分かっています。トビのこの場の雰囲気からは「月の眼計画」の達成に拠ってうちはマダラの力=写輪眼の本当の力が蘇るのだと言っている様に感じます。ぶっちゃけ、トビは「本来の形」ではない…うちはマダラの名を騙(かた)る何者かであると、僕は考えます。或いは、マダラ自身が「本来の形」に戻る為の仮の姿かも知れませんが、それにしてはマダラの潔さがない…ちゅーか、不純物が多すぎると思う訳。

良い歳ブッこいた大人の「芯」は変わらない…と、僕は思ってる。大人が子供たちを羨ましがるのは、子供が変われるからだから…。身体が柔らかい様に、心も魂も柔らかいのよ。逆に大人になればなる程、ガチガチに固まってしまう。それは別に悪い事じゃなくて、アイデンティティがあるって事で、大人が子供みたいに簡単に変われる方が怖いとも思います。だから、マダラが柱間に負けた事で、一念発起して方針を変えました…これからは腹芸や根回しをガシガシ使いまーす!!と、掌を返したように変われるとは思えないのです。ホントにトビがうちはマダラだったら、組織の先頭に立って肉弾戦でも何でも真っすぐに目標に向かう筈です。マダラに「虎視眈々…」って言うのはどうも似合わないです。それがアイデンティティに対する僕(←ガチガチに考え方が固い…笑)の見解です。

「そしてオレは敗れた
”終末の谷”と呼ばれるようになった
あの場所でな」(トビ)

「オレはあそこで死んだ…とされている
柱間でさえそう思ったハズだ」
(トビ)

「オレはあそこで死んだ…とされている柱間でさえそう思ったハズだ」

「うちはマダラ」 illustration:Cerberus

…で、一応、マダラは「終末の谷」で柱間に殺られてる訳です。ま…殺されはしなかったけど相当な深手…柱間が「死」と認定する状況に追い込まれたのは確かでしょう。実際に「終末の谷の決闘」も決着が付いたのですし、恐らくは九尾もこの時、柱間に鹵獲(ろかく)され、柱間似よって封印(柱間存命時は大巻物に術式化して保管、管理されていた→扉間以降は人柱力として木ノ葉に保有されていた?)されたでしょう。「終末の谷の決闘」は九尾の鹵獲戦としての側面があり、それが柱間の周到に準備された盤石の守備的な戦法に垣間見え、「忍刀」を…まるで餌のように見せつつ、マダラ+九尾の猛攻を受け切る事情が柱間にはあったと、僕は考えています。もしかしたら、マダラにも何かしらの事情があって柱間の「忍刀」が欲しかったんじゃないでしょうか?

「終末の谷の決闘」で千手柱間とうちはマダラが決闘したのには、その決着を機に柱間が忍界の安定に関わる「忍のシステム」(一国一里)を打ち出した事実から、大ガマ仙人の「予言」とも密接に関係していると思われ、ナル×ジャン的には「終末の谷の決闘」の前に千手柱間が六道仙人の審判を受けたであろう可能性を感じています。そもそも、柱間一代限りの「木遁忍術」「尾獣のコントロール」(人柱力としてではなく普遍的な使役能力)は恣意的な外力=六道仙人の信認、或いは許諾があっての異能ではなかったのかと考えています。ナルトも長門に勝利する事で、長門の「外道・輪廻天生の術」を引き出しており、本来、在る筈のない木ノ葉の戦死者の「黄泉返り」を実現しましたよね。

「オレのための輪廻天生の術を
あんな事に使うとは思わなかった…」
(トビ)

「裏切るとはな…」(トビ)

第453話/「五影会談前夜…!!」で、それをトビも悔しがっていて、長門が「裏切った」とまで言っています(笑)。僕はあの一件を輪廻眼=六道仙人の信認だと考えていて、それが大ガマ仙人をして「ほくそ笑ませた」のだと思っています。詳しくは疑問の考察の「大ガマ仙人は何故、ほくそ笑んだのか?」に認(したた)めていますので読んでみて下さい。そして、長門(輪廻眼)のナルトに対する信託こそ、ナルトの「予言の子」の承認であり、「終末の谷の決闘」の一方を担う資格になるのだと思います。…ってことは、それを自分の為の忍術だと言うトビも「予言の子」=忍界の変革者としての要件を欲していた事になり、それをトビが「本命ルート」(第453話/「五影会談前夜…!!」)と呼んでいたのかな…なんて考えています。

ま…何はともあれ、うちはマダラは「終末の谷」で千手柱間の「忍刀」の一振りに身体を貫かれ、柱間でさえ「死んだ…」と思える程に傷付いた訳です。トビが言うのが強がりで、生物学的にはあの時、マダラは本当に死んでしまったのかも知れないし、実はマダラの写輪眼だけが残されていて、それを何者かが利用して、「うちはマダラの力」(=写輪眼の本当の力)を手に入れようとしてるんじゃないかなーと考えてしまう訳です。取り敢えず、現状、トビが黒幕なのは動かない事実でもありますし、かと言って、どうも完全な状態でもない…。そこには何らかの事情があって「うちはマダラの力」の一部分が現状、トビに在るのではないかと思います。多分、それがトビの有する非常に奇々怪々な攻撃のすり抜けなんだと思います。

「図に乗り過ぎでしょ!
君みたいな子に何が出来るってのかな?」(トビ)

<ドッ>「ぶっ!!」(ナルト)

第383話「最終章、そして…!!」で、雨隠れで自来也が「やめてーっ!!」となって気が気じゃなかった頃、ナルトを含む木ノ葉小隊が森の中でトビと交戦してました(第42巻/61頁)。この時、トビはナルトの螺旋丸の攻撃を<スポッ>っとすり抜けさせたかと思えば(第42巻/21頁)、反転、攻撃に出る時にはしっかりと蹴りをナルトのテンプル(頭部)に極めています。つまり、トビの身体はホログラムではなく、しっかりとした実体があるのです。それを何らかの忍術をもって切り替えていると考えられます。僕はその能力が「うちはマダラの力」の一部なんだと考えています。恐らく、「終末の谷の決闘」の柱間に比較すれば明らかに軽装なマダラの武装はその異能に拠って支えられていたのでしょう。

きっと、当時のマダラもトビのように、印もマーキングも不要な時空間忍術?を用いた超速で移動する戦闘スタイルだったと思います。だから、柱間はそれに付き合わず、守備的で背水の陣とも思える不動の構えでマダラの攻撃を受けたのではないでしょうか。しかし、その戦法を実現する為にはマダラが柱間に向かう理由が必要です。折角、柱間が周到に準備したのに、マダラがそっぽ向いたら目も当てられんでしょう(笑)。だから、柱間は「餌」を用意した…それが、柱間の周りに林立した七振りの「忍刀」だったんではないかと、僕は考えとるとです。そして、柱間を「予言の子」とするならば、柱間の「忍刀」も木遁忍術や尾獣のコントロール能力に比肩する輪廻眼(六道仙人=月)に貸与されたアイテムだったりして…(汗)。

「!!」(黒刀!)(角都)

<ザッ><キュイン>(角都)

忍刀⑦

その真偽整合性はおいといて(汗)、現実の提示(この場合はトビの回想ですが…)で、マダラは終末の谷で柱間の「忍刀」の一振りに身体を貫かれています。ナル×ジャン的にはこの時、マダラの胸部を貫いた「忍刀」は現在、木ノ葉隠れのライドウが所有する「黒刀」だと考えてまして、”暁”の飛車角コンビが木ノ葉を強襲してアスマを殺った時に、増援でアオバの烏に紛れたライドウの連係に角都が異常に驚いた描写(第36巻/141頁)がその根拠になっています。角都は柱間と対戦経験がありましたし、その敗戦が元で人外になったんですよね(笑)。しかし、トビが「うちはマダラの力」の一部であろう奇々怪々なすり抜けで攻撃を回避しているのに、本家のマダラが何故、柱間の刺突を回避できなかったんでしょうか?

<バッ>(水月)

<ガッ>「サスケしつけがなってないぞ」(トビ)

(…こいつを腕だけで…)(水月)

第404話「”鷹”と”暁”」で、水月が首斬り包丁で斬りつけた時に、トビがそれに割って入る描写がありました(第44巻/36頁)。その時、トビは水月の斬撃をしかと受け止めました。首斬り包丁が身体をすり抜けなかった…。これがトビの任意ではなく、「忍刀」である首斬り包丁の特性だったんじゃないかと、僕は黒くなってしまったのです。そして、それが「終末の谷の決闘」で対マダラ用に「忍刀」を七振りも用意した理由だった…。柱間の「忍刀」だけが、マダラに物理攻撃する手段だった。だから、マダラはその一本に貫かれ、死んでしまった…かに思われた。ちなみに、マダラが「忍刀」を欲したのは六道仙人の力、或いは外道魔像や、外道魔像が分配する能力に関係していたんじゃないかと想像しています。

「忍刀」だけがマダラに干渉できる!?

そして、辛くも生き残ったマダラは歴史の闇に身を隠し、やがて霧隠れと繋がる事になる…。木ノ葉隠れに「忍刀」の伝承がないのも変と言えば変で、僅かにマダラを貫いた?「黒刀」だけが木ノ葉に残留しているのは、マダラの死亡認定の拠り所となる骸と共に「黒刀」が残っていたからでしょう。問題はその骸に写輪眼が残されていたかどうかです。また、柱間も無傷だったかも定かではなく、戦闘の混乱の中で柱間の「忍刀」も霧散したのかも知れません。そして、何とかして霧隠れと繋がったマダラが柱間との決闘の戦利品である「忍刀」を元に興したのが「霧隠れ忍刀七人衆」だったんではないかと、僕は考えとるとです。柱間の曝した七振りが「忍刀」の全てなら「霧の七刀」の中にはフェイクが混ざっているでしょう。

武器が使い手の要求に拠って改造する事だってあるし、刀剣の場合は甚だしく破損した場合は鍛え直したりもあるので、形が大きく変わる状況はままあります。或いは、「忍刀」が進化する武器であり、使い手の力量に呼応して自ら形を変えて行く考えもあります。再不斬の首斬り包丁が波の国で墓標として墓荒らしに遭わずにズーッと在ったのも普通じゃないから、もしかしたら、「忍刀」をサポートする組織があるんじゃないか?(盗まれないように見張っていた?)…って、疑惑もあるし、再不斬の使ってた首斬り包丁と水月の手にした首斬り包丁は形状が違います。詳しくは「首斬り包丁」(忍具の考察)に纏めてあるので、お時間のある時に読んでみて下さい。「忍刀」に関してはまだまだ「謎」な部分が多いですね。


「…そういうことでしたか
トビがまさかアナタだとは
思いもしませんでしたよ

これで安心しました…
アナタが黒幕なら
私の立ち回りもやりやすい」(鬼鮫)

「元水影様…いや
マダラさん」
(鬼鮫)

忍刀七人衆が一人、鬼鮫の言う「立ち回り」(第44巻/26頁)。「忍刀」の収集に尋常じゃない興味のある水月。これら霧隠れの忍と「トビ=元水影=マダラさん」との繋がり…。特に、最近の描写で水月がトビのスパイっぽいのがあって、それが「忍刀」の収集ともかなり強固にリンクしてる雰囲気が気掛かりでなりません。マダラの唯一の攻撃手段として「忍刀」が存在するのであれば、それを封印、或いは破壊しない…相応にデカイ理由が存在する筈です。それに、トビが鬼鮫の「立ち回り」を容認してもいます。元水影を操ったであろうマダラを責めるざらつきも鬼鮫にはなかった…。今後、これらの不可解な「点」が寄せ集まり、「線」になって行く中で、物語の中に鏤められた「謎」が解けて行く事でしょう。

個人的には…鬼鮫が「立ち回りやすい」と、トビに濁す機微が、ツーマンセルの相棒だったイタチ「薫陶」の賜物だと、僕は期待しております。同時に、その期待が、「忍刀」の使い手である責務を果たしたかのような…「桃地再不斬」のしでかしたクーデターと重なれば痛快じゃないですか!!…今も波の国の何処かにあるだろう…再不斬と「白」の墓前におまんじゅうとお花を供えて、お線香をくべて、その報告が出来たら良かったのにな…と思いにふける…静かで平和なお盆休みでした。



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「強化・八卦の封印式」(終末の谷の決闘…第八撃)

  
「その数多くの忍一族の中にあって
最強と恐れられた二つの一族があった
それが我らが"うちは一族"
"森の千手一族"と呼ばれる一族だった」(トビ)

「我らうちは一族
図抜けたチャクラ写輪眼を有し
あらゆる戦闘に長けた
いわゆる戦闘一族として知れ渡っていた
そして、オレはそのうちは一族の中でも
特別に強いチャクラを持つ者として生まれた
しぶとく生き長らえているのが
その証と言ってもいい」(トビ)

「かつてのオレは
戦いに明け暮れていた
がモノを言う時代
オレはより強い力を求め
も弟もこの手にかけた
だがそのお陰で
完全なる万華鏡を手に入れ
オレはうちはのリーダーとなった
そして そのを使い幾度となく
千手一族と戦った
千手一族の長
柱間を相手にするのは
仕方の無いことだったのだ
のちに初代火影となる
木遁の千手柱間(せんじゅハシラマ)
この忍の世界の頂点であり
オレの憧れの忍だった」(トビ)

サスケの「儀式」でトビが「木ノ葉のはじまり!!」について話した行です(第43巻/167-169頁)。「今より八十年以上も前の話だ」(第43巻/166頁)と、トビが前置きするように一般的な人の寿命が尽きる程度の昔と考えられます。それが木ノ葉の草創期。「忍の組織はまだ一族単位の武装集団でしかなく…」(第43巻/167頁)とあるように、ある程度の規模で忍が存在する…六道仙人の説いた「忍教」「忍術」として普及した後の世界と考えられ、トビの回想のカットに「満月」(第43巻/166頁)が描かれている事から、六道仙人が「月」を創った後…つまり、ナル×ジャン的には六道仙人がお隠れになった以降のタイミングだと考えます。

ま…トビの自慢話(笑)によりますと、この時代に二人の傑物が居たと言う事の様です。一人が「図抜けたチャクラ」を持つ「うちは一族」にあって…中でも「特別に強いチャクラ」を持っていた自分=うちはマダラと、その大したチャクラ(力量)を有するマダラが尊敬する忍…それがもう一人で「木遁(チャクラ)の千手柱間」だったと言うお話です。基本的にマダラの自慢話だと僕は思ってるんですが、この二人が木ノ葉隠れの里を創ったとされる事実から、ブイブイ言わせていたのはホントの様です。そして、この「特別に強いチャクラ」の二人が雌雄を決する闘いをする必然があった…。それが「終末の谷の決闘」の正体であると、僕は考えている訳です。

