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イタチにあってカブトに無いもの

 
カブト…ってのはどうかしら?」(マザー)

第582話「何も無い」の回想部分でカブトの生い立ちが明かされました。何歳かは特定できませんが、幼児です…幼児。カブトは「臨の書」19歳「闘の書」20歳「者の書」23歳。対してカカシは「臨の書」26歳「闘の書」で27歳。「者の書」30歳なので、カブトとカカシは7歳差ですね。カカシは12歳で上忍になり「神無毘橋の戦い」を迎えますが、この時点でカブトは5歳で、ダンゾウが岩隠れの動きを警戒してますから、院でのお話は神無毘橋の前だと思われるので(大規模な作戦というのが神無毘橋の戦い?)、カブトがマザーから医療忍術の手解きを受ける余裕を見ると、カブトが孤児院に拾われたのが3歳~4歳程度と考えるのが妥当ではなかろうかと、僕は思います。

ダンゾウは「者の書」72歳。カブトとは49歳差で、カブトが3歳でもマザーを脅した時点でかなり若く見えますがダンゾウ52歳。大蛇丸は「者の書」54歳ですから、カブトと31歳差。カブトとの初対面時、カブトが3歳ならば34歳。勿論、「九尾事件」「シスイ事件」「うちは虐殺」の遥か彼方前で、ダンゾウは包帯で隠していますが、少なくとも右眼はシスイの写輪眼ではありません。ダンゾウの高飛車な交渉でマザーが容易く落ちてしまったので、一瞬幻術を疑ったんですが、そじゃなくてマザーは院を守る為に自分を犠牲にしたんですね。元「根」の構成員だったマザーはダンゾウの手口は知り尽くしてる筈ですから、ダンゾウに逆らうのは得策じゃないと考えたのでしょう。

ちなみに「者の書」でヤマトは26歳とされてますんで、ここから3年後くらいには大蛇丸に拠って「柱間の遺伝子」を弄くり回す実験が行われヤマトが誕生してる筈で、包帯まみれのダンゾウの右半身にも、この時点で大蛇丸の手が入ってるかも知れません。ヤマトが先か?ダンゾウが先か?はヤマトが先だと思うんですが、同時進行で「柱間の細胞」の研究が進んでいたかも知れないので何とも言えませぬ。しかし、大蛇丸がカブトの医療忍術で治療されていますから、不死転生の術が実用化される前臭い。なので、ヤマト→ダンゾウ→自分の順で「柱間の細胞」を応用した人体改造とか細胞の加工を施して行ったんじゃないかと思います。その方が狡くて大蛇丸っぽいですよねーッ(笑)。

うちはイタチは「者の書」21歳になってるので、カブトの2歳下なんですね。享年21歳なのが悲しいですが、「九尾事件」5歳なんですよね。生まれたばかりのサスケをダッコしてましたね。イタチは2年遅れでカブトと似たような悲惨な生い立ちを歩んでると思うんです。それがうちはフガクのお陰で天と地を分ける結果となったのだと、僕は考えています。カブトが示すイタチへの嫉妬とは凡そ近親憎悪のような趣があって、カブトがイタチを異常に意識するのは、何でイタチが!?何でオレが!?と思えてならないからじゃーないでしょうか。カブトはイタチに成り代わる事で人生の帳尻が合うような期待というか錯覚があるように思えてなりません。それが増幅する形でサスケに焦がれるのだと思います。

ややこしいのでイタチの生い立ちに関しては「DEKOTON」(虐殺前夜…第四夜)や「サスケ(Sasuke was born on July 23)」(うちはイタチの考察)を参照してください。ナル×ジャンのイタチ観は非常に偏ってて歪です(笑)。基本、イタチとサスケの血縁すら僕は疑ってますんでご了承下さい。カブトが何処ぞの荒野でマザーに拾われ名前を与えられたのと、4歳で戦場を彷徨(さまよ)い木ノ葉に帰還したイタチがフガクに「さすがオレの子だ」と励まされたのはほぼ同じなんだと、僕は考えています。そして、それを起点に考えれば、カブトが示すイタチへの嫉妬とかライバル心剥き出しの態度が妙にしっくり来ます。僕には二人がとても似通って感じられるのです。

「……
オレにとってお前は
対立と共感二つの感情を抱かせる」(穢・イタチ)

第582話「何も無い」で中二病をくすぐりまくるイタチのセリフの一部はそのような情状を酌量したものだったのかな…と、僕には思えるのです。それと同じ気持ちがカブトにもあって、何で自分には何も無くて、イタチには在るんだろう?と、カブトには不思議で仕方ない訳です。だから、カブトはうちは兄弟と対峙しながら過去に遡り、自らの人生を振り返っている…。イタチはカブトの心の虚をまんまと突き「イザナミ」にハメたのだと思います。カブトは今、夢の中に居るのです。その夢の中でカブトは自らの人生を考え直し、そして答えを出すのでしょう。果たしてカブトの人生にホントに「何も無い」のか?それが夢から覚める時にカブトには解る筈です。イタチがカブトをそれに導くのです。

カブトの運命を、カブトが最も意識するイタチが決するところに妙があり、その結果が「対立と共感」の差分であると考えれば、その部分にイタチとカブトの決定的な違いが在るだろうと想像できます。一つ間違えればカブトはイタチのように成れたのだし、イタチだってほんの少し道を踏み外しただけでお腹から蛇が生えてたのかも知れないと思うとゾッとします(笑)。ま…幸運にもイタチはカブトみたいにならずに済んだ。それはフガクの貢献が在ったからだと思われ、ダンゾウがマザーを任務に引っぱり出してカブトから引き離し、同時にカブトも「根」に組み込み、そのまま諸国への潜入任務に出してしまった事実が、二人の明暗を別けたのだと、僕は確信しちゃうのです。

「…あり…が…とう…

ありがとう…ありがとう…」
(カブト)

カブトは極度の近眼だったのかな。それでマザーが自分の眼鏡を与えてちゃんと見えるようになったのね。目の前が開けるとはこの事!!でしょう。カブトはこの時、生まれたようなものだと、彼自身も感じたんじゃないでしょうか。だから、「ありがとう」と何度も感謝したのです。だから、カブトが最初から「何も無い」と言うのはオカシイのです。カブトはこの時、愛を感じてたと思うんです。高価な眼鏡を何の躊躇(ためら)いもなく与えてくれた…。カブトはこの後、せっせとお金を貯めてマザーに眼鏡をプレゼント(ep583)してるんんですよね。マザーから貰った眼鏡はそのまま使い続けるんです。この後、ナルトの尾獣化でレンズ割られたりするんですが直してズーッと使い続けるんです。

そのくらいカブトにとってこの眼鏡は大切なんです。それってマザーの気持ちをちゃんと受け取り忘れていないってことなんだと思うんです。それでもカブトは「何も無い」と言うのは、第583話「これは誰だ」の回想で任務の中で偶然敵として再会したマザーをカブトが殺してしまった不運が在ったからなんでしょう。しかも、その時、マザーは何らかの事情があってカブトを忘れちゃってたもんだから、カブトは半端無いショックを受けてしまうんです。だってカブトにとって孤児院でマザーと暮らした想い出だけが自分の拠り所であって、それのみがカブトの「アイデンティティ」だった筈で、カブトも孤児院を出てから5年間ズーッと他国に潜入し続けたんだから仕方ない罠。

「ボクには何も無い」(カブト)

ホントにマザーを手に掛け、その断末魔にマザーが自分を覚えてなかった事実はカブトの全てを否定したとも思えます。カブトの唯一の拠り所だったんだから、これは同情の余地はあるでしょう。カブトとマザー。カブトと孤児院の仲間。その繋がりを唯一の拠り所としてカブトは「自分」を感じてたのです。マザーや孤児院の仲間との関係性がカブトを形作ってた訳で、その中核で在るマザーを、よりにもよって自分で殺めてしまったんだから、その後悔たるや想像だに出来ません。カブトの薄幸な生い立ち。ダンゾウの手先として諸国を転々とする「根無し草」のような任務(「根」なのに…)。それらを汲むならば、こんな風にイジケルのも仕方ない…僕がカブトの立場に在ったらきっと同じ事言っちゃうだろうな(笑)。

