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第587話「9時になったら」③


まずは…」(穢・イタチ)

「そんなハズはない!!
ボクは完璧になる存在だ!!<ポト>

こんなのは…<パク>

ボクじゃない!!」<ズリュ>(カブト)

<ガッ>(カブト)←眼鏡取る!!

「いつまで大蛇丸に成り代わってる
このループから抜けたいなら
お前の失敗を見つめ直せ」(幻・イタチ)

「うるさい!!」<カチャ>(カブト)←眼鏡ハメる!!

カブトが大蛇丸の脱皮風の分身?で体制を立て直しながらイタチに反抗します…が、眼鏡はこの分身で複製されないようです。カブトはいちいち脱ぎ捨てた外皮から眼鏡を回収して付け直しています。そう言えばカブトはこの眼鏡をズーッと大切に愛用しておりました。ナルトの四本目が暴れた天地橋でもレンズにヒビが入ったけど、きっと直して掛け続けてるんだと思います。そして、イタチの幻術にハマった?!と焦りまくりながらも、この眼鏡だけは放棄しないんです。カブトは幻術対策に視覚を完璧にオミットしてるんです。つまり、眼鏡なんて必要ないんです。なのに、いちいち眼鏡をピックアップして掛け直す。やっぱ、この眼鏡がカブトのアイデンティティと考えて差し支え無しFA(笑)。

この眼鏡は孤児院のマザー…歩きの巫女・ノノウがカブトに与えたものですよね。カブトはマザーと出会って人生が回転した人だと思うんです。物心が付いた頃にゃぁ~と回想するポイントって、マザーに会って「カブト」という名を頂戴した…あの頃に間違いない筈です。実際、誰にも請われてもいないのにカブトはせっせと回想しました。余りに唐突だったんで、あれこそイザナミの術中に落ちたカブトの「夢オチ」だと考えたもんですが、そうじゃなくて一方的にカブトがイタチに「何も無い」を語りたかっただけでした(笑)。こんなにも自分は薄幸な生い立ちを耐えたんだから…僕の我侭(わがまま)くらい…少しは見逃してよ!!みたいな…ぶっちゃけると「甘え」が溢れてました!!

カブトはイタチを認めてるんだと思います。そもそも大蛇丸「欲しい!!」と焦がれた忍ですし、同じスパイとして、多分、”根”の同士として、イタチの偉大な業績をカブトは垂涎の眼差しで見つめていたのでしょう。ナル×ジャンの分析に拠れば、大蛇丸に選ばれる為にイタチを目指し、イタチを超える忍たらんとしたカブトの「迷走」というものが、カブトの走馬灯(あの思い出し~まだ足りない!!まで)でありまして、カブトは単に大蛇丸に選ばれたいが為にこんな事をしてるんだ…と、僕は思い込んでおります(笑)。そんなカブトだからイタチに燃やす嫉妬心とか対抗心は並々ならずなんだけど、もしかしたらカブトは相手がイタチだからこんなに喋りまくったんじゃないでしょうか。

イタチだったら解ってくれる!!イタチだから僕を理解してくれる!!カブトは本心ではそう願っていたんではないでしょうか。しかし、そんなカブトが後生大事にする眼鏡って何だろう…?と僕は疑問にも思うんです。あれはマザーのメメント(形見)。仔カカシが大切にした白い牙の白光のチャクラ刀と同じ。その眼鏡にカブトは自分のアイデンティティ(の拠り所)を感じてるのに、カブトが大蛇丸に成り代る生き様に固執するのはしっくりと来ません。やはりそれに至る運命の綾が存在するのも事実でありまして、カブトは任務の中でマザー(=ノノウ)を殺してしまったのは、カブトにとって大きな痛手であったでしょう。そして、それを狙う様に大蛇丸がカブトを囲う。

”根”(ダンゾウ)と大蛇丸…どっちも厄介な存在…その意味でカブトが忍のシステム(チャクラや忍術を含む)に翻弄されたとの苦情もまた間違いではないでしょう。イタチもカブトも被害者でもあります。だからこそ、カブトのシンパシーはイタチに向かう。カブトがこんなにも大蛇丸に傾倒してしまう姿に、大蛇丸を再び降臨させる何らかの手段をカブトが隠し持つのか!?如何にも荒唐無稽でナル×ジャンらしい期待を、僕は抱きました…が、それだけで説明できない「何か」をカブトは携えている…と、僕は思っています。それがイザナギのループを彷徨うカブトに見え隠れしている…。僕にはそう思えてならんとです。眼鏡だけじゃダメなんですか!?…と、カブトに問いたいです(笑)。

(ここで火遁が来るのは分かっている!)(カブト)

(水遁・水龍…)(カブト)

(水遁・水龍弾の術!!)<ドッ>(幻・イタチ)

<ザバッ>「!!
うわっ!!」(写輪眼で術の先読みを…)(カブト)
<ザザァァ><ザァァァァ>

<ザァ…>←眼鏡、眼鏡…………

<ボッ>←水滴

<ピチャン>「!!」(カブト)



(何が失敗だったと言うんだ!?
このボクのやってきた
どこに失敗があったと…!?)(カブト)

(ボクはただ…

自分の存在を…

誰かに…

見てもらいたいだけだった!

認めてもらいたいだけだった!!

それのどこが失敗だと言うんだ!?)(カブト)


カブトはマザーと出会い、眼鏡と名前を頂戴した…そこまでは良かったと思うんです。そのまま何もなく生活できていればカブトはそれなりに幸せを掴み、平穏な人生を歩めたと思います。しかし、マザーに手解きされただけで医療忍術をカブトは修得します。サクラにしても相当修行積んだと思うんだけど、その点、マザー・ノノウが凄かったのか?カブトが凄かったのか?解りませんが、少なくともカブトにはチャクラを扱える資質(=六道仙人の弟?の子孫)があり、それなりに才能もあった事だけは確かです。それをダンゾウが見逃さず、大蛇丸がカッ攫った訳。そして、カブトはマザーを殺してしまいます。それも、忍としての才覚があればこそ成ったノノウの「死」でありカブトの「生」だったと言えるでしょう。

そして、満を持して大蛇丸が登場し、カブトに「道」を示す。そこからは僕らが第一部~第二部で見て来た大蛇丸とカブトの二人三脚があります。カブトは大蛇丸の秘書であり主治医でもあり、大蛇丸の掻き集めた「能力」と「情報」の間近で忍界の暗闘に臨場するのです。特にカブトが握る「大蛇丸の人体実験データ」とは、それこそ世界の趨勢を左右しかねない大それたものも数多く在った事でしょう。水月がとある大蛇丸のアジトで見つけた巻物だってその一部分にしか過ぎない。もしかしたらカブトはもっと凄いネタがあるのかも知れない。しかもカブトは大蛇丸も御し切れなかった「柱間の細胞」の制御にも成功しています。これは大蛇丸での臨床があればこそ!!なんですが。

兎に角、カブトはど偉いネタを相当量持ってる筈です。それは輪廻眼を搭載したトビと互に会し、キッチリと交渉をするカブトの自信を形成する程に。結果的に、カブトは途方も無くデカイ「野望」とか「野心」というものに接していたんです。これは運命と言うか偶然?カブトの数奇な運命がカブトを翻弄したんでしょうけど、結局、独りぼっちになってしまったカブトがコマを動かしてるのが、第四次忍界大戦なんだから、カブトが勘違いするのは仕方ないよ…イタチ(トホホ)。カブトはノノウをその手で殺めたから孤児院の頃には帰れない。大蛇丸も死んでしまったから、カブトが大蛇丸に成り代って「真理」を追求しなくてはならない。カブトの言い分にも一理あるよ…イタチ。

「まずは…
ありのままの自分を
自分自身が認めてやることだった

そうしさえすれば
誰にも嘘をつくことはなかった
お前にもオレ自身にも」(穢・イタチ)

「嘘に信頼は無く
背中を預ける仲間はできん
そして…
嘘は本当の自分すら見えなくさせる」(穢・イタチ)

そう考えながら、イタチの尤もらしい語りを訊いてると虫酸が…だって、カブトはノノウを殺し、大蛇丸はイタチの弟のサスケが殺しちゃったんだよ。なのに、こんな訳知り顔で、子供をあやすような台詞を…って、これ話してるのって、イザナギのループに囚われて活動停止してるカブトじゃん!!つまり、このイタチの台詞を訊いてるのはサスケよ、サスケ!!しかも、「まずは…」とイタチが切り出すカットからイタチの「嘘に信頼は無く…見えなくさせる」という台詞を語るまでの描写はイザナミの中のカブトのモガキに過ぎず、恐らくイタチにもサスケにも何ら届いていない筈。……って事は、この台詞って全部サスケの為じゃん!!カブトになんか届いてないじゃん!!(笑)

台詞の後の(幻・イタチ)と(穢・イタチ)に注目してください。カブトにイタチは語っている…傍目にはそう見えます。でも、このカブトは既にイザナミに囚われた木偶ですよ。睡眠学習じゃないんだから、イタチがカブトに本気で言葉を発してると思ったらダメよ。こんなのサスケにイタチが伝えたい言葉に決まってんじゃん!!カブトをダシにサスケを薫陶してんじゃないよ!!イタチ!!こりゃカブトもぐれますって。しかも、カブトの生い立ちとか、育った環境とか、少しは考えてくださいよーッ!!と、普通ならなるんですよ。僕だってそう思いますもの。でも、イタチはどうだったのか?ナルトはどうだったのか?と始まるとまたややこしい。比べちゃいかんというのはそれなんだわ。

何とも良く解らない展開で、気持ち悪くなっちゃいました?今回のエピソードは描き方が巧妙で、しっかり読み込まないと騙されちゃいますよ。イタチは実は酷い事をしています。でも、イタチはカブトよりももっと悲惨な生き様とか生い立ちだったのかも知れない…というのもあるけど、そんなの比べてどうすんの?と、僕なら思うんですね。そして、明らかに明らかにカブトではなくサスケを燻(いぶ)すイタチ。これは頂けません。識者・イタチたるものコレは掟破りでございます(笑)。ま、話がまた輪廻(ループ)しちゃうとアレだから止めるけど、カブト可愛そうよ。それだけ僕は伝えたいよ。ま…カブトにもいろいろと問題があるんだけど、詳しくは続きます…。

カブトの「何か」は…続き…で説明します。

31日は打ち上げにつき泥酔の予感(汗)。


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第587話「9時になったら」②

 
「………
カブトの意識は
その幻のイタチとオレを相手に
ずっと無限に続くループの中で
閉じ込められるって訳か…」(サスケ)

「イヤ…この術には
そのループから抜け出る道
ちゃんと用意されている
そもそもイザナミとは
イザナギの術者を戒める為に
作られた術だからだ」(穢・イタチ)

「…!
どういうことだ?」(サスケ)

イザナギ
お前も少し知っているようだが…
アレは運命を変える
うちはの完璧な瞳術だと
言われていたそうだ

己の結果にうまくいかない事があれば
その結果を掻き消し元に戻れる
言わば都合のいい結果だけを
選び取っていける仕組みだ

大きな戦いにおいて
うちは一族が決して失敗できぬ時
イザナギが大きく貢献する術となった

が しかし…
結果を己の思うがままに
変えられる術には
失明以上に大きなリスクがあった
その強すぎる瞳力は術者を奢らせ
個を暴走させる要因となってしまったらしい

イザナギを使う者が一人なら問題はない
だが それが二人以上になると
うちは一族内で
都合のいい結果の奪い合いが始まった」(穢・イタチ)

ここら辺の話の流れ…僕はちょっと引っ掛かって、サーッと読めませんでした。イザナギを使うと失明するのに…何だか使いまくってる…みたいな。イザナギは陰陽遁を応用した「六道の力」だから、柱間の細胞か、それに準ずるチャクラのエンジンが必要です。恐らく、「うちはの石碑」に記された情報にアクセスできるのは万華鏡写輪眼の開眼者のみ。しかし、柱間の細胞=仙人の肉体を手に入れた万華鏡写輪眼は輪廻眼にスペックアップしてお話が詰む…筈。でも、実際にそうはならなかったのは、万華鏡写輪眼と輪廻眼の間に永遠の万華鏡写輪眼が存在するからだ!!と、脊椎に電流が一閃(笑)。永遠の万華鏡写輪眼は「ある条件でのみ開眼」します。非常にレアな存在であります。

うちは一族内でイザナギの乱用があった…それが事実であるならば、マダラやイズナ以外にも万華鏡写輪眼の開眼者が少なからず存在したのでしょう。しかし、「ある条件」が整わなかった為に結果的に失明に至る期間限定の存在だったのかも知れません。当然、「うちはの石碑」の教唆に従い「仙人の肉体」を保有しようと輪廻眼にスペックアップする事もなかった…。しかし、失明のリクスを伴うイザナギを使いまくる…という部分がどうしてもスーッと入って来ない。そこで、もしかしたら「都合のいい結果の奪い合い」って、一族同士での「眼の奪い合い」だったのかな…と考えると、随分とやんわりとした言い方でイタチは伝えたもんだな…と、段々と違和感が均されました。

兄系・うちは一族とは「瞳力」を得る為に仲間同士で「眼」を奪い合う宿命みたいなモノを帯びた一族だったのでしょう。しかし、いくら何でもそれを弟・サスケに伝えられないとする気持ちがイタチにあったとしても不思議じゃありません。もう大人なんだから、そのくらい察しろよ…なのかも知れませんし。今となってはサスケしかうちはは居ないんだから、知らなくても良い事だと考えるのもイタチっぽい…と言えばイタチっぽい。これは「嘘」じゃないよな…と。きっと、そう言う考え方が、やはりうちは一族にもあって…そりゃ鬼や悪魔じゃなく人間(忍なんだけど)だから…そうした「心」イザナギを戒めるイザナミを残したんだろうな…と、僕は解釈する事と致しました。

イザナギの使用者は、何らかの方法で柱間の細胞か、それに準ずるチャクラのエンジンを自分に取り込み、擬似的に「六道の力」を再現できた事になります。うちはマダラが輪廻眼を開眼したのは、その前に永遠の万華鏡写輪眼にスペックアップしてたからで、「ある条件」が、一族同士で削り合い、結果的にマイノリティ化して行くしかないうちは一族にとって、誠に敷居の高い要求だった事だけは確かでしょう。ちなみに、うちは一族では「眼のやり取り」は一般的だった筈で、神無毘橋のオビトが臨に告げた「眼軸ごと」写輪眼の移植マニュアルの存在を示しており、今となってはそれが「うちはの石碑」だったんだろうな…という事が何となく解りますね。

勿論、イザナギを使用しようと<プッ>するようなうちはの忍が苦労して自分が開眼した万華鏡写輪眼を使い捨てる訳はなく、オビトのように死に瀕した仲間から手渡されたり、或いは力尽くで奪うか…そうした「眼」をダンゾウのように自分の身体の何処かに埋め込んで使用したのかも知れません。それか、一度自分の「眼」を外してイザナギ発動後、自分の「眼」を復帰する手もあります。トビが小南を後ろから<ブスッ>と突き刺した行で、トビがオビトの肉体を使用するならイザナギ「眼軸」は必要なしとなりますし、ダンゾウのイザナギユニットにしても青の透視によれば「眼軸=視神経束」までを搭載せず、経絡系のみの接続のようだったので比較的簡単な施術で運用できた筈です。

ま…そんな黒~い歴史がうちは一族にはあって、一族どうしてお互いを削り合い、殺し合い、減らし合いしてた訳だ。そして、その一方で、そのような愚行を愚行として受け止める態度もうちはにはあったんだよ…と、めちゃめちゃ遠回しにサスケに伝えてるんだと思います。しかし、それを今さらサスケにイタチが伝えないといけないって事はサスケは万華鏡写輪眼開眼して以降、「うちはの石碑」を読んではいませんな。それを今さらイタチが薦めないのも、書いてる事が事なだけに「大切な友」を殺しかねん(汗)。イタチがそう考えてる様に思え、明らかに「うちは虐殺」からイタチも変節があるな…と改めて感じます。死んだ人間が死後に改心するのは…ちょっとアレだけどね(笑)。

