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「悋気・秘話」(愛について)

 
書くべきか書かざるべきか悩みに悩んだ。

その人は「如月」というHNでナル×ジャンに来た…。

いつだったか、二年前か三年前か…四年?僕がシコシコと考察を書いてる最中、如月さんは初めてメッセージをよこした。今でこそ徳政令を戴いて(勝手に宣言して…)メッセージのお返事は割愛させて貰ってますが、当時はセッセとお返事を書いてました。豊富な語彙。感情が豊かで、言葉には力があり、僕と同じ様にブログをやっても良いのになー…と思って、それを事あるごとにお勧めしたが、如月さんは断固として拒んだ。とても繊細で臆病な人でした。如月さんは常に恐る恐る言葉を選んで僕にアクセスして来ました。こんな事があったな…。二回目か三回目のお返事で、HNを「卯月」(四月)と間違ってしまった(滝汗)。ま…いろんな方に返信をしとりましたので。それを「生まれ月なので…」と如月さんは返した。

僕は最期まで如月さんの誕生日を聞く事はなかったけれど、ターミナルの中でそれが必ずしも正確ではない事を知り…今にして思えば、二月(如月)に初めてメッセージを戴いた記憶が過り、もしかしたら…ナル×ジャンに初めてアクセスした時を「記念日」としてくれたのかな…と思い当たり、如月さんの奥ゆかしさを静かに感じました。そんな重さはなくとも、ある種の踏ん切りが必要なくらい、僕にアクセスする事が勇気の要る事だったんだと、初めて戴いたメッセージが有り難く思えて仕方なかった。如月さんはナル×ジャンを愛してくれたんだろうな…と、愛おしく懐かしく思えた。去年、如月さんは逝かれた。いきなり宣告を受けた進行癌が如月さんを黄泉の国へと連れ去ってしまった。嵐の様な一年間だった…。

如月さんはとてもキレイな女性だった(…そうです)。僕は如月さんの性別や容姿には些かも拘らなかったんだけど、ミスキャンパスで、モデルの佐々木なんたらという美女にクリソツだったんだそうです。しかも若い(脂汗)。関西の名立たる一等地の、グランドピアノのある家で育った…と知ったのは如月さんがターミナルに入ってからだった。しかし、そんなスペックはそもそも関係なかった。僕は如月さんのアイデアとか文学性を評価してたからだ。それに、ケルベロスに惚れた娘を、生身の僕が何とかするなんてのは滑稽な事に思えて、想像すらしなかった。ケルベロスとは「意識体」だと、生身の僕は考えている。それを「思想」と言い換えても良い。それと生身の僕は全く違うのだから、手の出しようがない(滝汗)。

ケルベロスは凄くモテる…と、生身の僕は思っている。告られるなんてのは日常茶飯事で、如月さんにも何度も告られ、ケルベロスは堅物なので、その都度、丁重にお断りしていた。告る→玉砕→復活→告る…のサイクルが何度も続いた。燃え盛る炎の如き情熱で僕に詰め寄り、僕の取りつく島もない言葉に白き灰になりながらも、そこから何度も立ち上がり雄々しく飛び立つ様は正に不死鳥(フェニックス)のように思えた。僕はケルベロスである時、意識体なのだと思う。感情や思考が何の防御もない状態…魂が剥き出しになって…で漂う考えそのものなんだと思ってる。それが『NARUTO -ナルト-』という物語に潜りに潜り、時には誰かに憑依し、刃に刺され、心にのしかかられ、物語の「忍」という生き様を感じてるのである。

同じ様に「魂」にとって、ケルベロスの「理解力」とは魅力的なんだろう。何でか…如月さんがエマージェンシーコールを発信してるのは、ケルベロスにはすぐに解った。トビが発する「理解されてないオーラ」と凄く似ている。それがターミナルの中で次第に明かされた来て如月さんのスペックが知れ、ある程度、具現化した。如月さんが何故、ケルベロスなどにに恋したのか?は、ケルベロスが如月さんの経歴や容姿に一切、無関心だったからだと、僕(生身の…)は思う。生身の彼女(如月)は愛されるべき存在だった。同性の友達が躍起になる程、彼女は光り輝く存在だった。だから、ご遺族も友達もケルベロスなんて「何処の馬の骨だか」に心酔する彼女の気持ちが解らない。そして、彼らは僕に彼女との男女の間の「愛」を望んだ。

一応大人なので表面上、僕はそれに応えた。しかし、一方でそうしなければならなかった事が、彼女の「理解されてないオーラ」の根源なのだと、僕は言いたかった。この時、僕は彼女と同じ様に口を閉ざしたのだと思う。きっと、その行動に彼女の「魂」と如月は拍手を今も贈り続けている事だろう。ケルベロスと生身の僕の気持ちはこの時シンクロしていたのだ。僕らはこの「魂」を抱き締めて離さない事で一致していた。申し訳ないが、そこには男女の「愛」なんてのはなかった。僕らはこの「魂」が「愛」に迷わない事だけを願った。唯唯、理解する事だけに腐心した。僕らは大蛇丸の様に彼女に欲しがるものなら何でも与えた。彼女の病状が悪化して彼女のいろんなモノが奪われて行く中、そのスピードは限りなく速まった…。

後日、ご遺族から彼女の日記が届いた。僕の手元にある事が妥当との判断で、僕も了承して謹んで受領した。丁寧にキレイな字が並ぶ頁が次第に乱れ、闘病の壮絶さを物語っていた。未だに全てを読む事ができずに居る。僕は人間だから。生身だから痛いのだ。こんなにも生きたいと思う人が生きられない現実が、僕には受け容れられない。未だに。何で彼女が…と、未だに思っている。身を切られる痛さと、これを読むのは同じだろう。ご遺族が手元に置けなかった…から、僕がこの痛みを引き継いだのは、僕が生きている証みたいなものになった。十字架を背負う気持ちが解る。今も痛いから。自分が生きている事すら不義理にすら感じる。そのくらいの痛みが、この日記にはあった。

それは人が生きる重さなのだと思う。

以下、如月さんの日記から抜粋。

『夏に雪を見た…
一緒に同じ雪を見た
嬉しかった
あなたが雪を降らせてくれた
ここに居る
すぐそばに
優しい視線が嬉しくて恥ずかしくて
のぞき込まれると紅潮しちゃう
ガキみたいでつまんないだろな…
忘れないよ
もう忘れられないよ
大切な想いだよ
魂が覚えた大切な想いだよ
忘れないよ』

雪

雪

雪を見たいと彼女は言った。

僕はググってググってググりまくった。
ありとあらゆる「雪」を探しまくった。
おそらく「雪」に関する全てをググりまくり彼女に贈った。

『さくらの花
小さな一輪が散っても誰も気づかないのに
小さな一つが一生懸命に生きたことを見つめてくれた人がいる
散るまでずっと見てくれる
小さな一つは決して自分が特別じゃないことを知っています
でも幸せなんです
あなたを見て笑っています
あなたの元気になりたいと笑っています
もう落っこちそうです
落ちたら今度は空を見上げます
照らしてもらえるでしょうか
また咲けるでしょうか
あなたのそばでまた咲けるでしょうか
また咲くと信じてもらえるでしょうか
いっしょに笑える時を待っててもらえるでしょうか』

桜

「桜」が見たい。
彼女は唐突に言い出した。
僕は全ての能力を使い切るように「桜」の画像を探しまわった。

『美ら海に行こう
あなたが手をつないでくれた
何かかいじゅうみたいのにつかまえられて引っぱり合いっこになって
かいじゅうの爪が背中と胸に食い込んであなたが手を放した
私が痛がったから
叫んだらあなたが辛くなるから
泣いたらあなたも泣くから
私は泣かないよ
ありがとう
無事にお家に帰ってねって…
へんな夢
あなたは優しい
いつもありがとう』

海

海

「海」くらいなんぼでも…。
病床の彼女の携帯に、僕は彼女が見たいだろう世界を贈り続けた。

古今和歌集のお気に入りの句があれば、その対句を返し、紀貫之が所望なれば彼の全作品をネットのから抽出して即座に送り届けた…。ソレ以外にも…生身の人間にこんな事が出来るのか…過労死するんじゃないのか…と心配してくれても良いほど、僕は過酷なタスクをこの時こなしていたと思ってる(笑)。それはちょっと言い杉だけど、そのくらいの鬼手を僕は振るってたと、今にしては思う。僕は僕の出来る限りで彼女の「魂」に応えた。どんなに忙しくても眠くても、何故だかそれだけは出来た。それはきっと「体」ではなくて「魂」が鬼の様に働いていたからだろう。僕らはそういう関係だった。それを男女の「愛」じゃないけど、僕は「愛」だと感じてたのさ。もうどうでも良い事だよ。これが「愛」のなせるワザじゃなきゃ何なのサ!!

