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第428話「対談!!②」(綱手VS天道対談編)


今週はお話が濃密でボリュームがあるので分割しています。この前に第428話「対談!!①」(木ノ葉丸敢闘編)を書いています。情けないエビスを尻目に木ノ葉丸が八面六臂の大活躍しています。同時に「対談!!」と言うエピソードの底流を流れる深いテーマに対する大きな伏線が埋設されていますので、先ずはそっちから味わって欲しいと思います。かなり難儀なお話なんで…(汗)。

「少しアンタと話がしたい」(天道)

「お前は確か…あの時のガキ…」(綱手)

「覚えていたようだな」(天道)

先週、ガイ班が出て来たので、気を利かせた綱手が「お前は…誰だ?」(第29巻/45頁)と、ガイが鬼鮫ばかりか、リーやネジまでもを凍り付かせた大ボケをカマしてくれる伏線かと期待してたんですが、綱手も立場上、そこまでは崩せないようです(笑)。ま…この時、天道が少しは<ホッ>っとするのがお約束なんですが、天道も立場上、何ぼ何でもですよね。

冗談はさておき、天道はいきなり綱手に攻撃するでもなく話しかけています。綱手と話をしたいと持ちかけた…。これが天道の作戦であるなら時間稼ぎなんじゃないかと思います。相手は綱手と暗部が4人。天道が登場した時点で面が割れてもいました(ピアスの数を声に出して言うもんだから…バレた!)から、増援を待って交戦に入るのが妥当でしょう。

対する綱手達もいきなり天道が登場したもんだから、対処のしように躊躇しているのも確かで、もし天道の「インターバル5秒」の弱点を上手く突ける方法を思い付いていたなら先制攻撃を仕掛けるべき状況ですから、現状はやや不利と考えるべきでしょう。それに綱手達もカツユの術によるネットワークがありますから増援待ちの時間稼ぎかも知れません。

「知っているのですか?」(暗部)

「少しな…」(綱手)

「何者です?」(暗部)

「……」(綱手)

雨隠れの難民であった頃に一度接点があった子供が自来也の仇であり、それが"暁"のリーダーだった…これは正直、驚きでしょう。綱手が「少しな…」と言うのは、大蛇丸が「殺す?」とした三人を自来也が引き受けると言ったところまでを言ってると思うんですが…。一応、綱手の背後の防水服に身を包んだ三人の難民の回想はそれを意味してるんじゃないかと解釈できる…と。

エーッと、細かい話なんですが、雨隠れの難民時代に弥彦ら三人が身につけていた金魚鉢ヘルメットの雨具ですが、子供用(サイズ)だったと思います。あんなものをあの子達が作って着た訳はないから、どこから盗むか、誰かに与えられた筈です。そして、サイズは大人用ではなく子供用だった。それに大人の雨合羽姿はなかった。つまり、子供をある程度守る風土はあった訳です。

弥彦らが飢えていたのも確かで、気持ちが荒んでもいたようです。でも、それは戦火が広がり世の中がそれどころでなくなった過程の極々一部分だったと考えられます。弥彦らは最初から一人きりでもなく、決して守られない立場でもなかったと言う事です。この世に生まれたからには親だっていたろうし…。その時感じだ暖かみを何処かに置き忘れてるんじゃないか…と思います。

「恵まれないコンテスト」とか、「悲惨な生い立ち選手権」とかで、確かに上位に食い込むと思いますよ…弥彦や長門たちって…。でも、それは結局、他者との対比に過ぎない訳で、それに拘るってのは「自分と他人は違う」と言う取っ掛かりをロストしてると思うんです。ナルトだって、悲惨で寒々しい幼年期だけどひねくれてないですよね。それは他人と自分を比較していないからです。

「自分は自分」と言う考え方の前提としての「自分と他人は違う」と言う認識がないと、独りよがりになってしまうんです。それは自己同一性(アイデンティティ)ではなくて、自己中心(自己チュー)と言うべきでしょう(笑)。丁度、今の天道がそれで、自分を中心に世界が回ってる(それか…回そうとしてる?)と思ってるから、不遜にも自分で自分自信を「神様」って呼べちゃう訳だ…。

