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万華鏡写輪眼の微妙な紋様の違いに注目してみる!

 
「愚かなる弟よ………万華鏡写輪眼!!」

イタチはサスケに「うちは虐殺」の阿鼻叫喚の地獄絵図を見せます(25巻/140頁)。この時の紋様が万華鏡写輪眼の「月読」のフルスペックだと思います。イタチ鬼鮫コンビの木の葉強襲事件の時には、この紋様は伏せられていました。その時は「月読」と言う術の名前だけが明かされました。「月読」は対象者を術空間に封じ込め、そこで術者の意のままの精神攻撃をしかける鬼のような術です。カカシが酷い目にあって、病院送りになったのは記憶に新しいです。

余談ですが、この紋様はあんまりカッコ良くないですね。僕も相当なイタチファンですが、あんまり感情移入できないでいます(笑)。でも、万華鏡写輪眼の瞳の紋様に関しては、イタチとカカシの紋様の違い(これは「月読」と「天照」の違い?)以外にも、よくよく見れば結構なバリエーションがあります。その違いから何か見えて来るかも知れません。ちょっと、考えてみましょう。

「そして、いつかオレと同じ"眼"を持ってオレの前に来い」

イタチはそう言い遺し、うちは虐殺の現場から姿を暗まします(25巻/151頁)。この時、万華鏡写輪眼で<ギン>とサスケに示し、サスケはそのまま眠りに落ちてしまいます。かなりの流し目なので、判別し難いですが、先にサスケを襲った「月読」とは紋様が違うように見えます。万華鏡写輪眼が術の種類によって紋様が変化する事はこれまでも考察して来ましたが、この時もサスケは眠りに落ちただけなので「月読」の発動ではなかったでしょうから、別の術…つまり、「天照」や「月読」以外にも万華鏡瞳術が存在するのかも知れません。

或いは、月読の一部分を使ったとの想定もあり得ると思います。術の強弱で紋様が多少変わるのではないか?と言う考え方です。例えば、サスケを阿鼻叫喚の地獄に突き落とした「月読」を完全形態(フルスペック)として、その強度の術を発動する為の紋様が、先の手裏剣型だとして、サスケを眠らせたのはそれに至る途中段階の紋様とすれば、シスイ死亡の一件を問い質しに来たうちはの上役たちとのゴタゴタの折にサスケが見のがさなかったイタチの写輪眼の変化も繋がって来ます。

「あの時の父さんを見る兄さんの目…ただの写輪眼じゃなかった…それに…」

サスケはイタチの異変を思い出します。紋様の違いに気付いた事だけじゃなくて、「それに…」です。サスケは鋭いです。サスケは気付いていたんだと思います。恐らく、イタチはフガクや上役たちに対して何かした…。で、なければワザワザ、この場で万華鏡写輪眼を発揮する必要はなかった。

他の考察でも書いたけど、イタチはチンケな喧嘩でナイフを振り回すような子供ではないです。ましてや万華鏡写輪眼の開眼など他者に知られてはならない重大な秘密である筈です。その上で、イタチがワザワザ、万華鏡写輪眼を出したのは必要があったから…。

この八方塞がりの尋問にも似た局面を切り抜ける為に……。ズズズズズズッ……。



イタチはフガクたちを術にハメたッ!!

組織に執着し 一族に執着し 名に執着する…
それは己を制約し己の”器”を決めつける忌むべき事…
そして未だ見ぬ…知らぬモノを恐れ憎しむ…愚かしき事!!

一族などと…ちっぽけなモノに執着するから
本当に大切なモノを見失う…本当の変化とは規制や制約…
予感や想像の枠に収まりきっていては出来ない。

イタチは散々、訳の解らない話を続けました。「それ以上、下らぬ戯言を言うなら牢につなぐ」とまで言われ、「さあ、どうするんだ?」「もう許容できません。隊長。拘束の命令を!!」と詰め寄られました(汗)。そしてサスケの「兄さん!もうやめてよ!」で「!」(ピクン)となってます。それをキッカケに、突然、土下座をして詫びます。

「…シスイを殺したのはオレじゃない…けれど数々の失言は…謝ります…申し訳ありません」

イタチが謝ると、フガクがいきなり弁護を始め、叩きのめされた筈の上役三人が「分かりました」とスゴスゴと引き上げて、この騒動は一気に沈静化してしまいます。余りにも呆気無い終息でした。不自然なほどに…。恐らく、イタチはこの時、万華鏡写輪眼の催眠で、フガクと上役三人を術にはメタのです。タイミングとしては、「さあ、どうするんだ?」の一瞬です。イタチの両目は黒く塗りつぶされる例のあれですが、フガクと上役三人はしっかりイタチを見ています。

万華鏡写輪眼を発動したイタチはサスケの一言に「!」(ピクン)と反応しています。冷静なイタチですが、かなりの気分の昂揚があったのでしょう。万華鏡写輪眼もギリギリまで躊躇していたけど、怒りの高まりに抑え切れなくなった。反射的に出てしまったのかも知れません。イタチはあの時、サスケの声に我を取り戻したんじゃないかと…僕は考えています。

もしかしたら、イタチが土下座をしたのは万華鏡写輪眼を仕舞う間合いが欲しかったんじゃないでしょうか。違和感なく顔を伏せられますから…したくもない土下座も厭わないわけです。しかし、サスケはこの時のイタチの写輪眼の異変に気付いていた。わざわざ隠した「眼」を不意に見せてしまうようなヘマを、イタチがするとは思えませんから、サスケにはわざと自分の万華鏡写輪眼を見せたのかも知れません。

イタチは…サスケにだけは、不様に土下座するのが本意でない事を知らしめたかったのだと、僕は考えています。サスケだけには、自分の「高み」を分かってもらいたかった。この…図らずも出さざるを得なかった、子供の喧嘩にナイフを振り回すような「力」の誇示に、イタチのサスケに対する思い入れを感じる事ができると思います。イタチの「兄」としての意地というか、人間味が漏れ出した…そんな気がしています。

この状況に関しては、フガクも上役の三人も写輪眼の覚醒者ですし、それなりに修行しているでしょうから、その上位の写輪眼でないと術にハメられないようなヒエラルキーがあるのかも知れないし、イタチがフガクたちを術にハメる為に禍々しいチャクラを練る必要があった。その結果が万華鏡写輪眼の発動に繋がったと考える事もできると思います。何にしても、イタチが万華鏡写輪眼を発動させるに足る状況ではあったと思われます。

そして、この時の万華鏡写輪眼の紋様も、「月読」でサスケを地獄に落とした時とも、眠らせた時とも違います。「月読」「天照」以外の万華鏡瞳術でしょうか。それとも部分的な「月読」の発動なんでしょうか?

状況から判断するなら、万華鏡写輪眼が術の形態や強度によって、その紋様を変化させる特性があると言って良いでしょう。しかし、何故、万華鏡写輪眼は紋様を変化せせるのでしょうか?通常の忍の闘いでは「印」は極力、秘匿するのがセオリーです。その為に「印」を隠したリ、結ぶスピードを上げる修行を積むのです。「印」の順番や種類でチャクラ特性が判明しますから、発動される術の特性や対処法を考える材料を与えてしまう…事前に術の特性を知られるのは決して有利には働かない筈です。同様に、万華鏡写輪眼も術の様式によって紋様を変化させるのは合理的とは言えません。紋様によって術の仕様が解りますから、対処されてしまう可能性があるからです。で、あるにも関わらず、万華鏡写輪眼は紋様を変える。そこには、きっと「必然」がある筈です。

アプローチを変えてみましょう。

カカシの万華鏡写輪眼の紋様。これがオビトの「左目」である事を足掛かりに、日本神話の「天照」と「月読」由来を重ね合わせ、カカシの万華鏡の紋様を「天照」の紋様であるとの見解を導き出しました。カカシの術の様式も「空間干渉」であった事から、逆にイタチの「天照」の黒い炎を扱える理屈を「空間干渉」を適用する事で、同じ様式の術であると考えを拡張させました。

カカシの万華鏡写輪眼を完全な状態(フルスペック)と受け取るか?不完全で似非(えせ)な形態でるか?どちらで受け入れるか?で考察の色合いは全く異なります。確かに、カカシは正統なうちは一族の血継限界にないです。その「眼」は、親友のオビトの写輪眼を移植された…言うなれば「異端」であります。

カカシの万華鏡瞳術を「天照」と受け入れた場合、イタチの「天照」に対して余りにも違いますが、「天照」の本質を「空間干渉」と捉えれば、強ち大きくも外れていない事に気付きます。切り取る対象を跳ばす先が「太陽黒点」か「大海原の真ん中」かの違い…と言う程度の些細な(笑)違いに…です(汗)。イタチの「天照」の紋様は今のところ秘匿されていまして、実際の発動でどんな紋様が明かされるのか?非常に興味深いです。

カカシの万華鏡写輪眼は三つ巴の紋様のシッポが伸びて、巴紋がそれぞれ繋がるような変異をしています。これが鎌のような形になって鍵十字ならぬ鍵三叉のような形状になります。イタチの「月読」とは明らかに違いますね。でも、これだと発動する術が何なのか、一発で分かっちゃいますね。発動するだけで眼球に多大な負担をかけ、相当なリスクがある万華鏡写輪眼だけに、些か片手落ちな気がしてなりません。

一方、イタチの万華鏡写輪眼の紋様の変化はカカシのそれとはかなり違って、三つ巴のシッポが角膜の外側に延び、角膜の外郭に環を作ります。巴紋の頭同士が繋がって三叉に成長します。これが、フガクとうちはの上役三人を沈黙させた万華鏡瞳術の変化です。果たして、この紋様が手裏剣型の「月読」の紋様に成長して行くのかは余談を許しません。

万華鏡写輪眼は紋様を変化させる事で発動する術の仕様が変化する事は確かです。外観(紋様)の変化が絶対的に不利な条件であるにも関わらず、万華鏡写輪眼がその紋様を変化させるのには、きっと「必然」がある。それは何か……。ズズズズズッ……。



万華鏡写輪眼の紋様の変化はプログラム変更の為の塩基配列変更の結果だッ!!

写輪眼自体、タンパク質の塩基配列を利用したプログラム。つまり、有機コンピュータなのです!!高度な判断シーケンスを持ち得る…意志と言い換えても良いくらいで、その意味では生命体とも考えられます。高度な判断能力を持つ自律型のプログラムなのです。

例えば、角膜の上に浮かんだ状態のタンパク質(生体)が形成する「回路」が写輪眼の紋様の正体だとして、そのタンパク質が写輪眼のプログラム自体かプログラムを走らせる基盤とすれば、出力(術)によって形が変わるのは、回路が変更される為に、物理的に紋様(外見)が変化する理由にはなると考えます。

写輪眼を塩基配列を組み換える事で機能する「有機コンピュータ」とする考え方は…塩基配列が変わる→紋様が変わる…と言う事実は非常にしっくり来る考え方であります。それならば、術の発動の為の変異と言う意味で、紋様の変化は「印」を結ぶ行為にも似ていると言えます。チャクラを「術」に変換する為に術者は「印」を結びますが、万華鏡写輪眼は「紋様」を変化させると言う考え方です。術を発動する為の「印」=「紋様」と考えれば、非常にしっくり来ると思います。

それに、紋様の変化を対象者に見せる事は万華鏡写輪眼においては、それ程の不利にならない可能性もあります。何故なら、一撃必殺の「天照」や「月読」の紋様ですから、対象者には最早、「死の宣告」に近い兆しとも言えるからです。万華鏡写輪眼の紋様を見た対象者は死んでしまうから、秘密の漏洩はないと言う事です。死人に口なし…と言うヤツです(汗)。

で、あるなら、気になって来るのが、イタチ鬼鮫の木の葉強襲事件の際の、イタチの行動です。カカシを「月読」で徹底的に痛めつけ、「しかし……何故、殺さない…その気になれば簡単に…」(16巻/148頁)とまで追い込んだカカシを殺さなかった。その為に万華鏡写輪眼の情報をカカシは手にしています。それが、我愛羅奪還編での「カカシさん…アナタ、まさか……」のあの台詞に繋がるのです。かなり大きな痼りです。イタチは何故、カカシを殺さなかったんでしょうか?イタチが意味のない事をするとは、到底、思えない…。

イタチ……。「天照」の紋様を明かすまで、死ぬな!!
これは、もう…命令だァァァァ…(笑)。

 
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ミナトは何故、ナルトに九尾を封印したのか?

 
望む時に巨大な"九尾のチャクラ"を引っ張り出し利用する。
確かにこのコントロールは難しい…。
この体じゃ九尾のチャクラを受け入れるには器が小さすぎるのも確かだ…。
おそらく、普段ナルトの体は負担を避けようと九尾の力を拒絶しているはず。
身の危険や感情の高ぶりが……九尾のチャクラを引き出す鍵なら………
その"鍵"の使い方を身体で覚えさせるまでだ…悪く思うな。四代目よ…!

女風呂を覗く自来也と知り合ったナルトは「口寄せの術」を修行します(11巻/71頁)。この時、修行疲れで眠りこけるナルトをおんぶしながら、自来也は確かに「鍵」と言う言葉を使っていました。余談ですが、この時点で、自来也はナルトが四代目の息子であることを臭わせています。この後、崖から突き落として、九尾のチャクラの引き出し方を無理矢理覚えさせる賭けに出るんですが、一か八かの荒療治に「四代目」の名前が思わず飛び出していました。

「鍵を開けてみろ…今度は自分の側からな」

目も眩むような高さの谷底にナルトを突き落とす自来也(11巻/91頁)。「今度は自分の側から」と言っていますが、「身の危険や感情の高ぶりが…」がナルトの(封印の)「鍵」を開けると言う事でしょうから、「九尾が開けるのかな?」と思ったんですが、九尾が封印に関与はできない(出来たら大変ですから…汗)筈です。やはり、ナルトが任意に封印に干渉してみろ!言う意味でしょう。「鍵を開ける」とは封印の術式の構成に由来しているようです(後述)。そして、谷に突き落とすくらいだから、勝算もあった。死ぬ気になれば実現できる程度には…(笑)。

しかし、「年々、四代目の封印も弱まってきとる!いざという時、閉め直すために鍵が残されたんじゃ!その大切な鍵を金庫と一緒に置くなど…!!」と言う巻き物蝦蟇の台詞から推測するなら、ナルトは単なる「金庫」。「大切な鍵」は巻き物蝦蟇に書き写されていて、ナルトとは完全に分離されている事になります。ナルトの中に「鍵」はない筈なのに、どうして封印に作用できるんでしょうか?

ナルトの封印は四象封印を二重に施した「八卦の封印式」です。四象封印…封印が正方形の頂点に封印の骨格を持つ仕組みとすれば、骨格のオーバーラップが最少(隙間最少)になるのが45度の異相。最大が90度の同角(隙間最大)で封印式が完全に重なった状態。八卦の封印式とは二つの四象封印の異相を45度~90度で開閉(「鍵で"四象封印"を少し回しただけでどーなったか… 」と巻き物蝦蟇が言ってますから、固定した「四象封印」と可動する「四象封印」を組み合わせと考えています)する事で術式の隙間を変化させで漏れ出すチャクラの流量をコントロールする可変型の封印式なのでしょう。ナルトの感情の昂りや死の危険などが九尾とも呼応するようですから、チャクラ内圧を逃がす安全弁的な役割も合わせ持つものと思います。

八卦の封印式

そして、この封印の可動範囲に対してナルトも関与できる描写があります。対「白」戦での覚醒や、中忍試験でのネジとの一戦など、これまでも数々のナルトのピンチを救って来ました。また、漏れ出すチャクラの流量が上がれば上がる程、九尾の精神攻撃もあり、間接的に九尾も術式の開閉に関与できる事も解っています。封印式が年々弱まっていると言うのは、術式の(理論的な)可動部分の遊びを意味するものなのかな…とも考えています。

「八卦の封印式」の構造上、二重封印の完全同角状態がオーバーラップ最少の流路最大ですが、この場合も四象封印一個分の封印は残るわけです。つまり、どんなに隙間を大きくしようとも「八卦の封印式」は完全な解錠はされないのです。九尾は力を漏れ出す事は出来ても、自分自身が外に出る事は出来ないのです。その意味で、非常に安全な構造になっていると言えます。

何やら「原子炉」の制御棒にも似ていますね。これは「封印」と言うよりは、「内蔵」か「搭載」に近いかも知れません。「八卦の封印式」の構造には、九尾の「力」(チャクラ)を積極的に利用しようと言う意図が見隠れしています。

原子炉の制御棒

「ナルトの鍵」が現実に存在する。ナルトの意志によって、ある程度、任意に隙間をコントロールできますから、「いざと言う時に締め直す」為だけにあると言うのも、些か説得力に欠ける考えにもとれます。「金庫」であるナルトの外にあるのは、自来也にナルトを一任する意思表示で、信頼できる第三者による監視によって安全性を高めたい考えがあったとする線もあるとは思いますが、ミナトの真意は他にあったんではないか。僕にはそんな疑念が渦巻いています。

ズズズズズズッ…。具体的に言うと…。



ミナトは九尾を解放する必要性を想定していた!!

「八卦の封印式」が可変式の封印式として、構造上、完全に九尾の解放が出来ない仕組みであるとする仮定を受け入れる前提で、何らかの必要性があって、九尾をナルトの外に出す道を残した。その為に「ナルトの鍵」がある。もしかしたら、「八卦の封印式」の完全なる解錠の為に巻き物蝦蟇に転写された「ナルトの鍵」が存在するのではないか。そんな風に疑っているのです。

そして、今、自来也から「蔵出し」された「ナルトの鍵」がナルトに「蔵入り」する事になれば、ナルトが望むなら、最終的には「八卦の封印式」を無効化(除去)する事が出来る方法論が提示されたと事になると思います。つまり、九尾を体外に放出できる可能性があると言う事です。

ちょっと、アプローチを変えてみましょう。

自来也は第一部と第二部の間の2年半の修行で瀕死の重傷を負いますが、その原因が、ナルトの四本目である事は過去に明かされています。「怒りが引き金となり…」(33巻/33頁)と不測の事故を装っていましたが、巻き物釜の「それどころか鍵を少し開けたせいでナルトのチャクラを押し退け、九尾のチャクラ自体が大量に漏れ出しナルトを支配する始末」(第370話/「胸騒ぎ」)と言う台詞から、意図的に「鍵」を緩めた事が分かっています。自来也が巻き物蝦蟇を使って、八卦の封印式を回したのです。

ナルトが九尾に力(チャクラ)を借りに行った時、必ず九尾は鉄格子の扉の向こうに居ます。天地橋で現れた泡の九尾はイメージのようで、実体の九尾ではなかった。恐らく、九尾の実体は封印札を貼られた鉄格子を出られないのです。

「お前をオォ食イィ殺したいが、この門が…開かぬゥ………。いまいましい封印だ…」

九尾自身も封印の効果を認めています(11巻/101頁)。「家賃としてお前のチャクラを貸しやかれ!」と交渉の末、九尾は赤いチャクラを鉄格子から漏れ出させてナルトに力(チャクラ)を与えています。この鉄格子が「八卦の封印式」の隙間(四象封印の異相)を象徴しているのだと思います。

つまり、「鍵を少し開けた…」と言うのは扉を開けると言うのではなく、この「鉄格子」の「隙間」を広くする事なのです。天地橋で「四本目」と化す前、ナルトは鉄格子をすり抜けて、扉の向こう側の九尾に歩み寄り力を得ていました。ナルトの身体がすり抜ける程、鉄格子の「間隔」が広くなっていたのです。「三本目」まではナルトも意識を保っているようでうすから、身体がスリ抜けられるかどうかで別れると言う事か。鉄格子の向こうか?こっちか?の差だと思います。

天地橋の大蛇丸との対決で「四本目」になったナルトは鉄格子を越え、九尾の手の内に入ってしまいます(33巻/67頁)。「この感じ…今までと違うわね…」と、その変質には大蛇丸も勘付いていました(33巻/69頁)。恐らく、自来也が大怪我をするに至った修行で「八卦の封印式」の可動範囲が広がったのでしょう。自来也も事後、その封印を意図的に締め直さなかった。締め直せない「理由」がそこにはあったものと思われます。

わざわざ、自来也がナルトを正式に弟子入りさせ、二人きりで修行したのは、「八卦の封印式」の秘密保全もあったでしょうが、危害予防の目的が大きかったのでしょう。自来也ですら「死にかけた…」のですから、九尾の力の解放は大きなリスクをはらんでいるのは想像に難くないです。しかし、そのリスクを顧みず、何故、自来也は「八卦の封印式」を緩めるのでしょうか?