忍が忍たる由縁はチャクラを扱える特殊性にあり、それが一般社会と忍を明確に線引きする差異なのだと思います。『NARUTO-ナルト-』の世界観としての身分制度はあまり描写はありませんが、明らかに武力(戦闘力)の高い忍が世界の天辺に立たない態度には、描かれざる「差別」があった筈で、人を殺める職業の忍が社会的に賎(いや)しい身分であった可能性は否定できないでしょう。ただ、それを忍が負い目と感じる雰囲気もなく、チャクラが扱える資質を活かす『天命』を受け入れた生き方をするようにも見えます。非常に不合理で不条理ですが、それが忍を忍として縛る「忍のシステム」なのだと思います。

「それにサスケは抜け忍
普通は抹殺するのがセオリー」(カカシ)

綱手様だったから
穏便に図らってくれただけだ…」(カカシ)

第452話「ダンゾウに迫る!!」の(サスケ…お前どうなっちまったんだ…!!)のナルトの心配を他所に、カカシ様までが「忍のシステム」本性をチラリと漏らしています(笑)。忍として生まれる…忍のシステムに一度でも組み込まれれば、決して抜けられない…そんな厳然とした「掟」が支配する世界なのでしょう。このシステムを確立したのは千手柱間だと思いますが、チャクラを有する異能者の規制の必要を鑑みたものとも思います。しかし、「忍術」はどう見ても人を殺めるスキルだから、それを扱う忍が好むと好まざる…に関わらず人を殺め、憎しみや痛みに雁字搦めになって行く…それが長門が悩んだ「痛み」そのものなんだと、僕は思いますが…不条理を内包する問題点が多々あった訳です。

「オレは自来也
信じる事ができなかった
イヤ…自分自身をも…
だが…お前はオレとは違った道
歩く未来を予感させてくれる…」(長門)

「お前を……信じてみよう…
うずまきナルト…」
(長門)

第448話「形見…!!」で、長門はナルトを信じ、「外道」の力を使う決心をします。大ガマ仙人の分析(「大ガマ仙人は何故、ほくそ笑んだのか?」参照)からは、それが「輪廻眼の解脱」にも思え、それを持って「予言の成就」ともされそうな勢いの一大事なんです(笑)。よく考えると、長門は前記のような問題を内包する「忍のシステム」の変革をナルトに委ねた訳で、長門が六道仙人(輪廻眼)の正統な系譜にある事実を重んじるならば、長門がナルトに委ねた未来とは「忍教→忍術」の権利者とも言える「輪廻眼」の下す「忍のシステム」を変革する「許可」であったとも取れます。ちょっと余談ですが…予言の成就とは輪廻眼が変革者を承認を意味するのであれば、大ガマ仙人の「夢」(予言)に六道仙人が関係(六道仙人が夢を見させた?)していた可能性は非常に大きいと思います。

そもそも六道仙人は何らかの意図を持って「忍教」を生み出し、それが「忍術」へと進化する過程を「忍」に委ねた訳で、それは忍のシステム=「一国一里」を考え出した柱間によって方向性を見出したのだとも言えるでしょう。一時は忍界はその方式によって安定し、世界的な支持を得て、「一国一里」が各国に定着しましたし、国家と忍の関係性を真正面から考え、それぞれが共生する道を模索した方法論として優れたものだったのでしょう。しかし、それでも世界は混迷を深め、「忍」の存在が、痛みや憎しみを連鎖させる構造は変わらなかった…それを長門は嘆いていたのだと思います。ぶっちゃけ、「一国一里」や、それに付帯する「忍のシステム」を考え直してはどうかと…長門は”暁”でそれを世に問う活動をしていたのかも知れませんね。ま…それをトビに利用されてた訳なんだろうけど…。

ゴミのようなと…
永久に続く憎しみと…
癒えない痛み……
それが……戦争だ…

ナルト…
お前がこれから立ち向かう事に…
なってくるものだ…」(長門)

といい…お前といい…
誰かが全て…仕組んだ事のように…思える…
イヤ…これこそが…本当の神の仕業なのか……
オレの役目はここまでのようだ……
ナルト……お前だったら…本当に―」(長門)

結局、柱間の「一国一里」も大きな欠陥を内包したもので、数多の犠牲の上に「痛み」を世界に齎して来た事実があるのです。そして、その中に長門も居て、それが柱間以降の忍のシステムの問題点を一方の「予言の子」として体験した。そして、もう一方の「予言の子」であるナルトと「ド根性忍伝」が引き合わせ、瓦解に導いた…(第449話/「希望の花」)。そして、これを見て予言者である大ガマ仙人がほくそ笑んだと言う事は、変革者になる為に長門=輪廻眼の承認が必要だったのではないか?と考察する理由がここに在る訳です。ちょっと堅苦しいお話ですが、「忍教→忍術」の創始者=権利者の承認があって、柱間が考え出した忍のシステムを「ポスト柱間」の変革者として大鉈を振るう承認を長門戦でナルトは手中にしたのではないかと、ナル×ジャンでは考えている訳です。

ナル×ジャン的に、写輪眼とは白眼をベースに人為的に生み出された生体兵器であり(「うちは虐殺」終末⑥参照)、そのクリエーターが六道仙人(輪廻眼)だったと考えていまして、写輪眼とは「忍術」の超タカ派的存在…忍術のダークサイド=「闇」であり、千手柱間が非六道仙人側の代表として写輪眼と戦うところに、かつて六道仙人が説いた「忍教」が進化・発展した「忍術」の在り方を問う…六道仙人が遺した試練の最終関門とすれば、「終末の谷の決闘」が具体性を帯びてくる事に気付くと思います。結果的に、柱間VSマダラの「終末の谷の決闘」で、柱間は勝利し、「一国一里」を根幹とする現行の「忍のシステム」を構築した訳です。あの時、マダラが勝利したならば、きっと別の変革があった筈です。

そして、度重なる忍界大戦で問題点が露呈した「柱間のシステム」に変革のタイミングが訪れようとしている……。ナルトはその前段階の輪廻眼(六道仙人)の承認が与えられた状態で、大ガマ仙人が「予言の成就」を感じる機微には、正式な変革者としての資格を得たのだと考えて良いでしょう。ナルトがここまでの力量を得る事ができたのは、「九尾事件」での九尾の封印によるチャクラ(身体・経絡系)の強化。そして、それを可能にする「八卦の封印式」の存在なくしてはない…「愛」(=光)による強化であったと、僕は考えています。そして、その対極に在るのが「サスケの闇」であり、イタチが主導する「うちは虐殺」以降のサスケの(精神のダークサイド)への強化の方法論だったと言えるでしょう。

”暁”の一人
をしている男だ」(ミナト)

勿論、写輪眼もただ運命を受け入れるだけではなく、「心」がある人を宿主とする以上は、輪廻眼・六道仙人の意向に反目する「自我」が芽生えたとしても不思議はなく、それが「九尾事件」で木ノ葉を襲った”暁”の黒幕の本懐なのではないかと、僕は考えています。その失敗(九尾の鹵獲)が、イタチをして「負け犬」(第42巻/127頁)と揶揄されるのは、写輪眼の正統な役割から逸脱してるからでしょう。逆に、イタチが示すマダラ(黒幕)との温度差には、イタチは写輪眼の存在意義に沿った正統な方法論での「終末の谷の決闘」へのアプローチを感じます。ただ、「九尾事件」での九尾の鹵獲がイタチの選択肢を制限した筈で、それが何らかの事情で不可避だった「うちは虐殺」に便乗する形で実現した「サスケの闇」の強化だったとするのが、前回の終末⑦の考察です。

「オレの”器”
この下らぬ一族絶望している」(イタチ)

一族などと…
ちっぽけなモノに執着するから
本当に大切なモノを見失う…
本当の変化とは規制や制約…
予感や想像の枠に収まっていては
出来ない」(イタチ)

既に九尾がミナトに奪われた前提を受け入れたイタチは、サスケのチャクラを強化する為にサスケに「闇」を与える方法論を選択したのであって、「九尾+真・万華鏡写輪眼=うちはマダラ」に匹敵する「特別に強いチャクラ」を錬成する目的であったのだと、僕は考えます。イタチが「シスイ事件」(虐殺前夜…第六夜)で吠えたのは、先の「終末の谷の決闘」で敗れたマダラの無念と、写輪眼の存在意義を忘れ去ろうとしている一族への警鐘だったのではないかと、僕には思えます(第25巻/101-102頁)。イタチが熱弁する「本当の変化」とは「忍の変革」を決する「終末の谷の決闘」を意識した形容だったのではないかと思えてなりません。勿論、イタチが言う「器」とは写輪眼を運ぶ宿主としての「うちは一族」だと思います。木ノ葉隠れの里に埋没し、一般的な常識や規範に支配される「うちは一族」に対する絶望感をイタチは熱く批判していたのではないでしょうか。

組織に執着し
一族に執着し
に執着する…

それは、を制約し
己の"噐"を決めつける
忌むべき事…」(イタチ)

「そして、未だ見ぬ…
知らぬモノを恐れ憎しむ…
愚かしき事!!」(イタチ)

イタチは木ノ葉隠れの里の上層部が「うちは一族」に送り込んだスパイですから、当然、「うちは一族」のジリ貧にも気付いていた筈です。それでイタチは有名無実化する一族を嘆いていたんでしょう(第25巻/98頁)。「シスイ事件」を引き金にその想いが物静かなイタチを激昂させ吹き出す様が非常に痛々しいです。この時点で、イタチは既に万華鏡写輪眼を開眼していて、マダラとはそのズーッと前から関係があったようです。それは”暁”に組みするイタチの一面を明確に示していて、複雑な政治状況の中で「うちは虐殺」の如何にも不可避な現実に焦っていて、この期に及んで、それに目を向けない一族の上役や父・フガクを痛烈に批判していた…。その上でイタチは「終末の谷」で「うちは一族」が果たすべき役割を、サスケに託す「生き様」を粛々と突き進んで行ったのだと思います。


「あの時
九尾を操り
里を襲わせた黒幕がいる
それもかなりのを持つ忍だ」(ミナト)

「特別な力がなければ
到底太刀打ちできない」
(ミナト)

「おそらく
そいつはまた里を襲う」(ミナト)

第440話「四代目との会話!!」で、初めて逢う事ができた我が子にボディブローを貰うと言う悲劇に見舞われながらも、健気に息子(ナルト)に「九尾事件」の周辺の事情を説明しているミナトに何気に泣けましたが(笑)、ミナトは「終末の谷」を意識して九尾を鹵獲→封印したとは思えないです。ミナトの説明では木ノ葉を襲った黒幕の力量を打ち破る為の「特別な力」の獲得がナルトに対する九尾搭載の目的であり、もしかしたらミナトは「終末の谷」など眼中になかったのかも知れません。しかしながら、ミナトが九尾を黒幕(恐らく写輪眼)から奪取した事により、写輪眼側(イタチ)としては選択肢が制限された訳です。なので、サスケの強化に関してはイタチが先んじて在った「九尾事件」の顛末を踏まえた上で、アジャストしたのではないかと思われます。

イタチが「うちは一族」の本当の存在意義に沿った行動をしていたのは鉄板に感じてるんです。でないと、「シスイ事件」であんなイミフな切れ方ってなかったと思うので。しかし、写輪眼の最強コンボの九尾を鹵獲され、それを放置(ナルトを殺して九尾を奪還しない)のは、「終末の谷」で戦うべき一方を重視した結果ではないかと思います。個人的には「うちは一族」にスパイとして潜り込んだイタチの意識には燦然と光り輝く四代目火影・ミナトの存在は神々しくもあったと思え、ミナトの命懸けを重く見るベクトルにはそれ程不整合を感じません。それにプライドの高い「うちは」ですから(笑)、二番煎じに浴するよりは、独自に別の選択肢を選ぶのも道理に思えます。九尾を搭載したナルトが、サスケに闇を強いた…それも「運命」が持つ残酷さであり必然だったのかも知れません。


四象封印が2つ…二重封印
八卦の封印式かの…」(自来也)

「四象封印のから漏れる
九尾のチャクラ

この子のチャクラに
還元できるように組んである…」(自来也)

「………この子を守るためだな…
……四代目よ…」
(自来也)

ナルトへの九尾の搭載(封印)の中核に「八卦の封印式」があります(11巻/17頁)。そして、それはミナトが第440話「四代目との会話!!」で提示が在ったようにナルトに「力」を与える…つまり、ナルトの強化が目的だった訳です。自来也も「胸騒ぎ」で、暗にそれを指摘していましたっけ。「八卦の封印式」に関する考察は何本もあって、「ミナトは何故、ナルトに九尾を封印したのか?」「九尾の陰(かげ)のチャクラって何だろう?」「ミナトは何故、八本目で現れたのか?」(以上、チャクラの考察)は是非とも目を通して頂きたいです。一連の考察でも所々で触れておりますが、「八卦の封印式」の愛情?特性やナルトに対する数々の不思議?な影響力を考慮すれば、この術式を本当にミナトが施したのかと、些か不安にすらなります(笑)。ぶっちゃけ、男性的ではなく女性的。父親と言うよりは母親…で、「八卦の封印式」には父性としてのミナトをあまり感じないのです。

「いつもナルトくんを追いかけて…
ナルトくんに追いつきたくて…
いつだってナルトくんと一緒に歩きたくて…
いつもナルトくんのところへ…
ナルトくんが私を変えてくれた!
ナルトくんの笑顔が私を救ってくれた!
だからナルトくんを守るためなら
死ぬことなんて怖くない!!」(ヒナタ)

「私はナルトくんが―
大好きだから…」
(ヒナタ)

特に自来也の初登場で、ナルトの腹に浮き上がった封印式を見る自来也の重苦しい横顔には、想像を絶する覚悟を持ったナルトへの封印を臭わせ、同時に天道戦でのヒナタの鬼気迫る「告白」(第437話/「告白」)での、「八卦の封印式」が見せた?不可解な反応…「ナルトは何故、いきなり六本目になったのか?」(疑問の考察)に切々と綴っておりますが、どうしても「八卦の封印式」には母・クシナの存在を感じてなりません。ヒナタがそうだったように、自分の命と引き換えに子供を護る情念は父親と言うよりは母親にあると思え…例えば、イルカさんが「ミズキ事件」でミズキの風魔手裏剣を背中で受けてナルトを護ったり、ヤマトに対するカカシの描写のナルトへ向かう敵の攻撃を排除するモノだったり…敵に向かわずに子供を庇う方向に働き、そのベクトルに強い母性を感じるのです。

父親とは「如何に生きるべきか」を子供に教えるべき立場にあるから、自分が死んでしまう方向の力の発露は考え辛いです。それじゃミナトの屍鬼封尽はなんだったんだ…となりますが、やはりミナトの力は九尾に向かい、「九尾の陰(かげ)のチャクラ」を死神に運び、残されたクシナが「九尾の陽のチャクラ」をナルトに封印し、九尾のチャクラからナルトを護る方向に顕現すると考えるのが、ナル×ジャンの歪んだ父母の愛の特性には適います(笑)。そして、木ノ葉の全ての忍が手を拱く中、天道の前に単身飛び出して「告白」と言う名の大見得を切ったヒナタのド性骨に応えた…どうしてもナルトの意志とは無関係に見える…一気の六本目の覚醒に関しては、ヒナタの女心に「八卦の封印式」である…(しゅうとめ)であるクシナが呼応したとしか、僕には思えん訳です(笑)。

「うれしい時には
泣いてもいーんだぜえ!」
(ナルト)

それと、僕はナルトの異常者っぷりに注目していて、その機微は枚挙に暇がない(笑)。異常者って言うのは聞こえは悪いですが、ナルトの生い立ち、生活環境(特に食生活…主食がラーメン…カップ麺と腐った牛乳ですよ!!…笑)をもってして、何であんなに快活に育つかが説明できない!!例えば、「波の国任務」でイナリを許容した笑顔(第3巻/124頁)。何であれがナルトにできるのか?あの行をサスケが見ていたら、その場で卒倒するか、失禁しましたぜ……きっと(笑)。寒々しい独ぼっちの住居で、独ぼっちの食卓で、おまけに虐められて…無理…そんなの……な状態で、曲がらず折れずしなやかに、ナルトが育って来れたのは、ナルトにオプションが装備されてないと説明できないのです!!

