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第651話「埋めたもの」③

 
「おい…皆…今の」(キバ)

「ああ…」(しの)

「テンテンこれって…」(リー)

「うん!行くわよリー!」(テンテン)

「…あいつが呼んでる」(シカマル)


「サスケ…
オレ達は一撃に集中する
ほんの小さなスキしかできねーだろう…
見のがすなよ」(ナルト)

「フン……」(サスケ)

<ズズズ>

<キィーン>



「そしてオレが
この剣でこの世界を消す!」
<ザッ>(オビト)

心が流れ込んで来る…そういうシチュエーション『NARUTO -ナルト-』で提示される度、僕は「狡い」と思っていました。ナル×ジャンでもそういう気持ちを滲ませて、お前はホントにファンなのか!?と罵られもしました(笑)。でも、こんな風に簡単に人の気持ちが伝搬して解り合えるなんて許せないのです。表現とは人の根源的な情動であり、恐らく人の行動の殆ど…僕は全てだと思ってる…は表現なのであります。人は自分の行動を持ってその信念や想いを他者に伝えているのであります。それが期せずしてチャクラや忍術云々で自然に伝わるって、何か違わね…と、僕は思うのです。こんなに大切な事を瞬時に恙無く執り行えるなんて、やっぱり忍術は「狡い」と、僕は思うのです。

この世界はやはり異常なんすよ。長門がナルトに、痛みは痛みでしか無く、悲しみは悲しみでしかない…と訴えていたかと思いますが、それって無知・情弱故の泣き寝入りなんですよね。でも、この世界は幼く拙い。無知で無垢な子らを教育すらできない。それ以前に教育する為の学問が存在しない。そんなだから教養というものが無い…。この世界には反省がなく、その前に過去の記録すら無い。反芻する知識が無いから反省の余地すらない(笑)。だから間違いを繰り返す…。そういう世界で育つ子らの絶望を、僕らは容易に想像できるんじゃないでしょうか。それは家庭や学校で教育を施されたからであり、それらが反映された社会に生まれながらにしてドップリと浸かっていたからであります。

僕らには智慧があり教養があるから反省がある。そういう立場で忍術で他者の気持ちが流れ込んで…入って来て…解り合えるのは手軽で気持ち良いのかも知れない。でも、学問が存在しない教養の無い世界で、忍術だけが発達して、殺し合いが世界の均衡を保つ唯一の手段である世界で、人が考え続けて積み上げてやっとこ築かれる繋がりを、チャクラとか忍術がインスタントに実現するなら、それは人の可能性スポイルしていると考えるべきじゃないのかと、僕の中の僅かな教養が騒ぐんです(汗)。この子らはホントの意味で「努力」を妨げられているんじゃないのか?!もしかしたら、この子らは被害者なんじゃないのか!?って。それに気付けないのなら…

たとえオビトを打倒しようとも…

ナルト達は残念な子のままなのだと…

僕は思うのです。

アンチな気配を漂わせながら…

続きます(笑)。


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