でも…でも…ですよ。じゃ、イタチはどうなんでしょう。イタチはカブトみたいに「何も無い」なんて言いませんでした。恐らくマザーと同じような役割をしたフガクをイタチはその手に掛けているんです。それどころか、イタチはミコト(←ナル×ジャンではもしかしたらミコトがイタチの恋人だったなんて唱えてたりして…「サスケは何故、生かされたのか?」参照)まで…いやいや…一族全員を殺めて、木ノ葉隠れを抜けてしまったんですよ!!これはカブトの薄幸な幼年期の体験に匹敵して余り在ると思いますが、イタチは決して「何も無い」なんて言わなかった。言いませんでしたとも。イタチは全ての汚名をその一身に背負い、里の為、サスケの為に病魔に蝕まれた体に鞭打ったんです。

「うちは虐殺」とか、イタチにまつわる謎が殆ど明かされなかった当時、トビがサスケを洞窟に囲ってある事ない事告げ口する…所謂…「万華鏡の儀式」の最中に、僕は何者かに急き立てられるように「虐殺前夜」や「イタチの生き様」なんて考察を書きまくりました。あの時は僕のバイタルは相当ヤバい事になってましたが、それでも書けた。死なずに書けた。それはイタチの生き様に「力」が宿ってたからなんだと思います。それと、今回のカブトはちょっと違います。イタチとカブトは数多くの類似点があるにも関わらず、反目する部分が余りにも目に付きます。イタチの為だったらできるけど、カブトの為だったらできない…僕は自然にそんな風に考えながら、かなり無理矢理これを書いています(笑)。

「………
これは……
誰だ…?


…これはボクじゃない…
本当のボクじゃない…」
(カブト)

「自分がハッキリ見えていないようね」(大蛇丸)

第583話「これは誰だ」の仕舞いで、マザーに忘れられてて、おまけにマザーを手に掛けてカブトが壊れっちゃうんですけど、それを狙い打つようにピンポイントで大蛇丸が登場します。カブトはマザーという…自分の外形を形作る存在を失って、自分の(かたち)が維持できなくなってしまった訳です。それがカブトが所有する唯一の「アイデンティティ」でしたから、カブトには心からお悔やみを申し上げたいと(汗)。でも、それもちょっと違うな…と思いながら、大蛇丸が登場して僕らが知る大蛇丸の手下(のもやしヤロー)としてのカブトが誕生する事になります。それは次週から描かれると思いますが、イタチはそんな弱音なんて決して吐かなかったよな…と、僕は思います。

このまま大蛇丸が死なずに在り続けたら、きっとカブチ丸としてのカブトは存在せず、ホントはカカシくらい強いんだけど、もやしヤロー呼ばわりされるカブトが大蛇丸とセットで居た事でしょう。それは大蛇丸がカブトに居場所とか役割を与え、結果的にカブトの外形はその態を取り戻し「アイデンティティ」を再生させた筈だから。大蛇丸は何でも欲しがる人だったけれど、何でも与える人でもありました。大蛇丸を殺めた恩知らずのうちはのヒヨッコであるサスケに修行を付け数々の忍術を授け、秘蔵コレクションの草薙の太刀まで与えています。それ以外にもありとあらゆる物事をきっと惜しげも無くサスケに与えたのが目に浮かびます(笑)。大蛇丸は不思議なお母さんみたいなものなの。

それに甘える形でカブトは「アイデンティティ」を得ていたもんだから、大蛇丸が死んでしまうと一気に何者でもなくなってしまうのです。それはマザーが死んでしまった今回と同じ。マザーを失ったカブトと、大蛇丸を失ったカブトは全く同じなのです。カブトはあの頃から一歩たりとも成長できていないのです。例えお腹から蛇を生やそうと、仙術マスターして仙人モードを披露しようと、カブトの「アイデンティティ」なんて自分に何かを与えてくれる人の存在に支えられる脆弱なものであって、その点で致命的に不完全なのです。対してイタチは全くそれには当たらない。カブトにしてみればイタチが不思議で堪らないのです。それがカブトが抱くイタチへの嫉妬心の根っこな訳です。

イタチにはサスケがある!!!

イタチの滅私とはその殆どがサスケの為に在ったと言っても過言ではありません。マザーや大蛇丸に与えられるだけのカブトとは違います。カブトは誰かを愛する事をせず、ただ愛される事を願い続けたのです。誰かに何かを与えられる事だけを期待し、誰かに何かを与える事を知らなかった。イタチはサスケが独り立ちする為にありとあらゆるものを与え続けました。嘘というオブラートに包んで全てをサスケに飲み込ませたのです。自分の死すらイタチはサスケの為に費やしました。その真意に気付けないカブトにはイタチを理解する事など到底叶わないでしょう。カブトがサスケを求めるのは、うちはの若い身体とか実験材料と言ってますが、単にイタチをトレースしたいだけなんだと、僕は思います。

「全てができないからこそ
それを補ってくれる仲間がいる
己が本来できたであろうことを
ないがしろにしないためにな」
(穢・イタチ)

「アイデンティティ」とは自分一人で完結するものではありません。自分を知るということは、自分のできない事を許せるようになる事です。その上で、自分が成せなかった事、成し切れなかった事を蔑(ないがし)ろにしない為に誰かに託す必要があるのだと、イタチは教えてくれました。具体的にそれがイタチにとってはサスケだった訳です。イタチはサスケを心底愛していたのだと、僕は確信しています。イタチの全てを与えられてサスケは遺されました。生かされました。イタチは自分が出来なかった事をサスケに託したのです。その行いこそがイタチの「アイデンティティ」を成していた事に、イタチは気付いています。死んでからではありますが、イタチは己自身を認めることが出来たのです。

与えられるだけで完結する「アイデンティティ」は、如何にも脆弱で不安定であります。カブトを見ていれば、それは明白でありましょう。イタチだけでなく、ヤマトだって、カブトの有り様には溜め息混じりでした(笑)。カブトの不完全さとは「与える気持ち」が全く無いところにあります。例え、それはサスケを手中に収めようと変わる事はないでしょう。それはカブトにはイタチの外面しか見えていないからです。人と人との繋がりの中で、真に「アイデンティティ」というものは成るのです。自分が感じる「自分」。他者が感じ形作られる「自分」。そのどちらも「自分」なのです。それは「自分」を認めるだけに留まらず、「誰か」を認めるということなんだと、「今やっと分かる」…のがカブトには解らない(笑)。

イタチの言わんとする事は斯様な事ではなかろうかと、僕は思います。何ができて何ができないかを知り、人と人の繋がりの中で誰かに託して行く。伝えて行く。それは誰かを信じるということなんではないかと思うのです。自来也が雨隠れの水底に沈んだ時の笑顔…。あれは諦めなどではありませんでした!!自分を許す。自分を認める。そこで成せなかった事を蔑ろにせぬように誰かに託す。イタチにあってカブトに無いもの。イタチの行い、想い、生き様。僕はそれらに心揺さぶられ、魂を鷲掴みにされ書きまくった。あの時、僕が感じたエネルギーとは何なんだろう…僕はそれにしながら書きなぐりました。心の何処かで…皆さんに「何か」託す為なんだろうと感じながら…。きっと…きっと。

この先に「愛の正体」が在るのだろうと念じながら…。

僕は確かに「繋がり」の中に居るのだ。

「イタチにあってカブトに無いもの」
ナル×ジャン ケルベロス


業務連絡(120427):明日はもしかして週ジャンの発売日?よく解らなくてキョドり中ですが、ワンちゃんのミーティングなどに参加したりGWはいろいろとイベントがありまして(汗)。感想はキチッと定時には上がりませんって(笑)。何とか時間を見つけて書いて行きますので、皆様もどうか良いGWをお過ごしください。僕は相方とイチャイチャしつつ普段はできないような、そりゃもういろんな事をさせて頂きます故オフラインが多いです。ナル×ジャンの活動もしっかりこなして行きますので。では良きGWを!!晴れたらいいですね。ごきげんよう(ケルベロス)。

