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長門は何故、綱手を殺さなかったのか?


「どうしてもやるのね…長門」(小南)

詳しくは『長門の在り処』をご覧下さい。ザックリ言うと、システムペインの本体(本物)は長門であり、それは弥彦を筐体(きょうたい)とする天道に搭載されていて、システムペインの指令系統や高周波チャクラの受信は天道に統括され、それを天道の内に在る長門が管理している。超特大の神羅天征が長門の「命を縮める」のは天道(弥彦)の筐体が術強度に耐え切れないからである―これが、システムペインの現段階におけるナル×ジャン的見解です。

ちょっと、補足すると…超特大の神羅天征で弥彦の筐体が持たないので、長門の命が縮むと言うのは、弥彦の死の上に長門の生命がある考え方で、一種の「融合」を二人が遂げた結果ではないかと、僕は仮説を立てています。弥彦の死が長門の命を支えると言いますか、長門の死(?)体=筐体に長門の経絡系が搭載される事で、長門が「しぶとく生きながらえて…」(マダラ)いるのではないかと考えている訳です。

「どこかしらに問題はあったが
皆、己の意志で"暁"に貢献してくれた

デイダラ
サソリ
飛段
角都…

彼ら無くしてここまでの進展は無かった」(マダラ)

そして、その筐体である弥彦の肉体が壊れれば、長門も生きてはいられない―と、小南が騒ぐ原因になっていると展開させています。マダラ(トビ)が臭わせるチャクラの図抜けた強さが、経絡系を中心とした体の要部を「生命の器」として機能し得る可能性を示すアイデアは、これまでも各所にて提示があり、特に"暁"の人外度の高さはシステムペインのプロトタイプを思わせるフシ(第44巻/41頁)もあります。

鏡面襲者の術・ 五封結界・ 幻龍九封尽・ 雨虎自在の術・幻灯身の術・ 象転の術…等々…神羅天征以外の複数の能力の保持や、"暁"内や、特に小南との関係性などを踏まえても弥彦を筐体とする天道の特殊性は見過ごせない大きさであります。特筆すべきは 雨虎自在の術で、それ以外の術は他の六道がシャットダウン(ベットに寝ている)されている時の発動なのに対して、 雨虎自在の術は六道が会した時に発動されています(第44巻/121頁)。

つまり、 雨虎自在の術だけが、神羅天征と並列して天道が保有する術(修羅道の怪腕の矢は忍術と言うよりは肉体改造の一種と判断)であり、水遁系の忍術であろう事からは弥彦の筐体が長門に齎すオプションとして考えるのが自然かな…と思います。って言うか、それが天道の組成が弥彦と長門の融合じゃないのか―と言う仮説の出発点であり、それが肉体だけでもない…そこが、僕がウズウズするところなんですよね…実は…。

第372話「泣いている国!!」……凄ーく重要なので…
ちょっと横道ですが、そこんとこを説明させて頂きます。

今さら私たちの前に現れて
何のつもりだ!?」(小南)

「そんなつもりは無かった
お前たちが"暁"でなければの
死んだと聞いていて…
それがまさか
こんなことになるとはの…」(自来也)

「あの時…あの時
大蛇丸の言う通りにしておけば…
そう思ってるのね…
けどアナタは私たちを助けた
もう遅いわ…私たちは
彼の思想の下(もと)動き出した」(小南)

自来也が雨隠れに潜入して最初に会敵するのが小南でした(第41巻/50頁)。この時、小南は自来也との相性が悪かったと言うよりは、小南の側に自来也に対する想いが強く残り過ぎて本気になれなかった…それでペインが到着するまでのつなぎ的な対応に終始した感がありました。小南の語りには非常に濃厚なオンナを感じさせ、これだと自来也を「好き!!」と言ってるのと同じなんだけど、自来也は極めてさり気なくオトナな雰囲気でスルーしてました(笑)。

小南はまるで昔、自分を捨てた恋人をみるような目で自来也を見ていました(見ているとしか僕には思えなかった…笑)。でも、大蛇丸が「殺す?」と言う強烈な情けに反応した自来也に対して、小南は勿論、責めている訳ではなく、寧ろ大蛇丸の考えが正統だったと訴えているかのようです。ま、これが自来也に対する苦情であるならば、文字通り「言いがかり」な訳で、何たって自来也は見ず知らずの難民の子らを三年間も面倒を見て、しかも忍術まで教えたんですから…。

「ボクらは皆
家族を殺されたんだ!
分かり合うなら
相手を同じ目にあわせてからだ!
それが痛み分けってことだろう!

