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第590話「お前をずっと愛してる」⑤

 
(これはイタチの記憶…)(サスケ)

エーッと、肝臓疲労が甚だしい為に縮小版でサクッと行かせてください(汗)。イタチは写輪眼の「瞳力」を使ってサスケに自分の記憶を見せています。ま…この期に及んで「瞳力」はないだろうよ…と、チクと思いましたが、何せ暇がない。この場合、映像が一番情報量が多いですから、記憶を映像化してサスケに渡すのは合理的です。俯瞰した画で提供されるのは、イタチの記憶を元に写輪眼の「瞳力」が当時の光景を再構築しているからでしょう。それにはサスケの記憶も関係していて、イタチの脳内の記憶を利用してサスケ自身がイメージを作り出すようにイタチがサスケに幻術を掛けたのかも知れません。ちなみにイタチの写輪眼が三つ巴なので非月読系の幻術でしょう。

「もう…うちはのクーデターは止められそうにもない
このまま木ノ葉が内戦を起こせば他国が必ず攻め入って来る
…まず戦争になる

別天神を使いクーデターを止めようとした矢先…
ダンゾウに右眼を奪われた
奴はオレを信用していない…
なりふりかもうことなく自分のやり方で里を守るつもりだ

おそらく左目も狙われる…
その前にこの眼はお前に渡す」(シスイ)

「シスイ事件」の記憶。二人が語り合う絶壁の舌は例の「南賀の川」だと思います。シスイはダンゾウに右眼を奪われ、残った左目…別天神をイタチに託すんですね。しかし、ここでもシスイが死んだ描写がない。「穢土転生の秘密」の周辺で、カブトがトビにカマを掛けてましたが、トビは自来也と「うちはシスイ」の名にやや過敏に反応していました。また、ダンゾウは自分の死期に当たって自分の右眼に宿したシスイの写輪眼を消去しています。それはトビがシスイの写輪眼を欲していたことをダンゾウが知っていた証拠であり、後述されますがダンゾウの性癖と言いますかやり口にドンピでマッチします。もしかして、トビが複数いるなら、このままシスイがトビになっていてもいいかな…と僕は考えています。

カブトの穢土転生のコレクションに入っていなかった手練は存命している可能性を残すと思うんです。カブトのエリントに何度も過敏に反応したトビは、カブトが何をか言わんとするのが分かったのではないでしょうか。折しも、「うちはマダラ」の穢土転生をトビは見せられてビビってましたから、カブトが何処まで知っているか探り探りで、時折、カブトがトビの琴線に触れ境界が露になってまして、その一つが「うちはシスイ」でありました。シスイが別の写輪眼を自分に載せて、例えば「トビ」と名乗るのも、この場合、アリかな…と思うんです。ただ、それだと全てがフラットにはならないので、やはりトビが複数いて、イタチと接するトビは別の個体で、最後までイタチを騙し通せたのかな…と思います。

エリント/ELINT:Electric intelligence…電子情報、及び電子情報収集技術。航空機や衛星、情報船などで敵レーダー波の監視や、航空写真などを撮影し、それによって得られた情報を分析し必要な情報を得ること。

しかし、そうなると「シスイの信念」はどうなるのか!?という話にもなってアレなんですけど、結局、何らかの形で世界・忍界の平和に関わりたいと考えて”暁”という組織が存在する可能性も残すと思いますので、微妙に不整合はあるけれど残すと思います。それと未確認ですが”道”という組織の存在(シスイの遺書より)の可能性もあり、それが”暁”の母体で、今後出てこないとも限りません(出て来ない事を祈ります…長くなっちゃうから)。何にせよ、シスイの死体が何処を探しても見つからない…というのが、色々と考えてくれ!!というキッ神のメッセージに思えて仕方ありません(笑)。でも今さらトビが誰だとか、あまり意味なさそうだし読み飛ばしてくれて結構ですけど(笑)。

結局、トビって意識体、或いは残留思念みたいなもので、ぶっちゃけ、うちはマダラの弟であるイズナの意識が、いろんなうちはの身体…例えば、神無毘橋のオビトとか南賀の川のシスイをピックアップして使ってるんだと思うんです。だから、トビは誰なのか?というといに対しては「うちはイズナ」と答えるのが正解だと思えるし、でも外見=身体は「うちはオビト」だったり「うちはシスイ」なだけで、意識が肉体を乗り換えられる可能性を忍術は帯びていますので、こんなアイデアが浮かぶだけで、それにリアリティがあると思うか、無いと考えるかで味わいが変ります。リアル・マダラを見てると、トビの粘着系の気質がマダラのサバサバした感じと圧倒的に違うので、トビ=うちはイズナでFA(笑)。

「三代目はああ言っているが
いざとなれば木ノ葉を守るため動く…
奴はそういう男だ

そうなればあのヒルゼンとて
火影として断固たる処置を取らざるをえん

戦争になろうがなるまいが
クーデターが起こった時点で
どのみちうちはは全滅する運命にある
……何も知らぬお前の弟も含めてな
だがクーデター前なら
弟だけは助かる道もある」(ダンゾウ)

かなり割愛してますが、うちは一族はクーデターを企図していて、木ノ葉隠れを転覆させようとしていたんですね。それを事実と受け容れて、それを止める為にイタチは「うちは虐殺」を遂行したんですね。任務として。しかし、その前段階で、ダンゾウがサスケを餌にイタチを一本釣りしています。ダンゾウの交渉術って似たところで、カブトの「何も無い」で見せたノノウとの交渉でも、カブトをダシにノノウを吊り上げてて、これと全く同じ釣針でした。ダンゾウには獲物が一番食い付く餌が判るんですね。それが何を意味するかと言いますと、一番大切なものが何かをダンゾウは理解できているという事です。人が生きる上で、何を大切に想っているのか?ダンゾウには判る…。

それって、ダンゾウが「愛」を理解してるって事なんだと思うんです。その上で、対象に究極の選択を迫る。そんな交渉術をダンゾウは絶えず行っているのです。だから、ダンゾウもノノウもイタチも全く違うというよりは寧ろ似通った理解力を持ってると思うんです。しかし、ダンゾウとノノウやイタチが違うのは、その「愛」を踏みにじるか?抱き締めるか?の違いなのでしょう。ダンゾウは他者の「愛」を踏みにじった上に立とうとするから、ダンゾウが大切にするものが汚らしく見えてしまう。ダンゾウ本人は「木ノ葉隠れの里」が大切なんだと思ってると、僕は思います。でも、実のところ、ダンゾウは「木ノ葉隠れの里」を大切に想う自分の気持ちが大切なのよ。それが「オレが!!オレが!!」の正体。

ま…それを「偽善」だと思うのだけど、ダンゾウにはダンゾウの「正義」というものがあるのであまり突っ込めません(笑)。今、「兄系」「弟系」の戦いが佳境に入り、世界を眠らせるか、否かの瀬戸際にあります。結果的に勝った方が「正義」で良いと思うんですFA。世界を眠らせたら「兄系」が正義だし、ナルトがサスケと新しい地平を開けたなら、それが「正義」になると思うんです。でも「正義」を考えると『NARUTO -ナルト-』は見えて来ないと、僕は思うんです。でも、僕は人間だからそれじゃ納得できないので、「好き」「嫌い」かで感じる様にしていまして、ダンゾウは大嫌いです(笑)。トビなんかもっと嫌いです。でもマダラは好きだな…。イタチは大大大好きでーす(笑)。

「…それなら話は早い…
ならオレがうちは一族の者で
木ノ葉とうちはに憎しみを持つことも
しってるってことだな」(お面の忍)

ダンゾウの粘着質な感じといい、トビの狙うものって、恐らく一致してて、「写輪眼」なんだと思います。「うちはの石碑」があって、「兄系・うちは」「眼」の大切さを説いておりまして、そのような非道を潜りぬけると、どのように素晴らしい「瞳力」が得られるかを説いてる訳です。それに心酔する二人ですから、兎に角、より多くの「写輪眼」が欲しいのです。だから、「うちは虐殺」を画策するのです。大義名分はどうあれ、彼らは「写輪眼」が欲しい訳です。「写輪眼」の数とは「結果」の数であります。つまり、イザナギです。それが、ダンゾウの「イザナギユニット」だったと思います。あれを組み上げたのは大蛇丸でしょうから、相当、「兄系」を馬鹿にしていたんだと思います(笑)。

あんな効率の悪い闘い方など普通はしません(笑)。それでもダンゾウがイザナギを使いまくったのはそれが「六道の力」だからです。それは六道仙人こそが忍者・忍界の頂点であり、神だからです。ダンゾウは神・六道仙人に成りたかったのです。それらが「うちはの石碑」に記してあって、うちは一族のクーデター然り、トビの溜め息然り、その文言を成し遂げる為に「正義」を尽くしてるだけでありまして、それを知らぬ者に理解などしようがありません(笑)。でも、その真面目さが僕は嫌いです。どんだけ有り難い石碑か知りませんが、何で自分で考えないのか理解できません。トビにしてもダンゾウにしても、どんだけ真面目というかバカ正直なんでしょうか!?(笑)。

イタチは死んでからだけど、その「過ち」に気付いたんだと思います。「兄系」の才能とか運命とか、血とか能力に縛られる人生が如何に下らないか。それに気付けたから、イタチはサスケに「愛している」と言えたのではないでしょうか。基本、「うちはの石碑」とは「愛」を否定するプログラムなのでしょう。「愛」よりも「力」を求める仕組みなのです。それは「兄」が開いた悟りだったのかも知れません。しかし、それを後世に遺したのは明らかに六道仙人であります。それは「兄」の考えを反証させる為でしょう。どうしても教えられない事だってある。親としての六道仙人の悩みだったのかも知れません。しかし、イタチはこうして悔い改める。それがサスケに確かに通じたのです。

「…イタチ…最後に約束しろ…

サスケの事は頼んだぞ」(フガク)

きっと、同じ「過ち」にフガクとミコトは気付き、自分の「過ち」をイタチに正させた。それがフガクとミコトの「うちは虐殺」だったのかも知れません。この時、フガクとミコトが示す、イタチに対する距離感というか尊敬に近い理解は、どうしてもよそよそしく感じられて、イタチが余所の子としか、僕には思えんのですが、イタチはサスケの「兄」であり、サスケはイタチの「弟」で良いのだと思います。フガクもミコトもサスケが自分の命よりも大切だったからイタチに殺される事を善しとし、サスケを任せられたのです。この時。この場でフガクとミコトに介するのがサスケであれば…イタチはその可能性を呪ったのです。それは決してイタチには出来ない関わりだったから。

イタチの「後悔」というものは、その関係性の濃さに起因するでしょう。フガクは決してサスケに「優しい」とは言わないと、僕は思うんです。そう言ってサスケにされるような事もなかったと思えるんです。イタチのにはそういった悲喜交々が混ざっているように僕には思えます。そう考えると、黒くなって来ませんか(笑)。そうやって迷えばいい。惑えばいい(笑)。その上で「愛している」とサスケに告げたイタチの想いを、もう一度考えて欲しいです。そして、サスケの混乱を考えて欲しいです。もう何が何だか判らなくなります(笑)。そのくらい、イタチの「一言」はいろんな気持ちを含んでいます。それはイタチがこの期に及んで「瞳力」に縋ったのと強ち無関係でもないでしょう。

そうまでしてイタチが伝えたかった想いを、僕らも咀嚼しないといけないでしょう。ぶっちゃけ、イタチはサスケには少なくとも自分と同じ轍失敗は踏んで欲しくないと思ってる筈です。きっと、自分とは違う生き方をして欲しいと願っている。そして、その期待とはナルトの存在に大きく変えられたものだと思います。イタチはナルトに触れて「こういう生き方もあるんだ」と触発されたのではないでしょうか。その明るさ。大らかさ。温かさ。イタチはナルトに多大な期待を寄せています。そして、サスケに再起できる余地を与えようともしています。まだ間に合う。それは今にも消え入ろうとする自分だけではない…のかも知れません。イタチは確かに「心」を感じ行動しているのだと、僕には思えてならないのです。

第590話「お前をずっと愛している」
ナル×ジャン ケルベロス

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第590話「お前をずっと愛してる」④

 
「少しずつ意識が遠退く感じだ……」(穢・イタチ)

<ザッ>(穢・イタチ)

「……!」(サスケ)

「さよならの前に…
お前が確かめたかったことを教えよう
…もうを吐(つ)く必要はない…

お前と別れたあの夜…
オレのやった事は
ダンゾウやトビの…言った通りだ」(穢・イタチ)

「!!」(サスケ)

「お前に…全ての真実を見せよう」<ギン>(穢・イタチ)

穢土転生・解であちこちの穢土転生が消失して行く中、イタチも今まさに消え入ろうとしています。イタチはこの直後、感動的な一言をサスケに伝えるんですけど、それだけだと情報量が圧倒的に少ない。サスケが知りたがった「真実」にも応えねば、本当の意味で「約束」を果たした事にもならない。それでイタチはここで写輪眼の瞳力を用い、サスケに「虐殺前夜」をイメージとして伝えます。ホント言うと、イタチがサスケと関わるに当たって「瞳力」は使って欲しくなかったんだけど、ま…時間がないんだから仕方ない(笑)。何でも都合良く出来ちゃうところにうちは一族というか忍はスッ転んでいるので、そういう小細工が「真実」を見え難くしてるところに気付いてよ!!

…と思うんだけど、イタチはしっかりそれに気付いているにのでホントに時間がなかったからなんだろうなと思います。しかし、これが出来るなら最初から…うちは虐殺直後…サスケにホントの事をそっと伝えても良かったんじゃないのか?と、ふと…ふと思ってしまいますが、あの頃のイタチは一人で完結する「完璧」をサスケに再現させたかったんですよね。それが万華鏡写輪眼の開眼条件だった「大切な友を殺す」という「嘘」だったのかも知れません。第一部の「終末の谷」で、サスケが素直だったらナルトを殺して、その細胞を…みたいなスケベ心がイタチに在ったのかと思うと、うちはの業の深さに唖然とします(笑)。イタチはサスケを不幸のズンドコに沈めなければならなかった訳だ。

そもそも人間のマイナス面SWの「暗黒面」ですな…に発達の活路を見出す「兄系」って暗いです。仲間同士で殺し合って、イザナギ…結果的に「眼」を奪い合い結果を操作していった訳で、その為に「弟系」の忍から細胞を鹵獲して自分の身体に埋め込むのが常識みたいな闇歴史を引き摺っていて、トドメに「眼」の交換を特殊な間柄で成立させる事で能力が定着する…永遠の万華鏡写輪眼…みたいな手法が、どうしても「血の涙」を流すイメージがこびり付いていていたたまれない(笑)。結局、うちは一族は爆発的に増殖できない構造的な問題を抱えていて、それが「弟系」の数の理論に飲み込まれて、更に「闇」に沈んで行くみたいな負のスパイラルが存在したんでしょう。

どうか、イタチが死の後に気付いた愚行に、この際サスケは気付いて、六道仙人がうちは一族を指名して書き残した「親書」であろうとも「うちはの石碑」に制約されない人生を送って頂きたいと思います。イタチがどんな想いで「虐殺前夜」を過ごし、どんな痛みで「あの夜」を駆け抜けたのか?サスケはそれを考えて欲しいです。イタチが「今」、サスケに残そうとしているものに気付いて欲しいです。だから、そのプロセスに「瞳力」はないでしょ…と、僕は思ってしまったんだけど、それをカブトとの対戦中にチャッチャと行うのは余りにも失礼じゃない。イタチもそこまで鬼じゃなかったのね(笑)。穢土転生も早く解かねば五影がペシャンコでしたし(汗)。ま…仕方ない(笑)。

それで、ここから真実の虐殺前夜に傾れ込みますが、諸事情により一気に書けなくて一旦筆を置きます。実は明日は秘密の会合…まさか眼の交換!?…があって、何やら5対5で見知らぬ男子と女子が酒を酌み交わす集まりが某所で催されまして、ケルベロスは「五番」の役所で招集されています。つまり、何か面白い事をせねばならない。取り敢えず「絶対にすべらない話」の過去動画を復習しております(汗)。結果報告は多分ないと思いますが、次のアップは土曜の夜という事でひとつ宜しくお願い致します。ホント言うと、焚き火でも焚いてイタチにはサスケともう少ししっぽりと話して貰いたかったんですよ。カカシがサクモを許したみたいな…サクモがこれで母さんに逢えると言ったみたいな…でもイタチはこれで成仏だな。イタチの御霊はに逢いに行くのかな…。

そのくらい素晴らしい「一言」でしたので(続く)

あと…イタチは「トビ」「マダラ」区別してるね。


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第590話「お前をずっと愛してる」③

 
「土影様…
残念だけどここまでのようです…」(メイ)

「黙れ水影!!」(エー)

<ブン>(須佐能呼)

「ワシはまだ諦めんぞオオ!!」(エー)

<ザッ><バッ>(綱手)

「!」(我愛羅)



<ブワワ>(須佐能呼)

「ん?」<ブワ>(穢・マダラ)

「どういうことだ?」<ザッ>(穢・マダラ)

「術者に何かあったか」(穢・マダラ)

イタチがカブトを操って穢土転生を解いた影響が、五影を困らせていたマダラにも現れます。一瞬、トビがカブトから「穢土転生の秘密」を聞き取って、カブトを欺いてマダラにだけは何か細工を施していたかも知れない…と案じておりましたが、完成体・須佐能呼を披露するマダラもカブトの召還した死人でした。多分、カブトは大戦前に穢土転生の術を発動し、死人を召還し、休眠状態にし待機させていたのでしょう。だから、それを口寄せの術を用いてあちこちに配備したのでしょう。無(ムウ)がマダラを口寄せで呼んだのも、その理屈で説明できます。先にカブトがマダラを穢土転生で呼んだから、マダラの魂を独り占め出来る。そこにトビが付け入るスキがなかったのだと思います。