果たして自来也が綱手に難民の三人を弟子受けし、忍術修行を付けた事を吐露したかは微妙で、そもそも、自来也が付託を受けていた「予言」に関する秘密を綱手に伝えた痕跡はないので、ペインの存在が持つ意味の深い所まで綱手が知っている可能性はかなり薄いと、僕は考えています。もしかしたら…天道が自来也を「先生」と呼んだりなんかしたら、綱手は腰抜かしちゃうかもね(笑)。

「秩序を正す神だ」(天道)

「どうやら普通ではなさそうだ」(暗部)

暗部がこんな風に喋るのは、カツユの術のネットワークで増援の要請が既に伝わってる可能性が高いと思います。仮にも暗部。選抜された忍ですから、ある程度の水準…否…かなり高いレベルで「闘い」を把握している筈だから、言葉が如何に闘いに余計であるかを認識していると考えれば、これが「戦術」である筈で、このシャベリに意味がないなら綱手は相当ヤバいと考えた方が良いです。

「うずまきナルト…九尾はどこだ?」(天道)

「さあね…」(綱手)

「人柱力はほぼ狩り終えた
尾獣による忍び里のパワーバランス
今や均衡を保ってはいない

今、九尾を庇ったところで無意味だ…
直に争いが始まる
戦争の火種はあちこちにくすぶってる

そして我々がその戦争をコントロールする
我々に協力すれば助けてやるのも吝かではない
この状況…我々の力も分かったハズだ」(天道)

ペイン六道の木ノ葉強襲に関して、些か大っぴら過ぎて違和感を感じていたのは確かで、これは新車の発表会や新製品のお披露目みたいなショー的な要素を多分に含んだ作戦だったようです。木ノ葉内部の不協和音が果たして天道に感知されていたかも微妙な部分ではありますが、天道の口ぶりからは当初の目的は充分に果たせた満足感みたいなものが漂っているように思います。

しかし、"暁"が少数精鋭の組織であり、人柱力を簡単に狩る事が出来たとする天道の自慢げな話と、「尾獣による忍び里のパワーバランス」が全くマッチしないです。"人柱力"="尾獣"を保有するのが天道の言う「パワーバランス」になり得るのなら、"暁"の一人や二人の忍に狩られる筈はない…って言うか、あったらお話の前提が崩れます。天道はこの部分に気付いているんでしょうか?

ここを突き詰めると"人柱力"の解釈がかなり変わって来ます。それをまとめたのが「九尾事件」(終末の谷の決闘…第五撃)であります。"尾獣"を「力」として保有する方法論として"人柱力"があるのではなく、もっと違った別の目的が潜んでいるのではないか?と、僕としては考えたい訳です。現実問題としての"人柱力"の強さや実用性を冷静に考えれば、サックっと解りそうなものですがね…。

五影をなめるな!
我々の先代達が求め
そして維持しようと努めてきた安定
崩そうとするお前らテロリスト
何を言っても無意味だ!!」(綱手)

「驕るな」(天道)

綱手が言う「五影」にかなり濃密な意志の疎通を感じます。「先代達」と現火影である綱手が言うのにも、五大国の生い立ちから始まる「理念」が継承されてるフシも感じます。そして、天道=ペイン(長門?)はその外に居る…。この強烈な温度差が両者の意見を違えているのでしょう。それでも、長門達は虐げられる立場だったから、五大国を嫌うのは痛いほど解ります。

それが、世の為、人の為に立ち上がって自分が望む「平和」と「安定」を生み出す…と考え行動しているのも解るっちゃ解ります。ただ、それが自分たちが受けていた仕打ちを、今度は逆に自分たちが与えるところを起点にしているところには承服しかねます。そのペイン(長門?)自身が「驕るな」と諭すのは、自分の行いを省みてはいない証拠じゃないでしょうか。

もっと言うと、自分を「神」だと言ってしまう天道(ペイン)が、何の事はない…お面を被って暗躍するマダラに使いっぱになってるんですから、じゃマダラ(トビ)って何なのさ!?って訊きたいくらいです(笑)。それをスルーして木ノ葉で暴れてるペインは何だか「だだっ子」に見えちゃいませんか?酷い被害妄想に取り憑かれてるだけ…単に他人に「痛み」を与える…そんな神様なんて居ないよ!!

