TO BI O BI TO(NAVI)

 
「TO BI O BI TO」を書いてて思ったんですが、死んだ人間が黄泉返ったり、誰かが誰かの身体を使役できる『NARUTO -ナルト-』の世界観にあって、ナル×ジャンが草創期に唱えてた「トビ=オビト仮説」なんて、あまり意味がないな…と(笑)。長門が「痛み」を感じ、鬼鮫が「偽り」に怯えていた…"暁"とは何なのか?が白日の下に曝されるに至る今、その中核を成すトビのアイデンティティの意義をもう少し重く受け止めてあげるべきかと思います。新ジャンも謎が一つも解き明かされないまま新しい謎が積み上げられて行きます。ぶっちゃけエライ事になっております(笑)。一応、終末の谷でマダラが千手柱間から奪った「何か」は明かされましたが、それがダンゾウと被ってる…と言いますか、情報がダダ漏れ。

ま…詳しくは「今週号の感想」で書こうと思います。ただ、トビのアイデンティティとはナル×ジャン的には「悪い大人」で確定させて頂きます。僕はもっとカッコ良い存在だと思いたかったところがある。それが「トビ=オビト仮説」の起点だったんだけど、「TO BI O BI TO」を書き進む内にトビが無性に許せなくなって来た(笑)。特に「可愛い悪魔」の小南を相手にするビハインドがトビに在ったのは理解するけど、イザナギなんてチートな忍術で欺き、後ろから攻めるなんて許せない!!(特別な場合を除き男の子は決してマネしないd(ry…僕がトビの何に怒ってるのか?「TO BI O BI TO」「壱」から順に読んでみて下さい。途中、泥酔して転んでるけどそれもご愛嬌(なのかな?)。

TO BI O BI TO(壱)

TO BI O BI TO(弐)

TO BI O BI TO(参)

TO BI O BI TO(死)

TO BI O BI TO(號)

TO BI O BI TO(碌)

TO BI O BI TO(質)

TO BI O BI TO(破)

TO BI O BI TO(救)

TO BI O BI TO(終・鳶)

野暮用で相方と外出します。感想は……アワワ ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿 アワワ…



TO BI O BI TO(終・鳶)

 
「うちはと千手…
この両方の力を持つ者だけが
許される瞳術!」(トビ)

「…うちはと千手…
両方の力……?…それは…六道の力…
アナタにはそんな力は…」(小南)

第510話「まさかの禁術!!」②(六道の力編)のトビと小南の会話から「六道=うちは(の力)+千手(の力)」は確定だと、僕は考えています(厳密に言うと「千手」よりも「柱間」が的確だと考えています)。そもそも「六道仙人のトラップ」とは、「六道」を全く真逆…対極…な兄と弟の真っ二つに分けたのが起源であり、斥力と引力たる愛憎により駆動される無限に続く自家発電(←エッチなお話じゃなくて)みたいなものです。六道仙人は「万物創造」を用いて、自分の中の全く違う能力や性質をイメージし、交わらないけれど凹凸が合う…自然に引き合い絡み合う関係になるように「自分」を二つに別けたのだと思います。もしかしたら六道仙人は世界一の意地悪だったのかも知れませんね。

イザナギとは「想像を生命へと具現化する術」であり、それは僕らが考えるところの「神」と同義の存在と言えましょう。そして、トビは自分を「二人目の六道」と呼んでまして、もしそれが本当ならそこでお話は詰んでて、さっさと全てを「無」にしてそこから「有」を創り出せばいいと思うんです。ナル×ジャン的に言うなら「写輪眼秘奥義・天地開闢(てんちかいびゃく)」ですかね(笑)。「六道=神」なんだから、下々を相手に戦争もないでしょ。トビが「お面」をリニューアルして、マダラの芭蕉扇(鎖の反対側には首斬り鎌が付いてる筈…「死神」終末・第二撃参照)まで持ち出して未だに「九尾」に固執してるトビが可愛らしくて仕方がない(笑)。何で九尾をイメージして創くんないの?禁句…ね(笑)。