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翌檜

 
(木遁秘術…)<バッ>(穢土転生・柱間)

「!!」<カリッ>(これは…
初代様だけの秘術…マズい!!)(三代目)

(樹界降誕!!)(穢土転生・柱間)

『NARUTO -ナルト-』14巻(2002年11月6日:第1刷発行~)2004年7月19日:第14刷発行の単行本で、確かに柱間は詠唱しています(第14巻/50頁)。穢土転生とは用意した人柱(ひとばしら)を依憑(よりわら)として魂を降ろし、その魂が塵芥を纏い、魂の形を成すのですから、この時の術名の詠唱は柱間(の魂)に拠るものです。つまり、全忍中唯一木遁をオリジナルで使用できた柱間の木遁秘術の名称は「樹界降誕」であると、ナル×ジャンでは認定します。ちなみに「巻ノ14」が現在、第何刷なのか知れませんが、もしかして「樹界降誕」「界」「海」になっている刷がありましたらタレ込んでやって下さい。これをナル×ジャンでは「キッ神のタイムマシン」と呼んでおりまして(ry

(チャクラが生命の源に…!!
あれが乱世を収め木ノ葉を築いた
初代様伝説の木遁忍術か…!!)(暗部※)

ところで、大蛇丸の木ノ葉崩しで「三代目VS大蛇丸」を結界の外から指を加えて見守っていた暗部(※)って、もしかしたらテンゾウ(ヤマト)じゃないのかな…と、ふと思いました(第14巻/52頁)。何でかって言うと、「六道」「陰陽遁」といった概念が(恐らく…この時点ではクリエイターであるキッ神にすら)存在しない頃に、「無」から「有」を生む=「チャクラ」から「生命」を生む「万物創造」を思わせるイメージが、この暗部にはあった訳で、それって「木遁」の何たるかを知るものじゃないのかな…と思いました。つまり、木遁を(曲がりなりにも)使ってたって事かしらと思った訳。そんな人は「ヤマト」しか居ませんて。雰囲気がかなり違ったりしますが、細かい事は気にしない~ッ(ワカチコ♪ワカチコ♪)←充分気にしてる。


「ひっくり返ったな…
これで動けねェ…」(穢土転生・デイダラ)

「ぐわああ!!」

<バッ>(木遁・樹海降誕!!)(ヤマト)

それで、第513話「カブトVS土影!!」でデイダラの起爆粘度(大クラゲ)が鬼が島をひっくり返した時に、島の動物さん達を助けようとヤマトが出した「樹海降誕」が、将来的にキッ神のタイムマシンによって「海」「界」に変更されるような事があるんかな…あったらイヤだな…と、僕は被害妄想に駆られてしまったのです。僕はヤマト(テンゾウ)が大蛇丸による遺伝子操作によって作られた柱間のイミテーションだと考えてて、それが艱難辛苦を乗り越えていつしか「本物」になって行く…植物で例えたら「檜」(ひのき)になろうとする「翌檜」(あすなろ)みたいな存在だったもんだから、そのゴールとも呼ぶべき「樹界降誕」「樹海降誕」で、しかもあんなに小さな扱いだったのが凄くショックでした(笑)。

ヤマトが限界点を超えてチャクラを絞り出して、それこそ命を燃やして千手柱間という「大樹」を目指すところに、ヤマトが「柱間のイミテーション」を脱して、真のアイデンティティを獲得するような行をキッ神が用意していてくれてる筈!!と、僕は想像してたんです。それはヤマトが命懸けで大切な人を守る為で、ナルトかカカシか、はたまたサクラの大ピンチを救い、自らは「大樹」となって果てる…ちょっと悲しいビジョンだったんだけど。でも、そのくらいヤマトの見せ場と感じてたって事だし、ヤマトが「本物」として立つチャンスでもあった訳ね。だから、「樹界降誕」「樹海降誕」は違う忍術であれば少しは、僕もヤマトも救われるんです。なので、この部分に「キッ神のタイムマシン」が発動されない事を心から祈ります。

大きなヒノキ(のような立派な樹)に明日はなろう~♪


 

「孤独」

 
トビを「TO BI O BI TO」で連日書きながら、トビの抱える「どうしようもない孤独」を味わっていた気がしてならんのです。僕は寧ろ「孤独」が好きなんだけど、トビが抱えていた「孤独」とは異質だったと思います。それ以前に「孤独」っちゅーひどく漠然とした感情や状態の定義と言いますか、「孤独」って何なのサ!?と、僕は「説明者」としての自分の「立場役割」を不遜にも鑑み、はたと考えに詰まってしまったのです。「孤独」ねェ…。そもそも、僕は「孤独」が嫌いじゃないから。特に書く時は端から見ててきっと恐いくらいの「孤独モード」に入り込んでると思います。それを一番了承してるのがうちの相方でして、何してもダメだ…とでも思うんでしょうが、彼女もお気に入りの場所で「孤独モード」に没入します(笑)。

ちなみに犬が顎を床にベーッと置いてベッタリとした姿勢をとるのは、人間の主観から生まれる「手持ち無沙汰」ではなくて、その姿勢が犬の骨格やメンタリティにおける「安楽」を意味するからであって…ぶっちゃけ、すっごく楽だからあんな風に休むそうです。ま…そんな姿を見るや堪らなくなって上に乗っかってイチャイチャしちゃう訳なんだけど、逆に相方から僕が書く事を邪魔する事は滅多にない。皆無と言っても良いくらい。そのくらい僕の「孤独モード」が恐く見えるのか、相方が空気読める名犬だからなのかは不明だけど…(笑)。僕は書く時は鬼のように書くようなので、何も聞こえないし気にならなくなる。よく「潜(もぐ)る」と言う言葉を使うのは深海に潜行する調査船のイメージがあるの。

行った事はないけれど、深海って静かなんだと思います。人の話し声はおろか、喧騒というものがない…筈なんです。いいとこ泡の音とか、空調の音とか(笑)。想像の世界なんですけど、それが僕にとっての「孤独」なんだと考えています。だから、別に悪い事でも嫌な状態でもなく、僕には非常に心地良い状態や気分なのです。相方が顎を床にベッタリ着けて寝るのと一緒(笑)。それでもトビに「孤独」っちゅーものを感じた。感じてしまった。しかも、それがとても嫌な感じがしたのね。でも、それも紛れもない「孤独」だったんです。極めて明確に「孤独」だと感じました。その時、いろんな「孤独」があるんだな…人それぞれなんだなー…と、僕は感じて、改めて「孤独」って何だろう?…を考えてました。

僕は何かを考える時、ググります。これはギリシアの大哲人の「ググレカス」の教えに従うもので、「孤独」が大好きな僕にピッタリ…ってか「友達」と呼ぶべき存在が居ないので…厳密には相方が師であり友達であり…何でも独りでやるだけなんだけど(笑)。もしも、この世の何処かにもう一人の僕が居たら、千里の道を走って友達になって貰おうと思ってるんだけど未だに成就しません。しかし、僕はそんな「状態」や「気分」を「孤独」だとは感じていないんです。もっとこう何と言うか落ち着いたり、深く考える事に没頭できる居心地の良い「状態」や「気分」を、僕は「孤独」なんだと感じてるのです。それをして「深海のような…」としていまして、実際に体験した訳ではないけど「静寂」なんだと考えています。

「孤独の反対は無知」(宇多田ヒカル)

