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第633話「前へ」④

 
「私たち第十班
猪鹿蝶のコンビネーションでいくよー!!」(いの)

「フォーメーションEだ!!」(チョウジ)

「中忍試験じゃあるまいし
班で張り合うこたァねーだろが
今は戦闘中だぞ」<スッ>(影掴みの術!!)(シカマル)

<ズオオオ>(倍化の術!!)(チョウジ)

<ズズズズズズ>(シカマル)

<ビタ>

(敵25体感知OKー!

ロックオン!)(いの)

(感知伝々!!)(いの)

(肉弾用々!!)<ドッ>(シカマル)

<ドガ>

「グウウ」<ドド>(十尾・分裂体)

「!」(いの)

<グイン>(シカマル)

<ゴッ>

<ドガガガガ>

「グギャアアア!!!」(十尾・分裂体)

「さらに倍化するよ!
重くなるけどいける!?」<ズザァ>(チョウジ)

「ああまだ軽い方だし
それにこれじゃ見せ場にゃ
ちょいと足りてねーしな」
(シカマル)

「なによー

張り合う気満々じゃない!」(いの)

エーッと、第七班→第八班と来て猪鹿蝶第十班なんですけど、第九班はどうしたんだろうと、ちょっとググってみたんですが、第九班はどうも欠番みたいです。何でも「九尾事件」トラウマ「九」という数字を踏まないようにしたとか何とか…ま、出所の解らないネタですけどね。ナルトの同期連が27人だった(のかな…)から、三人+師匠で九組だから、第十班まであると計算が合わないので、きっと(げん)を担いだのだと思います。個人的に僕も数字には(強迫に近い)拘りが在るので納得できます(笑)。ちなみにネジは第三班(ガイ班)でテンテンとリーと組みだったんですよね。一応、第三班、第七班、第八班、第十班がナルトの同期連(なのかな…)。意外に少ない…ですね。

この行…ナルトやサスケだけでなく、サクラだって、シカマルだって、チョウジだって…(割愛)…皆、頑張って修行してたんだよーキッ神アピッてるんだと、僕は思います。第一部と第二部の間の2年半を含めて、第二部が始まってからここまでで概ね3年くらいになるんでしょうか(もう時系列がグチャグチャになってしまってて…ウロでスミマセン)。しかし、特にサクラの白豪の印とか唐突で、何だか後出しのジャンケンみたいで…ゲフォッ…アレですけど、お祭りの宵闇に向けて雰囲気が…こう…皆が意識して畳み掛けるみたいでもあり、キッ神腹を括った感じが伝わって来るような来ないような(汗)。この作品に勝手に関わった者として何とも複雑な心境なのであります。

実は僕の中で萎えかけた部分もあって、ハッキリ言ってナル×ジャンを立ち上げた当初の情熱というものは僕の中ではせて居ります。他にもっと大切な存在とも僕は出会ってもいます。自分の人生時間を鑑みても、他にやっとくべき事が無い訳でもありません。しかし、僕は『NARUTO -ナルト-』という素晴らしき作品に出会ってしまった…。そして、ナル×ジャンを通して多くの方々と繋がってしまった。僕が勝手にそう思っているだけなのだけど、それはもう僕の中では大切な大切な掛け替えのないモノになってしまった事は確かであります。それに一時の熱はせたにせよ、僕はこの作品が大好きなのです。そして、この分厚い作品の最終頁を今か今かと待つ一人の読者であります。

自来也も言ってましたけど、物語の「結び」とは大切でしょう。かつて永井豪大先生「デビルマン」を何気なく手に取り、一気に読み上げて開いた最終頁に、僕は今も心の何処かを掴まれた感覚があります。そして、勝手に心酔し後先の考えも無く乗っかってしまった『NARUTO -ナルト-』という作品に、僕は勝手に期待しています。期待しちゃいけませんかね(笑)。こんな凄い作品をキッ神は生み出してしまったんですから、親が子の命に責任を負うのと同じだと、僕は思うんです。それと同列に語る事は余りにも不遜ではありますが、僕なんかが仕出かしてしまった事共にも等しく責任が発生するとも、僕は考えて居ります。僕もナル×ジャンには責任があるのです。

そして、ワクワクしています。『NARUTO -ナルト-』最終頁を捲る自分に…。できれば、その時の感動を皆さんと共に味わいたい。僕は自分の幸運に感謝しています。同じ時期に、こんな素晴らしき作品に出会えた幸運というものに。僕は勝手に感じて勝手に書いている。それは傍から見たら気持ち悪いオヤジ自分語りかも知れない。解っちゃ居るけど止められない。この作品を知ってしまったから。好きになってしまったから。…ホントに気持ち悪い自分語りでスミマセン(汗)。でも…ま…そのような気持ちで僕は書き続けてて、ここんところの本編の雰囲気に何をか感じてるという部分を察して下さいませ。しんどいとこだけど…

僕なりに前へ進みますね。

…と、まぁ…この行。そういう事をキッ神は言いたいんじゃないかなーなんて、僕は考えています(←ここまでが長いぞーケルベロス!!)。具体的には第十班(正しくは”じゅっぱん”ではなくて”じっぱん”で、NHKではそう発音している筈です)は、三位一体の至極と申しますか、それぞれの長所を持ち寄っています。シカマルの判断力。いのの感知能力と伝達能力。そして、チョウジの圧倒的な破壊力。彼らは自分の出来る事をしているだけなのであります。決して一人で完璧になろうとはしていません。それで良いのだという事を示しているのだと、僕は思います。しかし、その前提として第七班第八班が示す「個」強さというものもある。そこをインテグラルに読み込むべきでしょう。

きっと、第十班戦術を考案したのはシカマルだと思います。誰もが自分の出来る事がある。得意な事がある。それをやれば良いじゃないかというお話なのであります。ある種…その鷹揚さをもっと拡張して、社会とか世界に当て嵌めてる事も出来るでしょう。シカマルの提示とはイタチ兄さんがサスケを燻しに燻したKFB(カブトフルボッコ)と非常に似ていると、僕は感じて居ります。恐らくは、この考え方が『NARUTO -ナルト-』一つの落とし所なんではないでしょうか。そして、勿論、猛烈な進化を遂げるナルトサスケに対する戒めにも似た提示でもあり、それに気付けるか否か…サスケがイタチの薫陶をどのように咀嚼し自分の中で昇華させるかを伺わせる描写なのだと、僕は考えています。

ナルトは放っておいても何故か気付く不思議(笑)。

あと少し…続きます。


 

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