「ああ…しかしその鍵の術式をミナトがワシに預けたってことは
いずれは、あの術をナルトに完成させるのがあやつの遺志だとワシは思う」

自来也が一度緩めた鍵を元に戻さなかったのは、ここで言う「あの術」を会得する為に九尾の「力」(チャクラ)がどうしても必要だったからではないか?(第370話/「胸騒ぎ」)と、僕は考えています。また、「…そもそもそんな術がナルトに必要なんか!?」と巻き物蝦蟇が自来也の聞いてましたから、二人とも「あの術」が何なのか?は知っていると思います。

かつて、カカシ班が我愛羅奪還任務に出発する時、自来也は「あの術は使うなよ…」とナルトに釘を刺しています(28巻/142頁)。その後、<ザッザッ>とワザワザ、あまり好きではない(むしろ苦手な…笑)カカシに歩み寄り「カカシ…ナルトがあまり無茶しないように見張ってくれ。頼んだぞ…のォ」と念を押しています。このやり取りを踏まえて…

「あいつの体から漏れたチャクラが妖狐をかたどり始めたら気を付けろ…
いいか…尾が一本のうちに止めろ…」

自来也が、そう言いながら「押」と記した術式のお札をカカシに自来也が手渡したエピソード(31巻/115頁)を読み込むと、我愛羅奪還任務の出発の時点で言った「あの術」と巻き物蝦蟇との会話で出て来た「あの術」は違うと思われます。我愛羅奪還任務の時の「あの術」は「四本目」を指すと言う事です。そして、それは巻き物蝦蟇と自来也が語り合う「あの術」とは違う…と。しかし、「あの術」って……一体、何でしょうか(汗)。

「ミナトがわざわざ九尾の力を陰と陽に二分し、
陽の側をナルトに封印したのは九尾のチャクラをナルトに遺すためだ」

ナルトに九尾を封印したのは九尾のチャクラ(陽)を利用する為だったのです(第370話/「胸騒ぎ」)。それは「八卦の封印式」の分析に裏打ちされた自来也の見解と受け取って良いと思います。また、巻き物蝦蟇の「あいつに九尾のチャクラをコントロールすることなど出来りゃーせん!」と言う台詞からもそれは窺い知れます。「あの術」を知り得る二人の話からは、少なくとも「あの術」と「九尾の(陽の)チャクラ」(のコントロール)が関係あるのだけは確かなようです。

それとだ…ナルトは九尾状態においてチャクラが象る妖狐の衣に守られているように見えるが…実際には逆に妖狐の衣によって体にダメージを受け続けていた。四本目の尾が出た時、妖狐の衣をまとった奴の体は血まみれ…重傷を負いながら暴れていた。妖狐の衣が消えた時、ナルトの傷付いた体は体内の九尾のチャクラで回復するが…あんなスピードで負傷と超回復を繰り返していたら確実にナルトは体を蝕まれ寿命を縮めてしまう。

万華鏡写輪眼のキックバックで入院するカカシの見舞いに来た自来也がナルトの九尾化について説明しています(33巻/35頁)。我愛羅奪還任務の直後の病床のカカシが「自来也様は一体何本目まで…」と皮肉たっぷりに尋ねた事に対する返答でしたから、やはり、出発時に出た「あの術」はナルトの九尾化に関する言及と考えて間違いないでしょう。封印を緩め、九尾のチャクラを修行に利用した自来也。しかし、自来也はナルトの体を蝕む九尾化は望んではいないのです。九尾化による「力」(チャクラ)の獲得を目指している訳ではないと言う事です。

一尾・守鶴の人柱力である我愛羅の描写で、人柱力と体内に宿る尾獣との関係を考えてみましょう。木の葉崩しで、ナルトの千年殺しに切れて(笑)、一尾・守鶴の完全体を露出させた我愛羅がナルトに迫るシーンです。我愛羅はここで奥の手を出して攻勢に出ようとします。

「あの霊媒も守鶴に取り憑かれて
不眠病の症状が出とんのォ…。
あの目のクマ見てみぃ。
化け狸"守鶴"に取り憑かれた者は
一夜とて満足に眠ることが出来んようになる。
恐ろしゅてな!

寝てしもーたら、
じわじわと守鶴に自らの人格を食われいずれ
自分が自分じゃのーなってしまうんじゃ!!
普段はほとんど寝れねーから
霊媒は人格が不安定になっていく傾向がある…!!」

狸寝入りに術で我愛羅は守鶴の本性を引き摺りだします(15巻/173頁)。霊媒である我愛羅が眠る事で、守鶴は本来の力を発揮できる。つまり、常に我愛羅が守鶴の力を抑制するか、妨害していた事を物語っているのです。ナルトも九尾の力を無意識に拒絶していましたし、我愛羅も守鶴に自我を喰われまいと抗っていたのですね。

余談ですが、我愛羅奪還編で我愛羅から守鶴が抜き取られましたから、我愛羅のクマも今頃は消えているかも知れません(「隈取り」にしちゃう可能性もありますが…)。滅茶苦茶、スッキリしたイケメンに変身して再登場すると良いですね。それと、守鶴が抜けた後の能力の回復の理由付けがどんな風に成されるかに非常に興味があります。これは後半〜終盤の大きな伏線にもなると思います。

我愛羅の場合は封印と言うよりは憑依でしたから、防御してくれる封印式もなかったでしょうから、ナルトに対する不安定っぷりが上手く理解でします。代わりに母・加流羅の残留思念が助力していたお陰で、辛うじて生きて来れた。我愛羅の目のクマが物語るそれまでの半生は生半可なものではなかったでしょうが、加流羅の残留思念があったのがせめてもの救いになっています。

自来也が巻き物蝦蟇の「鍵」を使ってナルトの「八卦の封印式」を緩めたのは「九尾化」を引き出す為ではない…これを受け入れた上で、ナルトの九尾化と言う弊害があるにも関わらず、封印を弱めた状態を保留するのは「九尾のチャクラ」を用いて、四代目が完成させようとした方の「あの術」を会得するのが目的である…と概ね、方向性が見えて来ます。そして、それは「ミナトの師だったから分かる…あやつは無意味な事はしない奴での…」と言う自来也のミナトに対する信頼感に裏打ちされた行動であると理解できます。

非常にややこしいですが、自来也は「あの術」がどんな術なのか?は解っていても、それとナルトの中にミナトが九尾を封印した事の真意(理論)が繋がってはいません。恐らく、自来也は親になった事がありませんから、「父親」(ミナト)の気持ちが理解できないのではないでしょうか。ミナトがどう言う気持ちで、どう言う意味を込めてナルトに九尾を託したのか?が理解できてはいないのです。その対比としてヤマトが描かれている。ヤマトの「目」がナルトを優しく包んでいるかのように見守っているのです。

漏れ出したチャクラが安定を求めて、九尾の型に、より近付こうとしているのか…
中にあるナルトの体を媒体にしているだけで…アレはまさに小さな九尾そのもの
今まで漏れ出した九尾のチャクラとは質も量も違う。何より邪念が強い…
あんなチャクラを身にまとっていたら普通は…どうして…動いていられる…

「ナルト…君はいったい」

ヤマトにはナルトの中に九尾が閉じ込められた意味が分かるのだと思います(33巻/101頁)。ヤマトの視線は明らかに「父親」の視線です。面識はなくとも、ミナトの気持ちはヤマトにとっては周知の事実に近いのです。ナルトに対する気持ちは、ナルトのアイデンティティを確立させるに至った、愛のある「叱責」によって証明されています。これが、初代のDNA(初代→ミナトの関係性の疑念にも繋がる部分です)がもたらす因果なのか…、それか、ヤマト自身の歩んで来た人生が駆り立てるのかは知る由もありませんが、ヤマトのファーザーズアイは全てを見通しているかのです!!

つまり、それはどう言うことかと言うと……ズズズズズッ……。




ミナトはナルトの「力」(チャクラ)を鍛えさせる為にナルトの中に九尾を封じ込めた!!

尾獣は「力」(チャクラ)を与えると同時に依憑(よりわら)を常に攻撃しています。あわよくば外に出ようと考えているのでしょう。身体の中に常に不安要素を抱える事で、依憑はそれに負けまいと24時間ズーッと闘い続けるのですから、非常に苦しい人生ではありますが、そのトレーニング効果は絶大と言って良いでしょう。ロック・リーが信じれれない重さのウエイトを常に着用してるのと同じ考えです。ナルトの場合は、チャクラを鍛えるのが目的ではありますが…。ナルトは内なる九尾によって絶え間なく鍛えられているのです。

「君の強さの源は九尾のチャクラではなく、
恐るべき九尾のチャクラに耐えうる、その君自身のチャクラの力だ」


ヤマトは件(くだん)の「愛のある叱責」でちゃんと言葉にして、ナルトに伝えています(33巻/181頁)。人の「力」(チャクラ)では御し切れない筈の九尾の「力」(チャクラ)のナルトのチャクラは耐えているのです。大蛇丸が危険視する程の「高密度」のチャクラにナルトは打ち勝っているのです。サクラも四本目に傷付けられましたが、傷口から九尾のチャクラが毒のように侵していました。現実問題として、ナルトの「力」(チャクラ)は確実に強化されています。ミナトがナルトに完成させようと考えていた(であろう)「あの術」に、この強いチャクラが必要な条件なんでしょう。

自来也が「八卦の封印式」を弄って封印を弱めたのは、ミナトの真意を汲んではいなかったにせよ、方向性としては間違っていなかった。「ミナトは何か重大な事実を知っていて、その事実のために九尾の力を我が子に託したのだとしたら…」(第370話/「胸騒ぎ」)と言うミナトへの信頼に基づいた疑念を、自来也が重く受け止めた結果と言って良いでしょう。ただ、自来也に「父親」の気持ちが希薄だったから気付けなかっただけなのです。その意味で、自来也は三代目に似ています。父親向きではなかった…。

その代わりは初代のクローンであるヤマトが立派に果たしてくれています。やっぱり、「初代→ミナト」の系譜の含みかな…。ヤマトは余りにもナルトに関与し過ぎる。天地橋任務の前半で温泉宿に泊まった時に漏らした「…これから…忙しくなりそうだな」(32巻/125頁)と言う台詞。あれは、自分の任務以外に「ナルトを放っとけない!」「何とかしてやりたい!」と言う気持ちの現れだったと、僕は疑っているのです。ヤマトの「DNAの情報=無意識の中の初代」が駆り立てる「親心」ではないか?と言う疑念です。

「九尾の目ではなく自分の目で…サスケの姿をしっかり見たいなら、
そして、サクラを守りたいなら」

ヤマトがナルトに示した具体的な指針(33巻/181頁)。生まれ落ちたばかりの我が子に、珠のような赤ちゃんに、心を引き裂かれるような思いで九尾を託したミナトの気持ちを、ヤマトは咀嚼してナルトに与えているかのように感じる描写です。ナルトがその遺志を、しっかりと受け止めて、内なる九尾に頼らない、自分自身の「力」(チャクラ)を獲得できる日が来る事を、切に願っています。ナルトが「人」として成長する為に、それは避けては通れない門のようでもあります。

「ミナトは九尾の陰(かげ)のチャクラしか屍鬼封尽しておらん」

二分した九尾の「陰(かげ)のチャクラ」に関しては屍鬼封尽したけれど(死神の腹の中)、ナルトの中に九尾を閉じ込めた術は屍鬼封尽ではないと言う事です。つまり、ナルトへの九尾の封印に関しては、「死神との契約」は介在しないわけです。

また、砂の相談役のチヨばあは「人柱力から尾獣が剥がされると依憑(よりわら)は死んでしまう」と言っていたけど、よくよく分析すれば、ナルトへの九尾の封印はかなり特殊であると言えます。もし、九尾が放出されたとしても、ナルトは死なないで済むのではないか?と期待しています。

「とはいえ、その鍵はミナトが遺した物…いずれはナルトに渡すべきだのォ」

自来也が巻き物蝦蟇に言ったこの台詞が引っ掛かってます。ミナトが自来也に「蔵入り」させた巻き物蝦蟇が、「八卦の封印式」を無効化させる為に存在するとすれば、ミナトがわざわざナルトが死んでしまうよな「鍵」を残し、それを伝承させるシステムを残すとは思えないのです。つまり、九尾がナルトから剥がされてナルトが死んでしまうのなら、封印を解除する術(すべ)を敢えて残さずに、九尾をより長く封印する方を選択すると思うんです。

自来也の言うように最後はナルトに渡るのが筋だとするなら、尚更。ミナトナルトの中の九尾が然る後、不要になる事を想定していた事に繋がる考えでもあります。ナルトのチャクラが必要充分に強くなった以降に九尾を体外に放出する必要がある事を意識しているとしか思えないのです。つまり、ミナトは九尾が不要になる想定があったからこそ「鍵」を残した。それを自来也に託した。「意味のない」事をミナトがしないのであれば、「鍵」が必要になる時が来る筈です。

「ミナトは何か重大な事実を知っていて
その事実のために九尾の力を我が子に託したのだとしたら…」

一尾はデイダラ一人に。二尾は飛車角コンビに。三尾はトビ(デイのアシスト)に。四尾は鬼鮫一人に…と言う風に、尾獣は「暁」クラスの忍にとってはそれ程、強敵ではない事がこれまでの描写で分かっています。九尾は別格としても、ミナトによって封印されてますし(ミナトを見る事なく一瞬で封印された可能性もあるくらい)、ミナトは九尾を屍鬼封尽で殺せた筈なのに殺さなかった。

九尾、或いは尾獣は殺してはいけない…何らかの事情があったとすれば、ミナトが一命をかけて封じたのも納得できます。殺してはいけない理由があると言う事は、生きて何かを成さねばならないと言う事でもあります。つまり、九尾もいつかは、その「使命」を果たす必要がある。その為にナルトから出ないといけない(のかも知れない)。「ナルトの鍵」はその余地を残しているのではないでしょうか。そして、それが九尾によるナルトのチャクラ強化が完了した暁に、九尾の解放される事が予定されている想定の根拠でもあります。

ナルトのチャクラ強化…。そして「あの術」の会得…。それは、ミナトの遺志……。そして、デイダラが第一部の最終回で言った「そいよか。あと三年しかねーぞ…全員ノルマ達成できんのか…うん?」(27巻/64頁)と言う台詞…。

第一部と第二部の空白を2年半とすると、「約束の日」は近い!!(VOICE ONLY)

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第371話「旧知…!!」

 
「良い流れだ。あとは…次の脱皮で蛇のままか、
それとも鷹に変わるか。見モノだ…サスケ」

終末の谷で黄昏れるトビ…。「鳶(トンビ)が鷹を生む」になぞらえた「流れ」と言う事でしょうが、トビ=マダラとして、「鷹」を望んだ…。つまり、サスケを高みに上げるのが「真の目的」(の一部分)だったのでしょうか?だとすれば……終末の谷で感慨深気に佇むトビの大きな視界から考え及ばすと、トビは「暁」の黒幕と言うだけではなく、「九尾事件」や「うちは虐殺」にすら、その関与を臭わせる物語に潜む「闇」の中心的存在に思えて来ます。今後も、トビ(マダラ?)の動向や言動には注意をはらう必要があるでしょう。

一方、「うちはのアジト」に急行するであろう「蛇」の一向。サスケは常に凛とした態度で行動しています。既に「鷹」の風格ではあると思うんですが、トビが苦言を呈するのは、サスケが取り込んだ大蛇丸の存在か、呪印を指しているのかも知れません。もしくは、万華鏡写輪眼。でも、結局のところ、トビもサスケの「自分自身の力」を期待しているのではないか?「脱皮」…「割礼」(かつれい)の同義?これじゃ、まるで「父親」みたいじゃないか!!そんなうがった目で、どうしてもトビとサスケを見てしまいます…(汗)。これが、忌わしき「血」の繋がりなのか。

「サスケェ!!!!」<ボン>

サスケは躊躇なく千鳥でナルトを一閃!!「ナルトか……うっとおしい奴だ」と吐き捨てます。簡単に殺られるくらいなら影分身だろうとする合理的な判断なんでしょうが、うちはイタチの前ではナルトは二の次、三の次?香燐のチャクラ感知にもナルトの影分身は同一体と感じ取られたようですし、サスケも写輪眼を展開してはいませんでしたから(写輪眼でも影分身は見切れない…?)、危険と言えば危険で…「それどころじゃない!」とも見えます。でも、本心は自分の存在をナルトに示したかったんじゃないかと、僕は考えています。影分身の消滅は本体に通じている筈ですから…。

「!…見つけた!!」

案の定、サスケの位置をナルトが把握しました。「良くやったぜ!どっちだ!?」と言う、感知タイプの筈のキバは面目がない場面ですが、天然でスルーしてます(笑)。変わりに赤丸が非常に申し訳なさそうな、情けなさそうなしかめッ面です←必見(笑)。「こっちだってばよ!!もう逃がさねーぞ!サスケ!!」で、サスケを木の葉の面々もサスケを猛追する事になります。サスケはこれを想定していた?んじゃないかと、僕は期待しているんです。イタチを殺そうとする自分を、ナルトに止めて欲しいんじゃないか?そんな…期待に満ちた妄想が僕にはあるのです。

さて、雨隠れの里に潜入中の自来也です。水路が豊富な雨隠れは自来也にとっては有利な地勢ではありますね。蝦蟇の口から<ズズ>っと出て来たのは、蛙に変える(プッ…)拷問に耐え切った雨の下忍でした。

「お前は木の葉に戻ってろのォ
帰ったらイビキの所へ行け。話は通してある」(ゲコ!)