ちょっとググると「孤独の反対は無知」という宇多田ヒカルさんの言葉がヒットします。いろんなブログでこの言葉を「クリア」だと評価する傾向が高いのに、正直驚きました。何でかって言うと、僕にはピンと来なかったから。「孤独」の反対が「無知」って何?!と、単純に理解できなかった…のが正直なところでした。多分、それは僕が「孤独」を素晴らしいものだと思ってるのに関係してるんだろうとは思いました。そもそも、若くして全てを成し遂げてしまった宇多田ヒカルさんの感じる「孤独」なぞ、僕には計り知れない(汗)。でも何でか「無知」という部分に引っかかりを覚えたのは、そこからトビの抱える「孤独」の臭いが漂って来たからからです。べ、別に宇多田ヒカルがトビみたいだ…というのではなくて(笑)。

トビは恣意的に兄弟に能力を分別して創られた六道仙人の兄系の末裔であると思います。千手柱間の「生きた細胞」を培養して「柱間の力」をコントロールしたと豪語する部分に、兄系の弟系に対する嫉妬心みたいなものを感じています。ま…その傾向をして、僕は「六道仙人のトラップ」なのだと推理していますけど。何より兄系には「仙人の眼」が与えられています。それは万象を見通し、全てを解明できる眼力であります。大蛇丸はその能力を欲するが故にうちはに擦り寄った訳です。恐らく「白蛇」とはヤマトの研究と並行して行われた柱間の細胞やDNAの解析から生み出された副産物であり、それをコントロールできた意味で大蛇丸は弟系の末裔であったと思います。欲深い弟系も居たんですね(笑)。

ちょっと横道に逸れちゃうけど、「白眼」は千手一族が兄系の血継限界である「写輪眼」を改造して弟系のに「瞳力」たる血継限界に取り込んだのではないかと、僕は考えています。中忍試験の行で「白眼→写輪眼」(白眼から写輪眼が派生した)をカカシが提示しましたが、弟系のプロパガンダ(情報操作)だった…と苦しい言い訳が必要になりますけど(笑)。大きさの違いこそあれ、兄と弟が互いに魅かれ合う関係にあるのは、元々一つだった「六道の力」(六道=柱間+うちは)に拠りますし、お互いの能力に対する興味が…それだけじゃないんだけど…引力の組成を成している事実は明白でありましょう。そして、「能力」に拘って考えれば、兄系が弟系に対して黒くなるベクトルを有している事に一定の理解が得られます。

何たって「何でも見える眼=仙人の眼」なんてものが与えられちゃったんですから。兄系は基本、何でも解っちゃう。そう言えば、シスイ事件の後のうちは上役の怒鳴り込みの折りのイタチのイミフな焦り方なんて、知る者と知らぬ者の永遠に埋まり様のない深い深い溝だったんではないかと思えて来ます。あれは万華鏡を開いた眼で石版を読み込んだり(写輪眼と万華鏡で解読内容が違うのに上役が気付いてないから、写輪眼の覚醒ステージの違いに拠る解読内容の変化はなさそう)、当時付き合っていたイタチが思うところのマダラ(トビ)から吹き込まれた情報や、”暁”の一員として霊器(御神器)を集めながら得た現実等々…イタチですら押し流されそうな情報の洪水が荒れ狂っていたのかも知れません。

つまり、物事(万象)を知れば知るほど「孤独」になる。宇多田ヒカルさんが宣った「孤独の反対は無知」とは、もしかしたらそう言う事かしら…と、僕は思い当たったのです。宇多田ヒカルさんは常人には計り知れない感性を有し、恵まれた家庭(教育)環境や血統がファンダメンタルを研ぎ澄まされて、若くして全てを成し遂げてしまった…と言っても良いと思う。同時にいろんな事を知りもした。知れば知るほど「孤独」になった。まるでイタチが万華鏡で世界を見通したように。宇多田ヒカルさんにとっての「孤独」とはイタチやトビが感じるそれに近かったんじゃーないでしょうか。とても辛い状態。凄く悲しい気持ち。何も知らない…「無知」であれば感じなくて済んだ「孤独」。

六道仙人のトラップ…兄系に与えられた「瞳力」(=仙人の眼)が、兄系の覚醒者をどんどん「孤独」に追いやってしまうのだと思います。だからトビは「全てが一つになる」なんて馬鹿げた「月の眼計画」を推進しているのでしょう。何故ならトビにとって「孤独」とは辛い状況だからです。トビは「孤独」が恐いから力づくで世界を一つにしようとしているだけなのです。その悟りを六道仙人は否定したのでしょう。「六道の力」を知り、その組成を見抜ける兄系にとって、六道仙人のトラップとは不条理そのものに感じられる事でしょう。それに拍車をかけるのが、ナルトの明るく温かいチャクラなのかも知れません。見たくないのに兄系の眼には、それが見えてしまう。それが兄系の「孤独のスパイラル」を生んでいるのです。

「孤独の反対は繋がり」(千手柱間?)



君が気高い孤独なら by 佐野元春

作詞:佐野元春 作曲:佐野元春

もしも君が気高い孤独なら
その魂を空に広げて
雲の切れ間に
君のイナズマを
遠く遠く解き放たってやれ

もしも君が拙い旅人なら
どこか遠くへと旅立つ前に
僕の歌をちょっと聴いてってくれ
外がどしゃ降りになる前に

通りは陽射しに満ちて 暖かく
僕らにはこの音楽がすぐそばにある
君は光に包まれ
ダンスに夢中で
本気で輝いて
woo woo...
Sweet Soul, Blue Beat...
Sweet Soul, Blue Beat...
何てステキな快感
僕が欲しいのはそんな瞬間

もしも君が蒼い孤独なら
人の話などどうでもいい
その目で聞いて
その胸で話してくれ
このどうしようもない夜の真ん中で
もしも君が気高い孤独なら
その魂を空に広げて
もう一度
どうしようもないこの世界を
強く解き放たってやれ

通りは陽射しに満ちて 暖かく
僕らにはこの音楽がすぐそばにある
君は光に包まれ
ダンスに夢中で
本気で輝いて
woo woo...
Sweet Soul, Blue Beat...
Sweet Soul, Blue Beat...

何てステキな快感
僕が欲しいのはそんな瞬間

もしも君が気高い孤独なら
Sweet Sowl, Blue Beat

もしも君が気高い孤独なら
Sweet Sowl, Blue Beat...





孤独のRunaway by B'z

作詞:稲葉浩志 作曲:松本孝弘

JUST A RUNAWAY 止めないでよ 後悔は少なめの MY LIFE

雨上がりの明け方 とっくにおまえは消えていた
電話もよこさないで
大好きだった女 飲み仲間 順調だった仕事まで
何もかもほったらかし

何がいやだったの 金なの? マンネリなの?
今頃おまえはどこかで叫んでる like this!

JUST A RUNAWAY 止めないでよ 後悔は少なめの MY LIFE
許されないのは わかってるつもり
世間のしくみにとても勝てないから

物を置かない主義のおまえの部屋に残されていた
サボテンが街を笑い
いい迷惑だと みんなあきれかえった後
また普段の暮らしを続けてる

何が大事だったの
出ていったやつの口グセだけが眼の裏で踊る like this!

JUST A RUNAWAY 止めないでよ 後悔は少なめの MY LIFE
愛を殴ってみよう 義理を蹴飛ばしてみよう
傷ついて憎まれてもいいから
孤独のRUNAWAY 本当は誰もが 愛人探しに出かけたがってる
もう戻る気はないよ いろんな物を
無くしちゃたかもしれないけどI'm alright

JUST A RUNAWAY 止めないでよ 後悔は少なめの MY LIFE
愛を殴ってみよう 義理を蹴飛ばしてみよう
傷ついて憎まれてもいいから
孤独のRUNAWAY 本当は誰もが 平和に見える毎日を壊したがってる
もしもあなたの心が 身軽なものなら
そこに長居は無用さ baby, here we go!


