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第681話「カグヤの涙」③

 
「母の名を知っているという事は
ハゴロモに会ったという事だな

転生者の力次第では会う事ができると知っている
母を封印するために力を渡す事も」(黒ゼツ?)

「ハァ!?
封印すんのは十尾だ!」(ナルト)

「ここまで協力する
インドラとアシュラの転生者はめずらしい

何も知らないお前らにチャクラを吸い取る間
その物語を聞かせてやろう

…さっきも言ったな…
母はかつて我が子の手で封印されたと

それはそれは強力な封印だったそうだ

十尾自身を地爆天星の核へと変える術…
それによって十尾となった

だが封印の寸前でオレが産み落とされた
母がいつか復活するために」(黒ゼツ?)

カグヤがナルトにハゴロモの面影を感じ、ナルトとサスケを白眼で透視して「術を渡した」とか何とか言ってましたけど、二人の掌の太陽太陰(月)紋章はカグヤを封印する為の何らかの術を発動する為の出力デバイスなのかな…と思います。それの恩恵に与っているナルトとサスケの二人はいてマダラの黒棒(六道の黒杭)血継絶後のチャクラも干渉されず利用できる立場にあります。ナルトのこれまでの描写では八門遁甲の陣で開き切ったガイの死門を閉じたり、失われたカカシの左眼をカカシの細胞から捏造するSTAP現象(はありまぁ〜すぅッ♡)といった奇跡を巻き起こしてまして、これはサスケが示したように六道の陽の「力」と陰の「力」アイコン(紋章)なのでしょう。

じゃーサスケとナルトがDBみたいに”フュージョン”しちゃえばいいじゃない!!と思たりもしますが、それだともう一つ…別にカグヤができちゃうだけなのでナル×ジャンでは却下と致します(汗)。現にサスケは不遜な方向に傾いていて、足手まといのカカシ以下、サクラやオビトなど疾うに斬り捨てています。それがナルトの存在で辛うじて繋がれている訳です。この傾向は忍全般に見て取れていてサスケの性根がひん曲がっているという問題ではなく「力なき者は踏み潰される」とする現雷影・エーが示した忍道が正論とされる忍界にあっては寧ろ正論でありまして、それが何を示すかと言えば「チャクラ」恩恵に如何に浴するかが全てか否かにあるのではないかと僕は考えます。

それは価値観の問題であります。僕らにはもうそれが解っていると思います。僕らには多様な価値観というものが既にあります。そう「チャクラ」だけではないのです。正確には「チャクラ」なんてものは現実にはなく、それが「力」であろう事を僕らは察します。それは僕らに知性と教養が在るからであります。そして、それは僕らを生んでくれた親とこの社会に与えられた僕らの「力」でありますまいか。そして僕は僕らの中に「チャクラ」は在るのかな…と不意に思ってしまうのであります。ナル×ジャン「終末の谷の決闘」という考察を書こうと決めた時、僕は図らずもそれと同じ事を考えていました。考察の最後の決め台詞も既に在る。そういう見え透いた話なのであります。

人がもし「チャクラ」と出会ってしまった時、それ以上の「価値観」がなかったとしたら…カグヤみたいなバケモノが生まれるのだろうと思います。『NARUTO -ナルト-』とはそれをシミュレーションする物語なのかも知れません。先に示した様に「チャクラ」とは他の価値観が備わらない世の中であれば、それは即ち「力」と言い換えられるでしょう。しかし、既に『NARUTO -ナルト-』の中の人々は「心」というものをその身に宿して居る訳です。そう「力」「心」を携えてしまった人々が悶え苦しむ…それが「忍」の現状なのであります。それが物語の中で描かれる漠然としたカグヤへのナルト達の反意に対して僕らが抱く違和感原資であろうかとも思います。

ややこしくなってスミマセン…続きます。

 

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