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第496話「再会九尾!!」


「九尾と戦う!?」(ナルト)

「そうだバカヤローコノヤロー」(キラビ)

<バザザ…>「うわっ…すごいですね」(ヤマト)

「付いて来い!」(キラビ)

「古い遺跡のようですね…
考古学的にも貴重なようですし
修復が必要ですね」(ヤマト)

「ノー!…その石像達は
初めから首がないように造られてる…
ある理由でな」(キラビ)

「こんなとこで九尾と戦うってどうやって戦うんだ!?
そもそもどうやって九尾に会うんだよ!?」(ナルト)

「九尾と戦うって!?まさか…
無茶な事するんじゃないでしょうね!?」(ヤマト)

「無茶しないでコ
ントロールできると思うな
バカヤローコノヤロー!
ここは昔から人柱力に選ばれた者が
禊を行う神聖すぎる場所だ」(キラビ)

「ここは尾獣と対話できるシステムになってる…領域♪
この建物の中だ…了解?♪」(キラビ)

「…ここが…」(ナルト)

「ここへ入れるのは選ばれた者だけ…選抜♪
その石像の口の中へ頭を入れろ善人♪
心の闇がなけりゃ扉が開く全開♪」(キラビ)

「あの~なるべく普通に説明して下さい…
分かりにくくて…」(ヤマト)

「心の闇がなけりゃって…
そうかだから滝で…」(ナルト)

「ただし…もし少しでも心の闇があれば扉は開かない承諾♪
どころか首を石像に咬みちぎられる!承知?♪」(キラビ)

「ここに来る時に見た首のない石像は
かつての人柱力達が正体♪」(キラビ)

<ゴクッ>(ナルト)

(オレが本当のお前だ…)(闇ナルト)

リスクが大きすぎる
ナルト 影分身でやればいい」(ヤマト)

「ここは神聖な場所だバカヤローコノヤロー!
雲隠れの代々の先代達が見張ってる…
ごまかしは効かない!!」
(キラビ)

「しかし…!」(ヤマト)

「ヤマト隊長!
オレは九尾の力をコントロールするためにここへ来た!
これはオレにとっても大切な事だ逃げられねェ!」(ナルト)

(………自分を信じるんだってばよ!!)<スッ>(ナルト)

「真実の滝」なんてハードルを入り口に据えた構造が、その奥に在る地下の空洞の意味を示しているのだと、僕は考えています。自分の中に在る「闇」を克服した者だけが入る事が許される…キラビとヤマトは何事もなかったかのように通過していますので、自分の統合=自己同一性(アイデンティティ)が得られた状態なのだと思われます。ヤマトの場合、この葉隠れで修行した忍ですし、雲隠れの辺境にある「真実の滝」など知る由もない筈です。でも、ヤマトだって「柱間の遺伝子」をその身に宿し、悶え苦しんだ過去が必ずある筈で、至れり尽くせりの「真実の滝」なんかなくても何とか乗り越えて来たのだと思います。だから、方法論として「真実の滝」のクリアに関してはヤマトも周知だったと思うんです。

しかし、ヤマトがナルトに関与してクリアできたとしても、それは「真実の滝」の本意には外れてしまいます。要はナルトの問題な訳で、ナルト自身がクリアできなければ何にもならないのです。だから、ヤマトは黙って見守るしかなかった…それをして、僕は<モジモジ>してるんだと感じてた訳です。モトイだって、キラビだって…きっとそうだったと思います。それはそのままナルトの冒険譚を見守る『NARUTO -ナルト-』のオトナ読者の視線であって、どっちかってーとナルトの意外にしっかりした部分に逆に戸惑っている。だから、ヤマトが取り乱したり、心配性に傾く姿にドップリと感情移入しちゃうんだと思います。ま…僕だけかもしれませんが、妙にヤマトの雰囲気が甘酸っぱいです(笑)。

ナルトは既に「自己同一性」は確立してたと思います。ただ、自分の中に渦巻く汚れた自分までは未整理のままだったのかも知れません。人間は清らかなだけの生き物ではありません。その現実を受けいる事も成長の一環であり、自己の統合を考える上で避けては通れない関門でありましょう。それをしっかりと意識するプロセスがナルトにとっては重要だったのだと思います。これまでのナルトは「異常者」でした。それは「八卦の封印式」がナルトに与えた「チート」だった筈で、それがこれまでのナルトを背面から支持していた訳で、数々の難関をナルトはクリアして来たのです。しかし、ペインの木ノ葉襲撃事件の「八本目」の大ピンチで揺らいだ…あの時、ミナトによって「八卦の封印式」が組み替えられました。

そして、その変化はナルトの「過呼吸」にも現れ、これまで盤石であったナルトの「異常者」という名の「超安定」に闇を落とすのです。ちょっとした外圧に驚く程簡単にナルトは崩れ落ちました。詳しくは「ナルトは何故、過呼吸に陥ったのか?」(疑問の考察)に認めてありますれば、是非ともご一読戴きたいと思います。それもこれもミナトの親心。クシナの親離れ子離れ。真摯にナルトの独り立ちを切望する「好意」が衝き動かす「獅子の子落とし」みたいなもので、ナルトから徐々に「チート設定」が取り除かれてる…ちゅー事だと思います。だから、ナルトがちょっとビクビクしながら自分を信じようとする態度には物凄くリアリティがあります。成長ってこうでなきゃ!!って、僕は嬉しくなるのです。


<ズイ>(ナルト)

「………」(ナルト)

「………」(ヤマト)


「!!」(ナルト)

「ぐぁああああ!!」(ナルト)

「!!」<ザッ>(ヤマト)

「ナルトォ!!!」<ガッ>(ヤマト)

<ドガ>「!!」(ヤマト)

「そ……そんな…なんてこった!!
ナルト…お前!!」(ヤマト)

「なんてね~!!」<ニョキ!>(ナルト)

「スイッチがあるだけでした」(ナルト)

「………」(ヤマト)

「お決まりだからつい…」<アハハハハ>(ナルト)

「オレの時もやったぜ冗談♪
石像は壊れただけ冗談♪」(キラビ)

<ガッ>「ここは神聖な場所じゃなかったんですかァああ!!
バカヤロー!!コノヤロー!!」(ヤマト)

ナルトは意を決して「真実の口」に首を突っ込みます。そして、見事に首を喰い千切られ…と、「ローマの休日」みたくベタな展開に、マジにアタフタするヤマトって、ヘップバーンみたいで乙女じゃーないですか(笑)。逆に、こんな展開にユーモアをオミットできないナルトや、ネタ振りに余念のないキラビって相当なエンターテナーなんだと思います。キラビは雲隠れの「真実の滝」を入り口とした「尾獣のコントロール」に関するトレーニング場のシステムを知り尽くす忍であり、完全なる尾獣のコントロールを達成した忍であります。それが、木遁チャクラ(柱間)や写輪眼(マダラ)とも違う大系に根差してる点が重要であり、ナルトがそのラインに乗っかってる意味は果てしなく大きいです。

も一つ…キラビがヤマトの随伴を許した点。これは大きいです。恐らく、キラビの時は雷影兄ちゃんが一緒にこの空洞に入ったと思うんです。キラビは勿論、自分がナルトを導く覚悟でいると思いますが、ヤマトがナルトに迸(ほとばし)らせる親心を見逃す事ができなかったのでしょう。そして、不完全ながらヤマトが持つ「木遁チャクラ」の存在。八尾も九尾とは面識があって、九尾がどれ程の存在かは周知であり、ヤマトの助勢が必要だと感じたのかも知れません。だから、キラビはヤマトを「白い部屋」(ミナトが八本目の大ピンチでナルトを導いた空間に似てる…ナルトもそれを感じます)への入室を許したのだと思います。キラビはヤマトに雷影兄ちゃんと似たニオイを感じたのかも…と、僕は思うな。


<ゴゴゴゴゴゴ…>

「!」(ヤマト)

「!」(ナルト)


「こ…これって…」(ナルト)

「この中へ入って目を閉じ座って集中する…
…滝の時と同じだ
そうすれば尾獣に会う事ができる」(キラビ)

「オレってば昔
修行して心の中で自分から九尾に会う事は
できたんだけどもよ………」(ナルト)

「それなら人柱力の誰もがやってる事だ
……ここはもう少し別の意味もあるオーケー!?」(キラビ)

「オレの話をよく聞け!説明♪」(キラビ)


「ナルト…
お前に封印した九尾の封印術はどんなのだ?切望♪」(キラビ)

「え?」(ナルト)

「四象封印です」(ヤマト)


「四象封印か…立派なもんじゃねーか
オレ様の鉄甲封印より堅いな…
鍵は持ってんのか?」(キラビ)

「……うん!」(ナルト)

「やはり…封印を解くんですね…
もし…このコントロールがうまくいかなかったら…
…九尾が完全復活したらどうするんです!?」(ヤマト)

「この場所に閉じこめ封印する!」(キラビ)

「ここはそういう場所でもある」(キラビ)

恐らく、「白い部屋」そのものが結界空間になっていて、人柱力の封印を解かれた状態でも外界には出られない仕組みになっているのでしょう。つまり、失敗は人柱力の死な訳です。尾獣を抜かれた人柱力は死んでしまいますから、封印を解いた状態でありながら、尾獣が人柱力を脱していない…と考えれば、人柱力が自身の封印の内側に反転した状態をこの「白い部屋」が作り出しているのかな…と思います。キラビが事前にナルトの封印式を聞き取り安心したのは見逃せません。ちなみに「堅い」とは「信頼できる」という意味で、ナルトが敗北しても九尾を閉じこめられると踏んだんではないかと、僕は考えました。恐らく、「白い部屋」は対象者の精神世界を具象化させる空間なのでしょう。

ちなみに、ナルトの封印式を「四象封印」と返したにはヤマトで、ナルトは如何にも無頓着な反応でした。ヤマトがそれを「八卦の封印式」としなかったのは、「八卦の封印式」が非常に特殊な封印式であり、もしかしたら木ノ葉隠れのトップシークレットなのかと勘ぐらせます。そもそもの命名は自来也でしょうし、「四象封印」の二重封印式を「八卦」と解釈するところにヤマトは根拠を見出せなかったのかも知れず、それを「四象封印」と明言するヤマトの実直さや性格設定が非常にしっくり来ます。しかも、「封印式の鍵」の術式を分析すれば、「四象封印」の一方が固定され、もう一方が可動式になっているのが見て取れまして、ヤマトがそう言い切る根拠もあり、いろんな意味でオトナだなーと思いました。


「新しい人柱力を連れてくるまで九尾はここに封印♪
いきなり早くもブーイング?♪」(キラビ)

「しかし…」(ヤマト)

「そうはならねーよ…!
オレがやってみせっからよ!」(ナルト)

「オッケー!なら扉を閉めるぜ…
これから九尾とのやりとりを教える!」(キラビ)

「ナルト…お前に感嘆♪
ルールは簡単♪」(キラビ)

(精神の中で九尾とあいさつしたら
まず封印を解け!)(キラビ)

「………」(九尾)

「よう…
あい変わらず目つきわりーな」(ナルト)

「……ナルト…キサマ…」(九尾)

<スゥー…>「何だってばよ?」(ナルト)

「本当のお前はどこに行った?
感じないぞ…!」(九尾)

(お前は憎しみを克服した…
だが安心はするな…極力♪
九尾は憎しみのかたまりだ…極論♪)(キラビ)

「ここに居るだろ…お前の目の前によ!」<スッ>(ナルト)

<ペリ…>(ナルト)

<バッ>(ナルト)

<グッ>(ナルト)


「!?
どういうつもりだ?」(九尾)

<バッ>「今 口がふさがってんだ
見りゃ分かんだろ」<グッ>(ナルト)

<バッ><スウゥー…>(ナルト)

<ボッ><ボッ><ボッ><ボッ><ボッ>(ナルト)

<ガッ>(ナルト)

とうとう鉄格子の「封」を剥がす時が来てしまいました。今度はミナトが止める事もない…それがほんの少し物悲しくもあったけれど、いつかは誰の助けもなく自分の力で何かと戦わなくてはならない時が来ます。これはナルト自身の戦いなのです。そして、「封」の護符の後ろには「封印の鍵穴」が鎮座してて、鉄格子をロックしています。それが「○」に「×」で、ナル×ジャン的には可動式の「四象封印」に符合します。この「鍵穴」はナルトの腹の「八卦の封印式」に連動していて、ナルトが右腕に呼び出した「ナルトの鍵」(=ゲロ寅)で解錠します。この時、ナルトの指先に灯された炎(チャクラ?)は、温泉修行で自来也が大蛇丸がナルトに施した(荒い術式の)「五行封印」を解印した行に似てます。

あの時点で、ゲロ寅は自来也の喉元奥に蔵入りしてた筈ですから、ゲロ寅に写し取られた術式を引用したのだと思います。そして同じように第一部と第二部の間の修行で自来也がナルトの「四象封印」をほんの少し開いて三途の川を見たのも、こんな風に「鍵」を使ったんだろうと思います。僕は毎回、ナルトの口から<オエ><オエ>とゲロ寅が出てくるんかしら…と、それじゃーヒーローっぽくないだろ…と心配していたので、ナルトがカッコ良く「鍵」を右腕に呼び出して、自来也みたいに指先に炎を灯すカットに歓喜しました(笑)。キラビは八尾とのやり取りで解錠したりしませんから、ネゴシエーションが済んだら次のプロセスがあるんでしょうが、先ずは九尾を黙らせるのが先決みたいですね。


「くっ!」<グイ>(ナルト)

<ガチャン>(封印の鍵穴)

<ズズズ…>(八卦の封印式)

<カチャ><カチャ>(封印の鍵穴)

<ズズズ…>(八卦の封印式)

<カチャ><カチャ><カチャ…>(封印の鍵穴)

<ズッ>(八卦の封印式)

<ガチャン>(封印の鍵穴)

<スッ>(九尾)

<ガン>「ぐっ!」(ナルト)

<ゴゴゴゴ>「グオオォオオ!!!」(九尾)

(九尾が封印から出たら…)(キラビ)

<バクク>


(自分のチャクラで
九尾のチャクラを捕まえて引っぱり抜け!!)
(キラビ)

<ズズズズ…>(ナルト)

(チャクラはチャクラでしか捕まえられねェ
…これ常識♪
九尾から直接九尾のチャクラを奪えばいい
…それ勝者♪)<グッ>(キラビ)

「!!」(九尾)

<カッ>(八尾)

「グググ…」<シュルルル><ググ><シュルルルルル>(九尾)

(九尾に直接振れて自分のチャクラと
九尾のチャクラをくっつけたら引き合いになる
ようするに綱引き勝負だオーケー!?)
(キラビ)

<グググググッ…>「グオオオオ!!」(九尾)

<プル><プル><ズズズズ…>(九尾)

「グォオオオ!!!」<ガガガガ>(九尾)

「チィ…」(キラビ)

ナルトの「八卦の封印式」の内側には「九尾の陽のチャクラ」が封印されてまして、それが何なのかを考えた「九尾の陰(かげ)のチャクラって何だろう?」(チャクラの考察)ってのもありましたが、かなり前に書いたので不整合が多いです。しかもキッ神のタイムマシーンで「陰」が「かげ」じゃなくて「いん」になってるし…(笑)。その辺の解釈をもう一度、現状の情報量で纏めるべきかなーと思っています。先週は大きな仕事を動かしてて思うように書けなくて心配かけましたが、今週は何とか書いてみますんで、あまり期待せずに待ってて下さい。それと、ミナトが屍鬼封尽した「九尾の陰のチャクラ」がサスケに封印されてる考えはナル×ジャンでは写輪眼のチャクラ(兄系のチャクラ)の意味が無くなるから却下でーす(笑)。

キラビがナルトを助けようと加勢してますね。八尾のタコ足が九尾に絡み付いて九尾のチャクラを引っ張り出そうとしてますね。しかし、九尾の鋭い爪が八尾のタコ足がサクッと斬り裂きます。チャクラ同士の衝突ですから、血継限界チャクラの相性もあるでしょうし、何せ九尾が最強っぽいので、キラビがヤマトを「白い部屋」に招き入れたのがオトナな選択だったのかなーと思ったりもします。しかし、それがヤマトの「死亡フラグ」かも知れない…なんて、凄くイヤな予感も併せ持っていて、まさかな…と考えたり。ま…僕の考え過ぎである事を心の底から祈ります(笑)。もう一つ、余談。ナルトに凄む九尾がウチの相方にそっくりなんです。耳の感じとか、キバの感じ、あと目から鼻にかけてのシワとか(笑)。

骨に執着している…


(オレ様も戦いに参戦♪お前の精神の中だ…
うまく力が出せるわけでもねェ…残念♪)(キラビ)

「やっぱ強ぇーな…」(ナルト)

(言っとくがチャクラを取ろうとする時は
逆に引っ張り取られる危険もあるぜ
こっちが全部抜き取られて
チャクラが0になったらどうなるか…
説明はいらねーな?)(キラビ)

<ズズズ…>「…そうか…
ワシの力をコントロールする気だな…」
(九尾)

「来いってばよ!!」(ナルト)

九尾が「コントロール」って言うでしょ。コレ、コレなんです。僕は何だか感じちゃったの。これを書かねばと思ってます。chなみに、ナルトや九尾から迫り出してるのはそれぞれのチャクラが実体化したもので、これを綱引きしてるのだと思います。九尾が斬り裂いたタコ足が九尾に取り込まれてますよね。これはチャクラを奪い合う戦いなのだと思います。全部取られたら負け。つまり、ナルトは九尾のチャクラを…と、ココを僕は書きたいと思っています。その触りは「自分」(前編後編)(アイデンティティ)で書いちゃったけど、もう少し肉付けして、捏造も加えつつ(笑)。ナル×ジャン的には見えちゃった内容なんだけど、果たしてキッ神はどんな風に提示してくれるのか楽しみでーす!!(笑)

しかし、ナルトが九尾をコントロール下に置いちゃったらいよいよ『NARUTO -ナルト-』もクライマックスで、残るはサスケとの決着だけになっちゃう(トビなんてーのは既に眼中にない!?)。キラビの背中の鮫肌の、さらにその中の鬼鮫っちなんてどうなってるんでしょうか。そんな枝葉末節はそんなに手間取らないと思うんで、皆さんとのお別れが近付いて来た…と、僕は戦慄してしまいます。これって「終末の谷の決闘」「終撃」「書きなさいフラグ」でして、惜別の刻がいよいよそこまで…の感があります。あれ書いちゃったらナル×ジャンの役目もほぼお終いなんで、どうしたもんかと(汗)。ま…あとはキッ神の手腕にお任せしますが、いきなり「新しい敵」とか出すのだけは止めて欲しいと(ry

以上、書きっ放しなんで後ほど修正しまーすッ!!
今週も忙しくてアレなんだけど心配しないでね!!