「孤独の反対は喧騒」(ケルベロス)

 

 

「自分」(後編)

 
「僕は……
大蛇丸様が死んでから…
自分が何者か
また分からなくなった……


…………

親も知らず国も知らず敵に拾われ
幼い頃からスパイとして
国や里を転々としていた僕にとって…
国や里といったものは
曖昧な者でしかなかった

大蛇丸様の部下になるまではね…
だがまたいなくなった

自分は一体何者なのか…
アイデンティティーの無いこの苦しみ…

君なら分かってくれるよね…
ナルト君

自分はうずまきナルトなのか…
”九尾”なのか…

かつて君は他人の冷たい視線にさらされ
一体自分が何なのか
分からなくなってたハズだ」(カブト)

「………」(ナルト)

サスケとデイダラがおっ始めそうになるのと並行して、カブトがホラーな独り喋りをしてた行(くだり)…(第39巻/132-133頁)。思えばナル×ジャンが始まって直ぐで、初々しい「感想」を書いてた頃(遠い目)。僕としてはカブトが意気揚々と喋りまくるのを、「馬鹿な事を…」(第39巻/141頁)と門前払いするかのように知覚する描写が好きで、ヤマトは「自分で自分の親になった系」に思えて、激しく感情移入したものでした。「自分で自分の親に…」というのは誤解して受け取る人も居まして、クドクドと説明しようかしらとも考えたんですが、こればっかりは経験者でないと解らない…と諦めました。ま…アレな内容なので…これは「ウン、ウン」と解る人だけにしっかりと感じて貰えれば満足でーす(笑)。

話を戻しまして…カブトは自分のアイデンティティに悩んでる訳です。よーく考えればカブトとヤマトの境遇って凄く似てると思うんですよ。ヤマトだって「自分」を見失ったって仕方ない!!…みたいな陰惨な幼年期を過ごしてる筈なんです。でも、「今」を比べれば雲泥の差。それが何を意味するか…つーと「自分で自分の…」にナル×ジャン的にハマってしまい、解る人だけ解れば良いサ…にループしちゃう訳(笑)。そこに落とし込んじゃって諦めるのも大人げないし、ちょっと補足するなら、ヤマトは「自分」に縋(すが)り、カブトは「他人」に縋った…って事だと思います。具体的には、カブトは大蛇丸にぶら下がる事で辛うじて「自分」を感じられた人なんだと、僕は考えています。

「確かにボクはカカシさんの代理
けどカカシさんとボクは違う

”君達を傷付けやしなーいよ”
…なんて笑って言うのはごめんだよ」(ヤマト)

ちなみにヤマトは…(第33巻/168頁)。きっぱりと「自分」を感じてる人なんです。尊敬する「カカシ先輩」にもぶら下がっておりません(笑)。ま…ナルトとサクラを前に懇々と説教してるシーンでカカシのセリフを吐いちゃったのは、きっと暗部の任務で大ピンチを迎え、その時、一緒に行動していたであろうカカシに優しく励まされたからだと思いますが、その甘酸っぱさを別腹に置いといて、サクッとナルトとサクラに引用できるのがオトナって事で一つ…。しかし、こうでなきゃ「他人」を導くなんてできないです。ケルベロス理論としては心にも慣性があって、ある程度物理法則が適用できまして、「自分」という中心があればこそ回転できる…駒(ジャイロ)のように「自律(自立)」できるのだと考えとります。

それで、「悋気」でも書いたんだけど、大蛇丸は「与える人」であって、それがトビと違うところだと、僕は考えています。しかし、大蛇丸は「(何でも)欲しがる人」でもあって、ここがややこしいと言われそうだけど、欲しがるだけでは得られない事を大蛇丸は知ってたんだな…。これは何にでも通じる要領だと思うんです。例えば種を撒いて水を与えて世話をしないと作物は穫れない。より遠くに跳ぶ為にはより有効な助走が必要だったりするのは、皆さん経験があると思います。それを大蛇丸は天然でしてたんだと思います。だから、カブトが最も欲しがる「居場所」を大蛇丸は与えたんじゃないでしょうか。それをカブトは「愛」だと感じたんだと思います。大蛇丸はその気持ちをコントロールしてたんです。

大蛇丸は自分を好きにさせる名人だったんだと思います。それが大蛇丸の部下からは見て取れます。大蛇丸を好きになるから自分の命を投げ出しても…って子が大勢いましたよね。その傾向を積極的に運用したのが大蛇丸の「悋気」だったと思うんです。でも、「悋気」って男女の間の気持ちだろ…と仰られる方も居まして、だったら何でボーイズなんたらなんてあるんだよ!!と返したくなったんですが(笑)、「魂」「性別」はないけど「役割」の違いがありまして(あっちの方で言いますと「タチとネコ」なんですが…)、大蛇丸のバイセクシャルな気持ちのやり取りは常に「男と女」の色香が漂ってるのです。その「色っぽさ」を感じて貰えれば、大蛇丸の操った「悋気」の意味が解るんじゃーないでしょうか。

サスケ奪還編の君麻呂っちなんて、正にそれでして、あの時は間にカブトが挟まれてましたが、確かに「悋気」が既に死んでいた君麻呂の身体を衝き動かしてたと思います。あの時のカブトの嫌らしさといったら…明らかに確信犯で、その意味でカブトは大蛇丸の手練手管には気付いてるでしょう。それでも、大蛇丸が生きてれば従ってしまう…それって「恋」の成せるワザなんだと、僕は確信する人なので(笑)。カブトは大蛇丸が生きてれば「自分」を与えられてるんだから迷わないんです。そして、カブト自身はそれでいいと思ってるんだから、他人がどうこう言えるものじゃーない。もう仕方ない(笑)。それほど、大蛇丸は潤沢に与えたからであって、やっぱ大蛇丸って凄い罠…と、僕は唸ってしまうのだ。

「しかし君は…
自分の力を信じ
自分はうずまきナルトなんだと…
”九尾”に対する視線を力強く乗り越えてきた

だから自分のアイデンティティーもよく知っているし…
君を認めてくれる仲間も出来た

だが僕は…大蛇丸様を超えようとせず
ただその力にすがり付いてただけだ

今なら君の気持ちが本当に分かるよ…
僕は君に気付かされた

僕も君のようになりたいと思えた
だから今度は…

この体に取り込んだ大蛇丸様を超え
新たな強い自分を見つけるよ


新たな自分を見つける…
君はそのヒントをくれた
だから感謝してるのさ
…ナルト君」(カブト)

「大蛇丸様は再生の象徴
僕の超えるべき存在として
僕の中で生き続ける」
(カブト)

先のカブトのホラーな行の続きです(第39巻/135-137頁)。大蛇丸の「不死転生の術」って、大蛇丸が尾獣の如き存在になるような形式だった…と、僕は考えています。実際、依憑(よりわら)の体内に白蛇が巣食い乗っ取る術だったのがサスケに切り刻まれた行で判明しましたよね。君麻呂が大蛇丸をして「情報生命体」と言ったのは、白蛇の内部に更に大蛇丸の頭脳をデータ化して搭載してたであろう含みを感じさせます。と言うのは、カブトが移植した白蛇の細胞?=「サスケくんが倒した大蛇丸様の亡骸の一部を…」(第39巻/140頁)に「情報生命体」としての大蛇丸が全て格納されていたのかは疑問です。もしかしたら、大蛇丸の思考(情報)は今も何処かに残されている…とか…ないですかね(黒汗)。

また横道に逸れちゃったけど、九尾の人柱力でありながら折れ(長門)もせず、曲がり(サスケ)もぜず、しなやかに成長したナルトがカブトは羨ましくてならないのです。ここで、カブトを擁護させて貰えるなら、ナルトには「八卦の封印式」なんてチートな設定があってね、おまけに四代目火影・波風ミナトの子で、六道仙人の弟系の血筋を色濃く継承しているんだよー…と、カブトの耳元で囁いてあげたい気持ちです(笑)。しかし、カブトはナルトが「人柱力」だから、それを乗り越える事でアイデンティティを獲得したと思い込んでますよね。これはかなり大きなミステイクだと、僕は考えてまして…でも、カブトにしてみれば、それがナルトの全てに思えたのかな…と、可哀想になってしまうのです。