そう考えると、小さい事をコツコツと処理して行くトビは完全な状態で「六道」を再現できていないと思えるんです。輪廻眼を回収した後も「お面」をする小物さ加減とか、カブチ丸の最後に呼んだ穢土転生(僕はあれが「うちはマダラ」だと考えてます)が在るがために頭が上がらない小心者のトビが、どうしても盤石の六道とは思えません。小南戦でトビが使用した「イザナギ」にしてもダンゾウが失敗例を提示してくれたから修正できたと思うんです。そもそも「イザナギ」の左眼を装備したのはサスケ戦で猛威を振るったダンゾウの「イザナギユニット」を参考(パクリ)にしたんじゃないかと思えますもの。ダンゾウの死体を回収したのはトビですし、写輪眼への経絡系の接続なんかも検証したんじゃないかな。

それに”暁”でトビと一緒に居た小南のトビに対する評価は捨て難くて、10分間6千億枚の起爆札の殺意は極めて的確であり、「イザナギ」なんてまさかの禁術!!がなければトビは木っ端微塵になってた筈なんです。それは小南がめちゃくちゃ詳細にトビのスペックを調べ尽くしてたからで、小南が「アナタにそんな力は…」と言われれば、トビもホイサッサと引っ込むしかないと(笑)。トビは「お面」をする事で相手との間合いを微妙に誤摩化す策士ではありまして、決して「神」と呼べるような絶対的な存在じゃないと思うんです。それでも「輪廻眼」を所有し、「イザナギ」という「六道の力」をダンゾウよりは巧みに使いこなしたけれど、かなり中途半端な「神様」なんです。「神様」を目指してる…が適当かもね。

「そうなれば
全てが本来の形に戻るのだ…」(40巻/95頁)

「写輪眼の本当の力が…
このうちはマダラの力が」(40巻/96頁)

トビのアイデンティティは雨隠れの塔の天辺で弥彦ペインと小南を顎で使う「黒幕!!??」の行からこれまでとそう変わってないように思います。情報操作を巧みに使って陰から物語に関与してる。自分の手は極力汚さない。いつも「お面」をしてる…(笑)。僕は律儀で真面目な質なので、自分を「神=六道」と呼ぶ人が「お面」をしてる事自体受け容れられません。看過し難い(笑)。特に「帰ってこよう」の小南のいいお話の前後で臆面もなくその死を土足で踏み台にするような「神様」を、僕は断じて認めんよ。何より雨隠れで弥彦ペインと小南に毒づいたトビは「うちはマダラの力」に拘る重度の中二病患者にしか見えず、たった一人で柱間にガチンコ勝負を挑んだマダラだとはどうしても思えんのです。

「手こずっただけあって
いい眼を手に入れたね」(カブト)

「……アレは元々オレのものだ」(トビ)

それとサラッと流しちゃったけど、長門の輪廻眼が血継限界で長門に発生した瞳術ではなく、移植によって長門に授けられた可能性が高そうです(第511話/「帰ってこよう」)。トビが小南の待ち伏せる雨隠れに乗り込んで、汚したくない筈の我が手を汚してまで輪廻眼を回収する必要があったのは、唯一無二のオリジナルだったからだと思います。長門の両親が木ノ葉の忍によって殺められた夜、極限の痛みが長門の才能を覚醒させたのかと思いきや、何も知らない長門を勝手にトビがオペして輪廻眼を移植しちゃったんじゃないでしょうか。ある日、突然、自分の眼が変な文様に変わってビックリした長門が前髪を垂らして眼を隠す…陰気な子になって行ったのかな…と思うと凄く不憫です(笑)。

じゃトビが所有する輪廻眼の出所は?と疑問にブチ当たりますよね。そもそもうちはマダラの真・万華鏡写輪眼も未だ姿を見せないのに、その上位の筈の輪廻眼が何でトビの所有物なんだか納得できません。一瞬、真・万華鏡写輪眼が更にスペックアップすると輪廻眼になるんだろうか?とも考えたんだけど、描写も提示も今のところ無し。しかし、トビが六道仙人の死体にアクセスして眼を手に入れたと考えてみたりもするけど、それだと身体ごと使える筈ですから却下(笑)。例えば六道仙人の「眼」だけが何処かに安置されてたとか…。僕にはそれくらいしか思い付かないんだけど、そんな事を六道仙人がするだろうか…甚だ疑問です。だって六道の力を真っ二つに兄弟に仕分けたんだから余計じゃない。

「うちはマダラは
世間で千手柱間に負けたとされている
……しかして真実はどうなのかな?
勝者とは先を見据えた者…
本当の勝負はこれから……
かつての戦いは奴の力を手に入れるためのもの」(トビ)

「オレは千手柱間の力を手に入れたうちはマダラ!
二人目の六道にして今は唯一の存在」(トビ)

