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第376話「予言の子!!」


「そろそろ一人で仙人モードに変身できるようになれんといけんで、自来也ちゃん」

これが自来也の「仙人モード」。確かに女の子にはモテなそう(笑)。何でか、鼻が大きく、イボイボになってる。それに、自来也の着地で地面が割れてます。肩の「二大仙人」が意外と重かったりして…。この「二大仙人」が自来也と一体化してるのか?乗っかってるだけなのか?は微妙(笑)。二人が自来也の肩に乗っかってるだけで、実は必死にしがみついてると言うのも涙ぐましくて、僕は好きです(笑)。

「お二人に比べたらまだまだペーペーですんでの」

「仙人モード」は、本来は自来也自身で実現されるべき「力」なのでしょう(理由は後述)が、まだまだ、自来也も修行が足りないようですね。また、これが「もはや人ではない」と言った自来也の真意。この「力」があったればこそ、自来也は単独で敵の懐に赴けたのです。ところで、自来也も行く行くは二大仙人のように蝦蟇の姿になってしまうんでしょうか?

(大蛇丸にしろ、自来也にしろ、"三忍"は独特な力を使うな)

闇の中に息を潜めるペイン。ペインは大蛇丸の真の闘い方(←四尾状態のナルトとの闘い?それか、もっと他の姿があったのかも知れない)を知っているようです。と言う事は、「暁」で対面してる可能性ありです。手合わせもあったのかな?サソリもチヨばあ&サクラとの闘いで「"暁"に入った時のいざこざ」などと言ってましたし、「暁」には入隊の見極めをするシステムみたいのがあったのかも知れませんね。でも、自来也の「姿」は今回がお初。その能力は、ペインにとっても「未知」なのでしょう。偉く静かで、慎重な対応が見受けられます。

「で…どこにおるんなら、その六道の眼は?ワシには見えんがの?」(父)

「歳で目が悪るーなっとるけんの」(母)

「いや、透明化する口寄せ動物の中に入って姿を隠しとります」(自)

「だとするとカメレオン類の奴らじゃの」(母)

「一応、探知結界は張っとるんですがの」(自)

「そんなんではラチがあかん!生物探知でこっちから一気に引きずり出しちゃる!」(母)

「母ちゃん、そーあんまり力入れんなや。また小ジワが増えるで」(父)

「父ちゃんは黙っときんさい!!」(母)

口寄せとは「契約」が大前提ではあるんでしょうが、こんな親近感のある会話が、その「契約」以上の信頼関係を感じさせます。そして、闘いの中にあって、ユーモアを含んだ言葉のやり取りには、内面的な余裕を感じさせられます。きっと、それが「安心感」に昇華してるんだと思います。だから、僕らも安心して観てられるんじゃないか?どんな時だって、独りじゃないんだ…って感じられるから。

「しかし、ワシらを呼んでまで、
何でそがーな奴と自来也ちゃんがやり合わにゃいけんのなら?」

わざわざ、単身、敵地深くまで出向いて、自分達を呼ばないといけないような闘いを、何故、自来也が敢えて行っているのか?"頭"には、それが気になったのでしょう。賢き子が何故、この場に身を置くのが解せなかった。この言葉には"頭"の思慮の深さを感じます。その態度が、"姐さん"との位置関係も上手く説明しています。キッシーはいつもながらネーム(台詞)が冴えてる。細かな部分にもしっかりとした整合性を感じます。この緻密さに、僕らは魅了されているんだろうな…と、改めて感じました。

「ワシのかつての教え子でしての…」

自来也も肝を据えたような雰囲気を漂わせます。自分は「その為に、ここに居るんだ!」…そんな決意が見て取れます。気持ちは見えるんだなぁ。自来也は、見えないペインを真直ぐに見据えます。自来也の、その視線はブレてない。正に「不惑」の50代(笑)。こう言う熟年になりたいものです。この言葉に対しては「二大仙人」が予想以上のリアクション。

「!」「!」

両肩の蝦蟇が一斉に自来也を窺います。ここに来て、二大仙人が始めて驚きました。"頭"の方は取り乱しているようであります(汗)。二人にも事の重大性が理解できたのです。逆に、ペインが二大仙人が驚くような存在であると言う事でもあります。そして、これは予想していた事態。それを二人も恐れていた…。

「そんな奴がおったとは聞いとらんぞ!…ほんならそいつも―」

ここは引っ掛からせて下さい。「そいつも」の「も」に…(汗)。ペインが「そんな奴」として、他にもいる(いた?)事になる。自来也の明かされない過去に何度か呼ばれている「二大仙人」。その都度、「騒がしい」場所であった。自来也の「教え子」(弟子)には何かしらの意味がある…。それは、この後に知れる事になります。

「予言の子……か!?なら…何でお前が闘う?」

「予言」があった(…事になる…なってる…汗)。後出しですが、ノストラダムスに代表されるように、予言とは常に「後出し」です(笑)。例えば、自来也が第二部の始めの方で、悪夢に魘されて、「予言」の「よ」の字でも言ってれば良いんですが…。完璧を望むのは酷か。切りが無いですからね。

しかし、"姐さん"。「ごっつ」の大仏おばちゃんに似てる(笑)。"姐さん"の「何でお前が闘う?」と言う問にも隠れた部分を感じます。「予言」と「(闘うに足る)理由」。未だ明かされていない大きな「謎」が、そこには横たわっている。それが邪魔して深層が拝めないでいるのです。

「どうやら正しい方向には成長しなかったようでしての。
…それにすでに死んだと聞かされていまして…この子ではないと思い込んでました」

自来也の「この子ではない」にも引っ掛からせて下さい(笑)。他にも居る…。自来也の弟子と言えば、ミナトもそうだし、(三大目の回想の)大仏と黒目がちの女の子。それに小南と弥彦。……そして、ナルトです。その他にも居るのかな。自来也も、まだ何かを隠してる…ようですね。

今にして思えば、自来也にとってミナトは特別でした。あの「ナルトの鍵」もそうでしたが、その秘密のあちこちに蝦蟇の口寄せが深く関係しています。がまブン太ともミナトは契約を結んでいましたし…。それに、自来也は未だ語っていない過去がある。それは所々(肝心なところが…)、抜け落ちたジグソーパズルのようです。そこに綺麗にハマるピースを僕らは探している。果てしなく続きそうな考察です。

「どちらにしろ正しくなけりゃ殺さにゃいけん!」

もう謎だらけです(汗)。「正しい方向」です。「正しい」と言うのは、何に対して言っているのか?と言う一点。「正しい」か否かを決する権利なんて誰にもないと、僕は思うんですが、何をスタンダードにして自来也は「正しい」と言うかに、僕は激しく疑問を持ってしまいます。自来也や二大仙人(特に"頭")が、その存在を(一方的にとも思えるほどに)否定するような「敵」の存在。ここにも、まだ明かされていない「秘密」の臭いを感じます。

「まあ、あの予言は大ボケじじいの戯言じゃ。気にすな!」

"姐さん"の語気はキツイ(後述)。こう言う、おばちゃんは苦手です(笑)。そして、「大ボケじじい」の存在。後出しばっかでスミマセン。じゃんけんだったら「負け」なんですけど、その分、回想でしっかり描いていますので…(汗)。それに数話前に取って付けたような「伏線」があるのもアレだし、これは、キッシーの「潔さ」と言う事で、グッと飲み込んで下さい(笑)。

<ズズズ…>「ほんなら行くで!」
<クンクン>「見つけたで」
<プク><ググ…><ビュン>
<シュルルルルル>「捕まえたで!」
<バババ><ジュウゥ…ジゥウウウ…>「ギャギャウ!!」
<グイ><ズン>「父ちゃん!」
「オウ!」<ドッ><グイ>
<ギュン><ドドドド…><ズバッ><ボン>

多分、この擬音だけでは何だか判らない筈です(笑)。詳しくは誌面を参照して下さい。

役割的には"姐さん"が探知・索敵担当で、"頭"が攻撃・殲滅担当で、掛け合い以上に、二人の役割分担は阿吽で連係が良いです。充分な「力」がある二人が自律して行動できるから、自来也も独自の行動が可能になる。しかも、三者の連係があるとしたら、これは相当の脅威と言えます。それは、いとも簡単にペインの口寄せを排除した描写からも明らかですね。

「アレが輪廻眼か?確かに伝説に聞く眼と同じじゃのう」
「嫌な眼じゃ…この子が、あの予言の子だとはの」

カメレオンが殺られ、そこにはペインが立っていました。ペインは単に口寄せの一体が殺られただけ…。別に思い入れのない道具が刻まれただけで、何の感情(反応)もなく、そこに佇んでいます。そして、ペインは「予言」の子です(?)。二大仙人が危惧するような「予言」。その説明がこれから始まります。

かつてない強敵を見据えながら、お待ちかねの黒バックの回想に突入です(汗)。

仙人モードの自来也から、若き日の自来也にフェードインして行きます。

聳え立つのは、恐らく「妙木山」。名前の割には樹木の少ない殺風景な風景です(ちなみに、タレコミで知らされましたが…このモチーフは『大蝦蟇に乗って妖術をあやつる"児雷也"』らしくて、『越後妙高山の仙素道人から蝦蟇の妖術を教わった…』と言うようなお話が残っているそうです。"妙木山"は"妙高山"なのかもね。くぐってもないわけだ…)。自来也が修行を積んだ蝦蟇の総本山でしょう。

「自来也、大ジジ様が呼んどる。すぐに行け」

既に鼻ピはしていますが、非常に若き日の自来也です。「大ガマ仙人が…?」と、問い返す相手は、これも若き日のがまブン太でした。ブン太のガタイが偉く小さいです。どのくらい前なんだろう。自来也は今のナルトと同じくらいかな。13~15歳くらい(と言う事は40年ほど前のエピソードか?)。血の涙…自来也の隈取(くまどり)も、かなり短いです。

「お前への予言が出たんじゃ!」

若き日のブン太が自来也に告げます。二人はこの頃から友達か兄弟のような関係だったんでしょうね。そして、「予言」。その言葉に自来也はホントに嬉しそうに「…それホントか!ブン太!」と、応えています。待ち望んで居たように拳をグッと握りしめていました。

「お呼びで」<スッ>

自来也は神妙な感じで平伏しています。この仰々しさには、相当な身分の違いを感じます。その前に「仙」の文字。何やら、仰々しい雰囲気が漂いましたが、自来也の目の前に鎮座していたのは、でっかい「ヨーダ」(笑)…大ガマ仙人でした…(笑)。首に「油」の文字の入った大きな首飾りをしている。皺だらけの大きな年老いた蝦蟇でした。その前には右に"頭"、左に"姐さん"」が坐っています。

「おお、よー来た!よー来た!えーー……誰だったかいの?」

軽い「お約束」に、「大じじ様。自来也ですじゃ、自来也!」と、"頭"が良い感じでフォローします。この頃から"頭"はおじいちゃんでしたね。そして、自来也を擁護する存在。"頭"の言葉の端々には自来也に対する愛情を感じます。自来也に見るところがあるのか、単にウマが合うのかは分りませんが、"頭"の態度は酷く自来也に暖かいです。常に自来也に対しては「ちゃん」付けで接してますよね。

「おお…そうじゃった!そうじゃった!大きぅうなったのう…」

大ガマ仙人が「大きぅうなったのう…」と言う事は、自来也の体躯が伸びるほどここに居た事実…時間の経過を意味します。自来也のアカデミー卒業が6歳。そこから三代目(猿飛)に師事して、綱手や大蛇丸と修行した後のエピソードの筈ですから…ある程度、力を付けてからの事だと思います。妙木山でかなりの時間経過がある?具体的には、大きくなったんだから、1年~3年程度のスパンはあるんじゃないかな。

「ったく自分で呼んだくせにのう。この大ボケじじいが!」

そして、この"姐さん"の言葉に、大ガマ仙人と"姐さん"の「直系」を感じています。つまり、"頭"は「入り婿」と言う関係。妙に"姐さん"が幅を利かせてるのも、それなら納得行きます(笑)。"姐さん"は大ガマ仙人の実の子供(娘)だから、ここまで踏み込める。これは、血の繋がった近親者のみが持つ間合いじゃないかと…。でも、この態度にも大きな「意味」を感じます。この機微から二大仙人と自来也の関係が見えて来ます。

「母ちゃん。大じじ様に向かって大ボケじじいとは何じゃ!
大ボケじじいとは!!」

これを、"頭"が諌めています。このタイミングは絶妙で、"頭"と"姐さん"のバランスの良さを感じてなりません。そして、これは自来也に対するスタンスにも適用されていて、擁護派の"頭"と、スパルタ派の"姐さん"と言う感じに、自来也を猫可愛がりしないようなシステムになっている点です。

血の繋がりのない子供と接した時の「哀れみ」(と言うか、責任感のない優しさ…かな)に囚われず、かと言ってよそよそしくもならないよな、「柔」と「剛」で優しく包むような関係を二人は作り出しているのだと思います。僕は、この部分に"姐さん"の思慮深さを感じてならないのです。それは、大きな優しさと言い換えても良い。

僕は(生物学的な繋がりの)「親」の愛情と言うものをあまり知りませんが、それでも育ててくれた「親」は居ます。だから、"頭"と"姐さん"の関係は、非常に良く解る。彼らは僕の「親」にとても似ている…から。これは、今だから言える事だけど、僕は二人の掛け合いを酷く懐かしく感じてしまいます。胸の奥が、何だかむず痒いです…。

そしてこの状況は、優しく思慮深いとも思える"頭"のリードではなく、先行独走するかのような強硬さを感じる"姐さん"が背面でリードしている。"姐さん"のあからさまに繰り出されるぶっきらぼうな態度が、その"返し波"のように感じるのです。"姐さん"は"頭"の自来也への接し方を見て取り、自分の役割を充分に認識している。そして(無意識かも知れないけど)、上手にバランスを取っているのです。

この夫("頭")にして、この妻("姐さん")あり!なのです。物事を俯瞰し、大局を見据える態度と言う点で、"頭"も"姐さん"もタイプこそ違えど同じステージに居ると言えます。この二人に見守られて育った自来也。これは幸せな事です。自分が生きている限り、誰かに見守られている事を常に感じて欲しいです。そして、それを大切にして欲しい。それが人の「成長」を支えている事を心に刻んで欲しいです。

「コラコラ、ケンカはいけん。夫婦は仲よーな」

心なしか、大ガマ仙人が微笑んでいるように見えます(デフォルトがこの顔かも知れん…)。"頭"と"姐さん"が良いバランスで番(つがい)を造っている様を喜ばしく思っているのではないでしょうか。表面的に、窘(たしな)めているように見えて、実は褒めている。大ガマ仙人は二人の関係が自来也を包んでいる事を感じ、安心している…そう言う、空気を感じます。まるで、この広間は暖かな家庭の「食卓」のようでもあります。

「ところでそこの…誰じゃったかいの?」

これは高度な技術です(笑)。「天丼」とも、「カブセ」ともとれる、熟練の芸人(一部、ナチュラルに生み出せる"天然"が存在しますが…)のみが為せる技と言えます。一応、自来也は目が「点」になってるんですけど…いつもの事なのか、"頭"は黙殺してスルーしています(笑)。「スカシ」も高等技術ですから…しかし、この蝦蟇たち。何の道を極めてるんだか(汗)。

「自来也ちゃんよ。大じじ様はお前の夢を見られたんじゃ。
お前も知っての通り、これは予言じゃ。心して聞けい」

大ガマ仙人の「予知夢」=「予言」。この「予言」を自来也は待っていたのかも知れません。がまブン太に告げられた時の喜びはこれに当たるのではないかと思います。「ハイ!」と、自来也も神妙です。"頭"の言葉も相応に重々しいものでした。

「では伝える…ワシの夢ではエロいだけのお主もいずれは立派な忍になる。
それに一人前に弟子を持つことになるのじゃが…
(エロいだけって…そういうことはしっかり覚えてるんだから、ったく…)
その弟子は将来、忍の世に大きな変革をもたらす忍になる。夢ではそう見えた」

多少のお約束はありますが、自来也が立派な忍になって弟子をもうける。これは的中しています。そして、その弟子が、「忍の世」に大きな「変革」をもたらすと「予言」は暗示しています。

自来也はこれ以降、この啓示に従って行動したのだと思います。だから、あの時…長門たち難民を引き受け、生きる「力」を伝授した。長門の優しき「心」を信用した上で…。自来也は弟子を取る時に、常にこの「啓示」を思い返していた。正しく成長してくれる事を願いながら…。「自分で考える」と言う言葉はそれを示唆していたんじゃないかと、僕は思いました。

「変革?」

自来也は、「変革」と言う、言葉の重さを見逃しませんでした。

「世にそれまでにない安定をもたらすか……破滅をもたらすか。
そのどちらかの変革じゃ」

大ガマ仙人の予言は漠然としています。「夢」とは抽象的なものですから…。この時も、正反対のベクトルの結果を提示しています。どちらにしても、その絶対値は大きい。それが良き事でもあるかも知れないし、悪しき事かも知れない…予言の行く末は両極端です。

「どちらかって…?どういう事ですか?」

これじゃ、どうして良いのか判らない筈です(笑)。具体性と言うものが無い。しかし、これは「成長」を「どうするか、自分で考えること」と長門に教えたのに似ています。つまり、この予言の意味を理解する為に、自来也も成長して行かねばならないと言う事ではないでしょうか。

「お主はその変革者を導く者じゃ。
いずれお主には大きな選択を迫られる時が来るじゃろう」

二大仙人や大ガマ仙人が自来也を見守る…これがその理由と言えます。自来也の存在は世界の行く末に関わるような大きなものだったのです。自来也は「変革者」を導く存在。この運命があればこそ、自来也はここに居るのだろうし、行く行くペインとも対峙する事になる。

「選択?」

美しき言葉は「韻」を踏むものです。「変革」(henkaku)に「選択」(sentaku)です。「美しい」と言う事は「自然」である…と言う事です。つまり「偶然」ではなく「必然」と言う事。そして、それを「運命」と言います。

「その選択次第で、世の変革がどちらに転ぶのか決まってしまうのじゃ」

自来也は大きな運命の中に居る自分を感じたと思います。それを、この齢にして知らされた。非常に残酷な予言だったとも言えます。しかし、自来也はその重さを必死に受け入れようとしている。そして、自来也の背中を支える「力」もあった。二大仙人や大ガマ仙人の優しき視線がそれです。

「…ワシは…どうすればいいんですか?…正しい選択するには!?」

この自来也の質問には大ガマ仙人も応えませんでした。これはもう自来也の運命だから…。自来也に判断させるべき問題だと判断したのでしょう。ただ、夢の続きがあったのか、大ガマ仙人は自来也にそのヒントを与えます。

「夢では世界を歩いて本を書いておったのう」

その「本」が「イチャイチャシリーズ」なんでしょうか?(笑)「本…?何でまた?」と、自来也もこの時、自分が執筆活動をするなどとは考えても見なかったようです。フフフ…将来、自来也は綱手にフラれて、それをネタに18禁小説を書く事になるんです(笑)。「イチャイチャパラダイス」「~バイオレンス」「~タクティクス」と続く三部作を…。

「ワシにも理由は分らんがの。
世界をめぐり森羅万象を見て回るということじゃろうか」

森羅万象ね…(笑)。自来也にとっては「恋愛」が全てだったのかな?でも、若き日は恋愛がほとんどですから…(汗)。「大じじ様の予言…今までにハズれた事は?」と、自来也は恐る恐る問います。自分にそのような重責が課せられるとしたら、誰だって躊躇します。ハズれて欲しいと思いますもの。

「無いのォ…それにこの妙木山に一人の人間の子が迷い込む…
その子に蝦蟇の力を与える…それがワシ自信のために見た夢…予言だったんじゃ」

大ガマ仙人も自分の運命を啓示されていたんですね。そして、それが自来也との出会いであった。大ガマ仙人も自来也に関与する「天命」を帯びていたのです。「迷い込む」と言うと偶然みたいに感じますが、自来也は「呼ばれた」のかも知れません。或いは、妙木山が自来也に近付いた…別に山が歩くわけではありませんが、運命とはいつも、そう言うもので、「必然」を含有しています。

そして、「蝦蟇の力」を与える。それが「仙人モード」。自来也は大ガマ仙人から「力」を託されたのです。これを契機にして、自来也はこの「力」を礎に急成長を遂げる事になるのでしょう。木の葉の里で自来也と行動を共にした(稀代の大天才と言われた)大蛇丸は、この自来也の「力」を生々しく感じ取ったと思われます。三代目に師事して共に学んだ頃の自来也にはなかった「力」。なかった「自信」。これは、ナルトが九尾の「力」を発揮してサスケに大きな劣等感を植え付けたのと似ています。

自来也の中の得体の知れない「力」に、大蛇丸は焦りを覚えたんじゃないでしょうか?そして、「闇」に魅入られて行った。サスケが里を抜けたのと同じように…そして、ナルトがサスケに負い目を感じるように…大蛇丸に対して、自来也は自分の存在(運命)に責任を感じているのです。自分に課せられた運命が大蛇丸を追い込んでしまった事を…。しかし、自来也は大蛇丸に対しては「仙人モード」を使う事はなかった。それが自来也の慮(おもんばか)りだと、僕は信じています。

大ガマ仙人の言葉が、「仙人モード」の自来也にフェードバックして行きます。

(大ガマ仙人よ…まさしく、これが選択の時ですかの)

自分の眼前に立つかつての弟子。「安定」と「破壊」のどちらかをもたらす可能性を秘めた存在だった。六道の眼を持つ逸材。優しき心。自来也は少なからず…否…大きな期待を込めて「皆伝」とした筈です。その結果を、自分の目で見極め、自分自身の手によって幕を引かねばならない。その為に、自来也はこの場に居るのです。

「口寄せの術…」<ボン>

ペインは執拗に口寄せを使います。と言うか、このペインは「口寄せの術」しか使えないんじゃないか?(と言うタレコミもありました)ペインの「寝室」(?)に横たわる六体の人形(ひとがた)がありましたが、これは、それぞれが「特化」した能力者であるとする「疑惑」です。そして、今居るのは、その内の一つ。恐らく「貳号」(笑)。そして、召還された「暁」のマント姿の二人。多分、あの「寝室」のどれか二つです。上手に「顔」を隠してますね(笑)。

「!」(今度は人間の口寄せか)

「主流忍術全てに精通した力を持ち…十歳にしてあらゆる術を使いこなした…!」と言う能力からして、この「貳号」(?)の行動には、自来也も違和感が拭えません。「侵入者を殺すためにこの体で出張ってきたんだ」(第371話「旧知…!!」)で、ペインが言った台詞も繋がらない。この疑問の向こう側に(システムとしての)ペインの秘密を紐解く「鍵」が潜んでいそうです。それを心の端に置きつつ、召還された二人(二つ)の闘い方に注目してみましょう。

「お前は破滅をもたらす者だった…ならば、ここで倒すのが師の役目だの…」

堅い事、抜きにすれば、ペインは「悪者」です(笑)。自来也に「予言」があり、それに従ってこれまで行動してきた。雨隠れの難民を自来也が受け入れたのも、その「予言」に応えた結果と言えるでしょう。

自来也が弟子を取る事を拒否しなかったのは(かつてない)「安定」をもたらす者を生む可能性を否定したくなかったからです。

つまり、自来也が弟子を取る事は「導く者」としての使命でもあったのです。

だから、堅い事、抜きにして(笑)、ペインが失敗作(?)だったとして、自来也の行いの全てが否定されるわけではありません。何故なら、自来也はミナトを育てました。そして、その行いがナルトを生む「芽」になってもいます。そして、自来也はナルトも正式に弟子入りさせてもいます。それは、自来也の「希望」でもあった事でしょう。ミナトが果たせなかった「目的」を成し遂げてくれるかも知れない…と言う。

自来也→【ミナト…親子関係…ナルト】

僕はこの師弟関係に期待しています。【ミナト…ナルト】が「予言」が暗示する「世にそれまでにない安定をもたらす(者)」である可能性にです。そして、そこを深く見つめると、「九尾事件」でのミナトの行動に至る自来也とミナトの考えの『真の姿』が浮き上がって来ます。ミナトは自来也から妙木山での予言を知らされてたんじゃないでしょうか。つまり、自来也の弟子である事が何を意味するかと言う事を…。だから、ミナトは……(詳しくは、別の考察にて語ります。来週アップの予定です)。

だから、ミナトはナルトを遺した。

そして、ナルトに『九尾』を託したのではないかと…。



 
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飛段

 
飛段の「不死」のメカニズムは未だ不明のままです。シカマルの執念の知略によって、今は奈良家の森の地中深くに沈んではいますが、ホントに飛段が、死んだかどうかは余談を許しません。

飛段は、何故、死なないのか?

もしかしたら、キッシーはこの「秘密」をこのまま説明せずに、放置するつもりなんでしょうか?まさかッ(汗)、キッシーは、それを…お墓まで持って行くおつもりなんでしょうか?(笑)仕方ないので、飛段の「不死」の秘密を、妄想と考察を織り混ぜて、ガッポリ!!掘り下げて考えてみましょう!

「いやー、やる方だよ。アンタさ」

飛段の初登場は確か、角都とコンビで「二尾・猫又」を宿す雲の国の二位ユギトと交戦するシーンだったと思います(35巻/63頁)。飛段はかなり良い男で、速攻、ハマった女子も多かったですね(笑)。眉が(スッゴク)綺麗な、オールバックのイケメンでした(「ジュルッッ…」←何で!!)。もろ肌に「暁」のマント。着こなしがイケてる!もろ肌…(「ジュルッッ…」←何で!!)。ちょっと、ホストっぽい?お金、かかりそう?