 
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第495話「闇ナルト撃破!!」


九尾のガキ
モトイを助けようとしてくれて
サンキュー!」(キラビ)

「オウ!」(ナルト)

「…ナルトは不思議と人を引き付ける何かがある…
それはビーさんと同じだな」(モトイ)

そんな感じがします…はい!」(ヤマト)

「お前の事はもう一度再考♪
お前なかなかいい奴最高♪」(キラビ)

「タコのオッサン
イカすぜラップー♪
会えてよかった
ホントにラッキー♪」(ナルト)

<スッ…>「ヨウ!ビートかませ!」(キラビ)

「!」(ナルト)

(ビーさんと同じところがあるのはいいが…
正直…ラップまでマネされんのはイヤだなぁ…)(ヤマト)


「てめーにビーさんの何が分かる!」(モトイ)

「そんな事あったけか?」(キラビ)

(タコのオッサン…モトイのおっちゃんに信頼されてるし
タコのオッサンもモトイのおっちゃんを信頼してる…)
(ナルト)

<トン>「ヨウ!オレはナルトだってばよー!」(ナルト)

「ニシシシ!」(よし!決めた!)(ナルト)

先週、大イカが八尾・人柱変化にのされて「いいダシが出てるな…」と、食欲中枢を刺激されたケルベロスが「オトコ料理」のウンチクに妄想してしまったのは記憶に新しいですが、それ以前に「真実の滝」の前で悶絶するナルトを見かねた老婆心が暴走した「自分」(前編)「自分」(後編)を恥ずかし気もなく書き上げたケルベロスって、どんだけ「自分」が好きなんだよー…と疑いたくなる「ケルベロスの中のもう一人のケルベロス」(笑)。ま…ナルトがどんな風に「自分」を受け入れて行くのはは、既に解り切っていた訳で、それはナルトの直近に待機するヤマトやモトイの<モジモジ>した感じに、気持ち悪いくらい上手に描写されていると思います。概してオトナにはちょっとむず痒い流れでありました。

内容的には既に書き尽くした感がありまして、詳しくは前出の考察を読んで頂ければ本望でございます。僕は今号のエピソードで何に唸ったかというと、「内容」でも「画」でもない、キッ神の「ネーム」の上手さであります。具体的にはキラビとナルトが良い感じになって<トン>とあいさつした直後の(よし!決めた!)で、これがこの後のお話に何重にも関わって来ます。確かに、キッ神は「画」が上手いから「画力」が注目されがちだと思うんですが、僕はキッ神の「ネーム」(セリフ)の切れ味は当代の漫画界にあって白眉(はくび)なのではないかと、僕は考えています。何たって、ここまで解り切ったお話を説明臭くもせず、かと言って有耶無耶にもぜず纏め上げる。その為にはこの「ネーム」なくしては…と、僕は思うのだ。


「………」(キラビ)

「ったく…てばヨーてばヨーってよ…」(キラビ)

「………!」(ナルト)

「うるせえってばヨー♪」(キラビ)

「……!」(ナルト)

「真実の滝へ行け
今のお前ならイケイケだ!」(キラビ)

<ザザー…>

キラビはナルトに説明などしていません。それでもナルトには理解できた。これをして「気付く」のだと、僕は思います。キラビがそう考えてナルトを見守っていたかは微妙ですが、ナルトのステージが上がったのを、もう一度「あいさつ」をかわす事で確認しています。キラビにはナルトの「自信」に満ち満ちた「拳」が感じられたんではないでしょうか。個性の違いこそあれ、モトイだってヤマトだってナルトを何とかしてやりといと思う親心で接していて、しっかりと導きたいのだけど、教えてそれが成らない事を知っている(或いは、感じている)からこそ、こんなにも<モジモジ>しているのです。そもそも大イカがモトイをさらったところに都合良く居合わせたキラビもヤマトやモトイとそんなに変わらんと思いますし(笑)。

「うるせえってばヨー♪」と、キラビが返すのは、ナルトを認めました…という意思表示であり、ナルトを門前払いの形で拒絶していたキラビがナルトに向き合う決意を示した瞬間なのだと思います。その裏を返せばナルトがキラビにちゃんと向き合った結果であり、モトイの言葉で言い換えれば、ナルトがキラビを「ちゃんと見た」という事なのだと、僕は考えています。この時、キラビはナルトの「自信」を確と感じ取り、「真実の滝」に向かわせます。僕はこの時点でクリアにしたって良いんじゃねーの?!と思った程で、ま…「真実の滝」をクリアする事には意味があって、それが「九尾のコントロール」の文字通り「入り口」になっている事がこのエピソードの最後に明かされます。この辺りも非常に上手いです。


<スッ>(闇ナルト)

<バシャ><ザザ>(闇ナルト)

<ドドド>「懲りずにまた来たか
何度やっても同じだ
お前はオレを倒せねェ……」(闇ナルト)

「だな……
お前を無理やり倒そうとしてもうまくいかねェ…
…全く同じ手ェ使ってくっからよ」(ナルト)

「オレを追い出そうとしても無駄だ…
お前の事はオレが一番分かってる」
(闇ナルト)

<スッ>「なら…
もうお前だって分かってるだろ?」(ナルト)

「………
何が言いたい!?」(闇ナルト)

「さっき決めた事をさ…」(ナルト)

「………」(闇ナルト)

「知るか…そんなもん!」(闇ナルト)

「しらばっくれんなよ…」(ナルト)

「まあいいや…
この場所は自分の心の真実を映す場所だから…
イメージを集中して…お前に直接見せてやるよ!」(ナルト)

「………」(闇ナルト)

<スッ…>(ナルト)

「!!」(闇ナルト)

【火影こうほNo.1うずまきナルト】

「これがオレのサインだ」(ナルト)

「真実の滝」の前で再会した闇ナルトに対してナルトが常に優位に立っています。完全にナルトは闇ナルトに優越しています。それはナルトが闇ナルトの正体に気付いた事を意味すると、僕は思います。恐ろしいと思うのは、その正体が解らない…「不安」がそこにあるのだと思います。しかし、ナルトには闇ナルトが何なのか既に解っている。だから怖くなんかない訳です。そして、ナルトは闇ナルトに「サイン」を見せます。実はこれが先程、僕が凄いと感じたキッ神の「ネーム」(よし!決めた!)の…一つ。ナルトはキラビをちゃんと見て、いろんな事を感じたのだと思います。そして、自分の中に積もりに積もっていた「疑問難問」が一気に解けたのでしょう。これがその「答え」の一つという事です。


「……きさま…」(闇ナルト)

「あの時…一楽でたのまれて
結局書けなかったサインだ」(ナルト)

「…そんなもの作ったからといって何だ…!?
くだらねェ!!
里の奴らにちやほやされてだまされてるだけだ
お前は!!

あいつらはオレ達をずっとだましてきた奴らだぞ!!
勝手な掟を作ってのけものにしてきた!
思い出してみろ!!

苦しかったよなぁ…辛かったよなぁ…
…お前を分かってやれんのはオレだけなんだぞ!

里の奴らなんか信じるな!!」(闇ナルト)

「ああ…里の人達も大事だけど
他にも信じなきゃならないもんが先にある」
(ナルト)

「!」(闇ナルト)

「自分を信じてみようと思うんだ
里の皆に信頼されてる自分ってのをよ」
(ナルト)

これもさっきナルトが(よし!決めた!)と誓ったものの一つなんだと、僕は考えています。キラビの存在が如何に多くの「気付き」をナルトに齎したかを如実に物語っていると言えるでしょう。やはり人は「傷付き、気付き、築く」べき生き物であり、成長とは教えられて成るものではない…それを知るオトナだからこそ、自分の生き様をナルトに見せる事しかできないし、許さない訳です。思えば、自来也もそうだったし、サスケに対してのイタチもそうでした。しかし、ここまでナルトとサスケに明暗が別れるのは、やはり近くに居るオトナの質に拠るのだと感ぜずには居られません。そう考えると、僕はトビが憎らしくて仕方ないです。だって、トビのサスケに対する導きは「恣意」に満ちているではないですか。

ヤマトやモトイが我が事のように気を病み、それでも手を出せずに<モジモジ>している優しさ美しさと、トビがサスケに<ベタベタ>と接する汚らしさは正に真逆であります。一握りの「好意」を持ってサスケに接するオトナが一人でもいれば、サスケがこんな事になったりはしなかったでしょう。しかし、そこには「写輪眼の高み」の意味不明を目指すイタチの意向も残されてまして、トビがそれに反した行動をしてるとも断定できず、未だ余談を許さない状況もあるっちゃーありますが、個人的にはトビは許せねー!!その気持ちがナルトがこんなにも「自信」に満ち溢れて眩しく輝いている姿にコントラストして憎らしくなるのです。少なくともオトナは子供を捩じ曲げるような事をしちゃいかんよ。断じていかんと、僕は思うよ!!


「………」(闇ナルト)

「……」(闇ナルト)

「うっ…」(闇ナルト)

「うっ……うっ…」(闇ナルト)

「………」(ナルト)

「うっ…どうしてだ…あんなに……
…あんなに苦しまされてたのに…」
(闇ナルト)

「タコのオッサンに気付かされた
自分ってのを全く疑ってもねェ…すねてもねェ
自分に誇りを持ってる!」
(ナルト)

<バッ>「お前は…オレが邪魔なのか!?
なら…オレはいったい…何だったんだ!?」(闇ナルト)

「………」(ナルト)

「お前がいたからオレは強くなれた…
おかげでここまで来れたのかも…」
(ナルト)

<スッ>(闇ナルト)

<ダッ>「なら!オレは…
オレはどうすりゃいい!?」
<バシャ>(闇ナルト)

「ンなもん簡単だろ」(ナルト)

「!?」(闇ナルト)

「お前はオレになりゃいい…!
お前もオレなんだから」
<ドッ>(ナルト)

「!?」(闇ナルト)

「…今までありがとうなぁ…
もういいんだ」
(ナルト)

<スゥー…><フワッ…>(闇ナルト)

<ドドドドドドド>

闇ナルトと闘うのではなく抱き締めるナルト…。これもキラビをちゃんと見て、ナルトが自分で気付いた(よし!決めた!)「答え」の一つなんだと思います。ナルトは自分の中に在る「闇」を受け容れる覚悟を決めたのです。こんなにも汚らしく醜い自分も自分なんだと認めたのです。それが人という生き物だと気付けたのです。それが「汚された」とか「浄化」とか騒ぎ立てるサスケと極めて鮮明にコントラストしています。サスケが写輪眼の遺志を受け継ぐ生き様を進む想定がある中でナルトだけを賞賛するのには偏りがある危険性を孕みますが、ナルトだけをちゃんと見て「教育論」を展開するならば、これぞ「王道」と思います。しかし、キッシーの「ネーム」は上手いです。「当代随一」と言い切ってもいいです。


<スッ…>(ナルト)

「!?」(モトイ)

「!?」(モトイ)


「ヘヘ…!」(ナルト)

「………」(キラビ)

「うまくいったんだね!」(ヤマト)


「喜ぶのはまだ早いぜ
バカヤロー!コノヤロー!」
(キラビ)

「!」(ナルト)

「これから
九尾の力のコントロールをやってみるか!
今からオレが… お前の師匠♪
覚悟を決めろ でないと死傷♪」<ザッ>(キラビ)

「よっしゃー!!」(ナルト)

<ザッ>「オレについて来い…ナルト!(キラビ)

「真実の滝」をクリアしたナルトをキラビが初めて「ナルト」と呼んだ!!初めてじゃーないでしょうか(ちょっと不安だけど)、キラビが「ナルト」と言うのは…。そして、弟子入りを認めるキラビ。伝説の三忍の自来也の弟子であるナルトが、完全なる”尾獣”のコントロールを可能にした四傑(柱間・マダラ・やぐら・キラビ)の一人であるキラビに弟子入りするなんてゴージャスで超エリートコースを歩むなんて、恵まれ過ぎててサスケが不憫です。確かに、サスケも伝説の三忍の一人である大蛇丸の弟子でしたが、トビは明らかにサスケを弟子受けしてません。トビがホントに「うちはマダラ」であるならサスケを堂々と弟子受けして育ててると思うんです。どっちかっつーとトビは女っぽいんだなー…僕的には。

ま…トビの「女っぽさ」ってのは性別じゃーなくて役割的な見方なんだけど、母性でサスケを懐柔してるように思えてならないんです。どっちかつーと、大蛇丸も母親系だったから、サスケにはもっと力強く「生き様」を示す存在が必要なんだと思います。その点でもナルトはイルカやカカシといった母親系とは別に自来也やヤマトといった威厳を持った父親系の指導者が実にバランス良く関わっています。これは凄く不公平なんだけど、人生なんてそんなもんだから(笑)。それら全てを受け入れるのが「真実の滝」の前でナルトが経験した事だと思うんです。そしてナルトは見事にそれを乗り越えた訳です。傷付きながら気付いたからこそ、「これから」を築いて行ける…それをオトナは見守るしかないのです。

きっと、イタチはサスケにそれを望んで、「うちは虐殺」以来のイバラ道を粛々と歩んで来たんではないかと思います。そして、サスケに自分の運んで来た「万華鏡」を託し逝ってしまった。そこに「無念」はないんじゃーないかと、僕は考えてまして。だって、「許せサスケ……これで最後だ」(第43巻/236頁)のイタチは笑ってましたもの。僕がトビの恣意に満ちたサスケへの介入を責め切れないのは、その一点でありまして、それが「写輪眼の高み」のややこしさであります(笑)。ま…ナルトが「光」に満ち溢れた成長を遂げる対極にサスケの「闇」があるのは物凄く自然で、だからこそ二人には「終末の谷の決闘」があるのだと思えますれば、あいや暫く、オトナな僕らはサスケも<モジモジ>しつつ見守るべきかと(ry


あの~…ボクも付いて行っていいですか?」(ヤマト)

「オーケー!」(キラビ)

「モトイさんは?」(ヤマト)

「オレは雲隠れへの定時連絡があるので
この辺で…」(モトイ)

「お疲れ様です」(ヤマト)

「ここからは簡単にはいかないだるからな」(モトイ)

<ザザザ>「滝の向こうがあったのか…」(ナルト)

<ザザザ>

「!」<ザー…>(ナルト)

「す……すげー…!」(ナルト)

「ここで九尾と戦う!!」(キラビ)

キラビに弟子入りを許されたナルトが「真実の滝」を潜り抜けます。滝の奥にはどデカイ広間が在りました。「真実の滝」が入り口になっていたのは、「真実の滝」をクリアしたものだけが入る事を許された修行場所だからでしょう。しかし、八尾も九尾も元々、十尾だった訳で、十尾を九つに分割した断片に過ぎません。ぶっちゃけ、同じ命だったのです。恐らく、その認識がこれから目指す「九尾のコントロール」の鍵になるのだと思います。その前段階としてナルトの内面の整理が必須だったと考えれば、「真実の滝」を入り口に据えた雲隠れの孤島の修行場の設計意図を明確に示していると思います。現にキラビは「八尾のコントロール」に成功してるんですから、方法論としては既に確立してる点に注目するべきでしょう。

実はナル×ジャン的にも「九尾のコントロール」に関しては既に見当は付いてまして、ここであまり語りたくありません。「自分」(アイデンティティ)でもそれを極力濁しながら書いたつもりです…と言うのも教えられないからです。特に少年少女には自分で気付いて貰わねばならんと、僕は考えています。その為にどうすればいいのか。これは「好意」に裏打ちされた明白な「親心」であります。だから、ヤマトやモトイ、キラビまでがナルトを前に<モジモジ>しちゃってるのが、僕には痛い程解るのです。ナルトは「自分」の中にある「闇」を受け止め、力強く抱き締められた。人が併せ持つ「清濁」を受け容れたのです。それを成せたのはナルトが自分で自分に気付けたからに他なりません。だから、僕は心を鬼にしてこう言おうと思います。

傷付け!!…と。

「巻ノ51」の買い忘れに気付くケルベロス…って遅ッ!!



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「ダシ」(男子、厨房に入る…オトコ料理の巻)追記100522

   
<ズオオオオ>

サスケの左眼の万華鏡写輪眼!!全開!!
不退転!!"天照"!!受けて立つ八尾!!

<ゴゴゴウ>

"天照"発動!!八尾の蛸の足に着火!!

(こ…これがサスケの言っていた
消えない黒炎か!)
(重吾)

(す…すげェ…!)(香燐)

<ゴゴゴ>「ぐあぁあ!!」(八尾)

「ぐあああ!!」<ズサーン>(八尾)

「ぐっ!」(サスケ)


<バシャーン>「ギャアアア」(八尾)

<ゴッ>「!」(香燐)

「くっ!」<ザッ><ガッ><ザッ>(香燐)


<ドシャーン><バシャァァッ>「キャ!」(香燐)

「!」<ズバッ>(サスケ)

<バチチバチ>「香燐走れ!」(サスケ)

擬音ばっかで何だか解らないと思いますんで、単行本の巻ノ45/43頁から始まる第415話「新しき力!!」をご覧下さい。雲隠れのキラビ捕獲作戦でキラビ一人に弄ばれ、トドメの八尾・人柱変化で完全体と化した八尾にペシャンコにされちゃうーッ!!の大ピンチを、サスケが「万感の天照」を灯し、大逆転の展開を迎えた良い場面です。特にサスケが"天照"を発動する事に対する葛藤を描いた第414話「暴れ牛」から流れは正に「神展開」で、今読んでも胸に迫ります。この辺りは”鷹”の面々やキラビが良い味を出しまくってて、「サスケは何故、"第一部の第七班"を想い出したのか?」(疑問の考察)や「八尾は何故、"暴れ牛"だったのか?」(疑問の考察)などに当時の僕の心模様が認めてありますので、是非ともお読み下さい。

ところで、何でこの行を取り上げるのかというと、"天照"の黒炎に苦しむ八尾がヤタラメったら暴れたもんで、八尾の尻尾なんだかタコ足なんだか…尾獣ってんだから尻尾の筈なんだけど、何故だか八尾はタコ足で八尾の尾獣を名乗ってる罠…が香燐を謝って直撃しそうになるのを、間一髪サスケの千鳥鋭槍が救うのです。ちなみに、間違って…というのはキラビ的には正しいと、僕は考えていてキラビも辛いんだよ…と、僕は考える人で、それが先に示した「八尾は何故、"暴れ牛"だったのか?」で考えたかった部分であります。余談、余談で押せ押せになってしまって物凄く申し訳ありませんが、この頃のお話にはいろんなモノ…いろんな「味わい」の方が適当かな…が詰まってて放っとけないのです。

サスケは万華鏡写輪眼の反動に苦しみながら、なけなしのチャクラを絞り出すように千鳥鋭槍で八尾のタコ足を分断します。鋭い切れ味の雷遁チャクラを研ぎ澄ました刃を射程ギリギリかそれ以上に伸ばし切り、鋼鉄の肉体である八尾のタコ足を呆気なく切り落とすのです。後からキラビがこの時切り落とされたタコ足に潜んで”鷹”ばかりではなく雲隠れの追尾すら煙に巻く事になる訳で、これがサスケの千鳥鋭槍の切れ味だけが成し遂げたワザだったかは甚だ疑問ではありますが、サスケは後に重吾が口にする「水魚の交わり」を実践する一人であり、確かに”鷹”の強固な結束と連帯感を感じていたに相違ありません。それを僕だけでなくキラビも感じてだろう…と思えるのは、キラビが”鷹”を殺さず見逃したのに滲んでる…。

そんな良いお話の真っ直中で、僕は図らずも生唾を飲み込んでしまったのです。逃げ惑う香燐に襲い掛かる八尾のタコ足の肉感。吸盤のモチモチした感じ。単行本巻ノ45/48頁の上のコマで、サスケが千鳥鋭槍で分断した八尾のタコ足が雲隠れの地上湖の水面下に沈む様子に…僕は<ゴク><ゴク>と、生唾を飲んだのです。それを第494話「キラービーとモトイ」で、モトイを襲った大イカを一撃で沈め、美味しいところを独り占めしたキラビがタコで、大イカが出がらしのようにプカプカ浮かんでて、どっちも良いダシが出てるなー…と感じて、雲隠れでサスケが<ズバッ>と切り落とした八尾のタコ足を思い出した次第です。ちょっと横道ですが、今回はケルベロスの料理哲学を書いてみようかしらと思います。


追記(100522)

僕は小さい頃から「味」というものを真剣に考える子だったと思います。例えば、何処かのレストランで何か食べる時にも口の中に運んだ料理がどうしてこんなに美味しいのか?この「味」はどうしたら再現できるのか?僕はそれを真剣に意識する…ちょっとイヤな子だったと思います。僕は食べながら「味」を分析する子で、「味」というものが塩や砂糖などの調味料のみが齎すものでない事をこの頃から感じていました。「大きな味」…ケルベロス的表現…は食材にあって、料理とはそれを組み合わせたり、より多く引き出すことである…と、僕は子供の頃から考える、本当にイヤな子だったと思います。この「味」の中には何が組み合わされているんだろう?僕の舌は絶えずそれを探していたように思います。

僕の嗜好はある時、「中華料理」に一気に傾倒して行きます。それは学生時代の食生活が関係していて、特にケルベロスの生息地がその頃、関西に在って、加えてお金がなかった…(汗)。それで少ない手持ちでガッツリ食べられる外食が、若かりし僕の胃袋と今でこそ全国区に成り上がった「■将」を引き合わせるのに時間を要しませんでした。中でも「中華丼」は僕のフェイバリットで、今でもケルベロスにとって「中華丼=中華料理」は鉄板です。「中華料理」の何が凄いか?って、何も捨てないところかな…。中華鍋一つでチャカチャカやるのには意味がある訳。中華鍋に打ち込まれた食材が、一気に加熱され、煽りに煽られてそれぞれの「味」を融け合わせる…それは正に「火の料理」なんだと思います。