「………この子を守るためだな…
……四代目よ…」
(自来也)

それが自来也の驚きの横顔なのだとしたら、自来也もナルトの「八卦の封印式」にクシナを感じて、それを許したミナトの覚悟に震えたんんではないでしょうか。自来也が走馬灯で見せたクシナに対するガラス細工を扱う様な繊細な眼差しは、可憐でか弱い…忍と言うには淑やかで奥ゆかし…ぶっちゃけ、無茶苦茶にメンコイ女子をイメージしてた筈で、そんな女の子が一命に替えて、九尾をナルトに齎し、時を経た今もナルトを護り続ける壮絶な覚悟(生き様)に震えずには居られなかったのだと、どうしても僕は考えてしまう訳です。そして、母の温かい想いが常にナルトを不安にさせないからこそ、ナルトはこんなにも快活に、不幸や不遇に硬直しないしなやかな成長を遂げた…と、僕は確信するのです(笑)。

今にして思えば、これまでナルトは数々の出逢いと別れを繰り返して来ました。その刹那を決して見逃さず、もの凄い効率で自分の血肉に換えて来た…無理…そんなの…な成長を肯定する為には、どうしてもヒーロー故のズッコがない事には説明するスベが見当たらんのです。それでナルトに搭載されたオプションに目を向けると…九尾と、それをナルトに閉じ込める「八卦の封印式」しかない…。九尾がナルトのしなやかさを生むようにはどう転んでも見えないので、やはり、「八卦の封印式」がナルトに異常な強さ…ナル×ジャン的に言うところの「しなやかさ」を与えていると、僕にはどうしても思えると……もう、しつこいと言われましても、こうでもしなければそれこそ、無理…そんなの……なもので(笑)。

「………」(何だ…この気持ち
下腹の辺りがキュンとする」(ナルト)

「オレはお前とも闘いたい」(サスケ)

(それにゾクゾクする)「ハッ」(ナルト)

今にして…ですが、木ノ葉病院の屋上でサスケとナルトが殺り合う事になった時(第20巻/71頁)、ナルトの下腹が<キュン>としたのも、僕には「八卦の封印式」が将来、想定される「決闘」を想像して喜んだようにも見えました。これをナルトの性的な機微に捉える考えもあるけれど、どちらかと言うと、ナルトの盤石な情緒が性的に揺れるとは考え難く、ナルトの異常な昂り方は、本来のナルトにない機微であり、ナルトの内なる何か…「八卦の封印式」の中に残留する親心の揺らぎだったのではないかと、僕は考えるのです。ぶっちゃけ、ナルトの曲がらなさ・折れなさや、目に余る恋愛不感症など、ナルトの異常者っぷりは、ナルトの内の第三者(ナルトと九尾以外)の存在がないと説明し辛い…って言うか…やっぱ、無理…そんなの……っと、なってしまうのです(笑)。


「も…もう一度
やってみるけんのう…」<ムクッ>(フカサク)

<トン>(仙法・両生の術!!)(フカサク)

「!!」<ゾクッ>「ぬわっ!」<バシィ>(フカサク)

仙術修行の土壇場で「融合」(両生の術)が拒否られたのも(第46巻/47-48頁)、僕は「八卦の封印式」の拒否だったと考えています。自来也の仙人モードの最終形態の双肩に融合する二大仙人はナル×ジャン的には『モンペ(モンスターペアレント)認定』されてて、仙術チャクラの供給をダシにした監視に近い介入であって、ミナトも融合を拒否した可能性(ミナトは何故、”黄色い閃光”だったのか?)があったし、それを許す「八卦の封印式」ではなかったと思います。描写でも、九尾のチャクラに恐怖しているのはフカサクだけで、ナルトは全く何も感じていません。それはナルトの中にあっての治外法権…完璧に隔絶された結界空間、或いは強固な金庫とも言える…「八卦の封印式」の拒絶有り体に言ってしまえば、妙木山の介入を門前払いしたクシナのフィルタリングだったと思います。

「強化…八卦の封印式」(終末⑧)

「八卦の封印式」 illustration:Cerberus

「うちは虐殺」によって深い深い「闇」に突き落とされ、精神の暗黒面(ダークサイド)を拡張する事で、強いチャクラを錬成し、最愛の兄を自分の手で殺してしまった事に拠る多大なる後悔を持って”万華鏡写輪眼”と言う「闇の瞳力」をその手にしたサスケの強化に対し、ナルトは「八卦の封印式」と言う…九尾のチャクラすら解毒してしまう程の「愛のフィルター」を搭載され、(何故だか…笑)年々緩む封印式の隙間から漏れ出す九尾のチャクラに常時曝される事で徹底的に肉体や経絡系を鍛えさせる強化方法で圧倒的なチャクラ量とチャクラの強さ=「力×量」を獲得して行った訳で、傍目には全く意識されないけれど、24時間、お母さんが諦めないド根性でしがみつく…愛に溢れた強化を享受していたのだから、ナルトの真実を知ったら、きっとサスケは悔しがるだろうなーと思います(笑)。

サスケが堕ちたのはナルトのせいだとも言って良いくらいで、我愛羅戦でナルトの大活躍で強烈な劣等感を抱いたサスケが今さらながら可哀想に思えてなりません(笑)。ま…それもこれも「終末の谷の決闘」に向けたチャクラの強化が第一義にあって、忍の世の変革者を決する為の闘い=「終末の谷の決闘」に向けた写輪眼のチャクラ(闇)と、それを打ち破れる…図抜けたチャクラ(愛=光)の強化論のせめぎ合いが、子供らの意向をそっちのけにして水面下で繰り広げられていた訳で、それは多分、千手柱間とうちはマダラのような自然(天秤)な錬成ではならなかった本能の薄れを補完する親心で、ミナトやイタチをしてもならないほどの…半端ない(ぱねー)チャクラ…途方もない『力量』だったのだと思います。でも、ま…親はいつも子に、自分が叶わなかった夢を託すものなのよ…(笑)。

基本的には考察したようにイタチ側…つまり、写輪眼側からのアジャストがあったからこそ、ナルトの強化が残ったんだとは思います。しかし…100%がイタチの意図したものではなく、ある程度の「偶然」が重なった結果、ナルトとサスケの全く違ったチャクラ強化のアプローチが成ったのです。きっと、この「偶然」を僕らは「運命」と呼んでいるのでしょうが、何とも美しく…何ともドラマチックです。恐らく、ナルトとサスケはもう一度「終末の谷」と呼ばれる場所で決闘する事になるでしょう。そして、その決闘の勝者が忍界の新しい秩序を構築する事になると思います。そして、忍界の誰もが納得する圧倒的なチャクラ…それを錬成する努力がこうして行われていた訳です。「九尾事件」「うちは虐殺」…二つの大事件がナルトとサスケの強化を促した…。全ての真相白日の下に曝される日は近い…。


    

「強化・闇」(終末の谷の決闘…第七撃)

 
「オレは復讐者となり
木ノ葉隠れの里に戦いを挑んだ」(マダラ)

「そしてオレは敗れた…」(マダラ)

”終末の谷”
呼ばれるようになった
あの場所でな」(マダラ)

第399話「すべての始まり!!」…単行本43巻の180~181頁の見開きのカット…千手柱間とうちはマダラが闘った…。僕はこの…たった一枚のカットにインスパイアされて「終末の谷の決闘」を書いています。そして、この見開きで提示されたアイテム「月光」(終末①)、「首斬り鎌」(終末②)、「柱間の大巻物」(終末③)、「七振りの大刀と大型手裏剣」(終末④)…の分析し、「九尾事件」(終末⑤)、「うちは虐殺」(終末⑥)では、「終末の谷」から望む二つの大事件について考察して来ました。その積み重ねで千手柱間とうちはマダラの決闘に震えた当初の閃きが…「終末の谷の決闘」が『NARUTO-ナルト-』の「すべての始まり!!」である予感が、しっかりとした確信に変わって来ました。

「何もここまで大きなものを…」(小南)

「…相手は九尾だ……
…それに六道仙人の作ったと言われる
月に比べれば……
大した事はない」(長門)

これまでの本編での提示で、『NARUTO-ナルト-』の世界観の中で大きく回転するお話が「大ガマ仙人の予言」「終末の谷の決闘」の二つに大別されるものと、ナル×ジャンでは考えていまして、それに第439話「地爆天星」でサクッと提示された六道仙人と「月」との関係。そして、輪廻眼継承者が自来也の弟子…つまり、「予言の子」だった事実が「予言」と「終末」との接点になろうとは……。ま…しかし、この接点こそが『NARUTO-ナルト-』をややこしくしている元凶で…基本、「予言」と「終末」は一部が交錯するものの別の基軸であると認識するべきだと、ナル×ジャンでは考えています。それも、今後の展開で提示される描写で変わりますが、現状の材料では分別して考える方が合理性があると思います。

「どうなったんですかいのう!?」(ガマブン太)

予言通りじゃ…
自来也の弟子共が予言の子として交わり
忍の変革を導く者達だったとは思わなんだが
あの時…自来也が諦めん選択をした時点で
この事はもう決まっていたのかもしれんのう
……あの本(ド根性忍伝)が本当に世界を変える鍵
なるとはのう」(大ガマ仙人)

第449話「希望の花」で提示があったように、妙木山の大ガマ仙人の「予言」とは、六道仙人の影響力外道の消去…寧ろ、「解脱」と言うべきか…輪廻眼の試練を乗り越えるところにあり、それが「外道・輪廻天生の術」の発動をもって「予言の成就」を感じた大ガマ仙人の機微から考察した「大ガマ仙人は何故、ほくそ笑んだのか?」であります。つまり、ちょっと早計かも知れませんが、「予言」に関しては閉じた…と、まあ、一応、ナル×ジャンでは見解しております。これも、大ガマ仙人の早とちり(ボケ?)の可能性…もう少し黒くなるならば”暁”の黒幕の関与…「予言」と「終末」の接点が影響している可能性もあるんですが、ここは一つ、小南がナルトに差し出した「希望の花」に免じまして…(笑)。

…と言う事で、『NARUTO-ナルト-』に残された物語の基軸…「終末の谷の決闘」に向かって全てが収束して行く流れこそが、『NARUTO-ナルト-』の大団円であると考えている次第です。ただ、「忍の変革」に対するアプローチとしての「予言の成就」としては未完であり、大ガマ仙人が夢にも見なかった…”大ドンデン返し”をナルトが魅せてくれる筈で、それこそ「予言の子」としてのナルトの使命であると思います。しかし、ナルトが大ガマ仙人をほくそ笑ます結果を齎した時点で一応…「予言」の課題はクリアしたと…考えても良いかなーというところです。そして、それがサスケの「闇」を…そして、その「闇」を必要とする意味を、そろそろナル×ジャンで書いても良い頃かと考えるに至った理由です。


「我らうちは一族は
図抜けたチャクラと写輪眼を有し
あらゆる戦闘に長けた
いわゆる戦闘一族として
知れ渡っていた」(トビ)

「そしてオレはそのうちは一族の中でも
特別に強いチャクラを持つ者として生まれた」(トビ)

「しぶとく生き長らえているのが
そのと言ってもいい」(トビ)

トビ(マダラ?なのかは未だ認定できず)がサスケの万華鏡の「儀式」の序盤で説明するんですが(第43巻/106頁)、うちは一族の特殊性である「チャクラの強さ」について言及しています。未だにマダラ認定できないでいるトビが生き長らえる根拠としても、その「チャクラの強さ」が引用されています。それは単に写輪眼が瞳力の出力デバイスとして存在するだけでなく、特別なチャクラが支持する力量の発露であり、それが生死を超えるという意味においては、輪廻眼のチャクラにも匹敵する「神秘」があるものと思います。この「神秘」に関しては、そもそも「チャクラって何なのか?」という疑問が存在します。その答を求めて行く事も「終末の谷の決闘」の考察の使命だとも思います。

兎に角、うちは一族とは「図抜けたチャクラと写輪眼…」を有する集団であり、それが忍の世界で頭角を顕す根拠であったと言う事は確かです。写輪眼はカカシへの移植でも機能するかなり独立性の高いデバイスではありますが、それだけでない事は、写輪眼の瞳力を使う度に病院送りになるカカシのエピソードでも明白だと言えるでしょう。カカシは特別に優秀で、恵まれた才能と、”木ノ葉の白い牙”の勇名を馳せた名血に支えられた特殊性があったればこその写輪眼の稼働であり、それが写輪眼を持つうちは一族の特殊性を逆に証明する様なもので、うちは一族が基本的に持つチャクラ特性のアドバンテージを物語っているのだと、僕は考えています。ちなみに忍の優劣に関して「力量」という言葉を頻繁に使うのはその考えに準拠するものでもあります。