「オイ、飛段。こいつは"二尾"の人柱力だ。気を抜くな。死ぬぞ」

一緒に居る角都が結構、爺臭いから、若者っぽくてノリの軽い飛段が一層、際立ったんですよね。でも、やっぱ…男は「顔」なんだな…(汗)。神様って不公平だな。ちなみに、飛段は殺戮をモットーとする「ジャシン教」の信者という事になっています。このシーンでは、角都はかなり若く見えましたが、とんだ年輩だと言う事が行く行く解ります。近々、角都も考察にまとめますので、詳しくはそこで語りましょう。

「それをオレに言うかよ。どうせなら殺してほしーよ。ホント」

これが、飛段の「不死」を暗示する台詞だと気付いたのは、もう少し後の事でした(笑)。あまり関係ないですが、飛段はかなり饒舌に喋ります。口数が多いのは忍者としては圧倒的に不利です。しかし、飛段の、このシャベリが将来、自分の墓穴を掘る事になろうとは、誰が予想だにした事でしょう。いつの世も『雄弁は銀。沈黙は金』…なのですね。

結局、飛段角都コンビは二尾・猫又を呆気無くやっつけちゃいます。詳しくは、アスマ殺害のエピソードで明かされるんですが、描写的には飛段がユギトを拘束(殺さずに捕まえた)したようでしょた。気になったのはユギトを仕留めた後、例の魔法陣に横たわり30分近くも飛段が「儀式」に時間を費やしているところ。角都も文句を言いながらもそれに付き合っています。飛段にとっては大切なシーケンスなんだと思います。飛段の胸(心臓の辺り)には長い杭がブッ刺さっています。

飛段と角都のコンビは非常に強力で、木の葉(火の国)の守護刃十二士の「地陸」を擁する火の寺もチョチョイと捻ってしまいます。やはり、地陸をやっつけたのは飛段のようで、気持ち良さそうに(笑)、魔法陣に仰向けに眠るように休んでいます。ユギトの時と同じように、胸には長い杭が刺さっています。角都に促され起き上がりますが、飛段も「痛って!!」と言ってました。胸に刺さった杭は、やっぱり痛いようですね。でも、決して飛段は死なない(汗)。

「すでにてめーは呪われた…。これより儀式を始める…」

アスマの「血」をぺロッと舐めてツートンの髑髏に変身した飛段(36巻/77頁)。このシーンで飛段は半数のファンを失ったと聞きます(笑)。(これで三千五百万両もいただきだ)と、(お金に酷く執着のある)角都は、この時点で飛段の勝利を確信しています。飛段の必勝パターンなんでしょう。相手の「血液」を取り込み(舌で舐める)、自分の血で書いた「魔法陣」(?)の中で、自分を傷つける事で、「血」を取り込んだ相手に同様の「傷」を与える…と言う何とも回りくどい攻撃を、飛段は用います。

「ゲハハハハハアァ!これで全ての準備は整った!」
「むちゃくちゃ痛てーから覚悟しろよ!!」

飛段は懐から長い杭を取り出し、魔法陣の中で「ドS」っぷりを披露します。それに加えて「受け」ですから…。これはもう「どんだけーッ!!」の性癖です(笑)。魔法陣の中に居る間は対象者(血を取り込まれた人間)とは全てがシンクロするようです。飛段はその仕組みを利用して、自分を傷付けることで、対象者を攻撃するのです。どんなに自分に傷を付けても不死だから死なないですから…対象者だけが死んでしまうのです。この「魔法陣」が飛段の術の秘密の多くを握っているのだと思います。そして、魔法陣内での事後の長い「瞑想」にも意味がありそうです。

飛段はは何故、死なないのでしょう…。

シカマルの必死の情報分析で、飛段の自傷による攻撃は○△の「魔法陣」(?)の中に居る時だけ発動する事を見抜かれ、シカマルの「影まねの術」によって、魔法陣から押し出され、飛段はアスマの「飛燕」の餌食になり、首を刎(は)ねられています。この時ばかりは、流石に「死んだ!!」と思いましたが、飛段は死ななかった。首を刎ねられた頭だけでも生きてましたし、髪の毛を角都に持たれて「痛い!!」と怒っていました(笑)。

注目したいのは、この時、首を刎ねられた頭だけが稼動している事。残された身体は動かなかった事。ここは大きなヒントだと思います。頭は胴体とくっ付いていなくても動いた。言葉を喋ったり、痛がったりした。考える事もできました。「頭部」は飛段にとって非常に重要なパーツだと言えると思います。あの時、アスマが首を刎ねるのではなく、真っ向空竹割りに頭からまっ二つに飛段を両断していたらどうなっていたんでしょうか?

「コラ角都!体だ!!体の方を持って来いっつったろーが!」

角都は飛段の刎ねられた頭を髪の毛を鷲掴みにして持ちました(36巻/113頁)。角都は「こっちの方が軽い」と嘯いていますが、角都は飛段の「頭部」が大切なパーツである事を知っていたんじゃないでしょうか?…角都は、飛段の「不死」のメカニズムを知っていたんじゃなかと、僕は疑っています。

「一度、手を貸せと言った以上、ここからはオレもやる」

角都が飛段の頭と胴体を縫い付けました(36巻/119頁)。角都は誰かが「医療忍術」と言っていましたが、デイダラの腕を繋いだり、この時も飛段の首と胴体を繋いだり、「暁」のメンバーを治療(?)したりしてます。デイダラの腕はカカシの万華鏡瞳術で欠損した肘の部分を、デイダラの「粘土細工」で保管して、残った手首と肩を縫い付けたようでした。デイダラも身体は恐らくほとんどは自らの粘土によって作られた人造人間だったのだと、僕は考えています。それと同じような治し方で飛段も身体を修復している。それで、問題なく動いていた…(汗)。

「あー、やっとくっついた」<ゴキゴキ>

頭と胴体が繋がる事で飛段の身体は動きだしました(36巻/120頁)。ただ、太い糸(ヒモ)みたいので縫い付けただけですよ!!(笑)身体だけだと動きませんでしたから。少なくとも飛段が活動する為には「頭部」と繋がっている必要があるのだと思います。飛段の場合は、臓器の機能がどうとか、心臓がどうとかは問題じゃなくて(笑)、指令を出す「頭」=「脳」が重要なのでしょう。それは生命としての有機的な働きではなくて、細胞が持つ機械的な働きだけが稼動しているような感じがします。

「やっと、あの痛みを味わえる…てめーを殺す痛み」

飛段は痛みを感じることができる(36巻/129頁)。これも大きなヒントになると思います。

「痛い」けど死なない。飛段の不可思議な人体にあって、神経系(脳や痛覚)だけは機能していると考えて良いでしょう。神経系とは、普通は電気信号が流れる経路なんですが、飛段の場合はチャクラが通う通路みたいな感じかも知れません。首を繋いだ時に大雑把にでも神経も触れあうとかして、チャクラの通路が確保できたんじゃないでしょうか?

また、飛段は、どんなに大量に出血しようとも死なないです。つまり、飛段にとって血液は大した意味もない体液なのです。流れ出して、斬られた事を知る…演出効果に近いのかも知れません。血液が機能していないと言う事は、血液が栄養や酸素を各細胞に運ぶ必要もない。だから、飛段は食事もしなくて良いし、もしかしたら、呼吸すらしていないんじゃないでしょうか。

神経が通っているから「痛み」を感じる事ができる…

飛段は「痛み」を感じる事でのみ、自分を感じることができるのだと、僕は考えています。それが飛段の唯一の楽しみなのだと…。「ドSの受け」とは飛段の為にあるような言葉です(笑)。

「き…きもちイイ…」

アスマを殺害した飛段がその余韻を愉しんでいます(36巻/136頁)。シカマルの善戦虚しくアスマは戦死。しかも、飛段・角都の追撃は厳しく、シカマルやイズモ・コテツの命も危ないところでしたが、黒刀のライドウ(笑)らが救援に駆けつけます(烏使いのゴーグル眼鏡もカッコ良かったですね)。それでも飛段・角都は怯みませんが、ペインの鶴の一声、三尾を封印する為の召集で「帰還」を余儀無くされます。しかし、この時、あっさりと従った角都に対して、飛段はかなり強硬にペインに抗っています。

「もう少し、待ってくんねーかなァ…これからがいいとこなんだ。ホント」
「だから、言ってんだろ…もう少しだけだってよ!」

かなり未練がありありの飛段(36巻/149頁)。「あのクソリーダー、今度呪ってやろーか」と、飛段も悪態をついていました(笑)。この描写で、飛段には対象者を殺した後、魔法陣で横たわって、やっつけた対象者と繋がる時間が必要なんじゃないか?と、僕は考えました。これまでもそうでしたが、「儀式」と言いつつ、これは飛段の食事のようなシーケンスではなかったかと、僕は考えています。

飛段も現実問題として、血を流し、体を削り、闘っています。明らかに消耗している筈です。しかし、飛段の血や肉にはそれ程の意味はない。どれだけ流出しても死ぬ原因にはならないのは、機能に関係ない。つまり、細胞も各臓器も組織も、通常の生命活動をしていない。だから、飛段は何かを食べたり飲んだりする事では補給できないんです。そろそろ、僕の言いたい事が解った人も居ると思いますが…。

飛段はそもそも生きていない。もともと『死人』だから、死なない!!

どう考えても、飛段は生きていないです。単に動いてるだけです。多分、飛段は、他者から奪ったチャクラや生命エネルギーのみで動く『死人』です。ただ、脳は指令を発し、神経がそれを伝え、筋肉が動く…と言う、機械的な人の仕組みだけは遵守している節を感じます。特殊な呪術か、細胞の働きによって、蓄積したチャクラや生命エネルギーの続く限りで活動できる…文字通りの「ゾンビ」なのだと思います。構造的な説明としては、脳細胞が特殊で、それがチャクラを備蓄し、そのチャクラを動力として「考え」(=心)を取りまとめ、身体に指令を出して動かしたのではないかと考えています。

そのチャクラか生命エネルギーの補給が、事後の「儀式」なのだと思います。だから、突然のペインの召集には必要以上に憤った。「クソリーダー」とまで言ってしまった。それは大切な食事の時間を邪魔されたからです。気が短かったり、かなりせっかちな性格の飛段が、殺戮の後の「儀式」に時間をかけるのには違和感が拭えませんでした。裏返せば、これは飛段にとって非常に重要な時間である事を意味するのではないでしょうか。

実際、飛段はチャクラを錬って「術」を発動する描写はありません。水面歩行とか、木登り(足の裏にチャクラを留めて登る…樹上で闘ってはいますが…)などもありません。カカシやシカマルと格闘してはいますが、忍術なしの肉弾戦のみです。動きはなかなか良いんですよね。

飛段の心臓や各臓器が機能(作動)してないとすれば、経絡系も機能してはいない。つまり、飛段は自分の体内でチャクラを練り込む事が出来ないはずです。じゃ、どうするかと言うと、これはもう他者から奪うしかありません。自分が呪い殺した対象者と魔法陣で繋がっている時に奪ってるのではないか?と、僕は考えています。例の「儀式」での瞑想が怪しいと考えています。

飛段の使用可能な忍術は「魔法陣」を使『自傷自殺の術』(←勝手に命名しました!スミマセン!)のみです。自分の体と取り込んだ対象者の「血」で結ばれる時空間忍術の一種と考えて良いでしょう。あの「魔法陣」を術式と考えて、蓄積したチャクラで発動できる術の体系と考える事にしました(笑)。だから、印を結ぶ必要もない。それには飛段の「血液」も関係してるかも知れませんが、飛段が「血」を生み出す描写なり仕組みが必要です。点滴してたとか…(笑)、自分では作れないだろうから、そこの理論的な補完が必要です。

「オレは死なねェ…体をバラバラにされて首一つになろうが、
必ずはいずり出て、てめーのノド元に食らいつきに行ってやる」

飛段はシカマルに毒づいています(37巻/164頁)。シカマルの知略によって深い深い「墓穴」に落とし込まれたシーンです。飛段のこの台詞からも、不死の飛段にとっても「頭」だけは大切なようです。やはり、脳と繋がる部品のみが可動する規則性を感じます。飛段が、肉体の生物学的な「生」の法則は完全に無視していいて、構造的な仕組みのみで稼動していると考えられる描写です。飛段は、脳に蓄積したチャクラ(及び生命エネルギー)で活動するゾンビなんではないかと、僕は考えています。

飛段は、例の「儀式」が出来なかったから、アスマのチャクラは吸収できなかった。その後、6日間は三尾の封印で力を使い果たし、そのまま木の葉に舞い戻った。これは飛段の慢心があったでしょう。そして、そこには準備万端のシカマルたちが待ち構えていた。おまけに、カカシまでいた。角都と飛段の敗因はここにあります。飛段は例の「儀式」が出来なかったので、アスマからチャクラを吸収できなかったから、特に疲弊していた?。だから、シカマルにバラバラにされるまで追い込まれた。

「てめーにはジャシン教により裁きが下るってよォ。なァ!?
ゲハハハハハ!!その裁きを下すのはオレだァ!
テメーなんて歯だけで充分だ!良く噛んでバラバラにしていやるぜェ!」

これが、飛段の最後の言葉でした(37巻/177頁)。恐らく、今は脳細胞内に蓄積した生命エネルギーやチャクラが減衰して活動は停止状態に陥ってる事でしょう。でも、飛段はまた条件が揃えば動き出すと思います。ある意味、死んで無いと言えますが、初めから死んでるから死なないだけで、それは『生』とは言い難い。

人は「生きてる」から「死ぬ」のです。死ねる…と言うのは、生きてこその特権でもあります。その意味で、飛段には執着心が希薄だったと言えます。それは飛段が比較的、力の弱いシカマルに簡単(とも思えるくらい)に封じ込まれた事で解ると思います。そこには高度で緻密なシカマルの知略があったのも確かですが、何よりシカマルの執念が勝ったにのだと思います。現実を強い気持ちで生きる人間の執念の前に、飛段は破れ去ったのです。

実際に、今を精一杯に生きている人間の気持ち。もっと生きたかったアスマの気持ち。一生懸命、生きている人間の生き様。恥。後悔。悲しみ。そして、喜び。楽しみ。清濁が混ざりあった『生』を、『現実』を感じて欲しいです。人が生きると言う事は、決して美しいばかりではなく、カッコ良いだけでもない。むしろ、カッコ悪い事の方が多いかも知れません。まるで、泥の中でもがくような…それが『人生』です。それが『リアリティ』(現実)です。

人は泥の中でもがき、足掻き、そして生きているのです。

何をしても死なない飛段は、生きてないのと同じだと言えます。それは、「一度も負けた事がない」と言うペインも同じです。「負けた事がない」のは「闘った事がない」と言うのと同じなのです。僕らが忌むべきは、そんな「リアリティなき存在」ではないでしょうか?「正義」とか「悪」じゃなくて、現実を認めないような存在…。それと、僕らは闘っていかないといけないんじゃないか?

<ドッ>

飛段の視界を覆った岩。その闇だけが飛段に「生」を教えるのです(37巻/177頁)。

忍者の闘いのキモは相手の能力の探り合いにあります。アスマは「棒銀」となって、飛段の能力の秘密を解き明かす為に散ってしまったのです。確かに、誰かがやらないといけない事ではあったんですが…。非常に惜しい人を、大切な人を、僕らは失ってしまいました。

「オレの火の意志…お前に託したぞ」

アスマは「リアリティ」と言う「泥」の中で必死にもがき、生きていたんです。

その必死の闘いを、僕らは忘れてはいけない!

 
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自来也の「仙人モード」

   
自来也の「仙人モード」がベールを脱ぎましたが、次週の自来也の大活躍の前に、ちょっと一息…ってとこで(と言うか、その前に伝えたかった!)、最近、非常に「有意」なタレコミが多いんで紹介さて下さい。

既に、知ってる人はスルーして下さいね。でも、知ってるのと、自分で気付くのは違うからね。どっかで聞きかじってとか、教えられて…てのは、自分の「発見」じゃない。自分で見つけた時の「ドキドキ」…違うな…「ゾクッ」だな。僕は背骨に「電気」が疾走(は)しるんですけどね(笑)。それを、知らないと思う。それは、勿体ない事です。

で、"光さん"のタレコミ…メッセージから引用させて戴きます。

自来也の方言について書かれていますが、岸本先生は岡山県出身と聞いています。私も岡山です。実は自来也はこてこて?の岡山弁ですよ^^広島も似てますが微妙に違います。

感想の本編にも追記しておきましたが、もろ「岡山弁」みたいです。僕は、このタレコミを信じます。岡山の人が言うんですから確かです。ついでに、くぐりまくって「妙木山」も岡山にあるんじゃないかと探しまくったんですが、見つけられませんでした。誰か知ってる人がいたら教えていただきたいです。広島弁?と言うのは、がまブン太の菅原大兄の「仁義なき~」で、やっぱりその筋は広島かな…と、僕が勘違いしてただけです(「仁義」が広島と言うのも僕のイメージのみです…笑)。自来也は、岡山なんだ…。

で、そうかと思うと、水果さんのタレコミでは「二大仙人」の広島弁説も持ち上がってます。自来也と「二大仙人」は違う言語圏(近いけど)?…引用しますと…

自分は広島との県境付近の岡山県育ちなので、カエルの父ちゃん・母ちゃんは何語をしゃべっているか、という話題はとても親近感が湧きましたので参加させてください。

自分もおおー岡山弁っぽいなとブン太親子に親愛の情を感じてきました。岡山と広島はほんと似てます。語尾の「じゃ」とか。しかしやはり、ガマ一家は広島弁ではないかと思います。母ちゃんの「父ちゃんは黙っときんさい!!」が根拠です。岡山弁で、○○しんさい(~しなさい)、とは言わないです。この言い回しを聞くと、あー広島弁だなーと思います。岡山弁だと、「黙っとかれー!」かな。

ただ岸本先生の出身地、美作地方(岡山県北部)の岡山弁は広島弁と特によく似てます。しかし「来んさい」「見んさい」とは言わない・・・と感じています。

言葉ですからミックスもありえます。備中(岡山県西部)と備後(広島県東部)はほとんど同じで違うところがあったりします。でも・・・任侠だし・・・頭と姐さんだし・・・蝦蟇ブン太だし・・・広島弁かな?と思います。

と、言う意見もあるようです。コメントが機能してたらここで盛り上がるんだけど(汗)。

でも、方言は難しいなと思いました。ここは言語学者様の登場でもあれば解決するかも知れないけど、自来也や蝦蟇は「臨の書」にもあるように、キッシーの思い入れが多分にあるので、こんな場合は「自分の言葉」を使わせたいんじゃないかな?僕だったらそうするなーッて考えました。つまり……。

自来也を取り巻く方言(言語)はキッシー弁だッ!!

自来也の「仙人モード」のラフなんかを見ても、かなり初期に固まったアイデアだったと感じますし、いつかは使ってやろう!と手ぐすね引いて待ってたようなんです。「忍者と言えば"蝦蟇"」みたいな言葉も残してますしね…。きっと、キッシーの生々しい「気持ち」を僕らに伝える「言葉」なんじゃないでしょうか。キッシーに質問できるなら、是非ともしてみたいですね。返事は多分、キッシー弁のお約束の筈。キッシーなら、そのくらいのボケかますくらいのサービスはあるんじゃないかと…期待したりしてます(笑)。

そして、"はなみ"さんのタレコミ。こっちも唸りました。

気になる自来也の変身(?)後の姿ですが、『臨の書』のP.246にそれらしき姿が載っています。採用されなかった自来也のデザイン画ですが、今週号のシルエット、表現からしてまさしくこんな感じなのでしょうか?

そう言えば、言われてみれば…僕も見てた。でも、心に引っ掛からなかった。それに"はなみ"さんは引っ掛かった。そこが「違う」。この違いは「0」と「1」の違いに等しいです。これが「気付く」と「知ってる…」(誰かに知らされたの「…」)の違いです。見てたのに気付けなかった。僕もまだまだですね(汗)。

以下、「臨の書」より引用します。持って無い人はブック○フとか、古本屋さんを血眼で探して購入して下さい。「臨」「兵」「闘」のオフィシャルファンブックは「考察」する人は必須です。お持ちじゃ無い方は、この際、是非とも揃えて下さい。資金に余裕のある人は普通に書店で購入できますので…あしからず(笑)。

「最初は脂っぽいおっさんにしよう」

自来也はいろんな忍者の物語で有名なんで『NARUTO-ナルト-』にも是非出そうと連載前から決めたんです。最初はゴツイ、脂っぽいおっさんにしようと決めてて…。怒ったり、可愛い女の子を見て興奮したりした時に、不細工な顔のおっさんに変身するっていう。だから、変身すると強くなるけどモテないっていう。だけど描きわけるのが面倒かな、って(笑)。同じイラストの、両肩にのったカエルも使うハズだったんですけどね。一応、夫婦ガエルという設定で漫才とかさせて(笑)。でも、デザイン的に大変だからこれもやめたっていう…。(「臨の書」246頁引用)

見え難いかもしれませんが、明らかに「仙人モード」の自来也です。草案の時点でかなり確立してたアイデアだったんですね。気になる人は「臨の書」にて確認して下さい。来週の自来也の大活躍の前に!僕も充分に堪能させて頂きました。これを「発見」した時は、「電気」が疾走しったでしょうね。羨ましいです。何はともあれ、"はなみ"さん!ありがとうございます!

キッシーも今まで使いたくて使いたくて仕方なかったんじゃないでしょうか?自来也もムズムズしまくってた事でしょうね(笑)。僕らもムズムズしながら、来週の月曜日を待ちましょう!めちゃくちゃ楽しみですね。

「臨の書」を読み返して一言…。

四代目がモンキーパンチのル○ン(239頁)みたいのは、ちょっと…(笑)。


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第375話「二大仙人…!!」


「こいつ相手に様子見は無い!最初から全力で行くからの!
仙人モードを使う!!」

先週号で自来也が言っていた「そもそもワシももはや人では無いわい!!」と言う言葉の、これが「正体」でしょう。自来也は口寄せの要領で掌を咬み切り、流れ出た「血」で隈取(くまどり)を書き足します。自来也はホントに「血」の涙を流していたんですね。そして、傷付けた掌を合わせて「印」を組みます。「仙人モード」の下準備のスタートです。

「あの二大仙人を口寄せする!!それまで時間を稼いでくれ!」

かつて、イタチ鬼鮫の2マンセルの木の葉強襲の折、「ああ、やり合えば二人とも殺されるか、良くて相打ちというところ…たとえ人数を増やしたとしても変わらないだろう」(16巻/179頁)と、イタチが分析していました。イタチの分析力は非常に精密で正確です。これが、万華鏡写輪眼のイタチが同じ眼を持つ者以外に脅威を感じる唯一つの描写であり、イタチの「謙遜」なのかな?とも考えたりしましたが、あながちそうでも無さそうですね。

イタチと鬼鮫がこの時点で「二大仙人」をイメージしていたかどうかは怪しいですが、ガマケンさんが「なっ…まさか…では!?」と、たじろぐような「仙人」を二人同時に召還できる…自来也にはどんな状況でも挽回できる自信が漲っていたのでしょう。人の「自信」と言うものは目に見えますから、たとえその根拠を知り得なくても、解る人には解るものです。余談ですが、この「解る」と言うのが大切で、イタチや鬼鮫が自来也を観察した時に、その「高さ」が解るわけで、誰でも解るわけではなく、解らない人も居るわけです。

よく、「見る人が見れば解る」と言います(僕がよく使う言葉です)。つまり「見る人」じゃなければ解らないと言う事です。物事は受容する側も同時に試されているものなのです。理解とは「心」の行いですから、その程度は「心」の成熟度に拠るのです。例えば、そこら辺の「力」のない下忍が自来也を見てもただの「勘違いした老人」ですから…。ナルトだって、最初は(今も…かな?)「エロ仙人」でしたよね。「凄い」と言う事は、難しいのです。それを獲得するのもそうですが、それ以上に、それを感じる事も…。だから、解らない人には解らないのです。

「消えおったか…!厄介だの…どこで見つけて来たんだ。あんなの…」

ペインは口寄せしたカメレオンの化け物の舌に乗ったかと思うと、口の中に…。そして、<スウー…>と消えてしまいました。ガマケンさんも「二大仙人」の召還の時間稼ぎに呼ばれただけでしたが、ペインのカメレオンも姿を暗ます為の口寄せみたいです。あのイボイボの舌が<ビヨ~ン>と伸びて、少年誌には出せなような(汗)スッゴイ責めをするのか?と期待していた…僕が浅はかでした。腐った考えでしたッ!!(脂汗)。

「消えたとあっては結界戦術でやるしかないの」
「う~む…戦いにくいな」

二人の会話を見て、ガマケンさんと自来也は結構、連係がとれてるな…と感じます。また、ガマケンさんは「不器用」だと自称してますが、時間稼ぎに自来也がわざわざ呼び出したんだから、逆に器用なんじゃないかな…と思います。「不器用」と大っぴらに言う事も戦術の一端なのかな…それと、お約束?(笑)。ガマケンさんは、がまブン太と比べても小振りだし、地形や状況にマッチしているんでしょうね。自来也の結界空間が辺りを満たして行きます……<ズズズズズ>(←僕の呪印じゃないよ…)。

(確かアレは足を踏み入れたら感知するタイプの結界忍術…)

ペインも自来也の術を知っている。三年間の修行だったけど、ペインは多くの事を自来也から学んだんだと思います。こうして、いつかは自来也と闘う状況も想定したのかも知れません。やけに反応が良いです。自来也の対応を見るや、直ぐさま別の口寄せをしています。今度は三つ首の猛犬(?)。まさか、地獄の番犬=ケルベロス?(汗)…って、やっぱ…悪役だよ~(そう言えば、「探学Q」でも悪役だった…)。

ペインの口寄せ動物には何故か「楔」みたいなトゲ(ピアス?)が刺さっています。口寄せって「血」の契約で、自来也や三代目を見る限りでは、それなりの信頼関係とか、相互理解があります。ペインは身体に傷をつけて血を流して召還してるようでもないし、この「楔」による特殊な契約なのかも知れません。「痛み」による服従とか…。それに、ペインは口寄せ動物と話をしないですね。みんな、無口なのかな。無味無臭の味気なさがあります。

「結界を見て攻撃力の強いのに変えて来たか!」

ケルベロス(笑)が、ガマケンさんと自来也に襲いかかります。一瞬でビルの最下層から頂上まで駆け昇るような鍔迫り合いが繰り広げられます。「グルルルルルルル…」と、悪犬ケルベロス(笑)の無数の分裂が幾重にも自来也とガマケンさんを攻撃します。しかし、悪そうな顔してる…(汗)。目の紋様は「輪廻眼」ですね。そう言えば、イタチも写輪眼の「烏」を使ってましたね。瞳術(高度な覚醒)による口寄せみたいなのが、あるのかも知れませんね。

「こやつら殴るたびに増えとるの…もはや何ものかすら分らん。
自ら増幅口寄せの術に縛られたワン公か!?」

先ずは(事実として)、「増幅口寄せの術」と言うのがある。そして、ペインは、その増殖する口寄せ攻撃の連鎖の圧力で消耗戦に出ているのだと感じました。自来也も時間稼ぎをしてるのだけど、カメレオンと共に消えているペインは、口寄せ動物に任せたオートマチックな闘いを展開している点で、かなり温存しています。客観的には「術者を攻撃しようにも消えてしまっては手が出せん!だがこれは、おそらく姿を消すためだけの口寄せだの」と、自来也は困っているので、形勢としてはペイン側に傾いている…?。

ガマケンさんが、分裂ワン公どもを防ぎ切ったと思ったら、次は翼竜(プテラノドン?)だ!不意を突かれたガマケンさんは咄嗟に盃の楯で防御するも、地面に叩き付けられます。思いきり仰向きに倒れる「青天(井)」と言う、結構、不様なコケ方です(汗)。かなり、押し込まれてますね。ヤバいです(汗)。

「ガマケンさんよ。何かおかしいとは思わんか?」

自来也がこのペインの闘い方に一番、違和感を感じてるようです。「様子見は無い」とお互いの強さが(そこそこ)判った状況で対決している。表面的にはペインが押していますが、自来也に時間を与えている。自来也にはそれにペインが手を拱いているとは到底、受け入れられないのです。もしかして、ペインは自来也を泳がせている…?

