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異議⑤

 
「一つの安定を求め分極した

相反する二つは作用し合い森羅万象を得る」

「うちはの石碑」永遠の万華鏡写輪眼解読領域には確かそう記されていたようです。解読したのは今のところマダラだけですから鵜呑みには出来ませんが、えらく抽象的だな…と、僕は感じました。もっとこう…手取り足取り瞳力の獲得に関して具体的なシーケンスが「うちはの石碑」には記されている筈だと思うんです。例えばカカシとオビトで二人の万華鏡写輪眼の瞳術名である「神威」を共有できていましたから、カカシもオビトも「うちはの石碑」を自分の万華鏡写輪眼で解読してて、恐らくは解読する万華鏡の文様(≒アクセスコード)に応じてアクセス可能な情報がマルチなレイヤー構造で提供される仕組みになっているんじゃーないかと、僕は想像しています。

マダラも永遠の万華鏡写輪眼「うちはの石碑」を読み耽っている筈ですから、その先のステップに進む為には「柱間細胞」が必要…くらいの教唆は少なくともあっただろうと思います。それに「うちはの石碑」の記述が具体的且つ膨大な量であったとすれば、それらを一括するタイトル(みたいな行)のみをマダラが柱間に告げた可能性もあります。もっとも六道仙人はここまで明確に兄・弟性格設定を予め残しているのですから、たった一言からそれぞれが六道仙人の恣(ほしいまま)に動かす見立てがあったのかも知れませんし、ここでどんなに騒ぎ立てても憶測の域を脱しません。しかし、何れにせよ兄系・うちは一族は「うちはの石碑」にその行動を制約されていたのは確かでしょう。

それをしてイタチは「忌むべき事」とか「愚かしき事」と憤っていたのではないかと、僕は考えています。つまるところ「うちはの石碑」には六道仙人=輪廻眼の作り方をナル×ジャンの感想よりももっともっと小出しに瞳力者のみに提供するアンチョコみたいなものだったと思います。そして、その内容は基本巴を脱した万華鏡写輪眼の瞳力者からは個別性指向性を高めて行った事でしょう。そして、その内容に従えば強大な瞳力が手っ取り早く手に入りますから、何でも見える筈のうちは一族・写輪眼の瞳力者が妄信してしまう!!そのをイタチは痛烈に批判していたのではないでしょうか。眼のやり取り…血塗られたうちは一族の歴史を「うちはの石碑」推奨していた訳です。

最終的に唯一人の達成者を生み出す構造。それが「うちはマダラ」を生み出した…。KFB(カブトフルボッコ)にて、イタチはサスケを燻す中、独りきりで完璧な形を目指す事を戒めておりました。それは「うちはの石碑」教唆に真っ向から反発するものであります。そして、奇しくも「うちはの石碑」と同じように「嘘」「瞳力」「逃げ場のない一本道」でサスケを導こうとしていた自分の行いをイタチは猛省していましたね。それでもイタチは「うちはの石碑」ではなくイタチ自身の手でサスケを導きたかったのだと思います。しかし、結果的にそれがイタチが忌み嫌った「うちはの石碑」と変わりません。それもまた六道仙人が残した兄系の設定だったのかも知れず、その点でイタチには同情します。

「鬼子」や他のいろんな考察で書いていますが、イタチとサスケの生物学的な兄弟関係はないと、僕は考えています。「うちは虐殺」をイタチは受け入れたのは、それに相乗りする形でサスケの父であるうちはフガクに多大なる後悔を味わわせフガクの万華鏡を開く意図がイタチには在ったのではないかと思うのです。「うちは虐殺」とはうちはフガクの「万華鏡の儀式」であった筈です。そして、そこで得られたフガクの万華鏡を畜養するが如くイタチは自身の眼軸に乗せ育てたのではないでしょうか。それが第二部以降のイタチの基本巴の常時覚醒(黒目の喪失)等々に示されているのだと、僕は考えています。そして、正統な血統以外の眼の移植の猛毒がイタチを蝕む…

それがイタチの病魔の正体であった…とも。

ま…それがサスケの永遠の万華鏡写輪眼「直巴」の文様から立ち上がった考察…「鬼子」なのであります。ちなみに「直巴」とはサスケの猛攻を誉め称えたマダラが発した用語でありますが、ナル×ジャンではそれを「親→子」に向けた眼の授受を示し、その反対の「子→親」の方向の移植が「逆巴」(仮称)で、兄弟間の移植が「並巴」(仮称)だと、半ば決めつけております(笑)。でもきっといつか、これらの写輪眼に関する用語の説明があって、そこでサスケが愕然とするような提示があるのではないかと、僕は期待しています。そして、それらが結果的に天涯孤独永遠の万華鏡写輪眼を開眼し得ない条件のイタチの可能性制約していたのだろうと、僕は思う訳です。

イタチならば何があってもサスケを守ったと思います。可能であればイタチがスペックアップを重ね、サスケを守り果せればお話はもっとシンプルだった筈です。しかし、それが成らない事情がイタチには存在したのです。その歯痒さも「シスイ事件」の行で見せたイタチの「異議」には滲んでいたように思います。そして、それは「うちはの石碑」に潜む六道仙人の恣意に対する批判であったと、僕は考えています。しかし、イタチは亡き者となっております。一部、遣り残しも穢土転生の泣きの一回で見事に本懐を遂げております(笑)。問題はそうじゃない人が居るかも知れない可能性にあって、その方々が唱える「異議」こそ、僕らは耳をそばだる必要があると、僕は訴えたい訳です。

続きます。

 

第661話「失敗した世界」 | BLOG TOP | 「異議」(140113)

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