何も捨てない…というのは、「スープ論」に帰結しちゃうんだけど、食材から出た「味」が融け合ってるんだから、何で捨てるの?と、僕の中では至極当たり前の話であります。この時の「味」とはケルベロス的には「大きな味」であって、書き物で言えば「骨子」(こっし)みたいなものだと思います。読んでる人を何処に運んで行くかを大まかに決める…僕がよく使う「ベクトル」と似てると思います。「スープ」の中には「大きな味」が噎せ返っています。それがハーモニーするか、しないか…が腕の見せ所で、「味」はケンカするものだと、僕は考えていまして、食材の組み合わせが料理の「味」の善し悪しを決めるとするのが、ケルベロスの料理哲学の根本であります。完璧な食材の組み合わせであれば捨てる必要がないのです。

「スープ論」とは「出汁」(ダシ)と同義に、僕は認識しています。食材の本来の「味」が溶け出して「火」に拠って混ぜ合わせる…それが新しい「味」を創る。忍術でチャクラ…特に血継限界チャクラを練るのに非常に似ていますね。それを言い始めたら文章書くのだって、カラオケ歌うのだって同じなんですが(汗)、物事の深層や中核とはかくも通じてる訳で、それを「真理」と呼ぶのかしらと考えたりしています。僕は子供の頃から食材から溶け出し、融け合った「味」が人が生理的に感じる「基本味」の中の「旨味」である事に気付いていたのだと思います。そして、「出汁」(ダシ)とは正にその「旨味」を閉じ込めたものに他ならず、それを最も合理的に実現するのが「中華料理」なんだと考えるようになったようです。

大体、そんな風にしてケルベロスの料理哲学とは確立して行きました。で、今はと言うと毎日、中華ばかりやってる訳でもなくて、いろんな料理を食べています。家で作るのが面倒な時は牛丼屋さんやお弁当屋さんで買って来てサクッと済ませちゃう事も多いです。でも、「今日は食うぞ!!」って時は厨房に入る訳です。勿論、得意料理は「中華料理」なんですが、他にも少ないけどレパートリーがあって、胸を張ってお出しできるのが「お好み焼き」であります。これはケルベロスの生家のある大阪の十八番(おはこ)でありまして、それこそ日常茶飯事に食すメニューであります。きっと、同郷の方々には一家言(いっかげん)のある料理でありましょう。…という事で、やっとこさここで「タコ」が出てきます。

まったく回りくどい奴だとお思いでしょうが、こんな奴なんで(笑)。しかし、「何も捨てない」という考え方を説明しないと、何で美味しいのかが分かって貰えない。それに僕は関西圏の食文化を刷り込まれた人間なので、どうしても「出汁」(ダシ)を避けては通れません。そして、こんなに回りくどく説明した後に「お好み焼き」が来るんですから、勿論、ケルベロスの「お好み焼き」は何も捨てないし、出汁が利いてる…旨味が詰まった…凄く美味しい(←自分で言うな!!と言われそうですが、美味しいんだから仕方ない!!笑)。そして、その為に「タコ」が必要なのです。それが「万感の天照」の行で、サスケが切り落とした八尾のプリプリしたタコ足のカットの<ゴクリ>に繋がる訳だ!!(ながッ!!)

ケルベロスのお好み焼き

【材料】

・お好み焼きミックス(ブランド不問…何でもいい)
・山芋(出来るだけ水分の多い種類)
白菜(なければキャベツでも良いけど、出汁的には白菜)
・白ネギ
・豚バラ肉(薄切り)
タコ
・卵
・天かす(天婦羅屋の揚げたてのが一番いい)

お好み焼きミックス必須

お好み焼きミックスを使って下さい。実はプロもこれを使っています。ただし、「出汁入り」とか「山芋入り」とかいう謳い文句はマユツバで、めちゃくちゃ不十分です。それに僕は「出汁」は食材から絞り出す派なので、出所の解らない「出汁」なんて不要なので、それが希薄なのは有り難いことでもあります。ここまで言ったら、きっと「出汁」でお好み焼きミックスを練るんだろうと思うかも知れませんが、普通に水道水で練ります(笑)。何度か試行錯誤がありまして、例えば「一番だし」で練るのも良いんだけど、コスパがあまり宜しくない。そもそも「漢(おとこ)料理」ですし(笑)。一番肝心なのはお好み焼きミックスの粘度で、可能な限り<サラサラ>に練るのがポイントです。僕の練った生地を見たらきっと驚くと思います。箸にも棒にも掛からない…とはこの事かしらと思うと思いますよ(笑)。

山芋で粘度を調整する

山芋の水分量が大切

ま…その<サラサラ>を調整するのが山芋の役目なんだと、僕は考えています。山芋はいろんな種類があって、その違いは山芋自体が持つ水分の量の違いなんだと思います。勿論、おろし金でおろして使います。それが<トロットロ><ドロドロ><サラサラ>かで水分量が判ると思います。僕はこれも<サラサラ>が好きで、しかも、お好み焼きミックスに対しての比率が多い方が好きなので、必然的にお好み焼きミックスの粘度も下がります。結局、大量の山芋を投入する事で食感として両立し難い、モチモチ感とサクサク感を実現できると、僕は考えてまして、それがミックスの練り方の拘りになっている訳です。独り作業なので写真が上手く撮れなかったんですが、箸を突っ込んで持ち上げると僅かに滴る程度の粘りが、僕の好みで、山芋の水分量が少なければ、もう少し粘ります。ここは「好み」なので自由に調整して下さい。

オリーブオイルで炒める!!

取り皿に移すのがミソ

ちょっとピンボケですが、早速、焼きに入ります。この時点で食材は既に必要な大きさにカットされています。用意した白菜と白ネギは乱切りですが、細かければ何でも良いです。タコと豚バラも適当にカットします。何せ「漢(おとこ)料理」ですから、細かい事に拘らない(…と言いつつ細かいところに拘ってて…笑)。僕はタコと豚バラは「具」であり「出汁」なのだと考えています。これをオリーブオイルを使って炒めます。塩と粗挽き湖沼を軽くまぶして炒めます。レアで良いと思います。それを炒めた油ごと取り皿に一端移します。普通のフライパンで焼きますんで、お店の分厚くて広い鉄板とは違うので、便宜的にこうしています。この炒めで出来た「油」が、ケルベロスのお好み焼きの「出汁」なんだと、僕は考えてます。これが焼きの段階で生地に沁み出すので、生地に「出汁」を混ぜる必要がないのです。

タコは安い時に買うべし!!

「タコと豚バラ」の組み合わせはケンカをしないと思います。豚バラから良い脂がでますし、それがタコの良い「出汁」を引き出してくれます。この時、「甘味」が出てるように思います。勿論、それは砂糖が味蕾を刺激するような直球ではなくて、ジワッと感じられる穏やかで緩やかな「甘味」で、それが「タコと豚バラ」の組み合わせに依って引き出されてるんだと思います。オリーブオイルを炒めに使うのは補助的な意味が強くて、フライパンに食材を放り込んだ瞬間の一発目に食材が火傷するのを防ぐ意味合いが強いです。フライパンは一つで、「タコと豚バラ」を炒めたまま洗わないし、何も捨てないで焼き続けます。生地を投入する時点ではサラダオイルにします。サラッとしてて生地にも合ってると思います。これも生地が火傷しない為に敷くような感じで、適当に垂らします。多くても生地が吸ってくれるので大丈夫。美味しいものは身体に悪いのです(笑)。

普通のフライパンで焼ける!!

さっき練ったお好み焼きミックスに切り刻んだ野菜を良く混ぜて、天かすをサラッと混ぜて最後に卵を混ぜます。ベースのミックスと食材を混ぜるのに幾つかのポイントがありまして、先ず「天かす」は焼く直前に混ぜる…ただし、卵が最後。これは「天かす」が水分を吸わない方が好ましいからです。そして、「卵」が一番最後と言うのも意味がありまして、生地とあまり馴染んで欲しくないのです。特に卵の「白身」はあまり混ぜたくないのです。「卵料理」のケルベロス的な拘りが在って、「白身」の繊維を切るか、切らないかがとても重要なのです。例えば、雑炊などで卵を散らす場合や、炒飯でご飯のコーティングとして「卵」を使う場合は死ぬ程混ぜますが、お好み焼きの場合は極力混ぜないです。「黄身」は潰して生地に練りますが、それも気持ちです。特に「白身」は生地に馴染んでしまわないように意識的に混ぜない(=切らない)ようにしています。

これも好みなんですが、「白身」の淡白な味わいが好きなので、「白身」として独立させたいのです。だから、ケルベロス的には「黄身は混ぜても白身混ぜるな」が家訓になってまして、どれだけ「白身」が生地に馴染まないかがポイントで、かと言って分離してたらハーモニーを織り成さないので混ぜるには混ぜるんですが、融け合わないように混ぜる…と、訳の判らない説明でスミマセン。ま…この方法で焼いたお好み焼きを食べてて、舌が「白身」の香ばしさを感じたら、それが「当たり」でして、それを噛み締めたら、僕の伝えたい事が判って貰えると思います。生地に卵が混ぜ込まれて別の味になるのが、僕は勿体ないと思う流派で、キレイに混ぜた方が好きな人もいると思いますので。準備した生地をフライパンに乗っけます。大きさを整えたらさっき焼いた「具」をベースの上に取り皿に移した全てを乗せます。

「タコ+豚バラ+油=ダシ」と共に…。

少し余らせた生地でフタをするのがミソ

ケルベロスは一発目にフライパンに生地を全部ぶちまけません。それはベースの上にぶちまけた「具」を保護する為で、生地を少しだけ残しておいて「具」を覆うように生地を乗せます。「具」を生地でサンドイッチする形です。こうするとフライパンの熱が直に具を焼く事を防げるので、タコや豚バラが焼け過ぎて硬くならないのです。生地の中で蒸されるので、「具」を単独で焼く時にレアでも問題ありません。あの「焼き」は「タコと豚バラ」のお見合いみたいなもんで、二人を完全に引っ付けようとする腹積もりがある訳で、「後はお若い人同士で…」と意味深な事を言う近所の仲人大好きおばさんの気持ちです(笑)。「具」で生地をサンドイッチにしてジワジワと焼く過程でさっきぶちまけた「具+ダシ」が生地に沁み出して良い感じに混ざる…キッチリと一体化するんではなくて、「良い加減」に仲良くなると言えば…伝わるかしら。

鍋ぶたでフタをする=蒸す

僕の使ってるフライパンはスーパーの入り口で売ってる安物で薄いです。ホントは奮発して底の分厚い高価なフライパンにするべきなんですが、一度買ったフライパンがなかなか死なない(笑)。買い替える時までの辛抱と思いながら何年も過ぎて、これはこれで良いのかな…と(笑)。でも、底が薄いから生地の中までしっかりと火が通るのに時間が掛かりますし、火加減を間違えると焦げます。なので、とろ火で土鍋の蓋を使って蒸し焼きにしています。これでもいけるっちゃーいけるし、分厚い鉄板の方が<カリッ>と仕上がるのも確かです。でも、これでも美味しいのだから仕方ない!!(笑)ちなみに、蒸す事で混ぜ込んだ野菜からもいい出汁が出ます。白菜を好んでお好み焼きに使うのは、甘めの出汁が出て、それが「タコと豚バラ」に合う。つまり、ケンカをしないのです。また白菜の方が水分量がキャベツよりも多くてよりジューシーに仕上がります。

出来上がり!!

それで、こんな感じに仕上がります。形はキレイじゃないけど美味しいです。外側が<カリッ>っとしてて、中身が<フワッ>のお好み焼きでーす。今回は「紅ショウガ」を入れなかったけど、卵を生地に練り込む段階で適量まぶすのも良いでしょう。あの「酸味」がいいスパイスになると思います。ちなみに、ケルベロスは青のりとか削り節とかは掛けません。掛けても良いけど「漢(おとこ)料理」だし(笑)。あんなものなくたって美味しいのよ。何も捨てないで焼き上げた料理だから、全ての「味」が詰まってるんです。タコと豚バラ。それが醸し出す「出汁」(ダシ)。それがお好み焼きミックスに織り込んだ野菜や卵と渾然一体になって「味」が練り込まれる…。それが僕のフェイバリットで自慢料理のお好み焼きです。「出汁」(ダシ)の観点から主役は「タコ」ですから、正確には「タコのみ焼き」かしら…ね。

あと少し…「イカの話」があるんだけど、それは又、別の機会に。

補足:カミングアウト(100428)参照

 
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第494話「キラービーとモトイ」(どうでもいい補足)


<ズズズ>「人柱力の力は
まだ八尾の力を完璧にコントロールできるようなものではなかった
当時 八尾は何度も暴走し雲隠れを破壊した

先代の三代目雷影達エリートは
そのつど八尾の暴走を止めていた」
<ギギギ>(モトイ)

「!」(モトイパパ>

<ガッ><バキ>

<ズズズズ>


「どうにか暴れるのを抑え
八尾をいつもの封印の壷に押し込んでいたが…

その度に多くの死傷者が出ていた」(モトイ)

「だがリスクはあっても
他国とのパワーバランスを有利に保つには
八尾の力をコントロールする必要がある
人柱力の実験は続けられていた」
(モトイ)

「………」(ナルト)

「先代の三代目雷影達エリートは…」と、モトイの回想が30年前として、暴走する八尾を阻止・封印していたのは三代目(先代)雷影が先頭に立ってエリート部隊だったんだと思います。この時、大きな封印壷を持ってる怖そうなオッチャンがどうも「先代」じゃないかしら…と思います。そのオッチャンの後ろで「雷遁の鎧」を纏うのが若かりし日の(キング)エー…現(四代目)雷影兄ちゃんでしょう。歳の頃は血気盛んな20歳代前半?…という事で現在、50歳代前半で自来也と同年代かしらと、僕は考えています。キラビと25歳くらい離れてる事になるのかな。歳の離れた弟…何気にお父さんとお母さんが恥ずかしがるシチュエーションだったりして(笑)。テヘヘ…ってな感じですかね(笑)。

「囲まれたな……敵は……20
この追跡力からして雲隠れ…」(扉間)

「手練れの金角部隊か」(扉間)

第481話「ダンゾウ死す!!」で、二代目小隊を追いつめた雲隠れの「金角部隊」なんですが、「者の書」でダンゾウが72歳となってまして、この時のダンゾウの走馬灯がダンゾウやヒルゼンの若かりし頃で20歳代前半とすれば、50年くらい前の出来事で、雲隠れの八尾暴走の回想の20年程前の時系列になると思います。その頃、あの大きな封印壷を極太の右腕で背負ってる怖そうなオッチャンて、もしかしたら「金角」じゃーないかと、僕は考えました。西遊記の金角・銀角が持ってた紅瓢箪をオマージュしたのかな…と、怖そうな封印壷のオッチャンが西遊記の金角に見えてしまったとです。金角、或いは銀角でも良いんだけど、雲隠れでブイブイ言わせる手練が、扉間を殺った功績で雷影に就任した…?!(とか)。

…なんて因縁があるのが好みなだけなんですが、そうだとしたら金角(仮)のオッチャンの胸にある「稲妻」の傷なんか、二代目火影・千手柱間に付けられた呪いの傷(どんな医療忍術でも消せない…)だったり…と考えるのが面白い。それか、金角(仮)のオッチャンの右肩の「雷」タトゥー(モンモン)からすれば、ダルイのおじいちゃんだったりして、「嵐遁」の血継限界を伝承する一族なのかしら…とも思え、B系でダルダルで一見育ちが悪そうな…ダルイって、もしかしたら結構な名家のお坊ちゃんだったりするのかなーと、余計な事ばかり考えます(笑)。それに、金角(仮)が雷影だとして、銀角(仮)も居そうな気配で(個人的に)…何気に雲隠れって層が厚いんじゃないかと…白昼夢でスミマセン(笑)。

「ダシ」の話は必ずやりますんで…mjd。


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第494話「キラービーとモトイ」


<ズズズ>「人柱力の力は
まだ八尾の力を完璧にコントロールできるようなものではなかった
当時 八尾は何度も暴走し雲隠れを破壊した

先代の三代目雷影達エリートは
そのつど八尾の暴走を止めていた」
<ギギギ>(モトイ)

「!」(モトイパパ>

<ガッ><バキ>

<ズズズズ>


「どうにか暴れるのを抑え
八尾をいつもの封印の壷に押し込んでいたが…

その度に多くの死傷者が出ていた」(モトイ)

「だがリスクはあっても
他国とのパワーバランスを有利に保つには
八尾の力をコントロールする必要がある
人柱力の実験は続けられていた」
(モトイ)

「………」(ナルト)

この部分、そんな大した事ないんだけど、どうしても気になって気になって仕方なくて…「どうでもいい補足」に記述ありです。なかなか雲隠れって凄いじゃない…って事なんだと、白昼夢に魘されながら僕はそう呟いてたとか(笑)。雷影兄ちゃんの若い頃に八尾の左の角は切り落とされたんですね。ところで、切り落とされた角はどうなったんでしょう?エラく硬くて強そうな角ですから何かの忍具の素材になったんじゃーないかと考えたりしてまして、すっごい武器がまだまだ雲隠れには在るんじゃないでしょうか。それが、”暁”との第四次忍界大戦で大いに活躍したら楽しいな…と思います。ま…どうでもいい補足だけど、箸休めだと思って読んでみて下さい。さ…「ダシ」のお話でも書き始めますか…。


<スッ>「そして多くの死傷者の内の一人に…
オレの父親がいた」(モトイ)

「!!」(ナルト)

「………」(ヤマト)

「……ビーさんに父親を
…だから」(ヤマト)


「イヤ違う……」(モトイ)

「?」(ナルト)

「!?」(ヤマト)


「……」(モトイ)

「ビーさんとオレは友達だった…
父が亡くなった時
オレ達はまだ五歳だった」
(モトイ)

「!」(モトイ)

エーッと、モトイの父が八尾の封印の犠牲になってしまったのは悲しい出来事ですが、ある程度予想できましたし…(汗)。それ以上に、30年前の悔恨を始めたモトイがキラビと同い年で、モトイパパの死が二人が「5歳」と提示され、キラビの年齢が35歳と特定されたのがデカいです。カカシよりちょっとだけ年上なのかな。『NARUTO -ナルト-』の年齢設定って、内面を考察する僕にとってはかなりのサバ読みで、+10歳でも足りないくらい皆、オトナなんです。でも、キラビが35歳ってんならばそれでもヨカです。キラビのお兄ちゃんの雷影も、キラビをあんなに可愛い可愛いしちゃうのは「歳のはなれた弟」だからなのかと思うし、雷影兄ちゃんは自来也と同世代と考えれば、雷影の綱手に対する既知も整合性が高いです。


「父を殺した人柱力は…
八尾を抜き取られ封印した時に死んだ

先代の人柱力だ

そしてその後
すぐにビーさんが八尾の人柱力として選ばれた」(モトイ)

「ならなぜ……?
アナタはビーさんを殺そうと…?」(ヤマト)

「八尾をコントロールする事などできはしない…
また多くの犠牲者が出る…そう思っていた

そしてオレはだんだん八尾への憎しみが増し
子供ながらにどうにか復讐してやりたいと
思うようになっていた…

ビーさんはいつも笑っていた

何も知らずにいつも笑っているビーさんがだんだん憎くなり
八尾への憎しみが人柱力のビーさんへとすり替わっていった」(モトイ)

<クル>「!?」(キラビ)

「!!」<キン>(モトイ)


「…ビーさんを殺せば八尾も死ぬと思っていた」(モトイ)

「?」(キラビ)

「!?」(モトイ)

「……!!」(モトイ)

「オレはビーさんを後ろから襲った
……が失敗し恐ろしくなってその場から逃げた

その時顔は隠していたが…
ビーさんはオレだと気付いていたのかもしれない
…それ以後オレからはビーさんに話しかけなくなった」(モトイ)