六道仙人と同じ目を持っていたあやつは教えた術を全てマスターしたどころか、
一人では本来有り得ぬチャクラの性質変化6通りの全てをやってみせた
主流忍術全てに精通した力を持ち…十歳にしてあらゆる術を使いこなした…!

三年間の修行時代の長門は「輪廻眼」保有者としての片鱗を充分に見せつけるものだったようです。僅か三年で「皆伝」できるほど優秀だった…。三人の難民の子供たちとの「三年」と言う微妙な期間は長門を基準にしているのかも知れません。自来也があの時(余談ですが、「十歳にして」だから、ペインと自来也の3年間は"七歳~十歳"と考えるのが妥当に思えます)、手を引いたのも、「長門がいれば他の二人も大丈夫だ…」と、自来也が考えたからではないでしょうか。自来也は小南や弥彦を長門に託したのです。だから、あの時、長門が「ありがとう」と、自来也に応えましたね。

さて、ここで大問題が発生です(笑)。キッシーッ!!(汗)

「6通り」のチャクラの性質変化ですか…?エーッ!!!???

チャクラの性質変化って「火・風・水・雷・土」の五種類ですよね。何で「6通り」なんですか?(笑)最新号では、何気に、ホントに<サラッ>と流してるけど、これは大問題です。「NARUTO -ナルト-」の世界観を変えてしまうほどの…。しかし、グッと飲み込んで、ここは「間違い」(ミスプリント)は想定するべきではない状況と判断し、「6通り」を正式な条件提示と受け取って考察を進めます。「描写」は「世界」ですから、「世界」は「事実」なのです。それを受け入れた上で考える。それが「考察」です。

では、『"6通り"のチャクラの性質変化』について考えてみましょう(滝汗)。

「5通りのチャクラの性質変化」は「火・風・水・雷・土」で鉄板です。これはガチガチの鉄板(これは非常に「硬い」=「堅い」と言う意味で、他にも「赤ペングルグリ」とか非常にファンキーな形容方法が大人の世界にはあります…笑)で、既に提示があります。だから、「5+1」と考えて、残りの「1」について「新たなる性質変化」を考えれば良いと思います。

しかし、全く、過去のネタ振りがないですね。事前に何らかのフリは軽くはあっても良いと思いますが…。ちょっと残念です。チャクラの性質変化の説明は確か、35巻(この時点でも"後出し"と思えたのに…)のナルトの「風」の性質変化の獲得の修行で出てる筈です。手元にある人はも一度、読み返してみて下さい。この時点で、「混乱しちゃうといけないから…今は教えないけど、実は("陰"と"陽"の性質変化の他にも)もう一つあるんだけどね…」くらいの示唆があれば、電気が疾ったんですけどね。

そもそも、チャクラ性質の考え方は「五大要素のみ」と説明されています。これは森羅万象を五種類にカテゴライズする考え方です。ちなみに「陰陽論」では全てを「陰陽」の二分割で考えます。「チャクラの"陰"と"陽"の性質変化」(35巻/127頁)とは、五大要素の一つずつ、或いはチャクラそのものを分解して発現させる、それぞれの「側面」を言うのだと思います。だから、「陰陽」は6番目では無い…。7種類(5+2)だったらあったかも…だけど…。

また、2種類のチャクラ性質を同時に使用して、新たな性質を創出する「血継限界」と言う概念も既に提示がなされています。しかし、これは五大要素が森羅万象を分割する「大雑把さ」を補完するような意味合いがあって、「五行」(木・火・土・風・水)との整合性を得る為のクッションになっているのです。つまり、細分化したチャクラの性質変化であり、「6通り」のチャクラの性質変化とは別モノと考えられます。「5+1」の「1」はもっと上位(根源的な存在)のチャクラ性質を示すものだと考えるのがしっくり来ると思います。

「基本的にチャクラの"性質変化"の種別は五種類しかない。
火・風・水・雷・土の五種類だ。
そもそもこの基本性質は"忍び五大国"の名の由来であり、全ての忍術の基礎だ」

これを、カカシがナルトの「風遁・螺旋手裏剣」の修行で説明しています(35巻/113頁)。ここまで言い切っているんですから、これ以外に「要素」が存在する事は考え難いです。かと言って、細分化方向にベクトルが向く「血継限界」的な性質変化でもない筈です。自来也の言う「主流忍術」とは「五大要素」でしょうから、あるとしたら、この上位。更に上…しかないと思います。つまり……

『火+風+水+雷+土=太極』

「陰陽論」で言う"宇宙の根源"、つまり『太極』がそれに相当するのかな…と薄らと、僕は考えてます。五大要素全てをまとめたチャクラを「森羅万象」として捉えれば、そのチャクラこそ『太極』と言えるのではないかと考えたのです。森羅万象のチャクラですから、特性は「万能」と言える。だとしたら、神の「力」(チャクラ)とも言える能力かも知れません。それをペインが所有しているとすれば、ペインの自信は「神」だと言うのも解る気がします。もっとも、「神」とも言える「力」があるとしても、それを自分で言って仕舞えるのは「心」がそれに伴っていないんじゃないでしょうか。

他にも、「色」(有)か「空」(無)かなとも思いましたが、それは『太極』(宇宙)が陰陽に分離された姿ですから、違うかなと思いました。全ての性質変化を合わせ使う…と言う考えは「写輪眼」においても考えた事がありまして、忍術(チャクラ)の森羅万象への関与を真剣に検討した場合はどうしても、そっちに目が向いてしまいます。

もっとも、実は「6」は間違いで、単行本になった時に「5」に変わってても文句は言いませんけどね(笑)。別に良いですよ(笑)。

ここまで考えてみて、改めて解せないのが、自来也が(本来、有り得ない能力を持った)長門を放置した事実です。しかも、ご丁寧に「忍術」まで与えて…です。誰がどう考えても、この「力」を野に放つ事は危険です。勿体ないです(笑)。味方ならまだしも、雨隠れとは戦争している描写(山椒魚の半蔵)も残っています。自来也ほどの賢き人物が、その考えに至らなかった…と言うのは考え難い。余りにも不自然です。だとしたら……。

「輪廻眼」の力によって自来也が操られた!!

僕が思い付くとしたら、もう…それしかない(笑)。「三大瞳術」の内の「最も崇高な眼」=「輪廻眼」に魅入られたように、自来也は長門に従ったんじゃないでしょうか。長門が有為に仕掛けたのではなく、「輪廻眼」の意志がそうさせた…と考えます。自来也がその「眼」に、忍者として興味を持ってしまったところに「隙」が生じ、付け込まれた…。それはあるかも知れないです。この答えはペインと自来也の闘いの中で明かされて行くんじゃないかと思います。それを期待して見守りましょう。

しかし、ここに来て、「三大瞳術」とか「二大仙人」とか数字に「大」のつく後付け要素が多い。物語が終盤に差し掛かった…と言う事なのかな。キッシーが風呂敷を畳みにかかってるのかな…それは、物悲しくもあり、結末が見たいでもある。でも、話の「量」からすると、あと二~三年は続く筈です。単行本にしたら、最終的には55巻くらいまで行くかな?と考えています。今、39巻だから、あと16册。9話で一冊として、144話。やっぱり、先は長い…わ…。身体、持つかな…(汗)。

自来也とペインの対決シーンに戻ります。自来也がペインの闘い方に疑問を感じてる…自来也がペインの考えを汲もうとしているところです。

「なのにだ…何故…何故、口寄せの術しか使ってこない!?」

自来也の前に新たな口寄せ動物が出現しています。今度はバッファロー(?)です。自来也もズーッと印を結んだままです。「二大仙人」を同時に召還するには自来也をしても相当量のチャクラを錬り込む必要があるのでしょう。当然、時間がかかる。自来也が顔に隈取を追加してからズッと両手は印を結んだままで塞がっています。結界戦法も下駄同士を合わせて発動しました。

ところで、自来也が「仙人モード」を使用する宣言をしてからズーッと結んでいる「印」…指を全部伸ばし、掌を合わせています。この「印」は基本十二種(干支)にはありません(例えば、「乱獅子髪の術」は「巳」の印だった←確認中)。実は口寄せでペインもこの印を使っています。自来也も印をことさら、隠そうとはしていませんし…。自来也が時間を要する「何か」を口寄せ使用としてるのはペインも認識してる筈です。だから、ペインが様子見にしても自来也に、その「暇」(いとま)を与えるのが、自来也には解せないのです。

「自分が戦うまでもないということか?」

先週号でも「上から見下ろすような」ペインの物言いに自来也は立腹していました。そして、これがペインが自来也の奥の手を出す余裕を与えるような、それこそ余裕の戦法に出ているとしたら、これは自来也のプライドに関わるような仕打ちと言えます。ここに、ペインの相当の「自信」を自来也は感じたかも知れません。ブラフの通じないレベルの強者同士の闘いにおいて、ペインの、この態度は「恐い」です。実際に、自分がこの場にいたら凍り付くと思います。

「ガマケンさんは戻れ!あとはワシがやる!!」

とうとう、自来也の準備が出来た!!「二大仙人」の召還に必要なチャクラが錬り込めた!!「怒り」と共にチャクラが最高潮に達したのです!

「済まぬ…!」

<ボフ>とガマケンさんが帰ったかと思うと、自来也の眼前にはさっきのバッファロー(?)が急迫していました。<ズン>と壁に突進して押し込まれます。ま、こんな簡単に自来也が殺られる筈はありませが、案の定、<ドッ>とバッファロー(?)を押し返してしまいます。かなりの巨体が軽々と空中に舞い上がっています。壁には洞窟のような穴が開けられていて、自来也はその奥に退避して無事だったようです。

洞窟の奥から何やら話声が聞こえて来ます…。

「小僧!おぬしゃ何でこがーな騒がしいとこばーにしか口寄せせんのじゃ!?
ブン太が怒るのもムリねーわい、そりゃあ!!」

自来也を「小僧」呼ばわりしています(笑)。勿論、がまブン太を呼び捨てです。話の内容から、これまでも何度か自来也に呼ばれている。しかも、呼ばれる場合は「騒がしい」場所ばかりのよう。つまり、自来也ですら押し込まれるようなピンチの局面と言う事です。隈取の解釈(描写)から、山椒魚の半蔵との対決では修得していなかった術と言えると思います。だから、この能力は「ペイン>半蔵」の力関係の外(以降)…と言う事です。非常に仄かではありますが、自来也の明るい材料と言えます。

「まぁ、そう言うなや、母ちゃん。
自来也ちゃんも事情いうのがあらなーや、そりゃあ」

もう一人います。「二大仙人」ですから。こっちは、ちょっと物腰が柔らかいです。二人の仙人は対等の力関係か、強面の「母ちゃん」にやや譲る関係と言えそうです。この言葉の仙人は「自来也ちゃん」と言ってますから、自来也寄りで、自来也の気持ちを察してくれる存在なのでしょう。三者の舵取り役的な感じがします。この「母ちゃん」だけじゃ救いがないものね(笑)。

「父ちゃんは黙っときんさい!!」

夫婦だ!「母ちゃん」「父ちゃん」だし、それもかなりの「かかあ天下」に違い無い!「母ちゃん」は、かなり強面ですよ。苦手なタイプだァ~(汗)。でも、自来也の前で、ここまで二人の会話が弾けるのは、自来也に対する近しい認識があるんではないかと思います。家族同然のような、確かな「繋がり」を感じてしまう…。

「お久し振りにこんなんで申し訳ありませんの。頭に、姐さん」

「頭に、姐さん」って事は仁侠か。ガマケンさんもがまブン太も考えてみるとそっち系だし、しかし、「母ちゃん」のしゃべくリからは「極妻」みたいな奥ゆかしさ(笑)はないな…。恐い「母ちゃん」ですね。妙木山の仁侠世界では女性上位なんでしょうか。蛙の世界ってそうなのかな?兎に角、言うだけの事はやってもらいましょう。

「しかし、小僧…おぬしゃ女子にもてんよーになるゆーて、
その体は嫌がっとたんじゃろーがの!?」

どこの方言を引用してるんでしょうか?やっぱり、広島弁なのかな?(タレコミによると"岡山弁"とのことです。自来也はコテコテの"岡山弁"で、キッシー無岡山出身で、ビンゴ!!です)それに対して自来也の喋り方は丁寧で謙っています。自来也も「二大仙人」の門弟と言う位置関係なんだと思います。しかし、「その体」が気になる。仙人二人を喚んだにしては、シルエットも一つしか見えないし…。何やら自来也のガタイも変化してるようですね。

「そうも言ってられなくなりましての。なにせ相手が"輪廻眼"でして」

これが、自来也がいきなり「奥の手」を出して来た理由です。長門に修行をつけている時点で、自来也はその潜在能力の高さには気付いていましたし、「輪廻眼」の意味も認識していました。つまり、自来也は「背水の陣」で望んでいるのです。しかし、未だにペインの全貌は掴めない。この「仙人モード」がどの程度のアドバンテージになるのか?不安ではあります(汗)。

「おお…六道の眼か!」「ホンマにおったんかいな、そんなんが!」

「二大仙人」の二人を持ってしても未知の眼…。忍術の「祖」の眼ですから、「仙人」と「人」が繋がる「道理」を生み出した「始祖」ですから、知らないのも不思議ではありません。しかし、聞き及ぶ存在ではあった。まだ、対戦経験はない。基礎的な条件の提示と言えます。「未知」とは、それ自体が「恐怖」です。

「ハイ。どうか少しの間、お力添えを」

ここに来て「その体」の意味が判りました。自来也は自分の体に「二大仙人」を憑依させていました(自来也の顔もかなり変異している…鼻が異常に大きくなってる…笑)。両肩にそれぞれ一体ずつ埋込んだような形です。ここまでやって、肩に載っているだけだったら、それはそれで可笑しいですが、そこは少年誌ですから、一体化してると思います。女子の好感度は低いでしょうね。確かに…(汗)。

右肩がヒゲっぽいから「頭」かな。左肩が「姐さん」っぽい。優れる様をして「右に出るものがいない」と言う表現がありますが、あれは「左」の方が偉いからです(右大臣より左大臣ですよね)。その意味からは「姐さん」が優越していると言えます。この場合、「頭」が譲っている。良いコンビじゃないでしょうか。バランスがとれてる。

自来也は先週号で「そもそもワシももはや人では無いわい!!」と言っていました。しかし、それも忍術を土台にした一時的な「力」に過ぎません。自来也も「人」なのです。何故なら「人」として自分の過ちを償おうとしているから、この場にいるからです。この姿も、かつてない「強者」と闘う為の「かりそめの力」を手にしているだけです。自来也が「人ではない」と言っているのは「心構え」を示しているのです。不退転の決意と言うやつだと思います。

「では行きますぞ」

(自称)「神」と「仙人」はどっちが強いんでしょうか?(笑)

自来也よ!

自分で自分を「神」と言って仕舞えるようなヤツに負けてはならない!

ここでは、自来也が如何に「人」として真摯に積み上げて来たかが問われるのだと思います。よく「歳をとる」と表現するけど、あれはネガティブ極まりない表現で、僕は嫌いです。歳は「重ねる」ものです。重ねるから「高み」があるのです。それが「成長」と言う事です。自来也もあの頃の「ドジ」のままではない…。ペインめに、是非とも一泡、吹かせてやって欲しいです。

問題はこの「仙人モード」がどのくらい持続するか…です。「人」は有限だから、いつかは枯渇(か)れます。自来也もそれを充分に認識している。だから、いきなりの「奥の手」なのです。しかし、こいつはかなりのタイトロープだ…。ところで、小南は何処に行ったんでしょうね?

驚天動地の闘いが、始まる!!!!

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カカシが自来也に刺刺(とげとげ)しい理由

 
「なっつかしーっ!!全っ然、変わってねーってばよ!!」

第二部の冒頭でナルトが木の葉の里に帰還します(28巻/13頁)。「フフン…はしゃぎおって…」と、自来也が見守っています。まるで、幼き日の自分を観ているかのような…その向こうの…ミナトの姿と重ねているかのようでもあります。非常に近親者の、無償の愛情を、自来也の眼差しには感じてしまいます。

「いや…つい懐かしくてな。ミナトを教えてた頃を思い出しての」

ナルトに螺旋丸を教えた「入れ込みっぷり」を綱手に突っ込まれて、自来也は弁解めいた言葉を遺しています(第367話「イタチとサスケ」)。自来也の行動に関しては当初、明確な動機は感じられず、年寄りの物見遊山的なお節介ともとれるようなナルトへの介入を感じていた人も多いと思います。表面的には、こんな風な言い訳に終止してたので、僕は『自来也悪人(黒幕)説』を唱えるほどに自来也を疑っていた時期もありあした(汗)。自来也もそれを悔い改めているような活躍を、現在、繰り広げています(笑)。

「でかくなったな…ナルト」

久しぶりの木の葉の里の街並に浮き足立つナルトを暖かく迎える声の主…それは、カカシでした(28巻/15頁)。カカシは「イチャイチャバイオレンス」を読んでいたようです。何処とも知れない屋根の上で…。たまたま、ここでくつろいでいたんでしょうか?R指定の大人本ですから、人知れず読むのは基本と言えば基本ですが…。

ナルトがお土産に「イチャイチャタクティクス」をカカシに手渡しますが、どうして筆者自ら手渡さないのでしょうか?こんなにも愛読してくれる読者が居る事は、表現者としては有り難き事、この上ない筈。自来也が筆者である事を秘匿しているとしても、手渡すくらいはご愛嬌だと思うんですが…。カカシと自来也。二人の関係には違和感を感じます。少なくとも、自来也はカカシを苦手に感じてると思います。

しかし、ここまでカカシが虜になる「イチャイチャ」シリーズにはどんな世界が表現されているのでしょうか?カカシが片時も離さないような魅力のある文章を書いているのは自来也本人のようですが、そんな二人がリアルの世界では反りが合わない事もあるのですね。問題は、どのステージ(高さ/深さ)で二人が触れ合ってるかに因るのですが…。難しい問題だなぁ。

「魂」の領域では自然に触れ合える組み合わせであっても、「心」の高さではしっくり行かない事もある。人とはそう言う生き物なのです。人が生きる上で「心」は必要なんだけど、それが障害になる状況は多々あります。人が獲得して行く「心」は必ずしもオールマイティではないから。これは不運な仕組みだけど、仕方ない事でもあります。人が、何とかして乗り越えないといけない障壁なのです。

カカシがたまたま、この場所に居て、たまたまナルトの帰還とバッタリと再会した風でもなかった。偶然だったら、もっと気持ちの高まりとか驚きがある筈です。この場の「空気」から推測するなら、予めナルトが何日何時に帰還する情報を伝えられて準備して待っていた…と考えるのが、妥当だと思われます。誰がカカシにその情報を伝えたんでしょうか?

カカシは自来也の伝令蝦蟇(綱手経由)によって連絡を受けていた…

僕が自来也を疑っていたのは「これからワシは情報収集に回る」(28巻/19頁)と言う、良く出て来るけど、良く判らない言い訳みたいな「情報収集」と言う文言でした。自来也の術の仕組みがこの頃は明かされてませんでしたから、疑われても仕方ないのです(笑)。自来也は蝦蟇を使った時空間忍術が得意みたいです。自分が移動するものあるし、何らかの方法でメッセージも行き来できるようです。

「何かあったら蝦蟇で連絡をよこせ。すぐに私が駆けつける」

自来也は綱手とも伝令蝦蟇(←仮称ですから…未確認生物です…笑)で、これまでも連絡をとっていたようですね(第367話「イタチとサスケ」)。時系列の考察(←まとめ中です)で証明できると思いますが、自来也は、どんな遠隔地からでも綱手の異変に気付き、駆けつけていたようです(でないと、説明がつかない事が多い…汗)。自来也は綱手に連絡をとり帰郷を伝えた。それがカカシに伝えられた。だから、カカシは、たまたま居合わせたような雰囲気で心の準備をしつつ、ナルトをお出迎えできたのです。

「約束通り、ナルトはお前に預けるからのォ…」

自来也がナルトの背中を確認しながらカカシに伝えます(28巻/19頁)。カカシはこの言葉をかなり冷たい三白眼の流し目で「………」と、無言で受け止めています。常に一方的に発せられる自来也の通告は、カカシにしてみれば横暴に映るのでしょう。でも、序列も能力も自来也が上役。従うしかない状況…カカシは客観的に見て無力です。

この時の描写を見ても判りますが、二人の会話の基本パターンは「面と向かって…」と言うのはほぼ皆無です。大体はこのシーンのように横並びで、二人とも何故か視線を合わせようとはしません。自来也もカカシの扱いに関しては手を焼いているように感じられます。同時に、カカシはある種の「刺々しさ」で自来也を拒絶しているかのように、僕には感じられてなりません。

カカシの自来也に対する「態度」は何だか刺々しい…。そんな風に感じませんか?