カブトにしてみれば大蛇丸は九尾にも等しい強大な存在(=チャクラ?)だったんでしょう。カブトはナルトの冒険譚(ぼうけんたん)の全てを知らないし、ナルトが如何に人間臭くサスケを追いかけ、サクラを想って来たかなんて…考えられない。僕は九尾なんて、ナルトにとっちゃー数パーセントでもいいや…くらいに考えています。人間のカッコ良さって、引き出しの多さ(引き出しの容量も重要なんだけど…)だから、それに気付けないカブトも青いな…(笑)。でも、それで逆にカブトの一生懸命もヒシヒシと伝わって来ます。全てはカブトの大蛇丸への「愛」があればこそで、それは如何に大蛇丸がカブトに与えたかの証拠みたいなもんで、カブトも大蛇丸への「悋気」を噛み締めてる…のかな…と。

「当分は安静にしていろ…
万華鏡の場合はなじむまでに時間がかかる
痛むか?」(トビ)

「イヤ…
しっくりきている…イタチの瞳力を感じる
自分が強くなっているのが分かる…!」(サスケ)

第488話「それぞれの里へ」で、サスケが達成感をバリバリ漂わせてますが…、そのほくそ笑みがカブトのホラーな引きつり笑顔と重なってしまって、ちょっと焦りました(笑)。基本的に、「あの人みたいに…」と憧れ、目標にする成長のモチベーションというのはあると思うんです。目標って大事ですから。でも、「あの人になろう!!」ってのは危うい…と思います。「自分」「自分」です。それが「オレが!!オレが!!」になっちゃーいけないけど…司馬先生の「自己中(心)」ね(笑)。だから、大蛇丸の細胞を移植して、大蛇丸の「力」を感じて自信満々になったり、イタチの万華鏡を移植して、イタチを感じて自分が強くなったのを確信しちゃうサスケは心配なの。それはアイデンティティ獲得の過程に過ぎないから。

何か何処か安心したい…みたいな弱気さがあるんですよ、二人には…。そんなだから、ナルトの中の九尾を殊更意識するんじゃーないかな。確かにナルトにしてみれば九尾は厄介な存在だけど、それだけ悩んでる訳じゃないと思うんです。でも、カブトなんか「それしか無い!!」みたいになってますよね。サスケだって「イタチの万華鏡!!」みたいな達成感がアリアリですよね。そして、それで「自分」を確立できたと思ってるんなら危ういと、僕は思います。人間とは複雑な生き物だから、一筋縄じゃー行かないです。僕は「万華鏡」って、絶えず変化する森羅万象を指し示してるんだと考えてるんです。こんなにも複雑な人の本質が何か一つのアイテムで完全に解明できる筈ないですって!!(笑)。

「お前に九尾のチャクラを
半分残して封印したのは
この力を使いこなすと信じていたからだ…」(ミナト)

「オレの息子ならと」(ミナト)

ナルトは雲隠れの孤島(鬼が島?)でこれから「九尾のコントロール」に取り組む訳です。ナルトには「九尾の陽のチャクラ」(第47巻/142頁)が封印されてまして、それを「八卦の封印式」がパッケージングしてナルトに搭載されています。そして、キラビがナルトを導き、ナルトは「自分」の中の九尾と向き合って行く事になるでしょう。問題は九尾をどんな風に感じるかに掛かってると、僕は考えてまして、ナルトの後見人ともいえるヤマトは、ナル×ジャンの分析では「柱間の遺伝子情報」が齎す「木遁チャクラ」「異物」として認識する事で、そのコントロールに成功している…しかし、その発現は柱間ネイティブではなく、かなり人工的で制限が多い。僕は、それが「ヤマトの限界」なんだと考えました。

でも、それが危険だとは書いたけど、間違いだとは書いていない。そういう受容もある…と、「自分」があるならば、「他人」のヤマトがどんな事をしようと受け入れられます。ココ、凄く大事だと思います。どんな時も「自分」が全てで、聞く耳がないのは「自己中」と言えるでしょう。しかし、「他人」と同じ考えになれとか、同じ人間になれとか、そんな気持ち悪い事を勧めてるんじゃなくて、「こういう考え方もあるんだ…」と一旦受け容れる心の余地は必要です。それが出来ないのは「自分」がないからだと、僕は考えています。「自分」「中心」になって回転できないから「自律」できないのです。僕がアサーティブな表現に拘るのも、その関係性を尊重してるからで、考えは自由であるべきだと思うからです。

「…ビーさんは
お前の事をちゃんと見てる
何か訳があってそうしたんだ」(モトイ)

第492話「あいさつ」で、迷い始めたナルトにモトイが凄くいい事をいってました。「人を見る」というのは、その人の「自分」をしっかりと見つめる事なんだと思います。つまり、その人の「中心」です。その人がどんな人で、どんな考えをしてるのか?…それを「人となり」という言葉で片付けちゃうと、その複雑さが上手く伝わらなさそうで悩ましいです(笑)。ま…それをする為に見つめる側の「自分」も必要なんですが…。こんなにもチンケで汚れちまった僕が言うのもアレなんですが、人間なんてホント色んなモノが寄せ集まってますがな。清らかであり、汚らしくもあり、愛もあれば、その逆もある。善良もあれば邪悪もある…清濁が寄せ集まって人はその形を成しているのだと思います。

恐らく、ヤマトは「木遁チャクラ」「異物」として受け入れコントロールしていると、僕は分析しています。きっと、そうしなければヤマトは柱間に飲み込まれてしまったのかも知れないです。ヤマトは生きる為にその身に宿った「柱間」と闘い、「自分」の中でバランスする距離感を掴んだのだと思います。僕はそれを責めたりなどしない。それはヤマトの問題だから、他人の僕が弄くれる問題ではないです。これが理解できない人は「自分」を疑ってみて下さい。「こういう考えもあるんだ」と思えるかどうかです。その上で、ナルトの中の九尾に目を移せば、九尾もナルトの「一部」なんじゃないかと、僕には思えるのです。真っすぐで大らかなナルトの中の邪悪なチャクラの塊…九尾。それもナルトなんだ!!

人の心の万華鏡の中にはいろんなモノが渦巻いてますよ。それが「パンドラの箱」の示したかった宇宙なのかな…なんて思うんです。宇宙も自然も人も…みんな同じ構造なんじゃないかと、僕は考えています。そして、八本目→九本目の大ピンチでナルトの前に姿を現したミナトがナルトに告げた「この力を使いこなすと信じていたからだ…」(第47巻/142頁)をもう一度噛み締めれば、ミナトがナルトに「自分」をしっかりと見つめて欲しい想いを示唆したんじゃないかと、僕には思えるのです。ミナトはナルトに九尾すら「ちゃんと見て」欲しいと考えてる…そんな親心のほろ苦さが滲んでる気がしてならないのです。ま…それを「そんな考えも…」と受け容れられるかはそれぞれの「自分」に掛かってる…と、僕は思うんだな…。

「九尾のコントロール」とは「自分のコントロール」である。

そして、それは「ナルトだけの特別」ではない(続きは…いつか)。

「自分」(アイデンティティ)
ナル×ジャン ケルベロス


 
業務連絡(100516):皆さん、こんにちは!!ナル×ジャンのケルベロスです。全てのアクセスに感謝致します。今回、「自分」(アイデンティティ)を書こうと思ったのは、いろんな状況、事情に僕が直面したからでして、自分の周りの方々、主にネットの関係です。その尽(ことごと)くで「自分」「他人」…正確には「他人の中の自分」で悩みを抱えていらっしゃる。少なくとも「自分」「他人」整合性なんてのあり得ないので、考えなんて違って当たり前です。その辻褄を合わせようと考えるとホントに真っ暗闇に落っこちてしまいます。それを想像できれば、その逆だって見えて来ます。「他人」「自分」整合性も無いと思った方が良いという事。僕が「表現なんて全ては伝わらないよ」…って言うアレ。

