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第673話「オレらで…!!」⑥

 
■マダラの仕上がり

(ワレヲトリコメ

シンジュヲ…
スベテトリコメ…)
(神樹)

「そうか……
神樹そのものが……


ハハハ…

全てを一つにする時が来た」(マダラ)

ナルトの仙術・熔遁螺旋手裏剣の大鉈が神樹に振るわれると、今度は「神樹」がマダラに自分を取り込むように持ち掛けます。この描写から「神樹」にも明確な意志がある事が解ります。ちなみにここでマダラにネゴる「神樹」とは十尾の人柱力になったオビトが「無限月読」の為に生やしたもので、十尾のチャクラは人柱力の中に残っていますし、その後オビトから抜かれた尾獣のチャクラは在りし日を象ってマダラを向こうに回して暴れました。しかし、それも束の間、今度は外道魔像に吸い込まれて「十尾」を復活させ即座にマダラはそれを自分に封印して十尾の人柱力になってしまいました。「神樹」はオビトは生やしたまま残っていたのを、マダラがここで取り込んだという流れです。

そして「神樹」を全て取り込んだマダラは「ハハハ…」と笑いながら「全てを一つにする時が来た」と何だか悟るのですが…。これはマダラが取り込んだ「神樹」の意志がマダラに何らかの情報を提供したからだと思います。そもそも「神樹」とは人間界に関わらないようにひっそりと存在していたのにカグヤが禁断の「神樹の実」を食べてしまったのを怒って「神樹」が十尾となって「神樹の実」を取り返しに来たと提示がありました。これらを「陰陽論」に当て嵌めて考えるとかなり分かり易いので先ずは「陰陽論」から説明しようかと思います。…と言っても僕の知識なんてググるだけのものなんでパソコンの前に座ってる皆さんと同じかなーと思いますので「お耳汚し」ですけど(汗)。

「陰陽」とは森羅万象、宇宙のありとあらゆる事象を様々な観点から”陰””陽”の二つのカテゴリーに分類する思想を言います。”陰””陽”は互いに対立する属性(性質)を持った二つの”気”…『NARUTO -ナルト-』の世界観では”チャクラ”に当たるかと…万物の生成消滅といった変化はこの”二気”すなわち”陰””陽”によって起こるとされています(殆どwiki通り!!)。それを示すのがとても有名な「太極図」です。この意匠は誠に秀逸でこれ一つで「陰陽論」を見事に説明しています。ちなみに黒い勾玉文様”陰”を示し、白い勾玉文様”陽”を示しています。そしてそれらが絡み合い万物を構成しているのですが、それぞれの勾玉文様にある小さな丸も実は大きな意味を帯びています。

陰陽・太極図

白い勾玉文様の黒丸は”陽中の陰”を。黒い勾玉文様の白丸は”陰中の陽”をそれぞれ示しているのです。太極が別れて”陰””陽”を成す訳ですが、例えば”陰””陰のみ”によって構成される事を「陰陽論」は否定していて、”陰”もまた”陽”を帯び、”陽”もまた”陰”を帯びて「安定」を得ているのであります。ザックリ説明すると”太極”を陰陽分離して小さな”太極”を拵えている…みたいな感じですかね。この考え方で全ての事象を細分化して理解しようというのが「陰陽論」本旨なのかな…と僕は考えております(思いっきり自己流ですけど!!)。非常に余談ですが「陰陽論」の定義する「死」とは物質である肉体=”陽”とそれに宿る魂(精神)=”陰”分離意味しています。

それを応用したのがかの「封印術・屍鬼封尽」でありまして、あれは対象に逃れられない絶対的な「死」を与える極悪な忍術なのであります(これマメな)。断線しちゃったけど、もう少し具体的に説明すると「陰陽論」における”陰”とは遠心力(基本特性)であり、植物的(生物特性)であり、”月”(太陰・たいいん)であり、偶数(数)であり、精神(心)であり、”闇”であります。一方、”陽”とは求心力(基本特性)であり、動物的(生物特性)であり、”日(=お日様)”(太陽)であり、奇数(数)であり、肉体であり、”光”であります。ま…詳しくはwiki「陰陽表」を参照してください。きっと腐ったオネー様方も”陰”が「女性」を意味し、”陽”が”男性”を意味するのに喜々とするでしょう(笑)。