しかし、カブトは全盛期「終末の谷」千手柱間から生きた細胞を奪い、自分に取り込んで輪廻眼を開眼したマダラを単に召還するだけでなく、全盛期以上に仕上げてしまった。それはマダラが死を逃れられなかった理由とリンクしていて、きっとマダラは「柱間の細胞」を制御し切れず、その侵蝕に耐え切らなかったのではないか?それをカブトが御してみせた。マダラは「柱間の細胞」プロテクトを外す事が出来なくて死んでしまったと思うんです。大蛇丸もその研究の発展途上に在って、それがヒルゼンの屍鬼封尽の呪いとミックスされて弱ってしまい、弱ったところにヒヨッコ.サスケが襲いかかってサクッと消されてしまった。カブトはその失敗を糧に「柱間の細胞」の制御法を見出した。

五影とあろう者が諦めてしまう程、完成体・須佐能呼とは計り知れない「力」を発揮しています。まさに「うちはの石碑」とは、この様な「うちはマダラ」を作り出すプログラムだった訳で、大蛇丸→カブトの研究が、「柱間の細胞」を御す事で、それが完成されたと考えれば、うちはマダラが「死」を逃れられなかったのは、「うちはの石碑」「柱間の細胞」の御し方を記していなかったと考えるべきでしょう。それを六道仙人の想定外と置くならば、「柱間の細胞」毒性…とは千手柱間が独自に付加した六道仙人も意識しないプロテクトであったと考える事が出来るでしょう。つまり、自分の細胞が利用される事を千手柱間は意識して、それを妨害する方向に策を練った…という事です。

大蛇丸は「全ての真理」をその手に収める為に暗躍していました。その弟子たるカブトもそれに準じて動いた筈です。そして、その成果が全盛期以上うちはマダラであったならば、きっと大蛇丸だって草葉の陰で喜んでいる事でしょう。カブトは真面目だから、先ず穢土転生うちはマダラ検証してから自分に適用させて…と考えていたのでしょうが、その堅実さが裏目に出て、穢・マダラ程の「力」を得るまでに時間がかかり過ぎた。と言うか、得る前にうちは兄弟と対戦してしまった。ホントにカブトがやり手なら、トビとかイタチに絡む前にサスケを誑(たぶら)かすか攫(さら)って輪廻眼を開いていればんだと思うんです。ホントのやり手とはそういう動きをすると思います。

こんな風に「うちはマダラの力」五影に見せる前に自分に装備して、自分が世界の王に成ればいいのに…。カブトはインテリの学者だから、先ずは「検証」が大事だったんだと思います。しかし、これは「ラスボスの力」でありまして、ホントに世界を手にしたいのなら、誰にも黙って手に入れるベキだった。よくある「儲け話」みたいなもので、「そんなに儲かるんなら誰にも教えずに自分でコソッとやるでしょ」という事です(笑)。加えて、カブトは世界なんて欲しくなかった。ただ大蛇丸に選ばれたいだけ。自分を認められたいだけの人だったから…こうなってしまったのでしょう。だから「詰めろ」められない。これを「詰めが甘い」とは言い得て妙で皮肉過ぎます(笑)。

でも、ま…うちはマダラ。この「力」を使役、或いは獲得できた者がが世界を盗る。それだけは分かりました。五影という忍界最高峰の「力」も敵わない。そして、それは穢土転生で呼べるし、外道・輪廻天生の術でも呼べる。カブトは既にイタチのイザナミに落ち除外されますので、残るはトビの一択。トビが自分で「うちはマダラ」の力を得る為にはカブトの「柱間の細胞の制御法」を入手する必要があります。それが水月の見つけ出した巻物にあるのか?或いは、外道魔像・蓮華座の下の地下茎に埋め込まれたカブトに搭載されているのか?トビには数種類の選択肢が残されています。それをどう使って来るかが今後の展開の鍵になるでしょう。そして、それにはトビの「形骸化」にも関係するな…微妙に(笑)。

しかし、既に「ラスボス像」というものが見えてしまった。物語的にはそれを如何にして打ち破るかに絞られると思うんです。それを誰が受け持つか?と考えると、ナルトだけだと荷が重そうだし…サスケが居てくれれば…と、僕は甘えん坊なんで、そういう風に転んでしまう。しかし、そうなれば世界がサスケを許す方便になると思うんです。そこにはナルトとサスケの「力」がお互いを潰そうとするんではなく、同じ敵を「力」を併せて打ち破る…ちゃんと向き合い同じ目線に立って…方向に二人が協力できるんじゃないのか?そういう「規制や制約…予感や想像の枠」に収まらない発展を、ナルトやサスケが遂げても良いんじゃないの…それを成すために…サスケをナルトと、世界と繋げる為に、イタチは振り絞ったのだよ。

「お前をずっと愛している」…と。

まだまだ続きますよ…次は「真実の回想」ね。


 
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第590話「お前をずっと愛してる」②

 
<ボワワワ>

(ってことは他の戦場も…!)(ナルト)

(カブトめ…失敗したか…)(トビ)

<タッ>「よそ見してんじゃねーよ!
お前の相手はこのオレだ!!」
<ザッ>(ナルト)

ep590の一等最初から…〆の部分が余りにも良かったんで(…って言うか全てに近い)先にそっちから書かせて貰いました。カブトの穢土転生が解かれたもんでトビが半加工した「テイルズ六道(外道)」が消失します。それをもってナルトはイタチの成功を、トビはカブトの失敗を知るのです。ちなみに、トビも仕立てた「テイルズ六道」とはカブトの穢土転生軍団の中から元人柱力をピックアップし、トビがそれに「魔像の杭」を穿ち、外道魔像の中に封印された尾獣のチャクラを一時的に人柱力に搭載する事で、在りし日の人柱力としての能力を100%引き出すように細工(半加工)しています。しかし、そのままだと六体の人柱力は穢土転生・カブトの指揮下にありますから「外道の術」をその上から被せた。

その為の「テイルズ六道(外道)」だったのだと思います。ただ、トビの輪廻眼の能力は今のところ限定的にしか発揮されておらず、餓鬼道・封術吸印天道・万象天引/神羅天征などではなく、各人柱力の生前の「力」で戦闘を構成していますので、長門が輪廻眼を駆使して「六道の力」を発揮した「ペイン六道」と、トビの「テイルズ六道」はあからさまに違います。なのでナル×ジャンでは(外道)を付加して区別しています。ま…外道魔像に収集した尾獣のチャクラを使えば充分に強力な兵隊が造れますし、必ずしも生前の人柱力が完璧でなかったとしても、「魔像の杭」で完璧に尾獣をコントロールできるだろうから実用上問題なく戦力としては申し分ない。それがトビが安易に走った理由でしょう。

僅かにトビが輪廻眼の全ての能力が使えない可能性も否めませんが、ホントだったら”暁”が収集した人柱力の死体を引っぱり出して「ペイン六道」を仕立てればトビはカブトに借りを作らなくて済むんです。面倒臭かったのか、合理的思考なのか、カブトが召還した穢土転生の元人柱力をトビは使ってしまった…。トビの行動力を鑑みれば”暁”の某アジトから元人柱力の死体(人柱力は殺さずに外道魔像の元に連れて来られ尾獣を抜かれ死んだから”暁”は人柱力の死体を保有している可能性が高い…が、用が済んだら破棄してしまった可能性も高い)を調達するのは造作も無いでしょうに、何らかの事情があったのかトビはカブトの穢土転生「テイルズ六道(外道)」を仕立ててしまった…。

トビが知らない筈は無いと思うんです。穢土転生には死者の御霊が降りるという事を。結果的にナルトは「テイルズ六道(外道)」との交戦中、「心の階層」で尾獣達と、それに関わった元人柱力の御霊と接見する事になります。これが死体を使役する「ペイン六道」であれば、ナルトは元人柱力の御霊に逢う事は叶いませんでした。僕はこれをトビが意図的に行ったものだと思っておりましたが、トビの示す「心」に対する不感症さが余りにも目に付くので、外道魔像同様、尾獣の「力」(チャクラ)は縛れても、「心」までは縛れないのと同じで、トビはナルトが尾獣の「心の階層」契約(九つの名前と約束のチャクラ)を交わすなどと夢にも思わなかったのかも知れません。

それで、「テイルズ六道(外道)」をナルトに打つけてしまった!!それが人柱力・ナルトの真の覚醒の呼び水となり、”九喇嘛・尾獣モード”完成させました。それは”尾獣螺旋丸(=尾獣玉)”完成とも同義でした。しかも、それに尾獣共との契約までくっついて来たもんだからお立ち会い!!トビがナルトの計算外に汗する訳です。ナルトを完成させたのはトビ(のテイルズ外道)なのです。しかし、ここまで唯一、一尾・守鶴だけが出ていません。八尾・牛鬼と九尾・九喇嘛が居ないのは当たり前なんだけど、一尾・守鶴「テイルズ六道(外道)」に組み込まれなかったのは、我愛羅が存命中で、その前任者の個人情報物質が無かったか、「9-3=6」でもう充分だったから(笑)。

ま…いろんな事情で一尾・守鶴が余っていますから、このタイミングでトビが使って来る可能性はメチャクチャ高いです。そして、そこでも一尾・守鶴がナルトに誑(たら)され、「約束のチャクラ」を手渡す…でしょう(笑)。トビは未だにナルトが尾獣共と「心の階層」でよろしくやった事を認知していませんから、「守鶴VS九喇嘛」のリターンマッチがあるかも知れません。その後は八尾のタコ足一本と琥珀の浄瓶の中の金角銀角外道魔像を疑似覚醒させて、不完全ながら「十尾のチャクラ」を使って来る事になるのかな。何だか「風の谷の…」出来損ないの巨神兵みたいでアレですが(汗)。それらが封殺されて「うちはマダラ」に手を出す…のが僕の読み。もし、そうなれば…。

おっと野暮用が…続きは「また明日」

 
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第590話「お前をずっと愛してる」①

 
「…………」(サスケ)

「オレは…
お前にいつも許せと嘘をつき
この手でお前をずっと遠ざけてきた…

お前を…巻き込みたくはなかった…

だが今はこう思う…
お前が父と母を
…うちはを変えることが

できたかもしれないと…

オレが初めから
お前とちゃんと向き合い
同じ目線に立って
真実を語り合っていれば…


失敗したオレが
今さらお前に上から多くを語っても
伝わりはしない

だから今度こそ
ほんの少しだけ
<ザッ>

お前はオレのことを
ずっと許さなくていい…」
<スッ>(穢・イタチ)

「!」(サスケ)

<ガッ>

<グイ>

<コッ>


「お前がこれからどうなろうと」(穢・イタチ)

「おれはお前をずっと愛している」(穢・イタチ)

人生とは後悔の連続であります。あの時…こうしていタラ…ああしてレバ…は言っちゃいけないのだけれど、心の何処かでブツブツと呟いてしまいます。人はその命が仕舞うまで、そういう後悔を繰り返す生き物なのでしょう。それはイタチとて例外でなかった…のです。そして、人は自分が積み重ねた後悔を胸に仕舞い逝く…のですが、どっこい禁術・穢土転生「泣きの一回」を許容しました。僕は穢土転生なんて必要ない。って言うか在ってはならないと断固として譲らない人でしたが、今回のイタチとサスケの存在しない邂逅を演出した一点におきましては許しましょう。でも、ホントは死んでしまったらそれでお終い。死んだら生き返れない。少年少女はくれぐれもお間違い無きよう。

死んだらお終いだから、後悔とかやり残しは生きてる内に果たすべきなのです。死んでから穢土転生で呼んで貰うとか、死んでも外道・輪廻天生の術で生きかえるとか、そんな姑息に逃げるから人生が軽薄になってしまうのです。他者の命とか人生を軽々しく感じてしまうのです。そんな人に誰かを慈しみ大切にすることなんて出来ない。うちは写輪眼の禁術・イザナギだって都合良く運命を変えちゃって、そんな何でもアリな人生なんて詰まらなくて仕方ないでしょうに。しかし、そんな下らなくもチートな忍術にその真摯で誠実な生き様を翻弄されたうちはイタチなれば、今回の「泣きの一回」くらいは認めましょうよ…それは人情というものでしょう。ナルトだって随分と狡い造りでしたし(汗)。

そして、僕はイタチの「一言」に多いに期待し、この人生に「タラレバ」後悔の無きよう連日連夜書きなぐって参りました。全ては本来なら、イタチ程の人ならば生前しっかりと成し遂げられた想いなのだけれど、いろんなオトナの事情、里の事情で成し得なかった想いを、「今」…イタチは最期の死力を振り絞り成そうとしている。僕はそれを感じ、こうしちゃいられないと老婆心を燃やしてしまった。同時に僕の脳の深い部分に在る捏造中枢が必要以上に刺激され、必要の無い情報を撒き散らし、それを読まれた皆さんを混乱のドツボに落としてしまった事をお詫びします(笑)。僕はイタチを尊敬し、信頼しています。彼は僕などに決して出来ない事をやり遂げた人だからです。

それが「嘘」「幻術」で塗り固められた人生であろうとも、その根幹には弟・サスケを正しき方向に歩ませようとする「愛」が詰まっていました。しかし、それはサスケが自ら考え「道」を探していく行為…つまり、サスケの「成長」期待しない思い上がりであった事にイタチは死んでから気付く事になる。ホントの意味で、それがイタチの唯一の後悔だったのかも知れません。イタチはそれをサスケに詫びています。素直に自分の非を認め、積極的にイタチがサスケの人生に関与しないと、イタチは(わきま)えるのです。それもまたイタチの成長でありましょう。だから、今度という今度は…「嘘」「幻術」でなく、イタチはイタチの言葉でサスケに語ってくれるのだろう…と、僕は信じていました。

そして、イタチがサスケに与えるその「一言」が、今後のサスケにとって、サスケがサスケの人生を歩む上において如何に大切か?!それを僕は考えて来ました。イタチの残した「道標」「嘘」「幻術」が指し示す孤独へと続く一本道。それは「うちはの石碑」に沿った兄系・うちは一族の「高み」を目指す強化プログラムだった訳で、サスケはもう光を失う事の無い「永遠の万華鏡写輪眼」を開くに至りました。それは独りぼっちになってしまった…イタチがサスケを独りぼっちにしてしまった事への贖罪に他ならなかったのでしょう。そこには一欠片も悪意なんてなく、親が子を愛するように…兄が弟を大切に思う様に…イタチはイタチができる最善をサスケに施したいと願っただけなのです。

イタチの後悔を誰が責められようか!!誰が非難できようか!!イタチは精一杯生きたのだよ。里の為、サスケの為にその命を燃やしたのだよ。イタチの真摯で誠実な「生き様」を笑えるのはイタチだけなのだよ。僕はこの在ってはならない穢土転生に、その禁忌の功罪に「今」…物凄く感謝している。何度でも言うが、忍術の真理だか何だか知らないが、チート設定に翻弄されたイタチなれば、その忍術に一度くらい助けられたってバチは当たらんだろうよ。勿論、イタチはそれを愚痴ったりはしないし、カブトみたいにいじけもしません。そういう心構えや態度がイタチをしっかりと支えているから、この期に及んでちゃんと約束を果たし、僕らの期待に応えられるのだと、僕は思うのです。

そして…イタチは僕の期待に応えてくれた!!イタチはサスケにちゃんと向き合い、同じ目線に立って真実を語り合ってくれた。そして、今度こそ本当の事を、ほんの少しだけどサスケに伝える事が出来た。それは「嘘」でも「幻術」でもない。イタチ自身の言葉なのである。イタチがサスケの為に発した本心なのだ。もう充分だ。「イタチの生き様」はここに報われたのだ。サスケはイタチとの繋がりを確かに「心」に刻んだのです。そして、その「繋がり」こそ、必ずやサスケのこれからの「人生の礎(いしずえ)」になろうと思います。ありがとう!!イタチ。僕は信じていた。アナタが必ずサスケに伝えてくれる事を。サスケに繋がってる人が居ると教えてくれる事を。イタチはサスケに「愛」を教えたんだ。

イタチはサスケに確かに…こうってくれた…。

「お前をずっと愛している」と…。

今週も小刻みに続けます。



 
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「言」(「愛している」と言ってくれ!!)