それがナル×ジャンで言う「そんな考えもあるんだ…」です。この人はこんな風に考えるんだ。僕はこんな風に思う。考える。感じる。それで良いと思うんです。「自分」「他人」の境界線付近で、人は焦り戸惑うようです。それは「他人の中の自分」「自分の中の他人」が混ざり合ってるからなんだと、僕は考えています。ややこしくてアレですが、如何にして「自分」を受け容れるかで、「回転軸=中心」の強固さが決まるのだと思うんです。軸がしっかりしていれば思い切り回転できますから、ジャイロ効果が高まり、外力を受けたとしても揺らぎこそすれ、揺れの終息も早いのです。……と、まあ、そんな事を偉そうに書いて励まそうと思ったんですが、どうしてもお話に詰まってしまう…。

…と言うのも、『NARUTO -ナルト-』自分が自分になるお話だからで、ナル×ジャン的にはライフワークとも言える「終末の谷の決闘」の旨味が詰まった部分に思いっ切り被ってしまうのです。いっその事、このまま「終末」のラストの考察を書いちゃおうかしら…と思ったんですが、それはナル×ジャンと皆さんのお別れの刻まで大切に取っておくべきだと踏み止まりました(汗)。これからナルトの「九尾のコントロール」を中心にお話は回転して行くでしょう。ナルトももう一度、「自分」と向き合う流れになると思うんです。どうか皆さんも、もう一度、ご自分と向き合って、自分の「中心」を探してみて欲しいです。ケルベロスもそうしてみます。一緒に泥沼でもがいてみましょうYO!!成長に終わりなどありません。何故なら…………

人生とは「自分探しの旅」なのだから!!



あるがままので生きようと願うから
人はまたついてゆく
知らぬ間にいていた自分らしさのの中で
もがいているならだってそう
だってそうなんだ

 

「自分」(前編)

 
「サクラを傷付けたのは…君だよ
ナルト」
(ヤマト)

(………この辺りでいいか)と、サクラに聞こえない場所にナルトを引き離して、ヤマトは無表情でナルトにポツリと告げました(第33巻/177頁)。詳しくは「ヤマトの背中が語る"アイデンティティ"」(アイデンティティ)をナル×ジャンの草創期に書いております。今もその考えは変わらず(笑)。これは頑固なんじゃなくて、僕の自己同一性…アイデンティティに関係しているのだと思います。こんな事書くと<ケッ>っとかされそうですが、そうなんだから仕方ない(笑)。しかし、こんなにもチンケな人生を歩む僕が声も高らかにこんな風に言い張れるのは、それを認定するのが誰でもない「自分」だからです。ただ、この傾向が高慢な方向に転ぶのは極めて危険であり、それを戒める先駆者はことの外、多いです(汗)。

『二十一世紀に生きる君たちへ』(司馬遼太郎大兄著)【抜粋】

…………さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
───自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、
よい方向に持っていってほしいのである。

右において、私は「自己」ということをしきりに言った。
自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助け合って生きているのである。
私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。
斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり。
今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

僕が心の底から尊敬し奉る司馬遼太郎先生は、その著作『二十一世紀に生きる君たちへ』で綴っておられます。ちょっと余談ですが『二十一世紀に生きる君たちへ』は是非とも読んで頂きたい文章であります。凄く短い。そもそも司馬遼太郎先生が小学校の教科書向けに書き下ろした作品であり、タイトルがイメージさせる様に司馬遼太郎先生がついぞ見る事の叶わなかった…二十一世紀に生きる君たちへ…向けた「遺書」とも言える文章でした。尺が短いのは低年齢読者に配慮したのも当然あるけれど、文章に一切の無駄がないからだと、僕は感じています。それは読み応えで確信できます。司馬遼太郎先生が「一編の小説を書くより苦労した」と語ったように、正に魂の質量が筆に乗ったような重みが感じられるのです。

ま…余談はこれくらいにして是非とも著書を購入されて読んで貰いたいですが、既に司馬先生も既に逝かれたし、少年少女に1000円以上の出費は痛いし、教えるべきではないですが、『二十一世紀に生きる君たちへ』でググれば全文がサクッとヒットします。何年か前、虐めによる少年少女の自殺の連鎖があった時、それを憂慮したオトナがアタフタとした時期がありまして、その時、矢も楯もたまらず浮かべてしまったモノが今も残っております。僕は本の頁を自分の指で捲るのが好きだから購入しましたけど。本の紙の手触りやインクのニオイ…キレイな断裁の切り口。書庫で徐々に歳を重ねて行くのも風情がありまして、僕はそれに立体感を感じています。今、流行の「3D」とはちょっと趣が違うけどね。

お話がめちゃめちゃ横道に逸れちゃったけど、ぶっちゃけ「自己」「自己中」は違うって事です。そんなの分かってると思うだろうけど、誰もが混同してる部分でもあります。僕だって未だに誤認したままかも知れません(脂汗)。誰しも「自分には優しく、相手には厳しい」に転びがちではあります。それを司馬先生は「人」の字を引用し、助け合う生き物だと展開しています。そして、それが社会を組成し、国家、世界と発展して行く歴史を説いています。それは人がそのように造形された必然を指し示し、本能としての立ち振る舞いを示唆している訳で、それが自然の中に解け合い、「謙譲」という美徳を創り出す展開を非常に明解に、平易に少年少女に届く言葉でまとめあげられているところが凄いのです。

余りにも前戯が長過ぎると疲れちゃう人も居ますんで、この辺に(ry。ヤマトには確固としたアイデンティティがあると、僕は考えています。そして、それは「自己満足」「自己中(心)」ではなくて、確固とした「自己」であります。しかし、大蛇丸の実験体で、バタバタと死んでいった失敗作だった筈のヤマトが、どのようにして生き残り、紛い也にも木遁忍術まで使え、剰え、このように盤石にも思える「自己」を確立できたのかは非常に不思議です。そして、それがヤマトが登場して間もない温泉場で「…これから…忙しくなりそうだ」(第32巻/125頁)と弾けた…。それがヒルゼンでもダンゾウでもなく、柱間のDNAがヤマトを感化したのかな…と、自分で自分の親になった僕としては感情移入せざるを得ないのです(笑)。

「君のあの九尾の力…
ボクは人柱力の力を抑える事が出来る
特別な力を持っている
だから君はあんまり心配しないでいい
…ただ

それはボクが君の側でいる間だけなんだが…

つまり今は
わざわざ本当の事を言わなくても良かった…
けど なぜ話したか…

確かにあの力を使えば
サスケを助ける近道になるかもしれない…
だがあの九尾に頼った強さは
本当の君の力じゃない


これからも
この九尾の力に頼れば
自分自身を苦しめるとにもなるし
仲間を傷付けてしまう力にもなりえる
今回の様にね

君も薄々気付いてるはずだ
でも力の開放を止めようとしなかったのは
焦っていたからだろ?