フフフ…少し前のエピソードに戻ります……。

「ナルトはワシが預かる…」

木の葉崩しの後…イタチ鬼鮫の木の葉強襲事件の前に自来也はカカシと接触しています(16巻/154頁)。木の葉の里のかなり見晴しの良い場所で、二人きりで話し合っています。この時の二人の位置関係(立ち位置)を確認してもらいたいんですが、横並びです。決して真正面には向き合っていないです。視線を合わす事は<チラッ>とはあるようですが、マジマジと真正面から…と言うのはまず無いです。常に二人の対峙には似たような空気感が漂っています。

「ナルトの見張り役として三代目がお前を指名したのは納得のいく判断だ。
が…お前のレベルでも手が回らなくなるかもしれんからのォ……」

自来也の話は概して核心部分を伏せた内容が多いです(16巻/154頁)。これは自来也の台詞のお決まりのパターンで、物書きの「性」(さが)なんでしょうか?「落ち」は最後の最後まで取っておきたいような…勿体ぶった素振りが妙に鼻に付いたり、納得できたり…(笑)。あと、「行間を読んで欲しい」と言う願いもあると思います。皆まで洗いざらい喋るのは美しくないのです。それは「押し付け」になるから…。考えは強制したくないものです。辿り着くべきものですから…。

この時のカカシも「…………一体、何の事ですか?」と結構、キツい感じで自来也に返しています。かなり「嫌味」な空気を帯びていた言葉だと思います。カカシも充分に賢いから、自来也の言葉の全容は把握できるんですが、全てを明かさない態度に自分が迎合してしまう事を嫌悪しているんです。ここで流されたら、自来也の思うまま(ペース)ですから…。カカシも捨て置けないわけです(笑)。

実は、この雰囲気を、僕は「刺々しい」と感じているのです。僕だけかも知れませんが…(汗)。かなり深い部分まで認め合うような間柄の筈なんですが、どうしても「阿吽」になれない。融合を拒む細胞同士のようです(笑)。経験的に感じるのは…この場合、非常に似通っているか、全く異質かのどちらか…と言う事。

結局、自来也もこの時、渋々…「暁」の情報を引用してまで周辺情報を与え、ナルトの弟子受けに関するカカシに了承を得るに至ったのです。カカシが納得できるような材料を渋々与えた…ような感じでした。内容に関しては今からすると核心部分を濁している…自来也の巧みな情報操作の手腕を感じますね。

「カカシ……
ナルトの奴は遅かれ早かれ背中に気をつけて生きなきゃならなくなる…そういう運命だ。
お前は、今はサスケを見てやれ…写輪眼の使い方を教える必要もあるだろう…
組織(「暁」)には、あのイタチもいる。ナルトは中忍試験本戦までの間、ワシが育てる」

徹頭徹尾、二人は面とは向かい合ったりはしませんでした(16巻/158頁)。余談ですが、この時、自来也から「万華鏡写輪眼」の存在をカカシは知らされているかも知れません。カカシはイタチの木の葉強襲の折には、対峙当初から完璧、「万華鏡写輪眼」を、徹底的に警戒してましたから…。その脅威から仲間を守る為に単独でイタチと対決し「月読」を食らい倒れた…。全くもって、カカシらしいです。

段々とカカシの自来也に対する「刺々しさ」がイメージできて来ましたか…?(笑)。

ちょっとアプローチを変えましょうか…。

「ワシは今までに二度、死にかけた事がある。
一度目はアバラ六本と両腕が骨折。内蔵破裂が数か所…
温泉地で女風呂を覗こうとして、綱手…お前に思いっきりやられた時だ…
そして、もう一度が…ナルトとの修行中。
あいつの九尾のチャクラの四本目の尾を見た時だ」

万華鏡写輪眼発動のキックバックでカカシが入院する木の葉病院の病棟での一コマ(33巻/33頁)。綱手の若気の至りをむず痒く懐かしむような表情が可愛いですね。これを吐露する前、自来也は「フーーー…」と苦笑いするように衣服を脱いで行きます。これは綱手との過去を懐かしんでいるのもあるんですが、その前のカカシの刺々しい眼差しと語気を帯びた台詞に反応してしまったのだと、僕は考えています。

「自来也様は一体、何本目まで…」

ナルトの九尾の衣が力の解放の度合いによって「尾の数」が増えて行く分析の流れを、カカシが鋭く突っ込んだのです。自来也の余裕をかますような空気がカカシは嫌いなのかも知れません。でも、この態度はカカシがナルトやサスケに対するものと極めて似ています。自分は「全てを知っているけど…核心部分は自分で考えて…」(←これすら言葉にしない。伝えない…けど)みたいな間合いです。自分がしてる事と同じ事を、今度は自分がされると嫌な時って結構、多いですよね。この場合のカカシはそれだと思います。自分の振る舞いって客観視し難いものですよね。

自来也はカカシを明らかに「子供扱い」しています。まぁ、歳の差からすれば当然チャ当然ですが…。カカシはその見透かしたような自来也の余裕が癪に障るんじゃないかと思うんです。でも、これはカカシがナルトやサスケに対する気持ちに似ている…もしかしたら…カカシと自来也は、この点においては似ているんじゃないか?その意味では一種の「近親憎悪」なのかな…と、僕は考えています。

カカシは全てを語らない自来也の態度に苛ついていた…

中忍試験→木の葉強襲事件→三竦みの戦い…と、大事件が終息して、やっと「ホッ」と一息ついた時、木の葉病院の屋上で、ナルトとサスケの喧嘩と言うには大きすぎる衝突が勃発します。勢い余った二人は、「螺旋丸」と「千鳥」を大きく振り翳して衝突してしまいます。

「………」(さっきの術…間違いない。螺旋丸だ)

ナルトとサスケの間に割って入ったサクラのピンチをカカシは救います(20巻/93頁)。(…どうなってる…?何でナルトの奴があの術を?)螺旋丸はミナト(四代目)が開発した術ですから、その存在はカカシも知っている。螺旋丸に関しては、第二部で、カカシもミナトからコピーして発動できる事も分かっています。

カカシはこの時、自来也の存在に「ピィーンッ!!」と来たと思います。自来也の気配もこの時、感じ取ったものと思います。自来也もナルトとサスケの衝突に勘付いて、この場を見守っていたようです。自来也はカカシが介入する様子が窺い知れたので傍観していたのでしょう。結局、二人ともそれぞれの「弟子」が気になって近くで身を潜めるように見守っていたんですよ…。この二人…やっぱり、似てる…。

「アナタですか…あの技を教えたのは?
あの術を扱うにはナルトはまだ幼な過ぎると思うんですがね。
ヘタをしたらサスケを殺してた…」

カカシはサスケが千鳥で穿った給水タンクの上に腰掛けたまま、その裏に潜んでいる自来也に話し掛けています(20巻/98頁)。このシーンでは「横並び」どころか、背中合わせで、しかも、タンク越しです…(笑)。どんだけ、生の接触を二人(特にカカシ…)は恐れてるんでしょうか。ここまで徹底すると笑えます。直接、見たら「石」にでもなっちゃうのかしら…。

しかし、この時の「例の"暁"への抵抗手段だとしても、あの術をナルトに教えるなんて…」と言うカカシの辛辣な台詞には自来也も堪らなかったのか…。

「お互い様だろのォ…あの千鳥も相当ヤバかったしのォ…」

自来也も大人気なくカカシに突っ込み返しています。これはあまりない事なんですが、相当、バツが悪かったのでしょう(笑)。「でも、まぁ、アイツはあの術を仲間に向けて撃つような奴じゃないと思っていたんだがのォ」と、必要以上に言い訳もしています。これは同時にカカシへのカウンターでもあり、この言葉がカカシの心の柔らかい部分に爪を立てる事になるんですが…。自来也は、そう言うところは鈍いんです。構わず、続けます(笑)。

「…それとも、よっぽどの事があのガキとの間にあるのか?」

自来也がサスケの事を思い出して話す、その言葉にカカシは静かに噛み付きます(笑)。「………」と、間をおいたカカシ。静かに、心の奥底で切れてました(笑)。自来也はインテリで考える能力はあるんだけど、繊細さに欠けます。人間の機微が解ってないと言うか…この鈍感さが綱手の「胸キュン」を引き出せなかった自来也の欠点だと思われます。人は理屈じゃないところが大きいから…。

「ま…色々とね」

カカシは含みを持たせた言葉で自来也を呼び込んでいます。「色々?」と、言いながら自来也は堪らずカカシの方を窺っていますね。この場合、先に相手を見た方が『負け』です(笑)。カカシは心の中で、小さく<ガッツポーズ>を作ったと思います(笑)。カカシはまんまと、自来也を誘い込んだのです。自分の間合いの内側まで…。

「簡単に言えば、かつてのアナタと大蛇丸みたいな関係ですかね」

痛烈なカカシのカウンターパンチが炸裂しました(20巻/99頁)。この時の自来也の「………」の顔は「してやられた…」と、究極のダメ顔になっています(←必見です)。これは、自来也が散々苦しんだトラウマのようなもので、心の奥底に沈め、無意識に追い込んでいた気持ちです。カカシも言いたくはなかったんですが、「こっちも色々と知ってるんですよ…」と言う意思表示をしたかった(してしまった…)。心が逆立った…。「ほう…」と、相当に鈍い自来也もカカシの心の内が解ったようでしたね(笑)。

「今のナルトは私やアナタじゃなく…誰からよりもただ…
認めてもらいたいんですよ………サスケにね」

これはカカシが自分の二人の弟子の事を言った訳ですが、同時に自来也の態度を、非常に遠回しではありますが、責めているのです。非難しているのです。自来也が多くを語らない事に対して…。全てを自分の腹の中に仕舞うような…責任の取り方に対してです。カカシの行いにも似たような傾向があるんですが、それは…置いといて…(笑)。

以上が、カカシの自来也に対する「刺々しさ」の原動力なのだと、僕は考えてます。

カカシがこんな風に他者を責める事は稀…否…恐らく、他には無いです。カカシのこのような行動は、多分、自来也に対してだけです。カカシにとって、自来也は特別なのです。意識する存在なのです。自来也は、自分の師(ミナト)の師。ミナトの口からも「三忍」である自来也の話は嫌と言うほど聞かされたでしょうし、実際に三者で合いまみえた事も数多くあるでしょう。二人は、かなり古い関係と言えます。

しかし、カカシが目標とするミナトはもう居ません。カカシが14歳の時に、その『別れ』は突然、訪れました…。それが、『九尾事件』です。恐らく、カカシが現場に駆けつけた時には全ては終わっていた…。きっと、そこに自来也だけが居たんではないか?と、僕は想像しています。三代目はナルトを隠しにスタコラサッサと雲隠れしてますから…。当然、事の重大さから、真相は語られる筈もない…。自来也も到着したばかりだと嘯く…(←事実だとも思いますが…部分的に…)。

カカシは黙して語らない自来也を疑っていた…

「自来也よ!ワシを呼び出すたぁ、どーゆー了見じゃ!"ナルトの鍵"はもう…」

自来也が自分の体内に「ナルトの鍵」=「八卦の封印式」の鍵を隠し持つことが判っています(第370話「胸騒ぎ」)。これはミナトの遺志でした。ミナトが自来也に巻き物蝦蟇の「蔵入り」の命令を発したのだと思います。九尾事件の時点で、自来也38歳。カカシ14歳。非常に妥当な判断、当然の選択であったと思います。ミナトは自来也を信頼していた。一つの事実だと思います。

そして、状況からはかなりの深層まで自来也が知り得てる可能性が示唆されていますから…。どう考えても、自来也が語らないのはカカシには納得できないのです。特にカカシのような賢く、繊細な心の持ち主には、自来也の態度は気にかかると思います。知っているのに知らん振りしてるんですから…。それが、自来也の場合、バレバレだったかも知れないですから…(笑)。

カカシは自来也が「大切な情報」を隠し持っている事に勘付いていた…

その「臭い」に僕は「自来也悪人(黒幕)説」を捉えた訳ですが、それは的外れだったけど、自来也の行動を観察すると、何かしらの「不可解さ」にブチ当たるのです。どうしても「何か」を隠していなければ成立しないような行動や言動を残しているからです。きっと、その「臭い」がカカシに伝わって、自来也に対する「刺々しさ」になっているのだと、僕は考えています。

「ただワシに何かあった時はナルトに蔵入りしろ」

自来也は巻き物蝦蟇に確かにこう指示をしています(第370話「胸騒ぎ」)。ナルトにいきなり鍵を渡すのではなく、カカシを経由しても良い筈です。かつて、四代目から自来也に蔵入りさせた経緯や、「金庫と鍵」の関係からも、第三者に「鍵」を蔵入りさせるのが合理的だと思うんですが、この時、自来也から「カカシ」の名前は、何故だか、出ては来ませんでした。

これはもう、お互いが憎みあうような敵対ではなくて、ミナトの気持ちの奪い合いのような心の「葛藤」なんだと思います。自来也もカカシも、ミナトを大切に思っていますから、その「遺志」をどちら(誰)が成し遂げるか?と言う事は決して軽くはないのです。非常に重要な部分です。この期に及んで、カカシに頼るなど…自来也には到底、思いも寄らなかったのでしょう。二人はミナトの件に関してはライバルも同然なのです。

つまり…自来也もカカシを意識していた…と言う事です。

もしかしたら、カカシが愛読する「イチャイチャシリーズ」の随所に、それを浮き出させるようなメッセージが織り込まれていたかも知れないです。自来也が無意識に尻尾を露呈させてたか、意識的にヒントを示していたか…。どっちにしても、カカシは何らかの重大な秘密を自来也が隠し持つ「臭い」を感じ取っていた「線」を感じます。カカシは「イチャイチャ」の考察をしていた…?(笑)ら面白いですけどね。でも、「イチャイチャ」にはサブリミナルなメッセージ性があると考えてます。詳しくは、別の考察で…。

ネタ元は「イチャイチャ」じゃないにしても、それこそ腐るほどあって、自来也の態度とか、挙動とか、発言とか…。自来也って案外、鈍いので、あちらこちらでズッ転けてますから…。非常にインテリなんだけど、ドジなところはペインも認める、自来也の大きな魅力の一つですけどね。鋭いカカシは、そこを見逃さなかったんです。カカシは鼻も頭も利くのです。

だから、カカシは自来也に刺々しい。

それに……二人は何だか……似てるから……。

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ゼツ

 
「フフン…面白イ事ニナッテ来タダロ?」
「うん…」

終末の谷のナルトとサスケの死闘をゼツはずっと見守っていたのでしょう(26巻/167頁)。地面からわき上がるように登場するゼツ。「暁」のマント。<メリメリ>っと広がる食虫植物のような触手(?)が張り出した外観。顔は左右に真っ二つに黒白に別れています。右足は植物の「根」を思わせるように地面とつながっていました。

ゼツのモチーフ

一瞬、このハエトリソウの触手ようなものがゼツの「手」なのかな?と考えたりもしましたが、ゼツにはしっかり「手」があって、印もしっかり結んでました(29巻/30頁)。「暁」の指輪もしています。マントにも手を通す袖もあるし。

「それからゼツ。本体で一応、外の見張りをしろ。一番、範囲のデカいヤツだぞ」

我愛羅奪還にナルトたちが動き始めた頃、ペインがゼツに命令しています(29巻/29頁)。終末の谷でもそうでしたが、ここでもゼツは警戒・監視に適した能力者である事が窺えます。ゼツの食虫植物っぽい外見から、「地下茎」によるネットワークを、僕はイメージしています。「本体で…」と言うのは、この会合が術による遠隔会議で、ゼツの本体(実体)が何処か別の場所にあると言う意味です。

特殊な植物と契約か装備(寄生とか融合)させる事で能力を発揮しているような…。自分の行動範囲に予め地下茎のネットワークを張り巡らせておけば、そのネットワーク上の全てに自分の意識が行き渡るとすれば、ゼツの監視能力の説明が上手くつくと考えています。地下茎は事前に埋設されているものと、必要な時に速攻で張り巡らされるものもあるでしょう。それが範囲に影響しているものと思います。

我愛羅奪還の阻止行動で、ゼツは樹の幹と同化しています。これを起点にあらゆる植物の地下茎も自分のネットワークに組み込める能力も想定できると思います。植物にも血管に近い「維管束」(道管と師管)がありますから、チャクラが通う方法論は考え易いです。術のエネルギーだけでなく、チャクラのパルスが情報を伝達したりするのもあるんじゃないかな。

ペインの「一番、範囲のデカい」と言う事からも、ゼツの術範囲にもかなりのバリエーションが存在する想定が考えられます。チャクラが及ぶ距離によって、術の密度(チャクラの強度)によって使用可能な術が変わる。忍術はチャクラと印によって発現する「理屈」の通った能力ですから、超能力みたいな「何でもあり」だと困ります。何らかの制約や条件が必要です。ゼツもその柵(しがらみ)に縛られていて欲しいです。

「コッチノガ鬼鮫ノ方カ…食イガイガアリソウダ…」
「さっさと食べようよ」

<ゴキゴキ>と象転の術の依憑をゼツは食べちゃいました(29巻/157頁)。音からして…骨まで(汗)。正に「食人植物」。証拠隠滅には持って来いの能力(?)ですね。こういう風に自分に寄生する植物との共生関係にある事で恩恵を受けているとも考えられるし、ゼツ自身が「人」を喰う事を欲しているのだとしたら、化け物寄りの改造、或いは変異ととれます。

同時に、ゼツの台詞が平仮名とカタカナで表現されていることから、人格が二人ある事が想像できます。それはゼツの外観からも言える事で、身体の真ん中で綺麗に真っ二つになっていますね。違う人体を真っ二つ割って、片方ずつをくっ付けたようです。顔とか胸だと問題も少ないんですが、股間とか(汗)、どんな具合に処理してるんでしょうか?皮膚の色も違うし、見た目以上に性格はもっと違いますね。

「バカヤロー…ソンナニ簡単ニイクカ…」
「いいじゃないか…入れてあげれば…」

トビの初登場で、ゼツが紹介者のように描かれてました(31巻/185頁)。その時の、ゼツの台詞からも、どちらかと言うと、カタカナで喋る方が、粗野で凶暴そうで、平仮名で喋る方が、理性的で穏やかな性格のように感じられます。ザックリした分析では正反対の正確のようです。似たような共生は「音の四人衆」の左近でありましたけど、あれよりも共有部分が多そうです。感覚的な表現をするなら、左近と右近がそれぞれの脳で考えていたとすれば、ゼツは一つの脳の違う部分で考えているような…感じがします。

ゼツは「ニコイチ」の一人2マンセルだッ!

「暁」では基本、2マンセルで行動しますが、相方の居ないゼツが「ニコイチ」(二つから一つを創る…中古車市場で事故車の残った部分同士を繋ぎ合わせて可動車を創る隠語です)であれば、名目上は2マンセルを守っている事とにもなるし…。一応、都合は良いですね(笑)。両極端の二者が合議制の下、決議する形式は合理的とも言えます。独りでも案外、中立で公正な判断が下せるかも知れません(笑)。

ゼツはそんな風にかなり有り得ないキャラなんですけど、魔界植物と契約して異能を獲得した、「暁」の索敵・警戒のエキスパートと「ゴクッ」と飲み込めば、その嗜好(食性)からしても「食人植物」っぽくて良い感じの立ち位置なんです(笑)。それは良いとしても(滝汗)、ホントの問題は、ゼツの「暁」内での「立ち位置」だと、僕は考えています。

あのデイダラの最期の大爆発も結局は真相に触れる事無く、ペインに良いようにあしらわれ、トビの存命にも気付いていないようでしたし。それが実はプロパガンダで、ホントはトビの消息を秘匿しようと操作していたともとれるし、光の中で爆発に巻き込まれその端末の一つを消失して帰還しただけともとれます。ゼツはトビよりなのか一般のメンバーと同列なのか?これは今後の展開の大きな「鍵」になって来ると思います。

雨隠れの里に自来也が潜入して、表立って「暁」が行動する事が揺動になり、雨隠れの里の存在を秘匿していた事に気付きました。「暁」が、ビンゴブックに載るような札付きをわざわざ集め、必要以上に目立つマントを着せ、力任せの「尾獣集め」を強行させたのには、その意味があったのではないかと、僕は考えています。「暁」は悪事を働く少数精鋭の組織にしては目立ち過ぎるし、野望の規模も必要以上に大きすぎますし…。

つまり、「暁」のメンバーのトビ(マダラ?)は置いといて、ペインと小南以外はデコイ(囮)だったんじゃないか?と言う考えです。確かに、尾獣集めは大切な任務(禁術兵器)だけど、それすら「隠れ蓑」で、雨隠れの里はペインを長とする強固な統一国家(組織)を構築していました。ペインがかつて高らかに唱えた「世界征服」もブラフ(はったり)でもないような気がして来ました。それもこれも、「暁」が表立って人々の耳目を引き付けて来たから、周りの国々も気付かなかった。

これからの注目は「暁」の組織にあって、誰がどっちなのか?って、アンフェアな相関関係に収束して行くと思われます。具体的には、イタチはどっちなんだろ?黒幕寄り?それとも一般的な捨て駒?鬼鮫は?(←鬼鮫が判らないんです。イタチの監視役なのか?イタチラブな人なのか?)と言うところです。そして、ゼツは……です。ゼツは読み難い。果たして、どっちの人なんでしょうね。

と言うのは、トビとの会話では完璧、見下した関係だったし(それがフェイクの線もあるし)、トビの誕生にも関与してても良いくらい関係ありそうだったので、黒幕よりかな…とも思えて来るし…。デイダラの最期の爆発では全く「蚊屋の外」みたいでもありましたから(それがフェイクだった…とも)。こうなって来るともう判りません。案外、「暁」の消失の時にワンカットで殺されたりしてね…(笑)。

ところで、ハエトリソウの事を調べて分かったんですが、ハエトリソウにとっては「葉の開閉」はかなりの重労働のようでして、外的な刺激でも葉は閉じるので、食物(エネルギー源=ハエとか小虫とか…)を与えないで、開閉ばかりさせると、チャクラ切れで枯れちゃうそうです(笑)。葉の開け閉めが観たい場合は何か食べ物を与えながら鑑賞して下さいとの事でした。だから、ゼツもあんなに「ムシャムシャ×ガツガツ」と食べるんですね(笑)。

以上、ことさんからの質問がありまして、僕なりに「ゼツ」について考えてみました。チャンチャン…(笑)。

 
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第374話「神への成長!!」


「変わったな、長門」

先制はペインが取りました(実は「先生」からかな?とヤマ張ってました…笑)。口寄せで大海老(?)を召還。大海老が口から吹く泡で自来也を小南ごと攻撃します。(教え子だけあってワシの弱点を突いてくる。油を洗い流す気だの)大量の泡が辺り一面を埋め尽くし、同時に小南に纏わり付いた蝦蟇の油を洗い流しました。仲間の救出と敵の攪乱を一気に済ませる、かなり効率の良い攻撃でした。自来也とペインの相性の悪さを感じます。これは…(滝汗)…自来也、ピィ~ンチッ!!

「乱獅子髪の術!!」

自来也は物理的な攻撃方法として「髪」を好んで使いますね。三竦みの対大蛇丸戦でも「忍法・針地蔵」を使っています。「針地蔵」を防御寄りの術とすると、「乱獅子髪」は攻撃寄り。しかも、かなりの遠距離に及ぶ術だと言えます。ペインとの位置関係からして30~50m程度は攻撃範囲でしょうか。接近戦では(業火?)螺旋丸があるし(きっと、他の術もあるッ!!)、自来也はかなりのアウトレンジからインファイト(近接戦)までをカバーするオールラウンダーですね。

ペインの口寄せの大海老を一蹴し、その勢いでペインを襲った「乱獅子髪」は獣の顎(あぎと)のようでもありました。「髪」=「咬み」と受け取れば、さながらライオンの顎のイメージですね。そして、その顎は小南を捕まえたようにペインを拘束します。ところで、この「髪」が自毛なのか?エクステなのか?判らなくなって来ました(汗)。チャクラによって伸び縮みする特殊な繊維とかがあるんでしょうか?チャクラに感応する素材はいろいろありそうだから、忍具の一つ(エクステ)と考えるのが妥当かな…。

二人が一気に間合いを詰めないのは、未だ探りあっている状態だからでしょう。二人の師弟関係も3年程度しかないし、お互いの未知の部分を多く残した段階で相手の懐に飛び込むのは無謀極まりない。それ以前に、二人とも言葉を交したいと思っている空気があります。随分と久方振りの再会でありますし…。純粋に相手を殺めたいのであれば、問答無用で攻撃するだろうし、自来也もペインを拘束できる間合いであるなら、切り刻む事もできた筈です。

少なくとも自来也は確かめたいのだと思います。それが、雨隠れに単身、潜入して来た意味でもある。小南に再開した時点で、自来也は驚いていませんでした。それは、小南を尋問する段階でも変わらず、「他の二人はどうした?」と、内定が既に済んでいたかのような進行でした。そして、ペインが長門であると認識した時点で「やはり…」と、自来也は言っていました。自来也には「暁」のリーダーに関する、ある程度の予感や疑念があった…のではないでしょうか。

長門が「輪廻眼」保有者だと言う事を自来也は知っていますから、きっと、その「眼」の持つ意味も充分に知っている。六道仙人の存在からも、その潜在能力は尋常なものでは無い事も分かっていた筈です。なのに、自来也は長門たちに生きる「力」を与えた。長門の輪廻眼が特別な存在である事を知りつつ、生かし、野に放った。それを自来也が判断して粛々と行った。ここに些かの違和感を感じてはいます。

今、この場で、その核心部分への言及は避けるにしても、一連の不可解とも言える難民の子供たちへの自来也の関与…特に「忍術」の伝授…それを決意させたのは、あの庵での長門との触れ合いで感じた…(ボクは二人は守りたい。どんなに痛みが伴うことがあったとしても)…と言う長門の「優しさ」だったのだと、個人的には思いたいです。あの時点でのその判断が自来也にとっての最善であり、それが「今」に及んでいる。それを、自来也は決して弁解なんかしてませんけどね…。

「弥彦はどうした?」

自来也は恐る恐る尋ねています。今、この場に居ない「弥彦」の消息。二人の内の残り一人。自来也のお気に入りは弥彦だったんだと思います。お気に入りとは相性が良かったと言う意味です。二人は気が合った。弥彦は、性格的に活発で、若き日の自来也に似ていたから…。別れの日も弥彦が一番、泣いていましたね。自来也も同じ気持ちだったと思います。あの別れは波の国のナルトとイナリみたいな感じがしました。波の国の別れではナルトとイナリの泣き方がシンクロしてましたね(笑)。

「ああ…いたな、そんな奴も」
「とっくに死んだよ、そんな奴は」

凍るような視線が自来也に向けられます。「死んだという噂は嘘なんだろう?」と言う問に小南は黙り込んでいましたが…。弥彦は本当に死んでしまっているのでしょうか?もし、ホントに死んでるとしたら、救いのない話だなぁ。でも、このペインの冷淡さは何でしょう。それと、ペインは一度も自分を「長門」だとは認めていない。自来也だけが一方的にペインを「長門」と呼んでいるだけです。

「長門…お前。一体、何があった?昔のお前は…」

自来也は優しくて泣き虫だったころの「長門」を思い浮かべています。とても、今こうして自分の目の前にいるペインと長門がリニアに繋がらないんでしょう。ペインと長門が同じ人格であるなら、ここまで変わるのはそれなりの理由やきっかけがあった筈です。

「何も…ただ戦いだけだ」

何を判り切った事を聞くのだ?と言うような物言いです。これは、小南が言った「今さら私たちの前に現れて何のつもりだ!?」と言った気持ちと同じだと思います。「先生はあれからの私たちを知らない」…つまり、自来也と暮らした3年間の子供たちでは、もうない…。しかし、これは悲しく辛い「戦い」の中で過ごして来た…と言う僻(ひがみ)に近いです。酷く嫌味な息使いを感じます。

「ここでは人が死にすぎる。それらの痛みがオレを成長させた」

ペインとは「痛み」。長門や小南の「あれから」の人生には、その「痛み」しか無かった。もしかしたら、自来也と過ごした3年間との対比が、その思いを一層、際立たせたのかも知れません。これまで出た、小南やペインの僻(ひがみ)にも似た言葉は自来也の「短すぎる慈悲」に対する苦情のようにも聞こえます。三人の子供たちにとっては、再び味わう「親」との別れにも似ていたのかも知れない。その意味では、子供たちにとっては、残酷な別れだったと言えます。

しかし、あの時…自来也が三人を木の葉に迎え入れてやる事は考えなかったのは何故でしょうか?長門は輪廻眼保有者で貴重(レア)な存在だった筈です。木の葉に連れ帰ってちゃんと教育すれば将来は大きな戦力になるだろう事は容易に想像できます。カブトも戦争難民として木の葉に受け入れられている筈です。だから、三人の子供たちと自来也の出合いと別れが解せないのです。もしかしたら、里の掟みたいなものがあったのでしょうか。自来也には子供たちの人生が重く感じられたのか?何にせよ、自来也の子供たちへの関与は考えれば考えるほど解せないことが多いです。

