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第668話「紅き春の始まり」③

 
「赤い蒸気

八門全開時特有の…
血の蒸気というやつか…

フフ…
だがこうやって見ると
なんだろうな…
まるで秋に散り朽ちる枯れ葉色…
落葉の様よ」(マダラ)

「…確かにそうだ
だがただ朽ちて落ちる訳ではない!!」(ガイ)

「!?」(マダラ)

「それは新たな

青葉の養分となるのだ!

そして青葉が芽吹く
新たな春へと繋げる時こそが—

青春の最高潮!!
深紅に燃える時!!!」
(ガイ)

(※特殊な場合を除いて)発動した術の大きさに応じて術者は相応のリスクを負う…これが忍術のルールであります。そして今、ガイは八門を全開にし自分の命を「力」に換えています。ガイは「死」を賭してマダラに挑んでいるのであります。僕はその光景を目の当たりにし、(これは)「いけない!!」連発していました。しかし、これはガイの行動に対する批判ではありません。この場合ただ手を拱いていては全滅必至ですから、緊急性且つ非代用性を満たすガイの行動には寧ろ合理性があると思います。勿論、自分の命を差し出しても戦わねばならないとするガイの覚悟も理解しているつもりです。ただ、ガイが「青葉の養分」となる事をリーはどんな気持ちで受け止めればいいのか?

これと同じ状況にガイは救われています。父・ダイ「死」をガイは「養分」として活かされたのであります。僕はガイのその時の気持ちを考えてみましたけど、少なくともガイは自分を救う為に父・ダイを失って嬉しくはなかっただろうな…と思います。しかし、あの時、ガイが感じた父・ダイ「死」というものをガイはちゃんと消化できていたんでしょうか?何でそういう疑問が生じるのかというと、ここでガイがリーに自分と同じ状況を託すのは極めて未消化に感じるからであります。過去に長門が嘆いていましたが、「痛み」「痛み」として伝わっているだけ…と言うか、自分が感じた辛さや苦しさの原因や理由を検証も何も無くただ漫然と手渡しているようにしか見えません。

確かにガイの行動勇敢です。死ぬ気で何かを為さねばならない状況はリアルでも存在します。僕だってこの場に居たらきっと何か行動を起こしていると思います。しかし、ガイがダイと同じ様に死門を開いて、我が人生に一片の悔いも無し的なのは「いけない!!」と思うのです。というか、やっぱ人を操ったり殺めたりする忍術は「いけない!!」と思います。百歩譲って既に在る忍術を反故にはできないとしても、個の能力を飛躍的に高める忍術の危険性というものにもっともっと光を当てて考えねばならんと思うんです。それをガイ個人にフォーカスさせて考えれば、自分の為にダイを死なせてしまった時の辛さや苦しさをそのままリーに委ねるのは考えが無さ過ぎると、僕は思うのです。

ガイがあの時感じたであろう辛さや苦しさ…。自来也にしてもそうだけど、この世界の大人は考えなさ過ぎやしませんかね。確かに人材不足激務かとは思いますけど(笑)。その上、戦争も真っ直中!!皆が皆、ワーッとなって戦ってて、誰も過去を振り返らないし当然検証なんてしていません。それにこれまでも理屈っぽいキャラは出て来ましたけど学者とか研究者は居なかったような(うろ)。僕だったら忍の歴史とか興味ありますけどね。微妙に大蛇丸がその役回りなんだけど、彼は彼で純粋に欲しがるだけの人だから、その知識の蓄積を社会に還元する気なんて毛頭ないでしょうね(笑)。この世界に本当に必要な「救世主」とは人々がもっと考えるように啓蒙できる人じゃーないですかね。

リーがガイの覚悟を確と受け止める姿。涙を流しながらも刮目するリーの男気。真一文字に結ばれた唇。それは解るんです。ただ、リーがここで感じた全ての事共をそのまま未処理、未消化で次世代に託すは、本当の意味でガイの「死」というものを無駄にしているんじゃーないのか?…と僕は思うのです。だから、リーは今度こそガイが託すものをしっかりと考え吟味して欲しいと思うのです。そして、自分が受けた辛さや苦しさを自分に続く世代に感じさせないような未来を創る努力をして欲しいと思うのであります。それでこそ真にガイが全てを投げ打つ「青葉の養分」報いられるのだと僕は思うのです。同じ過ちを繰り返していてはイザナギのループから脱せないのだから。

第668話「紅き春の始まり」
ナル×ジャン ケルベロス

何かをする者を何もしない奴が笑う(な) | BLOG TOP | 第668話「紅き春の始まり」②

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