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第677話「無限月読」④

 
■神・樹界降誕(木遁)

(これは樹界降誕!

神樹の生命エネルギーで
人々をしばっている…!?)(穢・柱間)

マダラが「無限月読」を発動すると月光を浴びた人共の眼の文様が「輪廻眼」になりました。意識を失ったところに「神・樹界降誕」が襲い、繭のように包まれて神樹(?)に接続されました。輪廻の力を持つ者である「うちはマダラ」がその額に「第三の眼」を開き、十尾の眼・三重写輪眼を「月」に投影する「無限月読」に「神・樹界降誕」が組み合わされていたのを見て、僕は「ああ…そういう事だったんだ」と納得してしまいました。柱間の「樹界降誕」とは「木遁忍術」とは、つまりは人々を「養分」として扱う為に物理的に拘束する手段だったのです。柱間はアシュラのチャクラの転生者でしたから、これらの能力は「神樹の実」に由来するものだと思います。

カグヤも額に第三の眼・三重写輪眼(十尾眼)を開眼し、「無限月読」を発動した事実をマダラが提示していましたので、十尾や神樹を取り込んだ提示の無いカグヤが取り込んだ「神樹の実」に「無限月読」の発動要件が含まれていると考えて宜しいかと思います。六道仙人は母であるカグヤの行いを禁忌と受け取り、自らに継承された「神樹の実」の要素を陰陽分離して体外に排出して生まれたのがインドラとアシュラだと、僕は考えていて、六道仙人がそれをせず「力」を恣(ほしいまま)にしていたらハゴロモの額にも第三の眼・三重写輪眼(十尾眼)がパックリと開いていたのでしょう。ハゴロモはそうなりたくないから二人の子を自分から「分極」したんだと思います。

確かにハゴロモは「忍宗」の提唱者でありました。また「無限月読」の描写で「月光」に浴した皆が「輪廻眼」となり「夢」に堕ちたのが「チャクラ」で人と人を繋ぐのと似ている…と言うか、「ペイン六道」の輪廻眼・外道の術の視野共有のように「夢」に堕ちた人々が視覚を分かち合う…精神のレベルで一体化する事実が「忍宗」の指し示す理想と意を同じくするのではないかと思えました。しかし、「無限月読」をおっ始めようとするマダラを止めてくれと六道仙人ことハゴロモはナルトとサスケの黄泉返りに加担してますから、「忍宗」と「無限月読」は相容れない存在であると考えるべきでしょう。それはハゴロモが仕上げたナルトサスケの現状が更に強調しているように思います。

六道仙人が「チャクラの真理」を解明して自らが開眼した「輪廻眼」で人々を繋ぎ出来損ないの「群体」である人(忍)が完璧な「個体」になろうとしたのが「忍宗」の本来の姿だったのではないかと、僕は考えています。長門の「ペイン六道」は死人を「輪廻眼」でつないでいましたが、あれを生きた人で実現するのが「忍法・忍宗(の術)」だったのかな…と僕は考える訳です。きっとそれが能力やチャクラの伝承の中で分化して「心伝身の術」とか「影縫いの術」などの秘伝忍術に受け継がれたのではないでしょうか。それでこそ六道仙人の「パズル」が「パズル」たる所以であろうかと思います。あれは「輪廻眼」の能力が細切れになったものなんだと、僕は思うのであります。

「ペイン六道」の場合は輪廻眼・外道の術でかなり高次に一体化していましたが、例の六道の楔・黒い杭を死体の体の至る所に埋め込んで傀儡化していました。それは死体に意志が備わっていない為でしょう。それに対してマダラの「無限月読」は木遁忍術である「神・樹界降誕」によって意識を繋いだ人々を物理的に拘束しています。これに拠って「無限月読」は死体(死人)を得たのだろうと僕は思い当たったのであります。これは人の「生」の在り処を考える上で非常に重要な問答であろうかと、僕は思うのです。それは長門が自来也やナルトに「ペイン六道」で何を示したかったのか?という疑問にも繋がります。自来也を殺め、ナルトを一時は追いつめた「ペイン六道」…。

その前に人が人として生きる上で何が大切なのかを僕らは考え、その疑問に対する明確な答えというものをここら辺で見つけ出す必要があろうかと思います。そして、それは何となく戦っているこの戦争の大義にも通じるであろう事を今一度この場で確認すべきだと思います。ここに至るまでナルトはそれに直感的に、直情的に答えていました…「夢は自分で見る!!」と。どんなに強くたって「ペイン六道」は死人でしたし、どんなに幸せを感じようと「無限月読」にハメられた人々もまた死人なのであります。それは木遁忍術である「神・樹界降誕」でグルグル巻きにされて繋がれた人々の姿が示しています。ハゴロモはそれは違う!!そんなのは「忍宗」ではない!!と言いたい訳です。

その点に注目すると長門が「ペイン六道」で死人を招集した真の意図というものが見えて来るように思います。それはつまり「無限月読」に対するアンチテーゼであり、全ての「力」が結集して第三の眼・三重写輪眼(十尾眼)と血継絶後のチャクラが組み合わさるのを回避すべきであるとするメッセージのようにも思えるのです。それはきっと長門の「ペイン六道」の人選にも影響していた…というか、思いっきりそれだけだったんじゃーないですかね。もしかして自来也はそれに気付いたのかも。そうであればフカサクの背中に残したあの「暗号」って…(こ、これはね…必ず別の考察で書くので)。ここから先は書かない方がいいな…と、僕は思うんで止(よ)しますね。

皆さんも考えてみませんか?

生ける人のあるべき「繋がり方」について…。

第677話「無限月読」
ナル×ジャン ケルベロス



補足:木遁忍術についていろいろと書きたかったんだけど今週は修羅場(仕事ね仕事)を潜り抜けてチャクラ切れにつき別の機会にします。もうホントに命を削って仕事に打ち込んだので今週は大目に見てやって下さい。今はフカフカの膝枕に埋もれてナデナデされたい気分です…けど「無限月読」なんかなくてもいい「夢」みれるくらい疲れてるので大丈夫です(笑)。ゴメンナサイ!!この記事アップしたら寝ます。誤字脱字てにをは不良上等です。修飾もしません!!てか出来ません(笑)。

zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzおやすみー


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