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第683話「お前と同じ夢をみた」②

 
「オレは死んだ…はず…」(オビト)

「オレが回復させた

…………でも…」(ナルト)

「………」(オビト)

「ああ…分かっている……」(オビト)

ナルトの<フォッ>がオビトを回復させていました。何かやってるな…とは思ってたけど、やっぱり死にませんか(笑)。でも、あんまやり過ぎもアレなもんで即死を免れて緩やかに死ぬ…みたいな脚色なんですかね。いやしかし、これまで『NARUTO -ナルト-』では”穢土転生”とか”輪廻天生”とか生と死に関して散々と介入していましたし、少し前には”八門遁甲の陣”を発動したガイの「死門」を見事に閉じるなど…そこまでやっちゃーいかんでしょう!!というのをやってしまっているので「死」を対価としながらも、術の発動の後、それを免れるのが常套となっていますので、オビトが斯様な生き恥を曝すのはナル×ジャンでは普通に予想が立っておりました(笑)。

人の想像力を越えた結果「チャクラ」は実現させてしまう…。僕はそれがいけない!!と考えています。それは「摂理」と深く関わっていて、人の「予想」とか「想像」を越えた「力」を人は扱うべきではないのではないか…と、特にカグヤや六道仙人のレベルの存在が物語の中で影響力を持つようになって、僕はそう考えるようになりました。僕は非常に微細ではありますが、多少なりともデザインに関わって生活していまして人の持つ「イメージ」を常に考える日常を送っております。その中で常に思う事は「イメージを越える作品は存在しない」という「摂理」であります。ぶっちゃけ僕は人の脳内の理想や願いを100%具現化する事は恐らくできないだろうと考えています。

人はそれに近い出力をどうしたらできるかを常に考えているのではありますまいか?誰もが完璧に自分のイメージを何かの形にできるかを願っているけど正直できないでいる。そして、そのモドカシさこそが実は「芸術」であろうと思います。完全になりたい!!でもできない!!そういうジレンマの中でのたうち回るのが人なのだと、僕は常々想っています。しかし、「チャクラ」はそれを遥かに飛び越えてしまうのです。人の「限界」を越えて人の「想い」というものを具現化してしまうのです。そして、その「力」は人の根源的な「崇拝」を虚無にしてしまうのです。何故ならそれは「神」の所行だから。僕らは「不完全」な生き物なのです。イメージを越えられないから生きていられる…。

「不完全」こそが人が生きるモチベーションなのです。

意味不明に続くけど、ヨカですか…。


 

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