スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

NARUTO-ナルト-第43巻に寄せて…


「NARUTO -ナルト-」43巻に寄せて

(黒炎ハ捉エタモノヲ
燃ヤシ尽クスマデ消エナイ…
ソノ対象ガ炎デアテモダ)

史上最大の兄弟喧嘩…イタチはとうとう"天照"まで出してしまいます(第43巻/9頁)。丁度、"暁"のゼツがリポーター風に観戦してくれたお陰で術の事やらが詳しく判って良かった…。イタチがめちゃくちゃ雄弁に術の構成や威力を吹聴するのは想像したくないし、できないです(笑)。ゼツがいなければ、ほとんどの説明がイタチの「………」だったろうから、何が何だか?!だった事でしょう(笑)。

しかし、万華鏡写輪眼の火遁秘術である"天照"でしたが、絶対的な力であるとは思えないものでした。そりゃサスケの豪火球の炎を食い尽くしたり、遠距離で連続攻撃できるのは凄いとは思うけど、血の涙を流してリスクを背負うのと相応の効果があるのかは、サスケとの対戦を観察する限りはなかった…と思います。

「写輪眼はチャクラを見る眼だ」

イタチはサスケのチャクラ残量を見ながらそう言うんですが(第43巻/22頁)、デイダラ戦でもサスケは「この眼はチャクラを色で見分ける…」(第40巻/41頁)と、すっごいワル顔でデイダラに写輪眼の自慢をしていました。サスケが"天照"を持つイタチを前に落ち着いて話せているのもイタチのチャクラ残量が幾ばくもないのに気付いてるからでしょう。

「一瞬だ。この術(麒麟)は"天照"と同じだ…
絶対にかわすことは出来ない」

で、気になるのがココ(第43巻/23頁)。これからサスケが使おうとする"麒麟"は雷遁忍術で、落雷を対象に誘導するもので、術速度は光速で理論上は最速。それが"天照"と同等と言うのは"天照"の発火能力が視覚…つまり光速の術速度を持つ事を意味してる。サスケは瞬身を用いて"天照"の着火を躱していたようですが、角速度(二人の間合いが相当あった)からも不合理です。

つまり躱せない筈の"天照"をサスケは凌いだのです。しかも、チャクラを色で見分ける写輪眼同士の闘いだった。ゼツの"天照"の説明でもありましたが、目視で捉えたものならば、たとえそれが炎であっても燃やし尽くすですから、チャクラを見分ける事が出来るなら、イタチはサスケのチャクラを燃やせばゲームセットだった。

ここでイタチは状態2のサスケの残った右翼を燃やしています。状態2の部分変化。つまり、イタチは呪印のチャクラを狙い撃ったのです。イタチは最初からサスケを殺そうとは思ってなかったんです。サスケは必死だったからイタチのこの想いには気付けなかったのだし、イタチはそれをサスケに気付かれぬようにただしイケメンに限る(※)の演技力で秘匿し続けたんです。


「これが…お前の再現したかった……死に様か?」

そんな水面下のイタチの努力をサスケは露程も感じずに(第43巻/37頁)、とうとう"麒麟"の顎(あぎと)をイタチに浴びせます。"麒麟"は自然界のエネルギーを利用した強力な忍術で、そこには自来也の得体の知れない強さの正体を「自然エネルギー」と考えたかも知れない大蛇丸の影がちらつきます(大蛇丸は「仙術」には辿り着けなかった)。しかし、その攻撃すら受けきり凌いだイタチがサスケを追い込んで行きます。

「これがなければやられていたな…」

"須佐能呼"(第43巻/40頁)。骨格っぽいイメージに筋肉や皮膚が宿り半透明の巨像を生み出し、十挙剣(とつかのつるぎ)と八咫鏡(やたのかがみ)を振るう最強の攻撃と防御能力でした。恐らく八咫鏡…それでサスケの"麒麟"を凌いだ。"須佐能呼"の構成や理論は過去の感想にまとめた筈です。それを読んで貰うとして、ここには"真・万華鏡写輪眼"の匂いを感じてしまいます。

「"月読"と"天照"…
…二つの能力を開眼した時に
この眼に宿ったもう一つの術だ」

イタチはこう言うんですが(第43巻/44頁)、ここを眉唾(まゆつば)だと、僕は考えています。この部分はイタチの万華鏡写輪眼の説明と矛盾し、むしろ"真・万華鏡写輪眼"の第三の能力に近い…イタチの"須佐能呼"って"真・万華鏡写輪眼"の能力じゃないか?って、僕は考えてるわけです。この部分は近々にも判り易くまとめますかね。