イタチのは一度、浄土に辿り着き、忍術に拠り穢土(現世)に呼び戻されました。僕の死生観「陰陽論」「脳科学」に準拠しておりまして、が肉体から離れ「死」を成し、肉体から離れた「心」は備わっていないと考えるのですが、『NARUTO -ナルト-』の世界観としては、どうも「心」が付帯している。脳科学的に「心」は脳の機能であり、肉体が滅した段階で「心」は失われると思われましたが、九尾の陽のチャクラがミナトを覚えていたり、今こうして穢土転生で召還されたイタチが思い遺しを遂げる行に接していると、「心」『NARUTO -ナルト-』においては同義の様に思います。だからイタチは死んだ後に改心する事が出来たんだと、僕は思います。

「それを止める為に作られたのがイザナミ

視覚相手に視覚では幻術にハメられないからな

イザナミイザナギ
己の結果を都合のいいように変えようとすると
一生同じところをグルグルとループする仕組みだ

だがイザナミイザナギを止める為の術…
ちゃんとそのループから抜け出る道
作られていた」(穢・イタチ)

「……!?」(サスケ)

「これは本来
うちはの仲間を奢りと怠慢から救う為の術だった
術で簡単に結果から逃げる者を止める為の術

本来の己の結果を受け入れ
逃げなくなった時
おのずとイザナミループは解ける
術に頼ることなく…
運命を自分で受け入れるように導く術

抜け道のある術など
実戦では危なくて使えない
そういう意味で
イザナミは禁術になっている

だからカブトが
自分以外の誰かに成り換わることをやめれば…
ループから出ることは出来る」
(穢・イタチ)

「………

なぜ…こんな術をわざわざカブトに掛けたんだ?
脱出できるってことは…」
(サスケ)

ちょっとダラダラと感想が長くなるのは最近しっかりと考察を書いていないからで、一応、感想で余分に書くから勘弁してください…という意味を込めているんだけど、実際は『NARUTO -ナルト-』に対する疑問や気付きが少なくなっている所為もあるかと思います。僕的にはいつでも「終末の谷の決闘」に行って貰って結構で、ナルトとサスケが何を成し、何を決するのか、ハッキリと見えておると思っとりますもので、一応、お話として詰んでいると、勝手に決め込んで居るからであります(笑)。でも、回収されていない伏線も数多(あまた)あり、『NARUTO -ナルト-』が消えた週ジャンを買わなくなる人がどれだけ出るか考えるだけで、お話が延びそうなのは良く判ります。

それでイタチらが生き返らされる事となり、いろいろとあった思い遺しをやり遂げようとしておるのだと思います。一見それは忍術ズッコな感じもありますが、そもそもイタチや、その他の忍共の人生を翻弄したのもまた忍術でありまして、この場合、行って来いでチャラが大人な判断であると思われます。ぶっちゃけた話をさせて頂きますと、このお話は「忍術ってどうよ?」という事をうてるのではないかと、僕には思えてなりません。ま…それを戦争編でワラワラと湧いた死者共と生者の交わりで描いてるんだけど、リアルに生きてる僕(ら)としてはスーッと入って来ない訳です。でも、キッ神がそうしたいんだから仕方ないと、僕は納得しています。でもそれで筆が軽くなる訳ではない。

そういうモゾモゾとした気持ちで僕は居ます。そこにイタチがサスケを前にカブトを救おうと片眼を失う行が降って湧いて心中穏やかではありません(笑)。イタチが本心でそう考えてるんなら、それで良いんです。でも、所詮、カブトはダシみたいなものに思えて仕方ない。何故なら…イタチはカブトを救う事で、サスケに教えようとしているのだから。イタチは「忍術」を最大限に有効活用してブイブイ言わせてるカブトをペシャンコに潰してみせて、サスケに「忍術」是非うてるだけなんだと、結局はそうなんでしょ…と思えて仕方ないんです。大蛇丸に成り代わろうとしてるカブトを止めて、イタチを模倣するサスケに、自分を超えさせようとしてるだけに見えて仕方ない。

だから、薄幸なカブトが一層薄幸に…それこそ光りを発しそうなくらい…幸薄く見えて不憫です(笑)。しかし、こんな風にイタチとサスケがイザナミ「穴」を示してるんだから、カブトは何とかして、その「穴」から這い出してくると思います。つまり、イザナギループを脱するんです。それは本当の自分を見出すという事。そうでなきゃイタチ兄さんの仕事とは言えないし…。その伏線を、キッ神はせっせと張ってるような気がします(笑)。でも、例えそうなろうと、穢土転生だけはキッチリ止めるのがイタチ兄さんでありますれば、この場合、静観が吉かと思われます。しっかし、こんな風にしか『NARUTO -ナルト-』を観れなくなった僕も既に枯れたか…乾涸(ひから)びたか…(笑)。

「…こいつは昔のオレに似ていた

全てを手に入れたつもりで
何でも成せると妄信しようとする
だからこそ己の失敗に怯え
己の失敗は無いのだと自分に嘘をつく

結果それをごまかす方法として
他人の力を信用しなくなったのがオレだ
カブトの場合は
それをごまかす方法として他人の力をも
全て自分自身の力だと思い込んだ」(穢・イタチ)

「………」(サスケ)

「こいつのことも分かるんだ…
この忍の世に翻弄された者同士
どうしても自分自身を許し
認めることができないことも…

確かにこいつのやってることは間違っている
だが…こいつだけを責めるのも間違いだ

カブトにはオレと違い
死ぬ前に気付いてほしい…」(穢・イタチ)

「こんな奴の為に
何で兄さんがそこまでする義理がある!?
こいつと兄さんは違う!
兄さんは完璧だった!」(サスケ)

「サスケ」(穢・イタチ)

「!?」(サスケ)

「…オレはお前に別天神という瞳術まで使い
お前を操る形で導こうとしていた

誰よりもお前を子供あつかいし
守るべき対象としてしか見ず
お前の力を信用していなかった


………

何であれ一つとして一つで
完璧なんてものはないのかもしれない
だからこそ
補うモノが引き寄せられるに生まれる…
側で対を成して
初めて少しでも良い方向へ
近づけるのだと思う

イザナギとイザナミのように」(穢・イタチ)

「…………」(サスケ)

イタチの言葉がサスケに染み込んでいます。もうカブトなんてそっちのけでしょ(笑)。イタチはサスケだけが心配なんです。サスケは木ノ葉隠れの里よりも重い。トビのあの言葉は本物でしょう。だからこそ、サスケは万華鏡を開けたのだと思います。イタチはサスケに何事も対になる存在がある…お互いが支え合って初めて物事は完成するのだと…サスケに伝えがいが為に、ワザワザ、カブトの為に片目の光を失うイザナミを使ってみせたのです。ねっ…そう考えるとカブトがやけに不憫でしょ(笑)。勿論、イタチがサスケとイタチ、それに符合するカブトと大蛇丸の関係に親近感を覚えた…というものあるし、大蛇丸の導き方が「強さ」を得るにおいて有効だったというのもある。

世界観が「チャクラ」とか「忍術」を認めてるんだから、使わなきゃ損なんですよ。端的にそれが”暁”であり、トビだった訳。特に”暁”の面子ときたら思いっきり人外だったじゃない。カブトも言うに及ばず人外ちゃんになってます。つまり、「忍術」の真理を究めた一方には、「不死」が当たり前になる…他者の能力を奪って自分のものにできる…「命」すら創造できる様になる…それって、もう神様でしょ…な結末が見えている。ある意味、六道仙人とは「神」にも等しい存在でありまして、それが「忍術」が極め求める真の姿なのだとも、一方では言えると、きっとイタチだって解ってると思います。それが六道仙人のパズルの絵柄なんだとしたら、それを目指して何が悪いと言いたい。

その上でイタチはその上を行けと指し示している訳です。それは素晴らしい行いであります…死んでいなければ(笑)。それがイタチの唯一の後悔であり、カブトを救いたい…死ぬ前に気付かせてやりたい!!そう考えるイタチの真意であると思います。きっと、イタチはカブトを完璧に滅する自信があるのでしょう。つまり、イタチはカブトを含めた穢土転生とか大蛇丸の禁術を今後一切、表に出ない様に消去してしまう積もりなのです。結果的にカブトは死ぬ事になる…のかも知れない。それでも「救う」とイタチが言うのは、穢土転生とかがない限り、生きてる内しか改心とか懺悔はできない。死んだら何もない。一切が「無」なのだと、死んでみて解ったのでしょう。

「オレを見て
オレになかったものを
お前には探してほしい」
(穢・イタチ)

「だから…
オレを完璧だなんて言ってくれるな」
(穢・イタチ)

イタチがこんなに雄弁なのは、「今」しかないからだと思います。一度死んだ身。しかも、もう二度とサスケには会えない。そういう状況をサスケには目指してもらいたいから、イタチはここぞとばかりなんだと思います。僕もそろそろ「命」が終わるかも知れない…だから、想い遺す事無きよう、こんな風にダラダラと徒然に書いてるのかも知れない。イタチがこんなに一生懸命なのは、後悔してるからなんだと思います。完璧を目指し、完璧だと思ってた自分が、実は間違いだらけだった。ホントは死んでしまったら、そんな事は関係ないんですが、奇しくも穢土転生。死人が「生」を受け、「肉」に宿り、「心」を取り戻している。この「忍術」功罪に、イタチは機を見て敏に行動しているだけ。

解るか…!?サスケ。

イタチはお前だけを大切に想っているのだ。イタチが懇々と語る事共などどうでもいい。イタチがお前を見、そして語る、その根幹をなす「情」こそ、お前が感ずべきものなのだ。それは「忍術」が一時的に作り出した幻かも知れない。でも、その幻を動かすは「心」である。サスケを真に大切に想うイタチの「心」である。穢土転生のイタチとは幽霊みたいなもんだろうよ。本来なら目に見えない存在だ。しかし、目に見えなくとも「在ると信じれば在る」のだ。「無いと思えば無い」のである。解るか!?サスケ。イタチの「心」が!!それが「愛」なのだ!!「愛」なのだ!!お前が信じれば「愛」すら、お前の眼には映るのだ!!「今」こそ気付け!!

皆、「愛」する人に見守られている…事に

ダラダラと続けてヨカですか…。


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第587話「9時になったら」①

 
「このまま少し輪廻(ループ)に掛けて
本来の視覚による幻術に掛けやすくする」(穢・イタチ)

「なら…カブトはその輪廻ってのにハマったってことか?
それがイザナミ

いつ仕掛けた?」(サスケ)

「カブトが最初にオレを
その刀で突き刺した時だ」(穢・イタチ)

(…あの時か…)(サスケ)

「しかしどうやって?
視覚じゃない瞳術とはどういうことだ?」(サスケ)

イザナミは自分と相手…
二人の体の感覚によってハメる瞳術だ」(穢・イタチ)

「…二人の体の感覚?」(サスケ)

「行動の中の任意の一瞬…
その一瞬の己と相手の体の感覚を
一度瞳力で写真のように記憶する

仮にそれをAとする

そして同じ体の感覚を
わざともう一度再現し
その一瞬を同じように瞳力で
写真のように記憶しA'(エーダッシュ)を作る

イザナミはそのAA'を重ね繋げることにより
それまでの二つの間の時の流れを繋げてしまう
つまり無限ループを作る能力だ

もちろん失明することを引き換えにする
イザナギと同じにな」(穢・イタチ)

イザナミの仕込みが第580話「兄弟の時間」の烏分身で既に完了していて、それをイタチは第581話「それぞれの木ノ葉」の終盤で「すでに仕込みは整った」と宣言したんですね。そして、次にカブトが同じ様にイタチの烏分身を草薙の太刀を使って貫くシーンをイタチは虎視眈々と狙っていた…と言うよりは、同じシーンが再現される様に戦いを演出していたんだと思います。連続する戦いの中でカブトと自分が同じ様に関わる瞬間をイタチは作り出したのです。でも、その為に失明する代償が待っているんですが、イタチはカブトが龍地洞との繋がりを明かし、仙人モードを発動した時点でイザナミの発動を決断したのだと思われます。後述がありますが、その決断イザナミの術の成り立ちと大きく関係しております。

確かイザナギ「六道の力」たる陰陽遁を応用した高度な瞳術だったと思います。しかし、イタチは柱間の細胞を移植していない筈なので、イザナミ「六道の力」に頼らないうちは純正陰遁なのだと、僕は考えています。ただ、術の発動が失明のリスクを負うところは同じで、イザナミイザナギも術の大それた効果と引き換えに相応のリスクを背負っているようです。ただ、イタチは死人であり、穢土転生によって召還された仮の命…命と呼んではいけないような存在であるので、リスクがリスクたり得ない状況でして、この術を扱うには相応しくないと、僕は一方で思っています。例えば、イタチが死人でなければ文句はないんですが、やはり術の効果と痛みが釣り合わないのがしっくり来ない。

カブトがこの戦争を有利に進めようと考えたなら、デイダラの穢土転生に、それこそ無限回のC0を発動させれば世界は簡単に焼け野原になったんではないでしょうか。自爆こそ穢土転生の本来の用法なれば、先ずそれを実行するべきだと思える。ま…術の発動に「溜め」が必要なので、そこに付け入られるのを回避した…という考え方もありますが、それは他の穢土転生が連係して防御すればいい。戦場の撹乱という意味でもデイダラの破壊力は有効だったと思います。しかし、C0が使えなかった可能性もある。それはC0がデイダラのコア=生命を燃やす爆発だったからで、穢土転生はそれにあたらない…制限みたいなものが存在するなら、ある種の整合性は保たれます。これだと個人的にしっくり来る。

でも、そうならばイタチのイザナミが発動できるのが面白くない(笑)。ところで、イタチの眼は一度、塵芥に帰した後、再度復活した時には復元されるのか?穢土転生が死すら超えた忍術ならば、それも可能かと思われます。ただ、こんな風に穢土転生を吟味してると、結局、最後は辻褄が合わなくなってお手上げになってしまう。それが、サスケに何をか伝えんと必死に生きる穢土転生のイタチの行いを軽々しく感じさせる…凄く味気ない輪廻(ループ)を形成します。これが高次に発展した忍術の持つ本質的な問題なのかな…と、些かに落ちる(笑)。もしかしたら、キッ神は穢土転生を用いて、それを僕らに伝えんとしてるんではないか?そんな風に薄らと、僕は感じているところです。

生命の危機を感じる為…続き…にさせて…<ゲフォッ>

 
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暗くなるまで待って…(120528)

 
こんにちは!ナル×ジャンのケルベロスです。

最近、仕事のピークが月曜日に同期してしまって、ちょっと時間がない。
週ジャンの発売日が火曜日になる様に集英社にお願い中です(←ウソ)。
僕も今週号は既に読んだし感想だってちゃんと書きたい。
ご心配をお掛けしまして非常に申し訳ありませんが…。

暗くなるまで待って…。

ナル×ジャン ケルベロス






 
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銀の匙(ep586補足③)

 
エーッと、一気に書いちゃえば良かったんだけど…(汗)、サスケの事についてなんです。カブトは大蛇丸を愛していた…大蛇丸に愛されたかった…でFAでヨカと思うんです。大蛇丸が心から望んだ「うちはイタチ」…その骸である穢土転生の…ましてや自分の術で呼び出したコマに嫉妬しちゃうなんて…どんだけイタチに憧れてるんだよカブト(笑)。大蛇丸が欲しかったイタチに匹敵する存在になりたい…カブトが自分に「能力」を盛るのは、イタチの人間性とか経験値の高さ…つまり「訳知り」な部分をカブトが相当高く評価してるからで、「強さ」というものが単なる「力」(ベクトル)に依存するモノではなく、それを操るインテリジェンスに左右されるとインテリ・カブトは知ってた訳ね(笑)。

カブトはイタチに成り代われる存在へと昇華し、それでもって大蛇丸に選択される事を目指していた…。大蛇丸に「お前が欲しい」と言われたかった。そうなれば、情報生命体として「肉体」の拘束を解いていた大蛇丸なれば、カブトはこの世に大蛇丸を再構築する方法を持っていたのではないかと、僕は考える訳です。大蛇丸を再度、この世に呼び出す手段があったからこそ、カブトは頑張ってるんだと思います。だから、カブトは大蛇丸になろうとしてるんじゃなくて、大蛇丸に選ばれるような存在になりたいんだと思ってる筈なんです。その意味で、イタチの指摘は的外れであり、カブトのイタチに対する過大な評価に対して「皮カムリだ」…違う…「買いかぶりだ」と言うのはそう言う事ね。