僕は病床の彼女に僕の作品としてのメールを送り続けた。「魂」が僕の体から羽をドンドン啄んでいった。僕はそれを善しとした。こんな羽でよければいくらでもくれてやる!!この羽でドンドン織物を織ってやる。僕の「魂」は彼女の「魂」に寄り添っているのだ。女とか男とか関係ない。これを「愛」じゃないとは言わせないよ。僕が彼女に会わない事を責められもしたが…僕と彼女はこんなにも近くにいるのだ。手すら繋げるほどに。僕は唯唯、彼女の「魂」を抱き締めていた。僕は僕の吐き出す言葉で彼女を埋め尽くそうと思っていた。何百通のメールを僕は彼女に贈った。しかして、それにやましい事など一欠片もない。僕はそれを彼女の死後、彼女のご両親、ご遺族に見て欲しいと、彼女の一番近くにいる親友に懇願した。

彼女は僕の贈った全てを消去していた。

僕が彼女に贈ったメールも画像も、彼女の利き手に握りしめられた携帯のメモリーは空っぽになっていたという。僕は彼女と交わした全てを誰かに見せたかった。一冊の本にすらなると思っていた。僕と彼女は作品を練っていたのだと、僕は思っていた。しかし、彼女はその全てを消し去った。二人で紡いだ言葉の全て。画像も根こそぎ消し去った。ご遺族はそれを「僕を守る為」だと思った。男と女の間柄を想像したのか?僕の背景を察して遠慮したのか…例えば、結婚してるとか、地位があるとか…全くあたらないんですが(笑)…凄く下らないと、僕は思った。彼女は携帯の中身を消したのではない。連れ去ったのだ。彼女は誰にも二人のお話を見せる気はなかったのだと、僕は信じて止まない。悪いが反論は許さない。

彼女は「僕の言葉」を独り占めにしたかったのだ。

『私はヤキモチを焼くんだ…
そっか…ヤキモチか…
何だか照れ臭いな
でも、ヤキモチって嫌な感じなんだな
「ヤ」な「キモチ」で「ヤキモチ」なのかな
凄く切なくてカッコ悪いような…
ヤな気持ちだった
自分が嫌になる
これって「好き」って気持ちの裏返しみたいなものかな?

いや違うな…
こんなの初めてだもの
私ってこれまでの恋愛の仕方が変だったのかも知れないなぁ
恋愛って考えて考えてするものじゃなくて
もっとこう…んーこんな感じ!(←どんな感じ!?)
あの人なら
どう表現なさるのかしら?
きっと私の魂を振るわせてくださるような言葉をサラリと仰るんだろうな…

「そうなの!それ、それッ!」って私(笑)
あの人に逢えたら
あの人の側で
あの人の言葉を毎日聴いて
私はきっと目を輝かせて胸を躍らせて酔っちゃうんだろうな…
必死でメモるかも(笑)
いやボイスレコーダーという手があるゾ!
逢いたいな…』

彼女の「悋気」の可愛らしいさを、
僕は今も噛み締めている。

この「魂」に敬意を表す。

「悋気・秘話」(愛について)
ナル×ジャン ケルベロス



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「悋気」(後編)(愛について)


「悋気」(前編)の続き…。

ナルトがサスケにギトギトしたり、サスケがダンゾウの示すイタチの深層への理解にソワソワしたりするのに、僕は鼻をクンクンしてる訳です(笑)。その機微は決してカッコ良くもなく華々しくもない。ギトギトの脂ギッシュでガツガツしててはしたなく汚らしい。しかし、見るに堪えない…ってのではなくて、何気に色っぽくて、そこはかと無く美しい。僕はちょっと卑しくて、ちょっと品のない人の心の汚らしい部分が好きな人なんではないかと思います。そして、その汚らしさが何故だか大蛇丸周辺に多量に沈殿してる…。その意味を考えると、僕がギトギトとかソワソワとか形容する「汚らしさ」に幾許の嫌悪感も感じず、寧ろどうしようもなく…愛してしまう「人の心」が見えて来るのではないかと、期待しながらこの考察を書いています。

愛しい汚らしさ…が人には在ると思うのです。


「………
何を企んでる?」(トビ)

「…別に何も…
ボクの興味は忍術の純粋な真理
」(カブト)

「その探求のためには
サスケくんが必要なだけ
生きた若くて繊細な
うちはの人間が欲しい」(カブト)

それで、何でこんなお話に食い付いたのか…ってところから話すと、カブト(カブチ丸)がトビに口寄せ・穢土転生で交渉したシーン…第490話「九尾の真実!!」(100412追記…キラビ)のカブトの一言…否…語尾の「ィ」の所為(笑)。あの時、「ィ」には皆、食い付きましたよね。僕はカブトに大蛇丸を強く感じました。しかし、それがカブトを埋め尽くした大蛇丸なのか、カブトが完璧に理解(コントロール)した大蛇丸なのかは断定できませんでした。どっちにしてもこの時の「ィ」は僕が言う「汚らしい気持ち」なんだと思います。サスケが欲しい。「うちは」の若く繊細なカラダ…。でも、待てよ…この気持ちってカブトは持ってなかったな…と、ふと思い当たる訳。カブトはこんな風にサスケを感じてはいなかった…ですよね。

第一部の中忍試験の行…大蛇丸とカブトがしっぽりと木ノ葉の某所で密会したシーンで、大蛇丸は確かにカブトを計りかねていました。大蛇丸がカブトを「腹心の部下」と位置付けるのは強ちリップサービスではなくて、ある程度の依存が存在していたのかも知れません。大蛇丸は全く何も与えないで欲しがる人では無くて、大切な何かをちゃんと与える人だと思うんですね。それが大蛇丸のカリスマを強固にしてる訳で、大蛇丸がカブトにある程度依存する事には意味があった…。それが狙ったあざといやり口ではなくて極めて天然なのが、僕が考える大蛇丸像にはしっくり来るんですが、実際どうなのか判別し難いです。ま、ちょっとやそっとじゃ解らない人で良いんです。だから大蛇丸は可愛く素敵なのだと思います。


「早く私色に染めないとねェ…」(大蛇丸)

<ゾッ>(カブト)

「では…」<スッ>(カブト)

「カブト…お前…」(大蛇丸)

「私を止めたいなら………」(大蛇丸)

「今
サスケくんを殺すしかないわよ…」
(大蛇丸)

未だに大蛇丸の言葉の真意が諸説在るあの行…(第10巻/129-130頁)。大蛇丸を「止める」為にサスケを「殺す」って、何?!大蛇丸はカブトに何でこんな事を言ったのか?この闇は深い…深いです。でも、大蛇丸って実は単純明快な人でホントに純粋に全ての忍術を我がモノにしたい…と考える「欲しがりスト」なんだと思うんです。先に示した「ィ」が、サスケの才能に対する汚らしい「欲求」だったと考えてまして、それは「純粋な汚らしさ」であり、それが大蛇丸の生き様とキレイに重なります。つまり、カブトは完全に大蛇丸に乗っ取られた…事になりますが…その真偽は今後の楽しみにとっとくとして、それにカブトがトビとのネゴシエーションで併せ持った冷静さは大蛇丸とはちょっと掛け離れてると、僕は思うんですよ。

ぶっちゃけ、大蛇丸は写輪眼というサスケの「才能」を純粋に愛してたんだと、僕は考えています。大蛇丸はホントに「忍術の真理」を解き明かしたくて、六道仙人の兄系の血統が欲しいが故にサスケにアクセスしただけであって、サスケをちゃんと見て、サスケという人間を愛してた訳じゃないと思うんです。例えば、サスケを本気で愛してたとしたら、如何に恩知らずのサスケでも、あんなに躊躇なく大蛇丸を切り刻むなんて出来ないでしょ。ちなみにサスケの内面は大蛇丸を殺った時とダンゾウが殺られた橋梁でサクラを千鳥で背後から串刺しにしようとした時では全く違ってて、それは香燐が感じるサスケのチャクラの変質が如実に物語ってます。サスケが「殺し」に戸惑わなくなってチャクラが「濃く冷たく」なったのね。