「………
…そんな事があって
何でそこまでビーさんを尊敬するように…?」(ヤマト)

「…憎しみはすぐに消えたわけじゃない
…その後もずっとビーさんの後をつけるように
監視し続けていた

でも…オレだけじゃなかった」(モトイ)

「……?」(ナルト)

「ビーさんは何度も里の者達から疎まれ……
嫌われてきた…ずっとな…
政治のために勝手に人柱力にされ
里を守るために存在しているにもかかわらず…

里の者達から阻害され続ける…
常人では堪え難い生き様だ
…オレ以上に苦しんでいるのは
ビーさんだと気付いた」(モトイ)

「…なぜ我々に…」(ヤマト)

「…本当はビーさんに聞いてほしかったのかもしれん…
ビーさんの代わりにナルトに話してしまったのは
同じ人柱力だからだろう…


…だがいつかは本当の事を
ビーさんにも話さなければと思っている…
でなければ懺悔にならない…」(モトイ)

(都合がいい奴だぜ…こいつ…)(闇ナルト)

<ビクッ>「!!」(ナルト)

モトイの語る「人柱力の生き様」にナルトは感応して行きます。それが「真実の滝」の影響を受けナルトを波立たせるのです。恐らくモトイにしてもヤマトにしても似たような影響を受けて心中は穏やかではなかったでしょう。ヤマトが、ココまでの話を何で木ノ葉隠れの自分達に告げるのかを疑問に思うのは、尾獣や人柱力が各里のトップシークレットだからで、そんなのはモトイも重々承知の上なんだけど、口にフタが出来なかったのは、誰かに話さずにはいられない情動が勝ったからでしょう。人は自分の気持ちを誰かに吐き出せば楽になれるし、誰かが吐き出すのをただ聞いてあげるだけで楽にして上げられるのです。ま…技術論で言っちゃうと、「傾聴」と言うんだけど、それじゃー味けないので(笑)。

ちょっと余談だけど、合コンなんかで「自分」を語りまくる男の子をよく見かけるんだけど、あれはミステイクです。ホントにお持ち帰りしたいんだったら、「うん、うん」と頷きマシーンに徹するのがよろしいかと思います。ぶっちゃけ、女の子は男の子の話なんか興味ないです。女の子は「自分」を聞いて貰いたいと思ってる…と考えた方が合理的だと思います。だから、女の子が話し易い環境を作って、男の子は女の子が語る内容に耳目を集中して、女の子にしっかりと向き合い、変な感想や自分の考えなんかは間違っても差し挟まない事です。そんな事を女子は要求していません(笑)。ま…お持ち帰りの為だけに躍起になるのも気持ち悪いけど、人の話を聞く事は大事だから。騙されたと思って一度お試しを(笑)。


「………」(ナルト)

「!」(ヤマト)

「ナルトどこ行くの?」(ヤマト)


<スタ><スタ>「少し一人にしてくれってばよ」(ナルト)

<ザーン>

<ザザーン>


「ホラあの子よ…」

「いいか近づくんじゃないぞ!」

「あっち行け!」


「信じてたぞ!」

「お前は英雄だナルト!」

「ありがとう!」


「オレは実の父に幾度となく暗殺されかけた
奴らにとって今では消し去りたい過去の遺物だ…
ではオレは何のために存在し生きているのか?」(我愛羅)

「我愛羅は風影なんだぞ
生意気な口きいてんな!
この下っ端ども!」

「無口でクールで強くて
格好良くてエリートで…」


「タコのオッサンは
あんなに信頼されるようになった…
我愛羅も風影になって
里の皆のためにがんばって
認められるようになった…」
(ナルト)

「………」(ナルト)

(オレだって…イルカ先生や同期の皆…
それに…)(ナルト)


(里の奴ら
今までさんざんオレ達を除け者にしてきたくせによ

オレはお前自身
お前の心の底にあるお前自身だ)
(闇ナルト)

(オレ自身
そんな事思ってもみなかった…
でも心のどこかでまだ…)(ナルト)

「………」(ナルト)

「確かに…
里の皆に信じてもらえるなんて自信がねーよ」
(ナルト)

ナルトは独りきりになって内感を重ねます。そして、これまでの自分の経験を咀嚼して行く中で、「真実の滝」の前で現れた闇ナルトもまた自分である事に、薄らとですが気付いて行きます。『NARUTO -ナルト-』とは自分が自分になって行く物語なんだと、僕は考えてまして、僕はそれを「自分」(アイデンティティ)で書いてみました。人の中には奇麗なものも汚いものもゴッタになって入り混じっているのだと、偉そうに書いてみました。清らかな気持ちと濁った気持ち…その清濁を合わせ持つ生き物こそ、心を持った卑しき人間の定めなのだと、僕は思います。いろんなモノが混ざり合うからこそ、人生とは多彩なのです。甘い時もあれば、苦い時だってある。でもそれが旨いと感じれるようになるのです。

ビールが旨いのは苦いからです。しかし、それ以上に人が渇いてるからなのを、オトナは知っています。暑い夏の夜に、何処かのお店に入って「取り敢えずビール!!」と無意識に叫んでしまうのはその為だと、少年少女にはいつの日か解って頂きたいものです。そして、ビールの苦みが人生の一面であることにいつか気付いて貰いたい。あんまり書いちゃうと、本当に気付いて貰えなくなりそうで怖いので、これはもう既に知っちゃったオトナ向けに書いてるのだと認識して下さい。僕はかつてキラビと一緒に飲みに行きたいと思いました。丁度、”鷹”をキラビが揉んでる辺りでしたか。あの「理解されてない感」「それでも相手してやってる感」はオトナだなーと思いましたもので(笑)。ああ…喉が渇きます…ね(笑)。


「うわー!」(モトイ)

「!」(ナルト)

「イテテ…」(ヤマト)


「くそ!!」(モトイ)

<ザッ>「モトイのおっちゃん!?」(ナルト)

「ナルト!
フォーメーションCでやるよ!」(ヤマト)


「………」(ナルト)

「ナルト!何してる!?」(ヤマト)

「やめろ!!タコのオッサン!!
モトイのおっちゃんは本当に
タコのオッサンの事を信頼してんだァ!!」
(ナルト)

それで、ナルトが良い感じに内観を進めてると、大イカが邪魔しにくるんですが、どうやらモトイが大ピンチ。ヤマトなんか、まだ「本気」出してないんかと(笑)。ま…こんな大イカが島の周りにウヨウヨいるから安心なんだけど、陸にも手出しできるから気が抜けません。しかし、焦りまくるオッサンズを尻目にナルトの天然は更にその上を行っちゃてます(汗)。ナルトはホントの事がキラビにバレて仕返しされてる…と思い込んじゃったようです。つまり、ナルトはこの時点で、キラビはそういう奴だと信頼してない本心がある訳。これが「分かってるつもり」というものなんだと思います。ナルトの本心…どっちかというと闇ナルトに近い部分がポロッとでちゃったんだと、僕は思います。

人の中身。清らかさと汚らしさ。善良と邪悪…。今、ナルトは「自己の統合」の最中にあると言えます。いろんなものが混ぜこぜに、ごった煮になる人の中身を纏め上げ、「自分」に会おうとしている。「自分」になろうとしている。キッ神も珍しく『NARUTO -ナルト-』でナルトを描いているのです。ここで描かれるナルトの変化をオトナは甘酸っぱく感じるのでしょうし、少年少女は、もしかしたら詰まらないと感じるかも知れないし、何のこっちゃと思うかも知れません。でも、誰もが生きて行く中でいつかは必ず迫られる「青春の門」のように、それが在る事だけは肝に銘じておいて下さい。やっぱ『NARUTO -ナルト-』はオトナの少年誌なのかな…ゴメンナサイね…オッチャン達だけ美味しくて(笑)。


「………」(モトイ)

「………」(ヤマト)

<シュビッ>「イカだァー!!」(ヤマト)


「え!?」(ナルト)

「てっきりタコのオッサンに本当の事を話して
モトイのおっちゃんが怒られたのかと…」
(ナルト)

「心配になって君を追ってきた途端
イカに襲われたんだ!」(ヤマト)

<ググッ>「ぐぁあ!!」(モトイ)

<パン>「ナルト
話は後!すぐにやるよ!!」(ヤマト)

「…ああ」(ナルト)

<シュルルルルルル>(木遁・黙殺縛りの術!!)(ヤマト)

「モトイのおっちゃん!
今助けっからな!!」<キーン>(ナルト)



<ザバァ>「オレ様八尾は再度登場!!
イカれたイカはサイドアウト!!」
<ドコ>(キラビ)

「タコのオッサン!!」(ナルト)

(…ビー!!)(モトイ)

<ザザーン>

「……なぜ助けた…」(モトイ)

「……?」(キラビ)

「ビーさん…気付いてたんだろう…
オレはアンタを…殺そうとした…
それなのに…」
(モトイ)

「……」(ナルト・ヤマト)

「そんな事あったっけか?」<スッ>(キラビ)

「……!」(モトイ)

「ビー……お前…」<ジワ…>(モトイ)

今更…キラビが幼なじみのモトイと「あいさつ」を交わす理由を噛み締めるモトイ。その気持ちに触れれば、キラビがモトイをしっかりと見ている事が解ると思います。モトイもまた迷い人だった。真実の滝の前で悶絶するナルトに心中を吐露する中で、心の中の未消化な領域が急速に整理されて行ったのでしょう。ナル×ジャンで偉そうな事を書いてる僕なんか、書いてる中でいろいろと気付いていますもの(笑)。表現とはかくもそういうものであり、誰かに何かを伝えるということは、自分にも何かを伝えてるって事なんだと、僕は毎日のように気付かされております。イルカの前例があるので、今回のエピソードはある程度予想が出来たけど(脂汗)、それでもモトイに対する感情移入はいろいろとありますがな。

野暮だからあまり説明したくないんだけど、ここでキラビが極々自然に「拳」をモトイに向けた「あいさつ」は、30年前、モトイがキラビを背後から殺めようとして失敗した折りに、キラビがモトイに求めた「あいさつ」の続き…ね。続き…って事は、キラビはあの時の覆面がモトイだと知ってる…つー事で、キラビは暗殺失敗直後からズーッとモトイを許してました…というメッセージを込めているのだと思います。30年間、モトイはそれに気付けずに悩んでいた訳です。それをキラビは笑顔で迎えてくれた…。子供の頃と変わらぬ笑顔で…。この瞬間、モトイは「自分」に再会できたんだと思います。どんなに歳を重ねても、人は成長を求められる。自らも欲する。その旅の中に僕らは居るのです。人生という旅の中に…。

…イカだけに良いように「ダシ」にされたようで…(笑)。

余談ですが…「ダシ」の話は近い内に…mjd。



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「自分」(後編)

 
「僕は……
大蛇丸様が死んでから…
自分が何者か
また分からなくなった……


…………

親も知らず国も知らず敵に拾われ
幼い頃からスパイとして
国や里を転々としていた僕にとって…
国や里といったものは
曖昧な者でしかなかった

大蛇丸様の部下になるまではね…
だがまたいなくなった

自分は一体何者なのか…
アイデンティティーの無いこの苦しみ…

君なら分かってくれるよね…
ナルト君

自分はうずまきナルトなのか…
”九尾”なのか…

かつて君は他人の冷たい視線にさらされ
一体自分が何なのか
分からなくなってたハズだ」(カブト)

「………」(ナルト)

サスケとデイダラがおっ始めそうになるのと並行して、カブトがホラーな独り喋りをしてた行(くだり)…(第39巻/132-133頁)。思えばナル×ジャンが始まって直ぐで、初々しい「感想」を書いてた頃(遠い目)。僕としてはカブトが意気揚々と喋りまくるのを、「馬鹿な事を…」(第39巻/141頁)と門前払いするかのように知覚する描写が好きで、ヤマトは「自分で自分の親になった系」に思えて、激しく感情移入したものでした。「自分で自分の親に…」というのは誤解して受け取る人も居まして、クドクドと説明しようかしらとも考えたんですが、こればっかりは経験者でないと解らない…と諦めました。ま…アレな内容なので…これは「ウン、ウン」と解る人だけにしっかりと感じて貰えれば満足でーす(笑)。

話を戻しまして…カブトは自分のアイデンティティに悩んでる訳です。よーく考えればカブトとヤマトの境遇って凄く似てると思うんですよ。ヤマトだって「自分」を見失ったって仕方ない!!…みたいな陰惨な幼年期を過ごしてる筈なんです。でも、「今」を比べれば雲泥の差。それが何を意味するか…つーと「自分で自分の…」にナル×ジャン的にハマってしまい、解る人だけ解れば良いサ…にループしちゃう訳(笑)。そこに落とし込んじゃって諦めるのも大人げないし、ちょっと補足するなら、ヤマトは「自分」に縋(すが)り、カブトは「他人」に縋った…って事だと思います。具体的には、カブトは大蛇丸にぶら下がる事で辛うじて「自分」を感じられた人なんだと、僕は考えています。

「確かにボクはカカシさんの代理
けどカカシさんとボクは違う

”君達を傷付けやしなーいよ”
…なんて笑って言うのはごめんだよ」(ヤマト)

ちなみにヤマトは…(第33巻/168頁)。きっぱりと「自分」を感じてる人なんです。尊敬する「カカシ先輩」にもぶら下がっておりません(笑)。ま…ナルトとサクラを前に懇々と説教してるシーンでカカシのセリフを吐いちゃったのは、きっと暗部の任務で大ピンチを迎え、その時、一緒に行動していたであろうカカシに優しく励まされたからだと思いますが、その甘酸っぱさを別腹に置いといて、サクッとナルトとサクラに引用できるのがオトナって事で一つ…。しかし、こうでなきゃ「他人」を導くなんてできないです。ケルベロス理論としては心にも慣性があって、ある程度物理法則が適用できまして、「自分」という中心があればこそ回転できる…駒(ジャイロ)のように「自律(自立)」できるのだと考えとります。

それで、「悋気」でも書いたんだけど、大蛇丸は「与える人」であって、それがトビと違うところだと、僕は考えています。しかし、大蛇丸は「(何でも)欲しがる人」でもあって、ここがややこしいと言われそうだけど、欲しがるだけでは得られない事を大蛇丸は知ってたんだな…。これは何にでも通じる要領だと思うんです。例えば種を撒いて水を与えて世話をしないと作物は穫れない。より遠くに跳ぶ為にはより有効な助走が必要だったりするのは、皆さん経験があると思います。それを大蛇丸は天然でしてたんだと思います。だから、カブトが最も欲しがる「居場所」を大蛇丸は与えたんじゃないでしょうか。それをカブトは「愛」だと感じたんだと思います。大蛇丸はその気持ちをコントロールしてたんです。

大蛇丸は自分を好きにさせる名人だったんだと思います。それが大蛇丸の部下からは見て取れます。大蛇丸を好きになるから自分の命を投げ出しても…って子が大勢いましたよね。その傾向を積極的に運用したのが大蛇丸の「悋気」だったと思うんです。でも、「悋気」って男女の間の気持ちだろ…と仰られる方も居まして、だったら何でボーイズなんたらなんてあるんだよ!!と返したくなったんですが(笑)、「魂」「性別」はないけど「役割」の違いがありまして(あっちの方で言いますと「タチとネコ」なんですが…)、大蛇丸のバイセクシャルな気持ちのやり取りは常に「男と女」の色香が漂ってるのです。その「色っぽさ」を感じて貰えれば、大蛇丸の操った「悋気」の意味が解るんじゃーないでしょうか。

サスケ奪還編の君麻呂っちなんて、正にそれでして、あの時は間にカブトが挟まれてましたが、確かに「悋気」が既に死んでいた君麻呂の身体を衝き動かしてたと思います。あの時のカブトの嫌らしさといったら…明らかに確信犯で、その意味でカブトは大蛇丸の手練手管には気付いてるでしょう。それでも、大蛇丸が生きてれば従ってしまう…それって「恋」の成せるワザなんだと、僕は確信する人なので(笑)。カブトは大蛇丸が生きてれば「自分」を与えられてるんだから迷わないんです。そして、カブト自身はそれでいいと思ってるんだから、他人がどうこう言えるものじゃーない。もう仕方ない(笑)。それほど、大蛇丸は潤沢に与えたからであって、やっぱ大蛇丸って凄い罠…と、僕は唸ってしまうのだ。

「しかし君は…
自分の力を信じ
自分はうずまきナルトなんだと…
”九尾”に対する視線を力強く乗り越えてきた

だから自分のアイデンティティーもよく知っているし…
君を認めてくれる仲間も出来た

だが僕は…大蛇丸様を超えようとせず
ただその力にすがり付いてただけだ

今なら君の気持ちが本当に分かるよ…
僕は君に気付かされた

僕も君のようになりたいと思えた
だから今度は…

この体に取り込んだ大蛇丸様を超え
新たな強い自分を見つけるよ


新たな自分を見つける…
君はそのヒントをくれた
だから感謝してるのさ
…ナルト君」(カブト)

「大蛇丸様は再生の象徴
僕の超えるべき存在として
僕の中で生き続ける」
(カブト)

先のカブトのホラーな行の続きです(第39巻/135-137頁)。大蛇丸の「不死転生の術」って、大蛇丸が尾獣の如き存在になるような形式だった…と、僕は考えています。実際、依憑(よりわら)の体内に白蛇が巣食い乗っ取る術だったのがサスケに切り刻まれた行で判明しましたよね。君麻呂が大蛇丸をして「情報生命体」と言ったのは、白蛇の内部に更に大蛇丸の頭脳をデータ化して搭載してたであろう含みを感じさせます。と言うのは、カブトが移植した白蛇の細胞?=「サスケくんが倒した大蛇丸様の亡骸の一部を…」(第39巻/140頁)に「情報生命体」としての大蛇丸が全て格納されていたのかは疑問です。もしかしたら、大蛇丸の思考(情報)は今も何処かに残されている…とか…ないですかね(黒汗)。

また横道に逸れちゃったけど、九尾の人柱力でありながら折れ(長門)もせず、曲がり(サスケ)もぜず、しなやかに成長したナルトがカブトは羨ましくてならないのです。ここで、カブトを擁護させて貰えるなら、ナルトには「八卦の封印式」なんてチートな設定があってね、おまけに四代目火影・波風ミナトの子で、六道仙人の弟系の血筋を色濃く継承しているんだよー…と、カブトの耳元で囁いてあげたい気持ちです(笑)。しかし、カブトはナルトが「人柱力」だから、それを乗り越える事でアイデンティティを獲得したと思い込んでますよね。これはかなり大きなミステイクだと、僕は考えてまして…でも、カブトにしてみれば、それがナルトの全てに思えたのかな…と、可哀想になってしまうのです。

カブトにしてみれば大蛇丸は九尾にも等しい強大な存在(=チャクラ?)だったんでしょう。カブトはナルトの冒険譚(ぼうけんたん)の全てを知らないし、ナルトが如何に人間臭くサスケを追いかけ、サクラを想って来たかなんて…考えられない。僕は九尾なんて、ナルトにとっちゃー数パーセントでもいいや…くらいに考えています。人間のカッコ良さって、引き出しの多さ(引き出しの容量も重要なんだけど…)だから、それに気付けないカブトも青いな…(笑)。でも、それで逆にカブトの一生懸命もヒシヒシと伝わって来ます。全てはカブトの大蛇丸への「愛」があればこそで、それは如何に大蛇丸がカブトに与えたかの証拠みたいなもんで、カブトも大蛇丸への「悋気」を噛み締めてる…のかな…と。

「当分は安静にしていろ…
万華鏡の場合はなじむまでに時間がかかる
痛むか?」(トビ)

「イヤ…
しっくりきている…イタチの瞳力を感じる
自分が強くなっているのが分かる…!」(サスケ)

第488話「それぞれの里へ」で、サスケが達成感をバリバリ漂わせてますが…、そのほくそ笑みがカブトのホラーな引きつり笑顔と重なってしまって、ちょっと焦りました(笑)。基本的に、「あの人みたいに…」と憧れ、目標にする成長のモチベーションというのはあると思うんです。目標って大事ですから。でも、「あの人になろう!!」ってのは危うい…と思います。「自分」「自分」です。それが「オレが!!オレが!!」になっちゃーいけないけど…司馬先生の「自己中(心)」ね(笑)。だから、大蛇丸の細胞を移植して、大蛇丸の「力」を感じて自信満々になったり、イタチの万華鏡を移植して、イタチを感じて自分が強くなったのを確信しちゃうサスケは心配なの。それはアイデンティティ獲得の過程に過ぎないから。