でも…そんなの
ムリだってことぐらい分かってる
だから戦争はなくならないんだ!
雨は嫌いだ
この国はいつも泣いてる……
弱虫だ
僕がこの国を変えてやるんだ
みんなを守る!!」

自来也が大きな魚を火遁で焼き魚にして皆で食べた食卓(第41巻/56-57頁)。そこで拳を振り上げて雄弁にその考えを示したのは弥彦でした。明らかにペインはこの弥彦の思想の下(もと)稼働しています。つまり、小南が言う「彼」とは弥彦であり、「私たちは…」と言うのが長門と小南の事なのだと、僕は考えています。そもそも長門は引っ込み思案で大人しい子で、こんな風に自分の考えを表に出しはしなかったし、今、木ノ葉を襲う天道の言う「痛み」とは明らかにここで提示されたそれと同質です。

ペインが「痛み」と言う言葉に拘るのは、弥彦が唱えた思想そのものです。別に小南は自来也が探すペインを「彼」と言ったのではなく、ペインを動かす思想の主(弥彦)を「彼」と言っただけで、それにミスリードされてペインの正体を判り難くさせたのは自来也の一方的な思い込みだったと、僕は考えています。長門が弥彦と融合した…と言うのは、肉体だけではなく精神までも一体化していると考えるのは、ここが起点になっていまして、単に感化された以上の繋がり=「融合」を感じている部分なのです。

同じ第372話「泣いている国!!」で、雨隠れの難民だった三人の子供たち…弥彦、小南、長門が木ノ葉に帰還途中の三忍…自来也、綱手、大蛇丸と出会っています。小南が先に自来也に言った「大蛇丸の言う通りにしておけば…」の行(くだり)です。場面は自来也は弥彦らに乾パンを与え、小南はその包み紙で花を折ってお礼をした後、弥彦が忍術を教えてくれるようにしつこく食い下がって、とうとう綱手が切れてしまいます。この時、綱手はやけにピリピリしていましたね。

「殺す?この子たち」(大蛇丸)

「なっ!」(弥彦)

「ずいぶん戦争孤児を
見てきたけど惨いものよ
いっそのこと
ここで殺してやるのが

この子たちにとっても…」(大蛇丸)

「よせ大蛇丸!
…お前は綱手と先に帰ってろ
ワシはしばらく
こいつらの面倒を見る」(自来也)

「はぁ!?」(綱手)

大蛇丸は少なくともこの三人の難民の将来を考えていた…(第41巻/53頁)。それが「殺す?」と言う言葉に表れています。それに弥彦だけが反応していて、長門と小南は無力に受け止めるだけでした。もしかしたら、長門や小南は生きていても仕方ない…くらいの無力感に支配されていたんじゃないか?と、すっごく悲しい想像が過(よぎ)ります。必死に生きる弥彦よりももっと醒めた雰囲気が二人にはあったと…僕は感じてしまうんです。

もっとも、その大蛇丸の大きな意味での優しさに最も大きく反応したのが自来也で、この後、三年(三年もッ!!って皆、思った筈だ!!笑)にも渡ってこの三人の子供の面倒を見て、忍術まで教えちゃう事になるとは、この時、誰も想像だにしなかった(笑)。ある意味、大蛇丸が自来也を動かした…とも取れ、自来也の性格や考え方を読み切った大蛇丸の作戦(そこまで読み切れるのが大蛇丸…)だったのかな…とすら考えたりもしましたっけ…。

で、綱手だけがこの三人に無関心でした。「はぁ!?」ですから(笑)。三人を「殺す?」と言った大蛇丸。「面倒を見る」と言った自来也。それらは両極端ではありますが、どちらも三人の子らを思い遣った上での気持ちであり考えでした。小南もこの時の大蛇丸の言葉を覚えていたくらいです。それを重く見るなら幼かった小南にすら大蛇丸の想いは伝わったんじゃないかと思います。そして、同時に綱手の無関心も伝わってしまったのです。

ミナトは何歳で逝ったのか?