とうとうイビキさんの出動かァ~ッ!!「ドSの受け」(イビキは「攻め」に見えて、実は「受け」が僕の分析です…汗)。頭蓋骨にネジ穴開けて、命より重い「情報」を引き出すんだ。忘れてるかも知れないけど、換金所の「チクリはやらねえ!」と言ったあの男はどうなったんでしょうか?今はもう…少年誌には掲載できないような状態になってるのかな…(汗)。拘束されてるだろう雨の下忍…もしかしたら、死んだ方が幸せだったかも…(ゾッ…)。でも、「ドSの受け」だとして、どんな拷問をするんだろう…?イビキさん……アナタ…まさか(滝汗)。

場面、変わってペインと小南です。小南は「紙」を媒体にして広範囲に意識を伝達できる能力があるようです。紙の総量は一定ではないようで、各所に実体として出現できるよな術の体系です。これを忍術として分析するなら、チャクラを発生させる「生身」が必要の筈です。それを何処に見い出すかが攻略の糸口になりそうです。

「……自来也よ」

この小南の口ぶり。これは自来也を知っている…と言う響きです。しかも、ペインも既知である物言いです。まさかッ!?とは思ったんですが…

「………そうか…自来也先生か」

嫌な予感が的中です。二人は恐らく、自来也の弟子。ペインは「先生」と呼んでます。忍が「先生」と呼ぶ存在は、描写中では非常に重く表現されています。父親よりも遥かに重い存在だと考えて良いと思います。例えば、ナルトはカカシを「先生」と呼ぶけど、自来也は「エロ仙人」です(笑)。決して「先生」とは呼びません。それは、尊敬云々でもなく、むしろ、「感謝」に近い感情だと僕は考えています。自然に対して抱く「畏怖の念」にも似ている。自分を一人立ちさせてくれた偉大さに対する…感謝。

そして「懐かしい…」と呟くペイン。ペインのこの振る舞いには「心」を感じる。これまでのペインの描写と対比すると違和感を感じます。憂いを秘めた瞳…。何だろう…このペインの有り様は雨の下忍が自慢してたペインの人となりとはかけ離れてる。

って、ペイン、顔、変わってんジャンッ!!髪の毛伸びてるし、顔ピも太く逞しくなってるし…。これで、総武線に乗ったら間違いなく電車に乗り込んで来たおばちゃんが、いきなり「ア、痛タタタタタタタッ」のケンシロウになっちゃう!!(笑)。鼻を貫通してる菜箸みたいなの、完璧、持たれれるよ。手すりだと思って、掴まれてぶら下がられるよ。

しかし、この顔…。見た事あるような…。木の葉崩しで屍鬼封尽を発動して、「死」を決した三代目の回想シーン(14巻/94頁)。三代目の走馬灯で出てくる自来也の弟子たち。自来也とその左隣はミナト(無茶苦茶、カワイイッ!です)。そして、女の子と大仏…(笑)。もしかしたら、この二人が…。

女の子はクシナかな?とも一瞬、思ったんですが、自来也の「そんな名前だったな…」(第367話「イタチとサスケ」)で消えた(笑)。自分の弟子ですから、名前を忘れるなんてあり得ないですから。もう一人の大仏の「目」。これが「懐かしい…」と言うペイン(弐)の「目」つきに似てる…と思います。「目」は「心」ですから。どんなに月日は流れても、変わらないのが「目」ですから…。

「もちろん殺る。今さら未練も無いだろう…
侵入者を殺すためにこの体で出張ってきたんだ」

小南に「どうする?ペイン」と聞かれて、即答するペイン。「未練」と言う言葉に、再度、ペインの「心」を感じました。「この体」とは「弐」なのでしょうが、もしかしたら「大仏」(弟子)のオリジナルとか…。(たまたまこの体にしたけど…)自来也をこの体で殺すのは忍びないと…揺れたのだと感じました。可笑しい。このペインには「心」を感じる。「刃」を「心」の上に載せて「忍ぶ」…「心」の痛みを感じます。

「ペイン…アナタが駆け付けるまで私が相手しておくわ…」

自来也を捕捉している小南が自来也に先制するようですが、ここでもペインは「殺せるなら殺ってしまえ」と、消極的ともとれる言葉を発しています。僕には、「自分は殺したくない」(から、お前が殺してくれ…)と言ってるようにも聞こえました。揺らいでいる。僕も…。そして、ペインも。

小南の能力は「紙」。チャクラ特性は「風」?でも説明が付き難い。血継限界も上手くハマらないし(←個人的な考察上の理由で…汗)、秘伝忍術だと説明し易いかも…。描写的には「紙」で対象を拘束して、武器化した紙の槍を構えています。「紙」ってノートの端で指先を切ると妙にヒリヒリと痛かったりしますよね。意外と知られていませんが、紙の端は「のこぎり」みたいな形状になってたりします。かなり危ないんですよ。しかし、そこは自来也。「火遁・炎弾」で反攻します。小南が「紙」ですから、自来也の「火」は有利なんじゃないかな。

「蝦蟇平・影操りの術か…」

小南は自来也の術を知っていました。ところで、影に隠れていた自来也。術の名称からも、攻撃を受けた雨の下忍は実物のようです。僕は自来也の変化かと思ってたんですが(と言う事は、イビキ行き…プッ…は蛙になった子か…解剖されちゃうのかな…)、囮に利用したんでしょうね。そして、自来也は影に潜んでいた。描写的にも自来也は自分の身体の容積を変化させる事が出来そうです。蝦蟇を使った潜入術も物理的な体の変型(チャクラの陰陽の作用?)と時空間忍術の複合的な忍術なんじゃないかな。

「ペインという奴をおびき出そうと餌をまいたが、
まさか食いついたのがお前だったとはの」

やっぱり、弟子だぁ。描写的にはあの回想の自来也班が全てだから、三人いた真ん中の横向いた黒目がちな娘と考えるべきでしょう。勝ち気でお転婆っぽい感じの娘だったけど、今ではこんなアンニュイで、姿勢の良い娘になるなんて…(笑)。「上手く騙せるといいがの」と辺りを窺ってましたが、自来也は小南の存在はその時から感じてたと思います。小南の蝶々を見てました。「良し!」と言ったのは食いついた「当たり」みたいなものがあったんでしょう。

「術のキレも良くなったが、いい女にもなったのォ…小南」

自来也…ニヤついてる場合じゃないよ。そこまで、ペイン(弐?)が迫っています。一縷の希望があるとすれば、先に蝦蟇を帰した時に言った「話は通してある」です。既に増援部隊が配備されていて、蝦蟇の食道を通して雨隠れに強襲する作戦が進行してる想定。写輪眼部隊でも、暗部でも、何でも良いから、木の葉の底力、見せてみろやッ!!

兎に角、誰か助けに来いや~ッッッ!!!!!(プライドの高田総帥風)


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写輪眼と九尾の「接点」を考える!

 
こんなところで…サスケとナルトが…

「皮肉なもんだな…」

ああ…この川はかつて二人の男が争い、その傷跡から生まれたと言われる……
この川の流れを見てると…
まるで永遠に止まることなく流れ続けていく戦いを見せられているかのようだ…
…木の葉の里を作った、この二人の運命と同じように…
ナルトとサスケ…この二人の命がある限りな…

終末の谷でのサスケとの死闘に破れたナルト(26巻/159頁)。傷付き倒れたナルトをカカシとパックンが救出しました。「皮肉なもんだな…」と言ったのはパックンでした。「皮肉」と言う言葉の意味。これをどう捉えるべきなのか?実は、これが重大な問題なんです。

「確かに…うちはマダラがあの"終末の谷"で初代火影に倒されたのは誰でも知っとる」

自来也によると終末の谷で初代・火影とうちはマダラが闘ったのは、木の葉の里の忍の間では周知の事実のようです(第370話「胸騒ぎ」)。サスケもナルトと最期の衝突を前にして「知ってるか…?ここは"終末の谷"と呼ばれる国境だ。ちょうどいい舞台じゃねーか…なぁ…ナルト」(26巻/115頁)と言っていました。谷には大層な石像まであり、里の皆がそこであったであろう男同士の闘いを今も忘れる事なく、大切に心に仕舞っているのです。

で、このパックンが言った「皮肉」です。「初代・火影VSうちはマダラ」を「血統」の衝突とするなら、カカシ(パックンを含む)はナルトが四代目・波風ミナトの子で、ミナトが初代・火影の子孫(悪魔でも…笑…仮定ですから…)であった事を知り、同時にサスケが、うちはマダラの直系の子孫であった事を知っていた事になります。基本的に僕はカカシはナルトとミナトの親子関係を知らないと考える派なんですが、ナルトの系譜に関して(初代まで遡って)は知り得る可能性は、その真偽も合わせてゼロではないと思っています。

しかし、これが「マダラ~サスケ」となると、かなり厳しい。これまでの描写的にも、イタチやサスケがマダラの系譜を示唆するものはなかった…と言うか、深層の秘密としてサブリミナルな扱い(と感じてるだけ…)だった筈です。それを公に知っていたとするのは厳しいと言える。そして、片方が崩れるとすれば、この終末の谷の初代とマダラの闘いを「血統」の衝突とする考えの根拠はかなり希薄であると受け取らざるを得ません。

「なかなかおもしろい成長をしたな。こいつ…」

カカシ班の顔合わせでお互いかなり「痛い」自己紹介の最中、カカシはナルトに暖かい眼差しを示します(1巻/115頁)。これを「ミナト→ナルト」の親子関係をカカシが知っていて懐かしんだのか?疑わしくもあったんですが、ちょっと弱いかな…と最終的には判断しました。カカシはミナトを絶対的に尊敬していましたから、もしミナトの子と接見でもした日には、きっと抱き締めちゃうと思うんです。って、言うか、もしミナトの子の存在を知っていたら引き取るとか、足長おじさんになるとかしてたと思います(なってたかも知れないけど、描写がない…でも、僕だったら間違いなく養子にしますよ!!)。

ここはむしろ、あの「おくるみ」のナルトをチラッとでも見た事があって、「九尾」を封印された子供…と言う認識があった。それで実際に会って話をしたら、「火影になる!」なんて、大それた「夢」を語る…禍々しい筈の「九尾」を宿し、里の中では「孤独」な存在であったにも関わらず、如何にも子供らしい屈託ない姿に触れた驚き…と解釈しました。昔見た赤ちゃんがこんなに大きくなったなぁ…と、普通の大人が普通に持ち得る気持ちじゃないかなと思いました(僕だったら間違いなく泣いてましたけど…涙腺、弱いんで…汗)。

やっぱり、カカシは「ミナト→ナルト」の親子関係を知らなかったのだと思います。カカシはナルトの「見張り役」として、三代目に選抜されています。それは自来也とカカシの会話(16巻/154頁)で描写されていますが、それでもカカシに三代目がナルトの素性に関しては教えなかった…それ程、重大な秘密だったと言う事を物語っているのではないかと考えます。ナルトがミナトの子供である事が知れると不味い事情…恐らくは、そこに「九尾事件」の真相が隠されている。そう言う風に考えるに至っています。

では、初代・火影とうちはマダラはどんな関係だったか?ナルトとサスケとの対比で考えると、二人は「親友」だったんではないかと、僕は考えています。自来也と大蛇丸。ナルトとサスケ。お互いを認め合い、求め合うような、兄弟以上の繋がりを持った…深い深い関係です。そして、「何か」の事情があって、ここで闘う事になってしまった。丁度、国境。初代はマダラを止めに追い掛けて来たのかも知れません。ナルトがサスケを追い掛けたように…。

と、するならば、バックンの言う「皮肉なもんだな…」と言うのが、初代・火影とうちはマダラの因縁の場所で、親友同士であるナルトとサスケが決死の想いでお互いを傷付け合った気持ち指すと受け取れます。

終末の谷の初代・火影とうちはマダラの闘いは、初代の勝利であった事が分かっています。うちはマダラが破れた…と言う事から考えると、この時点でマダラは万華鏡写輪眼を開眼していなかった可能性がある!と、僕は考えています。何故なら、「オレを倒せるのは同じ"血"を持つ写輪眼使いだけだ」(16巻/145頁)と言うイタチの言葉を重く受け止めたいからです。終末の谷の二人の闘いでマダラが負けた事実からは万華鏡写輪眼がないと言う描写であると、僕は考えています。

これも材料がなくて、根拠の示しようがないんですが、初代は木の葉の里を興して直ぐに戦死しています。それにマダラが関与してる可能性はないでしょうか?そして、この闘いでマダラは万華鏡写輪眼を開眼した。マダラが初代を殺して…。もし、角都が生きてたら聞きたいくらいです(笑)。この辺はまだ肉付けがちょっと甘いです(汗)。

で、マダラが初代との決戦で何を使ったかと言うと…「九尾の口寄せ」なのです。

「アホぉ!九尾は昔から人の邪気が溜まり淀んだ時、どこからともなく現れる天災じゃ!
それに九尾を口寄せするなだ出来る奴がこの世にこの世におるわけがなかろーが!」

「…いや…それが、いたんだのォ。一人…うちは一族の創始者…うちはマダラだ」

自来也がこの情報をどう言う風にして得たのかは不明です(第370話「胸騒ぎ」)。自来也の憶測に過ぎないのかも知れません。しかし、木の葉を襲った「九尾事件」を調べれば調べる程、人為的な攻撃ではなかったか?と言う疑念が拭えないのです。四代目や三忍の不在。九尾による一方的とも思える里の蹂躙…等々。どうしても、人為的な臭いが拭えない。それが「九尾事件」です。

自来也が「九尾事件」を人為的な口寄せとするのは、終末の谷の闘いでマダラが「九尾」を口寄せして初代と闘ったんではないか?と言う情報を掴んでいるか、疑わしいと言う事に影響されていると思います。終末の谷の一戦以降、マダラが動いた描写は今のところありません。自来也が言い張る「情報」ですから、自分自身で危ない橋を渡り掴んだ「確かな」情報だと、僕には思えます。

つまり、終末の谷の初代とマダラの闘いは「木遁VS九尾」だったと言う考えはかなり信憑性は高いと思うんです。また「九尾」が介在する事で、「この川はかつて二人の男が争い、その傷跡から生まれたと言われる……」とする、二人の忍の闘いの結果とするにはスケールが大き過ぎる…と言う素朴な疑問に対しての説明としても妥当性を感じています。

きっと、初代とマダラの終末の谷の闘いも、ナルトとサスケのように二人だけでしっぽりと行われたのだと思います。それは、大切な二人だけの闘いだったから…。だから、初代は多くを他言しなかった。大切な親友との秘密ですから…。奇しくも初代は木の葉を興して直ぐに戦死し、弟が二代目・火影に就任しています。九尾の口寄せは信じ難い内容でもありましたし、そのまま闇に消えて行ったのでしはないでしょうか。

尾獣の口寄せの可能性については、サスケVSデイダラで、デイダラの最期の大爆発を辛くも逃れた描写から類推する事ができると思います(第363話「サスケの死…!!」)。

水月は緊急時の対応策として、サスケからマンダの口寄せ用の巻き物と大蛇丸の「血液」を預かっていました。契約者の「血液」と術式があれば、誰でも召還が可能で、水月も血液を入れた小瓶を用いていましたし、術式の巻き物もあった…。サスケも腕に大蛇丸と同等のタトゥーを入れてたので、描写的にも問題はありませんでした。

血で契約した生き物を好きな時・好きな場所に呼び出す時空間忍術の一種。使用の前提で親指に血を塗らなければならない(ちなみに親指を噛んだりして血を出した場合、使用後に傷は治るらしい)。口寄せされた生き物を従わせることができる(ナルトの場合、口寄せ動物の強大さ故、主従が逆転している)。また、契約者でなくとも、契約者の血液と口寄せの術式さえあれば、術を発動できる。しかし、テンテンは巻物から武器を口寄せしており、血も必要としておらずこれについての詳細は無い。(wikiより引用)

サスケも大蛇丸の血液を用いマンダを召還(大蛇丸を取り込んだ事から、術の使用が可能だった線や、サスケも既にガマぶん太のように契約の継承をしていた可能性もある)したのでしょうが、この時、写輪眼の幻術を用いてマンダを操って、爆発の楯とし、時空間移動を使ってデイダラの爆発を回避したのです。マンダと言えば、口寄せ動物としてはかなり獰猛で、扱い辛い筈です。尾獣と口寄せ動物が一緒かと言う問題はありますが、一応の方法論の提示であると受け取っています。

また、写輪眼と九尾の関係性に関しては、天地橋任務でナルトの中の九尾に写輪眼を高度に覚醒させたサスケが接見するシーンで描写されています。

『ナルトの中のワシが見えるまでになるとはな…
忌わしきその写輪眼…呪われた血統の力という訳か』

サスケはこの時、ナルトの「八卦の封印式」が生み出す術空間に侵入したものと思われます。ナルトの体内には九尾を封印した「八卦の封印式」が生み出す術空間があり、物理的に九尾が封印されていると、僕は考えています。これはサソリVSサクラで砂の相談役のチヨばあが「いくらカラクリの体とはいえ…チャクラを扱うお前にはどうしても生身の部分が要る」(31巻/58頁)と示していた事から、九尾のチャクラを生み出す為の「生身」が必要であるとする考え方です。これが自来也が言っていた「九尾の陽のチャクラ」に符合する部分でもあると考えています。

余談ですが、この描写がサスケの万華鏡写輪眼開眼を示唆する描写と考えられた時もありましたが(この時もwikiの編集合戦がありましたっけ)、瞳の紋様が万華鏡写輪眼ではなかったので、写輪眼の覚醒領域の解釈で今のところ、納得しています。しかし、写輪眼の空間干渉や空間支配は万華鏡写輪眼で顕著な能力ですから、サスケの万華鏡写輪眼開眼の線は残されているとの考えも生きています。カカシの万華鏡写輪眼の開眼もありますから、「最も親しい友だちを殺す」と言う開眼条件以外に何らかの方法や条件が存在する可能性が残されている…と言うことです。

九尾との接見に関しては通常の写輪眼で可能と解釈できるとして、これがマダラの万華鏡写輪眼が当時、覚醒していなかった根拠にも波及するのです。そして、この時、九尾が既に「写輪眼」を知っていた。しかも、「忌わしき」とも言及している。これは過去の因縁…マンダがサスケに「その目で…オレ様を…操ったのか…」と『狡い』とも言いたげな言葉を吐きました。…同様に自分が操られた「恥」を九尾の言動が物語っているのだと思います。「そうか、うちはの者か…」と九尾はサスケに問うています。サスケがマダラに似ていたのもあるし、マダラしか知らなかったとも考えられますが、どちらにしても、この描写は写輪眼と九尾の接触の明らかな証拠だと言えます。

「どうやら、この眼…初めてではないらしいな…なら…お前が九尾の妖狐か」

サスケが九尾に放った言葉(34巻/172頁)。サスケは九尾を初めて見た筈です。「写輪眼」を知っている化け物=尾獣でならば、それが「九尾」であるとする確信めいた言葉でした。しかも、尾獣は一尾から九尾までありますが、「九尾」に特定しています。これは「写輪眼」は「九尾」とのみ関係がある事を示していると、僕は考えています。そして、「写輪眼」と「九尾」は過去に因縁(関係)があった。サスケはそれを伝承なり、記述で知っていた。伝承に関する描写はありませんでしたから、残るは記述。描写としての唯一が、あの集会場の地下の碑文…

「そうか…そういう事か…」

南賀ノ神社本堂…その右奥から七枚目の畳の下に一族秘密の集会場がある(25巻/157頁)。サスケは確かにそこに書かれた文言を読み意味理解していました。イタチによると「写輪眼も本当の意味」が記されている筈ですから、そこに記されている九尾は写輪眼の本当の意味に関係している事になります。

「その瞳力とワシ以上に禍々しいチャクラ…かつてのうちはマダラと同じだな…」

イタチがサスケを不幸のどん底に突き落としたのはこの為ではないかと、僕は疑っています(34巻/173頁)。つまり、九尾を上回るような「禍々しいチャクラ」。これはチャクラの「質」に関わる部分で、精神エネルギーであるチャクラの「質」には心の在り方が大きく影響する。その為に、心のダークサイドを強化する必要があった。激しい憎しみを心に巣食わせる必要があった…と。そして、これはサスケはこの時点でうちはマダラ並みの「禍々しさ」を持ち得た事を示す描写で、「操り」の条件として対象者より上位のチャクラの「質」なり「圧力」が必要であると言う示唆を含んでいるのだと思います。

まさかワシの力を抑え込むまでとはな……最後になるかも知れんが…
一つ…言って…おく…ナ…ルト…は…殺す …な…後…悔…する…ことに…

九尾の言う通りサスケは九尾を抑え込みます(34巻/175頁)。沈黙させられる前にサスケに何故か「ナルトは殺すな…」と言い残しています。これは人柱力を殺すと封じ込められた尾獣も死んでしまうからかな?と考えていたんですが、もしかしたら「大切な友達を殺す」と言う万華鏡写輪眼の開眼条件を言っているんではないか?九尾はサスケ個人を認識はしていませんでしたから、当然、ナルトとの関係性は知らない筈。

しかし、これまでのナルトとの付き合い。この場の二人のやり取り。九尾はかなりの知性の持ち主ですから、ナルトとサスケの関係性に勘付いていても可笑しくはないです。もしかしたら、かつて見たであろう「初代・火影とうちはマダラ」に二人の関係は似ていたのかも知れません。その上で「ナルトは殺すな」と言った九尾。その胸の内。もしかしたら、「もっとも親しい友だちを殺す」と言う条件は「九尾」と関係がある?としたら…。九尾も写輪眼とは浅からぬ関係。写輪眼の本当の意味に立ち入った内容も知っている筈です。

「アホ!うちはマダラは木の葉創設期の人間じゃ!
ほんの十五・六年前に生きとるはずがねーだろが!」

巻き物蝦蟇の言葉が示すように(第370話「胸騒ぎ」)、どう考えても、うちはマダラは「九尾事件」には絡めない…と言うのでしょう。そこで、登場するのが、「暁」の黒幕…トビです。もう存命していない筈のマダラが何らかの方法で在る。「トビ=オビト仮説」で神無毘橋に沈んだオビトの身体を使って復活したんではないかとしているんですが、トビの外見からはその臭いがプンプンと臭います(笑)。時系列的にも、神無毘橋の戦い→忍界大戦終結→四代目・火影(ミナト)→九尾事件…は上手く並んでいますし…(汗)。

「写輪眼の本当の力が…このうちはマダラの力が」

不自然な偉ぶり方が気になるトビです(第364話「狙いは…!!」)。この時、「暁」のリーダーがペインである事が発覚しましたが、どうやらトビはその上位の存在のようで、ペインにあれやこれやと命令していました。「暁」内の情報操作の存在も気になりました。少なくとも、トビとペイン(小南を含む)と他の「暁」のメンバーは同じ関係ではないようでした。そして、トビとペインにしても、完全な上下関係と言うでもなく、持ちつ持たれつの協力関係のようでもありました。それぞれの目的が違うような臭いがしたんです。

そして、この時、トビが吐き捨てた「写輪眼の本当の力が…このうちはマダラの力が」と言う台詞。次第に発覚して来た写輪眼と九尾の関係。六体あるペインと思しき人形(ひとがた)。鏤められた謎が解け合って行く…渦を巻くようにして混ざり合って行く……。ズズズズズズッ……。




トビ(マダラ?)の目的は「九尾」だけだっ!!!!