何か何処か安心したい…みたいな弱気さがあるんですよ、二人には…。そんなだから、ナルトの中の九尾を殊更意識するんじゃーないかな。確かにナルトにしてみれば九尾は厄介な存在だけど、それだけ悩んでる訳じゃないと思うんです。でも、カブトなんか「それしか無い!!」みたいになってますよね。サスケだって「イタチの万華鏡!!」みたいな達成感がアリアリですよね。そして、それで「自分」を確立できたと思ってるんなら危ういと、僕は思います。人間とは複雑な生き物だから、一筋縄じゃー行かないです。僕は「万華鏡」って、絶えず変化する森羅万象を指し示してるんだと考えてるんです。こんなにも複雑な人の本質が何か一つのアイテムで完全に解明できる筈ないですって!!(笑)。

「お前に九尾のチャクラを
半分残して封印したのは
この力を使いこなすと信じていたからだ…」(ミナト)

「オレの息子ならと」(ミナト)

ナルトは雲隠れの孤島(鬼が島?)でこれから「九尾のコントロール」に取り組む訳です。ナルトには「九尾の陽のチャクラ」(第47巻/142頁)が封印されてまして、それを「八卦の封印式」がパッケージングしてナルトに搭載されています。そして、キラビがナルトを導き、ナルトは「自分」の中の九尾と向き合って行く事になるでしょう。問題は九尾をどんな風に感じるかに掛かってると、僕は考えてまして、ナルトの後見人ともいえるヤマトは、ナル×ジャンの分析では「柱間の遺伝子情報」が齎す「木遁チャクラ」「異物」として認識する事で、そのコントロールに成功している…しかし、その発現は柱間ネイティブではなく、かなり人工的で制限が多い。僕は、それが「ヤマトの限界」なんだと考えました。

でも、それが危険だとは書いたけど、間違いだとは書いていない。そういう受容もある…と、「自分」があるならば、「他人」のヤマトがどんな事をしようと受け入れられます。ココ、凄く大事だと思います。どんな時も「自分」が全てで、聞く耳がないのは「自己中」と言えるでしょう。しかし、「他人」と同じ考えになれとか、同じ人間になれとか、そんな気持ち悪い事を勧めてるんじゃなくて、「こういう考え方もあるんだ…」と一旦受け容れる心の余地は必要です。それが出来ないのは「自分」がないからだと、僕は考えています。「自分」「中心」になって回転できないから「自律」できないのです。僕がアサーティブな表現に拘るのも、その関係性を尊重してるからで、考えは自由であるべきだと思うからです。

「…ビーさんは
お前の事をちゃんと見てる
何か訳があってそうしたんだ」(モトイ)

第492話「あいさつ」で、迷い始めたナルトにモトイが凄くいい事をいってました。「人を見る」というのは、その人の「自分」をしっかりと見つめる事なんだと思います。つまり、その人の「中心」です。その人がどんな人で、どんな考えをしてるのか?…それを「人となり」という言葉で片付けちゃうと、その複雑さが上手く伝わらなさそうで悩ましいです(笑)。ま…それをする為に見つめる側の「自分」も必要なんですが…。こんなにもチンケで汚れちまった僕が言うのもアレなんですが、人間なんてホント色んなモノが寄せ集まってますがな。清らかであり、汚らしくもあり、愛もあれば、その逆もある。善良もあれば邪悪もある…清濁が寄せ集まって人はその形を成しているのだと思います。

恐らく、ヤマトは「木遁チャクラ」「異物」として受け入れコントロールしていると、僕は分析しています。きっと、そうしなければヤマトは柱間に飲み込まれてしまったのかも知れないです。ヤマトは生きる為にその身に宿った「柱間」と闘い、「自分」の中でバランスする距離感を掴んだのだと思います。僕はそれを責めたりなどしない。それはヤマトの問題だから、他人の僕が弄くれる問題ではないです。これが理解できない人は「自分」を疑ってみて下さい。「こういう考えもあるんだ」と思えるかどうかです。その上で、ナルトの中の九尾に目を移せば、九尾もナルトの「一部」なんじゃないかと、僕には思えるのです。真っすぐで大らかなナルトの中の邪悪なチャクラの塊…九尾。それもナルトなんだ!!

人の心の万華鏡の中にはいろんなモノが渦巻いてますよ。それが「パンドラの箱」の示したかった宇宙なのかな…なんて思うんです。宇宙も自然も人も…みんな同じ構造なんじゃないかと、僕は考えています。そして、八本目→九本目の大ピンチでナルトの前に姿を現したミナトがナルトに告げた「この力を使いこなすと信じていたからだ…」(第47巻/142頁)をもう一度噛み締めれば、ミナトがナルトに「自分」をしっかりと見つめて欲しい想いを示唆したんじゃないかと、僕には思えるのです。ミナトはナルトに九尾すら「ちゃんと見て」欲しいと考えてる…そんな親心のほろ苦さが滲んでる気がしてならないのです。ま…それを「そんな考えも…」と受け容れられるかはそれぞれの「自分」に掛かってる…と、僕は思うんだな…。

「九尾のコントロール」とは「自分のコントロール」である。

そして、それは「ナルトだけの特別」ではない(続きは…いつか)。

「自分」(アイデンティティ)
ナル×ジャン ケルベロス


 
業務連絡(100516):皆さん、こんにちは!!ナル×ジャンのケルベロスです。全てのアクセスに感謝致します。今回、「自分」(アイデンティティ)を書こうと思ったのは、いろんな状況、事情に僕が直面したからでして、自分の周りの方々、主にネットの関係です。その尽(ことごと)くで「自分」「他人」…正確には「他人の中の自分」で悩みを抱えていらっしゃる。少なくとも「自分」「他人」整合性なんてのあり得ないので、考えなんて違って当たり前です。その辻褄を合わせようと考えるとホントに真っ暗闇に落っこちてしまいます。それを想像できれば、その逆だって見えて来ます。「他人」「自分」整合性も無いと思った方が良いという事。僕が「表現なんて全ては伝わらないよ」…って言うアレ。

それがナル×ジャンで言う「そんな考えもあるんだ…」です。この人はこんな風に考えるんだ。僕はこんな風に思う。考える。感じる。それで良いと思うんです。「自分」「他人」の境界線付近で、人は焦り戸惑うようです。それは「他人の中の自分」「自分の中の他人」が混ざり合ってるからなんだと、僕は考えています。ややこしくてアレですが、如何にして「自分」を受け容れるかで、「回転軸=中心」の強固さが決まるのだと思うんです。軸がしっかりしていれば思い切り回転できますから、ジャイロ効果が高まり、外力を受けたとしても揺らぎこそすれ、揺れの終息も早いのです。……と、まあ、そんな事を偉そうに書いて励まそうと思ったんですが、どうしてもお話に詰まってしまう…。

…と言うのも、『NARUTO -ナルト-』自分が自分になるお話だからで、ナル×ジャン的にはライフワークとも言える「終末の谷の決闘」の旨味が詰まった部分に思いっ切り被ってしまうのです。いっその事、このまま「終末」のラストの考察を書いちゃおうかしら…と思ったんですが、それはナル×ジャンと皆さんのお別れの刻まで大切に取っておくべきだと踏み止まりました(汗)。これからナルトの「九尾のコントロール」を中心にお話は回転して行くでしょう。ナルトももう一度、「自分」と向き合う流れになると思うんです。どうか皆さんも、もう一度、ご自分と向き合って、自分の「中心」を探してみて欲しいです。ケルベロスもそうしてみます。一緒に泥沼でもがいてみましょうYO!!成長に終わりなどありません。何故なら…………

人生とは「自分探しの旅」なのだから!!



あるがままので生きようと願うから
人はまたついてゆく
知らぬ間にいていた自分らしさのの中で
もがいているならだってそう
だってそうなんだ

 
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「自分」(前編)

 
「サクラを傷付けたのは…君だよ
ナルト」
(ヤマト)

(………この辺りでいいか)と、サクラに聞こえない場所にナルトを引き離して、ヤマトは無表情でナルトにポツリと告げました(第33巻/177頁)。詳しくは「ヤマトの背中が語る"アイデンティティ"」(アイデンティティ)をナル×ジャンの草創期に書いております。今もその考えは変わらず(笑)。これは頑固なんじゃなくて、僕の自己同一性…アイデンティティに関係しているのだと思います。こんな事書くと<ケッ>っとかされそうですが、そうなんだから仕方ない(笑)。しかし、こんなにもチンケな人生を歩む僕が声も高らかにこんな風に言い張れるのは、それを認定するのが誰でもない「自分」だからです。ただ、この傾向が高慢な方向に転ぶのは極めて危険であり、それを戒める先駆者はことの外、多いです(汗)。

『二十一世紀に生きる君たちへ』(司馬遼太郎大兄著)【抜粋】

…………さて、君たち自身のことである。
君たちは、いつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
───自分に厳しく、相手にはやさしく。
という自己を。
そして、すなおでかしこい自己を。
21世紀においては、特にそのことが重要である。
21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。
科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。
川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、
よい方向に持っていってほしいのである。

右において、私は「自己」ということをしきりに言った。
自己といっても、自己中心におちいってはならない。
人間は、助け合って生きているのである。
私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。
斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、人間は、社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。
原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。
それがしだいに大きな社会になり。
今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。

僕が心の底から尊敬し奉る司馬遼太郎先生は、その著作『二十一世紀に生きる君たちへ』で綴っておられます。ちょっと余談ですが『二十一世紀に生きる君たちへ』は是非とも読んで頂きたい文章であります。凄く短い。そもそも司馬遼太郎先生が小学校の教科書向けに書き下ろした作品であり、タイトルがイメージさせる様に司馬遼太郎先生がついぞ見る事の叶わなかった…二十一世紀に生きる君たちへ…向けた「遺書」とも言える文章でした。尺が短いのは低年齢読者に配慮したのも当然あるけれど、文章に一切の無駄がないからだと、僕は感じています。それは読み応えで確信できます。司馬遼太郎先生が「一編の小説を書くより苦労した」と語ったように、正に魂の質量が筆に乗ったような重みが感じられるのです。

ま…余談はこれくらいにして是非とも著書を購入されて読んで貰いたいですが、既に司馬先生も既に逝かれたし、少年少女に1000円以上の出費は痛いし、教えるべきではないですが、『二十一世紀に生きる君たちへ』でググれば全文がサクッとヒットします。何年か前、虐めによる少年少女の自殺の連鎖があった時、それを憂慮したオトナがアタフタとした時期がありまして、その時、矢も楯もたまらず浮かべてしまったモノが今も残っております。僕は本の頁を自分の指で捲るのが好きだから購入しましたけど。本の紙の手触りやインクのニオイ…キレイな断裁の切り口。書庫で徐々に歳を重ねて行くのも風情がありまして、僕はそれに立体感を感じています。今、流行の「3D」とはちょっと趣が違うけどね。

お話がめちゃめちゃ横道に逸れちゃったけど、ぶっちゃけ「自己」「自己中」は違うって事です。そんなの分かってると思うだろうけど、誰もが混同してる部分でもあります。僕だって未だに誤認したままかも知れません(脂汗)。誰しも「自分には優しく、相手には厳しい」に転びがちではあります。それを司馬先生は「人」の字を引用し、助け合う生き物だと展開しています。そして、それが社会を組成し、国家、世界と発展して行く歴史を説いています。それは人がそのように造形された必然を指し示し、本能としての立ち振る舞いを示唆している訳で、それが自然の中に解け合い、「謙譲」という美徳を創り出す展開を非常に明解に、平易に少年少女に届く言葉でまとめあげられているところが凄いのです。

余りにも前戯が長過ぎると疲れちゃう人も居ますんで、この辺に(ry。ヤマトには確固としたアイデンティティがあると、僕は考えています。そして、それは「自己満足」「自己中(心)」ではなくて、確固とした「自己」であります。しかし、大蛇丸の実験体で、バタバタと死んでいった失敗作だった筈のヤマトが、どのようにして生き残り、紛い也にも木遁忍術まで使え、剰え、このように盤石にも思える「自己」を確立できたのかは非常に不思議です。そして、それがヤマトが登場して間もない温泉場で「…これから…忙しくなりそうだ」(第32巻/125頁)と弾けた…。それがヒルゼンでもダンゾウでもなく、柱間のDNAがヤマトを感化したのかな…と、自分で自分の親になった僕としては感情移入せざるを得ないのです(笑)。

「君のあの九尾の力…
ボクは人柱力の力を抑える事が出来る
特別な力を持っている
だから君はあんまり心配しないでいい
…ただ

それはボクが君の側でいる間だけなんだが…

つまり今は
わざわざ本当の事を言わなくても良かった…
けど なぜ話したか…

確かにあの力を使えば
サスケを助ける近道になるかもしれない…
だがあの九尾に頼った強さは
本当の君の力じゃない


これからも
この九尾の力に頼れば
自分自身を苦しめるとにもなるし
仲間を傷付けてしまう力にもなりえる
今回の様にね

君も薄々気付いてるはずだ
でも力の開放を止めようとしなかったのは
焦っていたからだろ?

今から君の九尾の力はボクが完全に抑える
だがそれで君が弱くなると思ったら大間違いだよ

そんな力に頼らなくても君は充分に強いはずなんだよ
君は勘違いしてないか?」
(ヤマト)

「………」(ナルト)

天地橋任務編。ナルトの「四本目」をマジマジと観察したヤマトはナルトに何かを感じ導きます(第33巻/179-181頁)。ヤマトは木遁チャクラ…初代火影・千手柱間の遺伝子情報を搭載する忌まわしき実験体であり、その身に「何か底知れぬモノ」を宿した経験的には人柱力と同等の苦しみを経験している筈です。ダンゾウも肉体活性やチャクラの補完を意図して柱間のデスマスクを右上腕部に装備して、10個もの写輪眼をドライブし禁術”イザナギ”を発動できた訳で、強烈なチャクラのエンジンとしての六道仙人の子孫の弟系の木遁チャクラの特異点である千手柱間の遺伝子情報に着目した木ノ葉上層部の意図は尾獣に頼らない超常チャクラの獲得に血道を上げた痕跡を濃厚に臭わせています。

尾獣は既にメジャーなミリタリーバランスに関わるアイテムですので、他里との政治的な関係が既にある以上、それ程、秘密裏に増強できないのは解ると思います。その為に”暁”なんて非合法組織が堂々と罷り通る現実が在った訳で、公然の秘密として尾獣の奪い合いが存在し、恰も核を水面下で配備し合い、その気配を感じ合う事でシーソーのバランスを保った冷戦構造の如き関係が五大国には在ったのでしょう。それをうっちゃる方策として非尾獣チャクラに手を出すのは酷く賢明に思えます。木ノ葉の場合、木遁チャクラを発現した千手柱間の骸…遺伝子情報を保有する強みがあるのですから、それを利用しない手はないでしょう。気になるのは雲隠れの雷影で人の身でありながらチャクラの鎧を纏い、尾獣並のチャクラを絞り出してた点は見逃せないでしょう。

雷我爆弾で香燐が(雷影のチャクラがむちゃくちゃでかくなった。これじゃ尾獣並だぞ!!)(第49巻/179頁)と感じながら<ガタガタ>と震えてましたが、キラビに八尾の「陽のチャクラ」が封印されてて、雷影に「陰のチャクラ」が封印されてるアイデア(サスケに九尾の「陰のチャクラ」が搭載されてる案はナル×ジャンでは否定的でーす!!)も考えられるし、雷影もまた「仙人の肉体」を継承する六道仙人の子孫の弟系の特異点とも考えられ、超常チャクラを練り出せる特殊な体質(遺伝子情報)を保有していたのかも知れません。どっちにしても各里共、チャクラの強化に血道を上げてた訳で、「チャクラ」が忍界にあって絶対のミリタリーバランスの尺度であった事は揺るがないでしょう。

どんどん、横道に逸れちゃうので軌道修正しますけど(汗)、ヤマトは人柱力と同等のご苦労を経験してる…という事を、僕は訴えたかった訳。それなのに、こんなにしっかりとしたオトナであるのは何故?!…と、僕は激しく違和感を感ぜずには居られないのです。きっと、ヤマトは何らかの方法、或いは契機を経て、自らに内包する「悩み」を乗り越えたのでしょう。自分の中に猛烈なチャクラを発する柱間の遺伝子情報が載っかってるんですから、生体としてはそれを異物として排除しようとするのが普通です。精神的にも柱間が存在を主張するのはダンゾウが弱った折りに柱間の侵蝕が抜け目無く起こった描写で、ヤマトが柱間の侵蝕、或いは干渉に抗って来たであろう日常が在った事は想像に難くありません。

恰もそれは九尾の人柱力であるナルトの様です。もしかしたら、それがヤマトのナルトに対する親近感かとも思える部分でもありますが、ヤマトがナルトの成長や教導に焦りまくる雰囲気は正しく父親のそれであり、僕にはそれが「柱間の遺伝子情報」が感化してると思えてならないのです。ペインの木ノ葉襲撃の折り、ナルトが「いきなり六本目」になり、ヤマカカが配した封印術を無碍に破壊した時に、膝ガクガクでアタフタしたのは、関係性を切られた事に対する欠乏感にも思え、あれは「親」じゃなければ示せない繋がりだなー…と、不覚にも<キュン>としちゃったので、ヤマトには千手柱間の「血」と、自らの実験体としての経験が齎した「肉」の両方が影響してるんだと思います。

そうなれば、問題はヤマトの精神性に絞られます。問題と言うのもアレですが、ヤマトがこんなにもナルトを自信を持って…まるで「父」の様に導けるのは何故なんだろう?!それは『NARUTO -ナルト-』にあって、大いなる疑問でもありました。ヤマトの「自己同一性」とは如何にして齎されたのか…に関しての疑問です。ヤマトには事実として明らかに「アイデンティティ」があります。その獲得に関してはケルベロス理論としての「自分で自分の親になるメソッド」が正しいのだと、僕は思っています。どうしようもない家庭。どうしようもない親。弱々しき子供が生きるスベとして、自らが「親」を宿して生きる方法論があるのだと、僕は訴えたいです。それに…実際、在るんだから仕方ない(笑)。

「君の強さの源は九尾のチャクラではなく
恐るべき九尾のチャクラに耐えうる
その君自身のチャクラの力だ」
(ヤマト)

「………」(ナルト)

「サスケを助けたいなら
君自身の力で助け出せ
九尾の目ではなく自分の目で…

サスケの姿をしっかり見たいなら

そしてサクラを守りたいなら」(ヤマト)

「うん!」(ナルト)

ヤマトはこう言ってナルトを説き伏せています(第33巻/181-182頁)。これはヤマトが「柱間の遺伝子」である「木遁チャクラ」を如何にして受け入れたか…を如実に物語っている描写であります。明らかに「自分自身」があり、それに付加された「柱間のチャクラ」を認識する事でコントロールに成功しています。それがヤマトの木遁忍術の人工的な造形の根拠なのでしょう。柱間ネイティブでない、人為的に切り出された材木。対して柱間のデスマスクを搭載したダンゾウは樹界降誕を想像させる原始の樹木を生み出してましたよね。この差異は境遇の受け入れ方の差異にあるんじゃないかと、僕は考えています。ヤマトの木遁とダンゾウの木遁…この描き分けは物凄く深いよ…。

ヤマトは「自己同一性」…アイデンティティを確立した人格であり、それが「柱間の遺伝子」を搭載された実験体としての境遇の中で成し得られた…。それは「ケルベロス理論」「自分で自分の…のイバラ道」が在るんだと、僕は思っています。そして、ヤマトはしっかりと「柱間」をコントロールしています。恐らく、それがこれからナルトが経験しようとしてる「尾獣のコントロール」にカスる内容でありましょう。しかし、一方ではダンゾウが使った「柱間の力」というものも在る。ヤマトの「木遁」よりはより柱間的な発動でした。その差分が自らに内包(搭載)する「非自分」を如何に受容するかの方法論の違いを明確に指し示している様に思えてなりません。

