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サスケは何故、あそこまで"ドス黒く"なってしまたのか?

  
「…うちはを差別し!
両親を兄弟に殺めさせ!
そのイタチを追い込み殺した上層部も!
そして千手を慕う木ノ葉の連中も!
全てがクソのはきだめだ!
全てが復讐の対象だ!!」(サスケ)


猛烈な"ドス黒さ"を見せるサスケですが(第416話「ド根性忍伝」)、この発言はマダラ(トビ)の回想によるもので、マダラ(トビ)のアジトでサシの会談をした時ですから、(万華鏡の)「儀式」の少し後の筈です。サスケがイタチとの闘いの意味を咀嚼し、過去との邂逅(かいこう)とも言える…イタチの「涙」を想い出した直後だったんじゃないかと思います。

「だいぶ体にきているようだな
大蛇丸の呪印もなくなったあげく
イタチ戦での傷も癒えてなかったからな」(重吾)

重吾の証言を元にするとサスケはこの会談の後、そう時間を置かずに八尾を拘束に向かっています(第 415話/「新しき力!!」)。そして、"鷹"は熾烈を極めた八尾戦で僕らの胸を熱くするような友愛に満ちた闘いを示し、その集大成として放たれた"天照"。その時、見せたサスケの「万感」。あの時のサスケには胸の奥をギュッと鷲掴みにされた想いで目頭を押さえたものでした。

だから、第416話「ド根性忍伝」のマダラ(トビ)との会談で見せたサスケの"ドス黒さ"は何だった?!あの「万感」で第一部の第七班…カカシ班を想い出したのは何だったんだ…となって書いたのが、「サスケの"本心"」であり、「サスケは何故、"第一部の第七班"を想い出したのか?」だったんです。どっちもサスケを信じたい!!って言うベクトルのお話です。

ここで、も一度、サスケの"ドス黒さ"の時系列を整理すると…

①イタチと史上最大の兄弟喧嘩決着
②万華鏡の「儀式」
③「邂逅」(第403話「涙」)
④マダラ(トビ)との会談で"ドス黒さ"全開
⑤八尾戦の万感の"天照"(第414話「暴れ牛」)
⑥「水魚の交わり」の中…"ドス黒さ"が満開(第417話「雷影、動く!!」)
⑦瓦礫のアジトの放置されたジェイの死体?(第418話「仙人ナルト!!」)

…となります。で、何が一番ショックだったって…

「お互いを庇い合ってそうなった…
オレ達は水魚の交わりというべき仲間だ
そういがみ合うな」(重吾)

瓦礫のアジト(第417話「雷影、動く!!」)で和気藹々(わきあいあい)の"鷹"の談笑の中で、子供体型の重吾が配管にチョコンと可愛く座りながら、その外見と裏腹に難しい故事…「水魚の交わり」を引用して、辞書引いて心底唸り、その言葉の暖かみがホントの意味で"蛇"から"鷹"に羽化(かわ)ったと感じたイイところで、サスケが一杯やりながら"ドス黒さ"がてんこ盛りだったところでした(笑)。

「だがこれで…」(第 415話/「新しき力!!」)

(オレは新しい力を手に入れた…
木ノ葉を潰せる充分な力を…)
(第417話「雷影、動く!!」)

八尾に放った"天照"を消す事で自分の万華鏡に宿った瞳力を認識できたところを起点に、さサスケはズブズブとドク黒くなって行くのです。"天照"の万感で見せた「第一部の第七班」の記憶が"暁"の衣に袖を通しつつも、心は木ノ葉にあるのだと思えてホッカリしてて、その上で「水魚の交わり」と来てすっごく良い気持ちになってたのに…そこでサスケは猛烈にドス黒くなってた…。凄くショックでした…。

「だがそんな力(尾獣)に
頼る必要はなくなったようだ」
(第417話「雷影、動く!!」)

サスケが不敵に水月に自慢ともとれるような台詞を吐くほどに、自分の万華鏡の瞳力に心酔しているかのようで、この期に及んではサスケの「木ノ葉潰し」の決意は本物だったと考えざるを得ないように感じました。それが無性に悔しいと言うか、悲しかったです。サスケはどうしてこんなに"ドス黒く"なってしまったんでしょうか?