「!!」(カブト)

「お前じゃ私を殺せないでしょ……
強いといっても…カカシと同じ程度じゃねェ…」(大蛇丸)

<ゴク>(カブト)

「フフ…冗談よ…」(大蛇丸)

「さぁ行っていいわよ!
お前を信用してるから…」(大蛇丸)


「………」(カブト)

<ダッ><サッ>(カブト)

(フフ…あの顔…
何を考えてるのやら…)
(大蛇丸)

大蛇丸にとってサスケは「才能」そのもので…その「才能」を殺すしかない事情が当時のカブトにはあった…。大蛇丸を止めたいのなら…大蛇丸が不死転生の術の依憑(よりわら)にサスケを使うのを止めるにはサスケを殺すしかない…そう大蛇丸はカブトに迫っているのです。大蛇丸とカブトの絡みは未だに諸説在る。ココ、非常に難解だと思います。実は大蛇丸自身もカブトの本心に関して断定できるには至ってはおらず、人の業と申しますか、心のドロドロした部分の解析とは難しいものです。でも、一つだけ確かなのは大蛇丸は少なくともカブトのドロドロした心を感じ取ろうとしてるところだと思うんです。カブトとの駆け引きの中で大蛇丸はカブトの汚らしくドロドロしたところを弄(まさぐ)っているんです(第10巻/130-131頁)。

僕が大蛇丸がこんな風にドロドロが好きなところが堪んないのです。凄く人間っぽいじゃない。人間って誰も皆、欲しがりで汚らしいものです。大蛇丸は人間が本来持つ欲求に従順なだけだと思うんです。そこが凄く純粋で無邪気で意地らしいです。僕が大蛇丸を好きなのって、そこなんだろうと思います。大蛇丸を慕う部下達もきっとそこに食い付いてる自信みたいなものすらあります。大蛇丸に心酔する君麻呂なんて、まさにソレでしょ。だから君麻呂が汚らしくサスケを感じ、残した気持ち。大蛇丸の為のサスケを奪い、届けた行い。君麻呂を心の底から理解していた…君麻呂と唯一無二の親友だった重吾がサスケの忍道を見極める覚悟を持って受け入れたのは、君麻呂の一途な気持ちが愛しかったからだと、僕は考える人なのよ。


<スタ><スタ>「フー…
優秀過ぎるってのも考えものだね…」(カブト)

「ボクらは目立ち過ぎた
大蛇丸様の目に留まったのは
お互い不幸だったかな…」(カブト)

(こんな幼くとも
心には悪魔が巣くっているとはね…
そこを利用され…
いずれはあの忍術でこの子も…)(カブト)

一方、カブトの心持ちに目を移すと…(第10巻/134-135頁)。カブトもドロドロとした汚らしさを放っていて、それがこの時、「同情」に変換されてサスケに向いてたんじゃーないかと、僕は考えています。カブトが大蛇丸の細胞を取り込んで大蛇丸を感じるアイデンティティを選択したのは、「バカなことを…」(byヤマト)なんだけれど、カブトが抱くサスケに対する「同情」とは決して自分に向く事のない…サスケだけが持ち得る権利みたいなもんで、それが「血継限界」という不公平に対する諦めだったんじゃなかと思うんです。その点に関してカブトは大蛇丸とシンクロしてて、ぶっちゃけ似た者同士…二人共、「千手」でも「うちは」でもない単なる凡小な超天才に過ぎなかった…なんだと思います。

カブトが「不幸」というのは大蛇丸と出逢ってしまった事を指してまして、その何たるかはナル×ジャン的には「恋」そのもので、大蛇丸という人に出逢ってしまったが為に奈落に堕ちる「運命」を、カブトは悩ましく思ってるんだと思います。ここで決して悔やんだり悲しんだりはしてないのがポイントで、それをして「恋」とナル×ジャンでは考えてる訳。理屈じゃないので、これはもう自分で体当たりで経験してもらわないと解らないと思います。この辺の知覚に関しては女子の方が何倍もレディネスが高くて、ナル×ジャンにハマった女子ならば「そんなの当たり前だわサ」なんだろうけど、少年少女にはチクとハードルが高いかもね。何でも練習だから恋愛の荒波に是非とも揉まれてみて下さいな(笑)。

傷付いても若い内は治りが速いから…。

ちなみに、カブトがサスケの心に巣くう「悪魔」と呼んでいるのはイタチが植え付けたもので、大蛇丸がした事じゃないと思います。イタチが大蛇丸という「巣」にサスケという「卵」を忍び込ませた…托卵(たくらん)…だけで、大蛇丸はサスケの素性をそのまま伸ばす為に教育なんてしてない筈です。欲しがるものなら何でも与え、術を教え、成長の場を提供した…だけ。サスケのスペックが向上すれば大蛇丸は満足で、そこに「愛」はあったのか?!(滝汗)もし在るとするなら「自己愛」なんじゃねーのか?と、まるで自分を見る様に…僕は大蛇丸の所行を感じてます(笑)。サスケを教化したたのはイタチであって、大蛇丸じゃない。サスケの「力」だけを伸ばしたのはあくまでもイタチが与えた「孤独という闇」なのサ(余談)。

(カブト…)(大蛇丸)

(ひょっとするとホントに…
…サスケくんを殺しちゃうかもね
………)(大蛇丸)

大蛇丸ですら、ちょっとビビるくらいカブトは解り難くて、大蛇丸亡き後の大蛇丸にならん事を、この頃、誰が想像できたでしょうか。そもそも大蛇丸がサスケごときに切り刻まれるなんて「申し合わせ」にしか思えんかったし。サスケも大蛇丸を殺った事は自慢できる戦果(大蛇丸は弱ってた…的な)とはしてないので「含み」はバリバリあると思います。大蛇丸が誰よりも自分を愛する人でなければ、イタチの幸せの王子様的な「情報生命体」の存在意義もあったんだけど、大蛇丸の気質からすれば自分の「欲求」こそが最優先だから、全人的な「愛」に溢れた生き様は想像できません。それよりも、もっとドロドロしたカブトや、天地橋のナルトや、イタチを理解するダンゾウを呪ったサスケの様な…汚らしい生き様が大蛇丸には似合う。

…と言うか、大蛇丸はそれを自らのカリスマに変えてた人だと思うんです。人が最も人らしい…利己的で排他的…自己愛の真骨頂が大蛇丸でしょうよ。でも、大蛇丸は他の何かじゃなくて「自分」に気持ちを向けさせてるんです。大蛇丸の部下は誰もが大蛇丸に心酔する傾向がありましたよね。簡単に言うと、誰もが大蛇丸を愛してた状態。カブトだってそうだと思います。それが大蛇丸です。大蛇丸は愛される事で人をコントロールしてたんです。それが大蛇丸のカリスマだと、僕は考えています。大蛇丸は極めて純粋に生きてるから人の汚らしい…本能的な欲求に訴えるのが上手だったのだと思います。「上手」…といううよりは「天然」と例えるのが合理的。大蛇丸に「人間失格」の血の付いたハンケチは似合わんですよ(笑)。

その真逆がトビだと言えば解って貰えるでしょうか。大蛇丸は人間っぽくて、汚らしくドロドロしています。その波長が大蛇丸に触れるいろんな人の汚らしい部分を刺激してこれまでも物語に大いに関与して来た訳です。少なくとも大蛇丸には「愛」があったと思うんです。大蛇丸は手ゴマの気持ちを自分に向けさせる人ですから。そこがトビとは決定的に違う訳。トビはトビじゃなく誰か他に向けさせてたよね。それが大蛇丸とトビじゃー180度違うのよ。トビは人の心の闇…「憎しみ」を暴走させる手法で人を操ったのであって、そこに「愛」なんてのはないと思います。それに対して大蛇丸はその人の興味を自分に向かせています。大蛇丸は体を張っているのです。生き様として大蛇丸は正々堂々としてると、僕は思うんです。


「お前と会うのは二度目だが
千手の火の意志がお前の中に宿っているのが分かる
今もお前の中に初代火影を見る事ができる
死んでもなおあいつは生き続けている

オレの憧れであり…ライバルであり…
オレの最も憎んだ男」
(トビ)

「………」(トビ)

「千手とうちは
火の意志と憎しみ
ナルトとサスケ…

お前達二人は運命に選ばれた
次の二人になるだろう」
(トビ)