ヤマトは「異物」として「柱間」を受容したのです。

そして、ヤマトはそれをナルトにも勧めています。トビがヤマトの「木遁」に<ピクリ>とも動じないのは、ヤマトが「柱間」を本当は受け容れてなくて、「異物」として認識してる一点に収束してる様に思います。ぶっちゃけ、道具として「柱間の力」を感じてるのだと思います。だから、ヤマトの「木遁」は人工的で原始の樹木が造形できないでいる…つまり、ヤマトは「異物」として「柱間の力」を受け容れる事で自らの限界を定めてしまったのではないかと、僕は考えています。それが、ヤマトが生きる為の苦肉の策であったかも知れませんし、別段、責められる様な事ではありませんが、少なくとも「九尾事件」で命を賭したミナトがナルトに期待した未来とは違うんじゃないかと、僕には思えてならんのです。

ヤマトにはヤマトの「善かれ」があるだろうし、ヤマトはナルトに「好意」以外の何かで接してるとは思いません。しかも、これまでだってナルトは「九尾のチャクラ」を実際に感じて使役しています。その方法論としては結果的にヤマトの方法論と違わない…九尾を「異物」として感じるものでありました。妙木山のアナウンスに拠れば「九尾のチャクラの上澄を還元する…」類いの部分的な解放ではありましたが、ヤマトが使いこなしている様に見える「木遁=柱間の力」と似たような使用法だったと思います。ヤマトの「柱間の力」に対する認識が、ヤマトの限界を極めてしまっているだろう現実を踏まえれば、ヤマトの指導とはナルトの成長にとっては危険極まりないと、僕には思えてならないのです。

チャクラ切れの為、良いところなんだけど続く…(→後編)



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第493話「闇ナルト」

 
「里の奴ら
今までさんざんオレ達を
除け者にしてきたくせによ」(闇ナルト)

(オレにそっくりじゃねーか…)(ナルト)

「……誰だお前は!?」(ナルト)


「見りゃ分かんだろ………
オレはお前だ」
(闇ナルト)

「は?
オレってば影分身やった覚えはねーぞ!」(ナルト)

「オレはお前自身
お前の心の底にあるお前自身だ」(闇ナルト)

「…何言ってんだてめー!?
オレはおめーなんか知らねーよ!
勝手な事言ってんじゃねー!」(ナルト)

<スッ>(ナルト)


「…ここは真実の滝とか言ってたな…
ここまでオレが表に出てこられるとはな…
いい場所だ」(闇ナルト)

「……!?」(ナルト)

「……つまりオレはお前の真実だ
オレが本当のお前だ」
(闇ナルト)

「………本当のオレ…?」(ナルト)

「ああ…
オレはお前の大切な憎しみだ
闇の部分だ!」
(闇ナルト)

「!!」(ナルト)

「ただ一つ違うのは…

九尾の奴に
やたらと気に入られてるって事ぐらいか」
(闇ナルト)

「……
……お前…」(ナルト)

(九尾の意志ってのは憎しみの塊で…
どんだけ自分を強く保っても
心のどこかにある憎しみと結びつこうとして
心を乗っ取ってくる)(ゲロ寅)

(今までこいつと九尾が…)<キッ>(ナルト)



「そういう事だ…
オレはお前自身だ
オレを追い出せはしねーぜ
ニセモノ!」(闇ナルト)

「………
そういう事か」
(ナルト)

<ダッ>(闇ナルト)

<ガッ><ガッ>

「ニセモノはてめーの方だろ!!」(ナルト)

「真実の滝」の前に立つナルトが「闇ナルト」と対峙します。後の描写で分かるんですが、これらがナルトの精神世界での出来事であり、自らを内観するナルトの葛藤が映像化されてるのかなー…と思います。「闇ナルト」との闘いとはナル×ジャン的には「アイデンティティ」の話であり、自分の中の自分を「ニセモノ」だの「本物」だの争ってるようでうは出口は見えないだろうと思います。その一部始終がナルトの側に居る大人のヤマトとモトイに実感できないところがミソで、もしマジマジと見えたなら、何だそんな事かよ…そんな下らん事で悩んでるのかよ…と一蹴されてお終いだった事でしょう(笑)。ヤマトなんか、きっと似たような体験はしてる筈で、でないと柱間のチャクラなんか操れないし、ナルトをあんなに見事に叱る事も(ry

僕は『NARUTO -ナルト-』とは自分が自分になる物語なんだと考えています。週ジャンを毎週楽しみに待つ少年少女が悩み苦しみ、ある時は躓き、倒れる。子供の頃だったらお母さんが抱き起こし、擦りむいたヒザにおまじないをしてくれた…大きな父が少し離れた先でその大きな背中を見せて導いてくれた。しかし、身体を筋肉が覆い、頭脳に知恵が詰め込まれた頃から、周りは手を拱き、自らはそれを拒絶する傾向が始まる。そんな時期に「真実の滝」は少年少女の前に現れるのでしょう。だから、ヤマトが実験体としての人生を歩むしかない現実がある以上、それでもナルトをあそこまで見事に導ける「背中」を持ち得るヤマトが、既に「真実の滝」をクリアしたに違いないと、僕には思えるのです。

しかし、それを簡単に教える事を善しとはしていない。それはヤマトやモトイがオトナだからです。ナル×ジャンでは「傷付き、気付き、築く」という成長のプロセスを推奨しております。今の世の中は安全第一主義なのか、「傷付く」という事を極端に怖れているように感じます。傷付かないから気付けない…いきなり「築く」ところにアクセスしちゃうからヤケにインスタントで薄っぺらな関係とか構造しか構築できないでいる…それが人と人の繋がりが希薄に感じられる「今」なのだと、僕は感じています。ナルトは自分の中の自分…「闇ナルト」との対峙でそれを今一度知る事になるでしょう。そして、「ニセモノ」だの「本物」だの騒ぐ事の詰まらなさに気付いて欲しいです。その為には傷付かなきゃ…な訳なのサ。

ま…その痛し痒しにオトナならば悶絶しちゃうんだけど、ナルトの精神世界が生々しく見えないからヤマトもモトイも平静を保ててる…「真実の滝」オトナな付き添いを丁重にもてなしてる訳です。そもそも、「チャクラ」とか「人柱力」とかを特別視する描き方はキッシーのトラップなんだと、僕は考えてまして、めちゃくちゃ特別なナルトですら、実は「平凡な存在」なんだとも考えるべきだと思う人なんだけど、その意味を今ここで書いちゃうのは身も蓋もなく、ナル×ジャンのライフワークとも言える「終末の谷の決闘」の旨味を減らすなんて自殺行為をしちゃう訳もなく、ただただ黙秘を貫こうかと思います(笑)。最近は書くに書けない領域が多くて言い訳っぽい考察が増えてるんだけど、この場を借りまして平に、平に(ry


<ズーン>「この島ではオレ様がトップ♪
全てを倒すオレ様まるで突風♪

まだまだ甘いぜキントキちゃんよ」(キラビ)

「ぐも~」(キントキ)

(おいビー
遊んでんなら九尾のガキをみてやっても
よかったんじゃねーか?)
(八尾)

「………」(キラビ)

(同じ人柱力同士
もっと協力してやってもよ…
オレも九尾は好かねーが…
あのガキは見込みがあるぜ

オレも昔はむちゃくちゃだったが…
お前に会ってこうなった…
なんとなく昔のお前にも……)
(八尾)

ラップ風にシャーラップ!!
ラップをバカにするてばヨーは認めねェ!」(キラビ)

「それにあいつは…」(キラビ)

雲隠れの孤島…「鬼が島」と仮に名付けても良いんじゃねーかと思いますが(笑)…で、キラビは島の動物達と相撲の稽古をしています。それが不合理に思えたのか八尾がキラビに進言しています。八尾の言葉を否定しないキラビは八尾同様、本当にナルトを「しっかり見てる」事に気付けると思います。僕は「人を見る」という考え方が凄い好きで、リアルの世の中に蔓延る「肩書き」といえば良いですかね…その人に誰かが付与した「スペック」を重視する傾向があるのがどうも鼻に付いています。人は人だし、資格とか学歴とか地位とか…「それってそのままその人自身なんですかね」…と常に考えています。「スペック」なんかより「その人自身」を感じた方が確かだと思うんですよ。何だか凄く失礼な事だと、僕は思うんです。

キラビと八尾はナルトをしっかり見ています。それをモトイが「…ビーさんはお前の事をちゃんと見てる」(ep492)で伝えたのが凄く嬉しかったな。図らずもあの時、キッ神がナル×ジャンを見てくれてるんじゃないかと、極めって不遜ながら考えたりもしました(笑)。ま…それはないにしても、人が人をしっかり見る事は大事だと、僕は思います。そして、それがHNだけで意識体として漂泊できる「ネット」では実現可能なのではないかと、僕は考えてます。それが僕のネットでのポリシーである「逢わない」の本質なんだけど、それは今更、言い訳っぽいので忘れて下され(汗)。肩書きとかスペックじゃなく、僕は僕だと思っています。その考えにナルトはアクセスしてる訳で、キラビもその過程を感じてる…。

「(それにあいつは…)未だ自分になってはいない」

キラビはそう感じてるんだと、僕は思うなー…。


<ハァ><ハァ><ハァ>(ナルト)

<ハァ><ハァ>(闇ナルト)

<スッ>「くそ!」(まったく同じ力だ…
やり合ってもキリがねェ…)
(ナルト)

「お前はオレを倒せねェ…
絶対にな!」
<スッ…>(闇ナルト)

<ボボボン>(影分身の術!!!)
「なら数で勝負だ!」(ナルト)

「影分身の術!!」<ボボボン>(闇ナルト)

「なんだよ そうなのかよ!!
影分身の数まで同じじゃねーだろーな!!?」(ナルト)

「よく分かってんじゃねーかよ!」(ナルト)

「何がどうなってるんです?」<ドドドド>(ヤマト)

「滝の前へ座ると
集中し己の精神世界へと入る事ができる
そしてこの滝は己の本当の姿を写す鏡となる…
不思議な場所だ」(モトイ)

「…今ナルトはもう一人の自分と戦ってる」(モトイ)

モトイが言ってしまった「もう一人の自分」ってのも、ぶっちゃけトラップなんだと、僕は考えています。自分は自分でしかない。自分の中に「光」もあれば「闇」だってある。清らかさもあれば汚らしさもある。「善良」もあれば「邪悪」もある。人は清濁を併せ持つ生き物なのです。そして、それら「全てが自分」なのだから、都合の良い部分を選り分けて、それを「本物」「ニセモノ」と騒ぐのは滑稽な事だと、僕は思います。だから、ナルトが自分の中の自分を「ニセモノ」と罵り闘っている内は出口は見えないなー…と思った次第です。そして、その打開策をここで「これこれ…こうすれば」と言葉にしてしまっては少年少女が「傷付き、気付き、築く」プロセスを邪魔するから、黙ってるしかないじゃない(笑)。

僕らは『NARUTO -ナルト-』の中で、少年少女の成長というものに触れているのです。それを垣間見るオトナ「自分」と再会してるようでもあります。それが何だか懐かしくもほろ苦く感じられる『NARUTO -ナルト-』の隠し味なんだと、僕は考えています。誰もが通る道だし、誰もが通った道なのです。少年少女にはそれが実感できないとも思います。でも、コレだけは忘れないで欲しい。アナタ達がオトナになれた時、きっとほろ苦いから。甘酸っぱいから。『NARUTO -ナルト-』とはそういう作品なんです。老若男女が共有できる人生の「旨味」そのものなんです。誰もが迷い苦しみもがき…自分になって行く。心の成長記を僕らは共有しているのです。それが何と何と素晴らしい事か!!僕は嬉しくて堪らないのサ。


<カッ>(ナルト)

「!」(モトイ)

「!?」(ヤマト)


「カハッ!!」<ハァ><ハァ>(ナルト)

「ナルト大丈夫か!?
何があった!?」(ヤマト)

「オレと…同じ奴が出てきた…!
そいつは……」<ハァ><ハァ>(ナルト)

<ザッ>「何だ?」(ヤマト)

<ハァ><ハァ><ハァ>「……
闇の部分のオレだった」(ナルト)

「……!」(ヤマト)

「………」(モトイ)


「オレと互角で
まったく同じ力で押してきやがる…
術も戦術パターンも手の内が全部同じだ…
…勝負がつかねェ!」(ナルト)

「そいつに勝たなけりゃ
尾獣の力は操れない」
(モトイ)

「!?」(ナルト)

「…………」<ドドドドド>(ヤマト)

「あんな奴にどうやって勝つんだ!?」(ナルト)

「さあな…オレはそこまでは知らない…」(モトイ)

「!

タコのオッサンもここで修行したんだったよな!
タコのオッサンに聞けば…

………
イヤ……教えてくれやしねーか…
あの態度だもんな…」(ナルト)

「だろーな…」(モトイ)

(………
タコのオッサンにも闇の部分があったのかな…?)(ナルト)


<スッ>「…モトイのおっちゃん
タコのオッサンの事
もっと詳しく教えてくれってばよ…

生い立ちとか
どんな性格だとかさ…
そしたら何かヒントになるかも…!

あのタコのオッサン
オレの何が違うのか…
気付くかもしれねェ!」(ナルト)

「てめーも人柱力なら…
その存在がどういう生き様を歩いてきたか
大体想像できんだろう!」(モトイ)

「ああできるってばよ!
だったらオレの事だって想像できるハズだろ!
あのオッサン
じゃあ何でオレが困ってんのに助けてくれねーんだ…!?
オレだって…………」(ナルト)

「………」(モトイ)

「他人の事をペラペラ喋るのは
好きじゃないんだが…

ナルト…お前はビーさんと同じ人柱力だしな…
九尾を安定させるもの世界平和に繋がる…いいだろう」(モトイ)


「サンキューだってばよ!!」(ナルト)

「…前にお前に言ったな…
同じ人柱力ならどういう生き様を歩いてきたか
想像できるだろうと…

想像通りだ…
大きな力は恐れを生み蟠りを生んできた

ビーさんは里の者達に
すっと煙たがられいやがられてきた…

だがビーさんは
落ち込む事もぐちをいう事もなかった
ただひたすら明るくいつも周りを和ませていた

なにより人柱力としての自分を恥じるどころか
自らをアピールし

オレが思うに
誇りを持って己を表現してきたように見えた」(モトイ)

「ヨー♪」(キラビ)


「なぜ人柱力である己にそこまで誇りが持てたか…
それはおそらく…

兄……雷影様のためだ」(モトイ)

「……?」(ナルト)

「………」(ヤマト)

そう言えば、ナルトも四代目火影・波風ミナトの子だったよな…(笑)。ナルトがそれをここでひけらかさないところが意地らしいです。僕はそれが「気品」なのだと感じています。キラビのおちゃらけたラップをどう感じるかも、キラビという人をしっかり見てれば、その趣も変わってきます。ナルトにはしっかりとした「気品」が既に備わっているのだから、キラビがナルトを見る様に、ナルトもしっかりとキラビを見る事が出来れば「オッサン」なんて呼ばなくなると思います(笑)。現に目の前に居るモトイはちゃんと「おっちゃん」と呼んでるんです。しっかりと人を見れれば、ナルトはいろんな事に気付けると思うんです。その為に今、傷付こうとしてるのね。しつこいけど、ココ大事だから(テストには出ないけど…笑)

見返りという対価を望まない想い…誰かの為に何かをしたい…そう自然に思える気持ち…それが「愛」なのだと、僕は思うんです。静かな気持ちで誰か…自分じゃない誰かを感じれるなら、その人が自分にどんな想いで接してるかが分かる様になると思うんです。例えば、四代目がどんな想いでナルトに九尾を封印したか?とか、その時、クシナは何を考えてたのかとか?…お腹に手を当てて考える事ができると思うんです。僕の考察は正にそれをしてるだけなんだけど…。そして、自分じゃない誰かを感じる為に、僕らは先ず「自分」を確率しなきゃならないの。それが「自分になる」という訳の分からん考え方の本意であります。悩め!!悩め!!そして傷付け!!でなけりゃ気付けない…と思う、それが「親心」というものだから…。


「人柱力というのは裏切りがないよう
昔から五影の兄弟や妻など
近い血縁関係にある人物が選ばれるのが常だ

人柱力は里長である影を守る力であり
影の力を誇示する存在でもある

ビーさんは雷影様のために
立派な人柱力であろうとしたんだろう」(モトイ)

「………」(ナルト)

「この真実の滝の修行ですら
あっという間に成し遂げたそうだ

………
オレはそんなビーさんを心の底から尊敬している
雲隠れの英雄として見ている…」(モトイ)

「ここまで慕われる人柱力…
すばらしい人ですねビーさんは
そしてアナタも…
人柱力である人をよく理解されている…
だからこそこの世話役に選ばれたんでしょう…」(ヤマト)

「………」(モトイ)

「そうだ!!
だったらモトイのおっちゃんが
オレのかわりにタコのオッサン
頼んでくれってばよ!
修行のコツさ!!」(ナルト)

「それは……
できない…」
(モトイ)

「何でだよ!?」(ナルト)

「オレにそんな資格はない……」(モトイ)

「?」(ナルト)

「?」(ヤマト)


「オレはビーさんを殺そうとした人間だ」(モトイ)

「……え?」(ナルト)

「!?」(ヤマト)

「……何で…!?
タコのオッサンを尊敬してるって
言ったじゃん…さっき!」(ナルト)



「………」(モトイ)

「何か訳ありのようですね」(ヤマト)

「……」(モトイ)

「だから何だってばよ!?」(ナルト)

「これは懺悔だな…

ビーさんと同じ人柱力のお前なら
あの出来事にていて…話せそうだ…」(モトイ)

「あの出来事…?」(ナルト)

「……アレは30年前の事だ…」(モトイ)

キラビが何歳なんだろうかと「30年前」の出来事と重い口を開いたモトイの発言でふと思いました。これまでも人柱力を取り巻く悲喜交々が、例えば砂隠れの夜叉丸とか、木ノ葉隠れだったらイルカとか…で描かれてきましたから、モトイがキラビをその手にかけようとした拠ん所ない事情というものがあるんだろうなー…と思います。それが当事者であるモトイの口から次週以降、切々と語られるんでしょうが、二週間のお預けを喰らった割には物足りないんじゃねーの?と思うのも人情ですよね(笑)。しかし、インスタント「仙術」を修得すればグチグチと責められ、こうしてしっかりと物語の背景を描くと遅いと罵られる(笑)。いったいどうすりゃ良いんだと、キッ神ケツ捲ったとかなんとか(笑)。

そうだ!!「巻ノ五十一」買って来なきゃッ(汗)


  
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柱間は何故、首飾りを残したのか?