今から君の九尾の力はボクが完全に抑える
だがそれで君が弱くなると思ったら大間違いだよ

そんな力に頼らなくても君は充分に強いはずなんだよ
君は勘違いしてないか?」
(ヤマト)

「………」(ナルト)

天地橋任務編。ナルトの「四本目」をマジマジと観察したヤマトはナルトに何かを感じ導きます(第33巻/179-181頁)。ヤマトは木遁チャクラ…初代火影・千手柱間の遺伝子情報を搭載する忌まわしき実験体であり、その身に「何か底知れぬモノ」を宿した経験的には人柱力と同等の苦しみを経験している筈です。ダンゾウも肉体活性やチャクラの補完を意図して柱間のデスマスクを右上腕部に装備して、10個もの写輪眼をドライブし禁術”イザナギ”を発動できた訳で、強烈なチャクラのエンジンとしての六道仙人の子孫の弟系の木遁チャクラの特異点である千手柱間の遺伝子情報に着目した木ノ葉上層部の意図は尾獣に頼らない超常チャクラの獲得に血道を上げた痕跡を濃厚に臭わせています。

尾獣は既にメジャーなミリタリーバランスに関わるアイテムですので、他里との政治的な関係が既にある以上、それ程、秘密裏に増強できないのは解ると思います。その為に”暁”なんて非合法組織が堂々と罷り通る現実が在った訳で、公然の秘密として尾獣の奪い合いが存在し、恰も核を水面下で配備し合い、その気配を感じ合う事でシーソーのバランスを保った冷戦構造の如き関係が五大国には在ったのでしょう。それをうっちゃる方策として非尾獣チャクラに手を出すのは酷く賢明に思えます。木ノ葉の場合、木遁チャクラを発現した千手柱間の骸…遺伝子情報を保有する強みがあるのですから、それを利用しない手はないでしょう。気になるのは雲隠れの雷影で人の身でありながらチャクラの鎧を纏い、尾獣並のチャクラを絞り出してた点は見逃せないでしょう。

雷我爆弾で香燐が(雷影のチャクラがむちゃくちゃでかくなった。これじゃ尾獣並だぞ!!)(第49巻/179頁)と感じながら<ガタガタ>と震えてましたが、キラビに八尾の「陽のチャクラ」が封印されてて、雷影に「陰のチャクラ」が封印されてるアイデア(サスケに九尾の「陰のチャクラ」が搭載されてる案はナル×ジャンでは否定的でーす!!)も考えられるし、雷影もまた「仙人の肉体」を継承する六道仙人の子孫の弟系の特異点とも考えられ、超常チャクラを練り出せる特殊な体質(遺伝子情報)を保有していたのかも知れません。どっちにしても各里共、チャクラの強化に血道を上げてた訳で、「チャクラ」が忍界にあって絶対のミリタリーバランスの尺度であった事は揺るがないでしょう。

どんどん、横道に逸れちゃうので軌道修正しますけど(汗)、ヤマトは人柱力と同等のご苦労を経験してる…という事を、僕は訴えたかった訳。それなのに、こんなにしっかりとしたオトナであるのは何故?!…と、僕は激しく違和感を感ぜずには居られないのです。きっと、ヤマトは何らかの方法、或いは契機を経て、自らに内包する「悩み」を乗り越えたのでしょう。自分の中に猛烈なチャクラを発する柱間の遺伝子情報が載っかってるんですから、生体としてはそれを異物として排除しようとするのが普通です。精神的にも柱間が存在を主張するのはダンゾウが弱った折りに柱間の侵蝕が抜け目無く起こった描写で、ヤマトが柱間の侵蝕、或いは干渉に抗って来たであろう日常が在った事は想像に難くありません。

恰もそれは九尾の人柱力であるナルトの様です。もしかしたら、それがヤマトのナルトに対する親近感かとも思える部分でもありますが、ヤマトがナルトの成長や教導に焦りまくる雰囲気は正しく父親のそれであり、僕にはそれが「柱間の遺伝子情報」が感化してると思えてならないのです。ペインの木ノ葉襲撃の折り、ナルトが「いきなり六本目」になり、ヤマカカが配した封印術を無碍に破壊した時に、膝ガクガクでアタフタしたのは、関係性を切られた事に対する欠乏感にも思え、あれは「親」じゃなければ示せない繋がりだなー…と、不覚にも<キュン>としちゃったので、ヤマトには千手柱間の「血」と、自らの実験体としての経験が齎した「肉」の両方が影響してるんだと思います。

そうなれば、問題はヤマトの精神性に絞られます。問題と言うのもアレですが、ヤマトがこんなにもナルトを自信を持って…まるで「父」の様に導けるのは何故なんだろう?!それは『NARUTO -ナルト-』にあって、大いなる疑問でもありました。ヤマトの「自己同一性」とは如何にして齎されたのか…に関しての疑問です。ヤマトには事実として明らかに「アイデンティティ」があります。その獲得に関してはケルベロス理論としての「自分で自分の親になるメソッド」が正しいのだと、僕は思っています。どうしようもない家庭。どうしようもない親。弱々しき子供が生きるスベとして、自らが「親」を宿して生きる方法論があるのだと、僕は訴えたいです。それに…実際、在るんだから仕方ない(笑)。

「君の強さの源は九尾のチャクラではなく
恐るべき九尾のチャクラに耐えうる
その君自身のチャクラの力だ」
(ヤマト)

「………」(ナルト)

「サスケを助けたいなら
君自身の力で助け出せ
九尾の目ではなく自分の目で…

サスケの姿をしっかり見たいなら

そしてサクラを守りたいなら」(ヤマト)

「うん!」(ナルト)

ヤマトはこう言ってナルトを説き伏せています(第33巻/181-182頁)。これはヤマトが「柱間の遺伝子」である「木遁チャクラ」を如何にして受け入れたか…を如実に物語っている描写であります。明らかに「自分自身」があり、それに付加された「柱間のチャクラ」を認識する事でコントロールに成功しています。それがヤマトの木遁忍術の人工的な造形の根拠なのでしょう。柱間ネイティブでない、人為的に切り出された材木。対して柱間のデスマスクを搭載したダンゾウは樹界降誕を想像させる原始の樹木を生み出してましたよね。この差異は境遇の受け入れ方の差異にあるんじゃないかと、僕は考えています。ヤマトの木遁とダンゾウの木遁…この描き分けは物凄く深いよ…。

ヤマトは「自己同一性」…アイデンティティを確立した人格であり、それが「柱間の遺伝子」を搭載された実験体としての境遇の中で成し得られた…。それは「ケルベロス理論」「自分で自分の…のイバラ道」が在るんだと、僕は思っています。そして、ヤマトはしっかりと「柱間」をコントロールしています。恐らく、それがこれからナルトが経験しようとしてる「尾獣のコントロール」にカスる内容でありましょう。しかし、一方ではダンゾウが使った「柱間の力」というものも在る。ヤマトの「木遁」よりはより柱間的な発動でした。その差分が自らに内包(搭載)する「非自分」を如何に受容するかの方法論の違いを明確に指し示している様に思えてなりません。

ヤマトは「異物」として「柱間」を受容したのです。

そして、ヤマトはそれをナルトにも勧めています。トビがヤマトの「木遁」に<ピクリ>とも動じないのは、ヤマトが「柱間」を本当は受け容れてなくて、「異物」として認識してる一点に収束してる様に思います。ぶっちゃけ、道具として「柱間の力」を感じてるのだと思います。だから、ヤマトの「木遁」は人工的で原始の樹木が造形できないでいる…つまり、ヤマトは「異物」として「柱間の力」を受け容れる事で自らの限界を定めてしまったのではないかと、僕は考えています。それが、ヤマトが生きる為の苦肉の策であったかも知れませんし、別段、責められる様な事ではありませんが、少なくとも「九尾事件」で命を賭したミナトがナルトに期待した未来とは違うんじゃないかと、僕には思えてならんのです。

ヤマトにはヤマトの「善かれ」があるだろうし、ヤマトはナルトに「好意」以外の何かで接してるとは思いません。しかも、これまでだってナルトは「九尾のチャクラ」を実際に感じて使役しています。その方法論としては結果的にヤマトの方法論と違わない…九尾を「異物」として感じるものでありました。妙木山のアナウンスに拠れば「九尾のチャクラの上澄を還元する…」類いの部分的な解放ではありましたが、ヤマトが使いこなしている様に見える「木遁=柱間の力」と似たような使用法だったと思います。ヤマトの「柱間の力」に対する認識が、ヤマトの限界を極めてしまっているだろう現実を踏まえれば、ヤマトの指導とはナルトの成長にとっては危険極まりないと、僕には思えてならないのです。

チャクラ切れの為、良いところなんだけど続く…(→後編)



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