ヤマトの木遁チャクラにはピクリとも反応しないトビが何故だかナルトとサスケにパクリと食い付いてますよね(笑)(第49巻/166頁)。この辺は「トビの溜め息」(第463話「サスケVS雷影!!」補足)に書き尽くしたんですが、トビにも嫌らしい気持ちはあります。しかし、それが自分の欲でなく誰かの為にあるように響いて、トビの人間味が感じられないのです。そのサラサラした感じが大蛇丸と決定的に違うのです。これが、トビにカリスマを感じない理由なんだ…と、僕は考えてまして、トビの描写に絶えず付きまとう物足りなさの正体なんだと考えています。そして、その物足りなさこそ「トビ=マダラ」だとは思わない根拠であり、恐らく「トビ=ラスボス」にはなり得ないとする予想の根拠でもあります。

人は汚らしく卑しい生き物です。しかし、それが嫌だとはこれっぽっちも思わないし、だからこそ人は愛しく可愛いのだと、僕は思います。ナルトがサスケの「名」に激情し、サスケが自分よりもイタチを理解してそうな予感に慌てふためき、大蛇丸がカブトの心の奥底を弄り、トビがナルトの中に今も息衝く千手柱間に憧れと憎しみを漏らした…皆、悩みながら躓きながら生きてるから汚らしい気持ちを垂れ流してしまうのです。でも、それが人間なんだから、恥ずかしいことじゃない。それを感じさせない方が可笑しいです。もっともっと人間味を受け入れて欲しいです。そして、そんな人の可愛らしさ…『NARUTO -ナルト-』のあちこちに描かれる「悋気」に気付ければ、物語の味わいが一層深まって行くことでしょう。

「悋気」(愛について)
ナル×ジャン ケルベロス

りん‐き【悋気】:[名](スル)男女間のことなどでやきもちをやくこと。
嫉妬(しっと)(大辞泉)。


  
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「悋気」(前編)(愛について)

 
「てめーのもんじゃねェ…」(ナルト)

「!」(大蛇丸)

<ボコボコ>(ナルト)

<ボゴゴゴ>(ナルト)

「オレの前で自分のものみてーに
サスケの名を口にすんじゃねーってなよ!!」
(ナルト)

天地橋任務で大蛇丸をぶっ飛ばした後、大蛇丸がヤマトの秘密(初代の遺伝子情報云々)をひけらかし、次いでサスケの「名」を口にした途端、ナルトはブチ切れちゃった…(第33巻/41頁)。そして、自来也があれ程「あの術は使うなよ…」(第28巻/142頁)と止めたのに…。ちなみに…ナル×ジャンでは「九尾の衣→四本目・九尾Ver.2」「あの術」と認定しとりまして。大蛇丸も不意を衝かれ、尚かつナルトの成長を見誤り、強か頬を張られ殴り跳ばされた腹いせに、ヤマトの秘められた過去を弄ったのがナルトに点火しちゃったと、僕は思うんですよ。やっぱヤマトはナルトにとっては特別です。ヤマトには初代の遺伝子情報が中途半端にでも載っかってるもんだから、ナルトも必要以上に影響されちゃってるんです。

「今もお前の中に初代火影を見る事ができる」(トビ)

宿八で半落ちしたトビがナルトに柱間を感じたくらいだから、柱間の遺伝子情報に人生を翻弄されてるヤマトがナルトに魅かれない筈ないのです。ヤマトが温泉宿で「これから忙しくなる予言」をしたり(第32巻/125頁)、ペインの木ノ葉襲撃事件で自分の掌に「八」の文字が浮き上がった時のアタフタ振りとか、ナルトが自来也にもカカシにも感じない畏怖をヤマトにのみ感じる機微など、ヤマトとナルトの関係性とは極めて正統的な親子の関係に近い感じがしておりました。そもそも、ナルトは四代目火影・波風ミナトの子であり、恐らくは特別な系譜に位置すると思われ、「千手」(=六道仙人の弟系の血筋)だろうことは鉄板でしょう。それに似非千手柱間(失礼!!nog...)のヤマトが感応してると、僕は考えてる訳です。

ナルトもヤマトもお互いに魅かれ合って二人の一種独特な関係を構築してまして、それは悪いけど他の先生方とは一線を画しています。唯一、近似する「何か」を感じるのはナルトと綱手の関係性で、もう少し綱手に「母性」が完備されていたなら、もっとナルトがデレデレになっちゃうんじゃないかと想像しています。でも、綱手は「ダン→縄樹」の悲しみの波状攻撃に遭い心を閉ざしてしまった…マイナスの上でもナルトには一方ならぬ思い入れがあり、彼女の決断に大いに影響しています。綱手もナルトには吝かじゃーないのです。やはり、それには千手柱間の孫としての「血縁」が大きく影響しているのだと思います。同じ考え方で自来也も「千手」の特別な系譜の可能性も残している…かも知れんと、僕は考えています。

(雷影様の体内の神経伝達…
反応スピードは黄色い閃光に劣らない…
こいつらよくついてきている方だ
しかし
反射を活性化するための
雷遁チャクラをまとった以上
写輪眼でも追いつけない)(シー)

それは雲隠れのシーが零した雷影の情報でカスっています(第49巻/155頁)。雷影の「雷遁の鎧」をして、「黄色い閃光」と比較する辺り、雷影も「千手」と無関係ではないなー…と、僕は思ったのです。雷影のプロテイン好きのマッスルトレーニング好きって、「仙人の肉体」に対する憧れとかリスペクトなんじゃないかと思うんですよ。だから、今回、雷影兄ちゃんの弟であるキラビにナルトが弟子入りする運びはやはり「運命」の導きに思え、ナルトが妙に落ち着いてるのが、血が導いてる所為だと思えて仕方ないのです。それが、自来也とナルトの師弟関係にも適用されたとしても不思議ではないなーと。ま、それはナルトのキラビに対する反応で解ると思いますんで置いときますか。問題はナルトの赤っ恥のブチ切れなんだワ。

「…確かに大蛇丸とやった時は
自分から九尾の力に頼って
自分の意志を預ける事になっちまった
サスケの事を言われてカッとなっちまって…
すぐにでも大蛇丸をやっつけたくてよ

そのせいでサクラちゃん傷つけて……
ヤマト隊長は九尾のチャクラに頼るんじゃなく
自分の力で戦えって言った

人柱力を抑えるヤマト隊長
見守られての修行ならともかく
戦いでは憎しみの気持ちが常につのっていくから
だからもう九尾の力はいらねェと思った」(ナルト)

第490話「九尾の真実!!」(ナルトのチャクラ編)で、ナルトもそれは認めてまして、ナルトがサスケに対して想いが深いから、大蛇丸の煽りにブチ切れてしまった訳で、大蛇丸はそれを知っていて、ナルトの父親の香りのするヤマトの秘密を暴露した後、サスケの「名」に手を掛けようとしてみせた…ワザとヤマトを弄ってからサスケにジャンプアップしてまして、それが案の定、ナルトにチャッカしてしまった訳です。大蛇丸は「欲しがりスト」なんだけど、それは自分に何も無いからじゃーないかと思うんです。自来也に大蛇丸が苛つくのも「血統」に対する劣等感があったのかも知れませんね。そして、大蛇丸の渇望感は「うちは」にも及ぶ…訳。「運命」という最大の不公平が大蛇丸の人生を狂わせたんじゃないのかな。

大蛇丸の「不死転生の術」なんてのは、無い物ねだりの極地でして、「血継限界」という「血統」を手にする為に、自分の「血統」を捨てちゃったに過ぎないのです。これはアイデンティティの観点から言わせれば全くのフォルトで、誰かになろうとしちゃった失敗例な訳です。それを「情報生命体」と言って崇めるのは勝手なんだけど、凄く悲しい事なんだと気付くべきかと、僕としては思うのです。大蛇丸なんて凄く素敵な人だと思うんです。知性や教養が豊かで、何より優しい。それに…(ただし…)。今でも大蛇丸が綱手にノン気だったからダンに走っちゃったんだと、僕は思ってます。そんな大蛇丸がナルトを特別視するのは、やっぱ「血迷った…」としか思えんとです。文字通り「血に迷った」のよ(笑)。