 
「ならボクも
木遁使いのボクは一応
ナルトの世話役なんでね」(ヤマト)

「ホウ…あんたが木遁の…いいだろう」(モトイ)

第492話「あいさつ」で、ナルトの動きに敏感に反応したヤマトの「木遁」を認識していたモトイの対応が、何だかヤマトが褒められたみたいで、僕は嬉しかったな。ヤマトが「テンゾウ」としてお面で顔を隠して行動していたとしても、全忍中唯一「木遁」の使い手である以上、その存在は隠しようがないです(笑)。雲隠れのモトイが「木遁」の存在を認知していたのは、木ノ葉隠れに(ヤマト、或いはテンゾウ在りきではなく…)「木遁使い」が居る事が周知であり、モトイの対応が一目置く感じで忍としてのリスペクトに溢れているのが、貧乏な家で育ったけど実は大金持ちの子供だった…モトイが校門に横付けしたリムジンでヤマトを迎えに来た運転手みたいで、僕はとても嬉しかったのサ!!(笑)

冗談はさておいて、「てめーにビーさんの何が分かる!」(モトイ/ep492)と甘えん坊のナルトに食って掛かるモトイが、これから九尾のチャクラをコントロールしようとするナルトにヤマトが「木遁使い」という事で随伴を許された点に注目すれば、「木遁」が尾獣のコントロールに極めて密接に関係してるモトイの知識が窺えます。モトイがキラビに対してこんなに感情移入できるのは尾獣のコントロールに至る修行に関する認識があったからだと、僕は思うんです。モトイは九尾の人柱力であるナルトを前にしても平然とその存在を受け入れていますし、ナルトが悩む「尾獣のコントロール」にも吝かじゃなく、如何にして尾獣のチャクラをコントロールするかの方法論を知ってそうに、僕には感じられます。

そして、そのモトイが「木遁使い」のヤマトに一目置くスタンスを示し、リスペクトすら感じさせる…僕はそこに「木遁チャクラ」「尾獣のチャクラ」との未だ明かされない関係性を臭わせます。モトイはそれを知る人なんじゃなかという事。ま…ヤマトの「木遁」は千手柱間の遺伝子情報を抽出して人為的にヤマトに組み込まれたもので、柱間のネイティブな「木遁」とは大きく違うし、自らを「うちはマダラ」と称するトビが何故だかヤマトの「木遁」には微塵も触れない機微を見せ、極めて不完全な能力と考えるべきだとは思いますが、それでもナルトの「四本目」の大ピンチには僅かなスキを衝き「火影式耳順術!!廓庵入鄽垂手!!」(第33巻/131頁)で見事に九尾を沈黙させましたよね。

あれは当時、砕かれずにナルトの首に「柱間の首飾り」がぶら下がってる条件があって、それを触媒にヤマトが「九尾のチャクラ」をコントロールできた…ある意味、超タイトロープの賭けみたいなものでしたが、それでもヤマトが(今しか無い…!!)とピンポイントで「木遁チャクラ」を注ぎ込んだ結果だったと思います。その後、ペインの木ノ葉襲撃事件で「八本目→九本目」の封印崩壊の行で、ヤマカカが仕込んだ封印術を苦もなく解印して、大切な柱間の首飾りを握り潰してしまいましたが、真面目で几帳面なヤマトがセッセとその欠片を拾い集め、柱間直系の木遁チャクラの癒しで修復したんじゃないかと密かに期待してまして、ナルトの孤島での修行でまたナルトに贈られるんじゃーないかと考えています。

そして、キラビと雷影兄ちゃんの「尾獣のコントロール」を成し遂げた雲隠れの孤島で、その多くを知ってそうなモトイが「木遁使い」のヤマトをウェルカムなのが、ヤマトの「木遁」が僕らが知る内容に留まらない可能性を示唆してるんじゃないか…と、僕は期待しております。そもそも「尾獣のコントロール」といっても仲の良いキラビと八尾しか僕らは知んないし、凄く漠然としてるんですよ。尾獣を術式化したであろう柱間や写輪眼の瞳力で支配したマダラを第一世代とすれば、人柱力のやぐらやキラビは第二世代で、そのコントロール法は全く違うものでしょうし、ナルトに「九尾の陽のチャクラ」のみが封印された意味もやぐらやキラビのコントロール法と無関係ではないと、僕は考えています。

「そもそも尾獣を
本当の意味でコントロールできたのは
かつてのうちはマダラ初代火影柱間
それに四代目水影のやぐら
…雷影殿の弟キラービーぐらいだった」(ダンゾウ)

第458話「五影の大論戦…!!」(第49巻/83頁)で、在りし日のダンゾウが「人柱力」「尾獣のコントロール」に関して言及しています。この時、キラビの名前を出したもんだから雷影兄ちゃんがブチ切れて五影会談場に殺気が漲って一触即発の修羅場を生んだのだと思うんですが(ここは僅かにシスイの瞳術で雷影兄ちゃんが操られた可能性も残してますが…)、千手柱間の「木遁チャクラ」と、うちはマダラの「真・万華鏡写輪眼のチャクラ」が尾獣のチャクラのコントロールできた事は確定させて良いと思います。良く解らんのが四代目水影のやぐらとキラビの「尾獣のコントロール」の方法論です。多分、雲隠れの孤島での修行でその何たるかが明かされると思うんで、ここでは柱間とマダラについて考えてみようと思います。

…と、思ってはみたんですが、それは「うちはの力と千手の力…」(チャクラの考察)で既に書いてた(脂汗)。ダンゾウが本気を出して右腕の拘束具を外し、10個の写輪眼と右上腕の柱間のデスマスクを露にした時、(こいつもナルトを狙っている…)(トビ/ep478)でトビが醸す疑心に、僕は激しく反応してしまいました罠。それが写輪眼が九尾を覚醒させ、木遁チャクラが鎮める関係性を展開させた考察を生みます。ヤマトが荒ぶる九尾のチャクラをある程度鎮める描写は数多くあり、九尾がうちはマダラのチャクラを呪う描写をそれが真逆に僕には感じられてまして、ナル×ジャン的に整合性のある考えとして定着しとります。詳しくは「うちはの力と千手の力…」を読んでみて下され(笑)。

「人々を苦しめていた十尾から
世界を救った仙人は人々から神のように崇め奉られた
しかしあまりに強大にして邪悪な十尾のチャクラは
己が死ねば封印が解けまた表へ出てしまう
それを怖れた六道仙人は死に際に最後の力を使い
十尾のチャクラを九つに分散し地上の各地へとバラまいた
そして十尾のチャクラを抜かれた本体
封印され力の及ばない空へと飛ばされた
それがとなった」(トビ)

第467話「宣戦」③(”月の眼計画”の全貌編)でトビが五影(ダンゾウを除く)を前にペラペラと喋りまくるシーンで、尾獣の組成について言及してまして、ナル×ジャンのチャクラの考察をこれを首っ引きで対比すると、六道仙人が九つに分離した十尾のチャクラと木遁チャクラの関係性が良く分かると思います。ナル×ジャンでは「土・水・火・風・雷」のチャクラの五大性質と、違った二種類の性質の組み合わせを「血継限界」と認定し考察してまして、現状の提示の最終形態として「血継限界チャクラ補正」(チャクラの考察)にて提示しています。そして、「血継限界チャクラ」が九つに分割された十尾のチャクラと関係してると考えてまして、「人柱力→血継限界の一族」と関連があると展開しております。

一番解り易いのが我愛羅で「一尾・守鶴」を抜かれた後も「砂」を操る「砂遁」(=土+風がナル×ジャン的解釈)を使えるのは、体内に宿した尾獣のチャクラの影響を受けて経絡系に変化を齎したと思うんです。それが一代限りで発現するか、代々継承される違いが何処で生まれるかが、この考察の弱々しいところですが(他にも全ての尾獣を血継限界チャクラに当て嵌めて説明し切れないで居ますんで、キッシーが尾獣の全てを出したくない気持ちも何だか解ったり…)、現に血継限界の一族が存在しますし、違った種類のチャクラ性質が連動して全く新しい性質を生む仕組みが「チャクラ」にはある道理があって、六道仙人はその道理に従って十尾を分割した事実にも不整合なく繋がると思います。

「チャクラの性質変化6通り」はどうなったのか?(汗)(チャクラの考察)でも考えましたが、キッ神はタイムマシンで「6通り→5通り」に変心しています。きっと輪廻眼の長門が出た行辺りでは「6通り」と提示する必要があったと思うんです。「輪廻眼=六道仙人」であり、それは十尾を九分割した尾獣群と血継限界チャクラの関係性に関連するモノだと、僕は考えてまして、それを考えてると「木遁」が尾獣と密接に関係しながらも別けられてる事に気付きます…と言うのは、九つに分割された十尾の九種類のチャクラをコントロールする存在として「木遁」が存在し、それが十尾の人柱力として六道仙人が獲得したオプションではないかと、僕には思えて来るんです。それが「仙人の肉体」に宿ったチャクラ…。

千手柱間が弟系の系譜の特異点であり、遺伝子の深部に格納される「木遁」の発現者であり、その柱間のDNAを解析して人為的に発動可能にしたヤマトが不完全ながら尾獣に関与できるのは六道仙人の能力の一部が使用可能になった為ではないかと、近頃思う様になりました。そして、その能力は十尾が六道仙人の中に在った時に、六道仙人に十尾が影響を与えた能力…つまり、十尾固有の血継限界チャクラだったと考えるのです。そして、六道仙人は自分を真っ二つにするように二人の子…兄には精神エネルギー(チャクラ)を、弟には生命エネルギー(=木遁)を託した訳で、弟に与えた「木遁チャクラ」にバランスする能力が存在する必要があると、僕は考えるのだ。しかし、5C2の組み合わせは10通りしかない(汗)。

その為の「6通り」だったのかなーと、今は考えているんです。

しかし、ならば四代目は何故、「九尾事件」において生まれたばかりの我が子…ナルトに九尾を封印したのか?が疑問になってくるんです。「九尾事件」当時、木遁のヤマトが存在しましたから、尾獣のコントロールを可能にする「木遁チャクラ」を紛い也にも有するヤマトを「九尾の器=人柱力」とする選択肢はなかったのでしょうか。「九尾事件」当時、ヤマトは10歳。ヤサグレててレディネスが整ってなら仕方ないけど、ヤマトがナルトに愛のある叱責によって正しき方向に舵を切らせる態度を見るにつけ、「根」よりヒルゼンに秘密裏に育てられたニオイが漂ってて、大蛇丸の人体実験で死ななかったからには「九尾事件」当時10歳で既に頭角を現していた…木遁を発揮していた可能性が高いと思われます。

だから木ノ葉の最重要機密で秘匿されてた…と考えるのが妥当だとは思うんですが、それを当時の火影であったミナトが知らなかった可能性は薄いです。そもそもヤマトは尾獣のコントロールを手中に収める為の人体実験の成果だった筈だし、そのフィードバックがダンゾウの写輪眼を運用する為の柱間のデスマスク移植だったと思う訳で、ヤマトが「九尾事件」当時に実用域に達していた可能性は高いです。それなのに九尾の人柱力として生まれたばかりのナルトが選抜されたのはそれなりの理由があった筈です。ぶっちゃけ、非常に高い確率でヤマトではなくナルトでなければならない事情があったのだと思います。そして、それは九尾の制御系の木遁チャクラを持つヤマトをしても、ナルトに及ばない事情だったと思います。

「兄は生まれながらにし
仙人の”眼”
チャクラの力と精神エネルギーを授かり
平和には力が必要だと悟った」(トビ)

「弟は生まれながらに
仙人の”肉体”
生命力と身体エネルギーを授かり
平和には愛が必要だと悟った」(トビ)

それが「トビの溜め息」に何となく繋がるのです(第49巻/164頁)。「うちは虐殺」の八年前に起こった「九尾事件」で、うちは一族ですら「九尾の器=人柱力」として選抜される事なく、周辺の事情から周到に準備された迎撃・鹵獲戦とも思える「九尾事件」において、苦し紛れのナルトへの九尾封印の線も薄いです。”暁”の外道魔像に最後に封印されるべき特殊な存在である九尾の容れ物に、やはり特別な器が必要だったと考えるのはそれ程突飛な考えには思えません。つまり、千手柱間直系の六道仙人弟系の「仙人の肉体」が必須だった可能性。それが当時確実に存在した木遁チャクラ所有者のヤマトをしても選抜されなかった理由ではありますまいか。寧ろ、それを見据えた柱間DNAの実験だったのかも知れませんし…。

ちょっと補足すると、柱間とマダラの「終末の谷の決闘」にしても「九尾事件」にしても、ぶっちゃけ、九尾の鹵獲戦の色合いが強いです。単刀直入に言うと写輪眼から九尾を奪う戦いだったと、僕は考えております。詳しくは「終末の谷の決闘」の「九尾事件」「うちは虐殺」で示しています。考察を書いた頃と今では本編の提示が大幅に進展してて…特に六道仙人、十尾の存在…かなり事情が変わってるけど、どちらも写輪眼と九尾の分断を意図した弟系の積極的な戦略を感じます。逆に「九尾事件」で千手に九尾を鹵隠されたリアクションが「うちは虐殺」でサスケの「闇のチャクラ」を強化する方向性をイタチが見出した方法論とナル×ジャンでは考察しています(「強化・闇」終末の谷の決闘…第七撃参照)。

「九尾事件」がナルトの誕生日にドンピシャだったのも、ミナトが積極的に写輪眼に対して仕掛けたからかも知れないし。”暁”の黒幕が懲りずに木ノ葉を襲う可能性をナルトに示唆するからには”暁”=写輪眼=兄系との因縁六道仙人のトラップを意識したミナトの刷り込みのようにも感じられます。また、子供に生き抜く姿勢を教える筈の父親であるミナトが封印術・屍鬼封尽なんて自爆技をわざわざ考え出し、それを使って目の中に入れても痛くない一粒種のナルトに九尾などという凶悪なチャクラを封印しなくてはならなかった経緯を考えれば、最早、覚悟の上の所行でありましょう。それはナル×ジャン的には六道仙人の弟系の子孫が代々受け継いで来た兄系の強力な瞳力とチャクラへの対抗策だったのではないでしょうか。

弟系の子孫は仙人の肉体を擁した肉体活性にその活路を見出すのがセオリーで、サスケの五影会談襲撃事件で「サスケVS雷影」で見せた雷影の「雷遁の鎧」などはあからさまな写輪眼対策でした。また、シーが雷影の反応速度をして「黄色い閃光にも劣らない」(第49巻/155頁)と比喩したのは、ミナトも弟系の正統な能力開発を突き詰めた結果だったからでしょう。しかし、それをしても「九尾事件」で兄系のチャクラにアドバンテージを否めなかったからこそ、ナルトに九尾を閉じ込め、八卦の封印式で守りながら強化を考えたのではないでしょうか。弟系が兄系に対抗する為にはチャクラの強化至上命題だったと思うんです。それは、柱間が自らのチャクラを結晶化させ首飾りにした時に既に始まっていた…。

恐らくは「終末の谷の決闘」以前からの計画。
柱間がチャクラの結晶石を残した本当の理由。

全ては「終末の谷」に終着する果てしない準備。


 
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「悋気・秘話」(愛について)

 
書くべきか書かざるべきか悩みに悩んだ。

その人は「如月」というHNでナル×ジャンに来た…。

いつだったか、二年前か三年前か…四年?僕がシコシコと考察を書いてる最中、如月さんは初めてメッセージをよこした。今でこそ徳政令を戴いて(勝手に宣言して…)メッセージのお返事は割愛させて貰ってますが、当時はセッセとお返事を書いてました。豊富な語彙。感情が豊かで、言葉には力があり、僕と同じ様にブログをやっても良いのになー…と思って、それを事あるごとにお勧めしたが、如月さんは断固として拒んだ。とても繊細で臆病な人でした。如月さんは常に恐る恐る言葉を選んで僕にアクセスして来ました。こんな事があったな…。二回目か三回目のお返事で、HNを「卯月」(四月)と間違ってしまった(滝汗)。ま…いろんな方に返信をしとりましたので。それを「生まれ月なので…」と如月さんは返した。

僕は最期まで如月さんの誕生日を聞く事はなかったけれど、ターミナルの中でそれが必ずしも正確ではない事を知り…今にして思えば、二月(如月)に初めてメッセージを戴いた記憶が過り、もしかしたら…ナル×ジャンに初めてアクセスした時を「記念日」としてくれたのかな…と思い当たり、如月さんの奥ゆかしさを静かに感じました。そんな重さはなくとも、ある種の踏ん切りが必要なくらい、僕にアクセスする事が勇気の要る事だったんだと、初めて戴いたメッセージが有り難く思えて仕方なかった。如月さんはナル×ジャンを愛してくれたんだろうな…と、愛おしく懐かしく思えた。去年、如月さんは逝かれた。いきなり宣告を受けた進行癌が如月さんを黄泉の国へと連れ去ってしまった。嵐の様な一年間だった…。

如月さんはとてもキレイな女性だった(…そうです)。僕は如月さんの性別や容姿には些かも拘らなかったんだけど、ミスキャンパスで、モデルの佐々木なんたらという美女にクリソツだったんだそうです。しかも若い(脂汗)。関西の名立たる一等地の、グランドピアノのある家で育った…と知ったのは如月さんがターミナルに入ってからだった。しかし、そんなスペックはそもそも関係なかった。僕は如月さんのアイデアとか文学性を評価してたからだ。それに、ケルベロスに惚れた娘を、生身の僕が何とかするなんてのは滑稽な事に思えて、想像すらしなかった。ケルベロスとは「意識体」だと、生身の僕は考えている。それを「思想」と言い換えても良い。それと生身の僕は全く違うのだから、手の出しようがない(滝汗)。

ケルベロスは凄くモテる…と、生身の僕は思っている。告られるなんてのは日常茶飯事で、如月さんにも何度も告られ、ケルベロスは堅物なので、その都度、丁重にお断りしていた。告る→玉砕→復活→告る…のサイクルが何度も続いた。燃え盛る炎の如き情熱で僕に詰め寄り、僕の取りつく島もない言葉に白き灰になりながらも、そこから何度も立ち上がり雄々しく飛び立つ様は正に不死鳥(フェニックス)のように思えた。僕はケルベロスである時、意識体なのだと思う。感情や思考が何の防御もない状態…魂が剥き出しになって…で漂う考えそのものなんだと思ってる。それが『NARUTO -ナルト-』という物語に潜りに潜り、時には誰かに憑依し、刃に刺され、心にのしかかられ、物語の「忍」という生き様を感じてるのである。

同じ様に「魂」にとって、ケルベロスの「理解力」とは魅力的なんだろう。何でか…如月さんがエマージェンシーコールを発信してるのは、ケルベロスにはすぐに解った。トビが発する「理解されてないオーラ」と凄く似ている。それがターミナルの中で次第に明かされた来て如月さんのスペックが知れ、ある程度、具現化した。如月さんが何故、ケルベロスなどにに恋したのか?は、ケルベロスが如月さんの経歴や容姿に一切、無関心だったからだと、僕(生身の…)は思う。生身の彼女(如月)は愛されるべき存在だった。同性の友達が躍起になる程、彼女は光り輝く存在だった。だから、ご遺族も友達もケルベロスなんて「何処の馬の骨だか」に心酔する彼女の気持ちが解らない。そして、彼らは僕に彼女との男女の間の「愛」を望んだ。

一応大人なので表面上、僕はそれに応えた。しかし、一方でそうしなければならなかった事が、彼女の「理解されてないオーラ」の根源なのだと、僕は言いたかった。この時、僕は彼女と同じ様に口を閉ざしたのだと思う。きっと、その行動に彼女の「魂」と如月は拍手を今も贈り続けている事だろう。ケルベロスと生身の僕の気持ちはこの時シンクロしていたのだ。僕らはこの「魂」を抱き締めて離さない事で一致していた。申し訳ないが、そこには男女の「愛」なんてのはなかった。僕らはこの「魂」が「愛」に迷わない事だけを願った。唯唯、理解する事だけに腐心した。僕らは大蛇丸の様に彼女に欲しがるものなら何でも与えた。彼女の病状が悪化して彼女のいろんなモノが奪われて行く中、そのスピードは限りなく速まった…。

後日、ご遺族から彼女の日記が届いた。僕の手元にある事が妥当との判断で、僕も了承して謹んで受領した。丁寧にキレイな字が並ぶ頁が次第に乱れ、闘病の壮絶さを物語っていた。未だに全てを読む事ができずに居る。僕は人間だから。生身だから痛いのだ。こんなにも生きたいと思う人が生きられない現実が、僕には受け容れられない。未だに。何で彼女が…と、未だに思っている。身を切られる痛さと、これを読むのは同じだろう。ご遺族が手元に置けなかった…から、僕がこの痛みを引き継いだのは、僕が生きている証みたいなものになった。十字架を背負う気持ちが解る。今も痛いから。自分が生きている事すら不義理にすら感じる。そのくらいの痛みが、この日記にはあった。

それは人が生きる重さなのだと思う。

以下、如月さんの日記から抜粋。

『夏に雪を見た…
一緒に同じ雪を見た
嬉しかった
あなたが雪を降らせてくれた
ここに居る
すぐそばに
優しい視線が嬉しくて恥ずかしくて
のぞき込まれると紅潮しちゃう
ガキみたいでつまんないだろな…
忘れないよ
もう忘れられないよ
大切な想いだよ
魂が覚えた大切な想いだよ
忘れないよ』

雪

雪

雪を見たいと彼女は言った。

僕はググってググってググりまくった。
ありとあらゆる「雪」を探しまくった。
おそらく「雪」に関する全てをググりまくり彼女に贈った。

『さくらの花
小さな一輪が散っても誰も気づかないのに
小さな一つが一生懸命に生きたことを見つめてくれた人がいる
散るまでずっと見てくれる
小さな一つは決して自分が特別じゃないことを知っています
でも幸せなんです
あなたを見て笑っています
あなたの元気になりたいと笑っています
もう落っこちそうです
落ちたら今度は空を見上げます
照らしてもらえるでしょうか
また咲けるでしょうか
あなたのそばでまた咲けるでしょうか
また咲くと信じてもらえるでしょうか
いっしょに笑える時を待っててもらえるでしょうか』

桜

「桜」が見たい。
彼女は唐突に言い出した。
僕は全ての能力を使い切るように「桜」の画像を探しまわった。

『美ら海に行こう
あなたが手をつないでくれた
何かかいじゅうみたいのにつかまえられて引っぱり合いっこになって
かいじゅうの爪が背中と胸に食い込んであなたが手を放した
私が痛がったから
叫んだらあなたが辛くなるから
泣いたらあなたも泣くから
私は泣かないよ
ありがとう
無事にお家に帰ってねって…
へんな夢
あなたは優しい
いつもありがとう』

海

海

「海」くらいなんぼでも…。
病床の彼女の携帯に、僕は彼女が見たいだろう世界を贈り続けた。

古今和歌集のお気に入りの句があれば、その対句を返し、紀貫之が所望なれば彼の全作品をネットのから抽出して即座に送り届けた…。ソレ以外にも…生身の人間にこんな事が出来るのか…過労死するんじゃないのか…と心配してくれても良いほど、僕は過酷なタスクをこの時こなしていたと思ってる(笑)。それはちょっと言い杉だけど、そのくらいの鬼手を僕は振るってたと、今にしては思う。僕は僕の出来る限りで彼女の「魂」に応えた。どんなに忙しくても眠くても、何故だかそれだけは出来た。それはきっと「体」ではなくて「魂」が鬼の様に働いていたからだろう。僕らはそういう関係だった。それを男女の「愛」じゃないけど、僕は「愛」だと感じてたのさ。もうどうでも良い事だよ。これが「愛」のなせるワザじゃなきゃ何なのサ!!