(何てチャクラだ…)(暗部)

(これが…輪廻眼の力か…!
今までのどれとも違う…
イヤな感じがする…)(暗部)

明らかに綱手の両翼を固める暗部は気圧されています。天道のチャクラの「力量」に飲み込まれているんです。この「力量」を細分化して「力」と「量」に分解すると、二人の暗部が戦(おのの)いているのは天道の「力」の方じゃないかと思います。「力」を細分化すると「強さ」(=何て)であったり、「質」(=イヤな感じ)だったりすると言う提示であったのだと思います。

この提示は今後、終盤(…に入ったと言われて久しいですが…)にもっと顕著になるものと、ナル×ジャンでは考えています。そして、ここで…一定水準を超える強者である暗部を気圧す「天道のチャクラ」が示す先が明確に浮き上がって来る事でしょう。ここで注目すべきは綱手の対応でもあって、二人の暗部のように揺らいでいないところです。これは別に綱手が鈍感な訳じゃなくてね…。

勿論、綱手は医療忍者ですから、チャクラの感じ方はより繊細であるだろうし、三忍としての勇名が実証するように綱手だって強い忍です。当然、チャクラの力量も高い筈です。それにこれまでも強い敵と何度も闘って来た…。山椒魚の半蔵。大蛇丸…。みんな強いチャクラを持っていた。綱手はそんな忍を数多く見て来たのです。だから、天道のチャクラにも気圧されなかったのです。

「お前たちの平和が我々への暴力なのだ」(天道)

「確かにかつて木ノ葉隠れが
やってきた事が全て正しいとは言えない!
だがお前たちのこんなやり方は許せない!!」(綱手)

「言葉に気をつけろ
これは神からの最後の警告だ」(天道)

「座って半畳、寝て一畳」なんて人の生きる現実を明解に示す粋な言葉があります。これは如何に人が矮小であるかを示していて…同時に人が生きる為には最低でもそのくらいのスペースは必要だと取る事も出来る言葉でもあり、人が生きる以上は多かれ少なかれ他者に迷惑をかけると言う現実を示すかのようでもあります。綱手はそれを言っているのですが、天道の被害者意識は非常に強固にそれを拒絶していますね(笑)。

生きるって基本、闘いだから辛い事や悲しい事だってままあります。理不尽だってそこら辺に転がっています。それが現実です。でもその中で人は生きて行かなきゃならない。だから、強さが必要なのですが、それは生きる為の方法たるべきだと思うんです。しかし、天道の言い分は違います。「痛みを知れ」(第423話/「天道の能力!!」)ですから…(笑)。その無益さを綱手は「許せない」と言っている訳です。

「ナルトの居場所を言え」(天道)

「………」(綱手)

今は我々の持てる全ての力を注ぎ
お前達をたたく!それだけの事!
それにお前は一つ勘違いをしている」(綱手)

八つ当たりする神様…天道に対して綱手の物言いはオトナだな…って思います。綱手は現実の中を必死に生きているから、こんな風に毅然として居られるのでしょう。その落ち着きは次第に天道を追い込んで行くかのようです。別にディベートしてる訳じゃないんですが、天道は理論的に破綻してるから簡単に論破されてしまうのは仕方ない事ですけど…(笑)。

ホント…単なる"だだっ子"ですよねーっ!!それが大した「力」を持っちゃったもんだから、自分で自分を「神」だなんて言い出して、世界をコントロールしようとしてるんだけど、こんな感じだから最後まで責任もってやり通せるとは思えません。天道(ペイン=長門?)は自分が味わった「痛み」を他人にも味わわせたいだけの寂しがり屋さんなんだから。

これって、アイデンティティの確立に失敗してると言えます。何故ならペインは自分と同じ気持ちに皆をさせたいだけだから…。自分が味わった痛みを他者にも味わわせて満足したいだけなんだから…。「自分と他人は違う」が解ってない子供なんです。遠足の日に雨が降って流れた。でもお母さんは悲しそうじゃない。何でお母さんは僕と"同じ気持ち"になってくれないの?と泣く子供みたいに…。