大蛇丸がナルトをブチ切れさせたのは、大蛇丸にとってナルトが羨ましかったからで、ナルトを欲しなかったのは「千手」だったからで、「うちは」のサスケに走っちゃった…。そして、「千手」でも「うちは」でもない単なる大天才の大蛇丸が煽りに煽ったもんだからナルトは未熟な分際で九尾のチャクラにアクセスして汚染されちゃったのです。でも、こんな風に「情」を迸(ほとばし)らせ、滾(たぎ)らせるのって、人間っぽいなーと、僕は思うんです。大蛇丸もナルトを上から見るだけでなく、羨ましいオーラがドクドクと吹き出してた筈で、大蛇丸の心の暗がりの中に可愛らしさすら漂ってる気がして…捨て置けないでいます。大蛇丸とナルトから漏れ出した…それぞれの汚らしさが、僕にはしくて仕方ないのです。


サスケの場合…(100422)

<ギッ>(サスケ)

「本当かと聞いてるんだ!!」<ボギギギギ>(サスケ)

「!!!」(ダンゾウ)

「うぐっ!!」<コフッ>(ダンゾウ)

「くっ…」<ミシシシシ…>(ダンゾウ)


「さっさと答えろ!」(サスケ)

「………」(香燐)

「…あいつは…
そんな男ではないと思っていたが…」
(ダンゾウ)

「!?」(サスケ)

「イタチめ…
死に際に…全てを喋りおったか…
やはり…お前だけは…
特別だった…ようだな
」(ダンゾウ)

「………!」(サスケ)

「うちはは
木ノ葉隠れの里の誇り高き一族だと…
お前にはそう信じさせておきたかった

お前に本当の事を決して知られぬよう…
火影に願い里を抜けた時より
お前と戦い死ぬ事を心に決めていたのだ

名誉の代償に汚名を…
愛の代償に憎しみを受け取り
それでもなおイタチは笑って死んでいった」(トビ)

「弟のお前にうちはの名を託し
お前をずっと騙し続けたまま」
(トビ)

「本当…だったって事か」(サスケ)

第476話「サスケVSダンゾウ…!!」①(サスケ盲目編)の裏で「過呼吸」で倒れるナルトを余所に…サスケはダンゾウ相手に自身の中に滾(たぎ)る汚らしい気持ちをダンゾウにぶつけます。確かにダンゾウは「うちは虐殺」に関わる木ノ葉の上層部の一人であり、めちゃくちゃ悪い風貌から悪事の主犯格の刷り込みはありますが、サスケが天照に”須佐能呼”まで惜しみなく出してバテる事も省みず責め立てるのは、自分が知らないイタチをダンゾウは知っていると、サスケが感じてしまったからだと思います。そして、ダンゾウが”イザナギ”なんて不可解な忍術を使ってサスケを焦らせ、サスケの猛攻をどこ吹く風で受け切ってしまったのも、逆撫で好き「うちは」のお株を奪う蛮行が「火に油」だったようです(笑)。

「…あいつは…
そんな男ではないと思っていたが…」
(ダンゾウ)

この一言がサスケを大いに焦らせています。知っての通り、サスケの知り得た「イタチの真実」とはトビの伝聞に過ぎません。ダンゾウがサスケの知識に戸惑うのはイタチを信用していた事の裏返しであり、サスケがイタチをその手にかけても尚、信じられなかったイタチをダンゾウが信じていた事が、サスケにはこの上もないショックだったんだと思います。サスケは「うちは虐殺」で全てを失ったと思い込んでいただけだと思うんです。サスケを想う木ノ葉の仲間やナルト、カカシ、サクラの第七班が居たし、何たってイタチが居たじゃない。「水魚の交わり」とも思える”鷹”だって作り上げたじゃない。それなのにサスケが孤独を引き摺ってしまうのは、僕には甘ったれに見えて仕方ないのです。

そんなサスケの前で、落ち着き払ってイタチを認め、サスケが知らないイタチを知ってますがな的なダンゾウに気が気じゃない訳。それがトビをも心配させるハイペースのサスケの「攻め」を生み出していたのだと思います。もし、今以上に、自分が知らないイタチをダンゾウに語られたりしたら、サスケがガチに思い込もうとしてる自分の悲劇が揺らいでしまうからです。サスケはイタチの死が自分以外の原因によってならなければ困るのです。第三者がイタチを追い込んだのでなければ困るのです。しかし、ダンゾウが認める様にイタチは大切なモノの為に「犠牲」となった訳で、それは誰が命じたものでもなくイタチ自身の意志決定に基づく滅私の行いであります。サスケはそれを避けている…ように思えます。

「それ以上イタチを語るな」(サスケ)

だから、サスケはダンゾウにこう言ったのだと、僕は考えています。サスケにはダンゾウの言葉によって清められて行くイタチが耐えられなかったんじゃーないでしょうか。サスケは悲劇の主人公でなければならないから。サスケがイタチの暖かな掌に包まれる様に愛されてたなんて、それを認めちゃったら、イタチに対する憎しみだけを糧に生きて来たサスケは全てを否定されてしまいます。だから、イタチをダンゾウなんかに認めて欲しくはない訳です。似た様な事をするダンゾウを拒絶し、トビを容認するのは、ダンゾウが父性で突き放し、トビが母性で包み込んでいるからで、サスケを甘えさせてくれるトビの雰囲気がサスケにとっては居心地がいいのでしょう。そんなだから、サスケは甘ったれだと口が酸っぱ(ry

サスケは自分の悲劇的な境遇を誰かの所為にする事で、辛うじて自分のアイデンティティを保っている…弱々しい”鷹”なのだと思います。それなのに強いのはどういう事なんだーですが、その大した「力」を与える為にイタチが命を引き替えにして逝った訳で、それって何なのか…つーと、平和には「力」が必要と悟った…兄系のアイデンティティであり、「力」が一糸纏わぬ状態。サスケが振り回す冷たいチャクラが、香燐が感じたナルトの温かいチャクラと真逆なのは、六道仙人の兄系の子孫の王道とも言える路線で、それがイタチの美学たる「うちはの高み」なんではないかと、僕は考えています。「愛」を一切纏わない「力」「終末の谷の決闘」に勝利する事がその本懐なのかは未だ計り知れませんが…。


「当分は安静にしていろ…
万華鏡の場合はなじむまで時間がかかる
痛むか?」(トビ)

「イヤ…」(サスケ)

「しっくりきている…
イタチの瞳力を感じる
自分が強くなっているのが分かる…!」
(サスケ)

第488話「それぞれの里へ」で、イタチの万華鏡写輪眼を移植したサスケはイタチの「愛」ではなく「力」を感じています。そこには僕が知っている気品のあるサスケは居なかった…。気高さも品格もないガツガツと「力」にむしゃぶりつく獣のようなサスケでした。しかし、これはトビに捩じ曲げられたからではないと思うんです。イタチはサスケがこんな風に汚れる様に「愛」を注いだのだと思うから。でないと、途中でサスケを抱き締めちゃったんじゃないでしょうか。二人きりで何処か静かなところで暮らしちゃったりしたかも知んないし(汗)。つまり、今よりもう一段奥に「着地点」が控えてなきゃ、イタチがこんな事しない…ちゅー事になるんだと、僕は考えています。だから…サスケの汚らしさは嫌じゃない。


…ちょっとココで「サスケの場合…」の補足をしときます…(100423追記)。

「今までにない感覚だ
汚されたうちはが浄化されていく感覚

腐れきった忍世界から
うちはを決別させる感覚


ある意味
お前たち木ノ葉がずっと望んできた事だ
昔からうちはを否定し続けたお前たちの望み通り
お前たちの記憶からうちはを消してやる」(サスケ)

「お前達を木ノ葉の全てを殺す事でな!
つながりを全て断ち切る事こそが浄化!
それこそが本当のうちは再興だ!」(サスケ)

第485話「近く…遠く…」で、サスケは確かにこう言っています。しかし、これはサスケが語った「事実」と言うよりは…寧ろ「感情」と言えるでしょう。そして、その「感情」に多量の被害者意識が混入してると、僕は考えています。ぶっちゃけ、今のサスケが汚れから浄化された存在だとは思えん訳です。第一部のサスケや少なくとも大蛇丸の手にあった頃(第34巻/130頁)のサスケはもっともっと高貴でキレイでした。大蛇丸を殺し、兄を殺し、ダンゾウを殺し…汚れに汚れたサスケは、返り血一つ浴びずに幾千もの忍を殺さず倒したあの頃とは比べようもないです。何より香燐ごとダンゾウを千鳥鋭槍で貫いた時には「サスケ終了」を告げられたみたいで悲しかったです。サスケスキーならば、アレを悲しがって貰いたいものだよ…。