「無知で愚かな子供も、痛みを知ることで人へと成長する。
言うことも考えることも人のそれになる」

散々、出て来るペインの「成長」と言う言葉。これは自来也が長門に教えた…「どうするか…自分で考えること」と考えて良いと思います。つまり、充分に考えた…とペインは言っているのです。自来也が少しばかりの慈悲を与え、放ったらかしにした「無知で愚かな子供」も苦しんで苦しんで苦しんで、何とか「人」になりました……と、自来也には、さぞかし耳が痛かった事でしょう(笑)。

「だからと言って友への想いを捨てるのが大人になることかの!?」

自来也もペインの気持ちは充分に感じています。自分の手を離れた子供らがどんなに悲惨な人生を重ねてきたかも…推し量った上での言葉だと言う事です。しかし、自来也は「自分で考える」としか教えていないのは事実です。それを後ろめたく感じてもいる。この態度には、自来也の良心の確かさを感じます。だから、ちょっと腰が引けている。でも、ペインの言い分は「それとこれは別」とも言える内容です。ペインには甘えがある。しかし、自来也の立場からすれば、それを声高に言うのも大人気ない…。自来也の痛痒さが伝わって来るようです(笑)。

「先生…アナタはまだ人でしかない…
だがオレは無限に続く痛みの中で人からさらに成長したのだ。
そう…人から…神へとな。神となれば言うことも考えることも神のそれになる
先生…アナタはまだ人のまま…オレの言うことが分からないのは仕方がない」

ペインに言わせてみれば、自分で考えた結果が「今」。これは忠実に自来也の「教え」をこなして来た結果に過ぎないのだと…遠回しですが、自来也を責めているのです。「無限に続く」とは如何にも大袈裟で子供っぽいともとれるけど、それほど「辛かった」のだと、自来也を前に言葉が自然に流れ出したのでしょう。ペインもこの時とばかり、声に力がこもっているようです。静かな「愛憎」を感じてしまいます。

しかし、ペインの言う「神」は浅はかかな…とも思います。重ね重ねになりますが…「考え」は他者には伝わらないと思った方が良い。それを了承した上でないと人は辛くて生きては行けない…。しかし、ペインがやったように伝わらないからと言って「人」を辞めてしまうなど実際には出来はしないわけで、これは人が生きて行く上で常に寄り添っている「悩み」みたいなものです。この言葉は、何だか…僕の心にも刺さるなァ。孤独な気持ち。言い訳したいのも…仕方ないかな。

何をしても自分の考えが伝わらない…と感じた時に、ペインは自分を「人ではない」とする事で整合性を得ようとしたのでしょう。だから、自分で自分を「神」とした…言わば、「自薦の神」です(笑)。これは滑稽なことです。何があろうと、生きている限り、人は人だし、自分は自分です。それを受け入れないといけない。これを「アイデンティティ」と言うのです。この浅はかさにペインの「置き忘れ」を感じます。少なくとも僕は、どんなに優れた人物であっても、自分を「神」だと言って仕舞える人間を信じない。

※間違ってはいけないのは「死」とは完全な「無」です。何もない「闇」です。だから、ペインも死ぬ事に逃げ(られ)なかった…。人はどんな時も「生」にしがみつくしかないのです。それは「魂」の願いですから…。無意識の自分を信じて下さい。迷った時はそれが正解だと思います。生きる事は、決して恥ずかしいことではない。

「そこまでズレてるとはの…」

自来也は自責の念を拭えないでいます。ペインを生んだのは自来也自身なのですから。そして、自来也がここに居るのは、大蛇丸があの時に言った…「殺す?この子たち」を噛みしめた結果なのです。その含みを受け入れて読み返すと…何だか自来也の、この時の物言いが大蛇丸に似てるから笑えたりします。この時ばかりは、自来也に乗り移った大蛇丸が喋っているかのようです。もしかしたら、大蛇丸のサブリミナルな教育が自来也を突き動かしているのかも知れませんね(笑)。

凄く余談なんですが、自来也が大蛇丸の里抜けを止めようとした時に大蛇丸が言った…「どこまでもめでたい奴ね。自来也。何をするにも考えが足りない。そんなんだから私のやっていた事にも気が付かなかったのよ…」(27巻/38頁)と言う台詞が、ペインの存在を言及する事だとしたら、大蛇丸がやろうとしていた事は何だったのか?気になって来ます。それと、ナルトが螺旋丸を会得した瞬間にも血相を変えてナルトを殺そうとしましたよね(「暁」にナルトが渡ると面倒な事になるとか何とか言って…大蛇丸の考察参照)。あれも…その真意は何だったのか?も一度、探る必要があるかな…。

大蛇丸は、かつて難民の子供たちとすれ違った。そして、同じ組織…「暁」で一時的にでも行動を共にした。大蛇丸の考えの深さを考慮すれば、それを無為とは考え難いです。大蛇丸の行動の目的にペインの存在が(少しでも)あったとしたら、説明し易い事は多いです。今のところ…死んでいる大蛇丸(笑)。何とかして、もう一波瀾あって欲しいところです(横道に逸れまくりですが…大蛇丸の「いつみても波瀾万丈」があるなら是非とも観たいです。きっと、涙でボロボロになると思いますが…)。

「人の時には見えなかったものが神となった今は見える。
そして神だからこそ人には出来ないことが出来ることに気付く。
簡単に言えば人からの進化だ」

何故だか、小南は沈黙を守っています(笑)。人前でペインの言葉を遮らないようにしてるんでしょうか。だとしたら、大和撫子だなぁ。確かに、ペインは大した「眼」を持っています。三大瞳術の最高峰…「輪廻眼」です。それがもたらすパフォーマンスは人知を超えている事でしょう。どんな能力かは未だ判りませんが、「人」が恰も「神」であるかのように感じてしまう能力だと言う事になる。例えば、命を奪ったり、与えたりしてしまえるような…(汗)。

「お前は一体、何をする気だ?」

これは自来也の巧みな話術と考えて良い。ここまで来て、やっと気付きましたが、自来也はペインを憤らせずに「ペラペラ」と喋らせています。これが自来也の尋問スタイルなのでしょう。「確かな情報元」とは結局、自来也自身だった。危ない橋を渡りまくって(蝦蟇の食道を通りまくって)、自分で情報を集めた…。自来也の豊かな情報収集能力を感じます。自来也を一瞬でも疑ってしまった自分がバカでした…(滝汗)。ちょくちょく姿を暗ましては、ひょっこり姿を現わす自来也。人知れずタイトロープを渡ってた。おじさんも頑張ってたんですね…。

「この戦いだらけのくだらない世の中に終止符を打つ」
「それが神の御業(みわざ)だ」

この答えを発する前にペインは目を閉じて一瞬沈黙しています。この「間」は何だろうと考えると、ゾクッと寒気がしました。そろそろヤバいです。ペインも喋り過ぎる自分に気付き始めたのかな…と、思いました。自来也に乗せられてる自分に気付いたのかも知れません。二人の静かなやり取りは見応えがありました。実際にその場に居たら、きっと「冷たい汗」を流してた事でしょう(冷汗)。

「それが目的なら、何故"尾獣"を集める?」

自来也のもう一押しです。でも、そろそろヤバいよ~ッ(汗)。パターン変えないと…とヒヤヒヤしてると、案の定でした(滝汗)。

「アンタはどうせ死ぬ。だから本当の目標を教えてやろう」

ペインも自来也の思惑には気付いていたようです。その上で、自来也に真相を暴露すると…言う。これは相当な自信と言えます。自来也もこの時点で、「……?」となっています。最早、昔の優しくて泣き虫の長門ではない。目の前のペインは倒すべき「敵」であると意を新たにしたことでしょう。

「"尾獣"を使って新しい禁術を造るためだ」

尾獣を集める目的は、何故だか、かなり前から…「こんな感じかな…」と、仄かな臭いを帯びていました。何故なら、人柱力と言えども「暁」の前には無力で、尾獣単体でもそれほど強い存在ではなかった…。そこで、夥しい量の禍々しいチャクラの塊=エネルギー源…と言う側面で尾獣を捉えれば受け入れやすい。『術=チャクラ+印(術式)』ですから…。尾獣を動力源にすれば強力な術を発動できると考えたのです。

「その術、一つ使用しただけで一瞬にして大国さえも潰せる…最大最強の禁術兵器をな…」

「禁術・天地開闢」(てんちかいびゃく)。この世を一瞬で無に帰してしまうような恐ろしい術。世界を消滅させてしまうような爆発(ビックバン)。これを「写輪眼の本当の意味」にまつわる術かな…とも思いましたが、「禁術兵器」とペインが言っていることから、核爆弾のようなパッケージなのかな…と考えるに至っています。口寄せで転送するICBM(大陸間弾道ミサイル)と言ったところでしょうか。ナルトの「八卦の封印式」でも感じたけど、尾獣は「核」に似ている。人が制御できるような「力」ではない…。

「争う国々にその禁術兵器を渡せばいいのだ。兵器を持てば必ず人はその力を使う。
億単位の数の人間が一瞬で死に絶える。そして人々は恐怖する!」

「人々が、国が、世界が、痛みを知るのだ!!」

ペインが考えるのは世界(天体)全体を破壊する規模の兵器ではなく、大国を吹き飛ばす程度の規模の兵器のようです。確かに一国が使えば、恐怖心の連鎖や報復で世界が終局に向かう方向に、波及して行くのは容易に想像できます。威力的にも「一瞬にして大国さえも潰せる」程度の大きさの方が、人が過ちで使う危なっかしい兵器としての位置付けには絶妙と言えます。誰も自分も一緒に死んでしまうのが判っていたら使わないですからね。

「その恐怖心が抑止力を生み、争いは無くなる」

この考え方は、現に今の世界を安定させています。第一撃(ファーストストライク)があったとして、その後の世界の均衡をシミュレーションする考えですから、封印像に封じ込まれた尾獣のチャクラから何度も「禁術兵器」が生産されると言う事なのでしょう。ペインも人を根絶やしにして、世界を終わらせてしまうよな考えは持っていないようですね。「神」になっても、独りぼっちは嫌なんでしょうか(笑)。

「この世界は今、まだ安定に向けて成長している途中だとも言える
痛みは世界を成長させる。かつてのオレがそうだったのと同じように
世界が成長し、考え、歩き出すようになるには神の手助けがいる」

「世界はまだ子供なのだ」

以上が、ペインが自分で考えた結果のようです(汗)。分別のない「魂」に与えられた自来也の不用意な命令(?)を忠実に実践した結果に過ぎないのですが、独善的と言わざるを得ません。何故、この考えが生まれるかと言うと、「痛み」を感じたと言いながらも、それでも、ペインは他者と繋がろうとしているからです。自らを「神」と言い切るなら霞を食べて生きれば良いし、独りぼっちでも寂しくないでしょうに。世界を「子供」としたのは、自分も「人」であると…口を滑らせたようなものです。ペインの考えはかなり脆いです。

「世界の成長のために痛みを教えてやる…それがお前の役目ということか?」

「冗談を言うようになったの…長門」と、温厚な自来也も軽~く切れましたね(笑)。瞬間、「乱獅子髪」の攻撃モードにスイッチオンです(汗)。「オレは平和主義者の神だからな」と言う、ペインの思い上がった言動が、自来也の…「里の狂気」の琴線に触れたようです(笑)。<ズボボボ>っと「乱獅子髪」がペインを貫きます。しかし、それは変わり身…(汗)。そこに「こっちだ、先生」と奇怪な口寄せ動物と共にペインの登場。変わり身なんて(先生が教えてくれた術だよね…)って感じで、ちょっと嫌味な「切り株」(汗)を使っていました。一体、どこから持って来たんでしょうか(笑)。回りくどい!!

「アンタはオレからすれば成長しきれてない小さな存在だ」

この言葉でもペインは「綻び」を露呈しています。ペインの「存在」とは自来也との対比で成立するような矮小な「存在」であると言う事です。現実問題として、ペインは他者を批判する事で自分を感じているのです。これは「相対」であり、「絶対」ではない。自分の「高み」と言うのは自分だけが判れば良い事で、それを他者に判らせようとする魂胆が、そもそも「小さい」と言えます。うちは虐殺の折、イタチはサスケに自分の「高み」を、くどくどと説明なんかしませんでしたよね!

「ガハハハハハ!!ガキにガキ扱いされとるとはの!
そもそもワシももはや人では無いわい!!」

自来也もきっとそう考えての高笑いです(笑)。そもそも、自分の「撒いた種」でもありますから…。ここで、自来也がわざわざ「人では無いわい!!」と言った以上は、それなりの覚悟があるのでしょう。また、自来也の奥の手の暗示でもあると思います。自来也の額当てが木の葉マークではなく、「油」と書かれ、おまけに「角」まで生えてる…その意味が明かされるかも知れません。で、自来也も口寄せ!にでます。今度の相手は「乱獅子髪」では対応できないと判断したようです。

「怒りに溢れた血の涙ァ!三忍語りて仙人に!妙木山の蝦蟇妖怪!!自来也様たァ~」

自来也も「血の涙」を流して生きて来たのですね(自来也の隈取りは「血の涙」だったんだ…)。辛い思いは皆しているのです。生きる事は「闘い」そのものなのだから…。自来也は三人に忍術だけを教えてしまった自分の過去を悔いている。同時に、あの時、教えられなかった事を、これから教えなければならない!と考えているのです。自分だけが辛いわけじゃないって事を…。

「うぐっ…!」

カッコ良く、上手に「韻」を踏んて見得を切るところが、つんのめって転んでしまいましたけどね。お約束?!(笑)

「やはり成長しきれていない…昔と同じドジだ」

ふと、「自来也と三人の修行は楽しかったんだろうな」…と感じました。戯(おど)ける弥彦。クスクスと笑う小南。大人しくそれを見ている長門。修行だから辛い事もあったろうし、しんどい想い出もあったでしょう。でも、螺旋丸の修行でナルトにアイスキャンディーを割って与えた無為の自来也の優しさが三人をほだして行ったのではないか…と僕は考えています。きっと、それは長門にとっても暖かみのある想い出に違いない筈です。長門の「ドジ」と言う言葉には、その残り香を感じます。乾いた…夏の夕陽のような…自来也の笑顔。

「コラー!!ガマケンさんよ!見得を切る所で揺らすなってのォ!!」

またもや、お初の蝦蟇です。今度の子はツノガエル風ですね(笑)。武器らしき二又の杖(鎗)と盃(さかずき)の楯ですか?(笑)大方の予想を裏切り……ガマブン太(菅原文太)じゃなくて、ガマケンさん。自来也が「さん」付けする口寄せ動物…。これは相当の大御所と言う事でしょうか。勿論、これって(高倉)健さん…でしょ?!ですよねーっ(笑)。

ガマブン太だったら、「仁義なき戦い」になっちゃうから…キッシーは、きっと「仁義ある戦い」にしたかったんだろうな…と思います。これは自来也の「仁義」を賭けた闘いですから。この世には、人生には、「痛み」以外の素晴らしきものが数多く存在します。それを、ペインたちに教えてあげることが出来なかった自来也の贖罪が、これから始まるのです。

「自分は不器用なもんで…」

そんな事、言わずに……頑張ってッ!!健さんッ!!

綱手が木の葉の里で「黄色いハンカチ」をはためかせて待ってる筈だから…。


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カカシが怒った日


「………この子…
もう…死んでる

波の国のカカシと再不斬の闘いです(4巻/72頁)。「口寄せ・土遁・追牙の術」で再不斬を拘束したカカシは伝家の宝刀「雷遁・雷切」で襲いかかります。そこに「白」が氷(?)瞬身(秘術・魔鏡水晶の応用)で割って入ります。間一髪の乱入はカカシの写輪眼でも見切れなかったようです。カカシの「雷切」は「白」の左胸を一閃。「白」は即死でした。死してなお、敵を見据える気迫に溢れた…壮絶な死に様でした。

非常に余談ですが、まだこの時期には「チャクラの五大要素」と言う概念自体、その存在が不安定です。「雷切」に関しても「チャクラが手に…目に見えるほどに…」(3巻/50頁)と言うように、再不斬の口からは「雷」の「か」の字も出て来ません。「雷遁」と言う表現すらありませんでした(汗)。この段階では、チャクラの「性質変化」や「形態変化」の概念(言葉)も存在しなかったんでしょう。当然、チャクラ性質の優劣関係も説明がなかった。

第二部に入って、尾獣の存在を含む「NARUTO-ナルト-」世界の謎を説明する上で、チャクラ性質の存在が必要だったのだと思われます。また、強さが一方的にならないように、チャクラ性質の優劣関係が生む「相性」が欲しかったのもあるとも思います。考えが後から出て来た痕跡はありますが、キッシーはそれを繋げるのが上手です。これは編集の担当者の知恵もあるかも知れません。製作サイドの話ですが、非常に賢い人たちが必死になって僕らを楽しませようとしてくれてる光景が目に浮かぶようです(笑)。

余談ついでに、もう一つ。「白」が再不斬の危機を感じ取り、カカシの雷切を防いだシーン。その前段階、第一撃で「白」と再不斬がカカシ班に先手をとって水分身で揺動をかけます。これはサスケの活躍(見違えるように成長していた!)によって一蹴されるんですが、実はこの時、水分身は「水」を辺りに撒き散らす戦術的な意味があったと考えています。辺り一面に巻き散らかされた水が、再不斬の「霧」や「白」の「氷遁秘術」の布石なったのです。恐らく、「白」のチャクラを練り込んだ特別製の「水」だった筈です。それは我愛羅の瓢箪の砂と同じようなものだったと、僕は考えています。

そして、その「水」は再不斬の近くにも存在していた。カカシが襲い掛かる再不斬の直ぐ近くに「白」の魔鏡が発生しています。「白」はその魔鏡を使った瞬身でカカシの攻撃に割り込んだのです。この辺り一面に撒き散らかされた水は「白」の愛情そのものと言っても良い配慮だったのではないでしょうか。ミナトがカカシに渡した飛雷神の術式入りのクナイにも似ていますね。「白」の賢さや優しさ…再不斬に対する「思いやり」が感じられる描写だと思います。

また、カカシの雷切を「白」一人で受け止められたのは、氷遁が「水」と「風」のチャクラ性質の複合使用に当たる血継限界(35巻/126頁)で、「風」のチャクラ特性が「雷」のチャクラ特性に優越する事によって雷切の攻撃力を無力化できたものと考えられます。雷切の攻撃範囲は狭いですが、深いです。木の葉襲撃事件でサスケがイタチに千鳥を躱された時、後ろの壁に大穴が開いてました。中忍試験の我愛羅戦でも砂の殻と長い棘の奥に潜む我愛羅に傷を与えています。

再不斬が無傷で済んだのは、「白」の経絡系(心臓)があったればこそと言えるでしょう。カカシの右手が「白」の左胸を穿っていましたが、自分の身体の一番分厚い部分…胸の…風のチャクラを錬り込んだ防壁でカカシの雷切を受け止める必要があったから…。「白」はカカシの右腕をそこで受け止めた…。「白」は再不斬の役に立ちたかったのです。自分の命なんて少しも惜しくなかった…。閑話休題。

「ナルト君…ボクを…
殺して下さい

この…「白」が再不斬のピンチを救う直前、ナルトに破れ去った「白」はナルトに殺される事を懇願しています(3巻/40頁)。ナルトの九尾のチャクラに気押されたとしても、余りに呆気無い敗北宣言だなぁ…と。薬草を採りに行ったのは偶然(再不斬の治療の為)だったでしょう。でも、そこでナルトと出会ってしまったのは「運命」でした。それはナルトにとって…だけではなく、「白」にとっても大きな出会いだったのです。「白」の運命をこんなにも左右してしまったのだから…。

「再不斬さんにとって
弱い忍は必要ない…
君はボクの存在理由を奪ってしまった」

余りに難しい事を言ってしまったので、ナルトには理解されませんでしたが(4巻/33頁)、「白」はナルトに敵わないと悟った瞬間、自分の命を酷く無価値なものと感じてしまったようです。もっとも、この前段階でナルトやサスケを殺してしまえるチャンスは腐るほどあったんです。むしろ、そのチャンスを自ら不意にしてしまった自分の「弱さ」や「甘さ」に、限界を感じていたと言って良いでしょう。

「白は…
アイツはオレだけじゃない
お前らの為にも
心を痛めながら闘っていた…
オレには分かる」

ナルトの「恨み節」で心の扉を抉じ開けられた再不斬が説明しています(4巻/95頁)。「白」は優れた忍でしたが、既に「魂」が触れ合ってしまったナルトや、その親友のサスケを殺してしまう事ができなかった。「白」は道具として生きる道を選びながらも、本心はそれが嫌だったのです。そして、その気持ちと再不斬への想いが鬩ぎあって、「白」を追い込んで行ったのでしょう。

「あいつは優しすぎた」

再不斬も解っていたのです(4巻/95頁)。再不斬は、それを覆い隠して気付かないようにして来たのです。否、知っていて目を背けてきた。再不斬には「野望」がありました。それは「意地」と言い換えても良いです。そして、その実現に囚われ過ぎた故、本当に大切なものを見失ってしまった…。男が男として生きる上で「意地」は確かに大切な原動力です。必要な「力」です。でも、自分独りで生きられる人間なんて存在しないのだから…。決して、思い上がってはいけないのです。でも、悲しいかな…人は、「大切なもの」を無くしてし初めて気付くのです。そして、再不斬も同じ過ちを犯していた…。

この再不斬の「過ち」に、まっ先に気付いていたのがカカシでした。気付いた…と言うか、カカシは再不斬と重ねていました…神無毘橋のカカシ自身とです。岩の下に沈むオビトとの惜別の瞬間と…です。そして、今、目の当たりにする「白」の壮絶な死。そして、それに気付きまいとする再不斬の態度に「昔のバカだった自分」(16巻/81頁)がフラッシュバックしたのです。経験とは後悔と同義です。失敗の数だけ人は賢くなる。優しくなれるのです。そして、強くなれるのです。

カカシの戦闘シーンは数多く存在しますが、そのほとんどは任務の為であったり、仲間を守る為であったりします。カカシが自分の為には闘うことは、ほとんどありません。これはカカシの闘いの顕著な傾向と言って良いです。相手の攻撃を身を呈して防いだり、仲間への攻撃を遮ったりと…消極的とすら思える戦闘をカカシはよくします。カカシは常に自分以外を思いやる優しい人格なのです。しかし、この時ばかりは…カカシは…一味も二味も違いました。


カカシは猛烈に怒っていた!!