綱手の名誉の為に…(笑)、綱手は別に冷たい性格なんじゃなくて、この時は一刻も早く木ノ葉に帰りたかったんじゃないかと思います。この接触が三人の難民の弥彦、小南、長門への態度から、縄樹が存命中のエピソードであると思われ、三忍の外見から20~23歳程度の時系列ではないかと、僕は考えてまして、そこを起点にミナトの九尾事件での年齢を考えた「ミナトは何歳で逝ったのか?」と言う考察を過去に書いております。

綱手の無関心さからは明らかに縄樹の存命(でないと、歳の似通った三人の子供達にあんなつっけんどんな態度はとれない)が推察され、綱手はこの時、やんちゃな縄樹が可愛くて仕方なかったんじゃないかと思います。忍術を覚え、姉を目指して修行している弟に一刻も早く会いたい!!その一心で木ノ葉へ急いでいたと考えれば、「殺す?」(大蛇丸)だの「面倒を見る」(自来也)などと言う二人に噛み付けるのも解ります(笑)。

ま…それで小南たちをウザったく思い、あんな無関心に突き放してしまったんだけど、感受性の強い子供には一番堪える態度だったんじゃないでしょうか。特に小南は同性だから綱手の徹底した無関心さは堪え難い衝撃だったと思います。自来也との接触でも、大蛇丸は引き合いに出すのに、綱手の名は一欠片も出て来ませんでした。それは綱手があの接触で、一欠片の情も自分たちに与えてくれなかったからで、それに対するお返しなんだと思います。

そして、それが木ノ葉を襲撃した天道と綱手の接見にリンクしているのです。天道は綱手たちが足にチャクラを集め、天道の神羅天征への対処を見破るや一笑に伏し、無防備な背中を曝し綱手との長話に耽ります。この時、綱手や暗部の対応を観察すれば、天道の力量の優位さは明らかで、綱手を殺す事も容易かった筈なんだけど、何故だかそれはしなかった。そして、その無為さは小南の所作と密であり、やはりあの時、綱手が示した無関心さ=示さなかった"情"に対するお返しだったのでしょう。

「お前達は…
この世界の主役だと思い上がり
死を遠ざけて考える
平和ボケして浅はかだ
人を殺せば人に殺される
…憎しみが
この二つを繋ぎ合わせる」(天道)

「……
戯れ言をペラペラと…」(綱手)

「戦いとは
双方に死を傷を痛みを伴うものだ」(天道)

「私たち大国も
痛みを受けてきた
言いがかりを付けて
こんな事をするのはやめろ!」(綱手)

笑止……」(天道)

「痛みを感じろ
痛みを考えろ
痛みを受け取れ
痛みを知れ」(天道)

「!」(まだ何かするつもりか!?)(綱手)

「痛みを知らぬ者に本当の平和は分からん」(天道)

「!?」(綱手)

第429話「痛みを」 で綱手と天道は結構な長話をするんですが、綱手の言う「言いがかり」ちゅーのも、ま…解ると言えば解ります。しかし、同じ気持ちを天道である長門が噛み締めていたのも事実で、その言いがかりすら言えずに虐げられて来た歴史があるのも事実です。それらが解らない綱手でもなく、長門でもないのです。だから、綱手は長門とのディベートで遅れをとり、後手後手で天道のペースに乗せられてしまう情勢になっています(笑)。

「…痛みで世界を導くより
痛みを乗り越えたお前の力で
それを成し遂げて欲しかった」(自来也)

自来也にはそう言う資格がある(41巻/178頁)。きっと、天道(長門)はそう思ってる筈です。何故なら、自来也は三人を見捨てず、面倒を見てくれたから…。忍術を教え、独り立ちさせてくれた「先生」だから…。長門にとって自来也は特別な存在だった。とても大切な人だった。だから、長門は自来也を殺せたのです。躊躇無く血刀で貫けたのです。それは自来也が長門たちに想いを注いでくれたからで、それが全くなかった綱手は殺すにも値しない存在だったのです。

