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「予言」とは何だったのか?(自来也の苦悩・序)

  
「ワシのかつての
教え子でしての…」(自来也)

『!』(フカサク)

『!』(シマ)

両肩に二大仙人のフカサクとシマを降臨ろし、仙人モードになった自来也が、刹那、状況の報告をするシーンで(第41巻/118頁)、自来也が"暁"のマント姿の忍を「(かつての)教え子」と読んだ時、凍り付くような…これに凄く似てるのが、イタチと深夜の密会をしてるところを、寝ぼけ眼のサスケに見つかったフガクとミコトの表情(第25巻/82頁)。あの密会はサスケには見られたくない二人のダークサイドだったんじゃないでしょうか…と思わせる…必要以上にハッ(この時の二人の顔は必見…もうどんだけ後ろめたいんだか…笑)としたフカサクとシマが印象的でした。

そんな奴がおったとは聞いとらんぞ!
…ほんならそいつも―」(フカサク)

予言の子…か!?
なら…何でお前が闘う?」(シマ)

「どうやら正しい方向には
成長しなかったようでしての
…それにすでに死んだと聞かされてまして…
この子ではないと思い込んでました」(自来也)

「どちらにしろ
正しくなけりゃ殺さにゃいけん!」(フカサク)

「まああの予言は
大ボケじじいの戯言じゃ
気にすんな!」(シマ)

この描写(第41巻/119頁)の少し後に、自来也に対する大ガマ仙人の「予言」の回想があるんですが、その前にどエラく大きい提示だったな…と、読み返してみて改めて感じました。最も顕著な違和感がフカサクとシマの温度差でした。基本的に僕は「予言」そのものを信じてなくて、それにフカサクやシマが加担するスタンスをとってる…と思ったんですが、この部分の汲み取りでちょっと揺らぐ…って言うか、フカサクもシマも自来也と同じ「歯車」に過ぎないのかな…と傾いています。

で…その「予言」を忠実に履行しようとするフカサクと、話半分のシマの温度差が際立っています。大ガマ仙人をフカサクは「大じじ様」(第41巻/125頁)呼ぶのに対して、シマは「大ボケじじい」と呼びます。きっと、シマが実子で、フカサクが入り婿だったのかな…と思います。シマには大ガマ仙人がよく見えていて、その大ガマ仙人が啓示する「予言」が如何に胡散臭いかを生々しく知っててあまり乗り気じゃない。シマがフカサクを愛してて、仕方なく付き合ってる…みたいな。

シマの気持ちはどうあれ、フカサクは大ガマ仙人マンセーで一途に「予言」を成就させようとしている…温度差こそあれ、この二人が両肩に降臨(お)りる仙人モードって「予言」の執行マシンみたいじゃないですか。つまり、自来也は大ガマ仙人の監視下に置かれてたと言う事です。シマは自来也に感情移入してて、その面影が在るナルトが仙術修行に来たものだから、辛くなって降りた…だから、ナルトの修行に付き合わなかった…。ぶっちゃけ、三者三様に「予言」に振り回されてたと。

「ナルトちゃんは
先代を超えたようじゃ」(フカサク)

フカサクが言う「先代」って、ミナトの事だと、僕は考えています。そして、フカサクとシマの融合を前提とした監視を逃れようとしたのがミナトだったんじゃないかと、今のところは落ち着いています。フカサクがミナトを「先代」と呼ぶ意味。そしてそこに在る距離感…「自来也ちゃん」「ナルトちゃん」ならば「ミナトちゃん」の筈なのに…フカサクが純粋な「予言」の履行者であり、ドズ黒い考えがないならば、この機微はミナトが「予言」に逆らうスタンスで行動してた、フカサクとは離れた存在だった事になるかも。

だから、フカサクはミナトの事を話さないんではないでしょうか。それでも悪意のある人(正確には蝦蟇じゃ)ではないので、その行動にチグハグな部分が散見されたりしています。ここはしっかりと再調査すべき部分だと思います。で…今、血眼になって自来也と「予言」に付帯する描写を洗い直しています。自来也を中心に、関係のある人(蝦蟇を含む)の接点を整理しています。下の図を見てもらえば解ると思いますが、自来也って雁字搦めだった…でも…その中で一生懸命に真面目に生きてた…。

自来也の周辺を整理してみる…

ま…こんな感じの関係をイメージしています。ザックリと描いたんで変動はあるかも知れませんが、自来也を中心に、妙木山の「予言」がナルトを含むクラスターと、長門・弥彦・小南の三人のクラスターを分断するように回転しているイメージです。僕が問題にしてるのは、この状況が「予言」によって引き起こされている点です。そもそも「予言」がなければ、こんなややこしい悶着は怒らなかったでしょう。そして、気が付けばいつもそこには「妙木山」が居る…。この描写の周辺は洗い直すべきでしょう。

「秩序ある混沌」

…それを妙木山が導こうとしている…と考えれば、一つの方向性が生じます。そして、それに抗しようとしたのがミナトだったならば、自来也が「胸騒ぎ」で提示した「ミナトは何か重大な事実を知っていて…」(第41巻/20頁)が薄らとですが、その姿を現して来るかのように感じます。実直に「予言」の付託に応えようとした「自来也の苦悩」…その光と影…何か見えて来そうな予感がします。

じっくりと考えてみます。

「予言」とは何だったのか?

  

  

シマ(自来也の苦悩・壱) | BLOG TOP | 長門の病状

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