マダラはナルトの中に封じ込められた「九尾」を狙っているんではないでしょうか?うちはマダラの力…とは九尾を口寄せする能力=瞳力にあるんではないでしょうか?マダラは九尾の力を使って自分の野望、或いは復讐を実現しようとしているとしたら…。写輪眼の本当の力も、九尾を操る写輪眼の覚醒領域(九尾写輪眼?)があるのかも知れないし。そして、それと共闘関係にあるのかも知れない「暁」=ペインの目的は……ズズズズズズッ……



一尾~八尾を集め、システム「ペイン」を完成させる!!!!

これまで集めた尾獣は六体。これはペインの寝室で登場した人形(ひとがた)の数に符合します。「壱」のベットに眠りに就き、「弐」の人形がムクッと起き上がりました。それぞれが個別に動くロボットのような仕組みではないか?と、僕は考えています。そして、その動力源に「尾獣」を利用しているのです。尾獣は禍々しいチャクラを吹き出す原子炉のような存在ですから、その動力で動くシステムを「ペイン」とすれば、尾獣集めが「暁」=ペインの個体を増やす為に意味のある事なのです。勿論、「暁」の一般メンバー(もうかなり少なくなりましたが…)はそれを知る由もない。そして、「暁」=ペインとトビ(マダラ?)の微妙な温度差はこの辺に根ざしているんじゃないかと疑っているのです。

もし、このペインが「二尾・猫又」の能力を使って暴れたら、この仮説はビンゴです!!人柱力と「暁」の闘いでは、尾獣を宿した人柱力も圧倒的には強くはありませんでしたが、それを『最適化』か『強化』する方法はある筈です。人柱力は尾獣の力を押さえるような抵抗を少なからずしていますから(別の考察で提示します)。ペインの「刃の心」もそれに関係して来るかも知れません。

恐らく自来也との激突は必至。ペインは夢の中に現われる「殺し屋」みたい…。

自来也…死ぬな!!(無理…かな…汗)

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大蛇丸は何故、グレてしまったのか?

 
<グシュ>「ハァ」「ハァ」「ハァ」

「大蛇丸様…早くお薬を!!」と言いながら薬を差し出す部下を、腕の痛みに苦しむ大蛇丸は殺してしまいます(17巻/176頁)。三代目の屍鬼封尽の呪いは想像以上に厳しく、「…この腕の焼ける様な痛み………ここまでの苦しみだとはね…」と大蛇丸も耐えかねるような痛みだったようですが、大蛇丸は理由もなく面白半分に自分の部下を殺すような人間ではないと思います。この時、腕の痛み以外に我慢ならない理由が大蛇丸には、きっとあったんです。それと似たような事が、サスケ奪還編の終盤でもありました。

「カブト…
ガキをあやすような物言いは止めなさい…」

サスケの到着を待ちわびる大蛇丸をなだめるような言葉を投げかけたカブトを大蛇丸は叱っています(24巻/177頁)。相手がもし、カブトでなかったら確実に殺していたでしょう。そもそも大蛇丸は他者から、慰められたり、哀れまれたりするのが我慢ならない性格なのです。最悪だったのは、木の葉崩しに失敗した直後。アジトに逃げ帰った時の大蛇丸とカブトとの会話にあります。

「私を慰めるような台詞は止めなさい…
殺すわよ……」

三代目と木の葉崩しで闘い、三代目を倒すも自らの両手を屍鬼封尽で奪われ、全ての術を奪われた大蛇丸をカブトが慰めた時の台詞です(16巻/94頁)。この時の顔が一番ヤバいです(笑)。カブトも一瞬、凍りました(笑)。腕が痛いのもあるし、術を失った後悔もある。その痛手を腹心の部下とは言え、他者に慰められたのが大蛇丸には我慢ならなかったのです。この時、大蛇丸はホントに殺そうと思っていたと感じました。それと、対照的な大蛇丸の回想が残されています。サスケとの対決の終盤の回想です。

若き日の三代目と幼き大蛇丸が大蛇丸の両親の墓参をした時、大蛇丸は白蛇の抜け殻を見つけます(38巻/99頁)。自来也、綱手、大蛇丸はアカデミーを6歳で卒業。直ぐに猿飛に師事しています。この時、猿飛24歳。恐らく、その直後の墓参ではないかと、僕は考えています。大蛇丸の両親も忍で、忍界大戦で活躍していたのでしょうが、不幸にも戦死してしまった。大蛇丸も独りぼっちになったと思われます。幼くして両親を無くし、どんなに大天才の大蛇丸と言えども、やはり子供。寂しくないはずがありません。

「この墓で見つけたのも何かの因縁
お前の両親もどこかで生まれ変わってるかもしれないのォ…
いつかまた…
大きくなったお前と会うために」

大蛇丸が白蛇の抜け殻を両親の墓前で見つけます。きっと猿飛は大蛇丸を慰めるつもりで言ったんでしょうが、「…それっていつだろ…?」と、子供らしく反応しています。この時、猿飛と言葉を交わす大蛇丸は歳相応の子供のようでありました。ありもしないような気休めにもにた絵空事を猿飛は言っていた。その「子供をあやすような」猿飛の言葉に大蛇丸は酔いしれているようでもありました。猿飛に対して、子供としての大蛇丸が曝け出されていた瞬間でした。

「幸運と再生…」

この時、その一身で最愛の両親の死を受け止めている最中なのですから、泣きじゃくっていてもおかしくない。そんな時に慰めの言葉を受けながら、猿飛の言葉は心地よく聞き入れているのです。気分を害するでもなく、黙り込むでもなく…。猿飛はこの後、三代目・火影に抜擢される忍ですから、強く賢い人物であったろうし、きっと尊敬できる人物であったのだと思います。大蛇丸にとっては猿飛こそが亡き父の生まれ変わりにすら思えていたんではないでしょうか。大蛇丸は錯角にも似た期待をこの時感じていたのかも知れません。

一方、猿飛は大蛇丸をどんな風に見ていたのでしょうか?

「猿飛先生は
いつも大蛇丸 大蛇丸って
うっせーよ!」

と、幼き自来也も苦言を呈していました(16巻/84頁)。逆にこう言う風にストレートに気持ちを伝えられる自来也だからこそ、心の距離が近く保てたんですが…。しかも、猿飛も憤慨するでもなく耳を貸しています。その雰囲気は仲の良い親子…と言うよりは「親友」のようです。でも、自来也は自来也で大蛇丸との対比に悩んでいたんですね。しかし、能力面においては大蛇丸は他の二人に大きく水をあける「逸材」であったのは確かで、それは自来也のこの「苦言」からも充分に窺い知れます。猿飛も大蛇丸を特別視していた。逆に、自来也はこんな風に普通に叱っていたんです。

「昔よく三人で三代目のジジィに…」

例の「酒酒屋」の暇乞いで、「まさかあいつが死ぬなんてね…」と言った後、綱手が昔話をしようとした時です(第366話「兄弟」)。自来也はバツが悪かったのか、大蛇丸の事を思い出す綱手を見るのが嫌だったのか、別の話題に振ってポシャったんですが、きっと、猿飛(ジジィ)を三人でからかって、自来也だけが捕まって、懲らしめられたエピソードを持ち出そうとしたのではないかと考えています。綱手の記憶の中でも、大蛇丸は決して叱られなかったのでしょう。その代り自来也はしばしば…叱られてた(汗)。

悪意と野望を秘めた瞳…
そういう素養があったのは…
気付いておった…
気付いていて知らぬふりをしてきた…
まだ 戦乱の時代に強く才能に満ち溢れた天才…
まさしく数十年に一人の逸材だったから…
自分の意志と力を受け継いでくれる存在…
そう思いたかった

大蛇丸の禁術開発の現場を押さえた時、三代目は自分の過ちを回想しています(14巻/85頁)。恐らく、三忍の中で大蛇丸は突出した才能を持っていた。「まさしく数十年に一人の逸材」と、多大な期待を寄せていたに違いありません。しかし、それは大蛇丸の「才能」に対しての期待であって、「人」としての大蛇丸への期待ではなかったのです。猿飛は大蛇丸を「忍」とし評価していたのです。自分の夢、果たせなかった心残り、里の戦力…それらを託すスケープゴート(scapegoat…滝汗)としての存在…。自分の「身替わり…」。それは決して「分身」とは同じではない。

それと、対照的なのが自来也の扱いです。例の演習場の鈴取りゲームで、鈴が取れなかった自来也が罰として丸太に縛り付けられて居残るんですが、「ツナデと大蛇丸は帰ってろ」と猿飛も居残るんです。その時、綱手はニコニコしてこの場を離れますが、大蛇丸は猿飛と柱に縛り付けられた方を、「……フン」と一瞥します。大蛇丸は自来也が羨ましかったんじゃないかな?自分も自来也と同じように猿飛に接してもらいたい!と不満に思ってた……。大蛇丸もそれを猿飛に伝えれば良いんだけど、プライドが邪魔した。悲しいスパイラルです。

「………猿飛先生のスケベ…」

猿飛と自来也は同じ目線で、この関係を楽しんでいるようでした(16巻/84頁)。自来也は大蛇丸ほどの天才は持ち合わせていなかったのでしょうが、努力家で賢い子供だった。猿飛も自来也とは非常にウマが合ったのでしょう。三代目の葬式を前に、想い出の演習場で回想するんですが、その時、自来也はきっと…泣いた…と疑っています。

水たまりに映った自来也の目(斜線でツブしてある)。あれはきっと…泣いてたな…(16巻/85頁)。それはそうと、オビトのお墓って、自来也達の演習場の直ぐ近くだったんですね。この時の自来也の気持ちは、カカシがオビトを想う気持ちに似ていたのかも知れません。自来也の「フン」と言うため息。猿飛と自来也は親友か戦友だった…そんな気がしています。

同じように木の葉崩しの三代目の背中を取った大蛇丸も泣きましたよね。「イヤ…眠くてね…あくびをして涙が出ただけですよ………」(14巻/159頁)と、取って付けたような言い訳をしてはいますが、あれは三代目と久しぶりに対面して泣いてしまったんだと思います。大蛇丸にとっては猿飛は親の生まれ変わりのような存在ですから。あの時、流した大蛇丸の涙は自来也が演習場で流した(であろう)涙とちょっと違う味がしたと思っています。大蛇丸も自来也と同じように、猿飛の事が大好きだったんだとは思いますが…。大蛇丸は自来也と違って涙を見せる事ができる人でもあるんです。なんて言うか…とても純粋な存在なんです。

「このくそジジィが!!
何が可笑しい!!」

屍鬼封尽で大蛇丸の両手を一刀両断にし、笑顔で倒れようとする三代目に大蛇丸は怒鳴っています(16巻/50頁)。まるで、不良のバカ息子が親に逆らっているような感じがしませんか。大蛇丸も素直になれなかったのです。こんな風に、もっと早く自分の気持ちを猿飛に投げかけられていたら…。運命は別の方角に転んでいたかも知れない。賢さやプライドの高さが仇になったのかな。何とも可哀想な気がしますね(←「心配なんかしないでよッ」って大蛇丸に怒られそうですけど…笑)。三代目が微笑んでいるのは、大蛇丸を殺さないで済んだからではないかと、僕は考えています。腕だけで済んで良かった…と。人はそんなに都合良く変わるなんてできませんから…。

大蛇丸は三代目火影の後任に立候補しています。恐らく、自薦だったでしょうが、その「邪悪さ」を理由に三代目が却下しています。この時、三代目は自分の後任には自来也を望んでいた筈です。四代目火影の選抜は忍界大戦の終結の頃(九尾事件の少し前)ですから、自来也も(既に「三忍」と呼ばれている)30歳代後半に達していたでしょうし、不断の努力の末、大蛇丸との差も埋まって来たものと思われます。今の自来也から判断するに、人望や人間性も「火影」の器であった事でしょう。

「火影になるべきは
本来お前だったということだ
三代目はずっと次の火影をお前に…」

居酒屋で綱手が三代目の気持ちを思い出しています(第366話「兄弟」)。「ワシはそんなガラじゃない。自由気ままが性に…」と自来也は謙遜しますが、恐らく、ありとあらゆる理由を見つけだして固辞したのでしょう(笑)。この頃、綱手は「縄樹→ダン」の死を経て抜け殻状態の筈ですから、三代目は綱手の見舞いがてら自分の心中を吐露していたのかも知れません。綱手は猿飛が話す自来也の自慢話を聞かされていたとか…。それは親友の四方山話か何かで、綱手もそれに癒されていたのかも知れませんね。

波風ミナトが三代目の目に止まったのはかなり早い時期であったものと思われます。大戦でも「木の葉の黄色い閃光」と恐れられ、一人で戦局を左右させるような「力」を持った存在でありました。しかも、自来也の愛弟子。文句の付けようもないくらいの男前の好青年です。誰もが納得するような傑物であったのは周知の通りです。

「いやミナトは
十年に一度の逸材だ
あれほどの天才は生まれてこん

優しい男だったが根性は筋金入り
瞬く間に四代目になった」

これは大蛇丸にとっても予想外の展開だったんではないでしょうか(第367話「イタチとサスケ」)。しかし、その品格や才能に関しては大蛇丸も認めたと思います。大蛇丸も本物ですから、本物には本物が認識できるものです。もしかしたら、この時点で大蛇丸より強かったかも知れないし。案外、すんなり大蛇丸も四代目・火影を諦めざるを得なかったんではないかと考えています。しかし、自分の代わりが見つかってあっさりと掌を返すような三代目の行動は大蛇丸には非情に映ったことでしょう。それは裏切りに近い。大蛇丸の落胆ぶりは想像に難くないです。

猿飛は大蛇丸を腫れ物に触るように扱って来たから、叱責する事もなかったのでしょう。大蛇丸も如才なかった筈ですし。当然、大蛇丸の道徳観や倫理観に欠けるような行いにも目を瞑って来た事でしょうから、大蛇丸に善悪の概念が希薄になってしまったのも理解できます。子供は家庭の中で道徳や倫理、それ以前に存在する「思いやり」や「優しさ」と言うものを獲得する必要がありますが、それに対するケアは圧倒的に不足していました。

もっとも、大蛇丸程の人格ですから、たとえ子供と言えども、自分のしている事がどんなにいけない事か解っていたかも知れません。解った上で続けた。一つは「素養」があった。それ以上に「興味」があったのでしょう。大蛇丸は探究心の塊みたいな存在ですから…。これは猿飛の後悔のパターン酷似しています。

つまり、年下で(自分より)男前のミナトが自分を差し置いて四代目・火影になった事よりも何よりも、悪に手を染めている自分を何故、三代目は叱ってくれなかったのか?何故、間違った事をしているのに止めてくれなかったのか?大蛇丸は三代目に咎めて欲しかったのではないでしょうか?だって、もし、自分の本当のお父さんなら叱ってくれた筈なんですから…。自来也は叱るのに、何故、自分は叱ってくれなかったの?と言うところにあるのだと。猿飛に怒られたり心配されたりするのは全然嫌じゃなかった。むしろ、嬉しかったのに…。

「猿飛…お前…」(しかし 殺せなかった…)

猿猴王・猿魔は大蛇丸を殺せたのに殺さなかった三代目の心の動きに気付いていました(14巻/87頁)。この時、大蛇丸も一目散に逃げるのではなく、出口のところで立ち止まって三代目を見ています。最後まで自分を止めてくれなかった三代目に物足りなさを感じているように僕には見えました。この時も大蛇丸は叱って欲しかったんだと思います。自分を殺してでも止めて欲しかったんだと思います。「自分の子供だったら叱るだろうに…どうせアタシなんかッ…!!」(それに、オカマだしッ!!…笑)と言う切ない横顔に見えてなりませんでした。この一件を機に大蛇丸は木の葉を抜けてしまいます。そしてこれが、大蛇丸を更生させるラストチャンスであったと、僕は考えています。

そこで、チョチョイと呪印のお力を借りまして妄想を…ズズズズズズッ………。





猿飛は子育てが滅茶苦茶、嫌いだった!!