「今の…貴様など…
殺す価値も無い
…愚かなる弟よ……
このオレを殺したくば
憎め!恨め!」
(イタチ)

「そしてみにくく生きのびるがいい………
逃げて…逃げて…生にしがみつくがいい」(イタチ)

「そしていつかオレと同じ”眼”を持って
オレの前に来い」<ギン>(イタチ)

「うちは虐殺」でイタチがそう言ってサスケを眠らせます(第25巻/150-151頁)。実際は、これを機にサスケが写輪眼の第一次覚醒を果たし、イタチの万華鏡写輪眼の催眠眼を跳ね返し、反転攻勢に転じ、イタチの額当てを落とさせる一矢を報うのですが、それは後述するとして…、一族を皆殺しにしたとされる(「うちは虐殺」は未だイタチがホントに仕出かした犯行であったとはナル×ジャンでは認定しておりません!!)件の締めに、サスケが醜く生きのびるように命じた辺り、イタチが汚名という泥を被る為の対価と受け取っていいでしょう。トビの「儀式」でもそれを散々強調していて、イタチがサスケを不幸のどん底に突き落とす事に「うちは虐殺」の真意があったのだと、僕は考えています。

(兄さん…
アンタを殺すためなら
この先がどんな闇だろうと
オレは突き進んでやる!)(サスケ)

(どんな事があっても
力を手に入れてやる!!)(サスケ)

第一部のサスケ奪還任務のサスケの長ーい回想が明け(第43巻/162頁)、サスケが明らかに「闇」の中に身を置き、同時にそれが何も無くなってしまったサスケの生きるモチベーションになっている事に気付かされます。サスケの「闇」はイタチが生み出したものであり、サスケはそれにドップリと浸かる…しがみつく?…事で生きているように思います。この一連のイタチの「もしかしたら…良い人?疑惑」に関しては、イタチの残した最後の言葉…「許せサスケ……これで最後だ」(第43巻/236頁)によって事実認定されています。皮肉にも、このイタチの時限爆弾がサスケの万華鏡写輪眼の覚醒を促したのですが、トビの説明云々を抜きにしてもイタチのサスケに対する想いの清さは鉄板と言えるでしょう。

「里を抜けた時より
お前と戦い死ぬことを
心に決めていたのだ」(トビ)

「その時
お前に新しい力を与えるため…」

トビ的には「新しい力」とは万華鏡写輪眼だったと思います(第43巻/204頁)。しかし、それだけの為にイタチが「うちは虐殺」を仕出かした(とされる…ですよ、あくまでも)訳ではないと、僕は考えています。トビがイタチの真意に気付いていないとも思えませんが、イタチがサスケに与えた「闇」が、トビの言う「新しい力」の本体であろうと、僕は思います。そして、それが「儀式」の序盤でトビがサスケに自慢(エクスキューズ?)した、うちは一族の図抜けたチャクラ…そして、マダラがその中でも特別に強いチャクラを持っていたとする事実に符合するのだと思います。ぶっちゃけ、イタチはサスケに図抜けたチャクラを与える為に、サスケを「闇」に追い込んだと、僕は考えているのです。

「十六年前―
九尾が木ノ葉を襲った事件は
もちろんマダラが起こしたものだ

それも四代目によって阻止されてしまった
つまり…」(イタチ)

「今のマダラは負け犬だ…
うちはの本当の高みを手にするのは
ヤツじゃない」
(イタチ)

イタチがサスケを「闇」に追い込まざるを得なかったのは、「九尾事件」(第42巻/127頁)で九尾を鹵獲(ろかく)されてしまったからだと、僕は考えています。「うちは虐殺」の約7年前に起こった「九尾事件」で、その主犯格=黒幕=「”暁”の一人、面をしている男だ」(第440話/「四代目との会話!!」)をイタチは「マダラ」としていまして、九尾を屍鬼封尽された事で「九尾事件」が終息してしまった事実を、イタチが「負け犬」としているところに注目すれば、九尾と写輪眼のセットが「うちはの高み」を意味するであろう事に気付くと思います。しかし、その九尾を四代目によって奪われてしまった…。その落胆がイタチに別の選択肢を選ばせたのではないかと、僕は考えています。

「かなりの力を持つ忍だ
特別な力がなければ到底太刀打ちできない」(ミナト)

「おそらくそいつは
また里を襲う」
(ミナト)

ミナトがナルトに九尾を授けたのはナルトに「特別な力」(第440話/「四代目との会話!!」)を与える為でした。そして、その命懸けの封印が黒幕の撤退を余儀なくさせた訳であり、それをイタチが「負け犬」としているのです。つまり、「九尾事件」は「写輪眼=うちは」から「高み」を奪う戦いでもあった訳です。それが、「写輪眼+九尾」の写輪眼最強コンボと考える根拠でありますが、ミナトが九尾をナルトという金庫に仕舞ったにも関わらず、黒幕の再臨を予見するのには、黒幕の力量に対する別の不安があった筈です。恐らく、イタチはその…ミナトが危惧する…サイドからアプローチする方法論をサスケに施したのだと思います。別の方法でも「うちはの高み」を掴み取れる…という事なのでしょう。

ここでチクッと疑問に思うのは、九尾が「うちはの高み」を得る為のアイテムであるならば、イタチがナルトを奪取し、サスケに与える手段もあった筈です。しかし、イタチはそれとは別の方法で「高み」を目指した…。これはきっと、四代目の行いに対するイタチの理解が存在したのだと思います。「九尾事件」当時、イタチは5歳。その時点でミナトとイタチの接点がもしあったとして、イタチであればミナトと理解し合える程の知性や認識力があったでしょう。既にうちは一族の監視の任務にもイタチは就いていた訳だし、イタチとミナトが面識があった可能性は非常に高いと思われ、もっと積極的に情報の交換だってあったのかも知れません。ぶっちゃけ、イタチはミナトの意向を了解し、ナルトの九尾を尊重したと考えます。


(何なんだよ!!いったい…!!?)(サスケ)

「父さん!母さん!」<ダダッ>(サスケ)

「サスケ…来てはならん!」(フガク)

イタチが「うちは虐殺」でフガクとミコトを殺めた…とされる行で(第25巻/138頁)、サスケがうちはの集落の異変に気付き、帰宅して両親の居室?の扉を恐る恐る開いた時、その直前までフガクらしき肉声が残っていましたっけ。サスケが居室の中を観た時には既に二人とも絶命し、暗部装束のイタチが折り重なるように倒れる両親の骸を見下ろすように立っていました。辺りには血糊が散乱していましたが、それ以外に室内が荒らされた形跡はなく、大きな窓ガラスも割れていないようでした。この時、イタチは自らの万華鏡写輪眼をサスケに曝すように"月読"を発動し、サスケに阿鼻叫喚の地獄絵図を見せ、自らが「うちは虐殺」の真犯人であるかの様な記憶を植え付けていました。

(万華鏡写輪眼!!)(イタチ)

「ぎゃあぁああああッ!!」(サスケ)

しかし、この時見せたイタチの万華鏡写輪眼の文様(第25巻/140-141頁)が、「シスイ事件」の直後、イタチを疑って怒鳴り込んで来たうちはの上役達とのいざこざの行で、サスケが脳裏に焼き付けたイタチの写輪眼の変化の描写(第25巻/108頁)とは明らかに違います。あの時、サスケが見逃さなかったイタチの万華鏡写輪眼の文様は瞳孔を中心にしたクモヒトデの様な形状であり、「うちは虐殺」でイタチが見せた文様は手裏剣型で、瞳孔の部分は反転して白窓になっていました。うちはのアジトでのサスケとの最終決戦でイタチは写輪眼→万華鏡写輪眼の変異を見せていますが(第42巻/113頁)、それも「シスイ事件」直後にイタチが見せた変異とは違うし、瞳孔が白窓なのは「虐殺」時と同一です。

明らかに、「うちは虐殺」の前後で変化しています。それと、「うちは虐殺」でのフガクとミコトを殺害した…とされる周辺のイタチの描写を考えると、この時点で「フガク→イタチ」で眼球の授受があった可能性があったのではないかと、僕は黒くなっています。サスケが居室に突入する直前までフガクは意識がありました。そして、ミコトに覆い被さるように倒れるフガクは両眼を閉じていて、右頬に血が垂れた痕がありました。サスケにフガクが眼球の授受を見せたくなくて、サスケを制した…。眼球をイタチに託しフガクは逝った。そして、フガクの眼球をイタチが託されなければならない事情がイタチにもあった…。それがイタチの隠し持つ「真相うんぬん」(第44巻/41頁)の正体ではないかと、僕は疑っている訳です。

「あの時…泣いてた」<ポロ……>(サスケ)

「見間違い…だと思った
オレは気付けなかった」
(サスケ)

…しかし、そうなるとイタチが流した「涙」(第44巻/20-21頁)が怪しくなってくる(笑)。なので、イタチファンの方々にはスルーして頂きたい黒い考察ではあります。サスケがイタチの万華鏡写輪眼の催眠眼を跳ね返し、写輪眼の第一次覚醒をもって反転攻勢に転じた行で見せたイタチの「涙」…あれが「フガク→イタチ」で行われた眼球の移植の反動拒絶反応よる涙だった可能性を、僕は感じているのです。イタチの第二部での写輪眼の常時覚醒や吐血などの体調不良や病の描写は、写輪眼の移植のリスク、或いは制限によるものと考えています。イタチもかつてうちは一族内で繰り返された眼球の移植実験については言及があり、そのノウハウがあった上での不合理な移植の強行であったのだと思います。

「まだ生きてやがったか…
が…やっぱガキだな…忍が何泣いてやがる」(カッコウ)

「来な泣き虫!ケリつけてやるぜ」(カッコウ)

神無毘橋で「オビト→カカシ」の移植直後(第27巻/166頁)、カカシの移植された左目からが溢れていますが、移植しなかった右眼からは流れていません。つまり、カカシは悲しくて泣いてる訳ではなくて、移植の反動で涙が溢れている訳です。ま…泣きたいくらい悲しい出来事の直後ですけど、カカシはそれなら尚更泣かない人だと思うんです。辛いとか、悲しいとかを、人前で…しかも敵の前でなら尚更泣いたりはしないと思います。その考えに立って「うちは虐殺」のイタチを観るならば、あの時、イタチが悲しかったり、辛かったりして泣いたのかな…っと、些か不安になります。確かにイタチは優しい人だと思うんですが、あの大事件の大向こうに真の敵が居て、その為の不可避の非道だったとすれば……。

イタチがサスケを生かし、サスケの可能性に懸けたのだと思うんです。それは自分では太刀打ちできない敵、或いは状況があったからだと。その状況で泣けるものなのか?イタチの壮絶な「生き様」を見て来た僕には到底、泣くとは思えんのです。確かに美しい伏線の回収だったし、多分、これまででも屈指のいいお話だったとも思える…『NARUTO-ナルト-』の名シーンの一つでしょう。それを黒い考えで汚したくはないんだけど、サスケの写輪眼の覚醒や、ポテンシャルの高い反攻を見せたおまけはあったにしても、あそこで泣いてしまうイタチが、「うちは虐殺」以降に続くイバラの道を歩めるものか?と考えた時、あの「涙」の原因が悲しみではなく、移植の反動だった方が説明はし易いな…と思えたりもします。

その可能性を「DEKOTON」(虐殺前夜…第四夜)に切々と…当時の描写を元に書いています。お時間のある方は一度読んでみて下さい。イタチを「さすがオレの子だ」と言い、サスケに「兄さんのように…」と言ったフガクの深層には、イタチがホントの息子ではない機微を感じます。ぶっちゃけ、4歳で地獄の戦場を彷徨って、木ノ葉の上層部がうちは一族に送り込んだスパイのイタチはフガクの養子だったと思う訳で、その頃、ミコトのお腹にはサスケが居て…。しかし、そんなイタチを「さすが…」と言うフガクの心意気に、イタチがサスケを想う気持ちの根っ子があるんだと思うんです。フガクが「さすが…」と言うように、イタチがサスケのオデコを小突き「許せ…」と言う…それは紛れもないだよ…。

追記:僕はフガクとイタチの「非親子仮説」に触れた時、漢・ケルベロス…実は泣きました。イタチに「さすが…オレの子だ」と言うフガクの懐の深さがあり、実子のサスケに「兄さんのように…」と言ってしまう譲れない厳格さと、不器用さがあり、それを甘受し、その深き愛に感謝したイタチが、サスケの欠落感を補う為に「許せ…」デコトンをしたのだから、それはもう…「惚れてまうやろーっ!!」と叫びたくなる訳です。フガクとイタチは凄く似てるのです。ただ不器用なフガクに対してイタチが如才ない…それを見て来たフガクが、イタチに自分の眼を委ねる可能性はあると…僕は思います。やっぱ、これは「愛」だろう…切ないのに温かい…親が子をただ愛する…意味とか理由なんかない…純粋過ぎるくらいの「愛」だろう…あーっ…また泣けて来た…(笑)。(090625)


「イタチのヤツ
自分の真相を知られてるとは
思ってなかったんだろう…
何でそこまで(転写封印・天照)…?」(ゼツ)

「真相うんぬんは抜きにしても
オレがサスケを仲間に引き入れることを
危惧していたんだろう」(トビ)

それがトビとゼツのちょっと噛み合ない会話の(第44巻/41頁)…「真相うんぬん」だと、僕は考えてる訳だ…。イタチは「うちは虐殺」や木ノ葉上層部の任務などがサスケに知れるのが怖かったんではなくて、自分とサスケが本当の兄弟ではない事がサスケに知れるのが怖かった…と、僕は考える訳だ。ただ、これは悪魔でも私説で、「うちは虐殺」でサスケと接触するイタチの眼球が通常の黒目だった描写(第25巻/145頁)などもあって、鉄板ではないのであしからず。ただ、移植後、経時と共に移植の反動が大きくなり、涙が出たり、もっと後には血縁にない移植の拒絶反応で死に至るダメージがイタチを蝕んで行った…それが第二部に入ってからのイタチの写輪眼常時覚醒の原因だったと…黒くなっちゃう訳です。

でも、ま…イタチスキー(←ロシア人?)の方々にはスルーして貰いたい考察ではありますんで、あまり重く考えないで下さい。イタチが命懸けでサスケに「特別な力」を与えようとした…。その事実は何れにしても揺るがないのでご安心を。それにイタチのサスケに対する想いの深さが流させた「涙」だった方が、やっぱズシンと胸には来る。しかし、イタチの想いが分厚ければ分厚い程、イタチを死に追いやったサスケの「闇」は深くなる訳で、僕らがハラハラする以上に、サスケは更に心中穏やかではなく、認め難い自分の行いを認めない為に、ドンドン歪んで行く「闇」の深みに堕ちて行く…その負のスパイラルの中に居る訳です。そして、その全てがイタチの思惑だった…サスケに「闇」を与える為の「生き様」だった訳です。


「何故弱いか…
足りないからだ…」
(イタチ)

「…憎しみが……」(イタチ)

忍法・蝦蟇口縛りの一戦で(第17巻/67頁)、ボコッたサスケの耳元でイタチが妖しく…そう呟きました。サスケだけに聞こえるように…。多分、憎しみや恨みの念がサスケの「闇」を育て、それがサスケのチャクラを図抜けたものに押し上げるのだと思います。チャクラとは「肉体エネルギー+精神エネルギー」(第1巻/202頁)で、正であれ、負であれ、精神を鍛える事はチャクラの質…「力×量」の「力」を向上させる事なんだと、僕は考えています。また、写輪眼のチャクラと精神の負の方向=「闇」の相性が抜群なのかも…とも思います。サスケの里抜け直後、状態2を経験したサスケのチャクラの変質にはカブトがいの一番の気付き、大蛇丸が喜々として舌なめずり(第27巻/49頁)してましたよね(笑)。

「サスケェ!!
お前はオレにとっての
新たな光だ!
お前はオレのスペアだ!!
元来うちは一族は
万華鏡写輪眼の為に
友と殺し合い…
永遠の瞳力を
得るために兄弟で殺し合い

そうして力を誇示し続けてきた
汚れた一族なのだ!!
そしてその一族の中に
生まれ落ちた時からお前も
この血塗られた運命
巻き込まれている!!