カブトは「イタチみたいになりたい!!」…もっと言うと「イタチになりたい!!」と思ってたんだと、僕は思います。しかし、それがお腹から白蛇を生やして異形に成り果ててまでも、イタチの「力量」に比肩する為に及ばない「力」を、パッチワークによって得た「量」で補おうとした、持てる者と持たざる者の差を否応無しに感じさせるリアルに近い不公平さに、少しばかりカブトを「擁護」したい気持ちに、僕は駆られた。その気持ちを何とかして伝えたいと思ったまでです。そして、そのカブトがサスケに示す「興味」とは、表面的には永遠の万華鏡写輪眼であり、それを得た後、輪廻眼を得る確証みたいなものがカブトにはあって、つまりは「六道」になれる算段がカブトにはあったんでしょう。

そこまでして、カブトはイタチに肩を並べたかった…サスケの兄になりたい発言はそれでありまして、カブトが自分をサスケと同じと表現するのは、イタチ越しに「ホントに欲しいモノ」を感じていた者同士の共有感を訴えてる訳です。サスケはイタチスキーのブラコンだと、僕もよく書いてましたし、世間一般でも「定説」みたいになってますでしょ。BLでも、そういう受け取り方をした方が描き易いのは確かです。でも、サスケはイタチ越しにフガクを感じてた人だと思うんです。フガクに寵愛されるイタチを見て、イタチみたいになりたいと思ってたと、僕は思うんです。その意味で、サスケはカブトに非常に似てる訳です。カブトが示す親近感が非常にしっくり来ます。

でも、サスケはイタチに成ろうとした訳ではなく、イタチを超えようとする者でもありました。イタチの死を受けて即座にイタチの眼を移植する事を拒否したのは、その気持ちの現れであると思います。サスケが「一番大切な友」を殺さなかったのも、イタチの示唆の通り動いていたのでは決してイタチを超える事は叶わないとする賢明な判断だったように思います。それをポテンシャルを予め補償された者の余裕とするか、いつ死んでも構わないとする刹那主義ととるかは自由ですが、サスケの示す上品さとは持てる者の特権だよな…カブトとはスタートラインが違うんだよな…と、同情を禁じえません。この辺、人生の不公平さ飲み込めないと納得できないと思います。でも、でも、不公平なのが人生だから<キリッ>。

カブトのサスケへの擦り寄り方とは、明らかに卑屈であり、イタチに示す「羨望」もカブトの不幸自慢に代表される自己差別ともとれる…ぶっちゃけ「諦め」なんだと思える行動様式と言えるでしょう。でも、その親近感は結果的には狂っていなくて、サスケはフガクに選ばれたいが為にイタチを目指した人格形成があり、ある種、カブトと同種の卑屈さを漂わせる少年であったと言えるでしょう。しかし、それがカブトのようなキメラ=異形に発展しなかったのは、サスケが「うちは」だったからでしょう。もしかしたら…イタチの発言から、イタチは「うちは」でなかった可能性も微妙にあるんですが、それは「同じうちは」に討たれたい気持ちだったと受け止めて流すとしておきましょう。

しかし、イタチがカブトに羨ましくない筈はない。その恨めしさがカブトの体臭を調味している。しかし、一方でカブトはサスケがイタチを介してフガクを感じていた事実をも知っている。それは自分がイタチを介して大蛇丸を感じていた事実と符合する訳。その意味で、カブトはサスケよ「同じモノ」となる…訳。それがカブトの発する「イタチ観」でもある。果たして、その全てがサスケに届いているかは疑問ですが、サスケは単に兄・イタチが好きなだけの男の子ではありません。イタチを寵愛する父・フガクに、その意識はあるものの、イタチになろうとした訳ではなくて超えようとした…。それは、やはり「持てる者」のガツガツしなさ…というか、サスケがくわえた(カブトにはキツイけど…)「銀の匙」が原因かと…。

なので…サスケはブラコンではなくファザコン

それがナル×ジャンのFA(笑)。

第586話「イザナミ発動」
ナル×ジャン ケルベロス

FA=Final Answer



 
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カブトが真に求めるモノ(ep586補足②)

 
「カブト…お前…

私を止めたいなら……


サスケくんを殺すしかないわよ…」(大蛇丸)

「!!」(カブト)

「お前じゃ私を殺せないでしょ…
強いといっても…
カカシと同じ程度じゃねェ…」
(大蛇丸)

<ゴク>(カブト)

カブトがイタチのイザナギが生み出す夢幻回廊をグルグル廻ってる頃、僕の心も第一部の中忍試験…単行本をペラペラと捲り…木ノ葉崩しの直前をウロウロとしとりました(第10巻/129-130頁)。大蛇丸が堂々と中忍試験に潜り込み、平和ボケした木ノ葉隠れを憂う中、大蛇丸に傅(かしず)くカブトが立ち昇らせる陽炎…と申しますか、静かな熱気が光を微妙に曲げるような不思議な感覚を、僕はもう一度思い出していました。大蛇丸カブトの真意を量りかねるような描写がこの後に続いていまして、カブトが求めるのは大蛇丸なのか?はたまたサスケなのか?あの頃、僕は迷ってたな…と、今も大蛇丸とカブトが密会する木ノ葉隠れの回廊で迷っているようです。

カブトは大蛇丸の命(めい)を受けてサスケを浚(さら)いに行くんですよね。そこでカカシに邪魔され、サスケを連れ出せず、殺す事も出来なかった。でも、それで良かった!!と言いたげにカカシに自分の顔を曝し逃げ仰すのです。確かにサスケの喉元に医療班の特殊なクナイを突き立ててカカシを脅すんですが、手を下さず。カカシが邪魔したかに見えますが、カブトは余力を大いに残しておりまして、その余裕がカカシに危機感を抱かせ、カカシは片手で崖を昇る例の修行に出る…んでしたっけ(ウロ)。そう言えば…「カブト=カカシ」強さの指標として、この行が引っぱり出されてましたね。当然、それより大蛇丸が上で、その上が…そうです!!木ノ葉崩し集結直後の例の描写に繋がります。

「私を慰めるような台詞は止めなさい…
殺すわよ…」(大蛇丸)

「………」(カブト)

「…もちろん
そのようなつもりはありません…
確かに里は落とませんでしたが……
この計画のもう一つの目的は
うちはサスケ…

彼にはアナタの首輪がつけられた…」(カブト)


「………
ククク…

この腕と
私の全ての術と引き換えにね…」
(大蛇丸)

「………」(カブト)

「そもそも
あのうちはイタチを
手に入れることができれば
問題はなかった……

しかし
それはもはや叶わぬ夢…」(大蛇丸)

「彼は私以上に強い…」(大蛇丸)

木ノ葉崩し…大蛇丸は三代目火影・猿飛ヒルゼンの屍鬼封尽で両腕を奪われます(第16巻/94-95頁)。大蛇丸の魂全てを死神に喰らわせる事は叶わず、ヒルゼンは辛うじて大蛇丸の両腕を切り取って果てております。忍者にとって「両腕」とは、即ち「印」であり、それを奪うという事は「術」を発動できない…結果、大蛇丸「印」を組む必要のある術の発動が出来なくなってしまった…これでもう悪さは出来ないだろう…愛弟子(まなでし)の大蛇丸を殺さないで済んで良かったな…草薙の太刀で串刺しにされ、壮絶な最期を遂げたヒルゼンでしたが、笑顔だったのはヒルゼンが大蛇丸まで奪わずに済んだ安堵であったと、僕は考えておりますが、その代わり深い深い呪いが大蛇丸の枷として残った訳です。

ヒルゼンの呪いに苦しみながら、うちはイタチを想う大蛇丸。カブトを殺しかねない勢いで威嚇しながら、大蛇丸はうちはイタチを諦めねばならない理由を明かします。「イタチ>大蛇丸」…ま、これも表面的な強さの指標ではありましたが、大蛇丸がイタチを放棄しサスケに照準を合わた経緯をカブトに説明するのです。この時、大蛇丸のアジトの傍らに「空」の指輪をした腕が描かれていて、何だろう!?とは思ったものの物語が(当時は)ダイナミックかつスピーディーで、この直後、キレーなイタチ兄さんが鬼鮫と団子屋で三色団子食べて、そのまま木ノ葉隠れで白昼堂々と暴れ回るもんで、さして気にも止めずにスルーしておりましたが、第二部のサスケの再登場でこの伏線が見事に回収されましたっけ。

「まさか…この私が…
金縛りの幻術に…」
(大蛇丸)

「何という瞳力…
素晴らしい…」
(大蛇丸)

大蛇丸不死転生の結界空間で逆にサスケに喰われる事になるんですが、その時、サスケの写輪眼の「魔幻・枷杭の術」に、大蛇丸はイタチに腕をぶった切られた記憶を思い起すのです(第38巻/108頁)。大蛇丸”暁”を抜けた…のは、この直後だと思われます。そして、この時落とされた腕を後生大事に実験室に飾っていたんです。それがヒルゼンの呪いに苦しむ大蛇丸と共に描写されていたんですね。恐らく大蛇丸の医療忍術があれば、メチャクチャ簡単に繋がったと思いますが、それをせず腐らない様に処理(ホルマリン漬けですらなかった)までしてオブジェに代える辺り、大蛇丸のプライドが上手く描かれていたな…と、何年か越しに回収された伏線に唸ったのを覚えています。

大蛇丸はかつてイタチに完敗していた訳です。それで、ホントはイタチが欲しいんだけど、仕方ないからまだ子供のサスケで我慢しておこう…と考えていたのです。それでサスケを弟子にして「自分色」に染め上げた気持ちでいた…。しかし、かなり呆気なく、飼い犬に手を噛まれるようにサスケに殺されてしまいます。そして、カブトはその残骸を集めて音隠れの人体実験施設の濾過器にかけ、容器に満ちた「能力と情報のエキス」を取り込みます。未だに僕は大蛇丸の死に関しては猜疑心が拭えずにおります。しかし「大蛇丸の死」というものがあって、龍地洞・仙人モードに至るカブトが形成されるので、全否定する訳にも行かなくなっています。兎に角、大蛇丸はイタチにもサスケにも痛い目にあったのね。

一面的、表面的な「強さの指標」で論ずるならば、(イタチの「病魔」に関しては何の病気だとか、全く提示はありませんが)もしも病気じゃなかったら…の条件は付きますが、それ言うならサスケに切り刻まれた大蛇丸もそうなんで、うちはイタチが第一部の時点で「忍界最強」で良かったのかな…と、僕は考えています。血継淘汰とか五影もタイマンだったらイタチが上だと思います…と、少なくとも大蛇丸は考えてたと思います。大蛇丸はイタチの才能とか能力が欲しくて欲しくて堪らんかったと思うんです。それがサスケを手に入れる欲求へと昇華し、大蛇丸を突き動かしている…。カブトは大蛇丸の気持ちの変化も含めて、誰よりも間近にそれら一部始終を観ていた証人なのです。

「サスケ……
サスケくんはまだなの?」
(大蛇丸)

(時間切れ…もう限界だ)(カブト)

「大蛇丸様…
体ならいくつも用意してあります
それに…

…何なら私でも」(カブト)

「…サスケくんじゃなきゃダメなのよ…
どれだけ待ったと思ってるの…」
(大蛇丸)

サスケ奪還編の中盤。大蛇丸はサスケの到着を待ち切れず、カブトが用意した転生の依憑(よりわら)で命を繋ぐ事になります(第22巻/162頁)。カブトは大蛇丸を病状を鑑み、大蛇丸を説き伏せます。同時にカブトを依憑として転生する提案をしますが、大蛇丸に却下されています。大蛇丸は両腕の痛みに我を忘れたのか…余りにもゾンザイにカブトの好意を無碍(むげ)にするんですが、カブトは切れずに大蛇丸への忠誠を翻(ひるがえ)す事はありませんでした。それは、病床の君麻呂を焚き付けて一仕事させる算段に見て取れます。カブトが捕虜の猛者共を殺し合わせたのが、カブトの鬱憤ばらしだったのかも知れません。そんな事しなくても「強さ」の見立てはいくらでも出来たと思いますもの。

大蛇丸が時を焦るのは不死転生の術「3年」の縛りがあったからなんですが、きっと3年も経ってしまったら、サスケもイタチみたいに強くなって乗っ取れなくなってしまう…多分、自分より弱くないと乗っ取れない制限があったのかな?その意味で大蛇丸不死転生の術は不完全な術で、大蛇丸のパーソナリティが依憑に加わって強くなる…そんな大蛇丸の意地みたいなものが見えて来ます。基本、大蛇丸「強さ」よりも「永遠の生命」への執着が強くて、同時に「美しさ」にも固執していました。だから、より若く美しい肉体に白蛇で潜り込む方法を選択していまして、カブトが自分の身体にありとあらゆる「能力と情報」を取り込む形式と意を異にしていますね。

その意味で、カブトは「永遠の生命」より「強さ」に執着していたのかも知れません。それは何でかと申しますと、きっとカブトは大蛇丸に選ばれたかったのだと思います。カブトは大蛇丸「お前が欲しい」と言われたかったのです。その想いに期待した大蛇丸に第一部の中忍試験の最中に「サスケくんを殺すしかないわよ…お前じゃ私を殺せないでしょ…」と言わせたんではないでしょうか。あの頃からズーッと、カブトは大蛇丸に選ばれたいと思ってたんです。大蛇丸はイタチが欲しくて仕方ない人で、到底自分じゃそれには及ばない。だから、いろんなモノを取り込んで強くなる必要があった…。そして、大蛇丸の残骸は「力」を取り込む為に必要だったんです。実際、そういう風に大蛇丸(の能力)をカブトは運用していますし…。

「イタチの生き様があって
生き残りの今の君が形成された

ボクはまだ死んでいないだけで
君(=サスケ)と同じものが形成された
」(カブト)

「ボク以上に君を理解できている者は他にいない
だから今度はボクが兄として君の側に居よう
…さあ一緒に」(カブト)

それですね…ここでやっと第581話「それぞれの木ノ葉」のカブトのサスケへの理解と、あまりにも唐突な「兄宣言」に繋がる訳です。カブトはサスケを取り込もうとしているんです。死んだイタチは穢土転生のコマとしてしか使えないからです。それよりも生きたうちはの若い肉体で、永遠の万華鏡写輪眼を持ったサスケが手の内にあれば、柱間の細胞を土台にして拵えた「仙人の肉体」と合わされば「輪廻眼」が手に入ります。そうなれば、凡夫たるカブトであっても、「うちはイタチ」に匹敵できる「最強」になれるんではないか?!と、カブトは計算しているのです。ぶっちゃけると、カブトは「うちはイタチ」に成りたい訳です。イタチが説教するように「大蛇丸」に成りたい訳じゃないのです。

だって、大蛇丸の能力は既に取り込んでるんですから!!大蛇丸が成し得なかった(とカブトが言ってる…)仙人モードだってカブトは手中に収めたのです。それでも、「まだ足りない!!」というのは、カブトが「うちはイタチ」ではないからだと、僕は思います。ありとあらゆる「能力」「情報」…それらを集結した「最強」が、大蛇丸にとっては「うちはイタチ」であった訳です。それを誰よりも一番間近でカブトは見て来ました。だから、こんなに必死になってサスケを狙うのです。それで異形になりながら「能力」「情報」を掻き集め「最強」を、カブトは求めるのです。それは大蛇丸に選ばれたい一心。ならばその先に、「大蛇丸の再誕」をカブトは隠してると思えてならないのです

「言ったハズだ…
お前の運命はオレが握っていると」(穢・イタチ)

「うちはイタチー!!」(カブト)

第586話「イザナミ発動」の最後…カブトは叫びます。それは大蛇丸が心から欲しがった「うちはイタチ」の名でありました。カブトに「イタチの説法」が全く染み込まないのは、大蛇丸という絶対的な存在がカブトの中に在るからだと僕は思います。「己を許し本当の自分を認める者…それこそが本当の強者だ!!」とイタチは言いますが、それはイタチだから言える事で、イタチじゃないカブトが言っても何の意味も成さないのだと、カブトは思っているのでしょう。だから、「負け犬が!!ホザくな!!」と毒づく(笑)。そんなのカブトにだって既に解ってるのかも知れない。でも止まらない…のは、カブトが真に求めるモノが「強さ」とか「力」ではなく、「大蛇丸の心」だからじゃないだろうか…。

カブトは大蛇丸されたかった…だけなんだよ………。

一応…続きます。


 
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擁護(ep586補足①)

 
「イタチの生き様があって
生き残りの今の君が形成された

ボクはまだ死んでいないだけで
君(=サスケ)と同じものが形成された」(カブト)

「ボク以上に君を理解できている者は他にいない
だから今度はボクが兄として君の側に居よう
…さあ一緒に」(カブト)

第581話「それぞれの木ノ葉」でカブトがこんな風に言っていた…僕はここにカブトの「欲求」というものが隠されているのだと考えています。人格形成においてキーパーソンと成る人が誰しも存在するものとおもいます。奇しくもサスケとカブトはその部分が交錯しています。カブトはその部分に悩み、イタチはそれを積極的に利用した…。言い方はちょっとアレですが、イタチとカブトを比較すれば、圧倒的にカブトは無垢で無邪気なのだと思います。その雰囲気は大蛇丸の一子相伝のようにも思え、それがカブトの示す…ある種、「イノセント」(罪なき者)の雰囲気とキレイに符合している様に思います。

そこら辺を分かり易く提示して何とかしてカブトを擁護したいな…と思っておりましたが、研修という名の飲み会が模様され…明日…明日…本気出して書かせて貰います。カブトは既に詰んじゃったと思うんだけど、それをそれで終わらせないのが『NARUTO -ナルト-』なんだと、僕は期待しております。その鍵を握っているのは、完全にカブトを掌握したイタチしかいないでしょ…と、僕は考えております。そこら辺をお伝えできたら…と思っとりますが、取り敢えず、ビール!!という事で一つ宜しくお願い致します(笑←笑うなーッ!!)。今日は何か寒ッ!!酔っぱらいでゴメンナサイ。最近、謝ってばかりでスミマセン。
 
ナル×ジャン ケルベロス

  
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第586話「イザナミ発動」

 
「すでに仕込みは整った

奴の運命を握る究極の瞳術…

イザナミだ(イザナミ!?・サスケ)←術の詠唱?