第510話「まさかの禁術!!」②(六道の力編)のトビの衝撃発言がホントならトビは終末の谷の決闘で千手柱間から何かを奪ってる事になります。それが何なのかが物凄く重大です!!これまでの描写で柱間の顔(デスマスク)をダンゾウが右上腕に仕込んで木遁チャクラを使用する描写がありましたから、トビが奪ったのも柱間の身体の一部なんだと思いますが、もっと効率的に「柱間の力」を引き出せる部位だったと思います。極々微細に「柱間の眼」の線もそこにはあって、弟系の眼が兄系の身体に搭載される事で「六道の眼=輪廻眼」が開眼する可能性もあるのではないかと思います。終末の谷の決闘以降の柱間の描写はほとんどなくて、弟の扉間にいつの間にか政権諸々が移管してたのは正直「アレッ!?」でした(笑)。

だから、柱間がマダラを倒しても無傷である必要はなく、ぶっちゃけ両眼を抉られててもいい訳です。同じように腎臓を片方持ってかれたとか、大量の血液を抜かれた…でも良いと思うんです。雨隠れの「小南VSトビ」で6千億枚の起爆札の猛攻を凌いだトビが小南を背後から貫いた武器ですが、何だか太い注射針みたいじゃないですか。終末の谷でもアレを使ってマダラが柱間の身体の何かを奪取したんじゃ無いかと思うんです。それをトビも使ってる。おまけに「六道の力」も持ってると言い張ってる(笑)。でも「お面」をして自分を「神様」だと言う人を、ナル×ジャンでは認めてなくて…。そもそも何でもできる「神様」が何で人間(忍)相手に孤軍奮闘しなきゃなんないのサ!!(笑)

「初代火影柱間との戦いの傷が深すぎたのだ…
今のオレに力はない」(トビ)

「言わば今のオレはただの形骸化した存在にすぎない」(トビ)

第467話「宣戦」②(トビの能力分析編)でトビが「半落ち」どころか「完落ち」(自白=ゲロ)したなーと、僕は考えています。理論的にマダラと柱間の両方の力を持ってる筈のトビが「力はない」なんて辻褄が合わな過ぎです(笑)。しかも言うに事欠いて「形骸化」だなんて…それを理由に自分の手は汚さないみたいな言い訳めいた事を五影(特にオオノキ)に言うもんだから、そりゃもう「お面」こそが本体だわサと思っちゃいますよね(笑)。少年誌にありがちな「金属生命体」(素材は九尾の体毛)よろしく、マダラの思念や血継限界チャクラをパッケージングした…名作「JoJoの…」(荒木飛呂彦先生は好きな作家の一人です)のDIO編の「お面」を図らずもイメージしちゃった訳だ(汗)。

でも、小南戦の6千億枚の起爆札の猛攻に「お面」が割れちゃったり、輪廻眼の回収後、「お面」がリニューアルしちゃったので、「お面」が人間に寄生する方式の操りではなかったと判断。それでもマダラが「形骸化」してるっちゅー事は、オビトの身体を使ってまで写輪眼をドライブせねばならない窮状を指してるのかな…などと思います。トビの身体は神無毘橋の戦いで大岩の下に沈んだオビトの身体なんだと思います。オビトは自分の死期を察し、カカシに残存した自分の左眼を「眼軸ごと」与えてしまいます。カカシはオビトの写輪眼によって火影に匹敵する力量を有する忍になりました。おいそれとそれを奪取する事は叶わない。カカシの事だから左目にはお守りの自爆封印術(例えば裏四象封印とか)を仕込んでるかも知れない。

それがトビが隻眼で行動せざるを得ない決定的な理由でしょう。ちなみにトビが起死回生(ちゅーか、「まさか!?」だ罠w)の「イザナギ」で小南を墜とした行で見せた「左眼」は一回こっきりの「イザナギ」を発動する為の神経接続(眼軸)なしの経絡系のみを接続する「イザナギユニット」で、トビがダンゾウの右腕を参考にして、「ダンゾウVSサスケ」以降に仕込んだ奥の手だったと思います。だからトビが左眼の「眼軸」のないオビトの身体を使っていない証拠には当たらんと思うのです。しかし小南がどんだけの準備をして待ち構えてるか?トビにも「女の情念」というものが想像できたんでしょう(笑)。しかし「6千億枚」(←こっちも「まさか!?」)ですよ!!やっぱ女の子を敵にまわすのは非常に危険です。