僕は病床の彼女に僕の作品としてのメールを送り続けた。「魂」が僕の体から羽をドンドン啄んでいった。僕はそれを善しとした。こんな羽でよければいくらでもくれてやる!!この羽でドンドン織物を織ってやる。僕の「魂」は彼女の「魂」に寄り添っているのだ。女とか男とか関係ない。これを「愛」じゃないとは言わせないよ。僕が彼女に会わない事を責められもしたが…僕と彼女はこんなにも近くにいるのだ。手すら繋げるほどに。僕は唯唯、彼女の「魂」を抱き締めていた。僕は僕の吐き出す言葉で彼女を埋め尽くそうと思っていた。何百通のメールを僕は彼女に贈った。しかして、それにやましい事など一欠片もない。僕はそれを彼女の死後、彼女のご両親、ご遺族に見て欲しいと、彼女の一番近くにいる親友に懇願した。

彼女は僕の贈った全てを消去していた。

僕が彼女に贈ったメールも画像も、彼女の利き手に握りしめられた携帯のメモリーは空っぽになっていたという。僕は彼女と交わした全てを誰かに見せたかった。一冊の本にすらなると思っていた。僕と彼女は作品を練っていたのだと、僕は思っていた。しかし、彼女はその全てを消し去った。二人で紡いだ言葉の全て。画像も根こそぎ消し去った。ご遺族はそれを「僕を守る為」だと思った。男と女の間柄を想像したのか?僕の背景を察して遠慮したのか…例えば、結婚してるとか、地位があるとか…全くあたらないんですが(笑)…凄く下らないと、僕は思った。彼女は携帯の中身を消したのではない。連れ去ったのだ。彼女は誰にも二人のお話を見せる気はなかったのだと、僕は信じて止まない。悪いが反論は許さない。

彼女は「僕の言葉」を独り占めにしたかったのだ。

『私はヤキモチを焼くんだ…
そっか…ヤキモチか…
何だか照れ臭いな
でも、ヤキモチって嫌な感じなんだな
「ヤ」な「キモチ」で「ヤキモチ」なのかな
凄く切なくてカッコ悪いような…
ヤな気持ちだった
自分が嫌になる
これって「好き」って気持ちの裏返しみたいなものかな?

いや違うな…
こんなの初めてだもの
私ってこれまでの恋愛の仕方が変だったのかも知れないなぁ
恋愛って考えて考えてするものじゃなくて
もっとこう…んーこんな感じ!(←どんな感じ!?)
あの人なら
どう表現なさるのかしら?
きっと私の魂を振るわせてくださるような言葉をサラリと仰るんだろうな…

「そうなの!それ、それッ!」って私(笑)
あの人に逢えたら
あの人の側で
あの人の言葉を毎日聴いて
私はきっと目を輝かせて胸を躍らせて酔っちゃうんだろうな…
必死でメモるかも(笑)
いやボイスレコーダーという手があるゾ!
逢いたいな…』

彼女の「悋気」の可愛らしいさを、
僕は今も噛み締めている。

この「魂」に敬意を表す。

「悋気・秘話」(愛について)
ナル×ジャン ケルベロス



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「悋気」(後編)(愛について)


「悋気」(前編)の続き…。

ナルトがサスケにギトギトしたり、サスケがダンゾウの示すイタチの深層への理解にソワソワしたりするのに、僕は鼻をクンクンしてる訳です(笑)。その機微は決してカッコ良くもなく華々しくもない。ギトギトの脂ギッシュでガツガツしててはしたなく汚らしい。しかし、見るに堪えない…ってのではなくて、何気に色っぽくて、そこはかと無く美しい。僕はちょっと卑しくて、ちょっと品のない人の心の汚らしい部分が好きな人なんではないかと思います。そして、その汚らしさが何故だか大蛇丸周辺に多量に沈殿してる…。その意味を考えると、僕がギトギトとかソワソワとか形容する「汚らしさ」に幾許の嫌悪感も感じず、寧ろどうしようもなく…愛してしまう「人の心」が見えて来るのではないかと、期待しながらこの考察を書いています。

愛しい汚らしさ…が人には在ると思うのです。


「………
何を企んでる?」(トビ)

「…別に何も…
ボクの興味は忍術の純粋な真理
」(カブト)

「その探求のためには
サスケくんが必要なだけ
生きた若くて繊細な
うちはの人間が欲しい」(カブト)

それで、何でこんなお話に食い付いたのか…ってところから話すと、カブト(カブチ丸)がトビに口寄せ・穢土転生で交渉したシーン…第490話「九尾の真実!!」(100412追記…キラビ)のカブトの一言…否…語尾の「ィ」の所為(笑)。あの時、「ィ」には皆、食い付きましたよね。僕はカブトに大蛇丸を強く感じました。しかし、それがカブトを埋め尽くした大蛇丸なのか、カブトが完璧に理解(コントロール)した大蛇丸なのかは断定できませんでした。どっちにしてもこの時の「ィ」は僕が言う「汚らしい気持ち」なんだと思います。サスケが欲しい。「うちは」の若く繊細なカラダ…。でも、待てよ…この気持ちってカブトは持ってなかったな…と、ふと思い当たる訳。カブトはこんな風にサスケを感じてはいなかった…ですよね。

第一部の中忍試験の行…大蛇丸とカブトがしっぽりと木ノ葉の某所で密会したシーンで、大蛇丸は確かにカブトを計りかねていました。大蛇丸がカブトを「腹心の部下」と位置付けるのは強ちリップサービスではなくて、ある程度の依存が存在していたのかも知れません。大蛇丸は全く何も与えないで欲しがる人では無くて、大切な何かをちゃんと与える人だと思うんですね。それが大蛇丸のカリスマを強固にしてる訳で、大蛇丸がカブトにある程度依存する事には意味があった…。それが狙ったあざといやり口ではなくて極めて天然なのが、僕が考える大蛇丸像にはしっくり来るんですが、実際どうなのか判別し難いです。ま、ちょっとやそっとじゃ解らない人で良いんです。だから大蛇丸は可愛く素敵なのだと思います。


「早く私色に染めないとねェ…」(大蛇丸)

<ゾッ>(カブト)

「では…」<スッ>(カブト)

「カブト…お前…」(大蛇丸)

「私を止めたいなら………」(大蛇丸)

「今
サスケくんを殺すしかないわよ…」
(大蛇丸)

未だに大蛇丸の言葉の真意が諸説在るあの行…(第10巻/129-130頁)。大蛇丸を「止める」為にサスケを「殺す」って、何?!大蛇丸はカブトに何でこんな事を言ったのか?この闇は深い…深いです。でも、大蛇丸って実は単純明快な人でホントに純粋に全ての忍術を我がモノにしたい…と考える「欲しがりスト」なんだと思うんです。先に示した「ィ」が、サスケの才能に対する汚らしい「欲求」だったと考えてまして、それは「純粋な汚らしさ」であり、それが大蛇丸の生き様とキレイに重なります。つまり、カブトは完全に大蛇丸に乗っ取られた…事になりますが…その真偽は今後の楽しみにとっとくとして、それにカブトがトビとのネゴシエーションで併せ持った冷静さは大蛇丸とはちょっと掛け離れてると、僕は思うんですよ。

ぶっちゃけ、大蛇丸は写輪眼というサスケの「才能」を純粋に愛してたんだと、僕は考えています。大蛇丸はホントに「忍術の真理」を解き明かしたくて、六道仙人の兄系の血統が欲しいが故にサスケにアクセスしただけであって、サスケをちゃんと見て、サスケという人間を愛してた訳じゃないと思うんです。例えば、サスケを本気で愛してたとしたら、如何に恩知らずのサスケでも、あんなに躊躇なく大蛇丸を切り刻むなんて出来ないでしょ。ちなみにサスケの内面は大蛇丸を殺った時とダンゾウが殺られた橋梁でサクラを千鳥で背後から串刺しにしようとした時では全く違ってて、それは香燐が感じるサスケのチャクラの変質が如実に物語ってます。サスケが「殺し」に戸惑わなくなってチャクラが「濃く冷たく」なったのね。


「!!」(カブト)

「お前じゃ私を殺せないでしょ……
強いといっても…カカシと同じ程度じゃねェ…」(大蛇丸)

<ゴク>(カブト)

「フフ…冗談よ…」(大蛇丸)

「さぁ行っていいわよ!
お前を信用してるから…」(大蛇丸)


「………」(カブト)

<ダッ><サッ>(カブト)

(フフ…あの顔…
何を考えてるのやら…)
(大蛇丸)

大蛇丸にとってサスケは「才能」そのもので…その「才能」を殺すしかない事情が当時のカブトにはあった…。大蛇丸を止めたいのなら…大蛇丸が不死転生の術の依憑(よりわら)にサスケを使うのを止めるにはサスケを殺すしかない…そう大蛇丸はカブトに迫っているのです。大蛇丸とカブトの絡みは未だに諸説在る。ココ、非常に難解だと思います。実は大蛇丸自身もカブトの本心に関して断定できるには至ってはおらず、人の業と申しますか、心のドロドロした部分の解析とは難しいものです。でも、一つだけ確かなのは大蛇丸は少なくともカブトのドロドロした心を感じ取ろうとしてるところだと思うんです。カブトとの駆け引きの中で大蛇丸はカブトの汚らしくドロドロしたところを弄(まさぐ)っているんです(第10巻/130-131頁)。

僕が大蛇丸がこんな風にドロドロが好きなところが堪んないのです。凄く人間っぽいじゃない。人間って誰も皆、欲しがりで汚らしいものです。大蛇丸は人間が本来持つ欲求に従順なだけだと思うんです。そこが凄く純粋で無邪気で意地らしいです。僕が大蛇丸を好きなのって、そこなんだろうと思います。大蛇丸を慕う部下達もきっとそこに食い付いてる自信みたいなものすらあります。大蛇丸に心酔する君麻呂なんて、まさにソレでしょ。だから君麻呂が汚らしくサスケを感じ、残した気持ち。大蛇丸の為のサスケを奪い、届けた行い。君麻呂を心の底から理解していた…君麻呂と唯一無二の親友だった重吾がサスケの忍道を見極める覚悟を持って受け入れたのは、君麻呂の一途な気持ちが愛しかったからだと、僕は考える人なのよ。


<スタ><スタ>「フー…
優秀過ぎるってのも考えものだね…」(カブト)

「ボクらは目立ち過ぎた
大蛇丸様の目に留まったのは
お互い不幸だったかな…」(カブト)

(こんな幼くとも
心には悪魔が巣くっているとはね…
そこを利用され…
いずれはあの忍術でこの子も…)(カブト)

一方、カブトの心持ちに目を移すと…(第10巻/134-135頁)。カブトもドロドロとした汚らしさを放っていて、それがこの時、「同情」に変換されてサスケに向いてたんじゃーないかと、僕は考えています。カブトが大蛇丸の細胞を取り込んで大蛇丸を感じるアイデンティティを選択したのは、「バカなことを…」(byヤマト)なんだけれど、カブトが抱くサスケに対する「同情」とは決して自分に向く事のない…サスケだけが持ち得る権利みたいなもんで、それが「血継限界」という不公平に対する諦めだったんじゃなかと思うんです。その点に関してカブトは大蛇丸とシンクロしてて、ぶっちゃけ似た者同士…二人共、「千手」でも「うちは」でもない単なる凡小な超天才に過ぎなかった…なんだと思います。

カブトが「不幸」というのは大蛇丸と出逢ってしまった事を指してまして、その何たるかはナル×ジャン的には「恋」そのもので、大蛇丸という人に出逢ってしまったが為に奈落に堕ちる「運命」を、カブトは悩ましく思ってるんだと思います。ここで決して悔やんだり悲しんだりはしてないのがポイントで、それをして「恋」とナル×ジャンでは考えてる訳。理屈じゃないので、これはもう自分で体当たりで経験してもらわないと解らないと思います。この辺の知覚に関しては女子の方が何倍もレディネスが高くて、ナル×ジャンにハマった女子ならば「そんなの当たり前だわサ」なんだろうけど、少年少女にはチクとハードルが高いかもね。何でも練習だから恋愛の荒波に是非とも揉まれてみて下さいな(笑)。

傷付いても若い内は治りが速いから…。

ちなみに、カブトがサスケの心に巣くう「悪魔」と呼んでいるのはイタチが植え付けたもので、大蛇丸がした事じゃないと思います。イタチが大蛇丸という「巣」にサスケという「卵」を忍び込ませた…托卵(たくらん)…だけで、大蛇丸はサスケの素性をそのまま伸ばす為に教育なんてしてない筈です。欲しがるものなら何でも与え、術を教え、成長の場を提供した…だけ。サスケのスペックが向上すれば大蛇丸は満足で、そこに「愛」はあったのか?!(滝汗)もし在るとするなら「自己愛」なんじゃねーのか?と、まるで自分を見る様に…僕は大蛇丸の所行を感じてます(笑)。サスケを教化したたのはイタチであって、大蛇丸じゃない。サスケの「力」だけを伸ばしたのはあくまでもイタチが与えた「孤独という闇」なのサ(余談)。

(カブト…)(大蛇丸)

(ひょっとするとホントに…
…サスケくんを殺しちゃうかもね
………)(大蛇丸)

大蛇丸ですら、ちょっとビビるくらいカブトは解り難くて、大蛇丸亡き後の大蛇丸にならん事を、この頃、誰が想像できたでしょうか。そもそも大蛇丸がサスケごときに切り刻まれるなんて「申し合わせ」にしか思えんかったし。サスケも大蛇丸を殺った事は自慢できる戦果(大蛇丸は弱ってた…的な)とはしてないので「含み」はバリバリあると思います。大蛇丸が誰よりも自分を愛する人でなければ、イタチの幸せの王子様的な「情報生命体」の存在意義もあったんだけど、大蛇丸の気質からすれば自分の「欲求」こそが最優先だから、全人的な「愛」に溢れた生き様は想像できません。それよりも、もっとドロドロしたカブトや、天地橋のナルトや、イタチを理解するダンゾウを呪ったサスケの様な…汚らしい生き様が大蛇丸には似合う。

…と言うか、大蛇丸はそれを自らのカリスマに変えてた人だと思うんです。人が最も人らしい…利己的で排他的…自己愛の真骨頂が大蛇丸でしょうよ。でも、大蛇丸は他の何かじゃなくて「自分」に気持ちを向けさせてるんです。大蛇丸の部下は誰もが大蛇丸に心酔する傾向がありましたよね。簡単に言うと、誰もが大蛇丸を愛してた状態。カブトだってそうだと思います。それが大蛇丸です。大蛇丸は愛される事で人をコントロールしてたんです。それが大蛇丸のカリスマだと、僕は考えています。大蛇丸は極めて純粋に生きてるから人の汚らしい…本能的な欲求に訴えるのが上手だったのだと思います。「上手」…といううよりは「天然」と例えるのが合理的。大蛇丸に「人間失格」の血の付いたハンケチは似合わんですよ(笑)。

その真逆がトビだと言えば解って貰えるでしょうか。大蛇丸は人間っぽくて、汚らしくドロドロしています。その波長が大蛇丸に触れるいろんな人の汚らしい部分を刺激してこれまでも物語に大いに関与して来た訳です。少なくとも大蛇丸には「愛」があったと思うんです。大蛇丸は手ゴマの気持ちを自分に向けさせる人ですから。そこがトビとは決定的に違う訳。トビはトビじゃなく誰か他に向けさせてたよね。それが大蛇丸とトビじゃー180度違うのよ。トビは人の心の闇…「憎しみ」を暴走させる手法で人を操ったのであって、そこに「愛」なんてのはないと思います。それに対して大蛇丸はその人の興味を自分に向かせています。大蛇丸は体を張っているのです。生き様として大蛇丸は正々堂々としてると、僕は思うんです。


「お前と会うのは二度目だが
千手の火の意志がお前の中に宿っているのが分かる
今もお前の中に初代火影を見る事ができる
死んでもなおあいつは生き続けている

オレの憧れであり…ライバルであり…
オレの最も憎んだ男」
(トビ)

「………」(トビ)

「千手とうちは
火の意志と憎しみ
ナルトとサスケ…

お前達二人は運命に選ばれた
次の二人になるだろう」
(トビ)

ヤマトの木遁チャクラにはピクリとも反応しないトビが何故だかナルトとサスケにパクリと食い付いてますよね(笑)(第49巻/166頁)。この辺は「トビの溜め息」(第463話「サスケVS雷影!!」補足)に書き尽くしたんですが、トビにも嫌らしい気持ちはあります。しかし、それが自分の欲でなく誰かの為にあるように響いて、トビの人間味が感じられないのです。そのサラサラした感じが大蛇丸と決定的に違うのです。これが、トビにカリスマを感じない理由なんだ…と、僕は考えてまして、トビの描写に絶えず付きまとう物足りなさの正体なんだと考えています。そして、その物足りなさこそ「トビ=マダラ」だとは思わない根拠であり、恐らく「トビ=ラスボス」にはなり得ないとする予想の根拠でもあります。

人は汚らしく卑しい生き物です。しかし、それが嫌だとはこれっぽっちも思わないし、だからこそ人は愛しく可愛いのだと、僕は思います。ナルトがサスケの「名」に激情し、サスケが自分よりもイタチを理解してそうな予感に慌てふためき、大蛇丸がカブトの心の奥底を弄り、トビがナルトの中に今も息衝く千手柱間に憧れと憎しみを漏らした…皆、悩みながら躓きながら生きてるから汚らしい気持ちを垂れ流してしまうのです。でも、それが人間なんだから、恥ずかしいことじゃない。それを感じさせない方が可笑しいです。もっともっと人間味を受け入れて欲しいです。そして、そんな人の可愛らしさ…『NARUTO -ナルト-』のあちこちに描かれる「悋気」に気付ければ、物語の味わいが一層深まって行くことでしょう。

「悋気」(愛について)
ナル×ジャン ケルベロス

りん‐き【悋気】:[名](スル)男女間のことなどでやきもちをやくこと。
嫉妬(しっと)(大辞泉)。


  
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