 
「オレを止められるのは
唯一柱間だけだと言ったはずだ

だが奴はもういない

…それも
お前らにとっては
却ってよかったとも
言えるかもしれない」(穢・マダラ)

「!!?」(五影)

「なぜなら―」<スッ>(穢・マダラ)

<ブン><ズコ><ドドドドドドド><ズガッ>

「キャ!!」(メイ)

「ぐあ!!」(オオノキ)

<ズズン>

<ズサ><ズサ>

「ぬぉ!」(オオノキ)


「オレ一人分なら…
地図を描き直す範囲が
狭くて済みそうだからな」(穢・マダラ)

「そんな…山が斬れてる…」(メイ)

第589話「穢土転生の術・解」①で、多分、メイちゃんは失禁してると思うんですよ(笑)。しかし、穢・マダラの完成体・須佐能呼は桁外れ過ぎます。これ程までの「力」が何で必要なのか?僕はふと思い付きました。地を斬り裂き河を作り、山を削って平地にするような「力」が人に対して向けられる必要は普通に考えてありません。この「力」はこの星そのものと闘うくらいの必要性が無ければ余りにもオーバースペック過ぎます。それを、知性と教養を兼ね備え静謐(せいひつ)な雰囲気を持つ六道仙人がひけらかしたとは到底思えません。明らかに、この「力」六道仙人が十尾を抑える為に必要としたものだったでしょう。決して、この「力」とは人に向かうものではない筈です。

何故なら、これは人を無視する「力」だからです。十尾とは人間を苦しめる存在だったのだと思います。きっと十尾は完成体・須佐能呼が示したような「力」で人々を苦しめたのでしょう。それは人々にとって「絶対悪」であったことでしょう。そして、それを懲(こ)らしめた六道仙人「絶対善」であった…。非常に分かり易い勧善懲悪があったのだと思います。人々の利益が十尾を叩く六道仙人によって満たされた訳です。人々は十尾を抑え、自分の体内に取り込み、そのチャクラをコントロールできた六道仙人を「神」と崇め妄信できた訳です。それが六道仙人の成した「安寧秩序」の正体だったのでしょう。つまり、六道仙人とは十尾が存在する事で際立った「正義」だったのです。

ちなみに、柱間とマダラの「終末の谷の決闘」完成体・須佐能呼が示したまでの「力量」を少なくともマダラは持っていなかった筈です。それは穢・マダラも認める様にうちはマダラの全盛期とは「死の少し前」でありマダラが輪廻眼を開眼した時点…つまり、「終末の谷の決闘」で、マダラが千手柱間の細胞を奪取し自身に取り込んだ後の事だと思います。うちはマダラと比して千手柱間には意外に秘密…と言うか…未提示が多くてアレですが、マダラは千手柱間の細胞を取り込んで「全盛期」を迎えていまして、それが「うちはの石碑」の教唆だったと、ナル×ジャンでは押しておりまして、「うちはの石碑」とは「六道仙人の作り方」を示したシナリオだとすれば、マダラもまた「完成体」だった訳です。

僕は、兄系・うちは一族が「うちはの石碑」に囚われ「予感や想像の枠」に収まり切っていたんだと思うんです。その中でうちはマダラは碑文の示す「最終到達点」に達した…かに見えたんだけど、「柱間の細胞」の毒性によって滅びてしまう事になる。瀕死のマダラは手下に自分の再生を託し逝った。それとは「別ルート」で大蛇丸も六道仙人の「真理」を探求し、「柱間の細胞」が持つ毒性…有り体に言えば…プロテクトの存在に気付く。それを自身の身体で臨床実験し、結果的にカブトが大成する事になる。それがダンゾウが「喉手」で欲しがった「大蛇丸の人体実験データ」だったものと思います。結局、六道仙人を再生する事こそ世界の「覇権」を握る。それは人智の及ばない「力」なのです。

十尾とは勿論、「人」ではありません。人々から見ればそれはバケモノであり、忌むべき「力」そのものでありました。しかし、それを御す六道仙人もまた同等以上の「力」を持つ訳で、それが単に「同形」(ex;異形)であるが為に容認できたのだと考えれば、五影とあろうものが失禁寸前でキョドるのは「人」としては受け容れ難い「力」であることを意味し、それを人々が忌まないのは公平ではないと思いませんか。そこから、十尾という「絶対悪」が在って際立った六道仙人「安寧秩序」だったと言えるのではないかと、僕は考えております。人と人の争いでは結局、「憎しみ」が発生する。六道仙人は十尾が存在する事で世界を「安寧秩序」に落とし込む事ができたと考えるべきだと、僕は思うのです。

「カブト…お前を見てると
まるでかつてのオレを見ているようだ…

だからこそお前は負ける」(穢・イタチ)

「……
いいかい…ボクはもう脇にはいない
今はこの戦争の中心と言ってもいい!
暁を手玉に取り戦争を有利に操り
うちはの兄弟をも追い込んでいる…」(カブト)

「……
オレにとってお前は対立と共感
二つの感情を抱かせる

お前もオレと同じスパイとして
偽りの世界を歩いてきた者だからな」(穢・イタチ)

「…!」(カブト)

「オレも己が何者か分かってなかった
自分を知るということは
全てを成し完璧になることではないと
今やっと分かる

…それは己に何ができ
何ができないかを知ることだ」(穢・イタチ)

「負け犬らしい方便だね
できないことを認めろと…
あきらめろってことかい?」(カブト)

「違う
己ができない事を許すことが
できるようになることだ


全てができないからこそ
それを補ってくれる仲間がいる
己が本来できたであろうことを
ないがしろにしないためにもな

自分が何者か知りたければ
本当の自分を見つめ直し認めることだ


オレはそれに失敗した…
皆に嘘をつき
己自身にも嘘をついて
己をごまかしてきた」(穢・イタチ)

「………」(カブト)

「己自身を認めてやることができない奴は
失敗する」(穢・イタチ)

「かつてのオレのようにな」」(穢・イタチ)

第582話「何も無い」②で、イタチが雄弁かつ自責の念を込めてカブトを諭しています。カブトはカブトで六道仙人にイーシャンテンでメチャクチャ不遜なんですけど、大蛇丸→カブトの柱間の細胞のアンチプロテクト(解毒)の研究は、うちはマダラを「全盛期以上」に押し上げる成果を得ており、カブトは目の前に居る生きたうちはの若き肉体…しかも「永遠の万華鏡写輪眼」を開いたうちはサスケを喜々として見つめ、思い上がりを含めテンパイにほくそ笑んでしまったのだと思います。イタチは六道仙人に成らずとも良いと言っているようでもあります。それは「うちはの石碑」に記された指針から逸脱する考えでありまして、この事からもイタチが「予感や想像の枠」を脱していた節が窺えます。

六道仙人が成した「安寧秩序」というものに何の疑問もないのならば、恐らく六道仙人は「死」を受け容れずそれを継続したと思います。「不死」の具体例としては”暁”の人外達が嫌と言う程提示しています(笑)。そもそも”暁”…って言うか…忍は六道仙人が創出した忍術を土台に「力」を得ておりますから、六道仙人なればもっともっとスマートに在り続けられたと思います。六道仙人とは本当に完璧な存在だったのかも知れません。しかし、それを六道仙人「了」とできなかった。それは、六道仙人その人が自分の存在のみに支えられる世界に満足できなかったからじゃないでしょうか。そんなの「うちはの石碑」に記した「月の眼計画」と同じ。それは失敗の再現の指示を残したという事だ。

六道仙人は兄系に貧乏くじを引いて貰う事にしたのでしょう。それは六道仙人を再誕させるミッションを課したのだとも言える。兄に対して父が厳しく求める気持ちがその根底には在るのだと思います。そして、それを完成させたのは穢土転生で召還したうちはマダラの身体に細工をしたカブトでありまして、未だに秘密が満載される「柱間の細胞」を解析し尽くした大蛇丸→カブトの研究の賜物と言えましょう。大蛇丸やカブトは六道仙人を目指す事が「絶対」だと考えたのでしょう。しかし、同じ「うちはの石碑」に導かれたイタチは別の結論に達する。完璧を目指すのではなく、完璧ではない自分を認める方法論に気付くのです。そして、それは六道仙人「パズル」の新しい解釈なのかも知れません。イタチの台詞を「アイデンティティ論」とは違った観点…「六道仙人論」で読み解くなら、そういう風に解釈できると思います。

「もう9時か…」(ウルシ)

「どうした?」(イタイ)

「イヤ…さっさと
この戦争を終わらして
ゆっくり寝たいと思ってな…
オレ達末端の忍にはもう何が何やら…
詳しいことはいつも分かんねーしな…」(ウルシ)

「…まあな…
お前…この戦争が終わったらどうすんだ?」(イタイ)

「とりあえず家に帰るかな

戦争が終わって
五大国がこのまま仲間でいるなら…
ずっと任務で会えない弟も
帰ってくるかもしれないしな」(ウルシ)

「帰る所がある奴はうらやましいな…」(イタイ)

「………

お前も来るか
…オレと一緒に」(ウルシ)

「え?」(イタイ)

「オレの家は孤児院だからよ
それに弟がいたら
傷をみてもらうといい…」(ウルシ)

「………
ありがとう…ウルシ」(イタイ)

「………」(ウルシ)

(今度こそ帰って来るといいな……カブト)(ウルシ)

第587話「9時になったら」④を思い出してください。ややノリ突っ込み風にカブトがイタチの名を呼んだ後、カブトが身を寄せた孤児院の先輩・ウルシがカブトを思い起すシーンです。カブトは任務の中でマザー・ノノウを殺めてしまいます。しかし、それで全てを失ってしまったと思い込んだカブトも早計であり、余りにも情弱過ぎます。実際、ウルシはカブトの存在を認め、その能力を評価しています。何より、どれだけ時間が過ぎようとも、その生存を信じ再会を願っている。ウルシはカブトを誇りにすら感じています。カブトがそれに気付いていないだけ。意識できずにいるだけなのです。それはカブトが不器用と言うか、他者との繋がり方が分からなかった不幸が作用していると言えましょう。

普通は、それを周囲の人間とか、導く存在が補助して育むのですが、カブトは”根”などという悪辣な組織に所属していましたし、結局切り捨てて処分される運命でしたんで可哀想と言えば可哀想…なのですが、それを言うならイタチだって同じ。不平や不満を口にするよりも、もっと他に生産的な事が出来る事を、僕らは「イタチの生き様」に拠って知らされいます。しかし、それとカブトを比較してどうこう言うのは、カブトが他と自分を比較して自己弁護する詭弁と同じなので止(よ)しておきましょう。それよりもイタチの様に言葉よりも行動で、「自分」を押し進めて行く努力が人には必要なのだと思います。カブトの失敗とは他者を信じる事ができない環境…育ち方にあったのかも知れません。

人間は独りではありません。ナルトにはイルカやカカシ、ヤマト、自来也…その他諸々、メチャメチャ潤沢な人材が存在しましたし、サスケにはフガクやミコト、そしてイタチが居ました。カブトにもマザー・ノノウだけでなくウルシという「兄」が居りました。誰かは繋がる人が傍(かたわ)らにいるものなのです。それが「愛」なのだと、僕は思います。だが、人は時に繋がり方を見失ってしまう。恐ろしく近くに居るのに見えなくなってしまう。信じられなくなる。忘れてしまう。それでは「愛」がない。「愛」が感じられない。これ以上の不幸はない…と、僕は思うのです。その不全を正す為にも人には「知性」が必要であり、人と人の関係性を取り持つ「コミュ力」が重要になるのです。

「…お前といる時…

兄弟ってこんな感じかなぁ…
ってよ…」(ナルト)

「何でだ…

何でそこまでしてオレに…」(サスケ)

「オレにとっちゃ…
やっとできた繋がりなんだ

…だからオレは
お前を止めるんだってばよ!」
(ナルト)

「来いナルト…

だったらその繋がりを
オレは断ち切るまでだ!」
(サスケ)

第一部のナルトとサスケの「終末の谷」の佳境…(第26巻/58-65頁)。お互いの交わらない感情は「力」の衝突として奇しくも二人を「高み」へと誘(いざな)います。サスケはこの時、写輪眼の第三次覚醒…三つ巴文様を発現し、ナルトは九尾の衣の一本目を会得します。一進一退の末、ナルトの九尾螺旋丸とサスケの呪印状態2の忌まわしき千鳥が衝突し、二人は一旦「和解の印」を結び別れます。この時はサスケ優位でしたが、サスケの反抗期がイタチの「大切な友を殺す」という瞳力のスペックアップの条件をオミットさせナルトは事無きを得るのですが、それもイタチの嘘に塗り固められた「道標」の功績だったのかも知れません。そしてサスケはナルトとの繋がりを敢えて断つ。

それは「愛」を却下する事と同義なのだと言えるでしょう。しかし、それはイタチの思惑と同一線上にあり、同時に「うちはの石碑」の示唆に沿った行動様式であったのです。事実、サスケはそれに従う事で瞳力をアップさせて行きます。サスケはイタチの「死」によって万華鏡を開き、失明をリミットにイタチの運んできた眼を移植して「永遠の万華鏡写輪眼」を開眼します。「うちはの石碑」の示唆とはそれに止まりませんが、どうやらイタチはそれに拘束されない「未来」というものを夢想しています。恐らくそれが「予感や想像の枠」からのイタチなりの理解…解脱(げだつ)なのだと思います。だから、今生の別となる穢土転生の解にあって、イタチの「一言」は非常に重要なのです。

イタチには何としてもサスケに「繋がり」を感じさせて貰いたいのです。それは「うちはの石碑」に基づいて形成された行動様式とは全く違います。あれは「繋がり」を断つ事で瞳力がアップするシナリオみたいなもんですから。案の定、マダラはボッチになってましたよね(笑)。それは六道仙人を目指すには効率的なのです。一人で何でも為し得て完璧になるには都合が良いんです。でもそれは十尾みたいな「絶対悪」が無い限り「恐怖」でしかない。或いは無限月読に落ちた「夢現つ」でしかない。それは生前の六道仙人が抱いた疑問と重なるのです。きっとイタチはそれに気付けたのです。それを何とかしてサスケに伝えたいと思っている。その想いが「イタチの生き様」を形成したのだと思います。

イタチの最後のミッションKFB(カブトフルボッコ)はイタチにしてみてもバッチ来いだったと思います。それはまるで自分の「失敗」との闘いだったかのようです。そもそも穢土転生「泣きの一回」でも在りましたし(笑)。そこで諭すカブトとはまさにイタチであり、これから形成されるサスケの失敗作でもあった筈です。だから、イタチの言葉はカブトだけでなくイタチの胸にも刺さる。その語気は痛みを帯び悲哀に満ちる。まるで鏡に唾吐くように卑しさが自分を苛む。それでもイタチが勢いを緩めないのはサスケに同じ轍を踏んで欲しくはないからでしょう。イタチにはカブトを想うウルシを推し量ることは出来ないでしょう。しかし、その可能性は推認できる筈です。

同時にサスケに繋がるナルトの存在。それを極々普通の凡例として受け容れるならば、カブトが浪費した「繋がり」を予見でしたでしょう。イタチはサスケをカブトみたいにしてはならないという想いがあるのだと思います。穢土転生の術を解いた「今」…イタチはそれを払拭する為にのみ動く筈です。イタチはサスケに「繋がり」を教える必要があるのです。人の傍らには必ず人が居る。誰かが誰かを大切に想っている。その存在を認めてる。信じている。興味を持っている。それら諸々の「想い」というものをイタチはサスケに教えねばならないのです。それにはサスケに繋がるイタチが在る事を、サスケに何としても教えねばならないのです。きっとその繋がりはサスケの希望となる…。

僕は完成体・須佐能呼がでた時、確信したんです。これはきっと「ラスボス」だと。全盛期以上のうちはマダラとは六道仙人そのものでありましょう。うちはマダラが死んでしまったのは柱間の細胞の毒性…つまり、プロテクトの所為であり、それは大蛇丸→カブトの研究に拠り解消し実用レベルに達しています。つまり、六道仙人の再誕の方程式は既に完成しているのです。恐らくそれは水月が大蛇丸のとあるアジトで(戦局を左右する)発見した巻物に記載された内容でしょう。六道仙人は自分の再誕方法を「うちはの石碑」に残した。そして恐らくそれと真逆のミッション「予言」に課した。未だ真相は明かされませんが、千手柱間の存在も何らかの六道仙人の恣意を孕(はら)んでいるでしょう。

それらの存在を知る人共は、それを実直に実現する為に真面目に動くのだろう。しかし、その教唆を鵜呑みにするのではなく、自分で考えて答えを出す…つまり、成長する動きを、それぞれのミッションを遺した六道仙人はホントのところで期待していたんじゃなかろうか…と、僕は思うのです。イタチは死んでからなんだろうけど、それに気付いた。そして、それを何とかしてサスケに伝えようとしている。それがカブトへの説教に乗っている。イタチの言葉から発せられる熱にロースト(焙煎)されるように、サスケは(いぶ)されているのです。その先には、兄系の「うちはの石碑」が示唆する千手柱間の細胞の取り込みとか、弟系の「予言」が示す選別じゃない「第三の道」が在る筈です。

具体的に、それは「兄系」「兄系」の、「弟系」「弟系」アイデンティティを残したまま…九つに分割された尾獣がそのままでアイデンティティを保ったまま導かれる様に…サスケとナルトが融合などせず、それぞれの存在を尊重し、認め合いながら、ラスボスたるうちはマダラに対抗する未来が予想されます。トビがカブトから教えられた「穢土転生の秘密」がトビの安易なうちはマダラの召還を予見させるし、穢土転生のフェイクの解印もある種の「彩」を感じさせもします。トビの輪廻眼はマダラのオリジナルでしょうから穢土転生の発動要件は満たしています。或いはトビの命懸けの外道・輪廻天生の術だってあるかも…知れない。そして、それらの闘いはサスケが世界に恩赦される可能性を秘めています。

ガラにもなく、僕はそんなシナリオ…『NARUTO -ナルト-』の終焉というものを夢想しているのです。サスケの永遠の万華鏡写輪眼とナルトの九尾・尾獣モード。それらが個々にアイデンティティを保ったまま完成体・須佐能呼六道仙人うちはマダラと決する雌雄。それは六道仙人『NARUTO -ナルト-』の世界のあちこちに鏤めた「パズル」六道仙人の予想を違えた仕上がりになるでしょう。もしかしたら、六道仙人はそれを期待して「うちはの石碑」と「千手柱間」と「予言」を残したのかも知れません。それを期待して自分の全てをバラバラにして世界に鏤めたのではないでしょうか。六道仙人が予想でも出来なかった未来。自分の子らが自分を超える期待。それこそ「出藍の誉れ」…。

それは六道仙人の打破なのではないでしょうか。カブトの検証でうちはマダラは完成体(全盛期以上)となった訳ですし、それを実現する状況が何パターンか存在します。そして、それを打破し得るサスケとナルトもいつつある。そして、今まさに消え去ろとしているイタチの「一言」はサスケの今後に大きく関係する。イタチの「一言」はサスケを第二のうちはマダラにするか、世界との繋がりを感じさせる両極端を演出し得る「力」をもっているのです。イタチはサスケが木ノ葉隠れの里よりも重いと思っていたのです。ましてや自分の命なんか何でもない。何ものよりも大切に感じていたのです。それは「イタチの生き様」が如実に物語っています。だから、イタチ…照れるな。迷うな。誤るな。

サスケがお前と繋がってる事実を知らしめろ!!