さあ来い!弟よ!!
オレはお前を殺して
一族の宿命から解放され
本当の変化を手にする!

制約を抜け己の器から己を解き放つ!
オレたちは互いのスペアだ!!
それこそが
うちはの兄弟の絆なのだ!!」(イタチ)

「どうやら…
心の中のオレがちゃんと見えたようだな」(イタチ)

「名は
うちはサスケ
嫌いなものはたくさんあるが
好きなものは別にない

それから…
なんて言葉で終わらす気はないが
野望はある!
一族の復興
ある男を必ず…殺すことだ」(サスケ)

「全てはこの為か…
やっと…たどり着いた」
(サスケ)

「やっと…たどり着いた」

「闇」 illustration:Cerberus

イタチ…止めてー!!そんなイタチなんて…見たくなーいッ!!のイタチの迫真の煽りに思いっ切り乗っかってしまった(笑)(第42巻/128-133頁)…サスケのオトナ顔。イタチがここまで汚れた演技をしなければ、サスケもイタチに対して黒くはなれなかった訳。イタチはサスケに他者を恨み憎しむ事を教えたのです。精神の「闇」の領域が拡張される事で、当然、チャクラの力量がアップする。それが写輪眼のチャクラには持って来いだったのでしょう。そして、それが九尾を奪われた写輪眼のもう一つの「高み」の求め方だった。きっと大蛇丸に一時的にサスケを委ね、呪印や白蛇(情報生命体としての大蛇丸)をその身に宿させたのも、カッコウの「托卵」に似た…”鷹”が"蛇"に卵を預ける行いだったのだと思います。

【托卵】(たくらん)鳥が他種の鳥の巣に卵を産み、抱卵・育雛(いくすう)をさせる習性。日本ではホトトギス・カッコウ・ジュウイチ・ツツドリにみられる。

そして、サスケの強さを確認したイタチは”須佐能呼”十挙剣(とつかのつるぎ)で呪印や大蛇丸から解放しましたよね。イタチはそこまで読み込んだ上でサスケを泳がせ、サスケに討たれる日を心待ちにしていたんだと思うと、胸が詰まります。…って言うか、そこまでしてサスケに「特別な力」を与える必要があった訳で、それはイタチには成し得ない力量だったと言う事です。不治の病に関しては血縁でない間柄での眼球の授受の拒絶反応と、僕は考えているので、イタチのポテンシャルをもってしても及ばない敵、或いは状況がある筈です。恐らく、その目的は「終末の谷の決闘」に繋がっているのだと、僕は考えています。そこで闘う必要性が写輪眼にはあった…それを「運命」と言えば良いのでしょうか。

例えばトビが”暁”で暗躍する目的とサスケは違う象限にあると、僕は考えています。しかし、それでもトビがサスケをある程度自由に泳がせるのには一定の親心があるように思います。写輪眼の好(よし)みと申しましょうか、写輪眼の審判がかの「終末の谷の決闘」ではないかと、僕は考えていて、やはりその一方に関わる千手の血族との一戦に何かしらの因縁が潜んでいるのではないかと考えています。そして、写輪眼と千手の双方がお互いの戦士を擁立し、強化して行く…それが、「終末の谷の決闘」教育論としての一面です。「うちは虐殺」(終末⑥)で考察したのは、写輪眼が生体兵器としての究極の忍の人為的な進化であり、その対極の自然な営みに拠る正常な進化が柱間の系譜なのかな…と、イメージしています。

そもそも、六道仙人が「忍教」など考え出さずに、それが「忍術」として広まらなければ、忍のシステムなんてものはできなかったのだし、混沌を意図的に生み出す意図が輪廻眼にあって…きっと、写輪眼も六道仙人(輪廻眼)が白眼を基本に人工的な進化を促し生み出した忍の特化形態で、それが忍の在り方を世に問う一つの問題提議であり、それに釣り合うのが、自然発生した強力なチャクラを有する千手一族だったんではないかと、僕は考えています。イタチがここまで周到にサスケを強化して来たのは、「写輪眼の高み」を持ってその審判に備える事が、イタチにできる最善であり、イタチを受け入れ、愛してくれたフガクに対する答礼と言え、フガクの一粒種であるサスケを生かし、サスケに写輪眼の存亡を托す事がフガクへの敬意であったと、僕には思えます。

そして、写輪眼の最強コンボである九尾を四代目火影に鹵獲された状況で、写輪眼・うちは一族が抱える社会性の中で、不可避だった「うちは虐殺」に主導的な立場で関わる事で、コントロールし、「終末の谷の決闘」に繋がる希望の光=サスケを残す事がイタチの為せる最善で、その為にイタチの滅私があり、壮絶な「生き様」が存在したのではないかと思うのです。そして、その対極に存在する千手一族の流れが波風ミナトであり、「九尾事件」の試練の中で最大限の譲歩が九尾の鹵獲であり、ナルトへの九尾の封印だったのだと思います。勿論、ナルトへの九尾の搭載はナルトの強化を意図して事に異存はありません。それはイタチがサスケの「闇」を利用して強化したのとは全く違ったアプローチで…(つづく)。

それと、”暁”もまた写輪眼の意向を汲んだ組織だとは思うんですが(イタチのように正攻法ではなく…ナル×ジャンでは「月の破壊説」を支持しております…)、ぶっちゃけ、六道仙人の創り出した「忍教」「忍術」と言った世界観を破壊し、マダラがかつて享受した戦いの中でのアイデンティティ…「力が全て」の乱世を生み出し、「写輪眼」こそが忍の秩序となる様なクリエーター(輪廻眼)に対する謀反を考えているんじゃないかと思います。そして、その混沌を生み出す為の火種として、サスケを泳がせ、方や輪廻眼所管の外道魔像を管理下に置いた尾獣集めに暗躍しているのではないでしょうか。それを、現状ではトビが支配しているように見える…それがお話をややこしくしている元凶だと考えているのです。

えっ!?…ナル×ジャンがややこしくしてるって!?
あ”ーッ!!…聞こえない!!聞こえない!!(笑)



追記:待ち受けのサスケの顔が黒過ぎるのに気付き修正しました。余りにも僕の心が黒かったせいだと思います(笑)。再度、ダウンロード願います。待画を右クリックで「保存」か、プレス→ドラッグでデスクトップに落とせばダウンロードは完了すると思います(僕はMacしか解らにゃいのだ)。後はメールで携帯に添付画像として送れば待ち受け画面に設定できると思います。他にリクエストがあったらメッセージを下さい。僕に描ける絵柄であれば何とかしてみます。あまり難しいのは無理でーす(笑)。

サスケが「やっと…たどり着いた」と宣言した時、イタチはきっと嬉しかったんだろうな…と考えながら描きました。サスケの勘違いも甚だしいんですが、それ以上のイタチの名演があって、しかも、それに気付いたサスケが更に「闇」に沈む…そのスパイラルも狙いだったのでしょう。スターウォーズのフォースの暗黒面の様に、人の心の「闇」は力を手っ取り早く得るのに都合が良いのかも知れません。それを「悪」とは思わないけど…。

サスケのこの時の怒りの盛り上がり具合と、あの…波打ち際での悔恨とが正弦波の正と負を描いている…その美しさに震えて下さい。サスケが流した涙をイタチは見る事ができなかったけど、心はいつもサスケと一緒の筈です。イタチが命と引き換えに運んだ写輪眼もいつかサスケに渡る事でしょう。それが二人の「永遠」となる。それが悲しき写輪眼の宿命…悲しいけど、イタチはそれをサスケに託したんだと思います(090625)。


  

「うちは虐殺」(終末の谷の決闘…第六撃)

 
あの夜
奴(イタチ)がうちは一族を
皆殺しにしたのは事実だ
そして木ノ葉を抜けた
そしてそうすることが
木ノ葉から下された任務だった」(マダラ)

あの夜…うちは虐殺は木ノ葉隠れからイタチに下された「任務」だった…(第43巻/161-162頁)。これはマダラがサスケに例の「儀式」で告げた内容であり、サスケの万華鏡写輪眼の開眼を第一義にしたプロパガンダであると、僕は考えていまして、未だに「うちは虐殺」の主犯はマダラ(トビ)であったと思っています。何週にも渡って繰り広げられた「儀式」におけるマダラ(トビ)の独演会(長台詞が多い)だった訳ですが…実はそこでちょっとした綻びがありまして…。

「イタチは
オレ(マダラ)に接触を求め
ある条件を出してきた
うちは一族への
復讐を手引きする代わりに…
里側へは手を出すな
というものだ
同胞をこの手にかける
手伝いをすると…」(マダラ)

マダラ(トビ)は勢い余ったのか…(第43巻/197頁)サスケに「うちは虐殺」におけるマダラ(トビ)の配分がどれ程のものか…寧ろマダラ(トビ)が主導的で…「同胞をこの手にかけるをかける手伝い」をイタチがした事や、「うちは一族への復讐を手引き」をイタチがした事を明かしています。マダラ(トビ)が言う「この手」の「この」とはマダラ(トビ)の手。つまり、これは「うちは虐殺」の実行犯としての告白だったんじゃなかと、僕は考えます。

イタチさんは無実だ!

マダラ(トビ)の執り行った「儀式」は全てがホントの事ではなく、サスケに関する期待において、マダラ(トビ)にはマダラ(トビ)の…イタチにはイタチの…思惑が影響しているので、マダラ(トビ)は自分の思惑に沿ったサスケの誘因が必要ですから、脚色や捏造が混入していたのだと思います。それがマダラ(トビ)とイタチの証言の差異を生み出し、その比較から「真実」が明かされて行く筈なんですが…。

「イタチの真実を知る者は
木ノ葉のダンゾウ三代目火影
そして相談役の二人
ホムラコハルの四人だけだった
三代目が死に…
今それを知るのは
年寄りばかり三人…
奴らは三人はこれから先も
絶対にあの忌まわしい事実を
口外しないだろう…
イタチの真実は永久に闇へと消える
そしてイタチもそれを望んでいた」(マダラ)

イタチの「真実」と一口に言っても(第43巻/154頁)、実はいろいろとありまして、マダラ(トビ)は意識してかどうかが明確ではないんですが、すっごく微妙な要素が混ざり合っています。その中から、サスケに対しては「うちは虐殺」における「真実」として提供していまして、それもかなり歪曲した形で提示しているのは、先にも述べた通りです(笑)。確かに、「うちは虐殺」とは里の上層部からの命令とするならイタチの行動にはリニアですがね。

その命令をイタチなりに遂行する為の方便として、マダラ(トビ)の取り込みがあった…。それをマダラ(トビ)も抑え切れずに漏らしてしまった…。このマダラ(トビ)のおっちょこちょいっぷりには、「純悪」でない一生懸命さと言いますか、マダラ(トビ)なりの正義が存在する…温もりを感じています。そもそも、「善悪」と言う言葉が、『NARUTO -ナルト-』では機能していないのだし、下から光が当たるから「悪」に見えてしまうだけで…(笑)。

ちょっとお話があらぬ方向に行ってしまいましたが…(汗)、イタチもマダラ(トビ)を利用していた訳で、壮絶な心理戦と知略が渦巻いていたように思います。マダラ(トビ)はその鬩ぎあいに一方的に勝利したかのように「イタチのことなら何でも知っている」(第43巻/148頁)なんて言ってしまうんですが、ホントのところはどうなんでしょう。ここはマダラ(トビ)の赤ペングリグリの鉄板さ加減に、大穴でイタチの「大外一気」にも期待しちゃうところです(笑)。

で…「真実」の混入についてですが、それが混濁したシーンがあったので、ついでに紹介しておきます。このお話の本題とはちょっとズレてて、ちょっとアレなんですが、一口に「真実」と言っても、マダラ(トビ)はそれを使い分けるので、「うちは一族」の本質を言う「真実」とは別の「真実」も、マダラ(トビ)は隠し持っている…それを知れば自然と「真実」も見えて来ると思いまして…。

「イタチも死んだ―
目の上の瘤はもうない
"木ノ葉に手を出さない"
という条件もこれで白紙だ」(マダラ)

「ずいぶん待ったね…」(ゼツ)

「計画通りに進めるためだ
…これでいい
イタチはやはり
サスケに保険をかけていた
"天照"だ」(マダラ)

イタチのヤツ
自分の真相を知られてるとは
思ってもなかったんだろう…
何でそこまで…?」(ゼツ)

真相うんぬんは抜きにしても
オレがサスケを仲間に引き入れることを
危惧していたんだろう」(マダラ)