「本当にあのうちはマダラが
まだ生きていたとは驚きじゃが…」(オオノキ)

「お前ほどの男がなぜこんな回りくどいやり方をする?
お前の力ならどんな計画でも思い通りのはずじゃぜ」(オオノキ)

うちはマダラと対戦経験を持ち、且つ存命している唯一の忍である土影・オオノキの探るような言葉使いが、僕は気になって仕方ないのです。オオノキのこのセリフがトビの「形骸化」を引き出した事も見逃せない。このクラスの忍で一度でも手合わせをしていて、「何か」を感じないのはおかしいです。この周辺の違和感がオオノキの裏の関与に転ぶのは、「…頑固になる前の自分をな」(第50巻/127頁・第470話「キラービーVS鬼鮫!!」②オオノキ改心編)の男前なセリフで打ち消されます。オオノキはトビに憤りを覚えたんじゃないかと思うんです。それは「うちはマダラ」に対するリスペクトに起因する熱さだったんじゃないかと思うんです。少なくとも男の子にはこの考え方は拍手して貰いたいな(笑)。

僕は千手柱間に真っ向勝負を挑んだうちはマダラはカッコ良いと思う人なんです。思い出して下さいよ!!「終末の谷の決闘」なんて捏造限界(←極限まで捏造しちゃう体質…感染します)の出発点になった見開き。第399話「すべての始まり!!」の「オレは復讐者となり木ノ葉隠れの里に戦いを挑んだ」(第43巻/180-181頁)の柱間とマダラ。これ見て皆「カッケーッ!!」と飛び上がった筈です。僕は何かに急き立てられるように「終末の谷の決闘」を猿のように書きまくった。あのエネルギーはこの見開きに貰ったと思っています。男が男に惚れる。BLじゃなくても在る事を僕は知っている。だから、あの素晴らしいガチンコをトビの「お面」は汚してるのよ。僕はトビを認めないし、嫌いなのよ(笑)。

僕は丸裸の状態で「オレはオレ」と言い切れるのを「アイデンティティ」だと認識しています(だから僕は筋肉を鍛えているんだなw)。会社のバッチとか、ガッコの名前とか、家柄とか、所謂「肩書き」をアイデンティティとは言わないです。トビの「お面」も同じ理由で拒絶したいです。第一、「終末の谷」でマダラは「お面」なんか付けてないだろ!!マダラはアイデンティティを懸けて柱間に挑んだんです。そして、柱間はそれに応えた。だからこそ僕らはあの見開きに震えた。その直観を忘れないで欲しいです。特に今後何者かと戦い、大切な人を守るべき立場に立つ事の多い男の子は、特に特に忘れないでね。それと、特別な場合(今後自力で学習して下さい)を除いて(トビみたいに)女の子を後ろから攻めるなんてやめて下(ry

「いい流れだ
あとは…」(トビ)

「次の脱皮で蛇のままか
それとも鷹にかわるか
見物だ…サスケ」(トビ)

雨隠れで自来也にヒタヒタと悪夢の殺し屋・ペインが忍び寄るもう一方でサスケがイタチにアクセスしようとする流れを何とも言えない表情(み、見えないんだけど…)で眺めるトビ on マダラの石像…(第41巻/26頁)。僕はそれに「父親」を感じたものでした。一瞬、フガク?!とすら思えましたもの。しかし、トビのこれまでを観察すると、どうも父親のそれには当たらない行動をしています。『NARUTO -ナルト-』は大人が少年少女に「これだけはやっちゃいけない!!」のバッドケースを提示する教育的側面が大いにあるんですが、僕はそれを「オレが!!オレが!!」と仮に呼んでます。簡単に言うと、子供が「高み」に登る手助けじゃなく、子供を踏み台にして自分が「高み」に登ろうとする愚行です。

「鳶(トビ)が鷹(タカ)を生む」

アイデンティティ的には「蛙の子は蛙」が正と言えましょう。誰かになるのではなく、自分は自分になれば良いのだと、僕は思います。鳶は鳶だし、鷹は鷹です。プロゴルファーの石川遼選手のお父様が遼選手の躍進をして「トンビが鷹を生んだ、とは思っておりません。トンビがトンビを生んだと思っております。トンビが鷹になったんです」と仰るのをうかがって唸ったのは「出藍の誉」を謙って表現したんだと思ったからです。遼選手は遼選手になった…だけ。遼パパの眼差しとトビの似非(えせ)父親風のそれは明らかに異質です。だって、トビは自分が「鷹」になろうとしてるんだから。これは「あってはならない父親(大人)論」だと思うんです。山椒魚の半蔵、ダンゾウ、トビ…彼らを認めちゃいけないと、僕は思います。