「愛している」と言ってくれ!!

「愛している」と言ってくれ!!
ナル×ジャン ケルベロス



 
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「標」(「愛している」と言ってくれ!!)

 
「外道・輪廻天生の術」(長門)

「!?」(ナルト)

「長門アナタ!!」(小南)

「小南もういい…
オレに新たな選択肢ができた…
諦めていた選択肢が…」(長門)

第449話「希望の花」輪廻眼・長門外道・輪廻天生の術を発動し逝きます(第48巻/117頁)。この時、長門はペイン強襲で殺めてしまった木ノ葉の忍を生き返らせます。その中にカカシも居たんですが…(汗)。そして、長門はそれを「新しい選択肢」と言いました。…という事は、その選択以前に長門は外道・輪廻天生の術を使う既存の選択肢が在ったということになります。僕はその選択肢とは「うちはマダラ」の蘇生であったと考えています。第四次忍界大戦でカブトが穢土転生の切り札として口寄せしたマダラが穢土転生での召還に落胆していましたね(笑)。マダラは「長門のガキ」と言って思いっ切り輪廻天生の術を期待していました。手下に自分の蘇生方法を遺してマダラは逝った筈です。

つまり、最低でも長門という子供(ガキ)輪廻眼を与えると決まるまでマダラは存命していたのです。長門に輪廻眼を与えたのはトビであり、少なくともこの時点までマダラとトビは同時に存在している事になります。イタチの年齢を考えれば、幼きイタチに接触していた面の忍・マダラはトビだった可能性が極めて高いです。イタチもそれを「うちはマダラ」だと思っている節が在ります。しかし、長門はトビに「うちはマダラ」を蘇らせる命令を予め伝えられ、それが長門の選択肢となっていた筈なので、イタチと長門で「うちはマダラ」の認識にズレがあったものと思われます。しかし、イタチと長門でギクシャクした感じがない。それは長門が外道・輪廻天生の術の使い道を具体的に告げられていなかったからでしょう。

「…イヤ…長門にしても
オレのための輪廻天生の術を
あんな事に使うとは思わなかった…
裏切るとはな…」(トビ)

トビは外道・輪廻天生の術「オレのための」と悔しがっています(第48巻/205頁)。長門が成長し輪廻眼を使いこなしたアカツキには…或いはトビがいいように利用した挙句、長門の外道・天生の術を用いて「うちはマダラ」を蘇生させようとしていた…それが「本ルート」(ex;別ルート)だったと思います。長門は外道・輪廻天生の術を使うミッションが在る事だけを知らされ、まさかそれが「うちはマダラ」だとは伝えられなかったのかも知れません。なので、イタチと長門の共通認識として「トビ=マダラ」で問題ないでしょう。僕はこれまでイタチが穢土転生の術者であるカブト阻止に一直線なのが、イタチが穢土転生・マダラを止める為だと考えていましたが、この時点で「うちはマダラ」は未召還。

単行本が手元に無くて確認が遅れましたが、巻ノ六十までコンプしまして確認しましたが、イタチは戦場を混乱させる穢土転生を止めるのが自分の「やるべき事」と認識したのでしょう。それは長門からのカブトの結界の座標の情報提供が大きいでしょう。長門はチャクラ感知能力が高く、穢土転生の命令の発信源を特定できたのでしょう。それに加えて輪廻眼穢土転生の支配下に収まらないデバイスであった可能性が強いです。トビの「テイルズ六道(外道)」輪廻眼も反転していませんし(後付けの写輪眼は反転している)、忍術のヒエラルキーの頂点とも言える輪廻眼穢土転生の影響をオミットできたんじゃなかろうかと、僕は考えます。それで、穢土転生に制限されずにイタチに情報提供できたのです。

しかし、結果的にイタチがKFB(カブトフルボッコ)を完遂する事で、まんまと穢土転生の術は解かれた訳で、それに拠って戦場を混乱させた穢土転生軍団は一掃されようとしています。それはイタチが生前知り得た情報と、自分を含む穢土転生のコマに関する長門からの情報提供などを総合して、その中で自分が何をすべきかをイタチが考え、導き出された答えだったのでしょう。だから、イタチは長門を封印した後、一目散にカブトの結界座標を目指したのです。そこに白ゼツオリジナルを焼き殺し、幽閉から逃れたサスケが加わったのは想定外でありましたが、カブトにとっては「ハニートラップ」でありました。六道仙人を目指すカブトにしてみれば「うちはサスケ」必須アイテムなんですから!!

「悪いがボクの勝ちだ
全てを成し制することに
近づきつつあるボクにとって

どうしても失敗する姿が
思い浮かばないんだよ

かつて大蛇丸様が
集め研究しくしてきた
自然界の法則や原理が
今やボクの中に全て蓄積されている

人から蛇へ
蛇から龍へ…」(カブト)

「そしてこの世で
一番六道仙人に近しいのはこのボク…
それに比べればうちはの名など…」(カブト)

第582話「何も無い」で戦況優位のカブトが喋りまくりましたが、白蛇・柱間の細胞をコントロールし、仙術使用可の「仙人の肉体」を手に入れたカブトにしてみれば、永遠の万華鏡写輪眼…つまり、輪廻眼にスペックアップ可能な眼が手に入れば、全盛期の「うちはマダラ」の一丁上がりな訳です。カブトがこんなに自信満々なのは穢土転生で呼んだ「うちはマダラ」の身体に細工をして仮説に対する充分な検証結果が得られたからです。カブトはサスケ(の眼)を手に入れれば全てを手にする事ができると踏んでいる訳です。それを既に実現したのが「うちはマダラ」であります。その猛威は完成体・須佐能呼が五影を震撼させ絶望させました。恐らくあの「力」で六道仙人は十尾と闘ったのだと思います。

「貴様…オレの体の秘密を…
…あのうちはの石碑を読めもしないお前ごときが
解読したというのか?」(穢・マダラ)

実際には霊器(御神器)や忍刀、伝説の任具(芭蕉扇や琥珀の浄瓶など)で盛っていたと思われますが、あの人智を逸脱した「力」とは六道仙人の「力」と考えて差し支えないと思います。それをカブトは穢土転生・うちはマダラで検証し、当のうちはマダラに「…うちはの石碑を読めもしないお前ごときが…」と驚かせた訳で、つまり、「うちはの石碑」には「六道仙人の作り方」が記されていたのです。勿論、「うちはの石碑」とは兄系・うちは一族限定で遺された情報であって、六道仙人は恣意を持って兄系・うちは一族を導かんとしてた事になるのです(詳しくは「うちはの石碑」参照)。しかし、六道仙人は一方では「予言」を遺しました。それは主に「弟系」に向けたメッセージでした。

大蛇丸→カブト「龍地洞」に関係していた事実。ナルトが「妙木山」との契約を経て仙人修行した事実。綱手の「忍法創造再生・百豪の術」もある意味、仙人モードに近い能力の発露であったと考えれば、カツユが「湿骨林」の使いだった可能性だってあります(汗…ダラダラ…)。また、全盛期を迎えた「うちはマダラ」が死なねばならなかったもの「千手柱間」の功績でありましょうし、六道仙人が「兄系」「弟系」にそれぞれ別々に課した真逆のミッションが鬩ぎあうように世界・忍界の方向性を決して来た訳です。そして、大蛇丸→カブト「弟系」から最善のアプローチをし、極めて合理的に「うちはサスケ」永遠の万華鏡写輪眼を狙っていた訳です。それがイタチの手に拠って阻止された…。

それは「兄系」としては「うちはの石碑」に反する行いであると言えますまいか!?イタチはカブトの肉体をサスケに取り込ませ「六道の力」をサスケに与えようとはしませんでした。或いはサスケをカブトに与え、「うちはの石碑」の予言した結末を再現する事もしませんでした。それはイタチが自分の「器」を決めつけるべきではないと、サスケに伝えたかったからだと、僕は思います。イタチは「うちはの石碑」の教唆に従った先に「幸せ」や「平和」があるとは思わなかったのでしょう。イタチは「うちはの石碑」を解読した上で、自分の「心」で決するところがあったのだと思います。かと言って、それらを噛み砕きサスケに伝える事もしない筈。そして、イタチの「一言」はサスケの「道標」であるベキなのです。

だから…だから…イタチ…。

「愛している」と言ってくれ!!

次は日曜の夜ね…で、続きます。



 
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「月」(「愛している」と言ってくれ!!)

 
トビの画策する「月の眼計画」って、トビが十尾の人柱力になって月に「大幻術・無限月読」を投影して世界を幻術の夢の中に落とすものなんだけど、イタチのイザナミでも説明されてたけど、うちは・写輪眼の幻術って基本、視覚に訴えるものなんですよね。月読だって眼と眼で通じ合う♪幻術だから、眼を瞑ってたら大丈夫なんですよね。ガイはカカシの足だけ見て闘える様にシミュレーションしてましたよね(笑)。つまり、トビは「月を見ておくれ!!」と思ってるんですよね。何で「月」なのさ!?ってのも在りますが(笑)、おいおい…構ってちゃん炸裂だな…と、どっかの板に現れたら恐らくフルボッコでしょうね(笑)。ま…トビが寂しがり屋さんという事だけは分かった(笑)。

そう言えば、僕は「今夜は月が綺麗ですね」(110912)という記事を上げましたっけ。それは相方と散歩しててホントに「月」キレイで皆さんにそれを伝えたかっただけで、何の気無しのカキカキでした。でも、その周辺で夏目漱石大先生が「今夜は月が綺麗ですね」を”I LOVE YOU"の和訳として紹介してたのを知って「そうか…そういう事か」とサスケみたいに悟っちゃったんです。トビの「月の眼計画」の真相を(笑)。そして、その後に「今夜は月が綺麗ですね」(110922)を書いた…。この時はコメント欄を開けて皆さんとお話しましたね。綺麗な「月」を皆さんと共有しながら、僕らは一つになれた。繋がれた…んだと思えた。それと「月の眼計画」の何処が違うのか…。

キレイ「月」が闇夜に浮かんでいる。仄かな光が柔らかく美しい。頬を撫でる風。キレイだ…。こんな「月」を見る事が出来て幸せだな…。今夜はお酒が旨いだろうな(汗)。その時、僕はナル×ジャンを読んでくれる皆さんに、この「月」を見て頂きたいと純粋に思った。月が綺麗だよ。夜空を見上げてごらん。僕と同じ「月」を君にも見てもらいたいんだ。それを伝えたい相手って「好き」な人でない筈はないでしょうよ。ああ…ケルベロスはアナタが好きなんだ…大切に想ってるんだ。それを”I LOVE YOU”と訳しても良いじゃない。寧ろ、フラットだろうよ。トビもマダラも似たような気持ちだったんだろう。きっとそうだ…彼らだって同じ「心」を持った人間なんだから。

ああ…そうなんだ。「月の眼計画」ってうちは・写輪眼の”I LOVE YOU”なんだよ。「今夜は月が綺麗ですね」とか「私はアナタを愛しています」と言えない兄系が陥りそうな過ちでは…ある。そもそも、うちは一族には「写輪眼」という才能があるから、こんな馬鹿げた計画が企画されるんです。能力が許すから選択肢に上がるんです。そして、それに「うちはの石碑」なんてフィルターが掛かるからうちは・写輪眼の末裔の前途というものは甚だしく暗いCry!!うちはイタチの才能とか可能性は「うちはの石碑」によって制限されてしまったんだと、僕は考えています。イタチは「うちはの石碑」を熟読し、その意味を深く理解し行動していたと思います。その中でイタチは焦燥を募らせたのです。

「一族などと…
ちっぽけなモノに執着するから
本当に大切なモノを見失う…

本当の変化とは規制や制約
予感や想像の枠
収まりきっていては出来ない」(イタチ)

兄系としての才能と可能性。その対極で釈然としない疑問や苛立ちがイタチには確と存在しました。「シスイ事件」直後にうちは上役がフガク邸に怒鳴り込んだ行のイタチのイミフの台詞を思い出してください(「シスイ事件」虐殺前夜…第六夜参照)。「予感や創造の枠」って、もろ「うちはの石碑」の事なんだと思うんですよ。「うちはの石碑」は当時、うちはの集会場にありまして、写輪眼持ちならある程度解読できたんです。それで「禁術・イザナギ」を使い合うような状況が在ったと思うんです。それって同族で写輪眼を奪い合うって事ですよね。殺し合うって事ですよね。それで万華鏡が開いたら近親者で殺し合う…事になる。でも、それはオカシイよね。間違ってるよね…。

…イタチは「うちはの石碑」に疑問を感じてたんじゃないでしょうか。それと似た雰囲気が自来也にもあって、両肩に二大仙人が融合する自来也の仙人モード然り、出来損ないの弟子の消去然り、大ガマ仙人の「予言」ってどっかオカシクない!?間違ってない!?って、考えて当然だと思うんです。特にイタチと自来也の他者への関わり方ってメチャクチャ似てますから…。数少ない両者の対峙でそれに触れない距離感を保っていた二人の親近感みたいな雰囲気が僕には無視できんとです。ま…お話をイタチ単体に戻すと、イタチは幻術で分かり合おうとは「今」では思わない筈です。現にナルトの目の前で「シスイの万華鏡写輪眼・別天神」を燃やしたじゃないですか。

確かにイタチは「うちはの石碑」を一番深く読み解いたうちはだとは思うんです。そういう品格とか素養が在りましたから。でも、その上でその「枠」にイタチは収まらなかった。収まっちゃいけないと思った。だから、イタチはサスケを残したんだと思うんです。そして、泣きの一回とも言える穢土転生の再会は、今度こそイタチはサスケとの今生の別れを演出しています。カブトを操り穢土転生を解かせたイタチ。浄土にその御霊が呼び戻されようとする…その最中…いたちは「まだ間に合う」とサスケににじり寄る。才能とか能力とかじゃなく、それはイタチの「心」が決断した行動。唯々素直にイタチはサスケに向かう。向かうべきだと僕は思うのだ。で塗り固めるじゃない。すんじゃない。

「今夜は月が綺麗ですね」

そう言えば良いのだよ…イタチ。

「愛している」と言ってくれ!!(続く)


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「紡」(「愛している」と言ってくれ!!)

 
「…イタチ…
アンタはいつも
オレに今度だ
後でだをつき
あげく死んだ…
だから今度こそ―」<ザッ>(サスケ)

「…………」(穢・イタチ)

「性格は死ぬまで変らないが…
オレは一度死んでる…
そのつもりだ」(穢・イタチ)

「兄弟で仲間ハズレですか
面白い」
<ズズズ…>(カブト)

第578話「絶望の弱点!!
」で「…分かった 話は後でしてやる…代わりに先ずはこいつを倒す…ただし殺すな」とイタチがカブトを蔑(ないがし)ろにしながら久方ぶりのサスケとの再会を楽しんでいるような口ぶりに、カブトのハブられた感が否めず、長い舌を出して毒づくカブトが、僕は惨めに思えてなりませんでした。イタチはサスケに「また今度だ」(「DEKOTON」虐殺前夜…第四夜参照)を封印し、ちゃんとサスケの相手をしますと「約束」しています。その仲睦まじい二人の交わりに疎外感が満載で耐えられんかった訳です。この後、カブトが仙人モードを披露して攻勢に出るんですが、そこでも懲りずに「兄弟の時間」なんてのを二人が楽しむのでカブトの自分語りが止まらんのです。

イタチはサスケに「約束」してるんです。それをイタチの人となりに照らせばどんなにそれが「鉄板」であるか、誰よりもサスケはその確かさを感じていた事でしょう。カブトを黙らせればイタチが自分に向き合ってくれる。そう考えるサスケのモチベーションたるや恐らく『NARUTO -ナルト-』史上最高だったんじゃないでしょうか。だからサスケはイタチと共にカブトを抑えにかかる。少なくともサスケのイタチに対する憎しみは失せています。それは自分が知る「イタチの真実」がここまでのイタチとの関わりで、自分の中で反証…いやいや…確認できたからなのでしょう。この場合、カブトは徹頭徹尾…蚊帳の外…どんなに頑張ろうが何の意味もない。それが人生の持つ不公平さなんだと、僕は思います。

「サスケ…
お前をそうしてしまったのは
他でもないオレ
今さらお前の決断にどうこう言える
立場ではないのかもしれない


だが
こうなってしまった以上
一言だけ
ちゃんと言っておきたい言葉がある」(穢・イタチ)

「!?」(サスケ)

「ちゃんと場を整えてからな
だからまずは奴を止めるぞ」(穢・イタチ)

「…………」(カブト)

第581話「それぞれの木ノ葉」で、イタチがカブトにとどめ刺しちゃった…と、僕は本能的に感じていました。実際はこの一話前にイザナミの「二人の同じ感覚」を演出していて、仕込み済みのリーチ棒を場に投げた状態。イタチの技量を考えればカブトはカモられたも同じで、最早、僕の興味はカブトがどんな能力を出すかでも、どんなに頑張るかでもなく、カブトが<キュッ>っと締められた後、イタチがサスケにどんな風に「約束」を果たすかに、僕の興味は収束していました。カブトのお腹から蛇を生やした姿とか、お涙頂戴の自分語り。それに対して「オレだって…」とイタチが一言でも口にしたでしょうか!?多かれ少なかれ…人生って闘いだから。自分だけが辛いなんて考えるのは滑稽です。

イタチだって四歳で戦場を彷徨い…地獄を見たんだよ。カブトの苦労とイタチの苦労を比べてどうすんのって話…なのです。だから、イタチはカブトのその辺には一切突っ込まないのです。その一点にイタチがカブトに示す同情があると思います。イタチはカブトすら認めているのです。お前も辛かったんだよな…と、イタチは…イタチはそういう目でカブトを見ている。それがカブトには痛い訳で、それが無いサスケにどうしても言葉が向く。それはカブトがサスケに救いを求めているという事なのだろうと、僕は考えています。そんなことするカブトも詰んでます罠(笑)。でも、相手がイタチなんだから仕方ない。カブトはイタチに穢土転生を返されたからにはイタチにフルボッコになるしかったのよ。

イタチはそのくらい完璧「約束」を守る人だったんだと思います。サスケもそう感じていたし、カブトもそう感じてたんじゃないでしょうか。イタチは信じていい人だと思うんです。イタチのそういった「人となり」とか「存在」といったものが「うちはの石碑」すら否定してしまう。うちはにあってうちはでない。イタチとはそれ程の代物なのだと、僕は信用しているのです。イタチの生き様が示す「やるせなさ」でいいのかな、ジクジクとしてリアリティのない実直さみたいなものって、きっと、イタチが「素」で生きたそのままが「うちはの石碑」の指針否定しちゃってるんだと思うんです。イタチは勿論…愚痴なんて零しませんけど……。そこはカブトとイタチは決定的に違います。

不平とか不満とか…ネガティブな言動をイタチは決して遺していません。それって凄い事なんだと思うんです。人として、オトナとして見習いたい心構えだと思います。そんなイタチが…ですよ。サスケに「一言だけ」…ちゃんと言っておきたい言葉がある…と言うんですから。これは黙っちゃいられないでしょ。イタチがサスケに何て言うのか!?穏やかじゃ居られないでしょ!!この「一言」はサスケのこれからの人生を左右しますよ。イタチが何の為に命を燃やし、何の為に散ってしまったのか?それをサスケに告げるのをイタチは、あの時、善しとしなかったのだと思います。でも、「今」だからこそ、サスケが「まだ間に合う」と思うなら…言うべきだろ!!言ってやれよ!!