「儀式」の後、マダラ(トビ)がゼツと黄昏れるシーンで(第44巻/40-41頁)、ゼツが「真相」と言うのに対して、マダラ(トビ)が「真相うんぬん」と濁してるところに僕は注目しています。この場合、ゼツの言う「真相」とは「うちは虐殺」の真相であり、イタチが任務を遂行した…と言う部分に当たると思います。しかし、イタチはサスケに恨まれようが、汚名を被ろうが、そんな頓着がないからこその「滅私」であった事を思い出せば、それはイタチの心配には当たらない事に気付くと思います。

つまり、イタチは「うちは虐殺」の真相がサスケに伝わる事を恐れていたんではないと、僕は考えていると言う事です。そして、この雰囲気から、マダラ(トビ)が濁した「真相うんぬん」に関してゼツは知り得ない…。そして、マダラ(トビ)がこんな風に「真相」を濁すのには、些かの善良さを感じてしまいます。つまり、マダラ(トビ)がイタチに対して示す敬意だったんじゃないかと…僕には思えてならん訳です。マダラ(トビ)は盟友であろうゼツにも明かさないイタチの「真相」を握っているのです。

イタチとサスケは血縁関係にない…。

イタチが恐れたのはマダラ(トビ)がそれをサスケに伝える事でしょう。四歳で戦場を彷徨い、木ノ葉隠れの上層部からスパイとしてうちは一族に送り込まれたイタチに、サスケとの血縁関係を、僕は見出す事が出来ません。なので、これは私見でありますが、マダラ(トビ)がサスケにこの「真相」を敢えて伝えなかったのだとしたら、泣かせるお話だと思います。そして、この「真相(うんぬん)」が、フガクの「さすがオレの子だ」の本質なのだと思います。

詳しくは「虐殺前夜」の全編…特に「DEKOTON」にて認(したた)めております。御用とお急ぎで無い方は味わって行って下さいな。何故、フガクがイタチを「さすがオレの子だ」とあからさまに言い、サスケにはそれを我慢(桟橋の豪火球修行で漏らしてしまった…)していたのか?そこに、イタチを養子として受け入れたフガクの想いが横たわっていて、それに対するイタチの返礼がサスケへのデコトンだった…とするのが、偏った僕の持論であります(笑)。

ま…それとこれとはお話が違うと言う事で、一つ…です(笑)。イタチとマダラ(トビ)はお互いを利用されーの、利用しーのをやり合いながら、あの忌まわしき「うちは虐殺」を遂行した訳で、どううちかと言うとマダラ(トビ)が主導した私怨に塗れた殺生だったのかな…と、僕は考えています。そして、それすら利用したのが木ノ葉の上層部だった…と。そして、そこに柱間が立ち上げた木ノ葉隠れの意向が大きく関係していた筈です。

また、「うちは虐殺」は非常にいたたまれない惨劇ではありますが、それを余儀なくする理由もあったと言う事です。そして、それは"尾獣"との関係性を踏まえた上で論じられるべきでしょう。それこそ「うちは一族」の本質…写輪眼の本当の意味に深く関わると、僕は考えています。また、イタチがサスケに言い残した「うちはの高み」とは何だったのか?それらを説明しなければならない時期に差し掛かって来た事を感じています。

九尾を手懐け
コントロールすることが出来るのは
うちはの瞳力だけだ…
木ノ葉の上役たち(ダンゾウ・ホムラ・コハル)は
あの事件(九尾事件)をうちはの何者かによる
仕業ではないかと勘ぐった
あれは自然発生的
いわば天災
うちはは関係していない
だがあらぬ疑いをかけられた
うちはが主権を狙って
反逆を起こそうとしたのでは
ないか…と」(マダラ)

マダラ(トビ)がホントに九尾事件と無関係であるならば(第43巻/185頁)、「ミナトは何か重大な事実を知っていて…」(第41巻/20頁)と自来也が考えるように、何らかの方法でナルトの誕生日(出産)にミナトが仕掛けた鹵獲(ろかく)戦だった…とも考えられます(九尾事件・終末⑤参照)。そして、その木ノ葉隠れの里を襲った未曾有の惨事を木ノ葉隠れの上層部は巧みに利用し、「うちは一族」を駆逐して行く政治力を発揮して行くのです。

木ノ葉隠れの上層部(三代目も反対意見を持つものの抗し切れなかった…つまり、うちは一族の駆逐には理論的な正当性が存在していると言う事です)が、そこまで執拗に「うちは一族」を追いやろうとしたところに、僕は写輪眼の本性が隠されているのだと思います。そして、その行動をイタチが受け入れた部分にも同様に注目しています。そして、それこそがイタチがサスケに伝えた「うちはの本当の高み」に相当するであろうとも…(黒汗)。

「十六年前―
九尾が木の葉を襲った事件は
もちろんマダラが起したものだ
それも四代目によって
阻止されてしまった
つまり…今のマダラは負け犬だ…
うちはの本当の高みを手にするのは
奴じゃない」(イタチ)

これはイタチがサスケに告げた九尾事件の概要ですが(第42巻/127頁)、マダラ(トビ)の情報とかけ離れた部分でもあります。マダラ(トビ)は自然災害だと言い、イタチはマダラの犯行と言う…この決定的な相違はどちらかが嘘を付いている事になります(一応、二人共憶測…の可能性もあるけど、それは不真面目過ぎるので却下です…笑)。つまり、どっちかが「真実」って事です。そして、どちらかが「嘘」をついてる…そこにうちは=写輪眼の謎解きの大切な「鍵」がありそうです。

「うちは一族全員の抹殺
その時のイタチの心情
どのようなものだったか…
それは想像を絶する
イタチは恐るべき選択
迫られることになった
同胞を手にかけるなど
有り得ぬ返答だったはずだ
だがうちはほどの忍が
内戦を起こせば
木ノ葉隠れの里も火の国も
大きく揺らぐ
それを機に他国が必ず
攻め込んでくる
第四次忍界大戦の引き金にも
なりかねない事態になる
うちは一族の利己的な思想
忍の世界とは無関係な者たちを含め
また多くの人間が死ぬ
お前がイタチならどうした?
そしてイタチは決めたのだ
己の手で一族の歴史に
幕を下ろすことを
うちはを憎しみ裏切ったのではない…
仕方なかったのだ
里の興りからの差別…
そして確執のツケ
それをたった一人で
背負い込み己を犠牲にした
イタチの決断を責めることは
誰にも出来まい」(マダラ)

マダラ(トビ)がサスケの「儀式」で、イタチが「うちは虐殺」を遂行するに到る経緯…葛藤を説明しています(第43巻/194-196頁)。もしこれでマダラ(トビ)が虐殺の主犯だったら、面の皮が厚い…って言うか、だから、あんな変なお面してるのかね(笑)。どっちにしても、この証言でも浸食されないのは、イタチ自身が「うちは虐殺」を受け入れていたと言う「事実」です。

「里の安定を第一に考え
平和の為に働く…
そういう男だった」(マダラ)

僅か4歳で戦場と言う地獄を彷徨ってイタチ(第43巻/193頁)。その経験がイタチを形作った…。何故、イタチが僅か4歳(幼児ですよ、幼児!!)で戦場を彷徨わねばならなかったのか?その事情は未だ知れませんが、そこで触れた「死」がイタチのトラウマとなり、一族のしがらみよりも平和を優先して考える思考パターンを形成したとして、それが「うちは虐殺」を容認し、その遂行に関与したと言う事は、うちは一族が平和の障害になる存在だった事を意味します。

これもマダラ(トビ)の証言を土台にした考えなので、嘘だったなら一巻の終わりなんですが(笑)、どう見てもイタチの態度や行動からは後ろめたさは感じません。ましてや、狂信的でちょっとイッちゃったテロリスト然ともしていなかったので、うちは虐殺をイタチが熟考し、その遂行も止むなし…と判断したと考えて良いと思います。って事は、この部分のマダラ(トビ)の発言は真実って事だ。しっかし…沢山のホントに微量の嘘。これが一番見破り難い嘘の隠し方なんだな…。

任務だった…
一族を殺した犯罪者として
汚名を背負ったまま
抜け忍になること…
その全てが任務だった
そしてイタチはその任務を全うした
ただ一点の失敗を除いてはな
弟だけは…殺せなかった
その後イタチはお前を
ダンゾウや上層部から守ってくれるよう
三代目火影嘆願し
ダンゾウを脅して里を抜けた
もしサスケに手を出せば
里の情報全てを非同盟諸国に
漏洩すると言ってな
お前の事が何より心配だったのだ
だがお前に本当の思いは言えなかった
だからああ言うしかなかった」(マダラ)

「うそだ
こんなの兄さんじゃない」(サスケ)

「お前の望む様な
兄を演じ続けてきたのは…
お前に"器"を確かめる為だ…
お前はオレの器を
確かめる為の相手になる
そういう可能性を秘めている
お前はオレを
うとましく思い憎んでいた
このオレを超えることを
望み続けていた
だからこそ生かしてやる
…オレの為に
…愚かなる弟よ……
このオレを殺したくば
恨め!憎め!
そして
みにくく生きのびるがいい……
逃げて…逃げて…
生にしがみつくがいい
そしていつか
オレと同じ"眼"を持って
オレの前に来い」(イタチ)

「自分への復讐
お前に目的として与え
お前を強くする事を願った
うちはは木ノ葉隠れの里の
誇り高き一族だと…
お前には
そう信じさせておきたかった
お前に本当の事
決して知られぬよう…
火影に願い
里に抜けた時より
お前と戦い死ぬことを
心に決めていたのだ
その時お前に
新しい力を与えるため…」(マダラ)

「これがイタチの真実だ」(マダラ)

イタチが「うちは虐殺」に関与していて(第43巻/198-204頁)、その実行犯とされる事に関してイタチは言い訳めいた事を残していません。寧ろ、それを理由に自分を恨む事をサスケに勧めています。もし、こうでもしなければ、全てを失ったサスケが生きる意味すら失ってしまうのが怖かったからでしょう。イタチはスープを音を立てて啜るように、サスケにワザと嫌われようとしていたのです。自分を殺す事。それを目標にしてでもサスケが生きる意味を見出す事を願ったのです。

結果、サスケはその狙い通りに歪み、大蛇丸と言う闇に落ちてしまった…。きっとそれも含めたイタチのシナリオだったのだと思います。うちは一族…写輪眼の宿命にイタチは終止符を打つと言いながら、サスケは残してしまった。それをマダラ(トビ)はイタチの「失敗」としていますが、もしもそれすらイタチのシナリオの上に在るファクターとするならば、イタチはサスケにマダラ(トビ)の考えも及ばない期待を抱いている事になります。

そして、それがイタチが「うちは虐殺」を遂行した上で、尚も残した将来に対する希望だったんじゃないか?と、僕には思えてなりません。現実問題として、イタチはうちは一族の幕を自分の手で下ろすことを選択した訳で、そこにうちは一族…写輪眼が持つ禁忌が潜んでいたと思われ、それをしても尚、サスケと言う写輪眼を残し、それに万華鏡写輪眼を与え、更にイタチの眼を移植する事で得られる真・万華鏡写輪眼を残した意味は果てしなく大きいです。

イタチが一族を抹殺し、葬らねばならなかた…写輪眼って、一体なんだったんでしょうか?例えば霧隠れでは血継限界は忌み嫌われ迫害されましたが、木ノ葉隠れではそんな傾向はなく、寧ろ秘伝忍術や血継限界を守る一族、一家の集合体が木ノ葉隠れとも言え、木ノ葉の大きな戦力になっている現実があります。その中で何故、写輪眼だけが駆逐されなければならなかったのか?意外ですが、その糸口が雷の国・雲隠れの雷影が提示されています…。

「ユギトだけでなくビーまでも
ビーがやられるなど信じられん!」(雷影)

「ジェイからの連絡トカゲが
先ほどから何匹か送られてきています
敵の居場所が分かり次第四小隊を送りこみ
キラービー様を救出し敵を殲滅します」(秘書)

「弟をさらったのは
あの木ノ葉隠れのうちはの者だと聞いたが!
なぜうちはの者が"暁"におる!?」(雷影)

「うちはサスケ…
もう随分と前に木ノ葉の抜け忍
なっていたようです」(秘書)

「木ノ葉の火影は
なぜさっさと抜け忍を始末しない!?
日向の件では
あれだけ強(したた)かだった里が!」

第417話「雷影、動く!!」で、キラビのお兄ちゃんの雷影が怒り狂っていました(笑)。かなりのブラコン…弟想いのお兄ちゃんのようで、しかも濃ゆいキャラで圧倒されてしまいましたが、雲隠れでは"人柱力"の管理や行き届いていて、木ノ葉でナルトが虐げられた環境にあったのとは大違いで、隠れ里内の重要な戦力としていました。また、ユギトは飛車角コンビに圧倒されたものの尾獣化のコントロールは任意で、相当な"人柱力"のノウハウがある事が窺えました。

そして、キラビに至ってはそれこそ無茶苦茶な強さがあり、それでいて力に溺れない冷静さ…コントローラブルで信頼性が高く、"人柱力"が充分な実用域にある事が提示されました。雷影は心配していましたが、キラビは実は殺られた訳ではなくて、"鷹"を煙に巻く余裕があったために、ついでにブラコンの雷影まで煙に巻いてキラビが雲隠れから脱出してしまったおまけ付き(笑)。また、八尾とキラビのツーカーな関係には"人柱力"の完成形とすら感じたくらいです。

「雲(隠れ)側の要求
白眼の血継限界を持つ日向宗家…
つまりヒアシ様の死体を渡せ
というものだった
そして木ノ葉はその条件を飲んだ」(ネジ)

中忍試験のナルトVSネジの後、日向宗家・ヒアシがネジに謝罪するシーンは泣けました…(第12巻/63頁)。雷影が騒ぎ立てる「日向の件」とは…ヒナタを誘拐しようとした雲隠れの忍頭をヒアシが殺してしまい、それに因縁を吹っかけられて、ヒアシの弟・ヒザシが影武者として命を絶たれ死体を雲隠れに差し出し、事を収めた…例の一件です。雲隠れが因縁を吹っかけたのは日向の血継限界、つまり白眼が欲しかった訳で、それを思い出す雷影は当時も在任していたと考えて良いでしょう。

「それから
サムイの小隊を呼べ!
うちはサスケを
こちらで始末する旨の書面を
持たせて木ノ葉へ向かわせる!
そいつの情報も出させろ!
さらに忍び五大国
五影首脳会談の段取りをつける!
"暁"は絶対に許さん!」(雷影)