「お前と会うのは二度目だが
千手の火の意志がお前の中に宿っているのが分かる
今もお前の中に初代火影を見る事ができる
死んでもなおあいつは生き続けている」(トビ)

「オレの憧れであり…ライバルであり…
オレの最も憎んだ男」(トビ)

「………」(トビ)

「千手とうちは
火の意志と憎しみ」(トビ)

「ナルトとサスケ…」(トビ)

「お前達二人は運命に選ばれた
次の二人になるだろう」(トビ)

第462話「サスケの忍道…!!」(トビ半落ち編)で、ホントに「半落ち」しちゃったトビでしたが(第49巻/167-168頁)、イタチが「憎しみ」を利用してサスケを強化し、ミナト(とクシナ)が「愛」(=八卦の封印式)でナルトを強化してるのに、ぶっちゃけトビは便乗してるだけなのです。そして、明らかにトビは二人を「終末の谷」に導こうとしています。「うちはマダラVS千手柱間」をサスケとナルトで再現しようとしているのです。ここまで自分の手を汚さないやり口って「お面」をしなきゃ人前に出れないトビには非常に似つかわしくて虫酸が走ります(笑)。今度の「終末の谷の決闘」がサスケやナルトの為に催されるのであれば話は別ですが、小南を殺め、長門の輪廻眼を回収してスペックアップしたトビには期待できません。

六道仙人の再誕

トビは自分を「オレは千手柱間の力を手に入れたうちはマダラ!二人目の六道にして今は唯一の存在」(第510話「まさかの禁術!!」②)と言って憚らない(笑)。しかし現状は「形骸化」している…つまり、オビトの不完全な身体を使っている。将来的には十尾の人柱力にならねばならない。その為には完全な「六道の力」が必要になる…筈です。トビのシナリオは長門が「外道・輪廻天生の術」を発動した時点で、「別ルート」(サスケの忍道ep462補足)にスイッチせざるを得なかった。長門をして「裏切り者」と言わしめて恨めしさ(オレの為の…)には、恐らくは「うちはマダラ」の召還にあり、その先には千手柱間から奪取した「何か」を合わせた六道仙人の再誕に照準が合っています。

「親の愛」というものが在る事を『NARUTO -ナルト-』は激しく訴えている事に注目すれば、その対極に居座るのがトビだという事に気付くと思います。僕は「イタチの生き様」に命を吸い取られるくらい泣いたし、「自来也の苦悩」にも心底震えた。クシナの「ここにいていいのよ…」やミナトの「背中」(第501話「九尾襲来!!」補足)にどうしようもなく老婆心を騒がせた。だから、ベタベタの「オレが!!オレが!!」の加齢臭を振りまくトビが看過できんのです。トビの存在…その行いを容認するのは「親の愛」を否定する事と同義だから。僕は少年少女にトビを否定する事で「親の愛」がホントに在るのだと、皆さんの周囲を空気が満たすように「愛」が溢れているのだと伝えたいのです。

トビは「別ルート」のシナリオで、サスケの眼とナルトの身体を盗りに来るでしょう。ぶっちゃけ、トビが言う「形骸化」とは「ノウハウ」のみを手にしてると言う意味だと、僕は捉えています。どうすれば「六道の力」を現空間に固定できるかの方法論をトビは「終末の谷の決闘」でアイデンティティを懸けて戦い抜いたうちはマダラと千手柱間から掠(かす)めとった誰かでしょう。「トビの溜め息」(第463話「サスケVS雷影!!」補足)にも書いたけど、それは「うちはイズナ」なんじゃないかと考えています。トビが写輪眼のコレクションを披露した行がありましたよね。あれは一族に裏切られたと逆恨みする反動形成なんだと思います。それが人をコマ(道具)としてしか扱えないトビの悲しき「今」を構築しているのです。

「鳶に油揚げ」なんてオチは面白くないッス。

「TO BI O BI TO」(終・鳶)
ナル×ジャン ケルベロス


 

TO BI O BI TO(救)