今のサスケは凄く汚らしい…。

僕はサスケの言ってる言葉じゃなくてサスケ自身を見つめてそう感じてる。サクラを背後から殺めようとし、カカシに毒づき、ナルトにハッとさせられるサスケを、僕はカッコ良いとは思わないです。今のサスケをちゃんと見て、サスケの言ってる事が正しくて、カッコ良いとか、キレーとか思う人が居るんなら、それでもいいわサ。僕はサスケが何故、汚れているのかを考えています。小汚くあさましい…それがだと思うから、サスケはある意味、人間っぽいのです。その奥の奥に…僕は何かを感じています。僕はその人を見て考えている。サスケがトビを受容し、ダンゾウを拒絶した。浄化だと声を荒げる。世界を腐れ切ったと扱き下ろす割には随分と汚れてる。その可愛さを考えてるから…人間って面白くて素敵なのよ。

「悋気」(後編)に続く…。


 
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「家族」(愛について…)


「サスケ……」(ナルト)

「……何だ!?」(サスケ)

イタチの真実ってのを
トビって奴から聞いた!
ウソか本当かはよく分からねェ…
けどどっちにしても
お前のやってる事は…」(ナルト)

「!」(イタチの真実…!?)(サクラ)

「分かるってばよ」(ナルト)

「!」(カカシ)

「!?」(サクラ)


「……!」<ピクッ>(サスケ)

「ナルト…前に言ったハズだ…
親や兄弟もいねぇてめーに
オレの何が分かるってな…」
(サスケ)

<キッ>「………」(サスケ)

「他人は黙ってろ!!!」(サスケ)

第485話「近く…遠く…」で、とうとう出ちゃった…なと思いました。やけに落ち着いてて妙に堂々としてるナルトと、必要以上に粗野に、汚れきった下品さの漂うサスケのコントラストが、お金持ちと貧乏な家に取り違えられた子供の末路みたいに見えて可笑しかった(笑)。「第七班」のメンバー=仲間であるサクラを迷いなく殺めようとするサスケを、ナルトは咎めました。しかし、それは今もサスケが「第七班」のメンバーであることが前提にあり、ナルトの大らかさというか寛大さが、如何にもゼロの状態から「足し算」の人生を歩んできた生い立ちに起因していて、何不自由ない幸福な状態から身ぐるみ剥がれるように転げ落ちた「引き算」のサスケとは根本的に違うのです(「サスケは何故、甘ったれなのか?!」参照)。

サスケのナルトに対する態度は、カカシやサクラとは明らかに違っていて、予想だにしないくらいサスケはナルトの話に聞く耳を持っています。カカシなどは額当てを上げて戦闘モードに入って写輪眼を出しただけで噛み付かれ、目上の人にそこまで言うかよ!!というくらいサスケは無礼な口調でカカシを口撃してました。サクラなんかは可哀想なもんで、会話すらも成立しないレベルで、実際に二度ほどサスケに殺されかけています(笑)。二度目の危機はナルトがグッタイミングに救援に入ったんんですが、アレがなけりゃサクラは完璧死んでましたから…香燐といい、サクラといい、サスケを好きになった女子は不憫です。それでもサスケに気があるようなので、これは最早、「※」としか説明のしようが(ry

そんな一途な女心なんかに頓着しないところにサスケのクールさはあって、またそのサディスティックな振る舞いが逆に女心に栄養補給しちゃって、女心が鎮火しちゃうどころか激しく燃え盛り、「非※」には想像すら及ばない不条理極まりない恋愛スパイラルが勝手に巻き起こってしまう。それがナル×ジャンが提唱する「ただしイケメンに限るの法則」(※)でありますが、それを知ってか知らいでか、サスケはもう好き放題に毒づくんですが、その姿が余りにも卑しく歪んでいて下品なんですよ。正直、小汚く見える(笑)。それをして、それでも女子は嫌いにならないと「非※」としては騒ぎたくなるんですが、それだけじゃなくてサスケの小汚さには理由があると思うんです。ココ…ポイントだと思います。


「今までにない感覚
汚されたうちはが浄化されていく感覚
腐れきった忍世界から
うちはを決別させる感覚」(サスケ)

「ある意味
お前たち木ノ葉がずっと望んできた事だ
昔からうちはを否定し続けたお前たちの望み通り
お前たちの記憶からうちはを消してやる」(サスケ)

「お前達を木ノ葉の全てを殺す事でな!

つながりを全て断ち切る事こそが浄化!
それこそが本当のうちは再興だ!」(サスケ)

第485話「近く…遠く…」のサスケの小汚さは哀れにも思えるほどで、あくまでも自分の非道は…うちはを蔑んだ天罰である…みたいな被害者意識が支えていて、そのえも言われぬ自信満々さが、ホントは何処かの大金持ちのお坊ちゃまと言って憚らない乞食に見えてしまいました(差別表現は平にご容赦を…)。忍の世界の理論でうちは一族が滅んだのだから、同じことをサスケがして何が悪い!!として、サスケの非道も容認されて然るベキでしょうが、であるにしても、こんな風にサスケが卑屈に歪む必要なんかなくて、もっと堂々としていれば良いと思うんですよ。それが何でこんな汚れた品のない表情で、言動で自分の正当性を誇示するのか?

何でこんなに必死なのか?

僕にはサスケの狂気とも言える饒舌さが、微かに残したサスケの良心に思えました。「第七班」…懐かしい仲間や先生を前にサスケが揺れている。ホントは悪い事とも解ってる…そんな罪悪感がサスケの中にあるんじゃないのか…それはサスケがこっち側に戻れる期待にも等しく、僕にはサスケの小汚さが逆に嬉しく映りました。同じようにナルトがサスケを前に堂々としているのはサスケの卑屈な態度の不自然さを静かに批判してるように思えます。しかし、ナルトはサスケを認めてる訳で、ナルトとサクラをオミットし、サスケとサシで殺り合おうとしたカカシの「諦め」とは真逆の「抱擁」のようです。だからこそ、どう見てもナルトには不純さはないのに、それを否定するしかないところにサスケの悲しさが滲んでいるのです。

(もしかしたらサスケ…
お前とオレが…
逆だったかもしれねェ…)(
ナルト)

ナルトがサスケとの衝突の直前にサスケを思い遣るんですが、これはサスケに対する多大なる「共感」です。それを「同感」とする不遜さもナルトにはなく、「同情」とする弱さも持ち得ない…ナルトの揺るがないアイデンティティが地に足を着いた安定感を齎しているのだと思います。感想にも書いたけど、サスケはナルトに絶えず劣等感を感じてきた子だから、ぶっちゃけナルトがサスケに相対するのは好ましいとは思えないんだけど、カカシですらサスケを殺すしかないと諦めちゃうくらいだから…もうナルトじゃなけりゃ受け止められない!!…と、僕は思います。そして、その可能性をサスケも充分に感じています。何よりサスケは焦り狼狽(うろた)えています。そして、尚もサスケはナルトにこう毒づいた……(汗)。

「他人は黙ってろ!!!」

第485話「近く…遠く…」で、この言葉がサスケから飛び出した時、僕は嬉しくて飛び上がりました。所謂、これがナル×ジャン的な「そしてとうとう出てしまった…」であり、「これは書かねばなるまい!!」の腹括りであります。サスケの隠し持つ善良さは自らの邪悪さを苛んでいて、その無意識の葛藤が他者を否定する事で辛うじてバランスしていると、僕は考えています。サスケが”鷹”の香燐を切り捨てたのは自分以外を決して認めないサスケルールであり、同じく”鷹”の水月や重吾を鉄の国で放置したのもそれと似たロジックです。サスケが他者を尊重するという事は、自らが抑圧する善良さを認めるに等しく、復讐の鬼として邪悪さのみに傾倒しなければならない現状に極めてミスマッチなのです。

だからこそ、サスケはこんなにも小汚く下品にならざるをえないのです。それは、それと真逆の抑圧であり、サスケが大好きな子には心苦しいけど、サスケが小汚ければ小汚いほど救いがあるという事だと思って下さい。サスケが小汚いというのも傍目を気にしたものであるというのは、螺旋丸と千鳥の衝突が生んだナルトとサスケの差し向かいの精神世界では、サスケは凛とした静かで品格の高い…キレーな青年だったので解って貰えると思います。サスケの自意識は極めて過敏に「外界」を警戒しています。勿論、「外界」にカカシやサクラは含まれようと、ナルトは含まれない点に注目して欲しいです。二人きりの世界が確かにある…それが刹那の精神世界での交わりで示されたのではないでしょうか。