マダラの前に揃い踏むサスケとナルトでナルトが活発で敏速なのは”陽”意識していて、それに対してサスケが思いっ切り地味なのは”陰”の性格として「不活発」「緩慢」というものが在るからでしょう。あの見開きは「陰陽論」を少し齧るだけで酷く納得の行く出来なのであります。しかも、それは『NARUTO -ナルト-』の連載が始まってからズーッとかなり綿密に描き分けられていて、今さらそれぞれの利き手に”月”だの”太陽”だのを描かずとも…と思える程鮮明であります。ちなみにお天道様、お日様である「太陽」に対するお月様を「太陰」っていうのを今回改めて知るに及び微妙に背筋に電気が奔り、見事に肩凝りが解消されました(笑)。いやはや…本当に良く出来たお話であります。

そして「陰陽論」の知識を元にもう一度「神樹」を考えてみると、やはりカグヤが「新樹の実」を食べる前の「神樹」がその在るべき姿…太極であったと考えられます。それを「陰陽論」に当て嵌めると「神樹の実」”陰”であり、残った「神樹」”陽”に当たると僕は考えます。そして太極たる「神樹」”陰”である「神樹の実」を奪われ残った”陽”たる「十尾」”陰”たる「神樹」を取り返そうとしているのがこの諍いの大元も大元と言えるでしょう。全ては「安定」を得る為の欲求であり、生物学的にはそれを「ホメオスタシス」(恒常性)と位置付けているのだと思います。しかし、「神樹の実」はカグヤに食われてしまいましたからもう在りません。一体何処に行ったのでしょうか?

その前に「神樹」”陽”たる「神樹の実」以外の部分はそのままだと活動出来ませんよね。樹木なので(笑)。それで「神樹」も猿もの引っ掻く者とばかりに自信を陰陽分離したのではないでしょうか?それが”陽中の陽”と思しき「十尾」”陽中の陰”と思しき”神樹(月の眼の花の咲く大樹)”ではないかと、僕は考えいます。それは「陰陽論」で示す”陰=植物的=神樹””陽=動物的=十尾”に綺麗に符合します。六道仙人ことハゴロモはオリジナルの「神樹」”陽中の陽”である「十尾」を自身に封印し、その後それを更に九種類のチャクラに分解した訳です。そしてそれらに「名」を与え「自我」が芽生えるように導こうとしたのだと思います。僕はその行いに「親心」というものを感じています。

そして、その思惑通り九つの尾獣達は知性を養い他者を理解する「心」を養って行きます。その発達には大きく関係していて、具体的には六道仙人ことハゴロモの考案した「人柱力のシステム」こそがと尾獣の接点となり、の想いが尾獣に伝搬し単なる「獣」が人の”心””受”ける中で「愛」を知って行ったのだと思います。そこんところを理解すると、マダラの行動はそれを逆行するものだと気付きます。しかし、それもまた「陰陽論」に照らし合わせると太極を目指すもので「安定」を目指す正当な行いである訳ですが、カグヤの失敗を学習したハゴロモは「力」一極に集中するのではなく程よく分散させる方向で可能性を模索していたのでしょう。それがチャクラでネットワークする「忍宗」の骨子の筈です。

しかし、よく考えるとこれはもう「イデオロギー」の闘いでもあり、その点でハゴロモが自身の思想の優位性、或いは正当性を肯定し切れないでいる姿勢にハゴロモの知性良心を感じます。僕は『NARUTO -ナルト-』「善悪」概念は存在しないのだとナル×ジャンの活動を通して訴えて参りました。ある程度生きていると、一人の人生においても何が正しいとか間違っているとか常に断ぜられぬ感覚を容易に認識出来ると思いますが、それはこれらの命題とよく似ていると思います。僕に「力」がない所為か、この大切な部分<ぼやー>っとしか示せないのですが、何となく伝わればいいです。それでか…僕は「ナルトもサスケもマダラも頑張れ!!」と、訳の分からない応援をしております(笑)。

あと少し…続きます。

 

第673話「オレらで…!!」⑦ | BLOG TOP | 疲れを知らない子供のように(140425)

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