「愛している」…と。

イタチが消えちゃう前に…
僕はどうしても紡(つむ)ぎたいんだ。

その「想い」を僕は皆さんに語りたいんだ…続く。



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「序」(「愛している」と言ってくれ!!)

 
<チリ><チリ>(穢・イタチ)

<ザッ>(穢・イタチ)

「まだ…間に合う…」<スッ>(穢・イタチ)

さて…穢土転生の術が解かれ、穢土転生で呼ばれた死人が昇天して行きます。勿論、イタチも例外でなく、今まさにサスケの前から消えようとしています。その断末魔…あの史上最大の兄弟喧嘩の終焉のように…イタチはサスケに近寄ります。イタチはサスケに「こうなってしまった以上、一言だけちゃんと言っておきたい」(ep581)と約束しています。だから、イタチが消えちゃう前に必ずやイタチはサスケに伝える。約束は完璧に果たす。それがイタチです。そして、その一言がサスケの今後の人生を大きく左右しかねない。とても大切な一言であろうと、他人事ながら気を揉んでいる訳です。

同じ様に僕も「また今夜!!」と勝手に皆様方と約束してしまったんですが、本日の悪天候やら何やらで疲れ果てチャクラ切れと相成りまして、考察はお休みです。イタチみたいに完璧に…とは行きませんて(汗)。第四次忍界大戦の山場、修羅場…縺れた糸が捏造限界で更にこんがらがる!!(笑)。そんな戯言に惑わされないしっかりとした自己を皆様方には養って頂きまして、一笑に伏すくらいの気持ちで気軽に読んで頂きたい。今日の暴風雨でマジに被害が出てるお宅もあるかと思います。皆様、どうかお気をつけて(ナル×ジャンにも気をつけて)

……おやすみなさい(また今夜!!と言えない)。

ナル×ジャン ケルベロス


 
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第589話「穢土転生の術・解」⑧


「あんたを見かけた時…
トビやダンゾウの言った事が
本当なのかどうか確かめてみたいと

アンタに付いて来た

だが確かめられたのは
それだけじゃなかった


アンタといると昔を思い出す

…兄を慕っていた
幼い日の気持ちをな」
(サスケ)

「………」(穢・イタチ)

「だからこそなんだ

昔のような仲の良かった
オレ達兄弟に近づけば近づくほど…
アンタを理解すればするほど…


アンタを苦しめた木ノ葉の里への
憎しみがふくれ上がってくる

前にも増して
どんどんそれが強くなる…

アンタがオレに
どうしてほしいのかは
分かってるつもりだ

アンタはオレの兄だからこそ
オレを否定するだろう


でもオレもアンタの弟だからこそ
アンタが何を言おうとも止まらない

ここで兄さんが里を守ろうとも…
オレは必ず里を潰す」
(サスケ)

「…………」(穢・イタチ)

(寅)<スッ>(カブト)

(辰)<スッ>(カブト)

「さよならだ」(サスケ)

(亥)(穢土転生の術…”解”!!)(カブト)

(兄さん)(サスケ)

<ファ>(穢・イタチ)

穢・マダラ完成体・須佐能呼を出したのと時を同じくして、穢・イタチがカブトを幻術にハメて穢土転生の解印を聞き出して、そのままカブトを操り粛々とチャクラを練らせ、印を結ばせ…穢土転生の術を解くシーケンスを執らせています。カブトの穢土転生で呼ばれたイタチですから、術が解けたらイタチは消えてしまいます。折角、こうして二人逢えたのに、兄さん…アナタはまた自分の前から消えてしまうのか?サスケの「何を言っても無駄なようだな」には、そんな恨み節が多量に含まれている様に思います。それはイタチが「木ノ葉隠れのうちはイタチとして…もう一度忍里を守ることができる」(ep588)なんて素っ気ない事言ったのもかなり関係してて、サスケの気持ちも解ります(笑)。

その後、「もうこの世界に未練はない」(ep588)と付け足したもんだからサスケが切れた…切れた(笑)。しかし、サスケは同時にイタチの矜持(きょうじ)を持った行動に共感すらしている筈です。それはトビやダンゾウがサスケに教えた「イタチの真実」というものが嘘ではなかった…と、イタチと共に過ごした時間の中で確信しておりまして、イタチの行動をイタチの信念が支えていた事もサスケには理解できたからだと思います。イタチは何者かに命じられるまま行動した人形ではなく、イタチが信じるものの為に、木ノ葉隠れの里の為に自らの意志で行動したのだと、サスケは理解したのです。だから、サスケはイタチではなく木ノ葉隠れが憎いのです。だから、「木ノ葉を必ず潰す」と言うのです。

イタチはそんなサスケにもう何も言いません。それはサスケに関わるのは自分ではなくナルトであると信じて疑わないからです。イタチが携えるサスケに対する想いは全てナルトに手渡されたのです。だから、イタチが穢土転生を返す事で得られた「木ノ葉隠れのうちはイタチ」としての命を穢土転生の術を解く為に使い切ろうとしているのです。ちなみに、穢土転生がヤバイから潰すというイタチの徹底した姿勢や態度は長門からの情報提供の賜物と思われます。穢土転生で呼ばれ週ジャン何冊分も炎天下を歩いた筈なんですが、その時、長門からカブトの結界の座標とか、召還された強者リストすら聞かされていたんだと思います。勿論、その中にうちはマダラがいる事も…。その「力」が何を意味するのかも…。

しかし、そんな事はサスケには判りません。イタチは口が腐ってもサスケに告げないでしょうし、サスケをゾンザイにも思えるくらい軽く扱い…だってサスケの前で「未練はない」なんて!!…自分のやるべき事をしっかりとやり遂げて、「今」また逝こうとしている。それでもサスケがイタチを責めないのは、イタチだから何か考えがあると思うからです。サスケは「イタチを信じる」のです。サスケはイタチの考えや行動を受け容れる事は出来ないけれど、理解できるようになった訳です。そこには「イタチはイタチ、自分は自分」という見識がある。それは母・ミコト抑うつ状態にあるサスケに何とか伝えようとした重いであります。サスケはイタチを含む、自分を取り巻く事情をようやく咀嚼できたのです。

サスケは随分と大人になったと思います。才能に支えられ、ややもすると無軌道にも思えた「力」が、しっかりとしたを地に刻む方向性がみられます。それは「信念」と言い換えても良いレベルでしょう。サスケのその雰囲気がイタチをどんなにか安心させた事か。それを噛み砕き飲み下した後、もう一度イタチが述べた「未練はない」に触れれば、また味わいも違うでしょう。サスケがイタチの矜持を認める様に、イタチもまたサスケの成長というものを認めた訳です。だから、イタチはサスケをこの世に遺して自分だけが逝こうとも「未練はない」のです。イタチはホントに泣きたいくらい「今」のサスケが喜ばしいのです。ハグして、サスケの頭をぐしゃぐしゃにして褒めてあげたい気持ちで一杯なのです。

しかし、それを善しとしないイタチ。そのオトナっぷりがサスケを引き付ける。まるでイザナミの回廊の様に二人はこの一瞬を巡っているようじゃないですか。そんな中、サスケはイタチを「兄さん」と呼び、筈傾げも無く幼き日の気持ちを思い起した…とイタチに素直に告げています。慕っていた…と告げた。そこまでしながら、イタチが守り通そうとした木ノ葉を潰すというのは、トビが「木ノ葉隠れよりサスケの命が重かった」としたイタチの行動に対するサスケなりの答えでもありましょう。サスケにとってもイタチは木ノ葉隠れの里なんかより重いのです。その意味が、サスケの気持ちが理解できるイタチだから、イタチはサスケを諌(いさ)めません。それは、イタチは嬉しいからです。

イタチは死ぬほど…嬉しいのです。

二人の相互の理解がお互いを抑制阻害もしない。二人は「今」やっと仲睦まじい兄弟になれたのです。それはサスケのステージがイタチと対等になった事を意味するのだと思います。だからこそ、サスケはイタチに「さよならだ」と言えたのです。サスケはもうアイデンティティを確立した大人になりましたから、イタチの行動そのものを受容する事ができる。イタチの想いとか願いを充分に理解できる。その上でサスケはサスケの想いや願いを果たす為に行動する。それは憎しみと暴力に支配されたこれまでのサスケではありません。イタチはそれを感じ安堵したのでしょう。もうこの世に未練などない!!それがイタチの辞世の真意でありましょう。だから、だからこそ僕は祈るのです。

お願い!!イタチ!!サスケに…

「愛している」と言ってくれ!!

イタチの考察に続きます!!

また今夜!!

第589話「穢土転生の術・解」
ナル×ジャン ケルベロス




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第589話「穢土転生の術・解」⑦

 
「子 丑 申 寅 辰 亥」(カブト)

「………」(カブト)

(これで全部か…)(穢・イタチ)

<スッ>(カブト)

(よし…)(穢・イタチ)

(子)<スッ>(カブト)

(丑)<スッ…>(カブト)

(申)<スッ>(カブト)

さて…いよいよ本題です。完成体・須佐能呼が出た直後、場面はイタチがカブトを幻術に落として、穢土転生の術を解く印を聞き出すところです。イタチが「やる!!」と決めてカブトを追いつめたんですから、確実に穢土転生は止められる…と、僕は大船に乗ったつもりで観ておりましたので何ら不安はありませんでした。カブトは蛇の角膜で視界を閉じ光を無視し幻術対策したいましたが、それを<ペロン>と捲り上げられて写輪眼の一睨みで万事休す!!穢土転生の術の解印をイタチに教えて、次にカブトの体を使って印を結ばされています。これで戦場に広がった穢土転生軍団が一気に昇天し、無理矢理召還された御霊浄土に帰って行くんですが、五影の前に立ちはだかるうちはマダラは…果たして!!

トビの小物臭からして、カブトを欺いてトビが仕立てた穢土転生に挿げ替えてシレッとしていたようには思えませんし、カブトが無(ムウ)に憑依して穢・マダラと関わっていますんで、完成体・須佐能呼を出した穢・マダラはカブトの術下にあって、イタチがカブトに解印させた事で他の穢土転生と同じ様に消え去ると、僕は考えています。実際に穢・マダラが<ブワ>っとなるまでは何が起こるか判りませんが、ま…消えちゃわないと五影が消えちゃう(汗)。そのくらい、穢・マダラは最強無敵の存在なんだと思います。兎に角、でて来たら詰む…みたいな。逆にそれを崩したらクリア…と言う意味ではラスボスの風格ですな。千手柱間とうちはマダラの「終末の谷の決闘」とは、柱間にしてみれば、ある意味、「阻止行動」だったと思います。

でも、それはマダラにしてみれば、柱間の細胞を奪う大切なミッションでもあった訳ですが、柱間はそれを逆手に取って自分の細胞に他者の細胞と容易に交わらない様にプロテクトを掛けた可能性があるな…と、僕は考えています。明らかに千手柱間とは特殊な存在であり、その形質や能力が綱手を含む子孫に遺伝しなかった事や、写輪眼の頂点・うちはマダラに匹敵し、凌駕さえする「力量」を有する事など、兎に角、特別製の臭いがプンプンします。そこにはやはり、「うちはの石碑」を遺した六道仙人の恣意というものが等価に働いていて「千手柱間」という存在を六道仙人、或いは六道仙人の遺志が、柱間をこの世に発生させた可能性を、僕は強く感じております。

つまり、二人の存在と衝突六道仙人の恣意道理。

もう一つ、大っぴらな提示はありませんが、忍界の趨勢に「予言」が大きく関わっているのも事実で、それが兄系の「うちはの石碑」にバランスするベクトルである事が無視できません。自来也はその人生を「予言」に費やしてしまったようなもので、手塩に掛けて育てた弟子を「妙木山」のさじ加減で殺めながら、次から次へと「予言の子」を量産して来た訳です。妙木山の修行場の夥しい数の岩蝦蟇…仙術修行の失敗作…からも、数打ちゃ当たる的な非常にザックリな進行が、ある意味…大らかな弟系のどんぶり勘定に上手く符合し腑に落ちます(笑)。そして「うちはの石碑」「千手柱間」「予言」…この三つが絡み合い重なる部分に六道仙人の狙いが在る!!僕はそう疑って疑いません。

ま…それをコレから面白可笑しく纏めて行こうと考えてるんですが…えっ!?今さら!?…ここで問題になるのがカブトがトビに教えた「穢土転生の秘密」の真偽と大きく関わるのです。非常に遺憾ながら、関係資料=巻ノ五十五をゲットしておらず、書店に依頼したものの未だ連絡も無く、考察する者としては恥ずかしい限りでございますが、早急に何とかして手に入れ、早急に検証したいと思います。いろんな方から教えて頂いてはいますが、自分の眼で確かめないと書けないので申し訳ない。明日明後日はややスケジュールに余裕がありまして、そこそこ動ける。ちょっとお時間を拝借しまして、「ep589感想」→「”愛してる”と言ってくれ!!」二部構成で完結させて頂きます…という事で。

また今夜!!(ワンダフル風←古ッ!!)

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第589話「穢土転生の術・解」⑥


<ゴゴゴ>

(意識が戻ったと思えば
この様か…)
(ムウ)

<ブヮ>「!?」(ムウ)

「!」「何だ?」(連合軍)

とっくに忘れてましたけど、無(ムウ)はカブトに意識を乗っ取られてたんですよね。しかし、カブトイザナミに落ちて活動が休止。それで無(ムウ)は意識を取りも出した…のは良いんだけど、分裂後で塵遁は使えず、忍連合の手練(ドダイやゲンマ、ライドウ、イワシ?等々)に追い込まれて大ピンチ!!しかし、死なない穢土転生のピンチって…封印のリスクくらいだろうけど、この場合、二代目土影・無(ムウ)として負けられない意地みたいなものに、無(ムウ)が支配されてるんだろうな…と思います。カブトの穢土転生は生前の記憶を巧妙に利用する傾向があり、完全に支配してしまう大蛇丸のそれとはひと味違う。丸投げで自分の負担を軽減するカブト合理的な性格が上手く表現されていますね。

「ダンさん…!」(チョウザ)

「………」(ダン)

「ああ…
どうやら誰かがうまくやったようだ」(ダン)


<ボワッ>(中吉)

それで、生前の記憶を残して…の最たるものがダンだったんじゃないかなと思います。「オレが霊化の術を使う前に…」みたいな事を言いながらサクッと四紫炎陣に閉じ込められた後はチョウザと昔話に花が咲きお前一体何しに出て来たねん!?みたいに突っ込まれて然るべきかと(笑)。穢土転生の発動条件にある「個人情報物質(DNA)」ですけど、ダンの場合は大蛇丸がコレクションしてたんだと思います。第一部の綱手捜索編大蛇丸綱手と取引で使う筈だった手札だったんでしょう。同じ様に縄樹も用意されてたんでしょうが、穢土転生部隊に組み込むには役不足だったと思います。五影の一角の綱手を撹乱する為に縄樹を出すのはアリですが、それが無かった…そこにカブトの思惑が見え隠れしますね。

カブトはかなりの高確率でうちはマダラを召還する腹積もりで居たんでしょう。それはトビの利用した「名の力」を地に落とし、第四次忍界大戦の大義名分が消え失せてしまいます。カブトは忍界大戦などに興味は無かった筈です。寧ろ、その混乱に乗じて目指すものがあったと思います。それがホントに純粋に「全ての収集」であったなら、可愛いというか哀れと言うか、カブトの持つ才能とか行動力を上手く発露させる「師」がいれば良かったのに…と悔やまれます。それを「一期一会」で片付けるのも大人げないですが、カブトが大切な出会いを浪費していたのも確かだと思います。最後は「自分で自分の親になる方法論」というのもあるんですが、余りにもっているので却下します(笑)。

ところで、封印札の貼られた穢土転生にまで穢土転生・解の影響が及ぶのはどうなんだろうと思います。それだと屍鬼封尽の死神(柱間・扉間・ミナト・ヒルゼン)や十挙剣(大蛇丸・長門)にまで影響しても良いことになりませんかね。封印札の強度云々があるなら提示が欲しい…けれど、細かい事はもう良いのかな(笑)。問題は穢土転生・解で今回召還された手練達の御霊が一度「浄土」に帰るって事なんだと思います。そしたら「個人情報物質(DNA)」さえあればまた呼び出せる訳です。これを狡いと言うなかれ!!これが「チャクラ」というエネルギーを現象に変換する「忍術」なんだから。憤懣やるかたない方も多いかと思いますが、穢土転生こそが強烈な「アンチテーゼ」なのだとご納得くださいませ。

次はサスケの一人語り…順番が入れ子になってスミマ(ry

また今夜!!