サスケにとって……ナルトは「他人」
近くて…遠い…遠くて…近い「他人」


親族が集まったとき、「ある人」がいないことに欠落感を覚える人と、その人がいないことを特に気にとめない人がいる。
「その人がいない」ことを「欠落」として感じる人間、それがその人の「家族」である。
その欠落感の存否は法律上の親等や血縁の有無とは関係がない。(……)

家族とは誰かの不在を悲しみのうちに
回想する人々を結びつける制度である。


<空虚>を中心にして人間の運命は形成される。
邪悪さ善良さも不幸も幸福も、その起源は<空虚>のうちにある。
<空虚>は因習的な意味では「存在しない」ものであるから、あらゆる人間的事象に起源は存在しない、というより、「起源の不在」を起源とすることが可能だということを知った霊長類の一部が人類になったという言い方の方がより厳密であろう。

内田樹著「こんな日本でよかったね」~構造主義的日本論(文春文庫・66-67頁)にちょっと難解でアレですが…タレコミで教えて頂いて、この本を読んでみて、ナルトがサスケを追いかけてしまう訳が何となく解った気がしました。ナルトはサスケを「家族」だと思っているのです。それは…法律上の親等や血縁の有無とは関係がない…と、これを読んだ時、ナルトはサスケを「家族」だと認識している事が、僕には理解できました。ナルトはサスケの「不在」「欠落感」を覚えたのです。ナルトはサスケの「不在」を悲しみのうちに回想する…ナルトにとってサスケは大切な大切な「家族」なのです。これはサクラの恋愛感情とは異質であり、その違いはナルトとサクラのサスケに対する機微で読み取れるでしょう。

サスケはサスケで、父母の「不在」をイタチの「死」で埋め、イタチの「死=不在」を自らの善良さの放棄=邪悪さへの傾倒…人の根源への回帰…<空虚>で埋めようとしているのだと思います。<空虚>の認識とは人類の唯一無二の特権であり、人が人たる根拠と言っても良いでしょう。サスケの本能は自らの「非道」で自らの善良さを鈍麻させなければ生きれないと悟っているのです。そして、同じ事がナルトに対するサスケの態度にも適用できる事に気付きます。サスケがナルトを認めるのは自らの善良さを認めるに等しいのです。それがサスケの頑な小汚さの正体でありましょう。ナルトがサスケにとって特別なのはカカシやサクラをしても「他人」と言わしめない……サスケにとってナルトはかくも特別なのです。


家族というのは、起源的には「礼」を学ぶための集団であると私は考えている。
「そこにいない人」「不在」を痛切に感知する訓練が「礼」の基礎となるからである。それは死者の弔いというかたちをとることもあるし、やがて家族のうちの誰かから生まれてくる子供への期待というかたちをとることもある。
「もういない人」の不在と「まだいない人」の不在をともに欠如として感知する人々が「家族」を構成する。

それが解体しつつある。

そういえば、上野千鶴子の『おひとりさまの老後』という本には、「家族の不在(悼むべき祖先の不在、来るべき子孫の不在)を少しも痛みとして感知しない人間」になるための方法がことこまかに書かれていた。
だが、「もう存在しない他者」「まだ存在しない他者」の現時的な不在を「欠如」として感じることは人間が種として生き延びるために不可欠の能力である。
この能力の重要性を過小評価すべきではないと私は思う。

この難解な考察の結びの部分で内田先生はこんな風に示されています(「こんな日本でよかったね」~構造主義的日本論/70-71頁)。人の運命の根源たる<空虚>とは、ナル×ジャン的に表現するならば「想像力」であります。だって、「そこにいない人」の「不在」を痛切に感知する…のですから。ちなみに「礼」とは孔子の説いた「六芸」の一つで、最も重要な人間的教養であるにも拘らず、最早、一部葬礼にのみ名残りをとどめるばかりに、その命は旦夕(たんせき)に迫っていると、内田先生は嘆いておられる。その嘆かわしさをもって警鐘を鳴らしているのだと、僕は感じました。理論展開に拠る数学的な認識は手品に化かされたようで好きではないけれど、この気付きは、僕にとってもの凄く尊いものです。


「この木ノ葉の里には
毎年多くの忍が
生まれ育ち…
生き…戦い……

里を守るため…そして
大切なものを守るため
死んでいく…」(ヒルゼン)

「そんな里の者達は
たとえ
血の繋がりがなくとも…
ワシにとって
大切な…大切な…」(ヒルゼン)

「家族じゃ!」(ヒルゼン)

『NARUTO -ナルト-』ではいろんな「家族論」が展開されています(第14巻/93-95頁)。ヒルゼンが示した全人間的な「家族論」はナル×ジャン的には「おくるみ」(アイデンティティ)に示してありますので、お時間のある時に是非とも読んでみて下さい。思えば、『NARUTO -ナルト-』では奈良家(シカマル)くらいしか「家庭」が描かれてないんじゃないでしょうか。秋道家(チョウジ)もコンプリートでなかったし、『NARUTO -ナルト-』の描く「家族論」どちらかと言うと、少なくとも一般的な「家庭」じゃーない(笑)。ナルトに至っては完璧に「ボッチ」ですから、それでも真っすぐに育ってしまったナルトって狡かァ~(笑)。でも、そこにはいろんなチート設定もあったりしましたけど…(笑)。

イルカが許し

「白」が導き

カカシが護り

ヤマトが叱り

自来也が託した

ナルトにとってそれら全てが「親」であり、彼を育んだ木ノ葉隠れの里こそ彼の「家庭」と言えるでしょう。それはヒルゼンの言う「家族」そのものでありましょう。言わば、これは「子育ての社会化」です。リアルの世界に目を向ければ「子供手当」とか「高校の授業料無償化」とかに当たるものでしょう。それは同時に「家族」というものの無力化を意味し、人間の本能の減衰にも似た響きがあるのですが、それもかつ消えかつ結ぶウタカタの理であり、全ては無常、全ては流転の中にあると思えば致し方ない事なのかも知れません。『NARUTO -ナルト-』が凄い漫画だと思えるのはリアルの社会に通じるリアリティがあるからです。これから大人になろとする少年少女へのメッセージがてんこ盛りに盛りに盛られているのです!!


「…今なら
アンタの言ってた事も
少し分かる気がするよ」(アスマ)

「木ノ葉を離れたり…
好き勝手な事ばっかりして悪かったな…
後悔はしてねーけどな
…今は猿飛一族に生まれたのも
悪くねーと思えるぜ
アンタはちゃんと
里長としての役割を果たした」
(アスマ)

「かっこいい父親だったよ…」(アスマ)

ちなみにアスマはヒルゼンの親心の深層が理解できない部分があった訳です(第35巻/95-97頁)。若かりし日のアスマの紆余曲折(ヤサグレ)は有り余るヒルゼンへの期待や情に起因したのでしょう。アスマがヒルゼンにどれだけ期待したか?しかし、ヒルゼンには「木ノ葉隠れの里」という大きな責任が厳然とあった…。その乖離たるや「グレてまうやろーッ!!」のレベルで、アスマが煙草に走ったのも何だか解ります(笑)。でも、アスマが自分の「玉」(←シカマル)に気付き、折しも紅のお腹に自分の子が宿っている事を知った上で、その一命に代えて「玉」を守り抜こうと覚悟した時に、初めてヒルゼンの想いに辿り着けたのは凄く皮肉だけど、凄く素敵な事だと、僕は思います。そして、その深さが今にして心に刺さります…。

「オレはお前に会えて
ホントによかった」
(ナルト)

第485話「近く…遠く…」で、ナルトはサスケに笑顔でそう言いました。勿論、サスケはそれを即座に否定したけれど、ナルトは揺るぎませんでした。この場合、サスケの浅はかな冷たさを見切ったと言う方が適当でしょうか。そして、ナルトはある種、確信をもってサスケに向かいます。ナルトはサスケがいない事に「欠落感」を覚える人だからです。サスケはナルトにとって「家族」だからです。サスケの堕天を悲しみのうちに回想する…ナルトにとってサスケは大切な大切な「家族」なのです。ヒルゼンはそれを自分の命と引き換えに伝えました。木ノ葉隠れにたくさんの「種」をバラ撒いたのです。いつの日かその「種」が芽を吹き、生い茂り、花を咲かせ…

