スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第656話「交代」⑥

 
「カカシ
心配しなくてもいいよ
オレの中の九尾が
教えてくれたんだが……」(穢・ミナト)

<ヒュウッ>(超獣偽画)

「……
そうか…」
(カカシ)

<ハァ><ハァ>「……」(オビト)

「今までの行為に対して
きっちり報いてもらおうと
思っていたが…
動けないなら仕方ない——
じっとしていろ」(カカシ)

「先生…
オビトを見張っていて下さい」(カカシ)

「…分かった」(穢・ミナト)

<スッ……>(オビト)

「!
何をしようとしてる!?」(穢・ミナト)

「!?」(カカシ)

<ハァ>「…かつてオレが
…利用しようとした男が…
オレを裏切った手段だ……」<ハァ>(オビト)

「!」(穢・ミナト)

「!

まさか——」(カカシ)

「自分も同じ事をするとは…
思いもよらなかったがな…

外道…輪廻天生の術
だ」(オビト)

「うちはの石碑」「予言」の双方に、僕は少なからず……かなり盛大に「異議」を唱えております。それはその双方があからさまに六道仙人恣(ほしいまま)兄・弟を導いているからで、ぶっちゃけ恣意に満ち満ちているからなのであります。それを「親心」とは言えないと思うのです。子供の主体性をそこまで却下しての導きは過保護ではないかと、「うちはの石碑」「予言」の描写を吟味する内、僕は六道仙人バカ親っぷりと申しますか、我が子を操り人形が如く操作しようとする六道仙人教育観に疑問を感じ、親でもない…ましてや社会的に何でも無い僕などが、誠に不遜には存じますが、「異議」を唱えさせて頂きたいと思っております。

ここで正真正銘、観念したオビトが外道・輪廻天生の術の印を結ぼうと動き出します。この光景、かつてペインの木ノ葉強襲編で長門がそれまで殺めた木ノ葉の忍を黄泉返らせてアレと同じでありまして、それを知ってか知らでか、カカシがメチャクチャ食い付いてますけど(笑)。ま…アレがなければカカシだって三途の川を渡ってたんですけど、ここでオビトが同じ事をして、もしかしたらネジを黄泉返らせてしまうのも二番煎じで陳腐過ぎるので、カカシじゃないけど「まさか——」と思いました(笑)。しかし、「予言」の側としては、兄・弟の衝突の終着点として明らかに外道・輪廻天生の術の発動を明記していると思うのです。そうじゃなきゃ大ガマ仙人ほくそ笑みません。

兄系が「うちはの石碑」の教唆に従い輪廻眼を開眼する事の意味。そして、弟系が「予言」の助力により兄系を打ち負かし、最終的に外道・輪廻天生の術を引き出すところに「予言の成就」が在る…その陳腐なシナリオ(←僕の考え通りだとすれば…ではありますが…)に六道仙人の浅はかさというか、如何にも「導きましたー」みたいな思い上がったバカ親としての六ちゃんの顔が浮かんで来るんです(まだ六道仙人の顔が描かれてないのよねー&六ちゃん”ネコ耳説”ニャーッ!!…も未だ潰えてませんし)。ざっくりと言うなら、ここまで終着点限定しちゃったら、それは子供らの可能性に期待してる事にはならんだろう…という事であります。それは親の思い上がりではないでしょうか!!

「運命」とは自由で在るべきだと、僕は思うのです。確かに親はその子に責任を負うとは思いますが、子の「運命」にまで関わるのは過剰でしょう。そう過干渉なのです。余りにも過保護なのです。六道仙人教育観とは!!子は親の所有物ではありません。「うちはの石碑」「予言」というガチガチのレールを敷いて、子供らの「運命」に関わろうとする六道仙人の想いに対して、僕は「異議」を唱えたいです。与えられたり教えられるのではなく、出会うべきなんだと、僕は思うのです。人は傷付き気付き築く生き物なのだ…と、僕は思うのです。この世界はメチャクチャ傷付いているんだから、充分に気付ける筈なんです。その可能性摘んでどうするよッ!!??そう感じて……

この輪廻から離脱した人々が居た…筈。

続きまーす!!


 

第656話「交代」⑦ | BLOG TOP | 第656話「交代」⑤

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。