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第589話「穢土転生の術・解」⑤

 
「出せっつってんだろ!!

もうキレた!
カンニン袋の緒が切れた!
いいかげん爆発すっぞ!うん!!
いいのかコラ!!?」(デイダラ)

「やれるんなら
とっくにやってんじゃんよ
ふかしてんじゃねーよ
色々と不発ヤローが!」(カンクロウ)

<カチン>「……」(デイダラ)

<ファ>「芸術に不発はねーんだよ!!」(デイダラ)

「うん!?」(デイダラ)

「え!?」(カンクロウ)

本屋さんになかなか行けなくて買えなかった単行本(巻ノ五十四で止まってた)をまとめて買って来ました…が、巻ノ五十五と巻ノ五十七が欠品でした(汗)。もう巻ノ六十まででてるのね。欠品分は取り寄せを依頼してきました。流通もいろいろと大変だから出来るだけ在庫を持たない様に加減してるんですね。ナル×ジャンでは単行本のレヴューもやってるんだけど、いつの間にか止まってしまって…(汗)。書けない事が多くなってしんどくなったんですけど。ま…その辺りはお話が大団円を迎えたアカツキには反省会かたがた纏めて行きます故。エーッと、カブトがトビに教えた「穢土転生の秘密」(ep520でしたっけ?)の「印」を確認したいんだけど、恐らく巻ノ五十五集録なんですよね…この場合(汗)。

僕っていつもこんな感じに間が悪い(滝汗)。なので、それに当たらない部分をジワジワ書いて行くとします。もう忘れてたけどデイダラカンクロウの傀儡に捕獲されてたんですよね。多分、雷遁流されて起爆粘土が無効化されててデイダラは万事休すの状態。デイダラの事だから騒ぎ立てて凄むんだけど不発(汗)。デイダラらしいっちゃーらしいか。デイダラはナル×ジャンが始まって直ぐに考察なんかを書いたけど、「白」とは違った意味で感慨深いキャラでありました。憎めない。魅力的。ぶっちゃけ可愛い。なのにデイダラ自身の自己評価がメチャクチャ低くて最期は自爆しちゃう。オイオイオイオイ…ちょっと待ってよ!!話があるんなら聴くから、こっちおいでよ!!と、僕は呟いてた…。

「なめんなよじじい!!
てめーの塵遁とオレ様の爆遁
どっちが芸術か…」(ep514)

ま…そんな感じの放っとけないデイダラなんだけど、「爆遁」という血継限界を穢土転生で呼ばれたデイダラが口走るんです。えっ!?俄にその言葉が信じ難く暫く僕はフリーズしちゃったんですよね。デイダラは単なる土遁使い…じゃないと、写輪眼・サスケに向かって迸(ほとばし)ったデイダラのジェラシーが上手く説明できなくて困るんです。「写輪眼」という血継限界の恩恵に浴すサスケに反骨精神を滾(たぎ)らせるデイダラ「爆遁」なんて血継限界チャクラを所有するのは、ナル×ジャン的にはしっくり来ないんです。デイダラは土遁が使えるだけの(自分では気付いていないけれど…)天使じゃなきゃ面白くないのです。しかし、デイダラ「爆遁発言」もまた事実でホトホト困りましたっけ。

しかし、「爆遁」という血継限界とデイダラが得た禁術の「爆遁」は別物…という解釈をウィキで見つけて、それはそれでデイダラの気持ちとはリニアだな…と納得しました。それに僕はデイダラ「爆遁」とは微妙に陰陽遁とも関係してる様に感じてまして、何らかの特殊をデイダラが後付けしたんだと考える方がしっくり来るのです。例えば「爆遁=土+火」として、余りにも雷遁に弱過ぎるデイダラ「爆遁」にプラスαのアドバンテージを感じません。なので、デイダラが生来持つ土遁の才能が「禁術・爆遁」のインターフェイスになっていて、術の入り口で雷遁にジャミング掛けられて不発ブッこくみたいな…のが受け容れ易いです。具体的に禁術って両手とか胸に埋め込まれた「口」…ね。ク・チ…。

デイダラって「口唇期」(Oral stage)に欠落感があって「口唇性愛」に拘る子なのかな…と思ってて、それが「口」に対して異常な興味を示すのは非常に興味深い描写でした。皮肉な関係と言った方がしっくりくるかな。ま…この辺は偏った僕の「発達論」が関係してるのでアレですが、デイダラがある時、偶然に「起爆粘土」という特殊な素材に巡り逢って、何らかの事情で、それを自分のチャクラとミックスする事が出来る「口」を取り込む事で後天的に「爆遁」を獲得したのは、先天的な才能に恵まれていないと限りなく低い自己評価を下すデイダラにドンピであります。デイダラ「似非・爆遁」じゃなきゃデイダラが浮かばれない。単純に僕はそう在って欲しいと思うだけなんですけどね。

死んでからも尚、浮かばれないデイダラなんだけど、デイダラが岩隠れでなく砂隠れに生まれてレバカンクロウと出会ってタラ…なんて「レバタラ」を夢想してしまいます。この行の薄っぺらいデイダラの虚勢。それを真っ二つに叩き割るカンクロウ。確かに口は悪いし、捻くれてるかも知れない…「我愛羅に護衛なんて要らないジャン」カンクロウは何故、「我愛羅に護衛は要らない」と言ったのか?参照)と言っちゃうキャラ…でも、デイダラを正し導く存在としては適任じゃないかと思うんです。何気に闘い方も似てる…。ふと、ふと…僕はそんな風に思ってしまう人なのです(汗)。それもまた人生の彩(あや…陰影)。それが成ればデイダラ不発人生も何とかなったの…かも…。

人生ってちょっとした出会いで一変するんです。それが「一期一会」なのであります。ナルトは「白」と出会い、サスケは「白」と出会えなかった。たったこれだけの事で二人は運命をえた…とも言えるのだと、僕は考えています。詳しくは「白」に関する考察(その2)とか、「デイダラ」なんかを読んで貰えれば伝わると思います。一瞬でも人生を変えてしまうような出合いがある。僕はそう思い、人生を歩んでいる。そう考えナル×ジャンをやっている。そう考えメッセージを頂く方に(極稀に…汗)お返事しています。ナル×ジャンも「不発」と言えば「不発」だけれどもいろんな方との出会いに支えられるのもまた事実♪「不発」故に5年も続けられている確実♪デイダラはそのままで良いんだよと思う切実♪

デイダラじゃなく穢土転生が「不発」なんだし…(笑)。

(不発なので)細く長く続きます!!

また今夜…!!



 
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第589話「穢土転生の術・解」④


<キーン>(君麻呂)

<ファ>「!!」(君麻呂)

「!?」(侍A)

「何だ!?」(侍B)

<ファ>(君麻呂)

<ファ>「!

!?
これは…?」(チヨバア)

第四次忍界大戦の穢土転生軍団を総括させて頂くなら、詰まんなかったなの一言でFA(笑)。そこには生死を懸けた一生懸命などなく、生者は死のリスクだけを背負い、穢土転生は死のリスクと無縁なのである。しかし、単なる塵芥の塊でありながら、生前の能力を無制限に発揮できる。これでは「命」が余りにも軽々し過ぎはしまいか?否…軽々し過ぎる。チャクラ忍術が如何に万能であろうと切っては成らない「手札」だったと、僕は考えています。しかし、大蛇丸は第一部・木ノ葉崩しで、あろうことか初代と二代目の火影を召還してしまう。屍鬼封尽の制限がなければ四代目も大蛇丸は召還しようとすらしたようです。そして、大蛇丸→カブトのホットライン穢土転生軍団でした。

しかし、穢土転生と生者が戦う意味が見えて来ない。”暁”外道魔像に溜めた尾獣のチャクラと生きた柱間の細胞を培養体を組み合わせ白ゼツ軍団を量産し兵隊としたのも「命」の重さを天秤にかけられるなら決して釣り合う事の無い「力」なんだと、僕には思えてなりませんでした。それは物語の面白味に直結していて、懐かしき君麻呂が躍動しようとも、もう一度逢いたいと望んでいた千代様が傀儡を操ろうとも一向に<ワクワク>が起こらない。それはこの戦いが無価値で無意味だからんだと、僕は考えます。『NARUTO -ナルト-』における「闘い」とは「対話」に近いのです。お互いをしっかりと見つめ評価する。それぞれの才能や修練…性根と言ったものをお互いが吟味する。

それは闘う相手の「命の重さ」を量る…という事なのだろうと思います。「闘い」に勝った者は敗れ散った者の「命」を背負い「生」を繋いでいる。「死」とは「無」に帰する事ではあるけれど、例え刃の錆(さび)であろうと受け継がれる。ある意味、それも「繋がり」なのだろうと、僕は思うのです。『NARUTO -ナルト-』で描かれる「闘い」とは凡そそういう良識を備えております。穢土転生を除けば…。卑しさではなく気高さがある。それは真に品格を持つ貴族のようでもある。かつて発展途上にある日本に訪れ文明を伝えた欧米の伯位はフィンガーボールをコップと誤認して水を啜る土人に閉口する事無く、共に指洗いの水を啜ってくれたといいます。知性とは優しさなのです。

それが六道仙人の末裔として、凡人が扱えないチャクラを練り、忍術を発動できる「血」に在らねばならないのである。「闘い」とはかくも気高くなければならないのである。でなければ流れる血は唯唯…卑しい。気高さがない「強さ」「命」を正しき方向に導く事はできない。それでは自分をバラバラに砕いた六道仙人の想いが無意味になります。穢土転生を嫌悪する気持ち。もしこの無意味な行に意味を見出すなら、穢土転生の対極に在る「闘い」を、僕らが思い出す事に尽きるのではないか。この下らなさにも意味がある。そう考えるところに「神のご意志」が在るのではないか?!僕はそう考え、まるで青汁を飲む様に(飲んだ事ないけど…)君麻呂と千代様を見つめるのです。

小刻みに続きます(別に意味は在りません)

…また、今夜!!(ケルベロス)


 
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第589話「穢土転生の術・解」③

 
「もう…何を言っても無駄なようだな」(サスケ)

「………」(穢・イタチ)

サスケは賢いから、穢土転生のイタチが粛々とカブトに穢土転生の解印をさせてる姿をみて、諦めたんだと思います。具体的にはサスケはイタチが、サスケの生き方に金輪際関わらないのだと悟ったのだと思います。イタチは死人であります。こうして二人は再会し、在りし日のイタチをサスケは図らずも感じてしまった。勿論、在りし日のイタチ完璧さをサスケは誰よりも知る人でもあります。背を向けるイタチ。イタチをしっかりと見据えるサスケ。二人は「今」…対等に語り合う男と男に成り得たのだと、僕は感じています。イタチは何も語らずサスケの前から消えてしまうかも知れない。それを最も恐れたのはサスケだろう。僕は何の疑いも無く、そう思いました。

イタチはサスケに完璧ではない。「完璧だった」と思ってくれるな…と伝えました。僕はその言葉にを刺された気がしました。イタチは矜持(きょうじ)を持って歩んでいるのです。不遜でも尊大でもなく、ましてや倨傲(きょうごう)でもありません。僕は少なからず奢り昂っていた自分を無視できないでいます。それが「完璧でない」とサスケに告げたイタチの想いに触れた瞬間、不純な温もりとなって、酷く生々しく感じられたのです。僕はイタチに頬を打たれたのだと思いました。イタチはサスケにああ言ったけど、「完璧」だよ。ただ一点、欠けた部分があるならば、それは死んだ事くらいだろうが、それを忍の「力」が結果的にではあるけれどやり直させている…何という皮肉。

しかし、その「貸し」を一切不問とし、イタチは「木ノ葉の為」と言い残し逝こうとしている。そのややこしさをサスケは充分理解してるから「何を言っても無駄」と言うのだろうと思います。サスケはイタチの望み通り、イタチを「完璧」とは言わなくなったのです。その意味で、イタチがサスケに関わらない意味を、サスケなりに考え、理解し、受け止めたのだと、僕は感じています。サスケはイタチをしっかりと見ています。眩しさに眼を背ける事無く、「完璧」を見つめている。サスケは素直になれている。それはイタチがしたからであり、サスケはされた自分を感じている…のだと思います。サスケの想いが山葵(わさび)のように<ツン>と香る。咽(む)せる。

でもまた口に運びたくなる…『NARUTO -ナルト-』

「だから…
オレを完璧だったなんて言ってくれるな」


イタチは「完璧な不完全」なんだ…(続く)。



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第589話「穢土転生の術・解」②

 
<ボワワワワワワ>「!!」(キラ尾)

「!!」(トビ)

「ナルト!
人柱力達が消えそうだ♪
どうやらイタチがうまくやったようだ♪」
(キラビ)

<ハァ><ハァ>「ありがと…
イタチ」(ナルト)


「こっちはまだうだうだ♪」(キラビ)

「うだうだ言ってねーで
こっちもやるってばよ!!」(ナルト)

「穢土転生の術・解」の仕舞いの辺り(イタチの前)…ちょっと訂正がありまして、イタチがカブトに解印させた穢土転生テイルズ六道が消滅しようとしてますんで、これはカブトが呼んだ死人をトビが「魔像の杭」を用いて外道の術下に置いたのでしょう。僕はトビがカブトから見取った穢土転生テイルズ六道を仕立てたと考えてたんですが、トビはカブトの穢土転生の人形をアレンジして流用したんですね。尾獣の封印は人柱力を殺さず捕獲して外道魔像の元に拉致るのが原則ですから、基本、”暁”は人柱力の死体(尾獣を抜かれて死ぬ)を保有してる事になるんです。なのに、トビが何で穢土転生の人形を使ってテイルズ六道を仕立てたのかが疑問でしたが、ヤッツケ仕事で済ませたかったのかもね。

トビの移動能力ならば何処かのアジトに隠した人柱力の死体を回収するのは造作もない事なのに…。凄く疑問だったんだけど、目の前にある材料でチャッチャと仕上げてしまったのかな。しかし、穢土転生テイルズ六道を構成したので、奇しくも尾獣のチャクラと人柱力の御霊が再会してしまったんです。それを足場にナルトは尾獣同士が独自に繋がる「心の階層」に達し、件の「九つの名前」「(約束の?)チャクラ」を貰う事ができました。僕はそこにトビが隠し持つ何らかの狙いみたいなものがあるんじゃないかと期待したりしていたんですが、それがトビのある台詞と相反しましてうまく説明できずに居た…訳で、しかし、これがナルトにとっての結果オーライだったんかしらと納得できました。

(汗…?

…イヤ…雨だ…!
…オレが…あんな奴ら相手に
汗を流すことなど
あるハズがない!!」(トビ)

<ポツ><ポツ>

(ナルトはただのサスケへの当て馬…
オレにとっては余興でしかないガキ
だったハズだ!!)
<スッ>(トビ)

<サァー…>

(あいつの力は把握していた…!
この違和感は力くるものではない…!