 
「…イザナギとは
本来お前の言う六道仙人の”万物創造”
応用した術の事だ

もともとうちはと千手は一つだ
その二つの始祖である六道仙人は
その二つの血と力を持ち
あらゆるものを創った」(トビ)

トビの説明は六道仙人の二人の子…兄と弟が正常な男女の営みで産み落とされた命でなかった事が、僕の中では確定しました。「万物創造」という忍術で六道仙人は忍のアダムを拵えた訳です。ナル×ジャンでうちはと千手を「兄系」だとか「弟系」とカテゴライズするのは、兄弟のアダムが人間の女と交わることで増殖して行った六道仙人の創造した人造人間と人間とのミックスを差してまして、ぶっちゃけ忍は純粋な人間じゃないという事です。『NARUTO -ナルト-』の世界観としても、忍術を使える者と使えない者とが鮮明に別れていまして、六道仙人の万物創造で創られたアダムの血を受け継ぐ「兄系」と「弟系」のみが忍術…つまり「チャクラ」を扱える体質を継承しているのだと思います。

忍は普通の人間に対して圧倒的な能力を有しているのですが、超お気楽な大名に従順に仕え、隠れ里なんて閉鎖されたコミュニティで慎ましく暮らし、危険な任務に命を懸けるにも関わらず清貧に生き、決してチャクラを使えない普通の人間を支配しようとはしないです。ま…弥彦ペインは「世界征服」を口にしましたが、知っての通り忍の世界の変革…パラダイムシフトを意識したからで、予言の子の瓦解の中でそれが強ち「中二病」とも限らない事が知れました。長門を堕とした「痛み」とは過小評価とも思える忍の社会的な地位の低さに関係していて、凡そ人間が持つ「欲望」と相反する忍の清貧さ…と言いますか、異常な従順さに六道仙人の仕掛けた抑制(リミッター)の存在を感じています。

生命を生み出せる能力を持った六道仙人とは突出どころか、「神」とも言える存在であり、それが有り余る力を振るい世界を支配する方向ではなく、人々の幸せを思索する方向に働いたのは、世界にとって、人々にとって幸運な選択だったと言えるでしょう。それに対して六道仙人のアダムと交わりチャクラを扱う力を得た人間(新人類=忍)が戦争の道具になってしまったのは、忍の清貧さに違和感を覚えてしまう人の邪(よこしま)さの成せる業でしょう。逆に、忍術(チャクラ)という火種を人間に託する事で人の存在そのものを問うているのが、「六道仙人のトラップ」の真の狙いとも言えますまいか。元々、一元であった六道仙人はかくも完璧だった訳で、それを二つに別けたのは無意ではなかった筈です。

「想像を司る精神エネルギーを元とする陰遁の力…
それを使って無から形を造り
生命を司る身体エネルギーを元とする陽遁の力…
それを使って形に命を吹き込む」(トビ)

「尾獣達もその一つ…
十尾のチャクラから陰陽遁の力を使い
各尾獣を創造した」(トビ)

火種という観点では尾獣もまた同じです。リアルでは「核兵器」なんておぞましい禁忌を人間は抱えてまして、その醜悪さを見事に尾獣は表現してると言えましょう。六道仙人の完全無欠さは異常で、それが一所に在るならば確かに「安寧秩序」『NARUTO -ナルト-』の世界観にあって達成できていたのだと思います。しかし、その平穏に真っ先に疑問を感じたのは六道仙人だったんじゃないでしょうか。例えば、六道仙人を絶対的に崇拝し全てを人々が委ねる世界と、トビの夢想する「大幻術・無限月読」による「月の眼計画」の齎す世界との差異が、僕には見出せません。きっと同じ疑問を六道仙人は感じたんじゃないかと思います。だから、六道仙人は十尾と自分を分割したんだと、僕は確信するのです。

「想像を生命へと具現化する術」(トビ)

「それがイザナギ」(トビ)

「アナタは…一体何者……なの…?」(小南)

「うちはマダラは
世間で千手柱間に負けたとされている
……しかして真実はどうなのかな?
勝者とは先を見据えた者…
本当の勝負はこれから……
かつての戦いは奴の力を手に入れるためのもの

オレは千手柱間の力を手に入れたうちはマダラ!
二人目の六道にして今は唯一の存在」
(トビ)