ココ…ちょっと解り難いんで捕捉致します…。長門は自来也に情を注がれ感謝しています。何せ生きる「力」を与えてくれたんですから、正向き(+方向)の想いが自来也にはあるのは当然です。正弦波の上の山ですかね。それが下向き(-方向)反転した想いが自来也を殺めさせた…と、僕は考えてる訳です。それが綱手の場合は正弦波ではなく、直線でしかも値がゼロ。つまりひっくり返りようがないのです。

人が人を人と想う時、その中で何かを行うには"情"が必要です。長門に自来也に対する大量の"情"があったればこそ、命を奪えた…と、僕は考えています。そして、その対比で、長門が綱手を殺めなかった…と受け入れられるのです。基本的に僕は偏った人なので(笑)、アレなんですが、その他のペイン六道や小南の殺戮に関しては人を人と思ってない行動だと、一応…そんな風に考えています(081229追記)。


「しかし…お前またキレーになったのォ…」(自来也)

「………相変わらずだね…
言っておくが
お前だけは願い下げだからね」(綱手)

綱手は自来也(自来也は綱手の胸ばかり見るオッパイ星人でした…)に全く気がなかった筈です(第18巻/118頁)。特に若い頃の綱手は強烈な面食いで、大蛇丸に「ほの字」だったと、僕は考えています。しかし、大蛇丸は自来也に…その…アレで、これが「恋の三竦み仮説」ってヤツで、実に難儀な話になってしまうので割愛させていただきますが、もしも、自来也に綱手が「ほの字」だったら…きっと、雨隠れの修行にも綱手は随伴したんじゃないでしょうか。

しかし、この惚れた腫れたの機微…が意識出来たのは小南だけなんだけど、それが小南・弥彦・長門の三者間で共有された結果だと思います。そして、幼かった三人の中で綱手像が自然に出来上がって行った…。天道=長門は綱手に特別な想いがあった…。それは背中を向けた天道がネチッと嘗めるように見た嫌らしい視線に集約していました。長門は綱手を憎んではいない。けど、恨んでいる。それはやはり「言いがかり」でしかないんだけど…。

三年の永きに渡って生きる力を与えてくれた自来也は、長門たちにとって偉大な「父」とも言える存在だった筈です。それに対して、あの雨隠れの接触で一人だけ情を示さなかった綱手。それを責めるのは…恨むのは…綱手が三人の「母」になれたかも知れない人だったと、長門が思うからだと、僕は考えます。そして、木ノ葉をこんなにまでして「痛み」を与え続ける。それができてしまうのは大切な人の「気持ち」を教えられていないからでしょう。

「自分がされて嫌な事は他人にしてはいけない」

長門は「痛み」を他者に味わわせようとしています。それは自分たちが嫌と言うほど味わって来たからで、同じように他者にそれを与えようとする…弥彦の思想に沿った行動です。それが人の正しき行いではない事を知らないだけなのです。だって、誰も教えてはくれなかったから…。そして、それを教える事ができたのは、自来也でもなければ大蛇丸でもなく…綱手が「母」のように三人の子らを優しく抱き締めて上げられれば、或いは違った未来があったんじゃないかと…僕には思えるのです。

しかし、綱手には綱手の事情があり、雨隠れでの態度を若気の至りと責める事も出来るものではありません。全ては不可避…必然だったのです。そして、そんな自来也を「選択者」に選んだ大ガマ仙人。その「予言」があったから自来也は三人の子供に「力」を与えてしまった…。そして綱手の無関心が「心」を与えなかった…。そして、それが長門の「言いがかり」の本体であり、長門が綱手を殺さず、木ノ葉を吹き飛ばした理由です。長門は綱手に「痛み」を感じて貰いたかったのです。

そして、それら全てを織り込んだ上での「予言」があったのならば…システムペインもまた「予言」の付託に応えた一つのカタチ…。

増々、「予言」が胡散臭くなって来た…。


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