実子のアスマを見れば解ります(笑)。アスマの場合は猿飛を自ら見限って離れたんです。それは、賢明な選択でした。だから、ちゃんとした大人になれたんです。そう言う、自発的な「父子分離」もあるのです。逆に猿飛は父親よりも個人(男、仕事、職責…)に傾倒する…家庭を顧みない人だったんじゃないかと想像しています。家にもあまり居ない人だったんでしょうね。アスマは寂しかったんだろうな…。今度こそは…とかなんとか思いながら…たまに帰って来たと思ったら口煩かったり…。

アスマが三代目の墓標に話し掛けるシーンがあります(35巻/95頁)。作品中で息子として話し掛けるのはここだけじゃないかな…。中忍試験の申告の時に宣誓しているけど、紋切り型の言葉。師として、小隊長として言葉を発しているだけです。

「アンタはちゃんと
里長としての役目を果たした」

墓前に今まで吸っていた煙草を線香代わりに置きます。アスマは父親である三代目の「社会人」としての生き方を賞賛しています。「かっこいい父親(オヤジ)だったよ…」とは、子供として見た父ではなく、一人の社会人(忍)として俯瞰した「血の繋がった親」としての外面(そとづら)を言っているのだと、僕は感じました。他人が見た「父親」像です。

この時、既に紅のお腹の中には自分の子が居ました。その上で、アスマは自分が捨て駒になってでも「玉」を守る決意をした直後でした。あんなに嫌っていた「父親」と同じ事を自分も選択した。父・猿飛を嫌悪すらしていた自分が、今、同じ事をしようとしている。子供の頃、自分が味わった寂しさを今度が自分が与えてしまう事になろうとは…。

「…今ならアンタの言ってた事も
少しは分かる気がするよ」

これはアスマの言い訳でもあるのです。運命とは残酷なもので、自分が嫌いなものに似てたり、行きたくない方向に得てして進んでしまう。人は自分の考えすら自由にはならないくらい不自由な生き物なのです。人は人生と言う激流の中で翻弄される木の葉にも似て無力なのです。でも、その中で「もがく者」のみが、向きたい方向を向けるものだとも思いますが…。

猿飛は優秀な忍ではありましたが、子育ての方はカラッキシ駄目だったんだと思います。きっと、父親と言う役目に向いてなかった。もしかしたら、親がちゃんと居た(だろう)自来也や綱手には自然に接する事ができるのに、孤児だった大蛇丸だと何だか緊張してしまったとか。自分が親として子供を育てるイメージが持てない人だったんではないでしょうか。親として在る責任を面倒臭く感じる。そして、仕事に逃げてしまった…。

大蛇丸の最大の不幸は幼くして両親を亡くしてしまった事でしたが、止めを刺したのは、親としての能力が圧倒的に不足した猿飛に師事し、尊敬してしまったところにあると思います。そして、もう得られる筈もない、親の愛情を猿飛に期待してしまった…。猿飛は大蛇丸の両親の墓前で、口先だけで優しい言葉でも掛けてしまったんではないでしょうか。慰めようと言う善意だったとは思いますが、大蛇丸が勘違いしてしまうような素振りを見せてしまったんでは…。あの白蛇の回想で…。

一方、大蛇丸と自来也。

二人の関係はどうだったっでしょうか。

第一部終了間際、ナルトがサスケの奪還に失敗し、木の葉病院で怪我の治療に入院しているところに自来也が見舞いに来ます。そこで、サスケを止めようとするナルトをかつての自分と大蛇丸に重ね合わせる回想があります(27巻/38頁)。カカシが皮肉っぽく「かつてのアナタと大蛇丸みたいな関係ですかね」(20巻/99頁)と言った通り、終末の谷での衝突を思わせる激闘が、自来也と大蛇丸にもあったようです。きっと、三代目と猿魔が取り逃がした大蛇丸の追撃戦を自来也が受け持ったとこら辺りでしょう。

「オレ達は"三忍"と呼ばれ…
ガキの頃からの同志じゃなかったのか!?」

自来也・大蛇丸・綱手の三人は半世紀に渡る幼馴染みです。山椒魚の半蔵が闘いの中で認め、残した命。「三忍」と言う証。死線をかいくぐって来た心の繋がり…。その中で、子供の頃から自来也は大蛇丸を意識して来ただろうし、憧れもした。目標ですらあった…そして、大切な友だちであった事でしょう。ナルトが「必死」にサスケを止めたように、自来也も大蛇丸を止めようとしていたのです。

「どこまでもめでたい奴ね
自来也
何をするにも考えが足りない
そんなんだから
私のやっていた事にも気が付かなかったのよ…」

大蛇丸は自来也を責めます(27巻/38頁)。大蛇丸の事ですから、自来也がどんな風に考え、この場で大蛇丸に対峙しているのかは全て認識していることでしょう。しかし、自来也は大蛇丸の本心には気付いていない。「考えが足りない」とは、そう言う事です。これは猿飛にも言える事でしたが、鈍いところが二人はそっくりでした。決して大蛇丸からは言い出せる筈もないのだから…。賢さやプライドが邪魔をするから…。だから、二人には本心を解って欲しかったのだと…。これは大蛇丸の酷く我侭な恨み節でもあったのです。

「バカにも程がある」

大蛇丸の自来也との惜別の言葉です(27巻/39頁)。人の考えは伝わり難いものです。大蛇丸は非常に賢かったから、自分の周りの人間の理解力の低さには辟易としてたんじゃないでしょうか。それは猿飛にしても、自来也にしても代わりはなかった。最早、諦めるしかない。もうグレるしかない!!グレてやるッ!!(笑)自来也…どうして解ってくれないのッ!!

非常に余談ですが…。自来也はナルトの見舞いに来て、サスケを諦めるように説得しようとするんですが、ナルトの「賢いってのがそういうことなら…オレは一生バカでいい…」と言う眩しい言葉に、「バカ」の真意を逆に教えられます。この時の自来也の「じゃあの………」の何とも言えない表情(27巻/45頁)。もしかしたら、自来也はこの時、大蛇丸の苛立ちの真意にも気付いたんじゃないか…。それをこの表情が物語ってるんじゃないか…と疑っています。

ナルトは中忍試験の時も「もし一生、下忍になったって…意地でも火影になるから別にいいってばよ!!!」と言い放ちましたね(4巻/139頁)。ナルトはタロットカードの「0」。「愚者」(The fool)…なのではないでしょうか。そして、もしかしたら、「愚者」こそ、「愚者」になれる者こそ、人生を切り開けるのではないか?と、僕は思います。他者の運命すら左右してしまえるくらいの影響力の根源ではないかと…。そして、この姿こそナルトの魅力なのだと思っているのです。


ここで、また…ズズズズズズッと…(いっそにして下さい…笑)。




大蛇丸は自来也に恋していた!!

自分にはない、おおらかな空気。大蛇丸であればそれに気付けたと思います。自来也の、太陽のような笑顔。海風のように心地良い笑い声。大地のように果てしない大きさ…。大蛇丸は自来也を自然に愛してしまったのだと、僕は考えています。

自来也が猿飛とウマが合ったのは、自来也の人間的な魅力が大きかったと思います。また、自来也は三代目と似ていました。いろんなところがそっくりでした。中でも「鈍い」ところが…。これが大蛇丸にとっては一番不幸な類似点でした。悲しいかな、大蛇丸は自分の好きな二人には尽く理解されない…悲しいループの中を彷徨っていたのです。

螺旋丸を会得したナルトはカブトを打破するも、自らも瀕死の重傷を負います。それを、血のPTSDを乗り越えた綱手が医療忍術で回復に当たります。そこに大蛇丸が割り込んで来て、間違えて綱手を草薙で貫いてしまった時の事です(19巻/129頁)。

「綱手……
アンタだけは殺す気なかったのに…」

綱手は大蛇丸に恋していました。愛していました。綱手の事ですから、特に解り易かったと思います。三忍と猿飛(三代目)は大蛇丸の中でも別格。その中で、綱手だけは殺すつもりはなかったと言う大蛇丸。何故なら、綱手だけが大蛇丸の本心を理解していたからです。それを勿論、大蛇丸も理解していたのです。綱手は大蛇丸は自分が何とかしようと考えていたのでしょうが、残念ながら、大蛇丸の気持ちが自分にはなかった…それは大蛇丸が自来也を愛していたからです。

かつて、綱手は大勢の前で「ド変態」と大蛇丸の事を例えています。あれは、美しい異性(女)である筈の自分ではなく、むくつけき同性(男)の自来也に心を奪われた大蛇丸への痛烈な批判であり、「女」としての自尊心をかつて傷付けられた事へのささやかな反攻だったのです。また、大蛇丸が里を出た事で、自来也がその見張り役になった。それを大蛇丸が喜んでいる事も綱手は感じ取っていたと思われます。それに対するジェラシーもあったでしょう。

蝦蟇・蛞蝓・蟒蛇…「蝦蟇」が「蛞蝓」を食べると、その後、「蟒蛇」に食われてしまうから、「蛞蝓」を食べられない、このため、三者とも身動きがとれない。つまり、微妙な位置関係と互いの距離によってバランスされている…これが「三竦み」の関係です。そんなに近くに居るんだから、憎む事もあろう。愛する事もあるだろう。しかして、遠く離れらてしまえば成立しない関係…。それは、離れられない絆…「三忍」の意味……自来也→綱手→大蛇丸→自来也……今にして思えば、それぞれの「恋」の関係も「三竦み」だったんじゃないかと、切ない想像が胸の奥からワラワラと這い出して来る…まったく…大蛇丸の意地っ張り!!と呟きながら、同時に確かに僕の心の底に居座(いすわ)る…

大蛇丸への好意を、僕は感じてしまうのです。


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第370話「胸騒ぎ」

 
「あとは神とやらに直接聞くとするかの」

自来也は自分でも「尋問はワシの性にも合わんしの」と言うように、自来也は「下っ端でも忍か…」と忍の「心」を尊重しています。口寄せの食道の内壁は「心拍数」を拾うようですから、「知らねーな…そんなの」が嘘だと分かった。下っ端は「暁」の情報を知り得たのです。でも、それ以上、聞かなかった。自来也は正々堂々だな。悪人じゃない。「心」があるから…。目的があるから「無為」をなさないのです。行いに「意味」がある。その観点はこれから重要になる…と、僕は考えています。

(バン)<ズズ…><ズズズズ>

僕の呪印じゃないですよ(笑)。印を結んだと思うと、自来也は口から蝦蟇の太い柱のような物体を口寄せします。文字通り、口の中から出て来ました(笑)。きっと、口寄せに必要な術式を喉の奥か下の付根とかに隠し持っているのですね。この口寄せ蝦蟇が、それ程、大切な物と言う事でなのしょう。どこかから飛んできたのか?膨らんだのか?今、自来也が居る空間も自来也の術空間でしょうから、時空間忍術では距離や大きさは無意味になるんでしょう。

「自来也よ!ワシを呼び出すだぁ、どーゆー了見じゃ!"ナルトの鍵"はもう…」

腕組みしたその口寄せの蝦蟇が自来也に話し掛けます。「ナルトの鍵」これは何だろう?始めて出て来た用語です。「もう…」というのは、過去に何かあったと言う事。「いやいや修行じゃあねーのォ。訳あって、お前に一時出ておいてもらおうと思ってのォ」と言う自来也の台詞からすると修行で使ってます。勿論、ナルトの修行。と言う事は、あの2年半の「四本目」の暴走…自来也が死にかけた…きっと、アレです。その時に「鍵」を使ったと言う事なのかな。

「出しておくじゃと?一体何事じゃ!?」

これが普通じゃないと言う事です。「ちょいと強い奴とやり合うもんでの」と自来也はペインの手強さを充分に意識しています。先週号で山椒魚の半蔵を殺ったペインは、自来也にとって絶望的な強さなのかも知れません。「フッ…ワシを逃がしとかにゃならんほどの輩なんか?」と言う口寄せ蝦蟇の言葉は、自来也と共に居ると一緒に死んでしまうか、口寄せの術式が無くなってしまうと出て来れない…などの困った事になるのでしょう。

「念のためだ…それよりさっさと蔵出しの判をおしたいんだがのォ」

口寄せ蝦蟇は胴体が巻き物になっていました。そこには術式が…。術式が良く見ると「鍵」の形になっていいます。持ち手の方は「八卦の封印式」を模した形状になっています。八卦の封印式は四象封印の二重封印で、90度異相しています。その頂点の一つが鍵として伸びている。「良し!」<カン>と上の四角のマークに自来也は右手で「判」を押しました。すると、速攻、巻き物は<シュルルルル>と巻かれます。術式は出切る限り曝さない。酷く用心深い感じがします。

ナルトの鍵

「…ただワシに何かあった時はナルトに蔵入りしろ」

「どれくらいかかるんならや?」と、ただならぬ自来也の雰囲気に口寄せ蝦蟇が心配そうに問いますが、自来也は自分が戻らない場合を想定した行動を指示しています。先に「念のためだ…」とは言っていますが、自来也は「死」を前提に、この作業を行っているのです。覚悟してる。準備をしている…そんな印象を受けます。「蔵入り」が意味する事…。それに「蔵出しの判」。「鍵」を模した術式の上に四角の「認印」を押すよなスペースがありました。相当、重要な「鍵」ですから、安全装置みたいなものでしょうか。自来也の承認がないと使えない。自来也が居なくなった時の為に「承認印」を入れておいた。

「何を言いよんなら!!?
ワシの腹にはナルトの"八卦封印"に結合する鍵が書き写されとるんじゃぞ!」

今、巻き物を展開した時に見えた術式…。口寄せ蝦蟇の言う「鍵」とは、それを指しているんでしょう。「年々、四代目の封印も弱まってきとる!いざという時、閉め直すために鍵が残されたんじゃ!その大切な鍵を金庫と一緒に置くなど…!!」この台詞からすると、外部からこの口寄せ蝦蟇の「鍵」を用いて「八卦の封印式」に作用できると言う事になります。かつて、2年半の自来也との修行でナルトが「四本目」を出したのが「怒りを引き金に…」と言う突発的な事故ではなく、自来也の任意の封印の解放だったのでしょう。自来也は意識的に四本目が発現するようにナルトの封印式を緩めたのです。

「四象封印」は90度の異相。それを二重封印した「八卦の封印式」はそれを45度で異相させて封印の隙間を小さくしているのでしょう。それを40度…35度…と接近させる事で封印式の隙間を大きくして、九尾のチャクラの流路を大きくして、九尾のチャクラを引き出していた。ここに自来也の意図があったのは明白です。

「とはいえ、その鍵はミナトが遺した物…いずれはナルトに渡すべきだのォ」

この口寄せ蝦蟇の契約主はミナト。でも、それを何故、自来也が持っているんでしょうか?僕は自来也が「九尾事件」には立ち会っていないと考えてるんですが、「託した」と言うんだから、ミナトと一緒に居たのか?とも思ったんですが、口寄せ動物の時空間忍術で自来也の元に届けられた…と言うのもあるかな…と考えています。この口寄せ蝦蟇の自来也に対する物言いも対等な感じがするし、お互いの役割に従ったそれぞれの立場を感じます。

上げてから、読み直して分かったんですが…この「ナルトの鍵」は「蔵出し」→「蔵入り」で継承できる契約なんだと思います。自来也は「九尾事件」に居合わせなかった。それでもこの「鍵」を「蔵入り」(継承)できたのは、今回、自来也が指示したように「蔵入り」を命令できるんです。あの時、ミナトは自来也に「蔵入り」するように指示した。今回のように。自分の「死」を意識した段階で…。そして、今、自来也が「ナルトに蔵入りせよ!」と命じている。自来也も覚悟している…と言う事です。

「まだ早い!前に一度、お前にそそのかされて
鍵で"四象封印"を少し回しただけでどーなったか…
忘れたわけじゃなかろーが!」

自来也が死にかけた「2回」の内の2回目(笑)。ナルトの「四本目」を引きづり出した修行の顛末。あの「四本目」を如何に自来也であろうとも、あの程度の怪我で抑え切ったのか?と疑問に思っていましたが、自来也が意図的に開印させて発現させたのであれば、予め防御策(大蛇丸の三重羅生門にたいな術)の用意も出来ただろうし、我愛羅奪還でカカシがナルトのおでこに貼ったお札も準備できたでしょうから、合点が行きます。

「ああ…しかしその鍵の術式をミナトがワシに預けたってことは
いずれは、あの術をナルトに完成させるのがあやつの遺志だとワシは思う」


「あの術」…自来也はその正体を知っています。九尾のチャクラが必要な術。チャクラ性質の複合使用=血継限界に関係する術なのか?それとも、途方もない量のチャクラが必要か。「…そもそもそんな術がナルトに必要なんか!?」と蝦蟇が言うくらいだから、大層な術なんでしょう。もしかしたら、三竦みの闘いで大蛇丸がナルトを殺しておこうとした時に言った「諸々の事情でこの子が生きてると後々面倒な事になるのよ」と言う言い訳はこの「術」に関係するのかも知れません。と、言う事は「暁」の狙いもそれ…と言う事か…。

それと、我愛羅奪還任務(28巻/142頁)の出発の時に自来也がナルトに言った「あの術は使うなよ…」(アニナルでは「あの力…」に変わったような…)と言う文言が、再び蘇って来ます。当時は「四本目」かと考えてましたが、それとは違う「術」を伝承している可能性もあると思います。ナルトも練習中でまだ会得してないけど、理屈や発動の仕方は習ってあるとか…。この点はもう少し考えてみる必要がありそうです。

「あいつに九尾のチャクラをコントロールすることなど出来りゃーせん!」

蝦蟇のこの言葉を手掛かりにするなら、その「術」の会得の為には「九尾のチャクラ」をコントロールする必要がある。つまり、「鍵」を緩め「四本目」を出して練習させる必要があったと言う事なのでしょう。その結果は天地橋の任務でナルトが見せた通り…「それどころか鍵を少し開けたせいでナルトのチャクラを押し退け、九尾のチャクラ自体が大量に漏れ出しナルトを支配する始末」…「これ以上、封印を開き完全に九尾化してしもーたら、それこそ四代目の遺志に反するぞ!」と巻き物蝦蟇が警告しています。

「ミナトは九尾の陰(かげ)のチャクラしか屍鬼封尽しておらん」

つまり、ミナトは「九尾の陰(カゲ)」と共に死神の腹の中です。「ミナトがわざわざ九尾の力を陰と陽に二分し陽の側をナルトに封印したのは九尾のチャクラをナルトに遺すためだ」と自来也はその経緯を説明しています。これまで数々の妄想が湧き立っていた「謎」でありましたが、ミナトはもう居ない…これで、決定だと思います。個人的にはナルトの九尾のより深層に封印されてると思いたかったんですが、九尾の認識にもミナトの存在感はなく、描写的にも符合します。ミナトはもう居ないんだな…。

「しかし、何故わざわざ我が子に九尾のチャクラを封印する?」

これも大きな疑問でした。何故、生まれたばかりの赤ちゃんに九尾の妖狐を封印するような酷な事を四代目が成したのか?普通は蝦蟇が言うように「わあ?たまたま封印の都合でそうなったか…そうじゃねーなら子供の力を遺してやりたいとかの親心じゃねーか」と考えるのが順当と言えます。この意見は大勢派と言える答えだと思います。「鍵」である「威厳」と言うか「倫理観」に支配されている…生真面目な蝦蟇です(笑)。

「ミナトの師だったから分かる…あやつは無意味な事はしない奴での…」

僕もこれと同じ事を考えてました。つまり、「ミナトは何か重大な事実を知っていて、その事実のために九尾の力を我が子に託したのだとしたら…」と言う自来也の台詞の仮説です。ミナトの九尾事件の幕引きは謎が一杯でした。それら全てを「偶然」で片付けてしまうには余りにもタイミングが合い過ぎている。尾獣には「何か重大な事実」がある筈です。単なる「妖魔」が無意味に居る筈ないです(笑)。「………考えすぎじゃろう」と巻き物蝦蟇は楔を打とうとしますが、自来也は尚も続けます。

「かつて木の葉を襲った九尾の妖狐は自然発生した天災だと言われていたがの…
実はそうでは無かったじゃないかと、最近、疑うようになった…」

自然発生にしては、生まれたばかりのナルトが居るし、恐らく、三忍も木の葉に不在で九尾はやりたい放題だった。四代目も木の葉に不在であった筈です(カカシの「九尾事件」参照)。そう言う、疑問は誰しもあったんではないでしょうか?そして、自来也の言葉が鏤められた「謎」を紡ぎます。自来也もナル×ジャンの記述を読んでてくれたりして…(笑)。

「おそらくあれは人為的に口寄せされたものに違いない…」

やはり、自来也は九尾事件では不在だったのでしょう。九尾とも戦っていない。ミナトからはこの「ナルトの鍵」である口寄せ蝦蟇を託されただけ…と、この台詞からは読み取れます。かつて、天地橋任務でサスケと再会を果たしたナルトの内なる九尾とサスケの写輪眼は接見しています。その時、サスケは「どうやら、この眼…初めてではないらしいな…なら…お前が九尾の妖狐か」と言っています。つまり、写輪眼と九尾は関係がある。サスケがどう言う経緯でこれを知ったのか?ネタ元は秘密の集会場の碑文…「写輪眼の本当の意味」にあると、僕は考えています。