もしも、トビが本当に「うちはマダラ」だったならこんな風な物言いにはならないと思うんです。トビが口にする「千手柱間」と、それに対で立つ「うちはマダラ」の名は人格とか生き様ではなく「能力」に過ぎないです。それに何度も突っついちゃうけど「お面」を付けないと胸を張れないアイデンティティって、やっぱ「お面のアイデンティティ」としか思えません。同じ理由で「能力」によって自信を得ようとする態度に、逆に底知れない不安をトビには感じてなりません。そして「お面」の欠けた部分に覗く顔がオビトだったもんだから、「オビトが黒幕?!」なんてデマを声高に、僕は叫ばずには居られなくなっちゃったんだな(笑)。兎に角、トビの満たされなさ、理解されなさは異常です(「トビの溜め息」参照)

兄系のうちは一族の高みを目指すと豪語するイタチが「幸せの王子様」よろしく弟系の特異点であるナルトに「イタチの力」として与えたのは「六個の勾玉」であったと、僕は考えています。そして、その助勢によってナルトは「九尾のコントロール」を実現する事になります。「六個の勾玉」とはナル×ジャン的には「御神器」の一つであり、「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)と既に認定されています(笑)。ナルトの精神世界での九尾との決着の後、自死をも厭わない九尾の反攻を阻止した「鳥居」の描写が決定的でした。間違いなく「イタチの力」とは「六道の…」と九尾が零した「新しき封印=鳥居」でありましょう。トビとイタチ…二人の理解の違いが「六道」へのアプローチを違えている…。

つまり、トビとは…(続く)。


 

TO BI O BI TO(破)

 
イザナギ
光を失う事と引き換えに
幻と現実を繋げる事のできるうちはの禁術…

<スウ……>うちはと千手
この両方の力を持つ者だけが
許される瞳術!」
(トビ)

<ハァ><ハァ>「…うちはと千手…
両方の力……?…それは…六道の力…

アナタにはそんな力は…」(小南)

第510話「まさかの禁術!!」②(六道の力編)で、トビがイザナギなんて反則技で小南を殺っちゃうんだけど、何でもイザナギ「うちはの力と千手(柱間)の力…」によって成し得る禁術というのだけど、それを空かさず「六道の力」と返す小南の知識…これって忍界の常識だったんでしょうか?ちなみに、「千手」「柱間」を混用してまして、ダンゾウのイザナギ編では「柱間」だったのね。「千手」で括るなら二代目火影の扉間も入るんだけど、木遁忍術や尾獣のコントロール能力を持つ柱間は一歩も二歩も抜きん出ていて、ここはタイムマシンで「千手」「柱間」に挿げ代わるんじゃないかと思います。それとトビによればダンゾウは「柱間の力」をコントロールできなかった不完全体だったようですね。

単行本の巻ノ51をば目ん玉かっ穿じって見てみて貰いたいんですが、サスケと交戦→香燐ごと千鳥鋭槍の餌食になったダンゾウの右眼が復活したシーンで、ダンゾウの右眼の写輪眼が「黒目→写輪眼」にトランスしてるんです。ルーペで拡大して観察したところ、確かに「黒目→写輪眼」になってる。これはカカシの左眼と決定的に違う。カカシは常時覚醒してるもんだから写輪眼を使わないときは額当てで隠してます。あれはチャクラを猛烈に消費する写輪眼の視界を謝絶することでチャクラ消費を抑えてるんだと思います。対してダンゾウの写輪眼が変位(トランス)するのはダンゾウが元々写輪眼に合った身体を所有していたからではないかと、僕は考える訳です(NARUTO-ナルト-第51巻に寄せて…③参照)

「クク……柱間の力を制御できず
不完全なイザナギを披露した輩は数いたが…」(トビ)

ダンゾウのイザナギ不安定さ(術の有効時間を写輪眼の状態を目視で確認していた…その欠点をサスケは幻術で攻略した)を「柱間の力」の制御できなかったと指摘していて、写輪眼を使いこなせなかったとは言ってません。しかし、ダンゾウの左眼は一度たりとも写輪眼にはならなかったし、右眼だってシスイの写輪眼を奪い搭載してました。そこからダンゾウがうちは一族の血を持ちながらも開眼に到らなかった「出来損ない」だったと推論した訳です。うちは一族にあっても写輪眼の開眼は限られた才能みたいなもんでした。それにダンゾウって苗字が「志村」「うちは」じゃない。例えば「うちは」を抜けたとか、ちょっと禁忌な生い立ちがあってダンゾウの「うちはコンプレックス」を構成してたのかと思うんだな。