「愛」という実がなる事を願って…。

『NARUTO -ナルト-』には「愛」が満ち満ちています。そして、そこには条件評価もない。ただ、そこに居ていいのだと…。アナタが何者でも構わない。唯唯、生まれてきてくれて嬉しいよと、その両腕を大きく広げ微笑んでくれている。誰もがその人のいない事を悲しむ…人々が喧噪に見失いそうになっている「愛」が溢れているのです。ナルトの自信は「愛」に支えられています。それはナルトがたくさん愛されたからに他なりません。木ノ葉隠れという「家族」にナルトは多くの「愛」を貰っているのです。「愛」を与えられた事がない人は、決して他に与える事はできません。だから、僕ら大人がまず子供達を思い切り愛するべきなのです。

彼ら(・・・)が「愛」に迷わない為に。

彼ら(・・・)が「家族」を見失わないように……。

「家族」(愛について)
ナル×ジャン ケルベロス




 
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「動機」(愛について…序)


エーッと、ナル×ジャンのケルベロスです。全てのアクセスに心より感謝申し上げます。気付いてる方もいらっしゃると思うんですが、最近、どうも乗らない…。『NARUTO -ナルト-』を読んでいる時もそうだし、考察してる時も同じ。何だか乗らないのです…。具体的にはトビが五影会談に乱入し、サスケを回収した直後。うちはの集会場にある六道仙人が遺した「石碑」の秘密を話し、トビが企む「月の眼計画」の全貌までを明かした段階で物語の着地点が明確に示された…と、僕は思ったんだけど、そこからお話が散漫になり始めたと言うか、緩慢になったと言えば良いか…もう「サクラの告白!!」(ep469)に至っては、実はもう辞めちゃおうかしら(←ちょっと言い杉)と思うくらい不純に感じたのも事実です。ホントに言い杉なんだけど、「白」と再不斬の「愛」に震えた「波の国任務編」や、我愛羅が「愛」に気付いた「木ノ葉崩し編」の澄み切ったキッシーの想いを、僕は感じられなくなっていた…と思います。他にも沢山ある…イタチの「涙」もそうだし、それを数えたら一晩でも足りない。でも、今の流れに僕が違和感を拭えずにいるのは確かです。

僕は『NARUTO -ナルト-』という作品が大好きで、こんな風に魂を剥き出しにして、命を削りながらも物語の奥底に潜む旨味を引き摺り出し、牛が食物を反芻(はんすう)するように味わっています。そして、僕の中のおばちゃんの成分が「こんなに美味しい作品があるよ!!」と、黙ってられなくなって始めたのが「ナル×ジャン」であり、僕の中の父親が見るに見かねて懇々と語ってしまうのもまた「ナル×ジャン」であります。僕はブログ運営のポリシーとしてアフィリエイトをやらない。そう心に決めています。もしFC2がアフィリエイトを強要するシステムになれば移籍するか、辞めちゃうかすると思います。と言うのは、「ナル×ジャン」をする事で金銭的な利益を受けたくないからです。ホントに純粋に『NARUTO -ナルト-』をいう物語を味わっているし、不遜な言い方で大変申し訳ないですが…そのお裾分けをさせて戴きたいと、僕は真剣に考えているのです。そして、それは岸本斉史大先生という神とも言える存在が生み出す『NARUTO -ナルト-』に対する絶大なリスペクトがあればこその行いである事を、先ずはご理解戴きたいと思います。

「ケルベロス」とは架空の人格です。『NARUTO -ナルト-』を含む文学の中を浮遊する意識であると考えて下さい。ちょっと…いやいや…かなり遊び人で、キャバクラ通いに明け暮れ、フルーツを「ア~ン♡」と頬張り、何故だか小鳥の様に羽ばたいてる風な…これまで何人もの似たタイプの「可愛い悪魔」と浮き名を流した様な…「ケルベロス」と、実際の「僕」はかなり違います。もっと地味で真面目なフツーの男子であります。基本的に「ナル×ジャン」における「僕」「ケルベロス」の事でありまして、アサーティブに「僕は考えます」とか、「僕は思います」なんて言ってるのは「ケルベロス」がそう思ってて考えてる…ちゅー意味になります。ま…架空の人格だからこそ言える…熱苦しかったり鳥肌ものの言葉を吐ける訳で、自分では出来ない様な事を偉そうに言える訳です。ただ、「ナル×ジャン」の記述の全てが「ケルベロス」の言葉かと言われると、ちょっと自信がなくなる…「僕」には「ケルベロス」でない「生身の僕」もある。そりゃ黙ってられない事だってあるし、キッパリと機械みたいに割り切れない。人間ですもの。そして、「生身の僕」が特に黙ってられないお話…それが…

愛について

…であります。個人的に「生身の僕」は親との縁が薄かったです。無いに等しい。しかし、愛されなかった訳ではなく、寧ろ潤沢に「愛」を注がれて育って来れたと感じております。だから、感謝しています。僕の書いた物に震えて下さる方がいらっしゃる。有り難くも涙を流して下さる方も居る。きっと、その方には僕の「愛」が届いているんだと、僕は考えています。僕は大量の「愛」を与えられて育ったし、一時やさぐれた時期があったにせよ…今はそれを認識出来るし、ありがたく、有り難く感じています。「愛」は与えられなければ与えられないものだと、僕は考えています(←ね、ケルベロスと生身の僕が混ざってる…でしょ)。間違って欲しくないのは「愛」を与えられない命なんてのはないってところで、じゃ何でこんな熱苦しい事を言うのサ…となるのだけれど、その事実に気付けなくてウロウロしてる子が実に多いのよ…。我愛羅がそうだったじゃない。「白」はナルトにちゃんと教えたじゃない。「愛」を与えたじゃない!!僕はこの手のお話を練ると泣けて来るんです。もう完全に混ざっちゃってる…。サスケなんて「どうすんだよ!?」って話しですよ。

キッシーが一度お話を閉じようとしてたのを、編集サイドの働きかけで心を動かした…と、僕は考えています。「ナル×ジャン」の考察において、このような不純な考えは存在し得ない。だから、この「僕」「生身の僕」と考えて下さい。ややこしいですが、この手のお話をする場合は混ざってしまいます。キッシーは『NARUTO -ナルト-』においていろんなメッセージを我々に贈って下さっている。鶴の恩返しのツルが、障子の向こうで自らの羽を毟り、美しい機を織るか如く命を削って描いておられる。そのご苦労、ご心労たるや筆舌に尽くし難いです。だからこそ、ケルベロスとしても、「生身の僕」としても感情移入していられるのです。だからこそ、その想いを綴る場にアフィリエイトを貼らないのです。キッシーは「愛について」を語っていらっしゃるんだから…「愛」を僕らに与えてくれてるんだから…僕はそう考える人だから。そして、そんな感じに「ナル×ジャン」があって、ちょっと近頃は変だなー…と思ってる…と。最近、書けないお話が多いなー…と言うのもそういう事です。でも、勇気を出して書いてみようと思う様になりました。

「ケルベロス」「生身の僕」も曲がりくねってるし、捻くれてるし…それでも今、書くべきだと僕は思った。「ナル×ジャン」を初めて二年と半年…いろんな事がありました。これは書くべきかどうか凄く悩んだ事ですが、「ナル×ジャン」を通して魂が触れ合った方が数ヶ月前逝かれた…。病魔が無惨にもその方の輝かしい未来を奪ってしまった。その方は「ケルベロス」の書くものがが好きで、ついでに「ケルベロス」の事も好きになってくれました。そして、その方は悲しいかな『NARUTO -ナルト-』の最終回を見る事なくその方は逝かれてしまった。僕はその方に「愛」を戴いたと思っています。リアルには一度も逢えなかったけれど、僕は愛された。僕も最期までその方の魂に寄り添いました。そして、僕はまた「愛について」を教えられた…。僕はいろんな約束をその方と交わしました。その約束を今も履行しています。先日、ある事があって、僕の心は数ヶ月前に戻ってしまった。それに『NARUTO -ナルト-』の今が絡み付いて…「ケルベロス」「生身の僕」が混ざり合って、もうじっとなんかしてられない…となった訳です。だから、ボチボチとですが書こうと思うのです。

愛について…を。
 

 
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