その理由が暫く…僕には解せないでいました…。





ちょっと遡ります。フガクが在りし日の…あの桟橋…。

「…さすが、オレの子だ」(フガク)(第25巻/120頁)

フガクに振り向いて貰いたくて…イタチのように認められたくて…必死で修行した「火遁・豪火球の術」。そして、その会得に堪らず「本心」を明かしてしまったフガク。フガクはサスケを甘やかす事がないようにワザとサスケへの無関心を装っていただけなんです。それはイタチに対する手厚い賞賛とのコントラストによって明白で、それがイタチとサスケの血縁関係の有無を疑わせています。

詳しくは「虐殺前夜」の第四夜「DEKOTON」を読んで貰えれば、内容に関しては解ると思います。それを受け入れるか、受け入れないかは別で…(笑)。ただ、どうしてフガクがサスケを積極的に褒めなかったのかは、サスケを如何に大切に思っていたか?フガクがどれほど"深く"サスケの事を考えていたかを赤裸々に表す描写であると、僕は考えています。

不器用で仏頂面のフガクがイタチをあからさまに褒めるのも変だし、どう見ても優秀で良くできたサスケを取りつく島もないほどに阻害するのも違和感バリバリで、その解り易さこそフガクの人となりそのもので、それを理解出来ないで苦しみもがくサスケと、フガクに対する感謝で一杯だったイタチの慮りがめっちゃ好対照で、胸がズキズキしちゃう…味わい深さでありました。

「でも、ここだけの話…私と話すときは
アナタの事ばかり話してるのよ…父さん」(ミコト)(第25巻/131)

そして、その"深さ"が解らないサスケをミコトが優しくフォローします。この柔らかさや暖かさが「母親」であり、頭を撫でる掌がゴツゴツしてて重たかったり、頬ずりされると顎のヒゲがチクチクした痛みを与える「父親」とは違った距離感があります。だから、サスケはミコトにはいろんな事を話せるのだし、フガクには顔も真っ直ぐに見れないくらい緊張してしまうんだと、僕は思います。

ミコトがイタチに対して抱く「異物感」みたいなものを、僕は感じてならないんですが、サスケにはそれは皆無で、ゼロ距離でサスケに接する様が正に「母親」を感じさせます。サスケもミコトに対しては常に自分を曝け出せている。それはミコトがサスケの欠落感を上手にキメ細かく補っているからに他なりません。その意味ではミコトはフガクの行き届かなさすら補完していたと言えるでしょう。

「許せ、サスケ……これで最後だ」(イタチ)(第43巻/236頁)

最後の最後にそう言って倒れたイタチですが、今にして思えばイタチのサスケに対するフォローってミコトに似てたんじゃないでしょうか。イタチは心底、本心でフガクを尊敬し感謝していましたから、フガクに取って代わるような行いを不遜だと考えてたんじゃないかと、僕は思うんです。これは穿り過ぎかも知れませんが、イタチであればそこまで慮ることができそうな期待が、僕にはあるのです。

悲しいかなイタチは「うちは虐殺」に関与していました。今でもイタチ自らの手で「うちは」を根絶やしにするような事をしたとは考えられないんですが、少なくともあの大惨事を回避する事は敵わなかった。それはイタチ自身にも悔やんでも悔やみ切れない汚点であったとも言えるでしょう。しかし、イタチはその後悔に押しつぶされる事なく歩みを滞らせはしませんでした。

イタチはサスケを見守り続けました。時に、サスケを崖っぷちに追い込み、激しく焦らせた…。時に、断腸の想いで大蛇丸や呪印に身を委ねさせ「力」を学ばせ、充分に育った事を確認したと見るや、それらを取り除いた。それがあのうちはのアジトで繰り広げられた史上最大の兄弟喧嘩の真相でしょう。そして、イタチはサスケの奪還…大蛇丸と呪印からの解放に、自らの命すら食らう"須佐能呼"を使った。

イタチは「転写封印・天照」をサスケに施し、最後の言葉をサスケに遺し倒れました。力尽きるまでサスケの行く末に想いを馳せていたのです。何度も吐血しながら、火傷を負いながら、刃に傷付きながら、サスケの事だけを思い遣っていたのです。完全なる滅私の果てにイタチの「生き様」は存在します。そして、疲れ果て倒れた今もその「生き様」は極めて濃密にサスケの中に充満しているのです。

そして、イタチが遺した最後の笑顔(第43巻/236頁)は辛抱(我慢)が足りなかったのが半分、自分で自分を褒めたのが半分の…フガクがサスケに漏らした「…さすが、オレの子だ」(第25巻/120頁)と同じ味がしました。完全無欠なイタチも人の子なんだから、このタイミングのこの程度の綻び?は仕方ない…って言うか、許す(笑)。でも、その前に誰も責めたりしないか…(笑)。

「あいつにとってお前の命は
里よりも重かったのだ」(マダラ)

サスケはイタチが自分のせいで死んでしまった…と思い込まされています。その元凶は間違いなくあの「儀式」でした。勿論、それはマダラ(トビ)が執り行うたものであります。サスケに万華鏡写輪眼を与えるのがイタチの意図だったのは確かで、「儀式」の執行も織り込み済みだったんですが、そこでマダラ(トビ)がサスケを歪曲してしまう不可抗力までは阻止し得なかったのでしょう。