イザナギが運命を変える術なら
イザナミは運命を決める術!(穢・イタチ)

「サスケオレから離れるな」(穢・イタチ)

第581話「それぞれの木ノ葉」で、イタチはイザナミの仕込みを終えた直後、一度カブトと刃を交えています。その後、両者は弾けとんで間合いを切った…。そして、カブトに残心したままイタチはサスケに自分から離れないように指示をしています。恐らく、この接触でイザナミはカブトに掛けられており、ジワジワと潮が満ちる様にカブトを輪廻(ループ)に閉じ込めて行ったのでしょう。イタチがサスケに「オレから離れるな」と言ったのは、イザナギがカブトを完全に支配するまで時間が掛かるからだと思われます。その間、イタチはサスケを守り通す覚悟があって、こんな風に宣言したのだろうけど、このシーンがカブトの落とし込まれた輪廻(ループ)の起点になろうとは精神的にキツイです(笑)。

「…そうだった…忘れてた…」(カブト)

「普段ここに角なんてないもんだから…ついね」(カブト)

イザナミとは、対象を術者との関わりのあった一定期間の時空間幽閉してしまう幻術だと思われます。術のルールとしては術を掛けた時の接触から、その一つ前の術者との接触で時空間を固定しちゃうのかも…と思います。それが第580話「兄弟の時間」で仙人モードとなったカブトの龍の角を<スパッ>とカットしたシーンなのではないかと、僕は考えています。しかし、皮肉なもので、「兄弟の時間」って仔サスケとイタチが協力して大猪を捕まえる任務(サスケは引っ付き虫)の想い出を噛み締めるような行で、二人は殆どカブトなんか見ちゃいなかった…そりゃいくらなんでもカブトに失礼だろッ!!と思ったもんでしたが、結局、カブトは兄弟愛の狭間に閉じ込められてしまいました。

描写を観察すると、カブトは完全に幻術空間幽閉されていて、その中でカブトは何度も何度も角を切られる事になりそうです(汗)。そして、その都度、サスケを守るイタチを見る事になる…。これはカブトにとっては最強の精神攻撃たり得るでしょう。それもイタチの想定の範囲内だったのかも知れませんが、すっごく残酷な輪廻(ループ)ですよね。何週にも渡るカブトの「自分語り」も、パッチワークに手を染める経緯も、術の完成の待つ時間稼ぎの様でもあり、或いは「イタチの説法会」だった様でもあり、それがイタチの眼と引き換えに生み出された幻術空間の中で無限輪廻(ループ)していく訳だ…。ま…詳しくは「補足」で書かせてください…って、エーッ!!(汗)

実は「金環日食」を観ておりまして、その準備でいろいろとありまして、「感想」が書けませんでした。横浜でも雲の切れ間からキレイな輪っかが観えました。ホントに指輪の様に美しかった…と言い訳を一頻り(笑)。本格的なアップは明日の夜半かな。最近、こんなのばっかでゴメンナサイ。でも、ま…カブトがイザナミに落ちてしまうのはイタチが担当した以上、決定事項でもありまして、それより気になるのはこの後、カブトを殺さずにどうやって穢土転生を解かせるんでしょうか?それができないと五影…つーか世界が六道・うちはマダラに焼け野原にされちゃう。でも、イタチはこの方法しかない!!との認識を持って事に望んでいますので、それも要らぬ心配かも知れませんて。

じゃ…続きは「補足」にて(汗)。

実に美しき「蝕」でありました…(←言い訳)。


 
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第585話「ボクがボクであるために」④

 
「カブト…お前は大蛇丸じゃない
尊敬している存在を真似るのはいい…
だがその存在に己を同一化するな

お前が…その存在そのものに
なれる訳じゃない」
(穢・イタチ)

「…………」(カブト)

「人の多くは何をするにも
まず真似事から入るものだよ
サスケくんが君を真似していたように」(カブト)

「…お兄さんの様に立派にやりなさい…」(フガク)

「……」(穢・イタチ)

「その行為は己が成長するための過程だ!
お前のように己を偽るための衣として使うな!」(穢・イタチ)

「………」(カブト)


「自分自身の値打ちを賞賛に値するものに結び付け
自分の存在意義を見出そうとしてもそこに何もない

最後にもう一度言う
嘘を付いて己をごまかすな
己自身を認めてやることができない奴は
失敗する」
(穢・イタチ)

「…………
今のこのボクが失敗する?

どうやって!?」<バッ>(カブト)

イタチの「説教」を拝聴していますと、ドロドロに汚れた大人としては身につまされます…。そもそもカブトは大蛇丸が示した「付け足せばいい」を鵜呑みにする様にいろんな「能力」「情報」を丸呑みにし続けました。しかし、六道仙人が自分をバラバラにして世に鏤めたパズルを組み立てる方向性が、この考え方には在りまして、その意味では「一理ある」と言えますまいか。つまり、大蛇丸が目指した「全ての真理の収集」とは六道仙人の再構築にあったとも考えられる訳です。この方向性とは「うちはの石碑」と同ピンでありまして、如何にも兄系的なアプローチなのですが、大蛇丸→カブトの関わった「龍地洞」がこの流れに関係している可能性があると、僕は思います。

一方、「アイデンティティ論」で考えると、イタチの「説教」が完璧にカブトを論破してまして、カブトはぐうの音も出ないです。こうなったらカブトはうちは兄弟を完膚なきまでに叩きのめし、取り込むしかない(汗)。「押し通る!!」…それもまた忍界においては真理であり、「強い者が正しい」のだとも言える。それが「力」を持って「安寧秩序」を齎す方法論でもありましょう。偏った考え方をすれば、六道仙人の存在も「圧倒的な力」で世界を黙らせた結果で在ったとも言え、六道仙人の前に人々は考える事を止め、ただただ従っていただけなのかも知れません。それが「月の眼計画」の中核を成す「大幻術・無限月読」と果てしなく似ています。

恐らく、六道仙人が自らの死を受け容れたのは、自分の存在が人々から考える事を奪うのを恐れたからではないかと、僕は思うのです。だからこそ、自分をバラバラにし不完全な状態にして世界に鏤めた。そして、一方では「うちはの石碑」を用意し、六道仙人の作り方を説き、もう一方で「予言」を負託し、それに対抗する勢力を生んだ…。それが今在る忍界の騒動の元凶だと思います。その意味で大蛇丸がミスリードしたカブトの動きに整合性がないのが気に掛かりますが、大蛇丸の悪ふざけなのか?業務のアウトソーシングなのか?ま…何だか分からなくなって来ました(汗)。しかし、現状、カブトはうちは兄弟に比肩する「力」を手にし攻勢に出ている。見た目はアレせすけど…(汗)。

「サスケ…オレの眼を見ろ!」(穢・イタチ)

「! そういうことか!」(サスケ)

(幻術・写輪眼!!)(サスケ)

(月読!!)(穢・イタチ)



<ズバババババ>(穢・イタチ)

<ズババッ>(サスケ)

ところで、多由也の魔笛・夢幻音鎖で縛られてるのにイタチがこんな感じで「説教」できるって事は、この幻術が四肢の動きのみを拘束するのでしょう。それを察したイタチはサスケに目配せします。きっと首も拘束されてないんです。勿論、思考も制限されていません。サスケはイタチの考えに気付き、イタチに幻術を掛け操作した。イタチもサスケに月読を掛け、サスケの身体を操った…と、まぁ…こんな感じで多由也の幻術に幻術を被せて幻術を返したのだと思います。髑髏(しゃれこうべ)の絨毯(じゅうたん)で白蛇が四肢に絡んでるのが多由也の幻術のイメージで、二人はそれを互いに幻術を掛けて解き合ったって事でFA。イタチが穢土転生を返したのと同じ理論かなと思います。

<ガッ>(双魔・大蛇丸)

「…………」(カブト)

「これよりイザナミに入る…
お前はもう…失敗したんだ…」
(穢・イタチ)

<フッ…>(穢・イタチ)

<ドサ>(カブト)

「終わったのか?」(サスケ)

「………」(穢・イタチ)

<ズバ>(カブト)

そして、大蛇丸の正体である白蛇を幻術から復帰した二人がまた”須佐能呼”を出して阻む。多由也の幻術で”須佐能呼”が維持できなくなってたんでしょうか。それだとイタチやサスケが写輪眼の瞳術である幻術を使えたのは変なので、”須佐能呼”も自由に使えたんだけど、幻術にハメられて失った自由を取り戻す為に一旦、”須佐能呼”を解いて二人で幻術を掛け合った事にしましょう(汗)。イタチはイザナミの為に”須佐能呼”を解いたが為にカブトの手刀で胴体を真っ二つに切断されちゃうんですが、それも写輪眼の瞳術と”須佐能呼”が同時に使えない制約みたいのがあるのか?しかし、それだとサスケの炎遁・加具土命が説明できないので、いろいろとある…という事で納得しましょう(笑)。

それで、イタチの「説教」に感化されたのか?大蛇丸の白蛇を防がれた直後、カブトがを流し始めます。僕はこれがイタチのイザナミの影響だと考えています。その後、イタチが”須佐能呼”を解いたと同時にカブトが<ドサ>と倒れるんです。しかし、その直後に大蛇丸の白蛇の口からカブトが飛び出してイタチを真っ二つにしてしまいます。この時、カブトは医療忍術手刀メスを使うんです。きっと「医療忍術=マザー」というのがカブトにはあって、それでイタチを真っ二つにしたのはカブトの意地だったんだろうと考えると…が頬を…(笑)。笑っちゃいけないけど、何とも合理性を欠く描写が、全部イザナミ「夢オチ」っぽくて、うまく説明できないのは「夢」だからだろうFA

そして、カブトがイタチを真っ二つにした後、驚くサスケと穢土転生の塵芥が綻びるイタチの顔が挿入されるんですが、イタチの右眼が真っ黒になっています。これは「一発目のイザナミ」がイタチから「光」を奪った描写なのではないかと、僕は考えています。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」ということわざがあって、映画のタイトル(ちょっとHな映画だったかも)だったか、小説だったか…確か「悪い事は二度ある」と言いたいのだと、僕は認識してて、ダンゾウのイザナギを参考にすると、片目で「一発」ですから、イタチは「二発」イザナミを放てるのです。つまり、カブトがイタチを真っ二つにするまでが「一発目」のイザナミで、イタチの事だからトドメの「二発目」がこの後に控えてると、僕は読んでおります。

全てを持ってた天才には分かりようがないよ
…ボクはボクをボクにしたいだけさ」(カブト)

「誰にも邪魔はさせない」(カブト)

カブトがいてますよね。このがイザナミの術中を示してるんじゃないかと思います。そもそも請われてないのにいきなり「自分語り」を始めちゃったカブトって、既にイタチのイザナミの術中だなFAと思ってましたが、きっとそういう事なんですよ(笑)。カブトはカブトである為に「勝ち続けなきゃならない!!」と思ってるんです。それって尾崎豊さんの名曲「僕が僕であるために」のように孤独な気持ちなんだろうな…それで泣いてるのかな…なんて考えてると悲しくなりました<ツー…>(←涙)尾崎豊さんは全身傷だらけで倒れているところを見つかって病院に搬送され、その後、肺水腫だったかで呆気なく死亡する…事になる。変死に近い最期だったと、僕は記憶しています。

僕が僕であるために 作詞:尾崎豊 作曲:尾崎豊

心すれちがう悲しい生き様に
ため息もらしていた
だけど この目に映る この街で僕はずっと
生きてゆかなければ
人を傷つける事に目を伏せるけど
優しさを口にすれば人は皆傷ついてゆく

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

別れ際にもう一度 君に確かめておきたいよ
こんなに愛していた
誰がいけないとゆう訳でもないけど
人は皆わがままだ
慣れあいの様に暮しても 君を傷つけてばかりさ
こんなに君を好きだけど 明日さえ教えてやれないから

君が君であるために 勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
君は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない
正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで
僕は街にのまれて 少し心許しながら
この冷たい街の風に歌い続けてる

僕はカラオケが大好きで、尾崎さんの曲もよく歌います。何とも心に染みる歌詞で、彼の死を各紙が「夭折」(ようせつ)と騒いだのも納得の行く表現だったと今も思います。僕も彼の様に世を儚んだ時もあったと思います。ぶっちゃけ、共感していました。現に今もリアルの世の中は殺伐としてる…のかも知れない。リアルは第四次忍界大戦以上にギスギスしているのかも…知れない。でも、僕も歳を重ねて(歳を取ったのではなくてね)丸くなったのか、イタチの「説教」と相まって、「勝ち続けなきゃならない!!」なんて尖った事は言いません。人は自分が出来る事をすればいい。出来ない事を許せる様になればいい。完全な存在で在る必要はない。そんな感じに肩の力が抜けています。

尾崎さんの死。それを少し思い出してみました。当時は「社会現象」みたく取り上げられてましたっけ。いろんな風説が流れ、他殺説、暗殺説…が飛び交ったな…。世の中は「天才」の死を祭り上げる方向に傾いていました。ある時、ある噂が僕の耳に入りました。民家の軒先…傷だらけの彼の周りには帯びを解かれたばかりの大量の紙幣が散らばっていた…と。それが彼のメッセージだったならば……忍術やチャクラで得られる「力」とは「お金」に似てるな…と思います。豊かさって、「お金」が沢山ある事と同義じゃない。僕はリアルにそれを感じてます。それにはイタチの「説教」も大きく関係しています。『NARUTO -ナルト-』と一緒に歩きながら、そんな風に僕は変われたんだ…。

君が君であるために負けてもいいんだよ頑張るな!!