「アホぉ!九尾は昔から人の邪気が溜まり淀んだ時、どこからともなく現れる天災じゃ!
それに九尾を口寄せするなだ出来る奴がこの世にこの世におるわけがなかろーが!」

「…いや…それが、いたんだのォ。一人…うちは一族の創始者…うちはマダラだ」

とうとう出ました!うちはマダラ…木の葉の額当てをしてます。初代と同じ(ような)アーマーを着用。勿論、写輪眼(三つ巴紋)です。髪型はロンゲの終末の谷の石像に酷似。黒髪のようです。かなり男前です。イタチ/サスケに似てると言えば似てますね。きっと、色白です(汗)。ところで、背後の「うちわ」みたいなの何でしょう。戦国時代の道具でこんなのあったな…。「芭蕉煽」みたいですね…。「うちは」の始祖…「火」を操る「風」を起こす為の道具…。「うちは」たる由縁。

「ゲロゲロゲロ!!」

自来也の情報に吃驚し過ぎたのか、このリアクションだけ、普通の蝦蟇の反応になってます(笑)。あり得ないと言う意味で笑ったのか?この口寄せ蝦蟇の反応は、ありがちな「常識人」たちの反応に似てると思います。中途半端な常識に縛られて、突飛な発想に拒絶反応を示す…ありがちな…でも興味がある…あたかも自分だけが正しいと思ってるかのような考え方…「信念がある」のと「頑固」は根本的に違うんだけどね…。きっと、心の中に在る「不安」が勝ってるんだろうな…。苦しいんだろうな…。

「アホ!うちはマダラは木の葉創設期の人間じゃ!
ほんの十五・六年前に生きとるはずがねーだろが!」

僕は「マダラ→フガク→イタチ/サスケ」の隔世遺伝を考えたんだけど、「マダラ→フガク」が離れ過ぎてるんです。で、その間を埋める考えが必要だな…って思ってました。「隔世遺伝」を持ち出したのは、フガクがイタチやサスケに対して普通過ぎると言うか、型にハマったようなサラリーマン的な振る舞いがそぐわないからです。何か「諦め」を感じるんです。自分はそのステージには居ない…というような…諦めをフガクは感じていた気がしてならにのです。だから、イタチに迫った。「託す」と言うよりは「押し付ける」ようなプレッシャー。イタチの苛立ち…。

「確かに…うちはマダラがあの"終末の谷"で初代火影に倒されたのは誰でも知っとる」

終末の闘いで初代とマダラが闘った。これは史実です。決定的です。そして、そこでマダラが破れた…「倒された」ですから、(恐らく)死んだと言う事なのでしょう。終末の谷の闘いが初代存命時で、木の葉の里を興す切っ掛けになったとすれば、70年ほど前の話になります。当時、30歳~40歳として100歳~110歳。平均寿命を現在と同等に考えても存命には疑問符が付きます。終末の谷の二人の闘いの後、木の葉の里が生まれたのは、過去にカカシとパックんの会話で明かされています。ナルトを回収する時の第一部終盤の描写です。

「だが…何か嫌な予感が…胸騒ぎがしてならんのよ」

終末の谷…。初代に向き合う対極の石像の上に立つトビ。ナルトとサスケの闘いで、サスケが立ち止まった場所。そして、トビの仮面の穴から見える「写輪眼」。先のマダラの姿と比較するとあまりにも似てない(笑)。僕の目にはどうしてもトビがオビトに見えてしまう(汗)。それに「神無毘橋の戦い→九尾事件」は意外に近接しています。時代の節目。雨隠れの暗躍…。「暁」の鼓動。全ての謎はあの「九尾事件」に繋がっている…。


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大蛇丸の「九尾事件」への関与と「暁」の臭い

 
ナルトと大蛇丸が始めて会ったのは、中忍試験の「死の森」での事だと思います。「天の書」と「地の書」の二つの巻き物を集める課題を時間内に果たす試験の最中、大蛇丸がサスケに接近して来ます。大蛇丸の殺気の一端に触れただけで息も出来ないようなプレッシャーを感じ、格の違いを悟ったサスケは大蛇丸との取引に出ますが、ナルトがサスケをぶっ飛ばして止めます。

「こんなバカで腰抜けヤローは、ぜってーオレの知ってるサスケじゃねー!!」

この前に大蛇丸は「ナルトくん」と呼んでいますが(6巻/50頁)、あれはサクラがナルトの名を呼んだのを大蛇丸が聞いていました。台詞の最後に名前をくっつけるのは大蛇丸の癖と言うか、お決まりのパターンでありましたし…。大蛇丸にとっては余裕の展開ですから、機転を利かしたと言うよりは、左うちわのやりとりだったのだと思います。

「クソ喰らえ―!!!」

口寄せした大蛇にナルトを喰わせてしまおうとした時、不意にナルトの強烈な反撃に遭い、ナルトの「瞳」の紋様の変化に大蛇丸は気付きます(6巻/62頁)。「…このガキまさか…」と、この下忍の中に九尾が封印されている事を勘付くのです。この時、始めて「ナルトくん」と言う下忍と「うずまきナルト」と言う「人柱力」が結びついたものと思われます。

でも、この気付き方は「うずまきナルト」を意識して、この場に居るわけではなく、普通に里の大人が持つ認識に等しいです。つまり、里の大人達が普通に知り得る程度にしか九尾事件を認識していないのです。大蛇丸は九尾事件をそれ程深くは知らない。後述しますが、九尾事件当時、大蛇丸は木の葉の里自体への興味が失せていた…。僕はそう考えています。

「感情が高まって九尾の力の断片が漏れ出すとは…
面白い成長をしたもんだわ。
ほら…封印が浮き出てるじゃない」

と、懐かしそうなリズムで話しています(6巻/73頁)。「フフ…あの九尾のガキが生きていたとはね…」と言う大蛇丸の言葉。これは封印されたばかりの赤ちゃんの姿のナルトを見ている気持ちの現れだったと思います。三代目が過って見せてしまったのか、大蛇丸も近くには居ましたから、何かの拍子に対面していたんでしょう。そして、あの時見た…あのちっちゃな赤ちゃんがこんなに大きくなって…と感じる普通の大人が普通に持ち得る感想であると思います。

「封印から12年……ナルトくんの精神(チャクラ)と
九尾の精神が呼応しはじめてるのね……」

大蛇丸は四代目が施したナルトのお腹に浮き出る「八卦の封印式」をしげしげと見つめています。自分を蹴落として四代目・火影に就任したミナトの仕事を確認しているようです。術式に関しては自来也ほどは深く分析はできていない。この封印術は自来也の伝承にミナトのアレンジが加わっているのでしょう。その上で、「五行封印」をその術式に被せます(この時、五行が「木」「火」「土」「金」「水」になっていますがスルーして下さい。悪魔でも(笑)…「五行」ですからチャクラの五代要素とは一切関係ありませんので…汗)(6巻/73頁)。

四代目のしっかりとした美しい術式に大蛇丸は「イラッ」としたんだと思います。まるで、犬が自分のテリトリーを誇示するマーキング(おしっこ)を重ねるように、自分の術式を四代目が残した術式に重ねているように感じました。この術式に自来也は「親の愛情」を感じ、大蛇丸は「高い技術力」を感じた…。これは自来也が知っていて、大蛇丸が知らなかった事を示唆する描写であると、僕は思っています。

「でも、今はアナタは邪魔…」

そんな目頭が熱くなるような再会シーン(笑)の後、えらく素っ気無く<ポイッ>と捨ててしまいます。でも、一連の描写で大蛇丸の悪意や殺意は微塵も感じません(笑)。むしろ、興味はサスケの写輪眼にあって、「九尾」を宿していようが、ナルトはただの「ガキ」に過ぎません。大蛇丸にとって、ナルトは、この時点=「今は…」…では、どうでも良い存在だったと思います。

大蛇丸の感じ方や反応から推察する限りでは、確実に見ています。あの「おくるみ」のナルトの赤ちゃん時代を…。しかし、仮に大蛇丸がナルトが四代目の子供だと知っていたら、こんな反応をしたでしょうか?もし大蛇丸がその関係を知っていて、四代目の事を少しも思い出さずナルトに接する事ができたでしょうか?僕には大蛇丸が「ミナト→ナルト」の親子関係を知らなかったように感じられます。

綱手捜索編の終盤。あの三竦みの戦いで、ナルトが螺旋丸を会得し、カブトを粉砕した時も似たような描写がありました。マンダの背中の上で自来也と闘う最中、大蛇丸の気持ちはナルトに向いていました。ナルトが四代目の編み出した「螺旋丸」を使ったのですから…。その心中は穏やかではなかったでしょう。螺旋丸に関しては、自来也との対決も里抜けの時にありましたから、その時、食らいかけた…のかも知れませんね。

「…あの九尾のガキ……あんなガキが…あの術を……」

大蛇丸は確実に「螺旋丸」を知っていました(19巻/111頁)。それでも、あくまでも「九尾のガキ」と呼んでいます。「螺旋丸=四代目」(自来也の線もありますが…)なのに、この期に及んでも四代目とナルトが大蛇丸の中では結び付けてはいません。やはり、大蛇丸は四代目とナルトの親子関係に関しては知らされていなかったのだと思います。と言う事は、三代目は自来也と綱手だけに教えた…。大蛇丸だけには教えなかった。九尾事件の頃と言うと、大蛇丸は既に不穏でしたから…、時系列的にはしっくり来ます。

九尾事件終結後、三代目が自ら火影に再就任(猿飛56歳)しています。大蛇丸の禁術の開発現場を暗部二人と押さえた時の、三代目は火影の戦闘服(木の葉崩しの決戦の時と同じ衣装)を着用していたので、九尾事件が終息して、再び三代目が火影の座に就任した後の時系列になると思います。つまり、大蛇丸は四代目落選→九尾事件→三代目の火影再就任までは最低でも木の葉に居た事になります。二人は18歳差ですから、大蛇丸38歳。分別盛りの筈なんですけどね…。

大蛇丸の非常に顕著な行動パターンなんですが、物凄く諦めが良いところがあるんです。例えば、転生の器探しでは、「暁」でイタチが自分より強いと判るとあっさり「暁」を抜け、イタチもキッパリ諦める。そしたら、君麻呂に方向します。でも、君麻呂が不治の病と判ると、「最も欲しい身体」としながらも、あっさりサスケに触手を伸ばした。大蛇丸は物凄く淡白なのです。

四代目・火影も三代目の愛弟子である自分を差し置いて、(自来也の弟子の…しかも男前で才能溢れる好青年で、非の打どころのない…笑)ミナトが就任するや、大蛇丸は地下活動に傾倒して行きます。大蛇丸はプライドの塊のような人格でしたから、ワザワザ、自分からお願いしてまで自分の欲求をかなえようとは考えなかったものと思われます。恐らく、四代目・火影に落選した時点で木の葉の里そのものに興味を失い、自分で自分の里=音隠れの里を興す決意をした事でしょう。

この考えを大蛇丸自身に当て嵌めると、全ての忍術を手中に納めるには人間の寿命は短過ぎる。だから、人間の身体を諦めてしまおう!と言う短絡的とも思える行動が理解できます。現時点で、三忍の自来也と綱手は同じ年で「老人」としながらも現役バリバリで活躍してる事からすると、大蛇丸が「不死転生の術」で他者の身体を乗り換えて延命を図る行いは余りにも性急です。それでも大蛇丸は自分のオリジナルの肉体を捨て不死転生に走ったのは、大蛇丸の超淡白な思考パターンが適用されているものと思われます。

「あの子、よろしくないわね…」

大蛇丸はこの時、ナルトの存在を初めて危険視します(19巻/123頁)。中忍試験の「死の森」では歯牙にもかけなかったのに、四代目の螺旋丸を会得したナルトに大きな危機感を感じています。その螺旋丸ですが、多分、術的には大蛇丸も発動はできたか、最低でも理屈は知っていたと思います。個人的に相当研究していたと筈ですから…。でも、決して使う事はなかった。何故なら大蛇丸はプライドの塊だから。自分を弾き出したライバルの術なんか、大蛇丸が人前で発動する筈なんかありませんから!余談です(汗)。

「まさかここまでの子とはね…あの子が暁に渡ると面倒ね…
つまり、殺すなら……今!!」

自来也と戦っている最中なんだけど、大蛇丸はナルトの暗殺に飛び出します。「暁」では尾獣を集めているはずなんですが、何故、ナルトの能力が高まるのがいけないのか?この点が解せませんが、大蛇丸はこの時、ナルトに対して本物の「殺意」を抱いています。大蛇丸は何故、ナルトが「暁」に渡ると面倒だと思ったんでしょうか?

この時点では大蛇丸は「暁」を抜けていました。音隠れの里もかなりの勢力になっていたはずです。とは言え、組織を抜けた大蛇丸を「暁」が放置していたのが引っ掛かります。デイダラが「ぶっ殺す」と言ってたのは別にして(笑)、「空」の指輪も大蛇丸の手にあるのだし、それを取りかえす必要もあったろうし、「暁」の秘密の漏洩も防ぐ必要もあった筈。どう考えても「暁」は大蛇丸が邪魔だった筈です。

さて、そろそろ呪印の力をお借りしましょう…。ズズズズズズッ……。



「暁」は忍を拉致って来て自分達の兵隊にしていた!!

ナルトに「螺旋丸」を修得できるポテンシャルがあると見るや、「危険」と判断した。これは自分の身を心配したのではないかと、僕は思いました。つまり、「暁」は忍を改造するか、何かの手段を使って意のままに操る術(すべ)を持っているのでしょう。勿論、相当の強化もしたでしょう。それを大蛇丸が知っていた。「暁」に大蛇丸が在籍する時にシステム構築に関与したか、情報を得た。それで、強い術を会得したナルトが「暁」に渡るのが「面倒」と判断したのだと思います。

第369話「ペインについて」の最終頁で、謎の「6体」の「暁」のマントを着た人形が登場しています。僕はあの「六体」がペインだと思ったんですが、身体の大きさや形に個性がある(特に六番が気になっています…笑)ので、同一体からのクローンではなく、他者の身体を奪うような方法で集めたと考える方がしっくり来ます。優れた身体と術があれば、強い忍が作れる事になります。それを大蛇丸は警戒したのでしょう。

もしかしたら、「ペイン」と言う名前は個人の氏名ではなく、このシステムの名称で、「ペインは負けたことが無いのだから」と小南が言ったのは、負けたら処分されると言う意味だと思うんです。だから、小南と話していた「負けた事がない…」と言うのは、その意味においては正しいのです。加えて、ペインの無表情さが身体を操られるシステムにあるとすれば、「心」がないような気持ち悪くなるくらいの「非情さ」も肯定されるんではないでしょうか。

もう一発!!ズズズズズズッ……。



もし「暁」が大蛇丸に手を出したら「人柱力を殺す」と嚇していた!!

「暁」の目的は尾獣全部を集めることですから、人柱力が殺されれば、同時に尾獣も死んでしまいます。或いは、まだ登場していない七尾か八尾の尾獣なり、人柱力を拘束している線も視野に入れて考えています。何にせよ、相当の戦闘力があり、大蛇丸を敵視していた「暁」が手を拱いていたのは、尾獣を人質にとる大蛇丸の狡猾な交渉術があったものと想像しています。

個人的には大蛇丸が八尾か、八尾の人柱力を拘束していて、何らかの方法をもって掌握している可能性に激しく期待しています。今、カブトが大蛇丸の細胞を取り込んで肉体的にはパワーアップしていますし、八尾をそれに追加して人柱力化することで「暁」クラスの戦闘力を獲得できる事が予想されます。そして、サスケの内部にあるであろう大蛇丸の思念(情報生命体としての大蛇丸)が加わりでもしたら、とんでもない事になる!!カッコ良い大蛇丸の完全体の降臨だ!!とワクワクしながら見守っています。

大蛇丸は九尾事件にも関与していなければ、四代目・ミナトとナルトの親子関係も全く知らなかったと、僕は考えています。大蛇丸は非常に淡白な性格であり、それ以上に知性とプライドの塊みたいな存在ですから、自分を拒絶した木の葉(三代目)に一瞬で興味を失ったことでしょうし、恐らくミナトが自分より強いことも(飛雷神の術に対抗できないと悟った…)あって、あっさりと「音隠れの里」に興味の鉾先を変更した。

大蛇丸の性格を考えるとそうしたろうな…と思えるのです。だから、木の葉の里で起った未曾有の大災害「九尾事件」も対岸の火事であったと思います。「勝手にすればァ」と何処吹く風で、禁術の開発や里興しの野望を膨らませていたのだと思います。

で、続く…果てしなく…(汗)。

 
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第369話「ペインについて」

 
「…西の一番高い塔にペイン様は居らっしゃる…と言われている」

自来也の拷問はスルーします(笑)。自来也も問い返していましたが、「"言われてる"っていうのは…」程度の情報しか持っていなかった。結局、何も判らなかったと言う事です。良い歳(に見える)ぶっこいた下忍ですから相応の吐き方なんでしょうし、これは自来也の人間性に呼応した「人」の反応ともとれます。人には「心」がある。ただ息をして、食物を食べ、水を飲むだけが生きる事ではないと思います。「心」が感じる人間の「生」があるのです。表面的な描写はコミカルに描かれていますが、深層には自来也の高度な幻術が仕込まれているのかも知れません。でも、「ゲロゲーロ」と蛙に変えられた(プッ…)下忍。元に戻してあげて下さいね(笑)。

「風魔一族の血を引くと言われているが、誰も彼の顔を良く知らないし、
実際には存在しないんじゃないかと噂する者さえいる」

風魔一族って、アニナルの「田の国編」(136話 - 141話)で「ふうま」ですけど登場してる筈です。何故だか、ちょこっと観てました。蜉蝣みたいになったヤツですよね。追い剥ぎとかやってるヤツもいたような。アニナルと本編のリンクに関しては意見が別れるし、同じである必要もありませんけど…。でも、そしたら「風魔ペイン」と言う名前なのかな?血継限界の存在も微かながら感じますね。しかし、この下忍、良く喋る…(笑)。

「この街ではペイン様は神と同じだ」

「全て代理者を…」とあるようにペインの存在に関しては徹底した情報管制下にあると言う事なのでしょう。何だか良く判らないけど凄い…と言う「神格化」は絶対的な指導者(君主)のありがちな作られ方ではある。「…誰もがペインの名を口にし崇めていたぞ」と自来也が言うように雨隠れは強固な人心の掌握がなっているようです。それに、顔すら知られないのに、あがめ奉られる…という事は、相当、偉大な行いを示して得いる事になります。

「雨隠れを潰した…たった一人でな」

おしゃべりの下忍の証言によれば、雨隠れの「内戦は収まった」ようです。しかも、ペインが一人で雨隠れをやっつけたとも。これを聞いた時の自来也の「信じられん…」の驚きは大きかった。「"山椒魚の半蔵"として忍の世界では知らぬ者などいない男だぞ…!」と、自来也が言うにはそれなりの理由があるんです。そして、その半蔵をペイン一人で片付けたと言う情報。この驚きが自来也の回想に傾れ込みます。

恐らく、忍界大戦の最中、大蛇丸、自来也、綱手の三人が20代…つまり、30年ほど遡ったエピソードでしょう。激しい雨。辺りのは無数に傷付き倒れた忍たち。そこに、綱手の肩を借りやっとのところで立っている自来也。大蛇丸もかなり弱っているようです。それを、大きな山椒魚(口寄せ動物?)の上から見下ろす半蔵。