でも、子供はそれで良いんですよ。泣きたい時に泣いて、腹が立てば怒れば良い。問題はそれがいつまでも通用しないってところです。泣いたり喚いたりが許されるのは子供だけの特権です。何故なら、大人は「力」を持っているから。「力」は人を幸せにもするけど不幸にもするものです。だから、それを持つ大人が子供である事は許されないのです。そして、それを学ぶ過程が「成長」なのだと、この物語は訴えているのです。

「(成長とは)どうするか…自分で考えることだ」

…なんて、禅問答みたいで抽象的な(やや突き放したような…)見解を長門に示すもんだから(第41巻/70頁)、長門は道に迷ってしまったのかも知れません。勿論、自来也に悪気はなかっただろうし、別に間違った事を教えてはいません。これは受容する側の問題が大きいし、師弟の相性の問題もあったように思います。しかし、結果的に自来也は長門らを生かし「力」を与えたんですよね。

僕はこの設定に真の問題点が潜んでいるんじゃないかと考えています。ぶっちゃけ、自来也と言う"人格"を予言の選択者として選抜した「予言」そのものに対して疑念を抱いています。自来也の"人格"…って言うのは悪い意味じゃなくて、生徒の自主性に任せる大らかなところ…性分ですかね。それが将来に対するブレをより大きくする結果になっている点に注目すれば胡散臭くないですか?

「世にそれまでにない安定をもたらすか
…………破滅をもたらすか
そのどちらかの変革じゃ」

大ガマ仙人の「予言」にしたって最初から正反対の結果を生み出す設定だったですから(第41巻/127頁)、それが自来也の選択者としての選抜を含んだ予言であるならば、その成り立ちからして疑わざるを得ない…と言うのがナル×ジャンの見解です。妙木山の行動が必ずしも正しいとも断定はできないし、それに描写でも「?!」って言うのは多少なりともあるんですよ。実は…<ブツブツ>。


「……」(天道)

「お前達が一番欲しがっているものは
手に入りはしない!」(綱手)

「…木ノ葉の忍がナルトを庇いきれる
思っているならそれは…」(天道)

ま…天道がこんな風に切り返そうとした時点で、綱手に乗せられているんだから負けなんですけど…案の定、その言葉が終わり切らない内に「違う」と、天道を遮っています(笑)。それで天道が「?」と転んでいます。神様の筈の天道が綱手に良いようにあしらわれている感じです(笑)。この天道の反応は、彼(ペイン=長門?)のアイデンティティの未熟さから立ち上がった脆さだと、僕は考えています。

「里の名を授かった猿飛一族の下忍!
姓は猿飛!!名は木ノ葉丸!!
覚えとけ コレェ!!!」(木ノ葉丸)

ぶっちゃけ、自分を「猿飛木ノ葉丸!!」と言い切れた木ノ葉丸と、(どんだけ胡散臭いか判らない…)「神」だと言うしかなかった天道とは、比べようもない差があると言わざるを得ません。今や大した忍術を使い、たったの六体で木ノ葉隠れの里をここまで叩ける力は手にしたものの、心を遠く置き去りのまま…あの汚く薄汚れ、泣き濡れる難民のまま成長を拒んでいる…。綱手はその「虚無」を叩いているのです。

まるで天道のオシリをヒン剥いてピシピシと叩く母のよう…綱手が天道を叱っているように見えませんか?そもそも、叩けば埃の出るマダラ(トビ)に使われてるペインが「神」だって言うんだから、それこそお里が知れるってもんでしょう。そして、天道のチャクラにも揺るがなかった綱手…同じように綱手はナルトのチャクラや力量も感じている筈なんです。その綱手が不敵に天道を見据え、自信満々に……こう言い放ちます…。

「ナルトは―強いぞ」(綱手)

綱手のチャクラが天道に「畏れ」を感じさせる…。
第428話「対談!!」(綱手VS天道対談編)…了。



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