第585話「ボクがボクであるために」
ナル×ジャン ケルベロス


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第585話「ボクがボクであるために」③

 
<グラ><グラ>

<ズズ…>(鬼童丸…<プクウッ>

蜘蛛巣開!!!)<バッ>(カブト)

「この糸は刀で切れない!」(サスケ)

<ギン>(天照!!)(サスケ/穢・イタチ)

<ボウ>


<ザザザ>(カブト)

「!」(サスケ)

(君麻呂・屍骨脈
早蕨の舞!!)
<バシュシュシュシュシュ>(カブト)

「後ろの奥までクモの糸を仕掛けてやがったか!
後ろはオレがやる!兄さんは前を!!」(サスケ)

<ボウ>「まだ須佐能呼は使えるか?」(サスケ)


「ああ」<ザッ>(穢・イタチ)

(炎遁・加具土命!!)<ズバ>(サスケ)

カブトは「自分が何者か知りたければ―この世のあらゆるものと情報…それらを集めつくしさえすればいい…」という教唆に身を任せ「ずっと付け足してきた…」と言っています。それが合成獣・カブトを創り上げた訳です。ドサクサに紛れてスルーしてましたが、大蛇丸がカブトを唆した「アイデンティティ論」には些か無理があると、僕は考えています。そもそも大蛇丸「…私も自分が何者かを知りたくてね」(ep584)とカブトに告げたのからして疑わしい!!大蛇丸がなんで「自分」が分からなかったんだか…。大蛇丸には「全ての真理を解き明かす」という「夢」がしっかりと在りました。それに向かって自分の里まで興しちゃった人にアイデンティティ無い筈が無い!!と思うんです。

カブトは大蛇丸されたんじゃないかと、やはり僕には思えてならんのです。ぶっちゃけ、カブトは大蛇丸に利用されたんじゃないかしら…と、僕は考えています。大蛇丸「収集」をカブトに提案しました。それは、収集したモノや情報の中に「自分」(を理解するにたる何か)があるからなんだけど、賢い大蛇丸にしては非常に回りくどいです。ま…大蛇丸「夢」に相乗りする形でカブトが自分の「役割」に気付いて、アイデンティティを獲得したという風に理解する手もあるんだけど、それならそうと教えてあげればいいのに…(笑)。大蛇丸は音隠れの里の人体実験施設をカブトに与え、あの巨大な濾過器でありとあらゆる能力や才能を集めさせようと企図したんじゃないでしょうか。

まさか、その濾過器に自分が入る事になろうとは思わなかったかも知れない…もっと言うと、サスケにやられたアレはホントに大蛇丸だったんだろうか…と未だに疑問符がついて回ります。僕は万華鏡写輪眼を開く前のヒヨッコ・サスケ大蛇丸が切り刻まれ、不死転生の結界空間ごとサスケ(ごとき)に大蛇丸が乗っ取られたのは納得できないで今日まで…(笑)。それにオリジナルの大蛇丸を取り込んだカブトが「まだ…足りない…」(ep584)と言うかしら。そもそもカブトとは「大蛇丸様が死んでから…自分が何者かまた分からなくなった…」(第39巻/132頁)と言ってた人なんですから。そして、出来上がったのが、こんなパッチワークのキメラで、何だかイザナギユニットのダンゾウを思い出させます。

ところで、サスケが「兄さん」と言いましたね。言っちゃったよーッ!!(笑)その上、イタチの身体を心配(まだ須佐能呼は使えるか?)したりなんかして、サスケのツンデレが爆発してるようです。カブトのドサクサに乗じて、サスケはイタチを許せたんじゃないかな。だとしたら穢土転生も満更意味の無い忍術でもなかった訳だ。基本、この忍術を開発した二代目火影・扉間も、純粋に柱間にいろいろと聞きたい事があって考案したんじゃないかと思うんです。今大戦においても少なからず思い遺しを果たして御霊が成仏していますから、穢土転生本来在るべき姿が何となく発揮されているのかも知れません。こりゃKFB終了後の「イタチの訓辞」がいよいよ楽しみになって参りました…はよ…はよ。

ついでに君麻呂の早蕨の舞。これって「屍骨脈」なる血継限界なんですが、陽遁絡みの特殊なチャクラだと思われます。ナル×ジャンではどうにかして「血継限界チャクラ」十種類(5C2に収めたいと躍起になっていますが、陰遁と陽遁の分類で解決できるんじゃないかと期待しています。柱間の木遁は別格としまして、デイダラの爆遁なんかは陽遁絡みの血継限界で、単純に「土+火」の合成チャクラで説明できない術自体が表現する「生命感」としっくり来るんじゃないでしょうか。その他にも「血継淘汰」なんてのもあっていろいろとややこしいですが、その内、キッ神が上手く説明してくれると信じています。無(ムウ)様の「分裂」も六道仙人の体質と関係してる可能性もあり…ブツブツ。

それと、サスケが炎遁・加具土命を使いました。これは黒炎を含む全ての「炎」を操る血継限界だと思われます。一瞬、炎遁がイタチの求めた「うちはの高み」かと思ってたんですが、イタチが完璧にスルーしていまして、メチャクチャ忙しい最中ですんでアレですが、サスケの万華鏡写輪眼の二つのオプションの内の一つに過ぎないのかも知れません。炎遁・加具土命は燃費の悪い万華鏡写輪眼の瞳術である"天照"の発動回数を黒炎の使い回しで減らせるので、非常に効率が高い筈です。一度発生した黒炎をホバリングさせて「黒炎の盾」として防御にも応用できますし、黒炎を槍状に加工して武器化したり、攻防の繋がりが非常にいい。カブトが自分を人質にしてやっと均衡してるだけなのよね。

<グッ>(双魔・君麻呂)

<パキ>(双魔・君麻呂)

<ズズズ>(双魔・君麻呂)


「奥に逃げたか…」(カブト)

(多由也・魔笛夢幻音鎖!!)

「でも無駄だよ…!」(カブト)

僕は君麻呂の「かぐや一族」が微妙に「湿骨林」と関係してるんじゃないかと考えてるんですが、「屍骨脈」という血継限界や、君麻呂の「骨」が擦ってるだけなんで根拠はありません(笑)。それに、三忍の自来也が「妙木山」に、大蛇丸「龍地洞」と関係があったのだから、綱手が「湿骨林」と関係してても変じゃないし(笑)。カツユと「湿骨林」が関係してたらビンゴなんですが、そうなると「蛞蝓仙人」ですよね。塩を掛けられて瞬殺されそうで恐いけれど、三忍が忍界の騒動に絡んでて貰えると非常に有り難いので、「湿骨林」「骨あり」なのか「骨抜き」なのか?全く根拠のないお話で申し訳ないですが、キッ神が上手く着地させてくれる事を心から祈っております(笑)。

それと多由也は非瞳術系の陰遁使いでした。大蛇丸→カブトの研究は明らかに弟系のアプローチで、忍術の真理に迫ってたんですね。そう言えば、多由也って君麻呂に凄くビビってましたが、多由也の魔笛は君麻呂が供給してたんでしょうか?でも第一部の多由也の魔笛を確認しましたが「骨」っぽくないので却下ですかね。しっかし、第一部(24巻)をザックリ振り返って、知らぬ間に読み耽ってしまいました。やっぱり、あの頃は良かったよ!!キッ神。特にサスケ奪還編の木ノ葉の新世代の戦闘シーンは圧巻。中でも僕はシカマルの戦闘がお気に入りです。対多由也戦がその最高峰でもありまして、第二部の後半…「佳境」という文言が踊り出してからは物足りなさが拭えませんな(汗)。

ところで、「音」を用いた幻術って、術者はそれを打ち消す音波を内部的に発生して幻術を打ち消すか何かしないと行けない筈です。多分、多由也はそれを可能にする特殊な体質かノウハウを持ってるのでしょう。そして、”須佐能呼”に守られたうちは兄弟にも有効と踏んでいたところをみると、カブトは少なくともサスケと対戦する想定があったと考えるべきでしょう。多分、ここにイタチが居なければサスケはとっくにカブトに喰われてましたね(笑)。やはり、イタチの「問題解決能力」と申しますか、「調整力」というものは、それこそ戦局を左右するくらいデカイ。サスケはイタチを観てしっかり学んで欲しい。でも強くなってナルトが困るのもアレだし…イタチ観て改心しようよ…というのは無理かしら。

<ザッ>(サスケ)

<ザッ>「大丈夫かサス…」(穢・イタチ)

<ググ><ビクン><ググ>(穢・イタチ/サスケ)

<ピク><ピク>「…幻術か」<ピク><フォ…>(サスケ)

<ザッ><ザッッ>「お得意の須佐能呼も
音までは防げないよね…やっぱり」
(カブト)

<フォ…>「………」<ピク><ピク>(穢・イタチ)

「…これで動きを止めた…後は」<ズズ…><ザザ>(カブト)

<ズズ>(双魔・大蛇丸)

「大蛇丸様で取り込むだけ!!」<ズズズ>(カブト)

「どうだいサスケくん覚えているかい?
今のこのボクの姿を…」
<シャー>(カブト)

(アレは…)(サスケ)

サスケが微妙にカブトの呼び出した大蛇丸に反応しています。やはり、カブトは大蛇丸を取り込み御し切ったと考えるべきなんでしょうか。イタチの”須佐能呼”の十挙剣に封じられたのが大蛇丸情報生命体としてのコアだったと考えるべきなんでしょうか?しかし、カブトは「能力」「情報」を自分に付け足してこんな身体になっちゃったんだけど、これでホントに「自分」を見つけられたんでしょうか?今まで付け足した「能力」「情報」がカブトを説明する材料たり得たのか?そして、ここで大蛇丸を出して、それを使役している…つまり、目標とした「能力」「情報」を手中に収めたって事なんだろうけど、イタチやサスケに憧れ、取り込もうとしてるって事はまだ足りないんですよ。

じゃ、カブトが御し切った大蛇丸って何なのさ!?って思えませんか?カブトの「飢餓感」とは大蛇丸の言いつけを守って付け足したところで満たされないという事が証明されちゃったって事でFA(笑)。つまり、カブトが音隠れの里の人体実験施設に在るどデカイ濾過器で濾しとった大蛇丸の残骸って、オリジナルの大蛇丸じゃなかった…って事じゃないのかと、僕は考えてしまうんです。そして、大蛇丸がカブトを教唆した「あらゆるものと情報」を集め尽くそうと「自分」が得られる事はない。大蛇丸はカブトを騙したんだという事になるんではないでしょうか。カブトがどんなに強くなろうが、何となく惨めに思えてならないのは、そこら辺に理由があるんじゃないかと、僕は考えております。

そして、カブトがイタチのイザナミにチャッチャと始末されてしまったアカツキには、いよいよ大蛇丸がキタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!みたいな展開ってないかな…あれば嬉しいな…と、僕は思っています。それが成るならば、妙木山、龍地洞が弟系と関係してて、それが兄系の「うちはの石碑」とバランスする「予言」に沿った動きであるならば、きっと湿骨林だって絡んで来ると見立ててもいいじゃない!!と思うのが「人情」だと思うんですがJK。あんまりグジュグジュ考えると底なし沼に沈んで行きそうなんでアレですが、シンメトリーを重視するならば、「うちはの石碑」「予言」が忍界に関与しているのが美しいと思うんだけどな…希望的観測過ぎてごめんなさい。

大蛇丸にもう一度逢いたいな…。

続く…<ゲフォッ>


 
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第585話「ボクがボクであるために」②

 
<バッ><バッ>(カブト)

「奴を殺したら本当にダメなのか?
全て後手に回るぞ!」(サスケ)

「それはダメだと言ったハズだ!
今は奴が戦場を仕切ってる…耐えろ」(穢・イタチ)

「イザナミはまだなのか!?
仕掛けて来る気だぞ!」(イタチ)

「………
こちらも仕掛けてる…
…だがもう少し時間がかかる」(穢・イタチ)

僕としてはカブトの振り返りとはイタチの術中…つまりイザナミの支配下でカブトが「過去」を悔恨し「今」を清算するみたいな流れで自己崩壊していくんだろうなー…と高を括っておりました(汗)。しかし、イタチが「もう少し時間がかかる」と申されておりますので、カブトが自前で自らの陰惨な過去を思い起し、如何にして大蛇丸と出会い、パッチワークの手法を深めてったかを…聞かれもしないのに…淡々と語っていたようです(笑)。これは、もう僕の中では「泣き売り」「バナナの叩き売り」に近いです(笑)。カブトの可哀想さが響かない…と言うか、究極的には「甘えてんなよ!!」で片付いてしまうんではないかと、僕は思います。多分、死んだ婆ちゃんが聞いたらグーパンでカブトを潰します(笑)。

<ズズ…>(カブト)

「大蛇丸様はこう言ったよ」(カブト)

(左近・双魔の術!!)(カブト)

<ズズズ…>(カブト)

(次郎坊・土遁土陸返し!!)<ダン><ダン>(カブト)

「自分が何者か知りたければ―
この世のあらゆるものと情報…
それらを集めつくしさえすれば
いいってね!」<ガコ>(カブト)

問題はどん底に沈んだ(と自分で思い込んでしまった)カブトに刷り込まれた大蛇丸の「アイデンティティ論」にあるのは明白でしょう。何で「この世のあらゆるものと情報」を集めたら「自分」が解るんでしょうか?世界に「自分」とドンピで重なる存在が在るという事なのでしょうか?ここ、全くイミフで理解できません。僕はこの世界に「自分」は一人しかいないと思っています。そうじゃなきゃやってらんない!!と思う質の子というのもあるけど、SMAPの歌にもあるけど「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン♪」というのがあってですね…(笑)。誰かと比べるんではなくて「自分」「自分」でいいじゃん!!と、僕はフツーに思うんですが、変ですか?(笑)

僕が「相対的な価値観」は人を不幸にする…と書いたのを覚えてる人は居るでしょうか?あれって、例えばマイクロソフトのビルゲイツ(めっちゃ大富豪)であっても、もっしかしたら「もっとお金が欲しい!!」とか、「オレって不幸やわーッ」と思ってるかも知んない…思ってたらどうすんの!?っちゅー話ですよ。僕はめちゃめちゃ良い家の子でもないし、めっちゃ稼いでブイブイも言わせてません(汗)。ポルシェを転がしてもいませんし、アークヒルズの摩天楼から地上を眺めて悦に入る成功者でもない。でも不幸じゃないよなー…いやいや…寧ろ幸せ…すっごい幸せだよなーと感謝して日々過ごしております。それが僕の「情弱さ」故の思い違いだったらゴメンナサイなんだけど、幸せなんだから仕方ない!!