「兄は生まれながらにし
仙人の”眼”
チャクラの力と精神エネルギーを授かり
平和には力が必要だと悟った」(トビ)

「弟は生まれながらに
仙人の”肉体”
生命力と身体エネルギーを授かり
平和には愛が必要だと悟った」(トビ)

お話がちょっと逸れちゃったけど、「うちはの力」とは具体的に言うと「瞳力」なんだと思います。つまり「写輪眼」。ま…写輪眼を効率良く動かす為には「うちは一族」の身体(写輪眼に合った身体)が必要なんだけど、それだけで「六道」たり得ないのは「柱間の力」が加わらないからで、兄系が六道仙人に与えられた「チャクラの力と精神エネルギー」じゃダメだって事なんだと思います。ここんところも「うちはの力と柱間の力…」(チャクラの考察)に詳しく考察してるんで今一度読んでみて下さい。しかし、「兄系=最強チャクラ」だったら「弟系」の出る幕はない→でどうすんだろ?と思ってたので、ホッとしまし(笑)、「弟系」「生命力と身体エネルギー」に大いに注目したくなるってもんですよね。

「見るかぎり腕の写輪眼は十個…
そして初代の細胞

うちはの力と柱間の力…
九尾をコントロールするつもりでいるようだな」(トビ)

(こいつもナルトを狙っている…)(トビ)

第478話「”須佐能呼”完全体…!!」のトビの分析するダンゾウの目的が恐らくトビと被ってるんでしょう。事実、輪廻眼を回収して「お面」をリニューアルしたトビも「九尾を取りにいく」(第511話/「帰ってこよう」)と言ってましたね。「うちはの力と柱間の力…」を束ねた後に「九尾」が必要になるようです。逆に九尾のコントロールに「うちはの力」が必要なのに何で弟系の純粋種であるナルトができたんだろうと考えると、やはりイタチがナルトに授けた「イタチの力」が大きく関与…つーか不可欠だった事に気付きますよね。ナルトの首にぶら下がった「六個の勾玉」(=八尺瓊勾玉?)。しかし、何でイタチはナルトの九尾のコントロールに関わり促したのか?その答えがトビの謎に光を当てると、僕は考えているのです。

「お前にオレの力を分けてやった
その力…使う日が来なければいいがな」(イタチ)

そして…それはイタチの苦渋の選択でもあった…(続く)。


 

TO BI O BI TO(質)

 
「うちはマダラは
世間で千手柱間に負けたとされている
……しかして真実はどうなのかな?
勝者とは先を見据えた者…
本当の勝負はこれから……
かつての戦いは奴の力を手に入れるためのもの

オレは千手柱間の力を手に入れたうちはマダラ!
二人目の六道にして今は唯一の存在」(トビ)

「TO BI O BI TO」を書いてる最中に新しい提示があって…もっと凄い事もトビは吐き捨ててます。僕も既に「トビ=オビト仮説」なんてのには拘っていません。今となってはあまり意味がない(笑)。確かにトビはオビトの身体を使ってますよ。でも、それは筐体に過ぎない。多分、「トビ=オビト仮説」に対する反論とはトビの精神性にあると思うんです。僕もそれに異存ないし、森の中で接近遭遇したカカシが何も感じなかったトビにオビトの血が一滴たりとも流れてるとは思いません(思いたくない)。それと逆の流れを「TO BI O BI TO」「碌」までで血の涙を流しながら展開してみました。ネットでそれを「釣り」なんて嫌らしい呼び方をするけれど、そんなつもりは全くありませんでした。

オビトの黒幕説なんかは面白いと、ほんの少しだけ考えてました(笑)。でも、小南の死に様見せられて、それを踏み台にしてスペックアップしちゃうトビの心なさに、悪の美学を感じなかった。あれを肯定する為にはとんでもない大義か必要だし、そうじゃなけりゃ、とんでもなく恥知らずで知性の欠片も無い人格と呼んでいいのかも不安になるくらいの超低レベル(ヤクザみたいなどっかの国みたいな)じゃなきゃできないです。そりゃいくらなんでも敵たり得んだろ…と思いますんで、そんな救いの無い役目をオビトっちにさせるのは忍びないです。それでいろいろ考えて、ワサワサと書きたいんだけど仕事がアレなもんで…と来たもんだ(笑)。

来週は『NARUTO -ナルト-』がお休みなんでじっくり書かせて下さい。

気長に待ってて下さい。

 

| BLOG TOP | NEXT ≫