なら何だというのだ!?
いったい何が…!?」
(トビ)

(…イヤ……
そんなことはどうでもいい
ナルトが何者かなんてのは 
どうでもいいことだ…)
(トビ)

第573話「輝きへと続く道」でトビがナルトに脅威を感じるシーン…トビは明らかに戦慄しています。しかし、それが余りにも想定外でリアリティがない。だから、汗なのか雨なのか…が解らない。僕はトビが「何らかの狙い」を持って、死体のみを利用する「六道の術」ではなく、穢土転生を咬ませて元人柱力の御霊も呼び寄せる…そこに何をか期待してしまった(汗)。でも、その想いがトビの焦りまくる姿としっくり来ない。しかし、これがチャッチャと済まそうとしたトビの手抜きが生んだナルトの結果オーライだったら非常に上手く繋がります。そもそも、兄系は「心」というものに不感症なところがあり、外道魔像すら尾獣の「力の階層」は支配しようとも「心の階層」には無頓着です。

なので、ここはトビのナルト軽視が生んだ悲劇…かと(汗)。いろんな方にヒントを頂きまして、不整合な部分が上手く繋がって参りました。今日は忙しくてお休みさせて頂こうかと思ったんですが、ここは書かなきゃと、急遽筆を執りました。実はここから面白い捏造限界が生まれてたりしまして、またキッ神を困らせてしまうかも知れないんですが、テイルズ六道(外道)はトビの穢土転生ではないけれど、トビもまた穢土転生を使えます<キリッ>。それが今後大きく物語に関わる可能性があります。術の解印に関しては発動者が行わねば術が解けない…「因果=印果」というものが忍術にあるだけで、だからイタチはカブトを幻術に嵌め操りカブト自身の印で「穢土転生・解」を行っただけ。

カブトの発動した穢土転生をトビが解けないのは当たり前なのです。だから、それとトビが穢土転生を使えないという考えは繋がりません。トビは予めカブトを”暁”に取り込む(共闘する)段階で取引して穢土転生の術の全てを見ています。写輪眼持ちが目の前で術を曝させるという事はその術を「頂きます!!」と同義であります。ここ、もう凄し掘り下げてナル×ジャンらしい捏造限界を示せれば良いなと思います。最近、いろいろとありましてナル×ジャンの活動に没頭できなくて物足りなさを皆さんに与えてるかなと申し訳ないし、いろんなメッセージにもお返事できなくてスミマセン。ま…その分、書ける時は書きますので、今回の「無いナル」は何とかナル×ジャンが踏ん張って…<ゲフォッ>(←吐血)。

…と、いつものお約束で続きます(笑)。

 
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第589話「穢土転生の術・解」①

 
<メラメラ>(須佐能呼)

「大きい……」(綱手)

「こ…これが…本当の須佐能呼…」(メイ)


「まだだ…」(定まれ…!)<グッ>(穢・マダラ)

<ズズズズ>(須佐能呼)

「………」(オオノキ)

<スウー…>(オオノキ)

(デカブツのチャクラが安定した…)(オオノキ)

「くっ…」(オオノキ)

「…ここまでの差が…
おじい様はこんな奴を相手に…」
(綱手)

「オレを止められるのは
唯一柱間だけだと言ったはずだ


だが奴はもういない

…それも
お前らにとっては
却ってよかったとも
言えるかもしれない」
(穢・マダラ)

「!!?」(五影)

「なぜなら―」<スッ>(穢・マダラ)

<ブン><ズコ><ドドドドドドド><ズガッ>


「キャ!!」(メイ)

「ぐあ!!」(オオノキ)

<ズズン>

<ズサ><ズサ>

「ぬぉ!」(オオノキ)


「オレ一人分なら…
地図を描き直す範囲が
狭くて済みそうだからな」
(穢・マダラ)

「そんな…山が斬れてる…」(メイ)

きっと、こんな感じで「終末の谷」は造られたのかな…と一瞬思いました…が、穢土転生のマダラって、「終末の谷の決闘」で柱間の細胞をゲットして輪廻眼を開いた全盛期(カブトは全盛期以上に仕上げた…と言っている)で、かなり盛られてます。確かに完成体(完全体じゃなくて完成体ね…メラメラ)のエモノの一振りで地が裂け山がちょん切れる…もう「忍」の領域を逸脱しまくって開けっぴろげでおおらかー…って、和んでる場合かよッ!!っと軽くセルフボケ&セルフノリ突っ込みを入れさせて貰いまして(笑)。しかし、基本的に穢土転生のうちはマダラが表現する「力」とは六道仙人のそれであり、「終末の谷の決闘」で千手柱間に敗れたうちはマダラの「力」ではない…筈。

なので、ここで五影を震撼させる圧倒的な「力量」を見せるうちはマダラの(完全体じゃなくて)完成体”須佐能呼”「力」って、十尾と均衡する程に大それたもんだと思いまする。ま…実際はもっともっと「霊器」を持って強化してたと思いますが、千手柱間の細胞を手に入れたうちはマダラは輪廻眼を開眼し「六道」に進化した訳で、そのまま死なずに居られたならば間違いなく世界を統(す)べ、とっくの昔に世の中は「安寧秩序」の中に在ったと思われます。その先にはトビが夢精…おっと失礼…夢想する大幻術・無限月読なんて幻術が待ち受けるんですが、「ある事情」がありまして、六道仙人にはそれが必要なかっただけ…と現時点ではさせて頂きます。

しかし、「怪獣大進撃」みたいな「力」何で必要なのかを皆さんには考えて欲しいと思います。何度も言いますが、うちはマダラが千手柱間の細胞(力の一部)を取り込んで輪廻眼を覚醒して「六道」となった…それは「うちはの石碑」の最終目標なんだと、僕は考えています。その為、マダラが穢土転生の術でなく外道・輪廻天生の術で復活したならば『NARUTO -ナルト-』は詰みで、今頃ナル×ジャンで盛大に茶話会&反省会を催していたと思います。だからこそ、長門の外道・輪廻天生の術空撃ちさせたナルトと長門の決着に妙木山・大ガマ仙人はほくそ笑んだ訳です(し、しつこい…)。だから、うちはマダラの穢土転生「止められない」と嘯(うそぶ)くカブトの言葉は非常に重いのです。

多分、トビ「別ルート」で目指すのもこのレベルの「力量」だと思うんですが、トビのイザナギの使い方なんかを観察するとファンダメンタルが圧倒的に不全なので、取り敢えずサスケの身体を欲するんじゃないかと思います。イタチ→サスケの眼の移植の執刀をトビが受け持っていますから、何らかの「楔」トビはサスケに仕込んでるんじゃないでしょうか。でも、ま…そんな世迷い言は置いときまして、六道仙人が兄系に「うちはの石碑」なんて代物を遺して導いたのは、やはり六道仙人「恣意」がある…鉄板で六道仙人「自分」を兄系に再構築させる一本道を遺し追い込んだんだと思います。それに対して、「予言」はそれをマークするように弟系をフォローしていた…。

六道仙人って何考えてたんでしょうね。史実では世界に「安寧秩序」を齎した「神様」とされる人物。単なるDQNじゃない事は確かです。でも、穢土転生のマダラがやってる事って明らかにDQNですよね。虫けらのように人を殺し、地図を描き変えさせる(笑)。どう見ても「神様」には見えません。しかも、マダラの「力量」がどんなに凄かろうと何も響かない。それには状況が大きく関係しているんだと、僕は思います。だから、マダラは大幻術・無限月読を使うしかない…そう、幻術の夢の中で人々は眠り「夢」を見せるしかないのです。僕は一瞬、いきなり完成体(完全体じゃなくてね…)・須佐能呼を出さなかった穢・マダラにムッとしたけど、実はそういう事なのよ…って、どんな事よ(笑)。

「…………
これがうちはマダラ…
なら…なぜあの時…

ワシらを前に手を抜いた!?」(オオノキ)

「砂利と本気で
ケンカする大人がいるか?

そんなことより…

もう終わりか?」(穢・マダラ)

<ズン>

<ゾクッ>(メイ)



<ザッ>(オオノキ)

「……!」(穢・マダラ)

「ワシらはまだ道に迷うてばかりじゃったが
今やっと道を道を見つけられそうなんじゃ
こんな所で…!」(
オオノキ)

「…………

この須佐能呼は破壊そのもの…
その一太刀は森羅万象を砕く力を持つ…
あの尾獣にすら匹敵するな…

お前らの道諸共
砕け散れ五影」
(穢・マダラ)

五影をしても穢・マダラの発動する完成体(完全体じゃなくて…ね)・須佐能呼にはお手上げな訳です。サスケには強面(こわもて)だったメイちゃんなんか失禁寸前(既にしてる?)に恐怖しています。ここは素直に忍術を極めた「影」にすら常軌を逸した「力」なんだと考えて良いのだと思います。そういう「力」穢・マダラは示している。これで穢土転生が解かれなければ詰みです…詰み(汗)。だから、トビは事前にカブトと取引して穢土転生の全てを教えて貰ったんだと思います。例のフーとトルネを使い捨てる様に実験したアレですが、勿論、トビは写輪眼のコピーで穢土転生を会得してまして、それが「テイルズ六道」(←何らかの意図を含んでいる?)にいきなり応用されてましたね。

エーッと、お話が散漫になってしまって申し訳ないですが、書けない部分がある。教えたいが、それでは気付けない部分(もっとも僕が間違ってるなら無かった事になりますが…汗)。そして、それに唯一気付きそうなのが土影・オオノキです。オオノキは自分らが何をして何を成せば良いのか?それが薄らと(でも)解ってるんだと思います(もう死にそうだけど)。その想いに穢・マダラ完成体(完全体じゃなくてね)・須佐能呼コントラストしてるんです。対極してると言った方が良いかね。世界を幸せにするのは…平和を齎すのは「力」なのか?「愛」なのか?その問いに対する明確な答えの手掛かりオオノキには在るんでしょう。そして、そその悔しさが僕をき動かす…のです。

二週間の無いナルを共に耐えましょう!!

予告:「愛している」と言ってくれ!!(うちはイタチの考察)

続く…感想も続きます。



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「淀(よど)み」(ep588補足)


エーッと、こんばんは!!ナル×ジャンのケルベロスです。今週もダラダラ…と思ってたんですが、月日は流れ金曜日(汗)。リアルで色々とありまして、あとモチベーションが…。ま…アレな話はおいときまして、KFBで完全に忘れてましたが、木遁分身で5×5(でしたっけ?)で、今度は穢・マダラ五影に一対五のしんどい戦いを強いる状況?かなり忘れてたんですが、その分身が”須佐能呼”を使えるかどうかを穢・マダラ五影に問い掛けてましたよね。そこまでやって出来ませんはないでしょ…と思ってたら、DBの魔人ブウみたいのがチョロチョロ戦ってて笑いました。ぶっちゃけ、穢・マダラは圧倒的で五影は分断され疲弊し、折れそうになってまして…雷影・エーが大ピンチに!!

それを経験値の高い土影・オオノキが救う…。綱手創造再生・百豪の術を乱用して雑な戦いを展開しジリ貧。風影・我愛羅や水影・メイも風前の灯火。それを土影・オオノキが消える直前の蝋燭の炎が、一瞬輝きを増すが如く…気を吐き立て直します。それが五影の打ち合わせ無しの連係を呼び寄せ、塵遁→雷水龍弾+砂&封印札の複合技で穢・マダラを一瞬、追い込みますが、希望の灯火を掻き消す様に穢・マダラ完成体・須佐能呼が登場して続く!!…と、相成ります(汗)。こう言っちゃ何ですがベタな展開で、かなりどうでも良くなってしまってスミマセン(笑)。それで筆が重くなってしまってなかなか書けなくてスミマセン。ちょっと補足をば…約束なもんで(汗)。

「立て!!…影共!!
生死を分ける時にもう弱音を吐くな!!」
(オオノキ)

「!!」(他影)

「五影のはしくれなら
最後の言葉はその肩書きに
恥じぬものにせい!!


ワシらがナルトに
預けた戦いがあるのじゃ!

あいつに預けられた
ここでの戦いは
絶対に勝つと誓ったんじゃぜ!

それにもう一つ
ワシらは忍の者
全員から預かったもんがある―」
(オオノキ)

「………」(穢・マダラ)

「五影を預かったことを
無駄にするな!!!」
(オオノキ)

チャクラを扱えるのが六道仙人の兄と弟の子孫・忍(人間の女と交わり生じた亜人)であり、白眼(←瞳術に関しては一度整理しますのでちょっと待って)以外の瞳術使いが兄系で完璧マイノリティな立ち位置で、忍界の多数派は弟系でFA。それは恣意に満ちた六道仙人の想いというものが関係していまして、最初から弟だけにしてやれば良かったのに!!と思える程、兄系は孤独で、弟系は仲間が沢山いる(笑)。ここでオオノキが気を吐いて影共が一致団結して見事な連係を発揮して畳み掛けますが、それを穢・マダラがどんな気持ちで受けたのかを考えると、悪者・マダラがちょっと可哀想になったりもしました(笑)。ちなみに、ここでオオノキが吐くのは「影」の重みなんですが…。

チャクラを扱える種族…ぶっちゃけ亜人であるが普通の人間を支配する事無く、「国」の下部組織として「里」に自ら閉じこもり、貧相な大名の命令に従うのは、何らかの説明が欲しい部分ではありますが、多分、DNAに刻まれた「お約束」なんじゃないかと、僕は考えています。チャクラを扱える者は、そうでない者を守る…みたいな決まりが本能に書き込まれていてるんだと思うんです。それに当て嵌まらないのが兄系で、設計上、必然的に少数派、或いはボッチになってしまうので弟系に飲まれ表に出ないだけなんだと思われます。そして、基本、忍界は弟系が主流で、清貧に戦う忍共の頂点が「影」と考えて差し支えく、「影」こそ、力なき者を守るピラミッドの頂点であろうと思います。

多分、それをして大蛇丸が綱手にダメ出ししたかと思いますが、命を懸ける頂点が「影」なんでしょう。そう言えば、かの「九尾事件」でミナトが「封印術・屍鬼封尽」を極めて初期に切ったと思えるのも、それが「火影」としての嗜(たしな)みだったからかも知れません(て)。逆に言うと、「影」たるもの「命」と引き換えに繰り出す術の一つや二つは持ってるよな!!という意味なのかも知れないし、死ぬの怖がってんなよカス…という叱咤激励だったのかも知れません(笑)。それは総じて「忍」というものが、国や世界の人々を守るという「レ(ー)ゾンデートル」に関係するのだと、僕は解釈致します。それと六道仙人の「安寧秩序」全盛期のうちはマダラは明らかに違うとだけ言っときますか(笑)。

(なるほど…
さすがは仮にも
影の名を背負う忍達だ……)(穢・マダラ)

「ならば
うちはマダラも
全力で応えよう<バシャ>

五影も何も全てが
無駄になるということを…」
(穢・マダラ)

<ズオオオオ>

「この完成体
須佐能呼でな!」
(穢・マダラ)

ところで…穢・うちはイタチが穢土転生を使命感を持って止めようとしてるのは穢・長門の供給した情報に拠るものと思います。カブトの居場所以外に、穢土転生のうちはマダラの存在は長門がイタチに伝えたんだと思います。思いの外長くイタチは長門に肩を貸し歩いていましたから、そこで穢土転生の制限に引っ掛からないようなシャベクリで巧妙に情報の授受があったのでしょう。それ程にうちはマダラの存在は世界の趨勢に直結する重みがあるのだと思います。僕はマダラが輪廻天生の術で蘇ったら詰んだと思う人なので、輪廻天生の術を長門が別の選択をして別の使途に使い切ったのは「予言」に関わる大事だったのは大ガマ仙人ほくそ笑んだのを見ても明白でありましょう。

すっごく余談なんですが、オオノキを穢・マダラが煙たがるのは、五影の精神的な支柱足りえてるだけだなく、うちはマダラがついぞ「火影」に選任されなかったからでありまして、それは六道仙人の遺した呪いともいうべき「うちはの石碑」をトレースする兄系の生き方には極めて敷居の高い要求でもありました。一族同士で殺し合い、瞳力を極める方向性はマイノリティに続く一本道。それと「政治力」とか「社会性」がほぼ真逆のベクトルであったのは皮肉としか思えない。そんなマダラに五影が集結して立ち向かうのは、死人と言えどもキツイ(笑)。こんなマダラに誰がした!?というなら間違いなく親たる六道仙人なんですが、もうDVで親権剥奪レベルの悪行と言っても過言ではないでしょう(笑)。

しかし、そんな苦行にも似た人生を強いられた兄系のうちはマダラなれば、何故、いきなり全力で世界を潰さない。何故、最初から完成体・須佐能呼を出さない。お前の恨みはその程度なのか?!お前の運命の歪みとはその程度なのか!?と、逆に腹が立ってしもうて(笑)。マンガなんだから読み飛ばせよ!!と申されましても、読み飛ばせないからナル×ジャンが存在する訳で(汗)。奇しくもアニナルでも再不斬と「白」の穢土転生がカカシを沸騰させた行で、ここに来て死人に仕事をさせる穢土転生の功罪が交錯している。時に流れは揺らぎ縺(もつ)れる…清らかな水も滞り淀(よど)む。これこそが、「チャクラ」「忍術」に対するアンチテーゼ(反定立)なんだろうとは思いますがね。

これは長い長い河の…僅かな…
淀(よど)み…に過ぎないのだ(汗)。

ちゃんと書けなくてスミマセン

第588話「影を背負う」
ナル×ジャン ケルベロス



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第588話「影を背負う」

 
<カチャ>「これで…
転生の死人は全て消える」(穢・イタチ)

「………!」(サスケ)

「戦争も終わりの時が近づく」<スッ>(穢・イタチ)

「………
なら…兄さん…アンタも…」(サスケ)

さあ!!いよいよ穢土転生の解除です。イザナミに捕えられたカブトはまな板の鯉なんで、それこそ煮るなり焼くなり自由なのでしょう。しかし、穢土転生を解くという事は、穢土転生で呼ばれたイタチまでもが塵芥(ちりあくた)に帰す訳で、それが何を意味するか?賢いサスケにはよく解っている訳です。木ノ葉隠れの為に犠牲になったイタチ…そしてまた今回も、こうして二人会えたのに、兄さんはまた居なくなってしまうのか?!また独りぼっちになってしまう。もっともっと一緒に居たいのに。サスケに滲む悔しさが絶妙にサスケの台詞に乗っかっています。サスケは木ノ葉隠れが憎いのです。イタチに一族を殺させ、自分から全てを奪った…。そして、もまた…。

「…オレは木ノ葉隠れのうちはイタチとして
もう一度忍里を守ることができる


もうこの世界に未練はない」(穢・イタチ)

「なぜだ!?
兄さんあんなことをさせた
木ノ葉の為に何でまた兄さんが!!

兄さんが許せても
オレが木ノ葉を許せない!!