ちょっと補足すると、イタチの体調不良=「病魔」って、これまでうちは一族内で検証され来た写輪眼移植の失敗例で、血縁のない同族での移植だったんじゃないかと考えてるんです。イタチは四歳で戦場を彷徨った孤児で、それを何も言わず受け入れ「さすがオレの子だ…」(第25巻/61頁)と、フガクがイタチを愛した…イタチとサスケの扱いを違えるフガクの態度もしっくり来ると思います。

それを受け入れると、サスケに"真・万華鏡写輪眼"を与える為には、イタチはサスケの血縁(実父)であるフガクの写輪眼を運ぶ必要があったのだし、サスケには独自に万華鏡写輪眼を開眼させ、万華鏡の眼軸を準備する必要があったと考えられます。フガクの写輪眼はイタチの万華鏡写輪眼の眼軸と合わさり副作用を伴いながらも第三の瞳術を覚醒するに至った…。イタチはその痛みや死の恐怖に耐えてたんです。きっと。

以上が"須佐能呼"だと、僕は考えてる…と言う状況です。

「本当に…強くなったな……サスケ…」

そして、サスケの成長っぷりについつい漏らしてしまった本心(第43巻/41頁)。この響きは自来也がナルトを「四代目に似てる」と漏らしてしまったのと似ています。僕はこの想いこそが"須佐能呼"なんだと考えています。それはこの後の描写に色濃く滲(にじ)んでいて、僕のオトナ心をキュンキュンと締め付けます。

「…出るものが出たな…」

イタチは"須佐能呼"をもってサスケの"抑えのチャクラ"から解き放たれ表層に出た大蛇丸を一蹴し、十挙剣(封印剣)で大蛇丸の全てを封印してしまうのです(第43巻/55頁)。これはマダラ(トビ)の「万華鏡の儀式」でも出て来ますが、これがイタチが果たさなければならないと考えた「役割」の本体でしょう。

それは「親の所行」………。「虐殺前夜」~「イタチの生き様」で切々と練り上げて来た内容なんで、詳しくはそっちを熟読してもらいたいんですが、イタチは「うちは虐殺」でフガクとミコトを失ったサスケ(間違ってもイタチが殺めた…なんて書いてないし、思ってもいませんから…念のために)の心の欠落を補完しようとしてたんだと、僕は考えてるわけです。

一度は大蛇丸に託し、教育や鍛錬を積ませたわけですが、それをキッチリ取り返すのが「親の役割」。と言うか、独り立ちさせる。「親離れ」までが親の責任だと思います。残念ながらその二人が既にいませんから、イタチがそれを補った。イタチはフガクを尊敬し、感謝していましたから、その恩返しをしたかったんじゃないかと思います。そして、イタチの"眼"にはそれが違和感として残っているわけです。

(カワセルハズノ攻撃ヲカワセズ
戦闘中ニ何度モ吐血…)

ゼツの違和感(第43巻/84頁)。これは何を意味しているかと言うと、恐らく僕と同質だと思います。イタチは「うちは虐殺」でフガクの両眼を移植しているんだと思います。しかし、二人に血縁がない。写輪眼移植の拒否反応がイタチを病ませたんじゃないかと、僕は考えています。イタチの万華鏡は正統継承者にしては反動が大き過ぎたのも根拠の一つです。

じゃカカシの写輪眼はどうかと言うと、あれは「眼軸ごと」移植してますからね。イタチの場合は万華鏡写輪眼の開眼者(シスイの死で開眼した)ですから、眼軸は自分のそれで、眼球のみをフガクから移植してます(筈…汗)。多分、"真・万華鏡写輪眼"のセオリーで、眼軸と眼球のコラボが新たな瞳術を生み出し、同時に失明(封印)の危機を払拭してしまうのだと思います。

イタチの万華鏡は「うちは虐殺」前後で変化していて、虐殺前はクモヒトデ(第25巻/108頁)のような細い触手状の文様で、サスケ戦や虐殺直後のサスケとの対峙で見せた手裏剣文様(第42巻/115頁)とは違います。そして、"須佐能呼"の発現です。あの能力はどう見ても「親の力」そのものです。あらゆる攻撃を受け止め、無双の剣を振るう。そいでもって、愛しき子供に取り付いた「魔」(←ごめんなさい!大蛇丸です)を祓(はら)う。

「貴様らの相手はまた今度だ」

イタサスの闘いの後はマダラ(トビ)でした(第43巻/113頁)。森の中の木ノ葉小隊との接触で、マダラ(トビ)もちょろっとイタチをオマージュするような台詞を吐いてるんです。マダラ(トビ)を僕は「純悪」とは思えず、それは大蛇丸にも言える事なんですが、何らかの使命を帯びた行いの一環に居るんじゃないかと思えてならんのです。有り体に言えば、マダラ(トビ)にも親心を感じる。