「この戦い…おそらく木の葉隠れの勝利だ。
お前たちは生かしておいてやろう」

戦争の大勢としては木の葉勝利なんでしょうが、この「戦域」は半蔵が支配していたのでしょう。多分、この場面は半蔵の大技が炸裂して木の葉の勢力が一掃された直後。綱手が自来也に肩を貸しているのは、その大技から綱手を自来也が身を呈して庇ったのではないでしょうか。自来也は綱手が大好きでしたから、どんな状況においても綱手を意識していた筈です。自来也はこの時、相当な深手を負ったのかも知れません。それでも自分はどうなろうと、綱手だけは守りたかったんだと思います。でも、「情けは要らねー!まだまだ戦える!!」と息巻く若き日の自来也は、何だかナルトに似てますね。

「お前たち三人は強い……
そして、ここでさえも生き残った…」

半蔵は渾身の大技を繰り出した。その上で生き残った三人を賞賛しているのです。たとえそれが殺しあいであろうと、お互いの「生」を認め合う闘いには意味があるのだと思います。「心」のある人間の闘いとは常にかくあるものです。半蔵もその強さをただ享受していたわけではなく弛まない努力と精進があったはずですし、それを成した人生があったからこそ、この若い三人の木の葉の忍の「生」の意味を感じ取れたんだと思います。お互いに「心」があったからこそ、闘いの中で確かな「共感」が得られたのだと思います。

「これよりお前たちを"木の葉の三忍"と呼び称えよう」

「三忍」と命名したのは半蔵だったんですね。もっとも、これは半蔵のブラフ(はったり)で、大技を出してしまってチャクラ切れだし、傷付いているとは言え、自分の渾身の大技を防ぎ切った三人の優秀な忍を相手にするのは、正直、キツイと思ったのかも知れません。殺れるにしても手傷を負う損得勘定があったのかも知れません。「命の代償にそれぞれの名を名乗れ」と言う半蔵が内心、ドキドキしてるのも可愛くて面白いなとも思いますが…。雨で判らないだけで、ホントは冷や汗タラタラとか…ね(笑)。

しかし、口寄せであろう山椒魚も健在だし、半蔵の眼光も鋭い(余談ですが、半蔵の「眼」は角都っぽいですね)。描写的には余力を残しているようでもあります。台詞の流れを見ても、戦況を考慮し、大勢が判明している以上、これ以上の流血を「無益」と判断しての問答であると感じます。やはり、これは「心」のある闘いだったと思います。三人もそれを感じ取っているようでした。

ところで「三忍」と言う呼称を自来也たちが吹聴するような厚顔無恥ではないはずですから、半蔵が積極的に、その知名度と影響力でアナウンスしたんではないでしょうか。きっと、そこには自分が示した「心」を忘れる事なく、しっかりと「生」を感じて欲しいと言う願いがあったのかも知れません。自来也たちも「三忍」と言う言葉に深い意味を感じながら生きて来たのでしょう。ある意味、「三忍」を自分に対して使う時は「蔑称」ですらあったのかも知れません。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)と言うヤツですね。

ここで、第366話「兄弟」で、綱手と自来也が居酒屋・酒酒屋でしっぽりと酌み交わした時の会話が蘇って来ました。単身、雨隠れに潜入捜査を申し出た自来也を綱手が止めようとした時の会話です。自来也と綱手の深いつながりを考えるにあたっては実に味わい深い伏線であると感じる会話です。

「ワシは木の葉の三忍だぞ。お前もその意味は知ってるだろ?」

この時は良く判らなかったんですが、綱手が「………」と言葉に詰まった後、目線を右下に追いやり「悪いな…いつも損な役回りを押し付けて」と謝罪していました。綱手はあの時、この山椒魚の半蔵との闘いで、自来也が綱手を庇い、自分の代わりに深手を負った事を思い出していたのでしょう。同時に、どんな時も自分に注がれていたであろう、自来也の暖かな視線(嫌らしい視線も含む…笑)も思い出していた。綱手はどんな時も気遣ってくれた自来也の存在を、ここに来て強く感じていたのです。


つまり、それ程、熾烈な戦いであったと。半蔵とはそれ程、大した忍であったと…。その死線を潜り抜けた三忍。それを見下ろした「山椒魚の半蔵」。壮絶な過去を踏まえた上で、その大いなる忍が用心深く護身しているにも関わらず、たった一人で打倒したペイン。これが力関係の対比であるのだとしったら、ペインって「どんだけ」強いか判らない!と言う事になります。自来也の死亡フラグが一段と強固になったと言う事なのでしょうか。何か辛いなぁ。心が痛いです。

「本当に恐ろしいのは、その容赦無い強い刃の心」

己の理想を脅かす不安分子は徹底的に潰した…倒したのは半蔵だけじゃない。その両親と妻子を殺め、離れた親類や友。その赤子にさえ手をかけた…そして、その住処を焼き払い繋がりのあった里の依頼主たちまで全て殺して…全てを無にした…とおぞましい話をします。「心」の上に「刃」を置くのか、「刃」の「心」にするかで、「忍」と言う言葉は、丸っきり正反対の解釈になって仕舞うんですね。これを、先の三忍と半蔵の回想に対比することで一層際立ってきます。

「裁きだ…まさに神のようじゃないか?」

これを僕はよく喋る下忍の言葉だと受け取りました。ペインの所行を「神」と言って仕舞える考えは危ないと感じました。これは信仰に近い。確かに何もかも投げ出して縋り着く事で楽になる「幸せ」もあるのだろうけど、それは何かを放棄しているともとれます。人が「人」として生きる上で、判断するのは自分自身である事が重要であると思います。そして、大切な事は「心」が決めるべきだと、僕は思います。それを放棄してしまうのは危険な事だと思います。

一方、ペイン。何だか怪しい入り口から薄暗い部屋に入って行きます。寝室のようですが、サンダルも脱がずに、ペイン、アナタ!眠ると言うんですか!!(笑)ベッドの下側に「壱」と書いてあるのが気になったんですが、次の最終頁の見開きで「ドンッ!!」「暁」のマントを着た人形(ひとがた)が「壱」「弐」「参」「四」「五」「六」と六体。一瞬、ここが「暁」の寮か何かなのかな?とも思いましたが、特に「六」の体型は「暁」の誰とも結びつかないし、小南もここに居るはずがない。どう見てもゼツも居そうもないし…(笑)。しかし、6人が横たわっている。

ペインが静かに瞳を閉じて眠りに就いたようです。と、思ったら<パチ>と目を醒ましました。もしかしたら、この六体の全てがペインであるのではないか?!と、僕は考えました。ベットらしき匡体のバイザー(覆い)の上部から何本もチューブが延びるさながら、パソコンのUSBに繋がるデバイスのようでもあります。僕らが知るペインが眠りに落ち、別の一体が覚醒した。そんな描写だと感じました。

つまり、ペインの中身が移動したのか?それとも、何かの情報なりエネルギーを注入したのか?もしかしたら、目的に応じて身体を変更するシステムなのかも知れません。「六体」と言う数字も、これまで「暁」が集めた尾獣の数と符合しますね。このペイン(人柱力)を作るのが「暁」のホントの目的であったりして。でも、それだとベット(らしき)デバイスは「九」までないとおかしいか…。

「善と悪」で考えると「NARUTO-ナルト-」は見え難いです。何故なら、「善悪」と言う概念が「相対」であり「絶対」ではないからです。「善悪」のどちらにも戦いに至る「意味」がある筈ですから。そして、それを決するのは「心」であるべきと、僕は考えています。最近、漠然と思ってはいたんですが、もし、戦うべき絶対的な「悪」が存在するとしたら、それは「心なき存在」ではないでしょうか?「心」を否定する考えは人の「生」を否定するのと同義です。そこにはきっと何もない。それは、虚空そのものです。初めと終わりの戦い。「0」と「1」。ある意味、これは宇宙の成り立ちそのもののようであります。

「さて…侵入者を狩るか」

見開いた瞳は、あの独特な瞳の紋様でした。ペインのあたかも電脳の部品の一つのような描写に薄ら寒い戦慄を感じます。この無表情に「心」のない「痛さ」(ペイン)を感じてなりません。大した情報はないようだし、自来也……今の内に木の葉に帰ったら…。でも、逃げ出す前に、蛙に変えた下忍を元に戻すの忘れないように…ね。「ゲロゲーロ」(笑)。

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カカシとイタチの万華鏡写輪眼の差分解釈

 
「新しい写輪眼だ」

非常に唐突ですが、カカシは万華鏡写輪眼を開眼させていました(31巻/88頁)。我愛羅奪還編で、カカシは粘土鳥に載ってかなり遠距離を飛ぶデイダラの右肘を一瞬で削りとる写輪眼瞳術を披露しています。視覚的にも空間がかなり広範囲に渡って歪んでいる描写でしたし、「何だ…これは!?」とデイダラもその焦点部分の空間の歪みを感じていました。カカシの近くいたナルトも、「何だ、この術ってば…すげェ…」と視界が歪んでいるのを実際に感じて驚いていました。カカシの瞳術は物理的に空間に干渉して削り取る術でした。

「フフ…ま、でも何だ。オレだってまだまだ若いからな。こないだも…
あるスゴ~い新術を開発したんだが。それが…」

第二部が始まってすぐ、カカシはナルトとサクラにこの「新しい写輪眼」の存在を示唆していますが黙殺されています(28巻/50頁)。「…昔は何にでもいちいちリアクションしてくれる可愛い奴らだったのになぁ…」とカカシ先生は一人スポットライト状態でしたね(笑)。お約束と言えばお約束なんですが、カカシはワザとスカされるようなタイミングで言ったのかも知れません。何故ならこれは決して他者には明かさない「奥の手」だからです。

恐らく、第一部と第二部の間の2年半の空白でカカシはデイダラに使用した「新しい写輪眼」=万華鏡写輪眼を取得したものと思われます。少なくとも、第一部後半のイタチ&鬼鮫の2マンセルが木の葉に強襲した時は開眼していなかった筈です。あの時、イタチはカカシの万華鏡を完璧に警戒していませんでした。カカシの眼を「写輪眼」とし、自分の「万華鏡写輪眼」には多少、抵抗はできる程度と評価していました。これまでの描写を顧みてもイタチの対人評価は非常に精密であると思われます。

しかし、我愛羅奪還でカカシ班の足止めにカカシと対峙したイタチ(実際にはペインの象転の術の分身みたいなものでしたが)に「お前の視力………どこまで落ちてる?」と普段、左目を隠している額当てをグイッと上げて、自らの左目をアピールするカカシに、未だかつて見せた事ないような驚きをイタチは示しています(29巻/75頁)。ハトが豆鉄砲でしたね。「カカシさん…アナタ、まさか…」(29巻/76頁)が飛出した"名場面"です。恐らく、イタチはカカシの万華鏡開眼をこの時、疑ったのだと思います。「視力の低下」は万華鏡開眼者のみが知り得る秘密なのでしょう。この時点まで、イタチはオビト=カカシを「万華鏡写輪眼を開眼し得る者」とは考えていなかった。うちは虐殺での「三人になる」と言う台詞はそれを根拠付けています。

時系列的に、カカシの万華鏡を端っからイタチが警戒していなかった木の葉襲撃(イタチ:18歳)はうちは虐殺(イタチ:13歳)より5年も後で、うちは虐殺の時点で、サスケが開眼すれば「三人になる」と言っているのですから、その時点で「二人」…つまり、イタチ以外にもう一人が存在していた事になります。カカシは木の葉襲撃事件でも万華鏡開眼はなかったのだから、カカシが「万華鏡写輪眼を開眼し得る」系譜にはいなかった。少なくともイタチはそう考えていたと言う事です。

「うちは虐殺」の時点でイタチ以外にもう一人、万華鏡開眼者が居たのは事実だと思います。問題はそれが誰か?と言う事になりますが。現時点で「黒幕」のトビ(マダラ?)が怪しいと考えています。マダラが何らかの手段で延命して傷付いたか何かで隻眼になり、今のような外観になっている考えもあります。他にも、神無毘橋に沈んだオビトの身体を流用して、そこにマダラを搭載している想定もあり、外観のつながりを考慮するなら、どちらかと言うと、トビ=オビトが好みです。

ここで、更に突っ込んでコアに妄想するなら、オビトの身体を流用してトビを構築していると仮定して、そこにマダラをどう言う風に「搭載」するかです。ざっくりと分類すれば「眼球」か「魂」のどちらかです。オビトの左目は眼軸ごとカカシに移植されていますから、眼球だけの移植の場合、右目のみが可能だった。これがトビの外観を形作る根拠にもなると思います。また、マダラの「眼」ですから万華鏡は開眼してもおかしくはないです。これは、マダラ→イタチ→サスケと言う「三人」の特別な系譜になるとする考えです。

もう一つが、かなり厄介なんですが、マダラの「魂」をオビトの身体に転生(搭載)させた想定ですが、この場合、トビが「二人目」で万華鏡開眼しているとなると、辛うじて残存するであろうオビトの眼球、或いは眼軸が万華鏡を開眼した事になります。となると、オビトは特別な系譜に含まれる事になるから、カカシも万華鏡を開眼してもおかしくないです。この場合、更にマダラの「魂」が影響しているか?いないか?で変わるし、カカシの万華鏡開眼のプロセスや、「カカシさん…アナタ…まさか」の深層にも大きく影響します。ここは非常に厄介なので後述します。

今度はイタチの万華鏡写輪眼です。このイラストはサスケの回想の写輪眼→万華鏡写輪眼の変異です(25巻/108頁)。シスイの死に疑いを抱くうちはの上役の三人がイタチを問いつめに来た時に、フガクがイタチをかばって、この騒動が収束するんですが、フガクがその前にイタチの万華鏡によって術にハメられている可能性を示唆する描写だと考えています。フガクも写輪眼の三つ巴の(恐らく)後期の覚醒者だったでしょうから、術にハメるにはそれよりも上位の写輪眼が必要だったと考えます。あれは万華鏡写輪眼(第三次覚醒)の「月読」による催眠眼だったと。

「…高みに近付くため」と言うイタチ。「………?何の話だ…」と言うフガク(25巻/99頁)。このやり取りは非常に辿々しというか、ぎこちないです。イタチはこの後、壁に描かれたうちはの家紋をクナイで穿ちます。と思ったら、急に土下座までして謝まってしまいます。それを何故だかフガクがそれをかばっているんです。おかしな流れでした。

ここは百歩譲ってイタチの気持ちが昂るか、自らの「高み」を感じたくなって万華鏡写輪眼を発動してみた。でもそれって子供がちょっとした喧嘩でナイフをちらつかせるのに似てて、イタチの行動らしくないです。イタチはめちゃくちゃスノッブだけど、そんな風に自分の「高み」を表現するかな…?って、僕は疑問に感じています。

しかし、その一部始終を見ていたサスケはイタチの写輪眼の変化を見逃さなかった。あの時、イタチの「月読」を見のがさなかった。その光景がフラッシュバックとなってサスケの回想の中に蘇って来たのです。

カカシの万華鏡写輪眼とは紋様が違います。勿論、イタチが正統である事は明らかです。イタチが見せる万華鏡写輪眼の紋様は概ね上のイラストのようなパターンです。イタチの紋様とカカシの紋様の違いや術の形態の違い…この情報の断片を組み合わせる…イタチとカカシの万華鏡写輪眼の差分から面白い考えに辿り着くのです。しかし、不整合な部分も多いので、もう少し、周辺を埋めて行きましょう。

思い出してもらいたいんですが、蝦蟇口縛りの一件以外、今までストーリー中に出て来るイタチの万華鏡写輪眼はすべて「月読」の使用の描写です。カカシとサスケがその毒牙にかかってメタメタのボロボロにされています(余談ですが、両方とも綱手が呆気無く治療しています)。唯一の「天照」の発動シーンでもイタチの万華鏡写輪眼の模様は描写されていません。完全に秘匿されています。イタチと鬼鮫が蝦蟇口縛りから脱出するカットでも「天照」発動後、チャクラが底を着いたのか、イタチはさっさと写輪眼を仕舞っています。

ところで、「天照」と「月読」とは日本神話の逸話からの引用である事が類推されています。これはコメントでのタレコミ(from Dear Dot...)で判明したネタです。

生還をはたしたイザナキが、身をきよめるための禊をすると、すてた杖(つえ)や衣服から次々と神々が生まれた。最後に左目をあらうと、高天原をおさめるアマテラスオオミカミ(天照)、右目をあらうと夜の国をおさめるツクヨミノミコト(月読)、鼻をあらうと海原をおさめるスサノオノミコトが生まれた。
(ウェブに転がってた記述より)

と、自分でもくぐって探してみたら、そんな感じの記述が転がっていました。「日本神話」の解釈が万華鏡写輪眼の能力に関係しているとしたら、「天照」と「月読」が「眼」に関係するエピソードとして綺麗にハマっています。もしかしたら、これは凄い発見じゃないでしょうか(汗)。

僕らはイタチの万華鏡写輪眼を多く見せられています。確かにイタチは写輪眼の正統な血統であり、万華鏡写輪眼を開眼し得る系譜にあります。それを織込み済みでイタチの万華鏡写輪眼を見ています。逆にカカシは一族でなく、移植によって写輪眼が動いているので、端っからそれが「不完全」だとか、「似非」(えせ)な存在であると思い込んでいる。それは誘因(ミスリード)されているようでもあります。これまで、散々、見せて来られたイタチの万華鏡写輪眼は「月読」でした。対してカカシの万華鏡も開眼の経緯については意見が別れるところですが、あれも万華鏡写輪眼だとすれば…この差分から解釈される考え……それは……。

つまり、何が言いたいかと言うと…(ズズズズズッ…)←呪印の音です。



カカシの万華鏡写輪眼の紋様は「天照」だッ!!

カカシの万華鏡写輪眼の開眼の理屈をどう解釈するかで選択肢も別れるところですが、どんな開眼法や理論にせよ、万華鏡瞳術は発動する術によって紋様が変わると、僕は考えています。それが「万華鏡」の由来であるとも。カカシの万華鏡写輪眼が「天照」と言うのは、カカシの写輪眼がオビトから移植した「左目」だからです。つまり……!!(ズズズズズッ…)←もうッ状態2です(私は鳥になりたい…笑)。



左目が「天照」、右目が「月読」…それぞれにプログラム(術)が格納されている!