第417話「雷影、動く!!」では、矢継ぎ早に雷影の指令が下ります。脳味噌筋肉かしら…と思える様な雷影ですが、意外にキリキリしてて切れ者のように感じました。って言うか、"暁"が相当嫌いみたいで…ユギトに続いてキラビまで連れて行かれたと思ってるもんだから、その気持ちも判りますが、それにしても初登場の第416話「ド根性忍伝」でも「"暁"は許さんぞ"暁"!!」<ガッ>(←机を叩き割った音)と、いきなり全開に怒り狂ってましたね(笑)。

"暁"が"尾獣"を集めている状況。その"暁"にうちはの家紋を背負う忍(=写輪眼)が居た事。それが雷影の琴線に触れたんじゃないかと思います。雲隠れは"人柱力"の里内の地位や対応などからして、"人柱力"の先進国であります。つまり、より"尾獣"の本質を知っている筈で、その知識が"尾獣"とリンクする事で発生する"写輪眼の危険性"に反応していた…と。ちょっとヒール(悪役)に見えてしまう雷影ですが、実は柱間の思想を継承しているとも考えられます。

つまり、「九尾事件」終末⑤で展開した"尾獣"のチャクラと写輪眼が合わさった危険性…「禁術兵器」への配慮が雷影にはあったんじゃないか?と言う事です。そして、雲隠れは二尾をユギトに、八尾をキラビに収め守っていた…。それが二人共、"暁"に拉致られたと(と思ってる)のだから心中穏やかじゃない訳だ…(笑)。雷影はマダラ(トビ)の写輪眼の存在は知らないようだったけど、うちは一族で写輪眼のサスケが来ちゃったもんだからスイッチ入っちゃったのかな…(笑)。

「うちは一族も
元をたどれば日向一族に
その源流があると言われている」(カカシ)

雲隠れの白眼に対する興味は、写輪眼…うちはに対する興味だったんじゃないか?と、僕は考えています。ここでカカシが言及するように白眼が写輪眼の"源流"(第9巻/117頁)である点に注目すれば、白眼に対する興味は相応に力を帯びると言えるでしょう。そして、その白眼を執拗に欲した雷影…。その真意が何処に在ったかが非常に重要であると言えます。それが雲隠れにおける"人柱力"の在り方と絡み合うと、ある種の"指向性"を帯びて来ます。そして「うちは虐殺」を受け入れたイタチの想いが、その象限に収束するのであれば、白眼→写輪眼の分岐に関する大きな「疑念」が浮上して来ます。

『写輪眼』とは、何者かが開発した『生物兵器』だった…!?

そもそも移植で発現する血継限界である写輪眼は存在そのものが特殊でした。しかも、カカシには有り得ない筈…あのイタチが総毛立たせて驚いた…「カカシさん…アナタまさか…」(第29巻/76頁)…の万華鏡写輪眼が備わっています。それに万華鏡写輪眼の開眼における「最も親しい友を殺す」とか、真・万華鏡写輪眼の開眼の「兄弟同士の眼球の奪い合い」などの禁忌の条件がある写輪眼が自然発生した上に、自然な営みで人口を維持出来る確率は極めて低いです。

サスケとイタチが殺り合った「うちはのアジト」の建物内に見られる傷跡からは日常的な仲間同士の殺し合いや、イタチの証言に拠れば数々の移植実験、移植マニュアルの存在の可能性(写輪眼移植時のオビトの示唆)などを考え合わせれば、木ノ葉隠れ内のうちは一族はかなりディチューンされた状態だったと推察されます。きっと、昔はもっともっとやんちゃな事をしてた一族だったのだと思います。

うちは一族が互いに殺し合い、力を求めなければならない宿命を背負う忌むべき一族であるならば、自然界においては自滅に向かうべき道理があり、それに反してある程度の勢力(写輪眼を有し、忍界における存在感を示すに足る人数)得て来た現実には、うちは一族が感知しない管理者の存在が必須だと感じます。もし、その管理者が存在するのであれば、それが白眼→写輪眼を創り上げたクリエーターと同一と見て良いでしょう。

そして、雷影の騒ぎ方が尋常ではなく、雲隠れの"尾獣"="人柱力"のノウハウを考え合わせれば、写輪眼="暁"に対する憎悪や危機感が非常にリニアです。しかも、イタチが「うちは虐殺」を受け入れた背景に写輪眼の忌むべき歴史や生い立ち、つまり誕生の経緯が織り込まれているのだとすれば、イタチが自らの手で「幕を下ろす」覚悟をした裏には、不完全な生物兵器としての写輪眼の存在があったのではないかと考えてしまいます。

勿論、木ノ葉の上層部…ダンゾウ、ホムラ、コハルの面々がその禁忌を恐れ、やや穏健にそれに関わろうとした三代目火影もその趨勢に抗し切れなかった機微を鑑みれば、人道的に「うちは一族」の存在を容認し難い実情が在ったのではないかとも考えられます。そして、それが木ノ葉草創期からの確執の本性であり、その底流を流れるのが、千手柱間を中心に五大国の里影が忍界のミリタリーバランスを構築しようとした真意なのではないでしょうか。

また、イタチが言う「うちはの本当の高み」とは、生物兵器としての写輪眼の完成であり、突き詰めれば"尾獣"のチャクラを用いた写輪眼の禁術兵器への昇華を意味しているのだと思います。そして、その完成の是非をサスケに委ねた…それがイタチの「うちは虐殺」の真の目的だったのではないでしょうか。それを受け入れると、終末の谷の柱間の苦悩も理解出来ます。あの決闘は"尾獣"と写輪眼の分断を第一義にした「生物兵器」としての写輪眼の『審判』だった…と、僕は考えます。

以上が、終末の谷から臨む「うちは虐殺」の深層であり、それに付帯する"尾獣"と写輪眼の関係性です。同時に、そこから写輪眼の禁忌の生い立ちを浮き上がって来ます。"暁"とは写輪眼の意志を実現させる為の存在と考えて良いでしょう。表面的にはマダラ(トビ)が仕切ってはいますが、その奥底に蠢く写輪眼のクリエーター、或いは写輪眼自体の意志は見逃せない存在と言えるでしょう。もしも、真に闘うべき敵がいるとすれば…(黒汗)。だから、サスケの万華鏡写輪眼と闘った八尾が思わず漏らしてしまったんじゃないかと…僕は考えています(第419話/「襲来!!」)。

そう…あの八尾の「意味深」……

「……そろそろ時代が動くかもな…」


   

「九尾事件」(終末の谷の決闘…第五撃)

  
「"尾獣"は莫大なチャクラの塊で
忍界大戦期には
各国隠れ里が軍事利用しようと
競って手に入れようとしたのじゃ
しかし、人知を超えたその力を
制御することなど誰にも出来なかった
"暁"が何の為にそれを欲しとるのか
分からんが…危険すぎる力じゃ
まぁ平穏な情勢の中、時代も移ろい
今や"尾獣"は世界各地に散り散りに
存在しておるらしいがの」(ちよ)

風影・我愛羅奪還編で砂の相談役のちよ様が"尾獣"の説明をしていました(第29巻/60頁)。かなりのお歳の筈なんですが、ナルトやサクラと同じように森の中を枝から枝に飛び移りながら、息も切らさず話すお姿には驚きを隠せませんでした(笑)。膝の関節とか痛くないんですかね。腰なんか曲がってるみたいだけど、こんな飛んだり跳ねたり…(笑)。

と、無用な心配はさておき、ちよ様の"尾獣"に関する説明って、風の国の砂隠れの里の情報を元にしてる筈ですよね。ま…各国の隠れ里とも太いパイプで繋がってたと言いますが、かなり高度な軍事機密と言えますから、基本、砂隠れでの"尾獣"の研究や検証の知識を示しているものと思います。我愛羅に一尾を搭載したのも、他ならぬちよ様でした…。

「"尾獣"とは尾を持つ魔獣の事じゃ
砂は昔から"一尾"を持っておる
それが我愛羅に封じられた守鶴の事じゃ」(ちよ)

守鶴とは…元々は茶釜に封印された砂隠れの老僧の生霊で、「霊媒」となる者を介して、世に姿を現すことが可能(「闘の書」/91頁)…で…砂隠れが保有。"人柱力"の研究に利用していた(「者の書」/199頁)…とあります。

砂隠れには昔から守鶴が居た…(第29巻/58頁)、つまり、守鶴は柱間の管理下にない"尾獣"だった訳です。恐らく、ちよ様の"尾獣"に関する知識や経験も守鶴を元にしたものであったでしょう。なので、内容的には砂隠れの里の独自性(砂の悪しき風習)に感化されていたんじゃ無いかと思います。それに、この時点ではまだ改心してませんから…未だ砂の悪しき風習に真っ黒に染まったままです…。

ちよ様の情報を整理すると、砂隠れは"尾獣"=守鶴を軍事利用しようと、その制御方法を模索していた。しかし、その危険過ぎる力を完全にコントロールする事はついぞ叶わなかった…と言うところでしょうか。"尾獣"のチャクラをコントロールする為の方法論としては、生きた人間に"尾獣"を封印する"人柱力"が主流と言いますか、ちよ様の口ぶりだと、それが"尾獣"をコントロールする唯一の方法だった…みたいに聞こえます。

「"暁"が何の為
それ("尾獣")を欲しとるのか分からんが…」(ちよ)

と、ちよ様が言ってたのも、ちよ様の"尾獣観"の取っ掛かりに"人柱力"が存在しますから、それを"暁"クラスの忍が利用="人柱力"を欲する気持ちが分からないと言いたかったんだと思います。やはり、ちよ様も"人柱力"はそれほど強くはない…と言う結論ありきだったのです。もっとも、"暁"は端っから"尾獣"のチャクラが目当てでした。ちよ様の知識や情報網からすると、分からないフリで、ナルト達には濁したのかな…と思います。

かなり前になりますが、「チャクラ性質の同時使用の意味を考える」(チャクラの考察)では、血継限界のチャクラ(能力)と"尾獣"のチャクラを関連づけて考察したりしました。ま…今となってはやや強引(かなり強引?!…笑)な考えでしたが(汗)、この頃から、"尾獣"は地球(『NARUTO -ナルト-』の世界)のチャクラが具現化した存在であり、地球=自然の一部なんだと考えていました。

地球そのものに生命があり、意思がある…と仮定すると、そこにはチャクラが宿っていても良い訳(言い訳?)で、そのチャクラの絡み合いが十種類のチャクラの組み合わせで、それが九体の"尾獣"と柱間の木遁を形成し、互いに影響し合う存在として世界に関与していたんじゃないかと展開しました。柱間が何故、人の姿なのか?とか、一代限りの木遁や"尾獣"のコントロールの能力とか、疑問があって、それで「十尾=柱間」?と仮定しましたが、根拠はなかったですね(笑)。

しかし、特殊な木遁を使う柱間が"尾獣"に関与できる能力があったのは、チャクラ性質の組み合わせが導き出す十種類の特別なカテゴリー(=血継限界)に柱間が所属する事実と無関係ではないと思います。柱間と弟である扉間は全く似ていないし、後世への能力の継承が無かった描写も柱間の人としての不自然さも示しているんじゃないかと思います。そこから…もしかしたら、柱間→扉間との血縁関係も怪しいとすら、僕は考えています。

忍界にあって、出生の秘匿が重視された結果、母方の姓を名乗る慣習があった筈で…でないと、チャクラ性質や忍術の系統などが推測しやすい…一族にあっても同姓でもなく、母系家族的な集団を形成している可能性を、僕は感じています。それだと、ナルトも説明し易いし、千手柱間と波風ミナトの関係性も否定されません。描写からは確実に「使命の継承」を見つけ出せるので、強(あなが)ち逆説的なこじつけでもないと、僕は思います。

その考えと一尾・守鶴の「生霊」ってのも収まりが悪いですが、極限に修行を積んだ老僧の精神に一尾のチャクラが感応して一体化したんではないかと考えると、特異な存在ではありますが、"尾獣"が元々は地球の一部だった…と言う考えには反しないのではないかと思います。また、"尾獣"のチャクラに人の意志が加わった結果、そのチャクラの顕現(けんげん)に霊媒が必要とする守鶴の特殊性は、それを説得するアイデアにもなると思います。

何れにしても"尾獣"にも個体差や個性があり、一定ではありません。一方、"人柱力"で特殊…と言うと、やはり雷の国・雲隠れの里のキラビだと言えるでしょう。キラビは登場時こそ、速攻やられ役の痛い人みたいな印象だったけど、回を追う事に良い味がしみ出して来る…おでんの蛸の足みたいなキャラでした(笑)。キラビが実は捕まってなくて、サスケ達を殺さずに逃げ仰せた…と知った時は、喜々としたものでした(ジェイは可哀想だったけど…)。

キラビは今まで見た"人柱力"の中では間違いなく一番強いし、恐らく、全忍中でもかなり上位に食い込む力量があるでしょう。それはキラビ自身の度量、力量も多分にあって、素でも充分に力のある忍だったのだと思いますし、それに八尾・牛鬼が完全に協力、或いは服従する関係がプラスされ、それこそ無双の強さを形成しています。しかし、これも絶対的に強いと言う訳でなく、相性や戦略、運不運で勝敗が転びます…それが忍の闘いなのだ!!

