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第660話「裏の心」④

 
「くっ…」(我愛羅)

「……」(守鶴)

「我愛羅負けんなよ!!」(ナルト)

「お前の事は
今まで疎ましく思ってきた

だが人柱力であったからこそ
ナルトに会う事ができた
…お前に感謝することが
一つだけできた」
(我愛羅)

「……」(守鶴)


「砂のガキめ…
そんなにかつてのペッとが
帰って来て嬉しいか?
人柱力で死ぬ訳でもないのに
邪魔しやがって!」(白ゼツ)

<ズズズ><ズバ>(マダラ)

「……」(我愛羅)

「!!」(ナルト)

「オレ様のモットーは<ドシュ>
絶対防御だ!<ザッ>
守鶴としてのプライドもあるんでな」(守鶴)

「分かっている…」(我愛羅)

「………」<ニヤリ>(守鶴)


「イヤ……
何も分かっちゃいないな」(マダラ)

<ズバ><シュルルルルル>×3「!?」(守鶴)

<ガッ>

<グイ>「ぐっ!!」(守鶴)

<シュルルルル>

<ドシュ>「ぐっ!!」(我愛羅)

<ズザッ>(我愛羅)


「…我愛羅無理すんな…」<ズズッ>(守鶴)

「……」(我愛羅)

「オレは人柱力でなくなった
やっと…」(我愛羅)

「お前と対等
夜更かしができる!」<ハァ><ハァ>(我愛羅)



「……」(守鶴)

(我愛羅…お前は)(守鶴)

「人間と獣…
それらを分ける必要はないのです」(分福)


(分福に似てるな)<ズドドドド>(守鶴)

<グイン>

別に「裏の心」に拘る必要はないと、僕は思います。裏の心…裏腹に翻弄されるその人の本心を理解する…その方法は幾千幾万、それこそ人の数、心の数と同じだけ存在します。「裏の心」とは、その主である本人にすらどうにもならない獣のようなものなのだと、分福は説いているのだろうと思います。僕はそういう風に受け取りました。きっとそうじゃない人もいることでしょう。要は感じ方なのだと思います。心を受け入れたら「愛」になる…そんな表面的な部分に捕われるのは酷く不自由なことだと、僕は思うんです。何たって我愛羅なんか「我だけを愛する修羅」ですから、凡そ常識的な「愛」とは掛け離れています。しかし、その名を託した母の想いとは何だったのか?

そういう感じに表面から内面に、浅瀬から深みへと、僕らは想いを馳せるべきだと思うのです。物事の枝葉ではなく、へ。幹から根っこへ…僕らにはそれを成し得る知性というものが宿っています。我愛羅の母・加瑠羅は何としても我愛羅を守りたかったんですね。だから死んだ後もその残留思念は我愛羅の砂ツボの中に留まりオートマチックで我愛羅を守る砂の壁を作り出しています。寧ろ「修羅」とは加瑠羅でしょうよ…と、僕は思います。そんなにしてまで自分の想い(=我)を愛しているのですから。そして、そんな偏った想いが一時我愛羅を歪めていましたが、それを正したのがナルトだった訳です。我愛羅はそんな偏った母の愛の根っこの部分に目を向けることができたのです。

ああ母様はこんなにも僕を愛していてくれたのだ…。我愛羅は加瑠羅の「裏の心」を見つけ出し、そして大切に自分の掌に仕舞ったのです。我愛羅はこの時、人に成れたのだと、僕は思います。人は生まれただけでは人ではありません。生まれただけでは人は単なる容れ物に過ぎないのです。だから少年少女は学校で勉強して友達と遊んで校庭で汗を流しているのですよ。自分の中にいろんなものを取り込んで徐々に人は人になる生き物なのです。その意味で既に「心」がある獣の守鶴は、それが備わらない者を「獣以下」と斬り捨てたのです。分福が言う「分ける必要はない」とは「心」の所在を指しているのだと、僕は思います。我愛羅と守鶴の反目と和解の契機もまたそこに在るでしょう。

例えば上役Aが守鶴の人柱力である分福にぞんざいに接するのは物事の上っ面しか見えていないからです。何で分福が<プル><プル>と震えているのか?何で若僧の無礼に憤慨しないのか?そのちょっとした疑問が疑問として感じられない。それは上役Aが自分を愛しているからなのだと、僕は思います。きっと自分ではどうにもならない「裏の心」翻弄されているのでしょう。それではいけないのです。人は人と繋がって「心」を受け取って初めて「愛」を知る生き物なのであります。そういう風に創られているから仕方ありません。そして人が人と繋がる為に人には「知性」「教養」が必要なのです。それが人の「優しさ」である事を少年少女に気付いて欲しくて僕は在るのだろう…。

僕らは『NARUTO -ナルト-』において自分(の想い)だけを愛する修羅をいろいろと見て来ましたね。ナル×ジャンで言う「オレが!!オレが!!」であります。雨隠れの長・半蔵や木ノ葉隠れ・根のダンゾウとか。そして、とうとうマダラが登場して暴れている…。人と人が繋がる。理解し合う。それと真逆の方向に世界を牽引しようとするのが「無限月読」なのであります。それは人間そのものの否定である訳です。人の主体性を完全に無視して「嘘っぱちの夢」で繋がるなんて悲しいじゃないですか…。そして、ナルト達がそれに漠然反抗しているもんだから分かり難いんだけど、そのくらい察しろよ…というのがキッ神「裏の心」なのだろうと、僕は受け取っております(笑)。

続きまーす。

 

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