幸せって「自分」が感じるものなんだから、「自分」じゃない誰かと比べても物差し(スケール)が違います。誰かと比べるって、物事を相対的に評価するって事だと思うんです。しかし、自分と全くスケールの違う対象との評価をどう受けとめると言うのでしょう。ってか、そんなの無意味だよな…と、僕はフツーに考えてるんです。誰かと比べて競い合って勝ち負け感じて何になるのか?逆に訊きたい気持ちで一杯。多分、それがカブトに感じてる拒否感なんじゃないのかなー…と何となく考えています。そして、こんなカブトにしちゃったのは大蛇丸…なのね。だから、カブトは「自分」を得んが為にイタチやサスケを求めるんだけど、リアルの僕らからしたら、それこそリアリティがない。

ここかなり重要だと思います。ナル×ジャン的に…黒く…黒くなるならば、龍地洞の白蛇仙人→大蛇丸予言の負託があって…となるんだけど、面倒臭いので割愛。取り敢えず、大蛇丸がカブトをミスリードして、世界中から情報や能力を集めさせたのかな…。でも、大蛇丸はサスケに殺されて(ホント言うと情報化された大蛇丸は何処かに保存されていて虎視眈々と窺ってると、僕は思ってるんですけど…)カブトの暴走(=カブチ丸化)が始まった…そんなところかと。カブトが何故、こんなバケモノ(キメラ)に成れたか?っていうところにキッ神が訴えたい問題が横たわってるんじゃないか?しかし、いろんな意味で「親心」を絞り出して黙る事に致します。僕はカブトの「出オチ感」が不憫でなりません(笑)。

ま…話がアレな方向に走ったので戻しましょう。カブトが放つ「左近・双魔の術」。これって、音の五人衆の左近の「双魔の攻」という血継限界の能力(互いの肉体を分離・結合させ、結合中に主体でない方の手足を出して戦闘を行う)ですよね。それを土台に音の五人衆の能力を呼び出してカブトは使い始めます。一瞬、穢土転生の応用かな?と疑いましたが、それだと戦場で封印されたコマが呼べないので、純粋に各個体の組成を術式化(陰遁)しておいて、それを解いて双魔の術で呼び出した左近の肉体の構成を買い替えてるんだと思います。帯び出された音の五人衆が生き生きとしてないのは単なる細胞の塊だからでしょう。魂が降りてない…というか、面白味が感じられない(汗)。

カブトは明らかに陰陽遁を使ってますな。カブトには輪廻眼がないので「なんちゃって」だろうけど、予め用意した陰遁柱間の細胞(白蛇)を用いた陽遁で生み出した生命力で走らせる…プログラム(陰遁)をアウトプットする為の動力(陽遁)みたいな感じですかね。これに似た忍術が綱手の「忍法・創造再生」でありまして、「陰封印・解」とセットになってるところがポイントだと思います。カブトとしてはこんな風に他者の能力を奪い、自分のモノとして使う事ができるんだからやらなきゃ損!!みたいなイジマシイ考え方をしてるんだと思います。カブトがサスケを欲するのは「永遠の万華鏡写輪眼」を持つからでしょう。これこそレアアイテム。カブトの体に移植すれば輪廻眼の出来上がりです。

カブトは神・六道の力を目指してる訳だ…。

あまり面白くないけど続きます(笑)。


  
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第585話「ボクがボクであるために」①

 
「だから…ずっと付け足してきたんだ」(カブト)

「………」(穢・イタチ)

「だから欲しいのは君の説教じゃなく君の能力と情報だよ

…木ノ葉の忍であり有名なうちは一族であり
万華鏡を開眼した写輪眼を持ち…
多くの秘密を持って戦争を止め…
…多くの術と力を持っていた

イタチ…君は君を君たらしめる多くのものを持っていた
ボクの穢土転生にこれ以上の適役はいないよ

ボクのコマはボクの力そのものだ」(カブト)

「買いかぶりだ…
現にオレは失敗した」(穢・イタチ)

「イヤ…君らの前でうちはの名などと強がってはみても…
やはりその名には羨望(せんぼう)するよ」(カブト)

「うちはという名はあくまで血脈(ルーツ)や所属を示す
お前が名乗ったところで意味はない」(穢・イタチ)

<スッ>(サスケ)


<ピクッ>(カブト)

「意味はあるのさ」(カブト)

感想…遅くなってごめんなさい。昨日は疲れて寝てしまいました(汗)。でも、書けなかったのは疲れてた…だけじゃなくて、カブトの生い立ちが不幸自慢にしか思えず、結果感情移入できずにいるからなんだと思います。これがイタチが語る「イタチの真実」だったら、目の下真っ黒にして口から黒い息吐いて、真っ黒けの考察書きまくったろうと思います。それが「虐殺前夜」なんだけど、それすらトビがサスケの「万華鏡の儀式」で喋くった時に慌てて書いたモノでして、口の堅いイタチ本人からは殆ど提示がありません。それが穢土転生を「イタチの力」で返して「さぁ!!KFB(カブトフルボッコ)だッ!!」イタチの再評価があるかと期待したんですが、カブトの独り語り…(汗)。

しかも、それがイタチの提示があって、ナル×ジャンの歪な「アイデンティティ論」が修正され、心の安寧(あんねい)を得たばかりなのに…今さら…カブトの陰惨な過去の振り返りとか、大蛇丸の示した方向性にカブトが乗っかってガツガツやってまーす!!みたな、既にイタチに論破された虚飾にすがり付くカブトに対するどうしても賛同できない想いが僕にはありまして、どうにもこうにも書けません(笑)。カブトの振り返り以降はイタチの「イザナミ」の術中と思われますので、結果的にKFB(カブトフルボッコ)は成ったものと思われますが、それは病魔のハンデのないイタチが万全盤石の真価を発揮して懲らしめる痛快とはほど遠いものでもありまして、些(いささ)か口惜しい&恨めしい…(笑)。

…と、僕までカブトの鬱々とした感じに当てられてしまったみたいでスミマセン。しかし、何の意味も無くキッ神がウダウダやってる筈も無く…確か自来也が「アイツは無意味な事はせん」と言ってたような(笑)…カブトの示す「アイデンティティ論」にも何かしらの意味があうのでしょう。僕はそれをカブトが全身で表現してるのではないかと考えています。「うちはの名」を羨望する割にカブトは自分の外見に頓着してません。お腹から蛇を生やして、出来損ないの龍(仙人モード)になってまで在ると言い張る「意味」とは…何なんだよ!!(笑)思いっきり「出オチ」っぽいカブトが一応体を張って…発揮する「力の是非」を、僕らに考えて欲しいというキッ神の「親心」なんだろうな…と思います。

物語はカブトなんて関係無しに「終末の谷の決闘」に一直線なんだと思うんです。それは「血脈」「血統」という「ルーツ」を持たないカブトにとって参加する資格すらない不条理な流れではあります。僕はイタチに教えられるまで「アイデンティティ」を得る事は悲しい事なんだと思っていました。だから少年少女には勝手に気付いて貰って、僕はそれを語らずに墓まで持って行く所存でした(笑)。だって誰もがナルトやサスケのようには成れないんですから!!カブトはそれが悔しくて仕方ない訳だ。僕だって悔しかった(汗)。それでも僕は僕だから、ナルトやサスケに成れない…取るに足りない存在として「自分」を認識せざるを得ない。ちっぽけで下らない人間なんだと諦めるしかなかった…。

そう考える「アイデンティティ」とは如何にも物悲しい境地でありましょう。しかし、イタチはそれを「違う」(ep582)と切り捨ててくれました。そして「(アイデンティティとは)己ができない事を許すことができるようになることだ」(ep582)と続けたのです。僕はこの一言に心底救われた気がしています。確かに僕は下らなく取るに足りない存在なんだろうと思います。しかし、こんな僕にだって出来る事がある。それを一心不乱に磨けばいいのです。自分が何でも出来る!!何者にも負けない!!存在である必要はないのです。自分ができない事は誰かに任せればいい。その為に人は繋がれる!!そう教えられて僕の心は軽くなった…。諦めなくていんだ!!僕は自分を許す事が出来た…のです。

僕は不遜にも独りっきりでも生きれると思う人でした。何故だか小さい頃から独りが好きでスケッチブックに下らない絵ばかり描いてましたっけ。乱暴な言い方をすれば「独りっきりでも存在できる事」「アイデンティティ」だと思ってたフシが多々あります(汗)。それが僕の「独善」を創り出し、ネットに「ナル×ジャン」なんて記述を浮か”スノッブ”を気取っていたのです。それが僕の「偉そうな物言いの正体」だった訳だ…。奇しくも?…僕は血反吐を吐きながらも「ナル×ジャン」を続けて来れました。どんなに気持ちが落ちようと、ペインのロケット弾が忍者の存在をメチャクチャに蹂躙(じゅうりん)しようが、僕は書く事を止めずに居られました。そしてイタチが諭(さと)してくれた…。

「自分を知るということは
全てを成し完璧になることではないと

やっと分かる」(穢・イタチ)

第582話「何も無い」でイタチは…イタチ程の存在が、そう言ったのです。僕はナルトにもサスケにも成れない…況(いわん)やイタチをや(笑)…でも、それでいいんだ!!何でも無い…取るに足りない存在。下らない人間だろうと、それを認める事は諦める事とは違う。僕は僕でいいんだ!!そう教えられ、そう気付き、僕は僕を許せた。この気付きは何とか書き続けたケルベロスへのご褒美だったのかも知れない…と、僕には思えてなりません。僕は書き続ける事で皆さんと繋がって来れた。それは『NARUTO -ナルト-』の旨味とか凄味(すごみ)を皆さんに伝えたい老婆心の成せる業だったけれど、その行いが「ナル×ジャン」を保ち、「ケルベロス」の外形を創り上げたに他ならない。

「アイデンティティ」とは諦める事なんだ…そんな悲しい事は少年少女には伝えられない。だから墓場まで持って行く。そういう考え方をしてた僕が書き続けられたのは、『NARUTO -ナルト-』が素晴らしい作品だったから…だけではなく、皆さんが居たからなんだと、僕は思っています。だから、感謝しています。僕は書き続けた…と僕は言ってしまったけれど、ホントは皆さんが書かせてくれたんだと言うべきだろう。それは300万を超えたカウンターが証明してる。皆さんが居たからこそケルベロスケルベロスたれたのだ。それがケルベロス「アイデンティティ」なのである。僕は何でも無い下らない人間だけど書き続ける。そりゃ血反吐吐こうが目の下真っ黒になろうが書き続けますって(笑)。

僕が僕である為に僕は書き続ける…のだから!!

続きます!!…続きますとも<ゲフォッ>(←吐血)。


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僕が僕である為に…(120514)

 


仕事が多忙につき「感想」は本日夜半から明日にかけてのアップとなります。楽しみにして頂いてる方には申し訳ない。カブトの中二病をどんな風に説明すればいいか?じっくり考えながら仕事の荒波に揉まれてみます(笑)。しかし、イタチ兄さんは凄く良い事を言うね。カブトじゃなくサスケに贈る言葉なんだろうか?もしもそうだったらカブトがより一層不憫です(笑)。季節の変わり目…皆々様方もお身体にはご自愛ください。僕が僕である為に僕は書き続ける…のだ!!

また今夜…。

ナル×ジャン ケルベロス

 
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勧善懲悪(ep584補足)

 
「今までのものが納得できないなら…
代わりのものを見つけて次々に足していけばいいだけのこと」(大蛇丸)

「…私自分が何者なのか知りたくてね
あらゆるものを集めているの

少しずつ集めた多くのものから実験と検証を繰り返し…
知識と能力を己に蓄積させていく

そしてそこから新しい完璧な自分に向かって…
生まれかわっていく」(大蛇丸)

「自分が何者かだって
この世のあらゆるものと情報
それら全てを集めつくしさえすれば
導き出せないハズないのよ」
(大蛇丸)

マザーを殺めてしまったカブト。その前に満を持して登場した大蛇丸。そこで大蛇丸がマザーがカブトを忘れていたカラクリ。”根”のやり口。それと「自分」の見つけ方…等々を話します。その前に、”仙人モード”を会得して天辺を取ったような気になっているカブトに、イタチが考える「アイデンティティ論」を提示したんですが、僕はそれに思いっきり感化されてしまい、大蛇丸が語る事が「今さら…」と思えて筆が折れ…もとい…渋りました(笑)。確かに”根”のやり口は尋常ではありません。カブトがどんな想いで孤児院を去り、その真相を知ったマザーがどんな想いでダンゾウと取引したのか…そこまでするかよッ!!と、まぁ…多分、皆さんと同じように腹が煮えたぎって…(汗)。

しかし、そこで僕はダンゾウの「立場」とか「役割」について考える訳です。ダンゾウは木ノ葉の”FBI”みたいな部署のボスなんだよな…。岩隠れと戦争してるんだよな…。他の国とも水面下では色々とあるんだよな…などと、これも、ま…容易に想像できる訳です。スレッガー中尉じゃないけど、「悲しいけど…これって戦争なのよね!」な世界観の中にダンゾウは居るんですよね。その男が「木ノ葉を守るためなら安いものだ!」と言っちゃうのが、マザーとか孤児院の重さだったんだろうなー…と、何となく感じちゃいました。ダンゾウはある意味、冷静に「命の重さ」を図ってたのかも知れないな…と、僕にはとっても出来ない芸当だけど、ダンゾウの「立場」とか「役割」とはそれを考える必要があるのね。

ぶっちゃけ、『NARUTO -ナルト-』の登場人物って多かれ少なかれ「殺し」をしています。イタチだってカカシだって「任務」というオブラートに包んで人の命を奪ってるんです。カカシなんて千鳥で「白」の心臓を貫いたし、暗部としてブイブイ言わせてた頃には血で血を洗う日々を送ってた筈なんです。イタチなんか一族全員を、剰え、父と母を…もしかしたら殺めちゃったのかも…知れないんです。一人殺すか?大勢を殺すか?その程度の違いを容姿とか態度とか…臭い?で、それこそ「好き」か「嫌い」で、ダンゾウは悪くてイタチは良い…みたいに、僕は感じていたんではないかと思うんです。そこからすると、大蛇丸はいろんな意味でブレない人だったのかも知れません(汗)。

ま…そんな風に反省しながら、それでも筆が進まず、TVドラマなんかを観ていました(笑)。ちなみに、今クールは良作の大豊作期でして、HDが常にパンパン(容量チッチャ!!)です(笑)。中でも一番のお気に入りがフジ(CX)の火曜日九時の「リーガル・ハイ」でして、音痴でドジで天然だけど、可愛い黛・新垣(ショートカットが新鮮)に首っ丈でメロメロで毎週楽しみのケルベロス一押しのドラマであります。ザックリ言うと「金になる訴訟だけを取って来い!!正しいかではない!!勝ったものが正義なのだ!!」と公然と言い張る古美門・堺が提案する司法物なんだけど、一見、悪徳弁護士!?みたいな気もしちゃうけれど、どっこい実はそうじゃなくて、結構深いお話なのです。

リーガル・ハイ第四話予告引用:昼寝中の古美門研介(堺雅人)に、黛真知子(新垣結衣)が持ち込んだのは、日照権を巡る訴訟。近くに建設中の高層マンションのために、自宅が日陰になるという主婦、桑田久美子(村井美樹)の訴えだ。相変わらず、黛が持ち込む案件に興味を示さない古美門。そんな時、久美子から町内会で弁護士を立てることになったと黛に断りの連絡が入った。→翌日、黛が事務所に行くと、金になる仕事が入ったと古美門に連れ出される。向かった先は、建設会社。黛には聞き覚えのある会社名。それは、久美子が訴えようとしていた建設会社だった。会社の依頼は、まさしく久美子の町内会から訴えられた工事差し止め請求。町内会が選んだ弁護士が、この手の訴訟のプロで企業から多額の賠償金を勝ち取ることで有名な大貫善三(大和田伸也)だった。そのため、多少の費用はかかっても連勝中の古美門に声がかかったのだ。→黛は久美子の話に親身になっていたため、依頼を引き受ける古美門に文句たらたら。一方、会社側から示談での解決を求められた古美門は、黛を引き連れて住民説明会へ赴く。早速、住民代表の大貫とぶつかり合う古美門。裁判で決着をつけようと言う大貫に、古美門はクライアント無視で応じてしまう。→ところが、翌日すぐに大貫が古美門を訪ねてきて示談に応じると言い出す。信じられない黛。大貫の示談金、一世帯当たり500万円の提示に、古美門は5千円で応酬。古美門と大貫。大物弁護士の示談対決は本番に入る。

正義感……一途に突っ走る黛・新垣を「作り話」で古美門・堺が一揺らししただけで、黛・新垣の「正義」が揺らぐ…そんなシーンがあったんです。僕はふと、それが大蛇丸(古美門)に出会ったカブト(黛)とシンクロしちゃって、その直後の古美門・堺の長セリフに<コロッ>っと落とされてしまいました(笑)。古美門・堺は「感情」に流される黛にしっかりとした「立場」「役割」に根差した「正義とは何か!?」を提案してみせたのです。その時、古美門・堺がダンゾウの弁護をしたらどうなるんだろう…。もしかしたら、孤児院やマザー、それとカブトが敗訴しちゃうんじゃないのかな…と、あらぬ想像をして<ワジワジ>しとりました(笑)。

以下、耳コピー参照。

「君が”正義”とかぬかしてるものは
上から目線の同情に過ぎない
その都度…
目の前の可哀想な人間を哀れんでいるだけだ」(古美門・堺)

「でも…だったら…
それを否定したら”正義”は何処に在るんですか?」(黛・新垣)

神でもない我々にそんな事解る筈もない!!
”正義”は特撮ヒーローものと
少年ジャンプの中にしかないものと思え!!

自らの依頼人の利益の為だけに全力を尽くして戦う!!
我々弁護士に出来るのはそれだけであり
それ以上の事をするべきでもない!!