それは万華鏡写輪眼の開眼が次のステップでの第一義であり、それ以降に自分が関与できない…否…しちゃいけない!!と言うのがイタチのスタンスだった筈で、それがマダラ(トビ)の不可抗力を容認したのだと思います。何だかぼやけた言い回しで申し訳ないんですが、「核心」は別の考察で書くとして(汗)、イタチは大蛇丸に委ねたようにマダラ(トビ)にサスケを委ねてるだけなんだと思います。

イタチがサスケにこれ以上関与してはいけないと考えたのは、サスケ自身の成長の為でしょう。イタチは「うちは虐殺」に関与し(阻止できなかった)、フガクやミコトを奪ってしまった…その事実は激しい後悔と共にイタチを嘖んで来たに違いないのです。だから、イタチはフガクやミコトの代わりにサスケを育て立たせる責任があった…。それがイタチに感じる「親心」なのです。

『親は子供の為なら死ねる…』

そのくらい愛しているのです。僕は偉そうな事を言ってますが、「親」になった事がないから「親」としての経験や実感はありません。でも、愛された記憶だけはあります。もの凄く大切にされた暖かみや力強さが、生々しく僕の身体には残っています。そして、その記憶が、今の"僕"を形作っているのです。僕は育(はぐく)まれた…非常に濃厚に愛された…。だから、その「愛」に心の底から感謝しています。

自分が愛されていた事を忘れてはいけない…。
どんなに歳を重ねようとも忘れてはならない…。

そして、いつしか「愛」を注げる人になって行く…。

僕は、それがホントにオトナになる事だと考えます。それこそ、ホントの人の成長なんだと思います。歳が二十歳になったからとか、就職して自活しただとかは関係ないですよ。「愛」を与えられるのをただ享受するのは子供だけに許された特権なのです。「愛」を与えられる。「愛」を注げる。与えられる側から与える側へのシフト…それがホントのオトナの姿だと。

それをアスマや自来也が、僕らに示してくれたじゃないか…。

「愛」とは無償なのだと…。
「与える」ものなんだと…。


イタチもそうでした。イタチはサスケに与え続けました。サスケはフガクやミコト。そしてイタチに愛されていました。きっと、それが「愛」だと思っているのでしょう。それも間違いじゃない。でも、与えられる「愛」に馴れすぎてて、与える「愛」に気付けないでいる…サスケは与える「愛」をまだ知らないのです。そりゃ、大層な「力」を持ったし、態度も身体も一丁前になったけど、肝心が「心」は子供ままなのです。

サスケは「うちは虐殺」で唯一残ったイタチを失ってしまった…。そして、ホントの「無」になったのです。それは「愛」を与えてくれる人が居なくなったと言う事です。サスケはそれが腹立たしくて仕方ないのです。そしてマダラ(トビ)に吹き込まれた「イタチの真実」を鵜呑みにする事でそれを誤摩化かのように、木ノ葉に八つ当たりする事で「痛み」を忘れようとしているのです。

きっとその「横暴さ」がサスケに感じる"ドス黒さ"の正体。サスケは欲しがるだけの子供だから、今でもナルトやサクラ、そしてカカシに想いが残っているのかも知れません。ま、その想いを感じれるだけ、未だサスケにも救いが残っているのだけども、それが大きな「力」を持っている…更に手にしようとしている…「心」が子供のまま「力」を手にしてしまったペインと極めて似ているから厄介なのです。

「出て来い…うずまきナルト」(イタチ)

だから、それを危惧したイタチはナルトに接見したんでしょう(第40巻/117頁)。そして「力」を分け与えた。それがマダラ(トビ)に「儀式」を委ねた不可抗力に対するイタチの対処だったんだと思います。イタチがナルトの気持ちを確かめ口元を緩めた…微笑んだ…何かを託せた。自来也の訃報でズブズブのグダグダのナルトがそれを想い出してましたね。

イタチの人を見る目は確かだと思うんです。
だって、先ず…ナルトを選んだんだから…。

「うれしい時には
泣いてもいーんだぜえ!」


懐かしいッ!!(第3巻/124頁)波の国任務なんてどんだけ前なんですかッ!!(笑)ナルトは既にこの時期に「与える愛」を知っていたのです。まさか!?最初から持ち得た?!ここがナルトのすっごいところで、異常なまでの素直さであり、何事も受け入れる大きさであり、不幸な生い立ちもどこ吹く風の、底抜けの明るさであります。それらを混ぜこぜにして極めて異常な「曲がらなさ・折れなさ」と、僕は呼んでいます。

ナルトは「達観者」なのです!!

それをイタチは見抜いていたのです。サスケを闇から連れ戻せるのは…サスケのあの"ドス黒さ"を払拭出来るのはナルトなんだと…信じていたのです(…多分)。だから、サスケと殺り合う前にナルトに逢いに行った…。そして、この「信頼感」がキッシーにもあるからこそ…主人公である筈のナルトをあまり描かないじゃないかと…深読みしてしまうケルベロスなのです。

  

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