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第665話「今のオレは」③余話

 
第665話「今のオレは」③で書き足りなかったので追記。マダラが説く「忍宗」で僕はこれはアカンと思いました。何でも人の精神エネルギーを繋げて人と人とが解り合うシステムだったようですが、そんなものがなくても人は解り合えると、僕は思います。厳密には、解り合える…というのは少し違っていて、人がそれぞれの「個」を維持する限り完全に一致する事は有り得ないでしょうから、解り合えないながらも共存していける落とし所を見出していけると、僕は信じています。それに対してマダラが説明する「忍宗」とはバラバラに存在する人の精神を繋ぎ合わせて一個の巨大な個体とするような纏め方であり、「個」の在り方を考える時、些か納得し難いように僕は感じます。

僕はナル×ジャン「アイデンティティ論」を書いて来ました。その内容は余りにも稚拙で偏見に凝り固まったものであり決してお勧め致しません(汗)。しかし、それでもしつこく書いて来たのは『NARUTO -ナルト-』という作品に激しくインスパイア(感化、啓発、鼓舞…)されたからであります。『NARUTO -ナルト-』の中で自己を確立せんが為に戦う姿に僕は震えたのです。いろいろな事を教えられた。導かれた。そしてついに黙って居られなくなってナル×ジャンを始めた次第であります。そして、願わくばその想いが自分らしさの檻に捕われているかも知れない少年少女に届けばと…。これがナル×ジャンで言うところの「老婆心チャクラ」でありますれば許してやって下さい(笑)。

マダラは「忍宗」で六道仙人が示したチャクラの運用法を「個」「個」を繋ぐ為ではなく「個」を強化する為に使った「忍術」を半ば戒めております。…というのは「最後にして最強のチャクラ」を獲得するに至ったうちはマダラこそ、その「忍術」にこの世界の誰よりもドップリと浸かった結果でしかないのだから、その口でそれを言うかよ!!と突っ込みたくなるからです(笑)。しかし、プロセスとしては現体制の中で頂点に立ってこそものが申せるのもまたスジが通っておりますし、それが無限月読を発動するキーでもありますので、マダラの行為自体は非常に合理的であると評価すべきでしょう。しかし、マダラが示す無限月読のビジョンには甚だ賛同しかねます<キリッ>。

それは『NARUTO -ナルト-』の中で「個」を如何にして保ちながら、その中に在る「自己」と向き合い、如何に折り合いを付けるかという難問と戦う子らに励まされたからであります。お前も頑張れよと。人と人が真に解り合うというのは、何もかんも包み隠さず通じ合って「個」を失う事では決してないと、僕は『NARUTO -ナルト-』という作品に教えられたのです。人と人がお互いの「個」を認め合い許し合う…「個」境界線を維持しつつお互いを侵害しない微妙な距離感をお互いに見出し共存する事なのだと、僕は『NARUTO -ナルト-』に教えられたのです。勿論、彼らは戦う。それは殺し合うという事でもあります。しかし、戦いの中で彼らは相手を評価する事を忘れていません。

それが『NARUTO -ナルト-』における戦闘の意義であり、面白さなのだと僕は思います。辛い修行を重ね、生来持つ才能をより高みに押し上げる。忍術に関わる全ての忍がそういう修行を積み日々精進している事を彼らは信じて疑わないから相手の強さに戦いの中であろうと感情移入できる訳であります。僕は『NARUTO -ナルト-』における戦闘で特に「個」「個」のそれにおいて痛快さと心地よさを感じるのはきっと彼らの闘争が相手を否定するだけのものではないからだと感じています。彼らは忍術を振るいながらも相手を感じようとしているのです。否定ではなく肯定しようともがいているのです。僕はその姿に心打たれしまうのであります。黙っていられないのであります(笑)。

戦争編が正直面白みに欠けるのは「個」「個」の戦闘ではなく「集団」としての戦闘が主になったからだと、僕は考えています。同時にこれは「個」「集団」に埋没するシミュレーション的な側面があると僕は考えていまして、それは「忍術」が併せ持つ万能さと危うさに付帯する問題定義であろうと思います。今、マダラは「忍術」がいけないと決めつけて世界を導こうとしています。一方、ナルト達はマダラ、或いは無限月読に対して反意を示しています。悲しいかな、この世界にそこに在る「合意形成」を理論だって説明できるに足る蓄積がありませんから、ナルト達のモチベーションが非常に漠然と描かれ、それを何となく僕らが感じている訳です。それが今ある「焦れったさ」なのでしょう。

僕はこう思うんです。忍達がその戦いの中で示す鷹揚さの中に答えは在るんじゃなかろうかと。そして戦争編の何だか違う…という感覚の中にも…。忍達がもっともっと「個」意識して、その上で他の「個」をただ単に打ち負かし否定するのではなく、相手の強さ強(したた)かさの中に何をか見出し認め許し肯定できる…自己の中心だけではなく相手の中心尊重できる考え方が備われば、無限月読の力など借りずにこの世界は均衡できると、僕は思うのです。否定肯定とは同時に存在できない訳じゃない。その二つが合わさりバランスさせる努力をナルト達はするべきだし、実際そこを目指しているなのです。そして、それらの胎動を通して僕らも学んで行けるのだと信じております。


 

第665話「今のオレは」④ | BLOG TOP | 第665話「今のオレは」③

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