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第623話「一望」①

 
「戦乱のこの時代を変えようと
同じ考えを持つバカな子供が…オレ以外にも居たのだ
驚いたというよりもマダラは天の啓示だとしか思えなかった

…全てが同じ考えって訳でもなかったが……

それからオレ達は
ちょくちょく会うようになった
姓はお互い知らないまま…
忍の技を競い合ったり
未来について話し合ったりした」
(穢・柱間)

柱間はマダラをもう一人の自分だと思えるくらい親近感を感じ、きっとマダラも柱間と同じように柱間に自分と近いものを感じていたのでしょう。基本的に『NARUTO -ナルト-』とは中二病を拗らせるが故に10年以上も続いてしまったお話なので、そのお話の取っ掛かりを作った…とされる柱間とマダラが斯様に考えるのは至極当然に思われます(笑)。二人はまるでお互いを自分の分身のように感じ引かれ合うのです。これに何かの切っ掛けとそれなりの知識さえあれば…恐らく腐女子のオネーさん達が考えるような展開になるんだけど、ここは少年少女誌ですから、そうは問屋が卸しません(笑)。しかし、柱間とマダラを恋に近い…恋にも似た感情が在ったと、僕は考えています。

「会う度にオレ達は仲良くなっていた」(穢・柱間)

相手に対する興味…それは愛の原点なのだと僕は考えております。精神分析学者のフロイトにしてみれば「愛」とは「セックス」そのものなんだそうですが、自分の内側から湧き上がる「餓え」にも似たエネルギーが二人を衝き動かし向き合わせるものの、二人にはもっと大切なものが在ったから、…こう…変にくっつかなかった。彼らはこれまた似た者同士に自分の兄弟を大切に想っていたのですね。それが長兄の二人は弟達が安心して暮らせる…死なないで済む仕組みを模索する為の「欲動」として出力されたのだと思います。そう考えると『NARUTO -ナルト-』の世界観の根幹を構成する「チャクラ」とは「リビドー」(性衝動)なのかな…と、ふと考えたりしました(全く…頭、膿んでますね)

「ここにオレ達の集落を作ろう!!
その集落は子供が殺し合わなくていいようにする!!

子供がちゃんと強く大きくなるための訓練をする学校を作る!
個人の能力や力に合わせて任務を選べる!
依頼レベルをちゃんと振り分けられる上役を作る
子供を激しい戦地へ送ったりしなくていい集落だ!」(柱間)

「フッ…
そんなバカなこと言ってんの
…お前くらいだぞ」(マダラ)

「お前はどうなんだよ!?」(柱間)

「ああ
その集落作ったら今度こそ弟を…
一望できるここからしっかり見守ってやる…!」(マダラ)

「へへへ…」(マダラ)

「そこが後
木ノ葉の里となる場所だった
オレはこの時覚悟を決めた
先を見るために耐え忍ぶ覚悟を」(穢・柱間)

確かに魅かれ合う柱間とマダラ…。しかし、それぞれの存在そのものがお互いを否定してしまう悲しい現実。本能的に二人はそれを認知していましたから、どちらからも「姓」を訊こうとはしない。恐らく、この時点で柱間には木遁がないですし、マダラにも写輪眼は開眼していません。その条件が辛うじて二人の密会を許容していたのかな…と思います。ま…柱間の木遁は柱間限定だからそれ単体で柱間を特定する材料にはならないでしょうが、中二病の柱間とマダラがお互いに秘密にしておける筈も無く、柱間の能力覚醒のタイミングで素性の露呈は不可避であろうと思われます。何とも持って回った表現で申し訳ない…しかし、二人の関係とはそれでありまして…。

しかし、柱間とマダラが腐女子のオネーさん達が望むようにあんな風やこんな風にならなかったのは自分でなく弟達を守ろうと躍起になってたところにあるからで、結果的にですが、自分の中から涌き起こる「欲」というものが自分に向わない為でありました。そして、二人が森林の中に顔を出す高台で夢想する未来とは、僕らが知る「木ノ葉隠れの里」そのものでありました。忍者学校(アカデミー)の骨子もこの時点でしっかりと出来上がっていたのですね。任務のレベル(ランク)やそれを運用するための構造の必要性にも光が当たっていました。そして、その夢に静かに賛同するマダラは確かに未来を一望していました。大切な人を守る。それがこの高台に刻まれた意味

火影岩とは二人の夢想した「愛の原点」だったのですね。そうであったから、木ノ葉隠れの子供らは無意識に、本能的に「火影になる!!」という夢を持ち精進したのかと思うと目頭が熱くなりました。この時、柱間が発し、マダラが震えた「愛の形」に…自分ではなく誰かを大切にする気持ちが何となく波及した結果なのだと、僕は思います。同時に二人の直観とは既に戦争の原因を掴んでいたのだろうと、僕は思うのです。「姓」を語らず、辛うじて二人の関係性が成り立ってはおりましたが、自分ではなく他に向かう興味というものが、凡そ相容れない立場すら無きものとできるのです。世の中の全ての人々がそれに気付ければきっと「平和」が齎されるのですが…。

ところで、大きな喪失感…愛を失ってしまうと、写輪眼・うちは一族の脳内に「特殊なチャクラ」が吹き出して眼を変化させDQN化する設定がありましたが、その設定六道仙人が遺したものであります。そもそも六道仙人が興した「忍宗」「忍術」と発展する中で「チャクラ」が戦う為の手段に成り下がっていた感があるところに、僕は違和感を感じていまして、もっと人の幸せの為に使われて然るべき「力」であろうと、僕は思うのです。それが一朝一夕に成らないのはやはり「愛の向き」に問題があるからではないかと思うに至る訳です。そして、もう一度、写輪眼・うちは一族人格崩壊因子に目を向けると、やはりそれは「愛の向き」への戒めであろうかと、僕には思えてなりません。

そして、そうはならない弟系というものを同時に六道仙人は遺されておられる。今、こうして弟系・柱間と兄系・マダラが密会しながら未来を夢想し、希望に胸躍らせる姿を見ながら、この先訪れる破局も容易に想像できる。そこに六道仙人恣意が潜んでいるのだろうと…意図ではなく恣意という言葉を使うのは僕なりの恣意がある…思います。そして、このややこしい設定に気付いた者が恐らくこの世界を導くのだろうと思います。きっとそれをナルトがやるから『NARUTO -ナルト-』なんでしょうが、それを黙って僕らを誑して10年以上も続けてるんだから六道仙人したたかよのゥ〜…(越後屋風)。結局、ナルトがサスケをどうするかに世界の行く末が懸かっている訳だ。

ボヤーっと書くしかなくて申し訳ない気持ちで一杯なんだけど、遠くで「仕事しろやー!!」の声が聞こえる(幻聴!?)のでそろそろ切りますが、愛の喪失と特殊なチャクラの噴出が兄系だけの設定じゃなくて、例えば弟系・柱間にも在ったら面白いなー…と、ふと思いました。そもそも『NARUTO -ナルト-』って中二病のお話だから「愛の向き」が自分に向かってて当然だし、柱間だって完璧な人じゃない…っていうか、完璧な人は居ないんだよー…という事を六道仙人の残した設定は物語ってて、僕はそれを「恣意」としてる訳。それで柱間の木遁覚醒も特殊な状況で起こるんじゃないのかな…と、僕は思うんです。柱間の「愛の向き」がどうにかなっちゃう状況…。そして…それは…

マダラの写輪眼覚醒と同期するんではないか…と。

続きまーす。


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