カカシはオビトから左目を移植しています。これが何らかの理由で万華鏡写輪眼を開眼したとして、それがイタチがこれまで使用して来た「月読」と違っていたのは、「月読」のプログラムが右目に格納されていたからだと考えられないでしょうか?カカシは左目しかなかったから、万華鏡を開眼しても「天照」しか使えなかったのです。これが日本神話の「最後に左目をあらうと、高天原をおさめるアマテラスオオミカミ(天照)、右目をあらうと夜の国をおさめるツクヨミノミコト(月読)」部分と上手く符合するように思えます。カカシの万華鏡写輪眼は「天照」であり、あの紋様は「天照」の紋様なのです。決して不完全な開眼ではなかった…と言うのが僕の考えです。

しかし、蝦蟇口縛りからの脱出でイタチが放った「天照」の黒い炎をカカシが発動できなかったのは、カカシの写輪眼は隻眼故にシステム的な不完全さがあったのだと考えています。カカシの万華鏡瞳術がデイダラの右肘を削り取っただけだったのは、左目だけの不完全な術の発動であったと。アレは「天照」の術のシーケンスの半分を実現しているに過ぎないのです。恐らく、両目が完備された場合は「地獄の炎」(黒い炎)を左目が切り取り、右目が対象物に当てるようなメカニズムになるんだと思います。或いは、両眼がないとシーケンスそのものが成立しないとか。どっちにしても、その行程は時空間にも及ぶ大掛かりな術で、カカシは努力の末にその一端を発揮できるようになったのです。

カカシはオビトから貰った左目しかないので、その「天照」の削り取る能力のみを使える(引き出している)んだと思うんです。実際の「天照」では異界(地獄)を見通して、そこにある「黒い炎」を切り取って来るのでしょうが、そこまで写輪眼の潜在能力はカカシと言えども引き出せていないのでしょう。写輪眼に合った一族の身体でないが故にチャクラ性質の複合使用はできませんし、陰陽に関しても一族の独自の使い方があると思われます。体質の違いもあるでしょう。如何に天才忍者と言えども血継限界の全てを発揮する事は適わなかったのは当然だと受け取れます。

イタチが蝦蟇口縛りで、今まさに口寄せ蝦蟇の食道の内壁が被わんとする窓の部分を前に目蓋を下ろしチャクラを錬るシーンがあります(17巻/71頁)。多分、一度瞳を閉じたのは通常写輪眼から万華鏡写輪眼への切り替えに必要なシーケンスだと考えています。そして、次にイタチが目蓋を上げた時は、「天照」の紋様になっていた事でしょう。それが、カカシの万華鏡写輪眼と同じ紋様になっていたとすれば、この仮説はビンゴッ!!です(笑)。どうなんでしょうね。本編での披露が楽しみでなりません。

ここで気になるのが、うちはマダラと言い張っている(正確には「うちはマダラの力」ですが)トビの右目の写輪眼です。イタチとカカシの万華鏡写輪眼の差分から導き出した考察を当てはめると、トビは「月読」しか使えない事になってしまう。トビ自身は「暁」の黒幕として君臨しているようですが、能力はまだ完全には覚醒していないようですし、仮面の構造からして左目はないと考えるのが妥当でしょうから、それを補完したいと考えてる可能性は充分あると言えます。

以前、木の葉襲撃事件でイタチは鬼鮫に「カカシさんは連れて行く」(他の人には消えてもらう…ですよ…笑)と言ったり(16巻/159頁)、何度も殺せるチャンスがあったにも関わらず殺しませんでした。もしかしたら、カカシを殺す事ができない理由があるとしたら、トビの補完が目的なのでしょうか?トビの身体がオビトをベースに作られているとしたら、再度、カカシから眼軸ごと眼球を移植しようと目論んでいる可能性があると思います。でも、単に写輪眼が欲しいだけならイタチから奪えば良い事になるし、やっぱり、「三人」にこだわっているんだろうか?

残るはオビトの系譜の問題です。カカシの万華鏡開眼を受け止めるならオビトはその上に在った事になります。しかし、それをイタチは全くと言って良いほど考慮していませんでした。時系列的にも、「三人になる」にカカシはどう考えても含まれていない。うちは虐殺時、既にトビ(マダラ)が存在して万華鏡写輪眼を開眼していて、イタチを導いた…と言う考えは妥当だと思うんです。トビとオビトは全く関係なくて、取りあえず「三人」いれば良いので、その他は考慮しなかったと言う事なのでしょうか?それにしても木の葉襲撃事件でのイタチのノーマーク振りはしっくり来ません。

17歳で暗部入りしたカカシはうちは虐殺時、23歳だった筈です。この時点で、イタチとカカシは共に暗部に所属した可能性が高いです。同じ暗部でカカシと任務を共にこなした、カカシの事を「先輩」と呼ぶヤマトはカカシをして「暗部でも有名」と言っていましたし、「コピー忍者のカカシ」「写輪眼のカカシ」と言う勇名をイタチが知らなかった筈もありません。しかも、それが写輪眼であれば尚更、興味もあったでしょうから自分でも調べたとも思います。そのイタチがカカシの写輪眼の提供者の系譜に頓着がなかった…とするのはどうしてもしっくり来ないのです。つまり、やはりオビトは「万華鏡写輪眼を開眼し得る」特別な系譜の上にはなかった…と、どうしても僕は考えてしまうのです。

となれば、万華鏡写輪眼の開眼要素に別のアプローチが存在する可能性を感じてしまいます。先にも書きましたが、脳内物質の人為的な操作や薬物によるドーピング、或いは改造です。それか、写輪眼のプログラムに基本的に万華鏡写輪眼のプログラムも書き込まれているけど、それが顕在化しないプロテクトみたいなものが存在して、そのプロテクトを外す手段を見つけだしたとか。特別な系譜にあるイタチやサスケはそのプロテクトがない一族の中の更なる選民なのかも知れません。

きっと、写輪眼の仕組みは「うちは虐殺」以降、木の葉の医療部門が徹底的に分析している筈です。あの虐殺で全員死んだとされるうちはの写輪眼開眼者の身体や眼は医療班によって解剖され、特に眼球~眼軸にかける写輪眼のシステムの中枢は摘出され保管。もしくは適応可能な木の葉の忍に移植されている可能性があります。カカシに移植されて正常に機能しているのですから、他の個体でも不可能ではない筈です。移植した写輪眼と言えども、非常に有効な能力である事はカカシの存在が雄弁に物語っています。

もしかしたら、木の葉には写輪眼を備えた特殊編成のスペシャルチームが存在するかも知れません。終幕の前段階で現れて巨大な勢力になったりして…(汗)。死人の眼球は移植できない…となれば崩れますが(笑)、何より、あの木の葉虐殺で殺されたうちはの写輪眼開眼者の死体がそのまま破棄(埋葬か火葬)されるなんてあり得ないです(勿体無いです!)。ここで、ある仮説が…(ズズズズズッ…)←しつこいけど呪印の音です!(笑)



リンは木の葉の医療部門に幽閉されている!

恐らく、リンの存在は九尾クラスのトップシークレットでしょう。

写輪眼の移植に関してリンは唯一の経験者です。木の葉の医療部門が写輪眼を調べるにあたって、その任務にリンを選抜したのは想像に難くありません。これまでの描写で一度として、カカシがリンの安否に関して言及しない事。カカシがリンの九尾事件での戦死の回想をしない事(九尾を恨んでいない)。もっとも大きいのはお墓参りに行かない事実。あれだけオビトの墓には行くのに、リンの墓があったらカカシなら絶対にお参りに行く筈です。なのに、全くと言って良いほどカカシはリンの存在を黙殺しています。リンは存命しているのです。

当然、写輪眼の徹底的な解析結果から万華鏡写輪眼、或いは写輪眼の第二次覚醒以降の拡張に関するデータは解析され、カカシはそれをフィードバック(「似非」と言うの正統な開眼ではない…と言う意味です)している。その情報があったからカカシは万華鏡写輪眼を開眼できたのです。

サスケの里抜けを思いとどまらせようとしたカカシがサスケに「みんな死んでる」と言った顔も実は笑っています(20巻/112頁)。これは描写(の手法)的には「嘘」を意味します。サイの作る「笑顔」と一緒です。しかも、カカシは大人。大人は「嘘」をつくのです。カカシは心の中で「リンは存在しない」と言い聞かせているのでしょう。つまり、リンは木の葉の里のトップシークレットとして里の何処かに幽閉されているか、引きこもって写輪眼の研究を今も継続している可能性があるのです。

十中八九、リン自らの意志で潜っている事と思います。だから、カカシも騒がないし、探さない。そして、リンの存在を微塵も示さないのです。多分、リンもカカシも同じ行動原理で動いているものと思われます。それは神無毘橋で確かめられたつながりの為にある…。そこに根ざす気持ちは強固な友愛の関係性の上に成り立っている二人の使命感に他なりません。

全ては、カカシとリンの………盟友・オビトへの贖罪の為に…。

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第368話「情報収集」

 
サスケ…。イタチの烏分身が<バラバラ>と霧散します。サスケは久しぶりの兄との再会に何を思うのでしょうか?

先週号で分身とは言え、サスケはイタチを瞬殺しました。イタチはこれまでもデイダラをやっつけたサスケの活躍も知っていた事ですから、サスケの成長は充分に知っていた筈です。やはり、自分の目で確かめたかったんでしょうか?それとも、先々週でナルトに言った「大事な用」とは単にサスケに「うちはのアジトで待ってる」と告げる事だったのかな(それだけ?!)。或いは、イタチがサスケの隠し持った術を探りに来たのかな?何だか、イタチっぽくない行動だなァ。

先々週、先週とイタチの行動をつぶさに観察して、唯一感情が顕われたのがナルトの「お前なんかより…兄弟だと思ってる…」と言う言葉を聞いた後でした。あの時のイタチの唇は確かに微笑んでいました。これまでで、数回しかないイタチの微笑みでした。ナルトには「大事な用が(他に)ある」とは言っていたけど、ナルトとの接見が一番の目的だったんではないか?と、僕は思います。イタチは自分がいなくなった後の事を心配しているみたいです。ナルトにサスケを託そうとイタチは考えてるんじゃないでしょうか。イタチの死亡フラグが立ってかなり経つけど、イタチは自分の最期の支度をしてるような感じがしてなりません。

心配になって洞窟の中に駆け込んで来た「蛇」のメンバーにサスケは、「命令があるまで動くなと言ったはずだぞ」と、やや浮ついた感じのある「蛇」をグッと鎮めるような威厳を示します。サスケのリーダーの資質はやはり大蛇丸譲りかな。それともイタチの影響なんでしょうか?どちらにしてもキリリとしてる。サスケは凄い指導者になるだろう予感がします。生来のカリスマ性がある。そして、「オレについて来い」とサスケは言います。勿論、目指すのは「うちはのアジト」です。はてさて、これは何処なのか?と先週から引き摺る軽い疑問です。

先ず浮かんで来るのが、うちはの南賀ノ神社の秘密の地下室。でも、これは過去の回想で何度も出ているけど、「アジト」と言う表現は一度もありませんでした。ここで漠然とサスケに「アジト」と告げて通じるんだから、集会場ではないと思います。サスケもイタチに聞き直したりしませんでしたから、二人が共有する「アジト」が存在する筈です。かと言って、全く新規の場所でもないと思います。これまでの描写の中で既出の場所…。

じゃ、武器を揃えに行った猫バア(店員の女の子が胸キュンでしたね)のところ?これも、猫バアが「兄弟二人になってしまった」と言うような、うちはの「表側」しか見てないような付き合いと受け取れます。それに、猫バアの孫を見るような懐かしそうな視線は、過去のイタチとサスケの微笑ましい光景を思い出しているようで、「アジト」と言う言葉の響きとつながらないです。しかしこれは、その場には「蛇」の他のメンバーも居たのでカモフラージュの線もある。ただ、サスケが代金を支払う時に言った「世話になった…」が、今生の別れの言葉みたいだったので、違う気がしています。

サスケの憎しみが一番沢山残っている場所…。それは「イタチの背中」だと思うんです。足を挫いてイタチにおぶわれて家に帰った想い出。兄の暖かさ。臭い。そんな優しい兄が自分から全てを奪いさった「うちは虐殺」。サスケはそのコントラストに憤怒の炎を燃やしていると思うんです。そのサスケが足を挫いたエピソードの舞台。イタチの手裏剣の修行にサスケが同行した、あの森がイタチとサスケの言う「うちはのアジト」ではないかと、僕は想像しています。恐らくは木の葉の里の内部。そんな場所にビンゴブックに載ってるような二人が帰れるかは疑問ですが、サスケにあの場所に今一度、立ち入ってもらいたい…。そう言う、ちょっと「S」な気分なのです。

一方、雨隠れの里に潜入中の自来也。雨は一向に止む気配がありません。こんな天気が続いたら、洗濯物、大変だなァ(笑)。

「小南…オレが雨を上げたらお前の術で侵入者を捜せ」

やはり、ペインは天候を操る能力者でした。どんな理屈で雨を降らしているかは不明です。ペインの眼の模様が特殊なのはナルトの九尾のチャクラが漏れだした時の瞳の模様の変異と同じとするなら、ペインも人柱力である可能性を感じます。でも、それだと「暁」が尾獣を集め封印している事に反しますから薄いです。この点はキッシーが天候を操る理屈を他のどんな手で説明するのか?が楽しみでもありますね。余談ですが、尾獣で登場していない七尾と八尾。この二つは後半の大きなファクターであると、僕は思います。

もう一つ分かったのが、暁女子の名前。「小南」(コナン)と言うんですね。これまで「クシナ=暁女子説」がありました。それはちょっとやだな…と気を揉んでいましたが、かなり可能性は低くなったと安心しています。これを「全くない」としないのは「ない」ことの証明ができてないからです。証明の世界ではこれを「悪魔の証明」と言うんですが、「ある」は一つでも事実を提示すれば証明した事になりますが、「ない」は全ての要素を検証した上でないと証明できないのです。「ない」事を証明するのは非常に困難な事のです。だから、考察に「ないない」はそれこそ「ない」のです。その「ないない」を、ちゃんと証明もしないで、「何を言っても自由」で片付けてしまうのはちょっと程度が…と言うか…土俵が違うなと思います。僕は考察をしているので…。

「行くぞ」「ああ」

先週号でも気になったのが、小南の「どうした?」でした。ペインと小南の関係性。二人は単なる上司と部下ではないようです。小南がぶっきらぼうでボーイッシュな性格…とする線も残されますが、二人の寄り添い方や雰囲気から察すると、恋人か夫婦のような極めて近しい関係が考えられます。親友でも良いかな。リーダーと他の「暁」の隊員は言いますが、小南は二人きりの時に「アナタ」と呼んでました。二人は対等な関係にあると思います。まさか、兄妹?!姉弟?!そう言う目で見たら似てるような気がする…。

ペインが降らせている雨を止めて、小南が術を発動させます。<ペリペリペリ>と、小南が剥けて行きます(笑)。紙切れになって<バラバラ>と舞い始めて、<パタパタ>と蝶のような形になって飛んで行きました。雨を止ませてから発動させた経緯から、やはり「紙」を使った術の仕組みだと想像しています。まるで陰陽道の「式神」のようですね。「式神」とは簡単に言うと、無生物である「紙」に命を吹き込む事で動かす術みたいなものです。ちなみに、式神の「式」は「もちいる」の意味で、神をもちいるということになり、「式神」という名の神様がいたわけではありません。

しかし、「暁」の忍は皆が皆、人外過ぎる。骨格と言うものがない(笑)。これだと、普通の人としての欲求が期待し難いです。これはナルト世界になべて言える物足りなさなんですけど、煩悩が少な過ぎる。「NARUTO-ナルト-」の忍観を、鬼人・再不斬の「忍も人間だ…心のない道具にはなりきれない…」と言うよな台詞で示していましたし、大蛇丸ですら「探究願望」がその人生を支えていました。ナルトは一楽のラーメンをいっぱい食べたい!とか…。多少の救いがあるけど。としても、「暁」のそれは明らかに外れてる。それが「暁」の行動が解せない理由になっているとも思います。

さて、自来也です。場所は「クラブ・フロッグ」。女ッ気がないようだけど是非とも行ってみたいです(汗)。トトロの猫バスかと思いましたが、蝦蟇の変化でした(笑)。「この辺りは最下地層で店なんかありゃしねーよ」と一人が言ってましたが、狭い土地に建物を積み上げる事で人が住む余地を作り出している人工都市のような形式になっているんじゃないかと感じました。より上層に行く事で地位が高いとか裕福とか、身分(貴賎)の差みたいなものがあるのかも知れません。

「オイ……!ペイン様はこの街の者のために身を削っておれれる。少しは我慢しろ!」

雨を恨むような事を言う相方をもう一人が諌めていました。この雨は雨隠れの里を守る「意味」を持っているんでしょう。二人は額当てをしているから忍である事が判ります。しかも、額当てに横一文字の傷。雨隠れの里の母体は「川の国」で、内戦がつづいて国が分断している。今、自来也が潜入しているのが、その一方と言う事なのでしょうが、傷を入れると言うのは反主流派の証?ペインに対する言葉が敬語になっています。それから考えると、ペインは雨影と考えて良いでしょう。「暁」のリーダーの別の顔なのか?それとも、額当ての横一文字の傷が「暁」を意味するのなら、この隠れ里自体が「暁」と言うことになる。

また、「今日は日曜日じゃないよな?」と言う台詞から、日曜日に雨が降る規則性がある事が窺えます。しかも、「でも他の曜日に降ったことなんて、今までなかったぜ」と、今日の、この雨が異例である事が見て取れます。で、「ペイン様に何かあったってことだ。これから他国へ出かけるのかもしれないな」と言うように、雨を降らせるのが出発の準備のような意味合いがありそうです。「そんだけ力を使うご用事なのかもしれん」と言う台詞からすると、雨を降らせる事で「力」を得る事ができるともとれる。先週号で感知タイプのレーダーかと思いましたが、雨が地面に落ちる事が意味(例えば、雨が落下する事でエネルギーを溜める…発電しているとか)があって、それを侵入者が「遮る」とペインが感じたのかも知れません。

「お前たち、クナイを振り回したところを見ると、下っ端でも一応忍だな?」

「額当てしてるでしょ!」って、誰か突っ込めよ!(笑)既に「クラブ・フロッグ」に入り込んだ雨隠れの二人は自来也に拘束されています。この術はイタチ&鬼鮫の2マンセルが木の葉を強襲して、ナルトに接近した件で、自来也が二人を阻止した「口寄せ・蝦蟇口縛り」か、その応用でしょう。妙木山・岩宿の大蝦蟇の「食道」という、器官のみを部分的に口寄せし、敵をそのまま「胃」へ送り込む術です。「食道」を使うのは「胃」だと消化されてしまうからでしょう。つまり、この術は敵を捕獲・拘束する要素があると言う事を意味する。きっと、自来也は諜報活動のエキスパートなんでしょう。

これまで散々、自来也が言って来た「確かな筋」とは恐らく、こう言う風に自らが危ない橋を渡るようにして情報を得て来た「照れ隠し」だったのでしょう。つまり、自来也は綱手が言うように「損な役回り」をこなして来たのです。綱手は自来也が蝦蟇を使って敵地深くに単身潜入して諜報活動をしていた事を知っていたのでしょう。自来也の「裏切り説」はこれでほとんど払拭されました(笑)。良かった。それは、良かったんだけど、代わりに自来也の死亡フラグが高々と立ってしまいましたね。綱手との暇乞いも充分やったし…。心配だなァ。

「クラブ・フロッグ」の蝦蟇が変化を解いて水路の柵をすり抜ける大きさまで縮んだ事から、蝦蟇の食道は時空間忍術の通路として使っている事が窺えます。潜入の時もそうでした(余談ですが、潜入の時の蝦蟇と「クラブ・フロッグ」の蝦蟇とは柄が違うので違う個体と思われます)。自来也や雨の忍が縮んだとは考え難いですし、「蝦蟇口縛り」も建物とか洞窟の中に食道を召還する仕組みの術だから、自来也と雨隠れの二人は何処か建物内部とかに身を潜めているのかも知れないです。わざわざ、雨を止ませてから発動した小南の術は水中にいれば問題ないかな?と思ったんですが、これだと、あの蝶々に見付かっちゃうかも…。その時は、自来也の火遁で燃やしちゃえ!!

「くすぐる!」

自来也。マイ「羽」を出してます。これは、責め具ですか?もしかしたら、自来也って「ドSの攻め」!?雨忍の二人は食道の内壁に手足を絡め取られてるし…。「質問するのはワシの方だと言ったハズだのォ…」って、これで変なマスクとかしてたら、もう確定ですよ。あんまり凄い事しちゃうと、少年少女に悪影響を与えてしまうから、ここはイビキさんを召還して、頭蓋骨にネジ穴あけたり、爪を剥いだり、奥歯を抜いたりしながら優しく質問して行く方が良いのでは…(笑)。木の葉崩しに時も、自来也と再開したイビキは自来也と懇意と言うか、付き合いがあるような感じもしましたし。でも、もしかしたら、雨のこの二人、くすぐられただけで、ホントにペラペラ喋っちいそうな気もしますね。聞かれる前からかなり核心部分を喋ってるしね…(笑)。

どうでも良いけど、自来也…。死なないでッ!!(汗)

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