「お前の野望は大きすぎた…
霧の国を抜け
"抜け忍"となった
お前の名はすぐに
木の葉にも伝えられたよ…
水影暗殺
そしてクーデターに失敗したお前は
数人の部下とともに
野へ下った……と…
報復のために資金作り
そして"追い忍"の対討から逃れるため…
そんな所だろう
ガトーのような害虫
お前が与したのは…」

多分、これはカカシの暗部時代の知識なのでしょう(4巻/49頁)。再不斬は手配書(ビンゴブック)にも載る札付きでしたから…。文意が汲み難いのですが、水影を暗殺したのか?暗殺…そしてクーデターの両方に失敗したのか?掴みかねます。ただ、再不斬の里影にも匹敵するような力を感じさせます。再不斬は強かったのです。それ故、再不斬は傲慢だった。強さが再不斬を暴走させたのです。「力」が再不斬の「心」をねじ曲げてしまった…。

「お前は危険すぎる
お前の野望は
多くの人を犠牲にする
そういうのは…
忍のやることじゃあないんだよ」

カカシの場合は、父・サクモの自死が原因でした。その反動が「頑」(かたくな)な考えを生んだのです。カカシは父が固執した「掟」に囚われました。結果、その頑なさによって、自分の大切な人を失ってしまった。外見は違えど、それと再不斬も似たような事をしている。カカシはまるで鏡を見ているかのような嫌悪感の中に、この時、居たのだと思います。「再不斬を殺してしまいたい!消し去ってしまいたい!」と、カカシは思った事でしょう。言い換えれば、それ程、過去の自分…「昔のバカだった自分」を、カカシは憎んでいるのです。

「まったくオレはよくよく
いい拾いものをしたもんだ
最後の最後でこんな好機を
与えてくれるとは!!」

「白」の乱入で九死に一生を得た再不斬は「白」もろともカカシを斬ろうとします(4巻/73頁)。至近で、しかも「白」の壮絶な死に躊躇していたにも関わらず、カカシは「白」を抱き抱え、再不斬の間合いの外に余裕で回避しています。「クク…白が死んで動けたか」と再不斬は毒づきますが、この時から再不斬は鈍っていた…。それは再不斬にも薄らと分かっていたかも知れません。

「…お前とは他の所で会ってたら
友達になれたかもな」

ナルトも「白」の事が好きでした(4巻/55頁)。ところで、ナルトの九尾の覚醒は一時的なもので、「白」のお面が割れると同時に消失していました。この頃は「八卦の封印式」も未だ強固で緩んでいなかったのでしょう。つまり、サスケの「死」(死んだと思った)は相当大きな…一瞬でも強固な八卦の封印式を緩める程の、大した覚醒の「引き金」だったのです。(許せねェ……)平常心に戻ったナルトも<ギリッ>と奥歯を噛み締めていました。しかし、今にも飛出しそうなナルトをカカシは制します。

「ナルト…
お前はそこで見てるんだ

今にも再不斬に飛びかかろうとしたナルトをグッと引き戻します(4巻/74頁)。この時、ナルトはカカシの「威圧感」に恐れを感じています。それはナルトが初めて感じるカカシの「怒気」であったと思います。カカシは近寄り難いほど激しく怒っていたのです。目の前で「大切な人」を失ってしまったのに、それに目を背ける臆病な再不斬に…。そして、大切な人を無くしてしまって初めて気付いた「昔のバカだった自分」にです。

そして、カカシは宣言するのです。

『こいつはオレの戦いだ!!』

この言葉は…唯一と言っても良い!!…カカシが自分の「怒り」の為に力を奮う宣言でした(4巻/75頁)。カカシが自分の中の怒りに任せて、その力を使うなんて…後にも先にも…恐らく、このシーンだけです。多分…。

この言葉の前に、安全な場所に「白」の骸を横たえて、カカシはソッと「白」の目蓋を閉じさせています。時間をかけて丁寧に目蓋を降ろしています。もう「白」は息絶えていましたが、それでも、その瞳に再不斬の「死」を映したくは無かったのです。

カカシは「白」の望みを汲んだのかも知れません。そして、自分の目で再不斬を鋭く見据えます。それは写輪眼の能力でも何でも無い、男として、そして、同じ過ちを犯してしまった…バカな男だった…男としての「眼」でした。

「カカシ!
よそ見してる暇はねーぞ!!」

ナルトに気をとられているカカシに再不斬が襲い掛かります(4巻/76頁)。が、あっさり躱される。<ぐふっ>と腹を蹴飛ばされます。明らかに、さっきまでの再不斬ではありません。さっき…そう…「白」がカカシの雷切に貫かれる前までの再不斬と…です。先に、「白」ごと首切り包丁で薙ぎ払おうとした時には既におかしかったのです。再不斬は首切り包丁を振り回す最中に「言い付けを守るただの道具としてお側に置いて下さい」と健気に喋る「白」の幼き日の姿を思い出してすらいました。

「どうしてだ…
なぜ…ついていけない……」

カカシは追求の手を休めません(4巻/81頁)。再不斬も必死に抗いますが、最早、大人と子供の闘い…。勝敗は明らかです。もう再不斬はヘナヘナでした。ここまでになって、まだ気付けないほど、再不斬は頑に「心」を閉ざしていたのです。そして、それ以上に「臆病」だった。「白」の存在を認めてしまう事を…。「白」を愛していると言う事を…。背を向けているしかなかった…。

「今のお前では
オレには勝てないよ
お前は気付いていない……」

不様な再不斬にカカシは、そう言い放ちます(4巻/82頁)。「今の…」です。「白」が死んでしまった…「白」がこの世から消えてしまった…「今」です。この言葉を再不斬に伝えるカカシの胸は、きっと、張り裂けそうだった…張り裂けそうなくらい痛んでいたと思います。この闘いは、その「痛み」を再不斬に伝える為に闘いなのです。カカシにとって、それが、自分の後悔への贖罪なのです。だから、カカシ自身の闘いなのです。カカシは自分自身を呵責していたのです。

「さよならだ
鬼人よ!」

カカシはクナイを二本束ねて再不斬に襲い掛かります。殺傷力の高い暗部仕込みのクナイの使い方なのかも知れません。再不斬は咄嗟に首切り包丁を振り回して身を翻します。再不斬の必死の抵抗でした。カカシのクナイが再不斬の残された右腕を貫きます。

「これで両腕が
使えなくなったな
印も結べないぞ」

術も使えない。首切り包丁を持つ事もできない。文字どおりの丸裸です。そこに「おーおーハデにやられて……がっかりだよ………」と、毒々しく呟きながらガトー一味が大挙して現れ局面が大きく傾きます。結局は、再不斬もガトーに利用されていただけだったのです。ガトーの裏切りによって、カカシと再不斬は争う意味を無くした事を知ります。

「カカシ…
すまないな……
闘いはここまでだ」

「ああ…そうだな」と、カカシも気持ちを収めました。この再不斬の有り様を前に「怒り」も鎮まっていました。「…そういえば、こいつにはカリがあった」と、ガトーが「白」の骸をいたぶる姿をみて、それでも何もしようとしない再不斬に、ナルトが詰め寄ります。しかし、この期に及んでも再不斬は、自分の「考え」を曲げようとはしません。再不斬って、どこまで頑固なんでしょう(汗)。

「……ガトーがオレを利用したように…
オレも白を利用してただけにことだ…
言ったはずだ…
忍の世界には利用する人間と
利用される人間のどちらかしかいない
オレたち忍はただの道具だ
オレが欲しかったのは
あいつの血であいつ自身じゃない」

『未練はない…』

カカシが憎んでいたのは、この再不斬の「忍道」だったのです(4巻/90頁)。「お前ってば…本気でそう言ってんのか…」と言う、それは、ナルトにすら疑わしく感じられるような言い訳めいた考えでした。カカシが制する腕を振払って、ナルトが再不斬に迫ります。ここからナルトの「恨み節」に繋がって行きます。しかし、その前にカカシがボソッとナルトに告げるのですが…子供には解らない言葉だったので…ナルトの「勢い」にかき消されてしまいましたけど……。

「やめろナルト!
もうこいつと争う必要はない…
それに……」

カカシの「それに……」がポイントです(4巻/90頁)。大人語の翻訳機にかければ、この「……」は「こいつはもう充分、後悔している…。自分のバカさ加減に気付いている」になると思われます。「力」を失い、傲慢な「心」がへし折れてやっと、再不斬は「白」の大切さに気付くのです。存在を認める事ができたのです。止せば良いんですが、この後、件のナルトの「恨み節」が炸裂し、再不斬を泣かしてしまいます。「鬼の目にも涙」とは、きっと、この描写のためにあるのだと思いました。

「……最後に
お前らとやれて良かった……
そう…小僧
結局はお前の言う通りだった…
忍も人間だ…
感情のない
道具にはなれないのかもな……
オレの負けだ……」

再不斬も既に気付いていたのです。

再不斬はこう言い残してナルトに借りたクナイを口にくわえて、ガトー一味の真只中に飛び込んで行きます(4巻/95頁)。この時、再不斬が遺した言葉が、これから「忍」として生きて行こうとするナルトの、どれだけ大きな救いになった事でしょうか。再不斬もナルトに「何か」を伝えたのです。遺したのです。これが、再不斬とナルトの「魂」が触れ合った瞬間だと思います。

そして、ナルトはこの後、壮絶な男の生きざまを見せられる事になります。再不斬は「大切な人」の為に闘った。再不斬は「白」の事だけを想って闘ったのです。だから、鬼のように強かった。再不斬は「白」の遺した言葉を自らの「死に様」をもって、ナルトに証明して見せたのです。再不斬は、斬られても斬られても怯まず突き進み、ついにガトーを追い詰めます。

「もう…
さよならだよ白…
今までありがとう
…悪かったなあ…」

ガトーの首をはね、再不斬は壮絶な往生を遂げます(4巻/101頁)。この時、再不斬から吹き出すのは「白」への想いだけでした。再不斬の本心が「意地」とか「忍道」と言う呪縛から解き放たれ、溢れ出すようでした。きっと、再不斬の「魂」は満足できたんじゃないでしょうか。だから、最期に「ありがとう」と言えた…。

感謝できたのです。

再不斬は「白」と一緒に居たかった。心から感謝していた。そして、愛していた。カカシはこの気持ちを再不斬に認めさせたかったのだと思います。その為に闘ったのです。カカシが「昔のバカだった自分」と言うのは、今はそれに気付いているからです。再不斬を「バカ」のまま逝かせるわけにはいかない。カカシは放っておけなかった。気付かせねばならないと感じていたのです。

再不斬に「白」を認めさせたかったのです。

「目を背けるな
必死に生きた男の最期だ」


血まみれになって崩れ落ちる再不斬…生々しい人間の「死」に目を伏せようとするナルト…カカシは瞬きもせずにそれを見守っています。再不斬は神無毘橋の自分そのものでしたから…。そしてナルトを優しく促すのです(4巻/103頁)。「生き様」とは「死に様」です。それから目を背けてはいけない…!!認めなくてはいけない!!

ナルトはしっかりと再不斬の『生き様』を見つめるのです。

そして、心にしっかりと刻んだ筈です。
本当の『強さ』とは…何なのか?…を。


  
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忍者登録番号による考証を試みる!

 
カカシの年齢の読み取りの間違いに気付いて(←正確には「教えてもらった」んだけど、こっ恥ずかしいので今後は「管理者にだけ表示を許可する」にチェックして教えて下さい。ナル×ジャンもアクセス数が多くなったので、赤面じゃ済まなくなってますんで…そこは、ひとつ…ヨロシク…汗)、「闘の書」(キャラクターオフィシャルデータBOOK)を再確認しました。

注目したのは「忍者登録番号」です。僕は考察する上で、この番号を軽視していた面があります。イルカ先生の番号が「臨」(011450)と「闘」(011850)で番号が矛盾する点を指摘する見解があったから、そんなに意味がないんだろうと、高を括っていました。エクセルが手元になかったので、エディターに平打ちで並べましたが、それでも面白い事が解りました。「闘の書」に関して、それも「ザッ」とですが、かなり整合性がある内容である事が解りました。

ついでに、これまで「薄ら」とぼやけてた部分も浮き上がってきて、宛ら(警察の)「鑑識」の指紋採りのような気分です。しかし、この情報量は…キッシー独りで到底、まとめられる量じゃない。恐らく、編集の担当者が頑張ったんだろうなァ…と感心してしまいます。こんな場末の考察ブログのヘボ記述ですら、ほんの数カ月の蓄積で数々の矛盾が発生するのに、原作のあの量とクオリティを考えると、商売と言う事を差し引いても恐れ入ります。相当、賢いです。

具体的には『忍者登録番号―氏名―生年月日―アカデミー卒業時の年齢―中忍昇格時の年齢―第一部終了時点の年齢(享年/この場合、外の数字は第一部終了時点の仮想年齢)』を列記(平打ち)して、その昇べきに並べて検討しました。実際に、その「流れ」を検討して行きましょう。第一部終了時点までの統計(「闘の書」引用)が主で、部分的にしか第二部の設定は加味していませんので…。

000261―三代目.火影―0208―不明―不明―69(69)

初代/二代目が不明だらけで割愛しました。「闘の書」に限定して、その中の木の葉の忍の情報だけを抽出しています。猿飛が十代前半くらいの子供の頃、既に初代や二代目はしっかりした風格のある大人だったから、そこから推察して木の葉の誕生(初代)はその少し前(20年以内程度)かな…と類推できると思います。戦乱の世で、火影と言う立場に二度までも立ちながら、猿飛は長生きできたな…と逆に感心してしまいます。

002300―大蛇丸―1027―06―不明―51

002301―自来也―1111―06―不明―51

002302―綱 手―0802―06―不明―51

後に「三忍」と山椒魚の半蔵に命名される事になる木の葉の伝説の忍。三人とも仲良く登録番号が並んでいますね。この並び方を見て、卒業試験の結果によって成績の良い順に番号が付与されるシステムなのかな?と感じました。実技試験だけでなく、筆記試験もあったから、自来也は綱手の前に来れた?一応の面目を保てた。でも、大蛇丸の背中を見ていた。憧れてた…。そんな情景が浮かんで来ました。自来也とナルトは似てるけど、自来也はインテリでした。その賢さがアダになった。考えが先に立つと上手く行かない事ってあるのかもね。ナルトはそこが違うのが、この物語の「救い」になってる気がします。しかし、僅か6歳でのアカデミー卒業は早い!

002973―ダン―1204―10―不明―不明(27)

さて、ダンです。この死亡年次の特定は「NARUTO-ナルト-」の時系列考察でも大きな障壁の一つだと思います。アカデミーで教鞭(?)をとる三代目の講議で二人は一緒に学んでいます。医療忍術の必要性を軽視する猿飛に、綱手が「ンだとコラじじい!」(18巻/138頁)で凄んでいましたね。きっと、綱手は縄樹の死でナーバスになっていた時期なんでしょう。決して口が悪いとか、はしたないなんてことは…(笑)。

ダンの忍者登録番号が綱手のと600番ほど跳んでいますが、アカデミー卒業時の年齢が綱手6歳に対してダン10歳ですので、意外に年齢が近いかも知れません。ダンは綱手を「君」と呼んでいるので、同じ歳か、ダンが一つくらい歳上の可能性を感じます。綱手に対して静かで大人しい雰囲気がありますね。綱手は面食いだった…ホストクラブにハマるタイプだと思います。

ダンの戦死は縄樹の死後で、「たとえ三忍と呼ばれる綱手の医療忍術を駆使しても」(18巻/142頁)のイビキ(?)の台詞を取り込むと、半蔵との闘い以降に特定されます(半蔵と対峙できた時点で「血」のPTSD以前と判断されます)。僕の考察では綱手の様子から察して、綱手達が弥彦・小南・長門の三人の難民と出会うのは縄樹やダンの死の前と考えているので、これらを組み合わせば、かなり絞り込めるんではないでしょうか。

004086―うちはフガク―0816―不明―不明―45(40)

005159―日向ヒアシ―0108―不明―不明―42

005348―うちはミコト―0601―不明―不明―40(35)

005350―縄 樹―0809―不明―不明―不明(12)

僕の大好きなミコトママと縄樹が意外にも年代が近い事に気付きます。忍者登録番号が擦ってますよね。縄樹が猛烈に優秀な成績ではなかった…とするなら、年齢もそれほど大きく外れない筈です。もしかしたら同期生。ミコトママの若い時の回想…10回連続でやってくれないかな…(汗)。

仮に第一部終了時の年齢を、縄樹40歳(ミコトとタメ)、ダン51歳(綱手とタメ)と仮定すれば、二人の享年からダンの戦死は24年前(=51-27)。縄樹が28年前(=40-12)と言う事になると仮説が立てられると思います。二人の死は4年程度の間隔があったと考えられると言う事です。縄樹やダンの年齢の受け取り方で多少は転ぶと思いますが、大きくは外れてない数字だと思います。

大雑把ですが、これを起点にして、三人の難民との出合いは縄樹の死の前とすれば、綱手たちが23歳以前となり、半蔵との出会いのタイミング(「三忍」の命名。難民と出会った時は三忍と呼ばれていた)や、綱手の態度や自来也の難民三人の修行の(長過ぎるとも思える)「三年」ともかなり上手く符合します。縄樹の死体安置所での描写があるので、自来也と子供たちとの生活の形態(フルタイム/パートタイム)にも関わる考察の材料としても興味深いです。

005480―油女シビ―0907―不明―不明―39

005490―秋道チョウザ―0422―不明―不明―38

005491―奈良シカク―0716―不明―不明―36

005492―山中いのいち―0124―不明―不明―38

007350―犬塚ツメ―0812―不明―不明―36

009091―奈良ヨシノ―0224―不明―不明―36

ナルトたちの親の世代に当たる団塊(クラスター)です。シカクの年齢が2歳下とやや若いにも関わらず、他と同列(同じ歳のツメやヨシノと番号がかなり離れてる)登録番号にある事は、シカマルの12歳での中忍昇格にも符合して、非常にしっくり来る設定だと思います。この数字を見た時に、このプロフィールのデータの信頼性を感じたと言っても良いです。この部分は考証がかなり厳格に取られた痕跡だと思います。

ナルトの親世代と言うことで、ミナトもこの辺りかな…とジワッと考えるに至っています。神無毘橋の戦いでのカカシとの対比からしても、妥当かな…と思います。また、登場人物の密度から考えて、この年代の前に世代が疎になっているのは、忍界大戦の影響かな?とも思います。「何せ木の葉も今や未曾有の戦力不足だからね」(27巻/73頁)と言うミナトの台詞からも、忍界大戦で疲弊した木の葉の事情が窺い知れます。

余談ですが、この台詞は、他の二人を差し置いて、年下の!(そうカカシはリンやオビトの年下だったのです!)カカシが上忍に昇格した事に対するオブラートになっていて、ミナトの心根の優しさを示す描写だと、僕は考えています。こう言う心遣いはなかなか出来ないものです。どんなに「力」を持ったとしても、謙ったものの考え方ができる人は素晴らしいと思います。こう言う描写にミナトの人望の厚さ感じてしまいます。

009717―並足ライドウ―0828―不明―不明―32

009720―はたけカカシ―0915―05―06―27

さて、本丸です(笑)。カカシは第一部終了で、27歳なんですね。あんまり落ち着いてるんで、てっきり30歳超えてるものと勘違いしてました(汗)。僕の少し下かな…くらいに思っていて、一方ならぬ感情移入をしていまして、ホントに失礼をばブッコキました(笑)。

カカシは5歳でアカデミー卒業。6歳で中忍。これだけ見れば三忍をも凌ぐ優秀さです。ミナトの「カカシは"木の葉の白い牙"と恐れられた天災忍者、はたけサクモさんの息子でね…その親父さんの前では"伝説の三忍"の名すらかすむほどだった…」(27巻/103頁)と言う台詞から、サクモは相当の忍だった。そして、そのサクモによる超英才教育の痕跡を感じます。カカシの中忍昇格の後、サクモは自死しましが、それがなければ、カカシの上忍昇格はもっと早かったかも知れません。

カカシの他の考察(仔カカシ)に示していますが、多分、ミナトとの出合いによってカカシは支えられたものと考えられます。カカシの上忍昇格は12歳です。これが神無毘橋のミナト班の行動の最初の設定で、オビトの享年13歳からの推測の結果になります。そう言う目で見ると(おかしなもので)、カカシに対するオビトの言葉遣いや、体格の差が非常にしっくり来ます(笑)。また、リンのカカシに対する態度や視線もより深く納得できる。これは、僕にとっては大きな発見です。

この12歳が何に効くかと言うと、九尾事件です。神無毘橋の闘いから約2年程度のスペースが確保できますから、大戦の終戦からミナトの火影就任へのスロープが緩やかになります。14歳だとほぼ神無毘橋の直後に九尾事件がないと繋がらなかったりします。それがドラマチックではあるんですが…。きっと、キッシーも「そこ違うんだけど…」とやきもきしてたと思います。スミマセンでした(滝汗)。

それと、黒刀のライドウ(ちなみに、僕が勝手に考えた「通り名」ですんで…あしからず)が結構、良い歳である事に気付いて感情移入です。無意識の内に魂が惹かれて弄ってたんですね(笑)。あの角都を驚かせた「突き」はカッコ良かったです。実は僕のお気に入りのキャラだったりします。この上は、自来也の身替わりに華と散って…(脂汗)。

010203―不知火ゲンマ―0717―10―13―30

010252―マイト・ガイ―0101―07―11―27

ガイのアカデミー卒業時の年齢にも非常に大きな説得力を感じてしまいます。超天才の超英才教育を受けたカカシの背中を常に追い続けた普段の努力、自分ルールの執拗な励行の末の、血の滲むような7歳の卒業だと思われます。忍者としての「格」では、カカシの方が一枚も二枚も上手であると、僕は分析していますが、カカシは全忍中、誰よりもガイを信頼していると思います。ガイの暑苦しさに屈したのではなく、カカシはガイの弛まない努力を知っているのです。

描写的にはその痕跡は嫌と言うほど残っているので、それにスポットライトを当てた考察にまとめようと思います。しかし、この二人の関係は他の考察をやられてる方々に相当発掘されていて、それとどう差別化するかが、腕の見せ所なんです。僕が感じる「カカシとガイ」じゃないと意味がない。二人のピュアさが、そのアダになっています。誰が見ても、二人は信頼しあってますから…書き易いが故に難しい課題でもあります。

010800―シズネ―1118―09―13―28

010829―猿飛アスマ―1018―09―12―28

010881―夕日紅―0611―09―13―28

010885―リン―1115―09―11―28?(不明)

010886―うちはオビト―0210―09―11―28?(13)


カカシの同年代…1歳上のクラスターです。ちょうど、ナルトの同期に対するネジやリーみたいな存在でしょうか。忍者登録番号の分析で、オビトやリンがこの団塊に含まれる事が判明しました。忍者登録番号に関しては、オビトとリンは連番です。アカデミー時代からの旧知の仲と言う事です。この頃から、オビトはリンに「ホの字」駄ったのです(笑)。オビトの事だから自分から勇気を出して告る訳でもなく、特に優しくするでもなく、想い続けてたんだろうと思います。

そして、ミナト班で三人は合流した。リンはカカシのスノッブ(孤高)で繊細な雰囲気に「ズキュンッ!!」とイチコロだったんだと思います。しかも、一つ年下で、母性本能が刺激されまくりーの、案外、華奢な体躯に萌えてしまったのかも知れません(個人的妄想の暴走…)。その有り様を奥歯をギリギリ擦り合わせながら見せられたのがオビトです。既にストーカーみたいな恋愛感情にあったオビトにとってはカカシは「火に油」(汗)、「水に油」でお互いに弾き合う関係に突入して行く事になるのです。

恐らく、こんな感じの出会いだったので、「大蛇丸と自来也」や「サスケとナルト」みたいな関係ではなかった。それがカカシにとっては「物足りない」と感じられたのかも知れません。カカシにはガイと言う好敵手が別に居ましたし、オビトはそれとは全く違う存在だったでしょう。ある意味、カカシの人生すら決してしまうような、大きな存在。オビトはかかしにとって「ソウルメイト」とも言えるような…大いなる存在。それに気付けなかった。気付ける筈もなかった。これが人生の「彩」(あや)と言うものなのでしょうか…。

011850―うみのイルカ―0526―11―16―23

イルカ先生はカカシ達の団塊からやや後の存在です。登場人物中やや疎の部分にいます。物語でも何故か三代目との関係が深く、僕の内部的には「謎」に満ちた存在です。まさかナルトを裏切るなんて事はないとは思いますが、ナルトには話せないような職責をもっているか?そんな活動をしていた「臭い」は激しく感じています。何故だか、腐的なカカシとの関係性にはピクリとも反応しません。そっちで言うなら、ガイかな…と感じてしまう(汗)。それもキショイか…(汗)。なかった方向で…

012110―うちはイタチ―0609―07―10―18

012140―薬師カブト―0229―10―不明―20

012161―卯月夕顔―1103―不明―不明―22

012368―犬塚ハナ―0413―不明―不明―18

僕の大好きな夕顔ちゃんとイタチの登録番号が接近しています(キッ!!)。特に意味はないんですが、カブトも居ますね。夕顔って22歳なんだ…。今まであんまり年齢を重視せずに考察ってたので、新鮮に感じられます。

ちなみに、月光ハヤテが「臨の書」によれば…忍者登録番号『011671』で23歳だからイルカ先生と近いですね。二人はいつ頃から「恋仲」だったんでしょうか?それに夕顔ちゃんは暗部だし…。「君みたいな娘が…こんな仕事してちゃ…いけない…」と、お酒が入ったらきっと言ってしまう…(それじゃまるでスケベ親父じゃないかーッ…汗)。「臨の書」も統合して考えると、もっと精度上がるかもね。時間を見つけてやってみます。

012561―ロック・リー―1127―12―不明―14

012573―テンテン―0309―12―不明―14

012587―日向ネジ―0703―12―不明―14

思えば、ナルトたちがお初で参加した中忍試験で三人は待ち受ける側だったんですよね。しかし、それ以降のネジの進化っぷりは目を見張りますね。第二部では既に上忍ですから…(シカマル情報)。これはナルトとの闘いで自己を認識(アイデンティティ)できた事。それに合わせて本家(ヒアシ)との瓦解が大きな原因だと思われます。第一部の仕舞いにはヒアシと宗家の屋敷で稽古に励んでいましたね。あれは目頭が熱くなったシーンなんですが、お互いを見つめ合う。認め合う…と言う事の尊さを感じる素晴らしいカットでした。

リーは我愛羅との一戦で負傷して遅れはとったものの、ちゃんと再生しているものと思います。「オレらの同期で中忍になっていないの、お前だけだぜ」(28巻/54頁)と言うシカマルの言葉から察すれば、その一年上のリーも中忍になっている事でしょう。リーはガイの生き写しですから、努力は惜しまない筈です。ガイの愛はリーだけに向かっている。この傾向はカカシと明らかに違う。カカシとガイの関係考察の突破口になるかも知れません。

それにしても、テンテンが微妙(汗)。これと、いのはかなり微妙です。今の所、存在意義を感じてない(笑)。何かを示してくれる時が来るんだろうか…。

012601―春野サクラ―0328―12―不明―13

012604―山中いの―0923―12―不明―13

012606―うちはサスケ―0723―12―不明―13

012607―うずまきナルト―1010―12―不明―13


012611―奈良シカマル―0922―12―12―13

012612―日向ヒナタ―1227―12―不明―13

012618―油女シノ―0123―12―不明―13

012620―犬塚キバ―0707―12―不明―13

012625―秋道チョウジ―0501―12―不明―13

サスケとナルトの忍者登録番号が並んでますね。欲を言うとこれにサクラも並べて欲しかったんだけど、サクラは学業優秀みたいだったから、それを汲んだ設定でしょう。順番が成績の序列だとするなら、シカマルは相当「三味線」をひいている(笑)。きっと、競走とか、一生懸命とか「めんどくせー」と思ってたんでしょう。しかし、一発目の中忍試験で、シカマルを中忍に選抜したのは、木の葉の中忍選抜に関わるメンバーは「人」をしっかりと見る目を持っていると思う。

リアルの会社や学校(偏差値)において、管理の主体は「数字」になっている…と僕は感じています。能力や結果のデータ化(数字)は正確で絶対とも思える管理方法だけど、人には数字にならない能力とか魅力があるのです。今、世の中の蔓延る「数字至上主義」(笑)はそれに気付いていない。数字に頼る事で、自分の目で「人」を確かめる努力を放棄しているとも言える。

シカマルの場合はその数字すら偽っていたんですが、それを見逃さない木の葉は偉いと思いました。あの中忍試験でシカマルの「人」に目を向けた。見逃さなかった。それは見る側の「人」もしっかりと確立している事を意味します。やはり、命をかける戦場では「実質」が重視されるべきなんでしょう。非常に合理的な描写だと思います。見習わねばとも感じる澄んだ「切り口」だと思いました。

と、まあ、ザックリとまとめてみました。この情報に「臨の書」のデータも加味して更に考証を重ねてみようと思います。年齢と時系列の関係はかなりスッキリと解決できたと思います。同時に、キッシーに作り込みの深さを再確認もできたと思います。充分に考えられた設定だと思います。

もっとも、僕はこう言う、ややもすると「間違い探し」みたいな考察はあまり得意でもなくて、好きでもありません。ナル×ジャンにしても、僕が感じる事。考える事を一方的に吐き出したい為にやっている「表現」に過ぎないので、他所様の記述の内容と整合性をとるなどと言う事は決してやりません。意味も感じないし、興味もないです。

僕の書いた事で、誰かが苦しんだり、死んでしまったりしてはいけないけど、どんなに頑張ってもそこまでの影響力は持てないと思います(笑)。だから、多少の間違いとか、不合理はスルーして欲しいです。僕の表現が不自由になるのを、僕自身が真剣に恐れています。思う事を思うまま。感じる事を感じるままに「表現」していたいと思っています。

でも、アクセス数も相当に増えて来て、僕の書く考察を楽しみにしてくれる人も居るし、ある程度の責任も感じます。実は「ナル×ジャン」のトップにあるカウンターはそれほど正確じゃなくて、実はあれの三割増し程度のユニークアクセス(重複しないアクセス)が日々あります。多い時は1000人以上の人が閲覧(アクセス)してる事になります。多くの人が来てくれてる。精密でしっかりした考察を発表する義務も僕には既に発生していると感じています。

 
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第373話「師弟時代…!!」

 
あの形状、あの波紋模様…!信じられん…!!
あの眼…三大瞳術の中でも最も崇高とされる眼…

輪廻眼!!