分かったかァ!!……朝ドラ!!」(古美門・堺)

「…もし桑田久美子が君のアドバイスに従い
私のやって来た事が水の泡となった時…
その時は…その弁護士バッジを外せ!!」(古美門・堺)

ざっくり説明すると、日照権の訴訟で、たまたま黛・新垣の心に引っ掛かった桑田に対する、ある種、独善的に溢れた「感情」を、古美門・堺は<バッサリ>と断ち切った訳です。そもそも黛・新垣は「弱者」を救う為に弁護士になったのです。その一途さを、僕は気持ち良く味わっているし、それがキャラとしての黛であり、愛される部分なんだと思うんですね。凄くピュアで素晴らしいと感じています。でも、その所為で見えなくなっているモノもあるのだと、古美門・堺は気を吐く訳。その切れ味が、まるで大蛇丸の振るう「草薙の太刀」のようで…。古美門・堺の淀みない長セリフに何をか感じ、黛・新垣は一つ階段を登る…そんな風に見えたシーンでありました。

「悪徳企業をのさばらせるのか?!
………いいですか!?皆さん!!
この国の諸悪の根源は政治家とゼネコンだ!!
奴らに血反吐を吐かせるんだ!!」(人権派弁護士・大和田)

「そんな事して何になるんだ!?」(町内会長)

「社会正義だ!!」(人権派弁護士・大和田)

「それはアンタの自己満足だろ!?」(町内会長)

「リーガル・ハイ」とは法廷闘争物で、古美門に言わせたら「正義」ではなく「勝ち負け」を描いてるんですね。結局、第四話も無敗・古美門が勝っちゃうんだけど、敵になった人権派弁護士・大和田と原告代表(町内会長)が口論になるんです。この時の人権派弁護士・大和田と黛・新垣はドンピで重なってて、大和田を完膚なきまでに叩きのめす事で、故美門・堺は黛・新垣を教え導く…という実に深いお話だったのです。黛・新垣は「自己満足」でクライアントと関わってたんだと気付かされる事になる。何をして「正義」と言うのか?それは、人それぞれ違うのだと、古美門・堺は終始一貫しています。その為に、故美門は「無敗」を貫いている。それが彼の「正義」とでも言わんとするかのように…。

六道仙人は世界にパズルを鏤めてお隠れになった…それが『NARUTO -ナルト-』の全ての始まりなんですが、彼が存命した世界において、恐らく六道仙人こそが「絶対的な存在」であり、六道仙人こそが「正義」だったのだろう…と、僕は思います。しかし、それが無くなり世界のバランスが崩れる…。それが兄と弟の諍いでありまして、結局、世界は「新しい価値観」を求めて胎動しているのだろう…と、僕は考えています。六道仙人は「絶対」として存在した事で「安寧秩序」を実現していたのだけれど、それを善しとしなかったから、延命せず逝かれたのだと思います。そして、兄と弟を「うちはの石碑」「予言」によって交錯させ、「絶対(的な存在)」に頼らない世界を捜させようとしているのではないのか!?

僕は古美門・堺の言葉責めに一瞬、六道仙人が願った未来を感じた気が致しました。恣意的にではありますが、兄と弟が絡み合う「陰陽」の様相が世界にきっと新たなる「価値観」を齎してくれるんではないか?!それを願って六道仙人は自分の全てをバラバラにしたのだろう…と、僕は思います。それはやはり「考えろ!!」という痛烈なメッセージでありましょう。それは偏に「成長」を願った「親心」なのだと、僕は訴え続ける覚悟ですが、じゃ…「新たな価値観」って何なんだよ!?となると思います。「正義」って何なんだよ!!←「少年ジャンプの中にしかないものと思え!!」←少年ジャンプの中にあるって…(笑)が妙に引っ掛かって何度もこの部分を再生して見返しましたっけ。

「…尾獣と一緒に居ることが
不幸せだと勝手に思い込むんじゃねーよ…」(ナルト)

第564話「誰でもない男」(ナルト!!よくぞ言った編)で、ナルトはそう言いましたよね。僕はmjd「ナルト!!よく言ったぞ」と思いましたもの。それを「今」思い出して、兄が酷い人生を背負わされ「うちはの石碑」でミスリード(?)されて「可哀想」と思ったのも、もしかして兄様に「兄で居るのを不幸だと思い込むな」と叱られる!?と不安になりました。そう言えばイタチ兄さんは不平や不満を微塵も口にしませんでしたね。それってちっぽけな「自分」から見えるちっさな「価値観」に左右されてるんだと思うんです。六道仙人は「そうじゃなくって…」と草葉の陰で思ってるわーッ(笑)。もう「善悪」とかない罠。かと言って、ただ殺し合うだけ…ってのも何だか違う気がしている…。

基本的に「相対的な価値観」というものは人を不幸にすると、僕は思う人なんです。「自分」の中の「絶対」が肝心で、だからこそ「独善的なケルベロス」というものが構築されたんですが、「相対」「相対」が擦れ合って、その中で「合意」(コンセンサス)が得られる方向へと物語は転がって行くんじゃないでしょうか。やはり、その中心にはナルトが居て、人を誑(たら)し、尾獣を誑(たら)し、絆が絆を縒れ合わせ大きな「渦」に成ると!!やっぱサスケはボッチの異端児なのか?!可哀想に!!と思うなかれ!!例の「万華鏡写輪眼が三人に…」(イタチ)は、違うやり方で「価値観」を齎す…のかも知れません。「うちはの石碑」にゃ…それくらいのネタが書かれててもおかしくはないのです。

取り敢えず、「正解」は無いんだろうと思います。何が正しくて何が間違ってるとか、誰が幸福で誰が不幸とか…探るのは最早、意味を持たないでしょう。かと言って、それで「自分」がみえなくなる…カブト…もちょっとな…と思います。僕はイタチが教えてくれた通り…自分が出来る事をやろうと思います。僕に出来ることと言えば「相方の散歩」「書く事」くらいなので…一生懸命、書いて行こうと思います。それで僕は皆さんと繋がれるのだ。ホントに「強い」ってのがより多く人を殺せる事でもなく、誰よりも幻術が上手いとか、チャクラ量が多いって事では無い事くらい、薄々勘付いてると思います。物語の落とし所を僕らは今か今かと待ってる…大きな口を開けて待つ「雛鳥」なのだ!!

キッ神が毎週セッセと描く「親鳥」みたいな……。

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第584話「薬師カブト」


カブトの回想が続いています。「根」の一員として諸国で任務に就いていた頃から大蛇丸がサスケに殺されてカブトが大蛇丸を取り込むまで。ノノウがカブトを忘れていたのは「根」による長期的な洗脳だった。ノノウがカブトを攻撃したのは「根」の用意したノノウの任務だった事も大蛇丸の口から明かされる。「根」は最初からノノウとカブトの両方を始末するつもりで二人に任務を与えていた。大蛇丸はカブトを殺す任務を「根」に与えられながら、それを無視しカブトに自分の部下になるように勧める。

以降、大蛇丸とカブトの二人三脚が始まる。音隠れの里の勃興。”暁”との水面下の探り合い。重吾、君麻呂、音の四人衆、水月、香燐…いろんな実験体の想い出。それはサスケが大蛇丸を殺してしまうまで続く。その間、大蛇丸のアジトの実験室の濾過器には「知識と能力」(のエキス?)が蓄積して行く。最後にカブトはサスケに切り刻まれた大蛇丸の骸を濾過器に入れ容器を満たしたエキス(?)を自分に注入する…が、それでも「まだ足りない…コレはまだ…ボクじゃない…!」と吠えて…。

「今までのものが納得できないなら…
代わりのものを見つけて次々に足していけばいいだけのこと」(大蛇丸)

「…私自分が何者なのか知りたくてね
あらゆるものを集めているの

少しずつ集めた多くのものから実験と検証を繰り返し…
知識と能力を己に蓄積させていく

そしてそこから新しい完璧な自分に向かって…
生まれかわっていく」(大蛇丸)

「自分が何者かだって
この世のあらゆるものと情報
それら全てを集めつくしさえすれば
導き出せないハズないのよ」
(大蛇丸)

イタチの「アイデンティティ論」の衝撃が大き過ぎて、大蛇丸の理念がその複製とも言えるカブトで論破されてまして、イマイチ響かなくて困っています。それと「うちはの石碑」(結)で書いた兄系の「ヒール」が酷過ぎる…という想いが「根」ド汚さとキレイに重なってしまって、何か…こうしっくり来なくて。未消化過ぎて上手く書けません。ここはちょっとお時間を戴きましてしっかりと書かせてください。しかし、KFBがこんなところに流れて行くとは…これもまたキッ神の説明責任なのか?!

場所を変えて…続く…続きます(汗)。

 
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「うちはの石碑」(結)

 
「神話は
真実になぞらえて語られる…
かつて六道仙人は忍宗を説き
平和を導こうとしたが…
夢半ばにしてその時が来てしまう

六道仙人は忍宗の力と意志を
二人の子供に託す事にした


兄は生まれながらにし
仙人の”眼”…
チャクラの力と精神エネルギーを授かり

平和には力が必要だと悟った

弟は生まれながらに
仙人の”肉体”…
生命力と身体エネルギーを授かり

平和には愛が必要だと悟った

仙人は最後に死の床で…
後継者を決めなければならなかった…
しかしその決断が永劫続く憎しみの呪いを
生んでしまった」(トビ)


六道仙人の二人の子…兄弟(第49巻/164頁)。六道仙人が輪廻眼を所有し、十尾の人柱力だった事も件のサスケの五影会談乱入の「宣戦」でトビが提示しています(第50巻/77頁)。同時に「人柱力」の封印術システムが十尾を封印して世界を守る為に考案された忍術だった事も明かされています。そして、六道仙人の二人の子を設け、兄に”仙人の”眼”…チャクラの力と精神エネルギー”を与え、弟には”仙人の”肉体”…生命力と身体エネルギー”を与えるように兄弟を生み分けた…と言うよりは、全能の神様にも匹敵する能力を有し、十尾も御し切る正に「完全体」だった六道仙人を、真っ二つに分断するように分けて不完全な状態にするが如く兄弟を創り出したのではないかと、僕は考えております。

「…イザナギとは
本来お前の言う六道仙人の”万物創造”を
応用した術の事だ

もともとうちはと千手は一つだ
その二つの始祖である六道仙人
その二つの血と力を持ち
あらゆるものを創った


想像を司る精神エネルギーを元とする陰遁の力…
それを使って無からを造り
生命を司る身体エネルギーを元とする陽遁の力…
それを使って形にを吹き込む

尾獣達もその一つ…
十尾のチャクラから陰陽遁の力を使い
各尾獣を創造した

想像を生命へと具現化する術

それがイザナギ」(トビ)

第510話「まさかの禁術!!」②(六道の力編)で小南をう…う☆後ろからガッツリと突き刺したトビが禁術・イザナギの説明でこのように言ってました(第54巻/107-108頁)。十尾の人柱力だった六道仙人は”万物創造”により「生命」までも創造できたのです。尾獣もその理屈で六道仙人が造りたもうた「生命」でした。ここでちょっと余談をば少々。チャクラは一応、「土・水・火・風・雷」「五大性質」で一件落着(「チャクラの性質変化6通り」はどうなったのか?(汗)参照)していますんで、五種類しか存在しませんFA六道仙人はそこから「尾獣」という「九種類のチャクラ」を創り出さなければならなかったので、さあ困った…どうしましょうか?!となったのだと思います。

そこで六道仙人五種類のチャクラから任意の二種類のチャクラを取り出す組み合わせ5C2で、新たなチャクラ性質を創出する必要があったのですFA。尾獣は同じく六道仙人が考案した「人柱力のシステム」で人柱力を介して忍界に影響していた筈で、この場合、人柱力が「男か女か…それが問題だ」な訳ですが、どっちにしても人と人の交わりにはあんな事やこんな事がありまして、「人柱力→忍」へのチャクラの伝搬があったものと思われます。それが氷遁、炎遁、灼遁、溶遁、熔遁、嵐遁、沸遁、磁遁、砂遁、閃遁、木遁…十種類(十二種類もありますが…)の「血継限界チャクラ」ではないかと、ナル×ジャンでは予々訴えて来たのであります。詳しくは下記駄文参照されよ(笑)。

「男か女か…それが問題だ」(序)

「男か女か…それが問題だ」(壱)

「男か女か…それが問題だ」(弐)

「男か女か…それが問題だ」(参)

男か女か…それが問題だ」(終)

話を戻すと、六道仙人兄弟の二体も尾獣同様、陰陽遁・万物創造によって拵えたんだと思います。だから厳密に言っちゃうと「人」じゃなくて「人造人間」だったと言えるでしょう。それが人間の女性と交わってチャクラを扱える特別な人間が派生して行った…筈で、先ずは「侍」(サムライ)として世界に関与し、それが「忍」へとシフトして行ったのだろうと思います。恐らくチャクラの運用を重視した正常な進化であり、「侍」は武器に傾倒し過ぎた故に追いてかれたんだと思います。「侍→忍」のシフトは穢土転生軍団にちょっと落ち気味の頃に提示がありましたね。「侍」は性質変化やチャクラ性質に頓着が無く、忍術に相当する概念が希薄で少数派を脱せなかったのではなかろうかと思います。

「仙人は力を求めた兄ではなく…
愛を求めた弟こそ後継者にふさわしいと
そちらを選んだ


長男として当然
自分が後継者だと思い込んでいた兄は納得せず…
憎しみのあまり弟に争いをしかけた

時がたち血が薄れても
二人の兄弟の子孫は争いを続けた

兄の子孫は後にうちはと呼ばれ
弟の子孫は後に千手と呼ばれるようになる

このうちはマダラと
初代火影千手柱間との闘いも
運命だった」(トビ)

第462話「サスケの忍道…!!」(トビ半落ち編)で、トビがカカシ、ヤマト、そしてナルトを前でゲロッた内容です(第49巻/164-165頁)。六道仙人兄弟、二人の男子しか創造していませんから、パンピーの女子と交わり「血が薄れて」しまうのも当然と言えば当然でしょう。ま…交配の早い段階で生まれた女子と直系の男子から発生した一族が兄系では「うちは一族」であり、弟系では「千手一族」「うずまき一族」で、渦潮隠れの里の消滅と共に散り散りになったうずまき一族が人柱力として血継限界一族の核となったのでしょう。これは先にも述べたように「血継限界」の派生に関係してまして、その影響力は兄系弟系両方に及んでいた筈です。また、それに頼らない伝搬も存在したでしょう。

特に千手柱間の「木遁」に関しては扱いが非常にデリケートでありまして、果たして一般的な血継限界と考えるべきか疑問です。それは僕が「木遁」「陰陽遁」の一種、或いは一部分だからではないかと考えているからなんですが、何で柱間だけに木遁が…は未だに謎であります。そもそも「六道の力」を求める輩に「柱間の細胞」は必須アイテム化してますて、輪廻眼の製造工程の重要な鍵となっています。しかし、千手柱間の生い立ちが未だに何一つ語られず、木遁忍術は孫娘の綱手にも伝承せず(汗)。唯一、イザナギユニットを搭載したダンゾウの木遁がかなり洗練されていたのは、大蛇丸ヤマトで失敗(大蛇丸はヤマトの存在を知らなかった)した反動だったのかも知れません。

大蛇丸が「柱間の細胞」の実験体として関与したヤマトの木遁も人工的で加工された材木を発生させているように感じます。”九尾チャクラモード”のナルトの発するチャクラに影響され、ヤマトがその「生命力」を指摘した描写(第54巻/14頁)や、カブトに拉致られたヤマトが外道魔像下の蓮華座に組み込まれて弱いながらも木遁忍術が使えるように強化された白ゼツ軍団が”九尾チャクラモード”の攻撃で樹化する描写は、実験体の生き残りであるヤマトや「柱間の細胞」の培養体の欠損部分を強調しておりまして、それを”九尾チャクラモード”の「生命力」が補完すると考えれば、ナルトが「仙人の肉体」の有り様を示しているように思います。それは同時に柱間の謎の「解」でもあるでしょう。

「うちはには
代々伝わる古の石碑がある

今も木ノ葉の地下にある

そこにはかつての六道仙人
書きつけた秘密が記してある
瞳力がなければ読む事ができず
写輪眼・万華鏡写輪眼・輪廻眼の順に
解読できる内容が増える
」(トビ)

六道仙人が遺した「うちはの石碑」とは瞳力を持つ兄系のみに向けたメッセージであった事は明白です。そして、その内容は瞳力の覚醒ステージに拠って異なります。フガクは万華鏡写輪眼の開眼条件をある程度知っていましたし、サスケも九尾のコントロールや失明のリスクを知ってましたから、恐らく石碑の写輪眼(三つ巴文様)領域には、万華鏡写輪眼の開眼条件やメリット、デメリットが記述されている筈です。イタチが「その写輪眼…お前はどこまで見えている」(第42巻/17頁)とドヤ顔で質問したのは「うちはの石碑」の解読領域に関するものと考えて差し支えないでしょうFA。そして、ガチではありませんが、写輪眼領域の解読内容は巴文様の数で細分化されているのでしょう。