この世に未練がないだと!!?
オレをこんな風にさせたのは
兄さんなんだぞ!!」
(サスケ)

「あんなこと」とは「うちは虐殺」だと思います。サスケにはイタチ行動が全く理解出来ない。サスケがこんなに激昂(げっこう)するのはイタチが、それでもなお「木ノ葉隠れのうちはイタチ」というアイデンティティを保っているところに尽きると思います。そして、それに輪を掛けるように…「未練はない」なんて言うもんだから、「オレをこんな風にさせたのは兄さん」と、オレを忘れてるじゃないか!!と言ってしまう訳です。まだイタチはサスケを救ってはいません。それをどうすんの?忘れてんの?何もせずにこのまま逝っちゃうの?と…もうこれは「おねだり星人」と呼ばれても仕方ない(笑)。そんな自爆覚悟のサスケの「オレは!?オレは!?」なんだと思います。

これがお笑いならば、ここで「熱湯風呂と氷水」が待っていて「どうぞ!!どうぞ!!どうぞ!!」なんですが(訴えてやる!!)。しかし、サスケの言い分がお笑いに思える程、サスケの想いというものが幼稚に感じるのは何故なんだろ?と、僕は暫く考えていました。なんかこう…<スーッ>と入って来ない事が多くなったな…(僕も)歳なのかな?(僕が)ズレてるのかな?と不安になりました(汗)。それでもサスケがまるで子供に見えるのは、サスケと極めて鮮明にコントラストするイタチが、サスケの傍らに静かに立っているからでしょう。肩で息をする。汗すら滴らせている。クールな忍に成長した自分をイタチに見せたい筈のサスケが…。こんなにサスケが必死なのは自分の事しか考えていないからです。

サスケはイタチに「自分と同じ想い」になって欲しいと思っているんでしょう。その考え方ってトビがブチ上げた「月の眼計画」に似てるな…と思いました。簡単に言うと、「月」に投影した「大幻術・無限月読」で同じ夢を見よう!!一つになろう!!という馬鹿げた計画でありまして、その幼稚な願望が、サスケの示すイタチへの一体化願望と一致します。サスケは自分の悔しさをイタチにも感じて欲しいと思っています。しかし、その熱に対してイタチは同調しないばかりか、共感すら示さない。だから、サスケはイタチに「もっとオレに未練を燃やせ!!」と叫んでる(笑)。それが僕がサスケに幼稚さを感じてしまう理由なんだと思います。ホントにサスケは自分だけだな…って思う。

サスケはイタチを思い遣っているんではなくて、自分が可愛いだけなんです。サスケはイタチを救おうなんて決して考えてはいない。サスケは自分をイタチに解って貰いたいと思ってるだけなんです。サスケはイタチの気持ちじゃなくて自分の気持ちを優先させています。だから、辺りが見えていない。だから全てが腹立たしい。でも「自分」と同じ気持ちなのは「自分」だけです。しかし、サスケはイタチに自分と同じ気持ちを要求している。それが一向に交わらない二人の視線を作り出している。そして、それにイタチの持つキッパリとした良識…死者が生者に関わらない…が加わってるもんだから、サスケの孤独感が半端無い。その点ではサスケに一応、同情の念を禁じえません(笑)。

「……」(穢・イタチ)

<ハァ><ハァ>(サスケ)

「お前を変えられるのは
もうオレじゃない」
(穢・イタチ)

「!?」(サスケ)

「だからせめて…
この術を止めることが
オレの今できること
ナルトに託したことをないがしろに
しないためにもな」
(穢・イタチ)

「!?」(サスケ)

イタチとしてはナルトに全てを託していますから、サスケに「最後の言葉」を伝える以外は関わらないスタンスは鉄板でしょう。しかし、穢土転生うちはマダラが召還されてしまった。その意味をイタチは誰よりも理解している筈です。このお話って六道仙人が再び降臨しちゃったら詰み(チェックメイト)なんです。それが兄系の目指すミッションなんだと、僕は考えてるんですが、全盛期うちはマダラとは、「仙人の眼」「仙人の肉体」を合わせ持つ「六道」であります。そして、そのオプションたる「外道」すら手に入れ、自分の部下に「再生の手段」を残しまでした訳です。だから「外道・輪廻天生の術」を他の事に使った長門の死とは、その意味で「予言の成就」とも言えるのです。

全盛期(以上)のうちはマダラが登場したら詰み(汗)。今回、穢土転生でマダラが呼ばれたのが唯一の救いでありまして、イタチが穢・マダラを討つのでは無く穢土転生を止める方向に奔走するのは極めて合理的で、問題の本質を極めて正確に見抜いている証拠と考えて差し支えない。そして、イタチはキッチリとカブトを止めました。その上で尚、イタチは凛とした生き様をサスケに示すのです。このオトナっぷりがサスケには理解出来ない。だから、こんな風に幼稚に騒ぐ敷かない。ちなみに「ナルトに託した…」云々はサスケに約束した…イタチの「最後の言葉」ではないと願います。僕はもっと優しくて温かい…サスケを安心させるような…「愛してる」だと心の底から祈っております。

<スッ>(穢・イタチ)

<クイ><クイ>(穢・イタチ)

(…穢土転生の術を止める
印を教えろ…)
<ギン>(穢・イタチ)

<ビクン>(カブト)

そして、カブトの瞼を静かに捲るイタチ。エラくアナログな方法で来ましたな(笑)。それを残った右眼で幻術にハメる。イタチ兄さんの仕事だからキッチリと穢土転生を解除して、絶対に止めることが出来ないうちはマダラを止めてくれると信じています。それが出来ないと世界は必ずや焼け野原になる。そうなればトビの「別ルート」が現実にもなってしまう。しかし、それは兄系のイタチの本分なんだろうか?とやや疑問が擡(もた)げます。ここまで来るとイデオロギーの問題だからアレですが、その辺はもう一度精査する必要がありそうですね。それぞれ「背負うもの」があります。それをキッ神は皆に考えて欲しいと思ってるのでしょう…多分。今週もダラダラと考えて行きましょう。

肝臓疲労の為、「補足」で続きます<ゲフォッ>

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第587話「9時になったら」④

 
<スッ>(カブト)←眼鏡、眼鏡…

(こんな…こんなとこに
閉じ込められなきゃ…
今頃 戦争に勝って…)
(カブト)

<カチャ>(カブト)←眼鏡、眼鏡………

「とっくに寝てる時間だったのに…」(カブト)


(………って…)「イタチめ…!」(カブト)

カブトの意識はイザナミの夢幻回廊を彷徨っている…。恐らくカブトが持つイタチやサスケのイメージを元に、決してカブトが勝つ事のない戦いを延々と繰り返しているのでしょう。これは「夢」と同じ仕組みなんだろうと思います。イタチはカブトが見る夢の起点と終点を重ねただけ…カブトの持つ自己に対するマイナスイメージがどんな時もカブトがイタチを上回らせないのです。走っても走っても追いつかれる…悪夢の暗殺者みたいなもんです。結局、カブトの中には既に「答え」というものが在って、イタチはそれを自覚する方向にプレッシャーを掛けているだけ。やはり「教えられる」のではなく「気付く」のが大切だとイタチは考えているのだと思います。

その為にカブトは「傷付く」必要がありまして、その「気付き」が結果的にカブトを「築く」のだと、僕は思います。今の世の中、この「傷付く」というプロセスが、あたかも悪い事の様に捉えられていて、排除する傾向が強いと思います。しかも、インターネットなんて「叡智」に簡単にアクセスできるもんだから最初から「答え」とされるものに出会える。それで解った気になるから気付く事も、ましてや築くなんて出来ない。第一、その「答え」が正しいのか?誤っているのか?吟味する眼も勘も養われていない。「傷」は治ります。心も体も若い内の方が治りも早いです。だから、ドンドン傷付いて気付いて欲しいと僕は思うのです。それにはイザナミなんて忍術はホントは必要在りません。

ホントは忍術なんか使わなくても、カブトと一緒に居るオトナがカブトを導けば済む事なんです。しかし、マザー・ノノウは”根”に取られ、同時に策謀の中でカブトはノノウを殺めてしまう。これは不幸な事でありましょう。そして、その直後にカブトは大蛇丸と出会ってしまう。この出会いがカブトの人生を大きく狂わせる。やはり、これってカブトのレディネスと大きく関係してると思うんですけど、カブトがノノウの元でもう少し気付けていたら…果たして?と悔やまれます。例えば、ナルトは「八卦の封印式」なんてモノを搭載していまして、その中に親の「愛情」を詰め込んでいました。それが「折れずに曲がらないしなやかさ」をナルトに与えた。メチャクチャな「チート設定」なんですが…何か。

大蛇丸ってインターネットと似てるな…と思うんですね。面白い。楽しい。ワクワクする。物知り。何でも与えてくれる。何でも教えてくれる。友達。親友。恋人…その「真贋」を見極める力がなければ危うい。モニター越しに、傷付かずに得られる情報なんて高が知れてます。もっとこう…リアルに傷付いて、擦れて擦りむいて血を流して怪我しなきゃ。それを「骨を折る」と、昔の人は良く言ったもんです(笑)。しかし、その「お骨折り」無くして決して気付けないものがあるのだと、僕は思います。多くのオトナは少年少女を愛を携え、それに気付いて欲しいと見守っているのです。特に親御さんは、イタチのイザナミと同じ様に…自分の片眼を与えても構わないと思う「親心」を持って。

もしかしたら、「目の中に入れても痛くない」とはその事かと(笑)。リアルの「親心」「忍術」を比べるのもちょっとアレなんですけど、『NARUTO -ナルト-』の世界観として「忍術」とか「チャクラ」が均等に底上げしてまして、その下の土台は同じと考えて御納得ください。ここ、理解してないと『NARUTO -ナルト-』の示す「愛」にリアリティが無くなってしまいます。そんな事を考えながら、カブトの「眼鏡」に付帯する描写を見てると、何気に「お笑い」ぽくって笑える。カブトがイザナミのループで傷付く中、イタチがせっせとサスケを(いぶ)してて、カブトがちょっと可哀想に思えてた所で、カブトが水たまりに顔を映すシーン。これってノノウを殺めた直後ですよね。

自分が何者か分からなくなった所。カブトは水面に映る自分の顔をしっかりと見ます。そこには大蛇丸の隈取りはありません。「9時」というのは孤児院の就寝時間。それはカブトの数少ない誰かに守られた記憶。カブトの「心」大蛇丸との出会い以前に戻っている証拠。しかし、これはイザナミの中のお話で、イタチの幻術がカブトに見せる夢…と同じ。これにカブトが同調と反発を繰り返してる姿が、どうしても「ボケ→間→突っ込み」の一人芸に見えて、カブトは眼鏡を落として「眼鏡、眼鏡…」(ヤッサン)とするのは、漫才の「ノリ突っ込み」に見えまして、幻術に反発し、「イタチめ…!!」と苦虫を噛み潰すカブトの台詞の前に「………って…」を挿入したくて仕方なくって(笑)。

「もう9時か…」(ウルシ)

「どうした?」(イタイ)

「イヤ…さっさと
この戦争を終わらして
ゆっくり寝たいと思ってな…
オレ達末端の忍にはもう何が何やら…
詳しいことはいつも分かんねーしな…」(ウルシ)

「…まあな…
お前…この戦争が終わったらどうすんだ?」(イタイ)

「とりあえず家に帰るかな

戦争が終わって
五大国がこのまま仲間でいるなら…
ずっと任務で会えない弟も
帰ってくるかもしれないしな」(ウルシ)

「帰る所がある奴はうらやましいな…」(イタイ)

「………

お前も来るか
…オレと一緒に」(ウルシ)

「え?」(イタイ)

「オレの家は孤児院だからよ
それに弟がいたら
傷をみてもらうといい…」
(ウルシ)

「………
ありがとう…ウルシ」(イタイ)

「………」(ウルシ)

(今度こそ帰って来るといいな……カブト)(ウルシ)

ま…カブトはノノウを殺してしまったショックで、マザーによって繋がれた「孤児院」という大切な想い出も無くしてしまったんだと思います。そこには「大蛇丸」と出会った不幸(なのか?)も在りまして、カブトには同情を禁じえませんが、カブトにも忘れちゃいけない繋がりがあったんです。それがウルシです。ウルシってカブトが拾われた時に偉そうにしてたあの子ね。それが今でもカブトを「弟」と呼んでます。しかも、カブトの医療忍術の腕を自慢さえしてる。ウルシはカブトをしっかりと見ていたんですね。そして認めてた。その想いがカブトには届かなかっただけ。結果的に”根”大蛇丸がそれを邪魔してたんですが、それを言うなら、ナルトやイタチはどうなるのか?

…というお話にループします。ここら辺で解ると思うんですが、他者と比べた中に「答え」というものは在りません。自分にリアリティを持って相対的にではなく、自分の内部に価値観を見出さないと「幸せ」なんて量れません。確かに繋がりの中で、他者が感じる事で「自分」は形作られます。しかし、それを感じるのもまた「自分」なのであります。人は決して自分一人で生きてはいません。しかし、同時に「自分」が存在する事で感じられる「世界」とか「他者」が在る事も忘れてはいけない。それが「個」であります。「個」が在るからまた「全体」も在るのです。それは「認識」が常に双方向・全二重であると考えて良いと思います。「個」があるから、「繋がり」が成立するのです。

僕は「貰うだけ」の関係は一般的ではないと考えます。与えられたら返す。恩には義理を返す。行って来い。バーター。人の関係性とは正に持ちつ持たれつであり、「人」という字が「支え合ってる」(by金八)のもそれを如実に物語ってるんだと思います。カブトの「非」とは「与えられる」ところ留まったとことあったと思われます。マザー・ノノウには「与える力」が在りました。しかし、孤児院のウルシ以下仲間達はそれは備わっていなかった。その不備がカブトにマザー以外の認識を許容しなかった。しかし、それはカブトも同じで「与えられる」ところに踞(うずくま)って居たのは同じ。それじゃ行って来いの「繋がり」は形成されない。それが人の常…常套(じょうとう)なのだと思います。

結局、ウルシにしてもカブトにしても「不全」な状態だった訳です。ナルトの場合、それを「八卦の封印式」が補っていたんですが、その狡さは「忍術」を扱う世界観の中で一応認められます。それはカブトが他者から「能力」「情報」を取り込むのと一緒。つまり、どこで「チート」を使うかの違いだけであります。これらは「忍術」が使えない我らリアルにもパラレルで適用可能です。僕らも「与えられる」事に甘えてちゃいけない。自分が「与えられる」存在にならなきゃ回らない。繋がりとは双方向で在るべきなのです。それは「個」「全体」が等価で並列に存在する事を意味します。カブトに「繋がり」が構築できなかたのは「与えられる」だけに甘えて居たからに他ならないのです。

そして、カブトにはウルシという「兄」が居ました。それをカブトは知らない単なる「情弱」であっただけなのです。この想いが繋がらないのは。カブトがウルシを信じていなかったからであります。ウルシはとっくにカブトを認めていたのです。自分の名前すら言えなかったガキが、いきなり医療忍術が使える。マザーに「眼鏡」なんて高価な品をプレゼント出来る。傷を治せる。病気を癒せる。誰かの為になれる…立派に人の為に働ける…自分より有能で才能にあふれている…そんなカブトをウルシは頼もしく感じていた。ウルシはカブトを信じていた。存在を認めていたのです。しかし、それが双方の「不全」を理由に繋がれなかっただけ。これは非常に不幸な…不幸な事であります。

「人間は独りではない
誰かは繋がる人が傍にいる
それが”愛”なのだ
だが、人は時に繋がり方を見失う

愛がない―

これ以上の不幸はない」

僕はいつだったか…ネットを彷徨う中でこんな言葉を拾いました。これを知った時、何だか自分の欠けたピースが補われた気がしました。不満とか、不幸とか、不服とか、不足とか…いろんな「不」を僕らは感じてるんだと思います。でも、その「乾き」とは「知らない罪」なのであります。この世界の何処かに自分と繋がる人が居る…そう信じるだけで人生とは一変する。そう成り易い様にオトナは子供に配慮する必要もある。子供はもっともっと学ぶ必要もある。素直で在る必要もある。そういう「訳知り」が排出されねば不幸は無くならない。僕らは『NARUTO -ナルト-』という「叡智」に接しているのだ。「繋がり」を俯瞰している。だからこそ、カブトの「不幸」には留意が必要なのです。

「これより穢土転生の術を止める」(穢・イタチ)

イタチがどんな風に穢土転生を止めるのは、もうどうでもいい。僕はカブトの「処遇」というものに興味がある。それはイタチがどんな風にカブトを「救う」のかって事だ。僕はその一点にイタチ兄さんの真骨頂を見出したい気持ちでいます。不幸にもカブトは大蛇丸と出会ってしまう。それは言い換えれば「野望」とか「野心」との出会いでもあります。同時に「忍術」「能力」「情報」を他者から奪い自分に取り込む方法論を提示しています。つまり、カブトは「自分」「分」を忘れ思い上がったのです。世界を、全ての真理を…つまり「六道の力(=六道仙人)」をその手にできるものと勘違いしたのです。それがカブトの暴走を助長しているように思います。

今にして思えば、それは”根”のダンゾウにも言えます。自分にない「能力」とか「情報」を良いように自分に取り込んで我がモノとできる「世界観」は人を思い上がらせるのかも知れません。カブトは酷く素直で無垢な仔だったから、大蛇丸のちょっとした導き(教唆)で染まってしまったんだろうな…と思います。しかし、それは大蛇丸をしても同じでした。全てを「独り」で成し遂げよう!!成し遂げられるのだ!!と思い込んでいました。それが結果的に「不全」アイデンティティを形成していた原因だった様に思います。僕がアイデンティティを知るのは「悲しい」とお伝えしたのは、それが自分の「分」を知る事なんだけど…全ての忍が「六道仙人」には絶対に成れない。

恐らく…十中八九…否…鉄板で運命に選ばれるのはナルトとサスケだけなのです。それを認めずして真のアイデンティティというものは実現しない。僕はそう考えています。しかし、ナルトやサスケをサポートすることぐらいは出来る。その為に自分の「分」を弁(わきま)えるのは悲しい事でもあるけど必要なのであります。それが出来ないとカブトみたいになる。僕らはスプーン一杯どころか、耳かきの先でもない、縫い針の先に乗る程しかない…極めて狭小な居場所を取り合っているのです。アイデンティティの一方は、それに自分が当たらないと認識する(=諦める)事でもあるんだけど、時にそれを見誤らせるファクターが転がっています。カブトはそれに躓(つまず)いただけなのです。

それを一般的には「欲」と呼ぶ…。

第587話「9時になったら」
ナル×ジャン ケルベロス


 
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