忍の始祖とされる六道仙人…
現在の全ての忍術はその輪廻眼を持つ仙人により生み出されたという…

それは世が乱れた時に天より使わされる創造神とも
全てをゼロに戻す破壊神ともいわれる…
神話の如き話だと思っていたが…
本当に輪廻眼を持つ者が存在するとは…

三大瞳術…「白眼」「写輪眼」そして、「輪廻眼」になるのだと、僕は思いました。でも、今さら「三大瞳術」だの、「最も崇高とされる眼」と言われても…。しかも、忍術を全て生み出した仙人の「眼」ですから…。凄い「眼」と言うのは分かります。強引だと思いますが、喉元過ぎれば何とやら…です(笑)。「創造神と破壊神」…まるで陰陽の「太極」ですね。

ところで、ここで気になる大蛇丸の存在。

「ありとあらゆる全ての術を…そして真理をこの手に入れる為には長い長い時間が必要でね…
その長い年月をかけ全てを知り尽くした者こそ"究極な個体"と呼ぶに相応しい…」

禁術・不死転生の開発現場で三代目に大蛇丸がいった言葉です(14巻/74頁)。この考えに基づき、大蛇丸は「道」を求めるのです。「全ての忍術」を六道仙人が開発したとして、その輪廻眼が全てではないにしろ、その偉大なる血継限界であるペインについて、大蛇丸は「暁」で何を思ったのでしょうか?しかも、三人の難民の子供たちとは「殺す?」と一瞬でも対面してる間柄です。そもそも、「暁」で両者は会っているんだろうか?大蛇丸とペインや小南との関係は難解です。ここは別件の考察にまとめてみます。

ここでちょっと「六道仙人」について考えてみましょう。外見はシルエットのみですが、輪廻眼です。首の6個の勾玉の首飾りをしています。背中には刀?をさして…。気になるのは頭に「角」がはえているように見えます。ヘアスタイルは長門っぽいんだけど、これが髪の毛だとしたら、凄い寝癖ヤローと言う事になってしまいます(笑)。

ところで、「六道」って言葉…ウィキの記述を引用させて頂きます。

六道(りくどう、ろくどう)は、仏教用語で6種類の世界のこと。仏教成立以前の古代インド思想を起源とし、原始仏教においてはさほど重大な意味を為さない。体系化が進行したのは後代と考えられる。

この世に生を受けた迷いのある生命は死後、生前の罪により、地獄道(じごくどう)、餓鬼道(がきどう)、畜生道(ちくしょうどう)、修羅道(しゅらどう)、人間道(にんげんどう)、天道(てんどう、天上道、天界道とも)の6つのいずれかに転生し、これら六道で生死を繰り返す(六道輪廻)と言われている。たとえ天道であっても、苦しみの輪廻する世界を脱することは出来ない。諸行無常の原則により、どの世界に生まれ変わろうとも、何時かは死に絶え、別の世界(或いは同一世界)へ転生する宿命。上記6種の世界は、須弥山世界観等においては、しばしば空間的領域として捉えられる。 この輪廻の道から外れたものを俗に外道(魔縁)という。

六道
資料画像の図のような輪廻を表した絵では、怪物と骸骨が縁起の根である無知(無明)と無常を、外周の円環が人の行い(縁起)を、次の内側ドーナツが六道(この絵では天と人と阿修羅が同じ場にある)を、最も内側の円環は人を、真ん中の円は苦しみの因なる怒り(蛇が象徴)と無知たる愚かさ(豚)と貪欲さ(鳥)を表している。(ウィキペディア「六道」より引用)

噛み砕いて言うと「煩悩」を持つ身が修行する世界=「六道」と考えて良いと思います。「煩悩」=「罪の深さ」によって生まれるステージが決まるシステムで、僕らは「人間界」に生まれ落ちた事になるのです。ここは「四苦八苦」に苦しみ、逆に「喜び」や「楽しみ」もある世界なのだと言います。また、ここから「仏」になる道(解脱?)と言うのでも残されていて、その意味では苦しみの少ない(けど退屈な?)「天道」よりは救いがあるのではないでしょうか。修行を必要とする命が生きる世界…いかにも仏教的な世界感ですね。現実問題として、みんな「迷い」の中で生きている。煩悩まみれの僕が言う事ですから、『確か!』ですよ(笑)。

で、ペインの「眼」が輪廻眼である事から、六道仙人の系譜(血継限界)にあるとして、あのペインの寝室の「壱から六」の人形…今、自来也に迫るペイン(多分「弐」)たちは、それぞれの六道になぞらえたペインの姿ではないかと考えます。「六道」と言う名前や六個の勾玉から湧き出た妄想です。「壱」のペインを「人間道」とすると、「弐」は「修羅道」かな…と、憶測ってるのです。これは「侵入者を殺すため…」と言うペインの覚悟に対応したボディセレクトだと感じたのもあります。言葉の響きだけからの妄想なんで…スミマセン(汗)。

「お前たちをに忍術を教えてやることにした」

自来也は三人に忍術を教える事にしました。輪廻眼の長門を見極めたかったのもあると思います。このまま、何の力も与えずに荒廃した世界に放置する事は無責任と感じたのでしょう。「この前のようにいつ危険があるやも知れんからの。己の身を守る為の忍術だ」と言う自来也の言葉に長門の反応が微妙でした。やはり、自分が手に掛けてしまった忍の事が気になっているようでした。

あの時……弥彦が傷付けられた時、ものすごく相手に腹が立ったんだ
その後、頭が真っ白になって…無我夢中で……(それで気が付いたら相手が倒れていた…)
その後、すごく恐くなったんだ…憎くて我を忘れて僕が相手を…!!
ボクのしたことは間違ってて…!ホントはもっといい方法が…!!

「長門…!!」と良いながら、自来也の分厚い掌が長門の背中を支えます。自来也も人と人が殺しあう戦乱の中に身を置く忍です。優しい心をもった人間であります。大きな「力」も所有しています。自来也も長門と同じような悩みを抱え、それを消化(採り込んで内に向けた)して来た。自来也は長門に過去の自分を重ねていたのかも知れません。

ワシもそれが正しいのか間違っているのか良く分からん
だが、お前のお陰で弥彦は死なずに済んだ
友達を守った……お前は正しいことをしたハズだ
誰もお前を責められはしないのォ…傷付けられれば憎しみも覚える…
逆に人を傷つければ恨まれるし、罪悪感にも苛まれる
だがそういう痛みを知っているからこそ人は優しくできることもある

「それが人だ」

優しさとは想像力だと、僕は考えています。自分が転んで擦りむいて血が出た。痛かった。他の子が同じように転んだ時に「痛いだろうな?」「大丈夫かな?」と想像できる「心」を「優しさ」或いは「思いやり」と言います。だから、「それって…どういうこと…?」と長門は聞き返しています。それは「魂」が知り得ないからです。「優しさ」とは「本能」ではなく、訓練によって修得される「心」のスキルなのです。「優しさ」とは天性ではないのです。

「成長するってことだの」

禅の問答のようですが、自来也の言葉は間違ってないと思います。喜んだり悲しんだり、傷付けたり傷付けられたり、人はそうやって「心」を分厚く大きくして行くのです。「心」とは「記憶」なのです。脳の機能なのです。

『どうするか…自分で考えることだ』

これは「成長するって…つまり…どういうこと?」と言う長門のしつこい質問に、自来也が切れたわけでもなく(笑)、これは教えられるものではない。否、教えるべきではないと、自来也が判断したのだと思います。同時に、「自分で考える」事自体が「成長」である側面も示唆しています。つまり、アイデンティティの獲得です。この自来也の一言は意味深いです。これはプラス面だけでなく、マイナス面も内包している…。功績と罪を合わせ持つ…と。

「弥彦はボクと小南がお腹を空かせて泣いている時に助けてくれた。
人の食べ物を盗んでまで…
ボクはただ二人を守りたい。
どんなに痛みが伴うことがあったとしても」

長門の「考え」に、暖かい視線と共に「…そうか」と語る自来也は、長門の中に在る「優しさ」を感じ取っています。自来也はこの姿に修行を本格化させる決意をしたことでしょう。「力」を与えても大丈夫だと判断したのだと思います。長門は小南と弥彦との連帯感の中で「優しさ」を修得してきたのです。

「ワシの影分身をやるまでになるとはの…」

弥彦が水のチャクラ特性(水遁・水乱波)、長門が輪廻眼(血継限界)と風のチャクラ特性(風遁・烈風掌)。小南は「紙手裏剣」で不明(笑)。長門は小南の紙手裏剣に風のチャクラ特性で支援(連係)していました。小南は既に花の髪飾りをしてますね。自来也のあげた乾パンの包み紙なんでしょうか?(←この「花」には小南の執着があります…)立派に性質変化を使いこなし、水面歩行も平然と行っている。「どうよ先生!!」(弥彦)と、自来也の分身をやっつけた三人の忍者装束も様になってます。三人とも背が伸びた。少し大人っぽくなった。

「これで安心して里に帰れる」

特に長門の成長が著しいです。表情も自信に満ち溢れています。三人の成長に目を細めながら、「これからはお前たちだけでやっていけ。この三年間、良く頑張ったの」と自来也は付け加えます。出合いから既に三年の月日が流れていた(汗)。

もしかしたら、自来也は三年間付きっきりで修行を付けたんでしょうか?でも、忍界大戦の最中の筈だし、木の葉の仕事だってあったでしょうから、ここは例の蝦蟇の時空間忍術による移動で行ったり来たりしてた…と考えるのが妥当でしょう。この修行の必要性から編み出したと言うのもアリでしょう。

おっと泣くな弥彦。弱虫だと思われるぞ
小南…お前は美人になるだろう…大きくなったら、また会おうの
この国は貧しい…この先、悲しいことも多々あるだろう
だが今度はお前たちの力でこの国を変えて行け

こう言い残して、自来也は三人と別れたのでしょうが、三年間、付きっきりで修行したとしても、高々、三年です。普通なら、親の庇護の下、子供は時間をかけてゆっくりと「生きる術(すべ)」を学ぶものです。術(すべ)とは「力」だけではありません。これを「親」はキモに命じる必要があると、僕は思います。

人は社会を構成して、その仕組みの中で生きる動物ですから、個人の「優しさ」や「思いやり」よりも更に大きな考え、つまり、社会通念や倫理観、モラルと言った…「社会性」を修得する必要があります。そのベースは知性だし、優しさであるんだけど、それにもっと具体性を持たせた「通行証」みたいなものです。人として生きる上での(エ)チケットと考えても良いと思います。

でも、この時代の時勢。三人がポツンと暮らす庵から推察するとそれは望めません。自来也も「己の身を守る為の忍術」に特化したカリキュラムで集中指導したのかも知れません。

自来也は三人の難民の子供に「力」(忍術)だけを与えてしまった…。

これは、この時のベクトルにおける最善であった事でしょうし、こうしなければ、この子らは生き残れなかった…。しかし、それが「暁」を生んだ…。種を撒いたのは自来也であると言えます。ここまで来て、改めて大蛇丸の「殺す?この子たち」の深さを感じてしまいます。あの時、大蛇丸はどこまで解っていたんだろう…。そして、その後、どんな「動き」をしたんでしょうか?

場面は、小南と自来也が対峙する雨隠れの某所に戻ります。

「あれから数年。お前たちの名をちらほら聞くようになった。
いくつかの紛争で名を売ったが、その後死んだと聞いた…」

自来也も三人の消息を絶えず気に掛けていたのでしょう。戦乱の時勢ですから、戦いたくはないと思っていた筈です。「死んだ」と聞いて「ホッ」としていたかも知れません。

「先生はあれからの私たちを知らない」

小南がペラペラの紙切れになっていたのを自来也は知らなかった。ペインが何者なのかも解らなかった。小南のこの言葉には、今は見えない弥彦の所在が隠されている事でしょう。自来也と三人が寝泊まりした庵の川の字の布団の並びは、小南→弥彦→長門でした。小南は弥彦に精神的に頼っていた部分があった筈です。長門も弥彦を頼っていた。弥彦は二人にとって「太陽」だった。それが、今は居ない…。

「確かに知らないがのォ。"暁"のやっとることは間違っとる!」

これが一般的な「倫理観」や「社会通念」と言うものです。自来也はこの「考え」をこの子らに教えたのでしょうか?しっかりと教え導いたんでしょうか?これまでの「三代目→自来也」の流れを見ると、「親」としての役割を自来也が如才なく遂げたとは思えません。(これじゃまるで、ピノキオを生み出したゼペット爺さんと一緒じゃないか!)これが事実とすれば、大きな「罪」を自来也は犯した事になる…と思います。ここが僕の心の古傷(もう癒えています…)に障る部分。むず痒いところです(汗)。

「それが自分で考えた結論ですよ…自来也先生」

そこに、ペインの登場です。ところで、輪廻眼は通常で覚醒状態にあるようです。写輪眼のように「黒目→写輪眼」のスイッチがない。そして、ペインの束ねた髪が尻尾のように靡いています。風なんかふいてない…薄ら寒い闘気を感じます。しかも、四つん這いになっている…(汗)。急いで駆け付けた筈なのに息も切らしていない。汗も流していない。

「外見はだいぶ変わったが、その眼…やはりお前がペインだったか…長門
正しい成長はしてないようだの…何かあったか?」

自来也はペインの「眼」を見て、それが「長門」であると断言しました。自来也がここまで言うんですから、これは長門です。ペインとは「痛み」…小南が言う「あれからの私たち」を意味するネーミングでしょう。ペインは「痛み」を感じ続けている。もしかしたら、ピアスにもその意味合いがあるのかも知れません。

そして、自来也が与えた三年間の慈悲。今、これが問われている。自来也が言う「正しい」を自来也自身が考える必要がある。自来也が単身、この場に乗り込んだのは、きっとこの「心残り」を問うためだと、僕は考えます。

「陰陽論」を勉強してみて解った(気がするだけ…)んですが、「陰陽」は対で対等が好ましい。と言うか、そうある(べき)ものです(理)。「精神」と「身体」もそうだし、「魂」と「心」も同じ。どちらかが多くても少なくても問題がある。「心」とは意識で後天的なスキルだから、然るべき存在=「親」がその量と質を見極めながら、「心」が「魂」とバランスするように調整して行く必要があると、僕は思います。「魂」は生まれ持った天性だから、後から調整なんてできない筈だから…。

「自分で考える」と言うのはその後のシーケンスです。だから、あの雨の中で自来也が長門に伝えるべき内容ではなかった…と僕は考えています。そして、「心」や「自己(アイデンティティ)」の確立していない状況で「力」だけを自来也は与えてしまったのです。

時代が悪かった。自来也も若かった。親を亡くしてしまった三人も運がなかった。全ては仕方ない事なんだけど…。救われるのは、自来也が一言も言い訳をしていないところです。恐らく、自来也はその贖罪の為にこの場に居る。だから、独りで赴いた…。

「アナタは知らなくていい…しょせん外の人間だ」

ペインは自来也を相当、高い位置から見下ろしています。これは戦闘機の格闘戦闘のセオリーなんですが、会敵した時点でアフターバーナーオンで一気に高度を上げる戦法が一般的です。高度(位置)は高い方が有利なのです。位置は運動エネルギーに変換し易いのです。ペインの「輪廻眼」がどんな能力かは未だ未知数ですが、自来也、不利です。小南を一瞬で燃やさなかった甘さも見逃せないです。ヤバい。ヤバ過ぎる…。

そして、ペインが「先生」と言わなかった。思い出せ、長門……。

あの雨の中の別れで、お前が自来也に言った言葉……。伝えた気持ち……。

「ありがとう…先生」


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九尾の陰(かげ)のチャクラって何だろう?

 
「ミナトは九尾の陰(かげ)のチャクラしか屍鬼封尽しておらん」

自来也と巻き物蝦蟇の会話で、ミナトの死亡が確定しました(第370話/「胸騒ぎ」)。何処かで、生きてるんじゃないの?と言う仄かな期待が粉微塵になった瞬間でした(汗)。でも、サラッと流してしまいましたが、ミナトが死神の腹の中に持って行った「九尾の陰(かげ)のチャクラ」って何でしょうか?

先ず、「封印術・屍鬼封尽」のメカニズムを再確認してみましょう。

「あの九尾を封印したというのも…この術というわけかっ…」

屍鬼封尽の描写は木の葉崩しの三代目・火影と大蛇丸の闘いであります(14巻/122頁)。術者自身の魂を介して身体から死神の腕を伸ばし、相手の魂を引きずり出して封印する術です。この時も、大蛇丸の「魂」(人の形をしている)を引きずり出していました。木の葉崩しでは三代目のチャクラ量や体力が大蛇丸に及ばなかった為に、大蛇丸の両腕部分を切り落とすに留まりましたが、九尾事件では「九尾が封印された」と言う事実から推察すると、大蛇丸の時のように不完全な封じ方ではなく、ミナトは九尾の霊体(魂)の全てを引きずり出した…と考えて良いと思います。

封印が終了した時点で術者の魂も死神に食われ、両者の魂は死神の腹の中で絡み合い憎しみ合いながら永遠に戦い続ける事になる…「魂」を喰われる事で、対象者は死んでしまう。「魂」って「命」なのかな…?三代目・火影も結果として命を落としています。九尾も「封印された」事実があるから、死んだ。じゃ、ナルトの中に封印された、あの九尾は何なんでしょうか?流しちゃうと説明できない事ばかりです。結果だけを受け取るのは「考察」じゃない!考えましょう!

これまでは、これを屍鬼封尽の応用として解釈しようとしていましたが…「ミナトは九尾の陰(かげ)のチャクラしか屍鬼封尽しておらん」と言う台詞から、引きずり出した「魂」(霊体)の全てを死神に喰わせた訳ではない事が解りました。屍鬼封尽に関しては九尾にしか摘要されないと考えて良いと思います。つまり、ナルトに対する九尾を封印は別の方法によると考えられると言う事です。

陰(かげ)のチャクラ以外を…四象封印の二重封印=「八卦の封印式」でナルトに封印している事から、「陰」(かげ)=「陰」(いん)と考えてみる事にします。と言うのは、算命学を問わず、東洋の思想には「陰陽論」という思想があって、全ての存在を「陰陽」に分けて分析する考え方を言います。封印に用いた「四象→八卦」の関係性が「陰陽論」に基づく概念だからです。

ここで「陰陽」と「陰陽論」について考えてみましょう。

「陰陽は天地の道なり(宇宙、自然界の根本法則)、万物の綱紀なり(一切の事物の秩序や運営を維持するための規則で、この規則に沿って発展し得るもので、これにそむくことはできない)、変化の父母なり(万物が変化する根源)、生殺の本始なり(生長→発展→滅亡の過程の根本)、神明の府なり(万物が現わしています形と、変化するはかりしれない力が存在する所)。治病は必ず本に求む(病を治療するにあたっては、病状の変化の根本をよくみすえて、「陰陽」の二字に基準をおかねばならない)。」(素問・陰陽応象大論/解説引用)

陰陽のモチーフ


「陰」と「陽」はおたがいに消長をくりかえし、「陽」が極まれば「陰」が萌(きざ)してくるというように、まさしく「陰陽」の紋様が示すがごとく輪廻(メビウスの環)を表しています。つまり、全ては、明暗、火水、天地、表裏、上下、凸凹、男女、剛柔、善悪、吉凶などの一対の組み合わせなのです。

「陰陽論」では、宇宙の根源とも言われる「太極」から「陰陽」の両儀を分類します。そして、その両儀が更に「陰陽」に分類され「四象」に分かれます。更に、「四象」が陰陽に分離され「八卦」を生じます。万物(森羅万象)は「八卦」に分類されると、「陰陽論」では考えられているのです。

八卦の概念

乾 けん(天) 金 lll 父  Heaven 
兌 だ (沢) 金 :ll 少女 Lake  
離 り (火) 火 l:l 次女 Fire  
震 しん(雷) 木 ::l 長男 Thunder
巽 そん(風) 木 ll: 長女 Wind  
坎 かん(水) 水 :l: 次男 Water  
艮 ごん(山) 土 l:: 少年 Mountain
坤 こん(地) 土 ::: 母  Earth

この考え方は、「陽」の中にも「陰」が存在し、「陰」の中にも「陽」が存在する考え方を示しています。それが「四象」を生みます。この概念を「陽中の陰」「陰中の陽」と言います。それを発展させて、「八卦」が導かれるのです。このまま無限に分割されるかと言うとそうでもなくて、「八卦」が最少の単位であるようです(余談ですが、易学では精密性を向上させる為に「八卦」を二つ寄り合わせて「六十四卦」(8×8)と言う概念を用いています。ネジの柔拳でも出てきますね)。

人の陰陽

例えば、人間の精神は天の気、つまり「陽」で、肉体は地の気、つまり「陰」だということになり、「生」はその精神と肉体との結合、「死」は両者の分離(余談ですが、この理論を応用したのが「屍鬼封尽」ですね)…であると、「陰陽論」では解釈します。これは「陰陽論」の基本原則が「陽」が始まりで、「陰」が終息というのが大前提によって定義されているのです(語意からすると「陽陰論」で、言い方が逆ですが、語呂が悪いので「陰陽論」で行きましょう…笑)。

具体的な説明は非常に難解なので…「陰陽論」とは、精神などの無形の世界を「陽」とし、肉体や現実、物質の世界を「陰」とする思考法であると理解して下さい。気を内側に向けて充実させることができる精神が「陽」、内面で充実された気が外に向かって発散されようとして「行動」をとる肉体が「陰」であるとする考え方です。

ミナトは屍鬼封尽を用いて、九尾の体から、九尾の霊体(作中では「魂」とされていますが、「魂」を内包する「精神(体)」と言う解釈で…ひとつ…何とぞ…汗)を取り出しました。木の葉崩しの三代目VS大蛇丸の描写でそれが示されいます。そして何らかの「法」なり「術」なりを用いて、ミナトは九尾の霊体を二分したのです。肉体(陰)から抜き出された精神(霊体)…つまり、「陽」です。これを「陰陽論」を用いて二分(「陰中の陽」「陽中の陰」に分ける)と、「魂」(…の陽)と「心」(…の陰)に分離されると考えられます。

「ミナトがわざわざ九尾の力を陰と陽に二分し陽の側を
ナルトに封印したのは九尾のチャクラをナルトに遺すためだ」

自来也が巻き物蝦蟇に言ったにはその事だと思います(第370話/「胸騒ぎ」)。「ミナトは九尾の陰(かげ)のチャクラしか屍鬼封尽しておらん」と言う台詞から、ミナトは九尾の力=チャクラ=精神の「陰」(かげ)の部分(陽中の陰)。つまり、「心」を切り取って死神に喰われ、腹の中に入ったのだっと思われます。ミナトは九尾の「心」をナルトに封印してはいけないと考えたんだと思います。逆にナルトに九尾の「魂」は必要だったと言う事です。

ミナトが屍鬼封尽した九尾の「陰」(かげ)のチャクラとは九尾の「心」だった。

近年の「脳科学」の発展によって、「脳」の研究が進んでいまして、脳出血や脳疾患、或いは事故等で脳に損傷を受けた場合、どの部分を損傷すると、どういった機能が失われるかという関係はかなり解ってきているようです。損傷、欠損部分により記憶が失われたり、運動機能が失われたり、言語に関する機能が失われるなどと言うように具体的に実証されています。「唯脳論」(養老孟司/ウェブ記述引用)でも、

「心」は脳の機能なんですね。
機能と言うのは、例えば、心臓は「循環」という機能を持っているのですが。
死体から心臓を取り出して、「それで循環と言うのは何処ですか?」
と聞かれても「循環」は何処にもないんですねェ。
だから脳を取り出して「心ってのは何処ですか」っていっても何処にも無いのです。

「機能」…外に向かって発散されようとして行動=「陰」=「心」であると、「脳科学」と「陰陽論」の整合性がしっかりとれます。「魂」とは肉体の内にあり、それを満たしている…だから、人の形をしていた…なのかな?。「魂」と「心」は別の存在なのです。違いはその「在り処」だけはないのですが…。

ミナトは九尾の「心」を連れて行った…だから…

「お前は弱いな…小僧ゥ……感謝…するんだな…このわしに…
そして、このわしを貴様ごときに封じ込めた四代目・火影とやらにな…」

終末の谷で劣勢のナルトにチャクラを与えた九尾が愚痴った言葉に、良い感じに繋がります(26巻/82頁)。ナルトの中の九尾には、脳の機能である「心」がないから、ミナトと闘った「記憶」がない。だから「伝聞」なのです。ナルトもこの事実は知りませんから、九尾は第三者に封印後、会っています。誰かが四代目がナルトに九尾を封印した事を、九尾の「魂」にチクったヤツが居るはずです。

それは……誰だろう……???…ズズズズズッ……。




マダラ(?)は封印後の九尾に会っている!?