「幻術を解くには己のチャクラを乱して
目を覚ましてくれる相棒が必要だ
オレ様の相棒はオレの中の八尾
尾獣をコントロールした人柱力には
幻術はきかねェ」(キラービー)

我愛羅以外では"人柱力"の描写は雷の国(雲隠れ)の二尾・猫又のユギトと八尾・牛鬼のキラビがあって、どちらもかなり高いレベルで"尾獣"のコントロールに成功していました。特にキラビは八尾・牛鬼をほぼ完璧に掌握していて(第413話/「崩落」)、チャクラの衣や完全体への移行(人柱変化)もお茶の子さいさいでした。"鷹"をやり過ごした後の二人の会話はほのぼのしてて良かったな。

また、キラビは"鷹" との交戦であまりにもしつこく食い下がるサスケ達を煙に巻く為に、八尾・牛鬼の蛸足を何本も犠牲にさせて、蛸足分身をサスケに捕獲させ、自分は切り落とされた牛鬼の蛸足に隠れて"鷹"ばかりかマダラ(トビ)の目すら欺くトリックプレイを披露しています。"尾獣"である八尾・牛鬼がここまで献身するなんて…信じられない事ですが、友情や信頼の絆があったればこそだとも思います。

要するに、ちよ様が言うように"尾獣"のコントロールは全く不可能でもなく、キラビと八尾やユギトと二尾に見られる成功例もあり、封印の方法や組み合わせによっては完璧なコントロールも可能なんだと言う事です。我愛羅に搭載された守鶴は、かなり邪悪な魔獣で、個性(ファンキー)も不必要に豊かでした(笑)。"尾獣"はコントロールし難い…と、ちよ様がさじを投げたのは、そんな不運が重なったせいかも知れませんね(笑)。

ただ、デイダラに拉致された時点で我愛羅は風影だったし、人柱力が里影になる例は他になく、木ノ葉崩しでのナルトとの交戦→敗北を機に、我愛羅が精進し守鶴のチャクラを手懐けて行ったのではないかと思います。ここは、ちよ様の硬直した考えから、我愛羅が脱却し、不可能を可能にした…と、考えたいところです。紆余曲折があって苦労したようですが、ちよ様の"尾獣"の研究は失敗だった…と、僕は考えています。

「("尾獣"とは)チャクラのバケモノ
元々は初代火影がいくつか集めて
コントロール下に置いていたものだ
忍界大戦の度に火影柱間はそれらを
五大国を始めとする他国に配分
パワーバランスを取ってきた
究極のチャクラ兵器と言ってもいい…」(マダラ)

"暁"に"鷹"が協力する条件として"尾獣"の提供を交換条件に出した時にサスケに"尾獣"の説明をしたんですが(第44巻/38-39頁)、マダラ(トビ)もちよ様に似たような物言いをしています。そして、マダラ(トビ)は柱間が"尾獣"を利用してミリタリー(=パワー)バランスを調整していた認識です。今で言うと「核兵器」を持つ事で戦争抑止ができる考え方に相当するんでしょう。世界を滅ぼしてしまうような「力の均衡」で平和を維持しようとする…所謂、「毒をもって毒を制す」??

"人柱力"に関する、ちよ様の見解は「制御不能」だったし、実際、"人柱力"は依憑(よりわら)の精神状態や度量に多くを依存していて不安定でした。それに単純に強さを競うなら、人の身でありながら充分に強い猛者が『NARUTO -ナルト-』のストーリーには数多く存在しています。例えば「木ノ葉の黄色い閃光」を通り名に持つ四代目火影・波風ミナトは単独で戦局をひっくり返せる程の戦力を個人的に(笑)保有していました。

それに、"暁"も人外ばかりではありましたが強かったです。"尾獣"をかなりのレベルでコントロールしてるように見えたユギトですら"暁"の飛車角にあっさり捕まってしまったし、四尾の老紫も鬼鮫一人にコテンパンでした(笑)。そう言えば、風影になって安定感を増した我愛羅もデイダラの砂隠れの里を人質に取ったような…やや卑怯な起爆粘土の攻撃に簡単に沈黙しましたっけ…(あれはちょっと狡い「攻め」だったな…)。

圧倒的なチャクラ量やチャクラ強度も確かに重要だけど、忍術やチャクラは使い方やタイミングが凄く大切なんじゃないかと思います。"暁"は海千山千の試合巧者でした。ま…人外過ぎ…って意見も多いけど、なかなか大した奴らだったと思います。今、飛車角やデイダラとキラビがやりあったらどうなんだろう?ってのは気になるところです。是非とも正々堂々の真っ向勝負を見てみたいですが、でも、その人外の"暁"たちも減ったな…。

ま…よくよく考えてみると(滝汗)、必ずしも"人柱力"だけが圧倒的な「力」では無いと言う事です。人外になるも良し、個性を伸ばすも良し、意外性を磨くも良し、知恵を絞るも良し…忍にはいろんな「力」の獲得の方法がある訳です。第420話「戦場、木ノ葉!!」の扉絵…「Tails」描写では、全ての"尾獣"は"人柱力"として運用されていたようで、当時の趨勢としては"尾獣"は"人柱力"で管理するしかなかったのではと考えてしまいますが…。

ちよ様も"尾獣"の軍事利用の方法論としての"人柱力"を支持していたけど、結果的に現実的じゃなかったです。また、柱間には"尾獣"をコントロールする特殊な能力があったから術式化して大巻物に"尾獣"を封じた上で、チャクラを引き出せた筈で、それは誰にでも可能な"尾獣"の使用法でなかったと思います。柱間の"尾獣"のチャクラの利用法に関しては「終末の谷の決闘」を遡って読んで貰えれば分かって貰えると思います。

「終末の谷の決闘」の描写から、柱間の大巻物が"尾獣"の術式化に拠るバッテリーであると展開した「力量」(第三撃)。術式化した"尾獣"のチャクラを大巻物に格納して木遁忍術に出力し、樹界降誕の最強守備である「城塞の陣」(仮称)を展開し、九尾の猛攻を防ぎつつ、マダラから九尾を引き離し、鹵獲(ろかく)を試みたのではないかと、「鬼手仏心」(第四撃)では考えています。

確かに、"尾獣"とは究極のチャクラ兵器なんでしょうが、それを封じた"人柱力"の戦力によって、世界のバランスを保てるかは疑問…って言うか、無理だと思います。"人柱力"はキラビを除けばそんなに強いと思える描写はありませんでした。四本目のナルトですら、万全ではない大蛇丸と互角(か、やや圧され気味)程度でした。キラビだって、一人で世界を焼け野原に出来るかと問われれば、難しい(無理)と即答するでしょう。

それから考えれば、ペインが自来也に言っていた…「禁術兵器」を"尾獣"のチャクラを集めて作る構想の方が現実的です。一発で大国を潰せる程の力が"尾獣"のチャクラを元に作れるのですから、ややもすると不安定な"人柱力"を保有するよりは余程効率が良いと言えます。だから、マダラが言う"尾獣"の配布でミリタリーバランスを取って来た…と主張する「柱間の政策」は絵に描いた餅のように現実味がないです。

それをあたかもマダラ(トビ)は史実のように説明していますが、現実を見誤っているか、妄信に過ぎないんじゃないか…或いは…(黒汗)。また、冒頭のちよ様の「("尾獣"は)世界各地に散り散りに…」と言う台詞からも、"尾獣"や"人柱力"が世界の安定に必ずしも必要ない事が明確に証明されています。やはり、"尾獣"を「力」と信じたちよ様や、言う事成す事、全てが真っ黒けのマダラ(トビ)が言う"尾獣"の意味には無理があります。

そして、それが解らない柱間ではなかった…と、僕は考えています。だから、僕は柱間がミリタリーバランスを確保する為に"尾獣"を同盟各国に配った訳ではなかったと考えています。柱間の政策に関する言及はマダラ(トビ)によってなされていますから、歪曲や捏造の可能性も否定できません。本来、柱間とマダラは政治的な信条の相違で衝突してた訳で、マダラが柱間を理解できなかった…。それが二人を終末の谷に導いたのですから…。

僕はズーッと、第399話「すべての始まり!!」の見開き(←あのカット一枚でどんだけやるつもりなんだよ!!)(43巻/180-181頁)の柱間とマダラが闘った「終末の谷の決闘」を考えて来たんですが、柱間もマダラも何処か「苦悩」を感じます。どちらも本心は闘いを拒んでいるようで…。二人は歳は離れていてもお互いを認め合う親友だったと思うんです。とても悲しい…その二人が闘うあの見開きには二人の悲鳴が谺(こだま)しているようにも感じます。

恐らく、"人柱力"で"尾獣"を封じる方法を考案したのは柱間でしょう。自分のコントロール下にある"尾獣"を実際に配布するにしても術式化した巻物が使用出来るのは柱間だけだった筈で(でないと、大巻物が主流になるでしょうから)、もっと平易な"尾獣"を配る為の方法論として"人柱力"を考え出したと思うんです。そして、その"人柱力"と言うシステムが圧倒的な力ではなかった…と言う現実を重ね合わせれば、柱間が同盟諸国に"尾獣"を配布した真意が見えて来ると思います。

"人柱力"は"尾獣"の『金庫』だった!!

巻物蝦蟇のゲロ寅に写し取られた「ナルトの鍵」は正にそれを言い当てていて、ゲロ寅も「金庫」(第41巻/16頁)と言う言葉を使っていましたね。柱間は"尾獣"のチャクラを悪用する輩の出現を想定していて、その上で"尾獣"を収集し、自分のコントロール下に置いておいた。それは柱間が"尾獣"の力を利用しようとしたのではなくて、"尾獣"を護っていたんじゃないでしょうか。"尾獣"のチャクラを悪しき行いに利用させない為に…。

しかし、柱間も悲しいかな人の身であり、老いもすれば天寿もあります。しかも、何故だかかは知れませんが、一代限りの異能に支えられた"尾獣"の守護でしたから、何らかの形でその役割を継承しなければならなかった…。そして柱間は"人柱力"を考え出して、同盟諸国に自分の管理下の"尾獣"を分散したんじゃないでしょうか。この柱間の「オレが!オレが!」じゃないところが"暁"の人外どもと明確なコントラストを成しています。

それがあの第420話「戦場、木ノ葉!!」の扉絵…「Tails」の提示なんだと、僕は考えています。別の方法でいくらでも強くなる方法論がある忍の世で、その身に夥(おびただ)しい量の「暴力」を封じる…ある意味、悲しき枷(かせ)である"人柱力"の九人。苦悩や懐疑。焦燥と孤独。そして、それらと闘う…力強さ。明るさ。逞しさ。彼らもまた「火の意志」の継承者だったんじゃないか…。

"尾獣"の各国への分散は、現在、"暁"(マダラ)が行っている「尾獣集め」に対する阻止行動だった…と、僕は考えています。そして、その延長線上にある「禁術兵器」の存在も柱間は気付いていた筈です。だから…だからこそ!!終末の谷でマダラから九尾を奪おうとしたんだと、僕は考えたんです。「うちはの写輪眼」と共に在る九尾は「禁術兵器」の最後の"鍵"(第39巻/69頁)であり、最強最悪のチャクラの塊でしたから…。

禁術兵器の設計図

「ミナトは何か重大な事実を知っていて
その事実のために九尾の力を我が子
託したのだとしたら…」(自来也)

自来也がゲロ寅(巻物蝦蟇)に言った「九尾事件」の真相へのアプローチです(第41巻/30頁)。「九尾事件」でミナトはその一命に換えて、ナルトの臍の緒に九尾を封印しています。自来也はミナトには全幅の信頼を寄せていまして、「九尾事件」でミナトがその一命を賭けてまで九尾を生まれて来た「我が子」=ナルトに封印しなければならなかった理由があるのだと力説してるかのようでした。

何が悲しくて…自分の子供に九尾など封印しましょうか!!

しかも、"人柱力"が圧倒的な「強さ」を生む手段でない事は明らかです。しかし、ミナトは自分の命と引き替えに屍鬼封尽を用い、九尾を陰陽分離し、九尾の陰のチャクラと一緒に死神に喰われました。このミナトの苦渋の選択には世界…忍界全体を見渡した「滅私」が潜んで居たのだと思います。そして、そこには終末の谷でマダラと闘った柱間と同質の「決意」があったのだ!!…と、僕は考えています。

「九尾事件」はミナトが仕組んだ!?

ミナトは柱間の遺志を引き継ぐ立場にある忍だったのではないかと、僕は考えています。「九尾事件」は偶発的に起こった自然災害や、木ノ葉を襲撃するテロではなく、寧ろ、ミナトが仕掛けた鹵獲戦だったんじゃないかと、僕には思えるんです。そもそも屍鬼封尽なんて自爆技をミナトがワザワザ編み出した…と言うところが何とも解せないのです。しかも、ナルトの出産(誕生日)とドンピシャのタイミングで起こった「九尾事件」…って都合が良過ぎ…(笑)。

「十六年前―
九尾が木ノ葉を襲った事件は
もちろんマダラが起こしたものだ
それも四代目によって
阻止されてしまった
つまり…
今のマダラは負け犬だ…
うちはの高みを手にするのは
奴じゃない」(イタチ)

「九尾事件」では四代目が九尾をナルトに封印する事に成功しています。屍鬼封尽の代償として自らの命を差し出して…。しかし、マダラ(か、九尾を動かした張本人)も九尾を失った…。それをして「負け犬」と言い、「高み」にないと言うイタチ。逆に言うとそれこそ「写輪眼」の目標だとも言えます。ここはちょっと濁しつつ(黒笑)、明言は「第六撃」に委ねる事とします。

勿論、僕はイタチを信じているので(第42巻/127頁)、「九尾事件」はマダラが引き起こしたものだと思っています。ただ、その引き金を引いたのはミナトだったんじゃないのか?と…思うんです。或いは、マダラの遺志を引き継ぐ…九尾を使役する立場にある写輪眼継承者である何者か…を、ミナトが闘いに引き込んだ…それが16年前の「九尾事件」だったのではないでしょうか。そして、クシナもそれに同意していた…。

事前にミナトはクシナに全てを打ち明け、それをクシナも快諾した。クシナは笑顔すら浮かべミナトを気遣ったんじゃないかと思います。これから生まれて来るお腹の子…ナルト…に、二人の決断がどのような運命を我が子に齎すか?それ以前に自らにどのような艱難辛苦を齎すかを知らない訳ではなかった筈です。二人は充分に納得した上で自分たちの役割を果たしたのです。そして、それが二人の「九尾事件」だったのだと思います。

探しもの… とは
サスケのことか?」(カカシ)

「………」(イタチ)

「………いや……
四代目火影の遺産ですよ……」(イタチ)

きっと、イタチはそれに気付いていた一人でしょう(第16巻/149頁)。カカシを"月読"で沈黙させた後、イタチはこの四代目に対するリスペクトに溢れた言葉を遺しました。写輪眼継承者であるイタチですし、勿論、写輪眼と九尾の関係も充分にしっています。そのイタチがナルトをミナトの「遺産」と言う気持ちには重みがあります。でも、イタチがギラギラしていないのは、「欲」がないからではないかと思います。ここもアレだ…「第六撃」にて…。

終末の谷から望む「九尾事件」…。

そこには写輪眼から九尾を奪おうとする「千手の使命」が色濃く滲んで見えます。それが「終末の谷の決闘」の柱間と、「九尾事件」でのミナトとの…僕が感じる類似性です。九尾が写輪眼と共に在る事が何を意味するのか?うちはの「高み」とは…。それが「千手の使命」を上手く説明してくれます。そして、ミナトは多大な犠牲を払いながらも見事に九尾の鹵獲をに成功しました。ミナトも柱間のように、信じる事ができる「誰か」に想いを託せた…。「火の意志」は継承されたのです。

写輪眼と九尾の分断…それが「九尾事件」だった…。
何故なら、「うちは一族」とは…ザザザッ…ザザッ……。

と言う事で…「第六撃」に続きます…(←いつ書くんだよ!!)



  

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