サスケはイタチと殺り合う段階では三つ巴文様で、その瞳力で「うちはの石碑」を読んでなかったのかも知れません。何故なら、「史上最大の兄弟ゲンカ→トビの万華鏡の儀式」のサスケの様子を観察する限り、サスケは万華鏡写輪眼が如何にして開かれるかを知らなかったように思えます。きっと、サスケが「うちはの石碑」を初めて読めたのは「波の国任務」の後で、「うちは虐殺」直後の「そうかそういう事か」は瞳力無しでも読める領域(石碑にグジャグジャと物理的に掘られた文言)が在って「瞳力がないと読めないよ」みたいなメッセージを読んだんではないでしょうか。二つ巴文様の解読内容は三つ巴文様への上がり方くらいですかね。「兎に角、頑張って戦い続けろ!!」みたいな(笑)。

「カカシさん…アナタまさか…」(イタチ)

第二部が始まって直ぐの「我愛羅奪還編」でイタチにカカシが「お前の視力………どこまで落ちてる?」(第29巻/75頁)と煽った直後の…冷静なイタチ(サソリの術のフェイク品ではありましたが)が全身総毛立たせカカシに問うたのは(第29巻/76頁)、カカシが「うちはの石碑」を解読し、まさかの万華鏡写輪眼を開眼した可能性に言及した描写だったと思いますもの。イタチがこんな風に驚くところを見ると、「忘れ去られた伏線集」に集録されてるかも知れないけど…「万華鏡写輪眼を扱うものが三人になる」にカカシは入ってないという事になるでしょう。ということはイタチと密会してたマダラは万華鏡写輪眼の開眼者で、トビ以外のお面ヤローの可能性が微妙に出て来ますよね。

「貴様…オレの体の秘密を…
…あのうちはの石碑を読めもしない
お前ごときが解読したというのか?」
(穢・マダラ)

第560話「うちはマダラ」で、穢土転生で呼ばれたマダラがこんな風に言ってましたけど、在りし日のうちはマダラは永遠の万華鏡写輪眼の開眼者でしたから、石碑の解読領域には輪廻眼の開眼方法が記載されていたのでしょう。だから、兄系でもないのに秘密を知っていた大蛇丸…もとい…カブトを訝(いぶか)しがるのです。多分、マダラの永遠の万華鏡写輪眼には「弟に授けた”仙人の肉体”を手に入れなさい。そうしたら私と同じ眼を授けよう」みたいなメッセージが読めたんだと思います。つまり、「うちはの石碑」には「瞳力の取得方法」が記載されており、その為に兄弟同士で殺し合ったり、弟系の強い個体を探し出してその肉体を奪うよう導くというよりは唆(そそのか)していた訳です。

「おそらくですが……
初代火影柱間と戦った
あの終末の谷で

アナタは死んでなどいなかった

……その時点では…

あの戦いで初代柱間に負けたものの
アナタは柱間の力の一部を手に入れた


…違いますか?」(カブト)

マダラは「うちはの石碑」の記述に従い、終末の谷で千手柱間と決闘したのだと思います。そこで予定通り「千手柱間の力の一部」を手に入れた。恐らく、それが「千手柱間の生きた細胞」で、うちはマダラはそれを自分に移植して輪廻眼を開眼し「全盛期」を迎えるのです。カブトは更に「柱間の細胞」の制御方法を開発していて、穢土転生で召還したマダラを「全盛期以上」に仕上げる事が出来たと思われます。そのノウハウは大蛇丸の実験体であるカブト→ダンゾウのラインで構築されていて、カブトはそれを土台に今度は大蛇丸自身で臨床実験を繰り返し完成度を高めたのでしょう。トビも独自に「柱間の細胞」の移植には成功していまして、トビには唯一の輪廻眼があるから「唯一の六道」なのね。

トビが長門の亡骸から回収した輪廻眼は在りし日のうちはマダラが開眼した輪廻眼であり、うちはマダラが死ぬ前に手下であるトビに託したものでしょう。トビはその眼をうずまき一族の末裔である少年・長門に移植し「六道」を創った訳です。全ては「うちはの石碑」に記載された内容で、つまり「うちはの石碑」には「六道の作り方」が記されている訳です。そして、それは兄系のみに向けられたメッセージだった…。全盛期のうちはマダラはその完成形と言っても良いでしょう。しかし、マダラはそれと同時に死んでしまいます。もしかしたら「柱間の細胞」の毒性に殺られたのかもね。しかし、兄ではなく弟を後継者に選んだ六道仙人が何で今さら兄専の「うちはの石碑」なんか残すのかイミフです。

もっと言わせて貰えるなら、最初から弟だけを創ってお願いすれば良かったじゃないのかしら?しかも争いの火種を残すように自分が選ばなかった兄系を狙い打って「うちはの石碑」なんてメッセージを残して、最終的には弟の肉体を奪って六道仙人を再生する…みたいな教唆しちゃう。これが「安寧秩序」を独り支えていた人のやる事なんだろうか?と疑問なのです。六道仙人って一体どんな人なんだろう?もしかしたら十尾を目の前にアレは「ニャーッ」って叫んでるネコ耳オヤジなんでしょうか?いやいや、アレは「角」でホントに鬼みたいに酷い人なんだわさ!!と考えてみたり…「うちはの石碑」の存在を考えてると、相当ド汚い人物像が浮かぶんだけど、九尾・九喇嘛の回想でアッサリと却下です(笑)。

「私はもう長くない

守鶴・又旅・磯撫・孫悟空
穆王・犀犬・重明・牛鬼・九喇嘛

離れていてもお前達はいつも一緒だ
いずれ一つとなる時が来よう…

それぞれの名を持ち…
今までとは違う形でな

そして私の中に居た時とは違い
正しく導かれる」(六道仙人)

「本当の力とは何か…
…その時まで…」(六道仙人)

(長すぎなんだよ…じじい)(九喇嘛)

第572話「九つの名前」で、めんこい九喇嘛やその他の尾獣達が円座になって、その中央に居る六道仙人の話に耳を傾けていました…。『NARUTO -ナルト-』の単行本の最新刊・巻ノ六十の装丁を飾ってますが、仔尾獣はおぼこくてめんこいです。恐らく、六道仙人が「月」に九つのチャクラに分割した十尾の亡骸を封印した直後…六道仙人の臨終の少し前。幼い九喇嘛が涙目なのはその為でしょう。六道仙人が幽鬼のように清らかに見えるのは「力」を使い果たしたからではないかと、僕は考えています。そして、この円座を見る限り、六道仙人は底意地の悪いネコ耳オヤジでもなく、血も涙も無い鬼のような糞ジジイでもありません(笑)。それよりも不思議なのは尾獣らが凄く良い子な事でしたけど(笑)。

ところで、六道仙人の「いずれ一つとなる時が来よう…」が、当時は「十尾の再統合」だろうと、僕は考えていたんですが、近々にイタチの示した「アイデンティティ論」に啓蒙された僕は考えを変えています。そういう目でもう一度、第572話「九つの名前」を読み込むと、九つの尾獣がそれぞれの「名前」を持ちながら、今までとは「違う形で」ってあるじゃない!!これって分割された尾獣がそのまま「アイデンティティ」を保ちながら共存して行く未来を示唆してるんだと気付くに至る訳です。そして、その「在り方」にこそ、六道仙人が十尾を九つに分割した真意が在るのだと閃いてしまって、久々に背筋に電気が奔りました。当然、十尾の存在とは六道仙人の存在と似たものなんだと思い付く必然♪

六道仙人は何で延命しなかったのか?何たって神様(みたいに全能)なんだから、いくらでも死ななくて済む手段は在った筈なのに…その意味が皆さんには解りますか?きっと六道仙人は世界中の人々にそんな風に質問したかったんじゃないかしら…僕は六道仙人「死を受け容れた理由」を自分達でで考えて欲しいと願ったんだと考えます。きっとこれが「親心」なんだな…と、僕は改めて噛み締めるのです。六道仙人が死を受け容れた深層には、六道仙人は自分一人が支える世界の「安寧秩序」対する疑問があったのでしょう。確かに「六道の力」とは強大で、人々は六道仙人を崇めてさえ居ればいい。しかし、それじゃ世界は何も考えない。それでは人も世界も成長しないのです。

「世界はこれ以上成長する必要などない
無限の月読みの幻術の中で眠っていればいい」
(穢・マダラ)

第562話「己を拾う場所」で…穢土転生で召還されたうちはマダラは確かにそう言いました。恐らく、この考え方は「うちはの石碑」の輪廻眼領域に記載された内容なのではないかと、僕は考えています。兄弟同士で殺し合って永遠の万華鏡写輪眼を開眼したら、今度は弟系の仙人の肉体を奪って輪廻眼を開き「六道の力」を手にしたら、バラバラにした十尾を統合して十尾の人柱力になる。そして、「月」に無限月読を投影して世界を夢に落とす…それが「月の眼計画」の全貌であり、穢土転生のマダラの言い切り方からは「うちはの石碑」教唆が濃厚だと、僕は思います。トビに至っては「全てがオレと一つになる!」(第50巻/72頁)と豪語してまして、一体化願望全開で困ります(笑)。

それと、世界の、人々の、尾獣達の「成長」を願う六道仙人の想いとはほとんど正反対です。僕は「うちはの石碑」を書き始めた当初、これを六道仙人の「解離性同一性障害」(多重人格)で片付けようかしらと考えていました。丁度、同じ時期、穢土転生で呼ばれた無(ムウ)様が「血継淘汰」であり、「分裂」できる体質だったのがヒントとなって、六道仙人が複数の人格が合わさって出来上がっていて、数多くの矛盾を抱えて苦しんでいたんだと説明したかったんですが、「アイデンティティ」「個」「世界」との繋がりの中で説明できる「今」にあって、その解釈は一変したのです。その考えは九体の尾獣達が成す円座の中央に立つ静謐(せいひつ)な六道仙人の姿に拠って補強されました。

六道仙人が自分の死を受け容れたのも、十尾を九つのチャクラに割って「名前」を与えたのも、自分の能力を真っ二つに割るように兄と弟を残したのも、全ては世界の「成長」を促す為だったのだと、僕は考えます。分割された「個」がしっかりとその存在を維持しながら、それぞれが繋がって世界を構築して行くにはどうしたらいいのか?それを「個々」で考えて欲しいが為。人々が、尾獣達が「世界」を感じ、その上で「自己」を感じる。「個」「個」の繋がりが自分で終わってしまわない為には、「個」「(他の)個」を強く意識し与えなければならない。その意義に人々が、尾獣達が真に気付く時、「愛の正体」にそれぞれが気付けるのではないかと、僕は期待します。

その上で、六道仙人「うちはの石碑」を敢えて残した訳です。その意義は六道仙人が自身の存在のみが世界に「安寧秩序」を齎(もたら)す「疑問」に符合するのです。「善」だけでも、「正解」だけでも世界は「成長」できないのです。「善」の対極。「正解」の反対。「光」に対する「闇」もまた必要なのだと六道仙人は考えたのだと思います。六道仙人「ヒール」(悪役)として兄を創り出したのだと思います。しかも追い討ちをかけるように「うちはの石碑」で徹底的にミスリードさせ、艱難辛苦を課します。それもまた人を、世界を「成長」させる為の慮(おもんばか)りであると思われます。しかも、兄系が独走しないように弟系にもちゃんと「道標」六道仙人はしっかりと残しているのです。

僕はそれが「予言」だと、僕は考えております。

「予言通りじゃ…
自来也の弟子二人共が
予言の子として交わり
忍の変革を導く者達だったとは
思わなんだが


あの時…自来也が諦めん選択をした時点で
この事はもう決まっていたのかもしれんのう

……あの本(『ド根性忍伝』)が
本当に世界を変える鍵に
なるとはのう」
(大ガマ仙人)

「終わったようじゃ…」と包帯でグルグル巻きのガマブン太に漏らした後、大ガマ仙人はそう続けました(第42巻/121-122頁)。「大ガマ仙人は何故、ほくそ笑んだのか?」(疑問の考察)では、これを「輪廻眼の解脱」だと説明していましたが、第四次忍界大戦で穢土転生を用いて召還されたうちはマダラの圧倒的な力量を知った今、「ナルトVS長門」の予言の子同士の交わりとは、外道・輪廻天生の術の阻止を意味するのではないかと考えるようになりました。あの戦いとは長門をナルトが説得し外道・輪廻天生の術を木ノ葉隠れの戦死者の蘇生に充てさせ、結果的にうちはマダラの黄泉返りを阻止する戦いであった…大ガマ仙人は真っ白に燃え尽きた長門の死に際に確かにほくそ笑みました。

「…イヤ…長門にしても
オレのための輪廻天生の術を
あんな事に使うとは思わなかった…
裏切るとはな…」(トビ)

サスケを五影会談の襲撃に向かわせた直後、トビは長門の死に言及しています(第48巻/205頁)。そして、長門の外道・輪廻天生の術「ムダ撃ち」に落胆していました。僕は穢土転生の術でなく外道・輪廻天生の術でうちはマダラが召還されていたなら『NARUTO -ナルト-』は終了していたと考える人なので、大ガマ仙人が長門の選択を見てほくそ笑み、予言が成就したかの様な雰囲気になったのが何だかしっくり来ています。その考えを適用するなら、トビは「唯一の六道」と言う割りに外道・輪廻天生の術は使えないのかも知れません。輪廻眼の能力にしても視野共有する外道の術や魔像の鎖など部分的にしか使用していませんから、もしかしたら不完全な「六道」なんではなかろうかと思います。

僕は予てから妙木山大ガマ仙人が啓示する「予言」とはかなり胡散臭いと感じておりました。「うちはの石碑」六道仙人に拠る兄系への関与であると同時に、弟系に対して人の良い蝦蟇(正確には蝦蟇の良い蝦蟇じゃが)に、これまた人の良い自来也みたいな忍に「予言」を与え、選択者として忍界に関与させ、妙木山の独善的な選別により弟子を選別して、早い話が意に沿わない弟子はは自来也に消去させていた訳で、自来也の仙人モードの双肩に二大仙人であるフカサクとシマが乗っかった様など、妙木山の監視以外の何者でもありませんでした。ミナトはそれに気付いていて、仙人モードで二大仙人が融合する「両生の術」八卦の封印式拒絶する設定にしたんではないかと考えております。

実は自来也もその辺に疑問を持っていて雨隠れ潜入任務のペイン戦でワザと殺されたんじゃないかと考えてて、”暁”「うちはの石碑」を叩き台にして忍界に関与するように、自来也も「予言」を踏み台にして忍界に関与してるんじゃないかと考えております。同じように湿骨林(カツユ?→綱手)や龍地洞(大蛇丸)も何らかの形で「予言」との関連があり、ある種の共謀を企ててるんではないのか?!と捏造限界が暴走しております。なので、自来也が忍術すら到底及ばない雨隠れの深海に沈み回収不能で穢土転生されずの行では騒ぎまくりましたっけ(「元…”暁”のメンバーNAVI」参照)。しかし、僕なんかが「予言」を胡散臭く感じるんだから当事者の自来也など疑いまくってた筈です。

六道仙人(の遺志)が各仙人の夢に介入して「予言」をコントロールしてたんではないかと、僕は考えてます<キリッ>。その在り処は「月」が有力と見ています。きっと大ガマ仙人が寝入った頃、「月」から文字通り「天の声」が降りて来て、大ガマ仙人の耳元で囁いてたんだと思います(笑)。ぶっちゃけ…「うちはの石碑」が兄系を瞳力をスペックアップさせる教唆を受け持ち、中二病を拗らせる設定であり、「予言」が弟系の強化を指し示す「道標」として機能してた訳です。しかし、六道仙人には「平和には愛が必要」と最初に答えが在るにも関わらず、選択を後世に委ねたのは紛う事なき「親心」でありましょう。六道仙人は人と世界の「成長」を願っているのです。「成長」とは…(第42巻/30頁)。

「どうするか…自分で考えることだ」(自来也)

「うちはの石碑」(結)
ナル×ジャン ケルベロス

 
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