九尾が他に知っていたのは「マダラ」だけですから…。封印後のナルトに、もしかしたら…もしかしてですが、トビ(マダラ?)が接触している可能性があるかも知れません。天地橋でサスケがナルトの中の九尾に接見したように…。「九尾事件」にマダラが関与しているとしたら、その可能性はあると思います。ちょっと、余談でした(汗)。戻します…。

ナルトの中の九尾は「魂」(精神の「陽」の部分)だけの存在。描写からすると、木の葉崩しで三代目が倒れたように、九尾の肉体は既に滅していると思われます。外的には恐らくそれをして、「九尾を封印した」と認識されたものと思われます。しかし、ナルトは九尾のチャクラを発揮して闘っています。これは描写が残されている「事実」です。

チャクラとは、「精神エネルギー」と「身体エネルギー」を練り合わせた「生体エネルギー」なのに、「魂」だけの存在である九尾のチャクラを何故、ナルトが発揮できるのでしょうか?これは、よくよく考えると変です。チャクラを発生させる為には「生身」(肉体)が必要なのは、周知の事実です。

そこで、考えられる可能性は……ズズズズズズッ……。




九尾は「臍の緒」でナルトと繋がり体(経絡系)を共有している!

「四代目は…へその尾を切ったばかりの赤子のへそに九尾を封印したのじゃ。
ナルトは里の為に九尾のバケ狐の器れ物になってくれたんじゃよ」

三代目の言葉が残っています(1巻/74頁)。「陰陽論」を用いた分析で、九尾は「魂」だけがナルトに封印されている可能性を見い出しています。それを前提にすると、万物の理として、対になる「魂」の対極が必要である事に気付きます。「陽中の陽」である「魂」に対する「陽中の陰」である「心」。そして、それらを合わせた「精神」=「陽」に対する「陰」=「肉体」…つまり、ナルトの身体です。九尾の「魂」はナルトの「身体」と「心」によって、その存在を許されているとも言えるのです。

「臍の緒」(へその尾)に封印した…と聞いて、神聖な部位であるから…と言う理由で納得しようとしていましたが、ナルトが「器」になったと言う現実と考えあわせると、九尾の「魂」(陽)がナルトの肉体(陰)と臍の緒で繋がり、ナルトと共有している事に気付きます。臍の緒に封印したと言うのは、封印するには「臍の緒が必要だった」。それは、九尾の「魂」とナルトを連結するためだったのです。

臍の緒は母親の胎内にて胎児が母親と繋がる命綱の様なものであります。 臍帯 (Umbilical cord:アンビリカルケーブル←どっかで聞いた事ありますよね…笑)とも言います。臍の緒を介して胎児は必要な酸素、養分に富む動脈血を母体から供給されるのです。厳密には「臍の緒」と母体は直結する訳ではなく、間に「胎盤」(たいばん、Placenta)と言う妊娠時、子宮内に形成され、母体と胎児を連絡する器官を介して、間接的に結合しています。

胎盤の構造(上図の一部を拡大したもの) 上部母体側から酸素、養分に富む動脈血が赤と青の細かい点で描かれた空隙、すなわち絨毛間腔内に放出され、静脈から母体に戻る。一方、図右下にある臍帯(へその緒)から絨毛間腔側に向かって臍動脈が流れ、図中に樹木のように見える絨毛を経由するうちに、ガス交換、栄養吸収、老廃物の放出が行われ、臍静脈を経由して胎児側に戻る。

胎盤

図中の用語を左上から、右下に向かって以下に示す。 絨毛 (Villus)、 海綿層 (Stratum spongiosum)、 母体血管 (Maternal vessels)、 胎盤中隔 (Placental septum)、 周縁洞 (Marginal sinus)、 絨毛膜 (Chorion)、 羊膜 (Amnion)、 栄養膜 (Trophoblast)、 2本の臍動脈 (Umbilical arteries)、 1本の臍静脈 (Umbilical vein)、 臍帯 (Umbilical cord)、いわゆる「へその緒」。なお、臍動脈と臍静脈の色は実際とは逆に描かれている。(ウィキペディア記述より引用)
「胎盤」の主な機能は母体側と胎児側の代謝物質交換、ガス交換や胎児側への免疫学的支援です。母体(母親)が胎児を守る根源的な構造と言えます。また、ホルモンを産生し、妊娠を維持する。胎盤は分娩時、胎児のあとに後産として娩出される…とされるように、直接、繋がるのではなく、お互いの毛細血管が絡み合うように、間接的(交換)に繋がっていいます(接していない)。余談ですが、これによって母体と胎児は必ずしも同じ血液型ではないのです。何にせよ、胎児を守る為にある(内外は逆ですが…)大切な器官です。

これは、何かに似ている……ズズズズズズッ……そう、アレです……。




「八卦の封印式」は「胎盤」(そのもの)だッ!!!

封印された九尾の「魂」(陽のチャクラ)とナルトは「臍の緒」を介して、肉体を共有していると、僕は考えています。屍鬼封尽による九尾の肉体(陰)の「死」をナルトの肉体をもって補完している。九尾の「魂」の存在を維持する為の「器」としてナルトは在る…仮定しています。

「八卦の封印式」はナルトと九尾の接合のクッションになって、九尾側からの攻撃や交渉に備えて防壁を張っているのです。構造的には「胎盤」に酷似しています。封印の作業はミナトが行ったのでしょうが、この「胎盤」にも酷似した封印式に母親でありクシナの存在感を猛烈に感じています。まんま、母親の愛情だから…我愛羅の亡き母・加流羅が残留思念として我愛羅の防御力となったように……。ここで<ズズズズズッッ…>と行きたいところですが、もう少し考えてみます。ナルトの母・クシナがどこにも存在しない理由を……。

取り敢えず、「臍の緒」→「胎盤」と言う関係が「臍の緒を切ったばかりの…」のナルトに九尾が封印された必然性を物語っていると、僕は考えているのです。この時期に関して「九尾事件」の闇が存在するんですが、それは又、別の機会に…。トビ(マダラ?)の情報が少なすぎる上に、思わせ振りが多過ぎる(笑)。

ところで、巻き物蝦蟇が言った「八卦の封印式」の「四象封印を回す」…と言うのは、九尾とのシンクロ率(つながりの強さ)を高めるのに似ています。絡み合う毛細血管のクリアランスが狭まるような感じだと思います。得られる「力」も多くなりますが、九尾からの「攻撃」や「汚染」もそれに比例して増加するものと思われます。

同時に、九尾の「魂」もナルトからの何らかの「栄養」を与えられて存在している。その交換を「八卦の封印式」を介して行っている。九尾も「魂」だけの存在ですから単独では生きられないのです。その意味で、二人は一蓮托生の間柄(正に「陰陽」)と言えます。その描写は三竦みの戦いで、ナルトがカブトの最後っぺのような攻撃で瀕死の重傷を負った時に残されています。

「暗いィィ…暗いィ……ぞォォ…なぜ暗くなるゥウ…ワシの力が…なぜ……」

この時、綱手の医療忍術による必死の治療がなければ、二人は死んでいた事でしょう(19巻/118頁)。同時にナルトが死ねば、九尾も死んでしまう。「陰陽論」を用いて説明するなら…「生」はその精神と肉体との結合。「死」は両者の分離…という事になり、「体」だけでも、「魂」だけでも生きていられないと言う、自然の理(ことわり)が上手く説明できます。

ミナトが九尾の「陰(かげ)のチャクラ」を屍鬼封尽したのは、九尾の悪しき考えや、記憶=脳の機能をナルトに触れさせたくはなかったのではないか?と、僕は考えています。ミナトはナルトを守ろうと必死に考え、行動したのだと思います。「魂」は精神の「陽中の陽」。言うなれば「無意識」。邪悪な考えや性格などと言うものは「心」に宿るものなのではないか?それが「陽中の陰」たる「心」の由縁かとも思います。ミナトもそれだけは阻止したかったんではないかと思います。ナルトが九尾の邪悪な「心」に染まってしまうような事はあってはならない!と考えたのでしょう。だから、自分が墓場まで持って行った。男らしさの極地とも言える行動だと、僕は考えています。

ナルトと九尾は体を共有している。九尾の赤いチャクラはナルトの経絡系で生成されている事になります。チャクラが精神+身体のそれぞれのエネルギーを練り込んで発生している生体エネルギーですから、九尾のチャクラを練る身体エネルギーはナルトのそれを使用している事になります。つまり、ナルトの身体エネルギーは最低でも九尾の「四本目」に匹敵するレベルには達していると言う事を意味します。

しかも、同時に「毒」とも言える九尾のチャクラから自分自身の精神や肉体を守る為にナルト自身のチャクラも練っている訳ですから、それを考えれば、大蛇丸やヤマトすら想像を絶するようなチャクラを生み出すナルトのキャパシティは相当なレベルにあると言えます。ナルトに九尾を封印したミナトの本意が、ナルトの強化にあるとするなら、それに沿う成長をナルトは重ねていると言えるのではないでしょうか。

怖いのはトビ(マダラ?)の存在です。マダラは九尾が欲しい筈です。口寄せして自分の「力」にできるようですから。ナルトの中の九尾は、今回の仮説を受け入れるなら、「魂」だけの存在です。九尾の実体を必要とするなら、ナルト自身の乗っ取りを考えているんじゃないでしょうか?

もしかしたら…。マダラの目的は…ズズズズズズズッ……




ナルトの完全な九尾化!?

八卦の封印式の除去。ナルトの魂の消去。ナルトの体(陰)を利用した九尾の完全復活がマダラの目的だとしたら…嫌だな。その為にサスケを鍛え、ナルトと全く逆の方向に奔らせてるとしたら、マダラって、どんだけのワルなんでしょうか?思い通りになってはいけない。これからの闘いは「自分」が試される闘いだと、僕は考えています。流転する状況の中で、後悔のない判断を下し、それを断行できる決断力が試される。如何に「自分」を保っていられるかが勝敗を分ける。つまり、それはアイデンティティのぶつかり合い…そのものです。過酷な状況の中で自分を保つ心構え…それってまんま人生じゃないか。

ふと、子供の頃に読んだ「物と心」(小川国夫)を思い出しました。

確か、兄弟がスクラップの中からナイフを見つけだし、それぞれが一本ずつ研いで、その中で「兄」に対する「自分」を意識する「弟」の姿を描いてたと思いますが、それを思い出しました。その中で、弟は兄の研ぐナイフが自分の研ぐナイフより鋭く良く切れる事に揺れるのです。自分は「丸刃」にしてしまった…。その様を、兄が砥石でナイフを研ぐ様に準えて、ジワーッと表現した文章だったと思います(また、読んでみようかしら…フフ…)。

「心」は「物」に影響されるのです。物質の中で生きる「人」としては、その「心」の満足を求めてしまうものです。それを「欲望」と呼ぶのだと思います。それは決して悪い事でも、忌むべき事でもありません。自然の有り様なのですから…。でも、それが全てではないとも思います。「陰陽論」を引っぱり出して考えるなら…その答えは「物質の対極」にあるんではないかと、僕は考えています。

本当に大切な事はもっと深くにあるんじゃないでしょうか。有り体に言ってしまえば、「心」の満足と「魂」の満足は違うと言うことです。もっとも、「物質」にまみれて生きる僕に「魂」の満足など説明できる筈もありません(笑)。木の葉崩しの終盤、ナルトと我愛羅の死闘の果てに、その問いに対する答えの仄かな香りを感じるシーンがあります。

「…一人ぼっちの…あの苦しみはハンパじゃねーよはぁ…
お前の気持ちは…なんでかなぁ…痛いほど分かるんだってばょ……」

最後の「力」(チャクラ)を振り絞って我愛羅をぶっ飛ばしたナルトが這いずりながら我愛羅に詰め寄ります(16巻/62頁)。全てを出し尽くした、チャクラもなにもない。ホントの空っぽになった…。この時、二人は「忍」でもなんでもない、ただの「人」であったのです。歩く力すら残されてはいなかった。そして、考える力もなかった。つまり、「魂」だけがそこに在ったのです。

そして、ナルトの「魂」は我愛羅の「魂」に語りかけずにはいられなかった。そして、我愛羅の「魂」もこれを受け入れた。この時、ナルトと我愛羅の「魂」が触れあったのだと、僕は考えています。

「オレの大切な人たち…傷つけさせねェ……
でなけりゃーお前を殺してでも…オレはお前を止めるぞ……」


これは我愛羅にとって信じられない考え方だった筈です。否、気付けなかったと言った方が良い。そして、探し求めていた答えだったのかも知れません。意表を突かれたような沈黙の後、我愛羅は「…愛情…」と呟き、夜叉丸の事を思い出していました(16巻/64頁)。そして、我愛羅はこのナルトとの「魂」の触れ合いを機に「人」としての歩みを始めるのです。

「すまない……」

「…こんな弱りきった我愛羅は初めて見るじゃん」とカンクロウが驚くほど疲弊した我愛羅を回収して搬送する時、我愛羅はカンクロウとテマリに詫びています(16巻/69頁)。二人が吃驚していましたね(笑)。その信じられない我愛羅の言葉が我愛羅の「魂」の満足を物語っているのではないかと、僕は考えています。我愛羅の「魂」は満足できた。だから、我愛羅は「感謝」できたのです。

「感謝」とは「魂」の貴い反応なのだと思います。だから、誰にも教えられなくてもできる(筈です)のです。それを忘れている人はこの世の中に大勢いますが…(汗)。我愛羅もこの時、思い出したのかな…?ナルトが思い出させたんだな…。

もしかしたら、ナルトが必死で守ろうとしたサスケとのつながり。あれは、ナルトの「魂」の欲求だったのではないでしょうか。一方、サスケは憎しみの「心」に縛られていたから、それに気付けなかった。きっと、いつの日か、我愛羅を変えてしまったように、ナルトがサスケと「魂」の触れ合いができる日が来るんではないか?そんな期待が、僕の中でざわめき立っています。

その為には、「魂」だけが剥き出しになるくらいヘトヘトになるまで全力で二人が闘う必要があると思います。男の子同士ですから、勿論、拳と拳で…心置きなく…。それが、二人の闘いの必然なのだと思います。そして、空っぽになった二人が触れ合う時、真に解り合える時が来るのだと…期待しています。祈っています。切望しています…。

「ありがとう…」

僕は信じている……。

サスケが、その言葉をナルトに伝えられる日が来る事を…。

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第372話「泣いている国!!」

 
「死んだとばかり思っていたが…
まさかペラペラの紙になっちまってるとはの…」

小南は「使いの天使様」と雨の下忍に呼ばれていました。でも、あのおしゃべりの下忍は生きてた。自来也は下忍の身体に巻き付いた小南の紙だけを燃やしたんだ。でも、恩知らずの下忍は<ダッ>と逃げちゃいました(汗)。それに以外と身軽でした(笑)。でも、自来也の知っている小南はこんな「ペラペラ」ではなかったようですね。

「ペインとは何者だ?」

自来也の問いに小南は「先生には関係の無い事よ」と返しました。小南も「先生」と言うんですね。小南は紙を集めて大きな翼の形に変型させます。翼なんか無くても端ッから宙に浮かんでますし、脚すらないから…(笑)、あまり関係ないんですが、下忍に「天使様」と呼ばれてたのは、この姿で人前に出て「お告げ」を発してたからかな…。

「神からの命令よ。アナタを殺す」

大きな両翼を羽ばたかせ紙の先を尖らせて<ブワッ>っと放ちました。紙のクナイと言ったところです。自来也も50歳を超える高齢者とは思えない身のこなしでこの攻撃を躱し、「蝦蟇油弾」で反攻します。以前、三竦みの戦いで口寄せしたガマぶん太が口から吐き出したのと同じ成分の可燃性の蝦蟇の油でしょう。ホントの闘い(笑)なら、このまま着火するのでしょうが…。この油が切り傷にも効くのか?どうかは未確認です(笑)。

「油でくっついてバラけまい!」

小南の特性の「紙」は自来也とは相性が悪いようです。それに、思ったほど強くない…(笑)。ここに来る前にペインに対しても、「アナタが来るまで相手をしておくは…」みたいな消極的な発言をしてたから、小南も自来也との相性の悪さや相対的な強さの見極めは出来ていた気がします。小南は戦闘タイプではないのかも知れません。自来也のエクステが既に小南を拘束しています。それにしても、あのエクステ…かなりの距離を伸ばす事ができるようです。

「折り紙が好きなお前はあの子たちの中でもとりわけ優しい子だったのォ…
他の二人はどうした?死んだという噂は嘘なんだろう?」

この自来也の台詞で、小南が三代目の回想にあった自来也の弟子である予想が外れた事に気付きました(笑)。ペイン=大仏かと思ったんですが、全く関係なかった(滝汗)。他の「二人」ですから…。それにミナトを含まれる筈はないから。しかも、ペインの額当ては雨隠れのものでした。その意味を重く受け取れば、あの考察はなかった…と、反省してるくらいです(笑)。額当てに傷を付けようが付けまいが、それを身につける意味は軽くない。非常に勉強になりました…(脂汗)。

「ペインとは、あいつらの内のどちらかじゃの?」(自来也)

「今さら私たちの前に現れて何のつもりだ!?」(小南)

「そんなつもりは無かった。お前たちが"暁"でなければの
死んだと聞いていて…それがまさかこんなことになるとはの…」(自来也)

「あの時…あの時、大蛇丸の言う通りにしておけば…そう思ってるのね…
けどアナタは私たちを助けた。もう遅いわ…私たちは彼の思想の下、動き出した」(小南)

「ペイン…間違い無く、あの子じゃの」(自来也)

戦意を失ったかのような小南と自来也の会話シーンを見て、小南は自来也を好きだったんではないか?と、僕は疑っています。妙に女の子っぽい機微があると言うか…。まるで昔付き合ってた同士が、過去の行き違いを言い合うような…愛憎みたいなものを感じました。ペインと話している時の無機質な小南とは明らかに違う…。揺らいでいるような、人間臭さを感じるのです。二人のこの会話から黒バックの回想シーンに突入して行きます。

雨宿りをして休んでいる自来也、綱手、大蛇丸の三人組に難民の子供が物乞いに来るシーンです。若き日の自来也は、自分が食べようとしていた乾パン…残りの三個を分け与えます。子供たちの親は今回の戦で殺されてしまった。「この戦争で忍に殺された」と言う子供の言葉に綱手と自来也は「………」と沈黙しています。場所は子供たちの話から川の国(雨隠れ)と思われます。図らずも、この子らの街を戦場にしてしまった…。間接的であれ、この子らの親を殺した罪の意識を感じたんだと思います。

時系列的には「忍界大戦」の最中。自来也の隈取(くまどり)から推測すると、例の「山椒魚の半蔵」との闘いより以前、つまり「三忍」と命名される前だと思います。自来也の隈取が若干短いです。これまでの経時変化から察すると年齢を重ねるに従って自来也の隈取は伸びています。今はおじいちゃんだから顎まで伸びてる(笑)。綱手の様子からして、縄樹の戦死の前の筈です。これも屍体安置所の自来也の隈取よりも回想の隈取は短いので違和感がない。つまり、相当前のエピソードと言う事です。三人のベクトルとしては、闘いが終わってこれから木の葉の里に帰る途中と考えて良いでしょう。

「ありがとう…コレ、お礼」

子供達は三人いました。名前は「小南」「弥彦」「長門」。中でも弥彦がリーダー的存在で外交的でしっかりしています。小南は優しい女の子で、乾パンをくれた自来也に乾パンの包み紙で花の折り紙を作って手渡します。小南は手先が器用な子だったんでしょう。折り紙が得意な優しい女の子だった。お腹をヘラしてる二人に食べ物の折り紙でも折ってあげたりしてたんじゃないでしょうか。小南は自来也がくれた乾パンが嬉しかった。美味しかった。子供らしい「お礼」に自来也も思わず微笑んでいました。

現在の小南もこの時、折ったのと同じ(ような)花飾りを髪に刺しています。それは、この出来事が嫌な想い出でなく、むしろ忘れられないものであった事を意味しているのだと、僕には思えます。あの時、自来也に手渡した「お礼」の花の折り紙…小南には大切な想いがこもっていたのだと思います。もしかしたら、この花飾りは小南の「額当て」のような存在なのかも知れません。つまり、身につけるからには相応の意味がある…と言う事です。

「殺す?この子たち」

自来也と対称的な反応を見せるのが大蛇丸です。「ずいぶん戦争孤児を見てきたけど惨いものよ。いっそのこと、ここで殺してやるのがこの子たちにとっても…」と言う大蛇丸。この子たちの将来を考え尽くした上で、この選択を下したのだと思います。これが大蛇丸なのです。この考えの前提には、「この子らをこのまま放置しておく」と言う誰もが目を背けて通ろうとする「現実」に厳しい目を向ける大蛇丸の冷静さがあるのです。

「よせ大蛇丸!…お前は綱手と先に帰ってろ。ワシはしばらくこいつらの面倒を見る」

自来也も大蛇丸の考えは理解していたと思います。「多少、自律が出来る様になるまでだがな。これがせめてもの償いだ」と付け加えています。これは大蛇丸の考えに対する理論武装ですが、この考えを導き出したのが大蛇丸の「殺す?」なのです。大蛇丸が自来也を煽ったのかも知れないとまで、僕は疑っています(笑)。大蛇丸も小南の花の折り紙を見た事でしょうし、こんな子供をそのまま放置してしまったら…それこそ「罪」だと考えた。これが大蛇丸の「優しさ」なんです。これはもう類い稀なる想像力の賜物と言って良い…大蛇丸の素晴らしき才能なのです。

「はぁ!?」

綱手のこのリアクションは、大蛇丸と二人きりになる事に対するもので、完璧な「照れ」です。縄樹の戦死以前のエピソードと仮定すれば、勿論、ダンとの出合いもない。歳の頃も20代前半でしょうから、恋愛が何にもまして第一義のお年頃…。邪魔な自来也がいなくなるなんて嬉し恥ずかしじゃないかっ!!と言う乙女らしい反応で、決して子供が嫌いとかウザイと思うような薄情な女の子ではないので、あしからず…(笑)。

しかし、小南やペインと大蛇丸は「暁」で再会してる筈です。その時、小南はどう思ったんでしょうか?ペインは何を感じたんでしょうか?小南が自来也に言った「あの時、大蛇丸の言う通りにしておけば…」と言う台詞…。小南は大蛇丸の優しさの本質を見抜ける子だったんでしょうか…?大蛇丸って誤解され易いから…。それに弁解もしない人だから…。「暁」でも結構あったんじゃないかな…きっと。でも、そこでの回想も見てみたい気がします。「その髪飾り…アナタ…まさか…」なんて大蛇丸が言ってたら感動ものですね。それに、小南たち(「暁」)の側から大蛇丸にアプローチした線も残りますね…。

結局、自来也と三人の子供たちとの生活が始まりました。川の国だけあって、魚が一番手近な食糧なんでしょう。大きな魚とイワナのような魚を焼く自来也のカットがあるので、最低でも二日くらいの経過が読み取れます。その中でも一番雄弁で考えがあるのが弥彦です。先の小南と自来也のやり取りで「彼の思想の下…」と言うのがありましたが、思想家と言うなら素質的には弥彦でしょう。

「ボクらは皆、家族を殺されたんだ!
分かり合うなら相手を同じ目にあわせてからだ!それが痛み分けってことだろう!
でも…そんなのムリだってことぐらい分かってる。だから戦争はなくならないんだ!
雨は嫌いだ。この国はいつも泣いてる……弱虫だ。僕がこの国を変えてやるんだ
みんなを守る!!」

僕はこれをペインの「思想」だと感じました。弥彦がペインなんでしょうか?「だから、自来也先生!オレたちに忍術の修行をつけてくれ!」と、しっかりと自来也を見つめて話しています。弥彦には目的をもって生きるバイタリティを感じる。これは大切なリーダーの資質であります。自来也も戦争の一端を担っている「負い目」を充分に感じてます。そう考えてしまう優しい人ですから…。こんな経緯で自来也はこの子たちに忍術の修行をつける事になったのでしょう。だから、自来也は小南やペインに「先生」と呼ばれている。

そんな中、事件は起りました。やはり、決して弱くない雨が振り続いていました。

「自来也先生、大変!弥彦と長門が…!!」

小南は今はあんなキツイ口調ですが、自来也を心底、信頼し切っていたようですね。追い剥ぎが襲ってきた時、いち早く自来也に助けを求めに走ったのでしょう。男の子二人が小南を庇って逃がしたのもあると思います。三人とも優しい子だったのです。しかし、現場に駆け付けた自来也が見たものは、大量の血を流し絶命したと思われる忍の変わり果てた姿でした。

「こいつは岩隠れの中忍か…一体どうやって…」

装備品や衣装で判別が付くのでしょう。まだ忍術の修行もしていないような子供相手にどう転んでも殺られるタマではない。自来也はそう考えたのでしょう。「…そしたら長門の…奴が…」と言う弥彦の言葉の先に呆然と立ち尽くす長門。その「眼」は明らかに、ペインのそれでした。こんなに大人しくて泣き虫の内気な男の子が…。「私たちは彼の思想の下、動き出した」と言う動機には程遠い存在感の薄い子が……。しかし、この「眼」…もしかして、血継限界…?!

「こ…この眼は……!!…この子…まさか…!?」

先の小南とのやり取りで「ペイン…間違い無く、あの子じゃの」と自来也は言ったけど…。ペインは長門なんだろうか?そして、自来也はこの「眼」について知っている様子です。つまり、自来也はペインの能力に関しては理解できたわけです。『ヨシッ!任務完了!!』…もう充分に情報収集はできたんだから、早いとこ逃げちゃって下さい。それが無理なら、木の葉から、ライドウでも誰でも良いから、助けに来いやァァァァッ!!!!体中の関節外して、あの狭い蝦蟇の食道を抜けて来てみろやァァァァッ!!!!(プライドの高田総帥風)

それと、有り得ない期待だけど、自来也が操っていた雨の下忍。スタスタと逃げちゃった彼。あれが自来也の変化であって欲しいと思うのは、いけない事ですか?これは罪ですか?!(笑)

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