特に終末の谷で見せた「"蛇"~"鷹"」への変態(脱皮)への期待感。あれも正に「親の所行」であり、その想いが『NARUTO -ナルト-』と言う巨大なサーガの全編を支える「柱」になってるんじゃないかと考えてます。この物語は親から子へ「何か」を伝える絶対的な命題が横たわっていて、マダラ(トビ)はその片方を支えている。で、もう片方もあって、それがこのエピソードで浮き上がって来るんです。

ここはメインディッシュに近いので温存させて下さい(汗)。


「うちはイタチの真実を知る者だよ」

マダラ(トビ)が「万華鏡の儀式」が(第43巻/131頁)、この言葉で口火を切ります。ここから何週かに渡ってマダラ(トビ)の独り喋りが続くんですが、蛇のようにしつこい淡々とした喋りがサスケを徐々に追い込んで行きます。これでもか!これでもか!と浴びせかけられる言葉にサスケは自分の仕出かした事の大きさ。そして、自分の過ちに気付いて行きます。

「お前を守るためだよ」(第43巻/145-146頁)

「忍の世の為。木ノ葉の為
そして何よりお前の為に全てを懸けた―
兄、うちはイタチの生き様を!!」(第43巻/149頁)

「呪印からの解放…
そして最も親しい者の死…
お前に万華鏡を
開眼させる戦いでもあった
あれは全てお前の為に
イタチが仕組んだ戦いだった
お前の眼を奪うという芝居を
最後まで演じきってな」(第43巻/209頁)

「どうしても
お前は殺せなかった
その意味がお前に分かるか?
あいつにとってお前の命は
里よりも重かったのだ」(第43巻/217-218頁)

この辺も「虐殺前夜」から「イタチの生き様」を読み返してもらえば、僕が何に気付き、焦っていたのか?判ってもらえると思います。当時は(非常に不遜ではありますが…)イタチの想いに対してシンクロしていまして、せめてサスケが万華鏡を開眼してしまう前に遺しておきたかったんです。

この「万華鏡の儀式」でマダラ(トビ)はイタチの想いを歪曲して利用していました。それは「終末の谷の闘い」を発端にした『NARUTO -ナルト-』の根幹に関わる部分で、この場でお伝えしたい気持ちは山々なんですが、もったいないので「終末の谷の闘い」で考察したいと思います。今のところ「第三撃」でストップしてるけど、必ずまとめるので楽しみにしてて下さいね。

で、マダラ(トビ)はしつこくイタチの行いの断片を取り上げ、それをサスケに示す事で追い込み、自分の目的に都合の良い誘因を果たしました。その結果、サスケは万華鏡写輪眼を開眼させ、マダラ(トビ)に対しては協力姿勢を示しつつ"暁"に取り込まれるような体制に移行します。それがあの波打ち際の宣言に繋がります。

「木ノ葉を潰す」

サスケのちょっと行っちゃった目つき(第43巻/241頁)。このヤバさに汗した人も多いんじゃないでしょうか。この後、物語は進んでVSキラービー戦で"暁"への合流がフェイクであると言うんですが、それもちょっと声が大き過ぎ(笑)。サスケはイタチの判り難いところも継承しちゃったようですね。でも、そんなサスケの態度が僕を安心させてくれるんです。

イタチの最後の言葉(第43巻/236頁)をサスケは決して忘れてないと思うから。そう思いたいから…。サスケの「親離れ」はイタチによってなりました。それが今あるサスケの毅然とした優しさや、凛とした強さを形作っていると、僕は考えます。そして、それを目指したのがイタチであり、サスケの今の貌(かたち)が「うちは虐殺」に始まるイタチの想いの集大成なのです。

イタチのその深慮遠謀たるやスパーコンピュータ並みで、サスケのやや危なめのイキっぷりに冷や汗を流したものの、イタチにはこうして一旦、マダラ(トビ)に傾くサスケの未来も見えていたんじゃないかと、僕には思えるんです。そしてここからサスケが持ち直せる自信や期待がイタチにはあった筈です。だから、こんな風に満足げで暖かな笑顔を遺せた…。イタチはやっと安心できたんです。

サスケに…「想い」の全てを託せた…。
イタチの本懐を、僕は信じたいです。

「許せサスケ……これで最後だ」

イタチさんは無実だ!


  

ナル×ジャン業務連絡(0818)映画観て来たよ編 | BLOG TOP | 香燐はどんな想いでサスケに腕を噛ませたのか?

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。