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弥彦・小南・長門(自来也の苦悩・弐)


弥彦:誕生日 2月20日(?歳・うお座)血液型 O型

小南:誕生日 2月20日(?歳・うお座)血液型 O型

長門:誕生日 9月19日(?歳・おとめ座)血液型 A型

「者の書」のタレコミを募った時(「者の書」のレヴューを書くと言って幾星霜…)、一番多かったのが「弥彦と小南が双子かも?」でした(その節はありがとうございました!僕はしっかり見逃しておりました)。確かに誕生日が同じ。しかも、血液型まで一緒。二卵性双生児と仮定すれば、男女(双生児の出生率の4割を占める)で、ガチガチに似ていない(一卵性ほど似ていない)のも飲み込めるし、寝床の位置(第41巻/66頁)が小南→弥彦→長門で、弥彦を挟んで「川の字」だったのも微妙に合点が行きます。

「ありがとう…コレお礼」(小南)

「………」(折り紙か…
乾パンの包み紙で)(自来也)

殺す?この子たち」(大蛇丸)

雨隠れの難民と三忍の出会いで小南が乾パンのお礼に花の折り紙を自来也に渡すシーンで(第41巻/53頁)、自来也が小南の女の子らしい優しさに絆されたのを見た大蛇丸が、ドス黒い嫉妬心から「殺す?」と言ったのなら、大蛇丸って…トコトン黒いな…と思ってもみたんですが(笑)、やはり小南の品のある優しさを感じて、このまま難民として生きるくらいなら、ここで殺してあげるのがこの子の為であると、大蛇丸が考えた…それが大蛇丸の発揮する優しさだったんだと思いたいところです(黒汗)。

「(親を)この戦争で忍に殺された」(弥彦)

その少し前に弥彦が悔しそうに自来也に言ってるんですが(第41巻/51頁)、少し前にはちゃんと親が居たのでしょう。小南の人懐っこいおっとりした雰囲気や、折り紙を器用に折るところをみると、ちゃんとした親が大切に育てた…良い家の子だったのかな…と、僕は考えたりしています。弥彦の野生児っぽい逞しさはきっとバイタリティ溢れる立派な父親がいて一生懸命働いて家族を守っていたのを見習った結果だと思います。二人が兄妹なら小南は淑やかなお母さんを見てたんだろうなと思います。

一方、長門はちょっと卑屈で暗い印象があり、弥彦と小南とは違う家の子だったように思います。弥彦は持ち前の正義感でちょっと引っ込み思案で陰気な長門を庇って来た幼なじみな関係だったと想像しています。長門は輪廻眼の血継限界ですから、それに本人が全く気付いていなかったのを見ると、物心がついた時には父親(血継限界の発現の条件は未定なので憶測)がいない母子家庭だった可能性を感じ、弥彦がそれを察してズーッと守ってたのかな…と思うと、ちょっとキュンと来ちゃいます。

「とっくに死んだよ
そんな奴(弥彦)は」(初代・畜生道)

そして、親を失った三人は寄り添うように暮らして来たんですね。中でも弥彦のリーダーシップは小南と弥彦には無くてはならない精神的な支柱であった事でしょう。もしかしたら兄妹かも知れない小南は兎も角として、他所の子だっただろう長門にとっては感謝して余ある存在であったと思います。だから、ペイン(初代・畜生道)が自来也に告げた弥彦の「死」が自来也に対する恨み辛み成分が多量に含まれているように思われ、長門が心の底に隠し持つ悲しみの深さを感じてなりません。

「あの時…あの時
大蛇丸の言う通りにしておけば…
そう思ってるのね…
けどアナタは私たちを助けた
もう遅いわ…
私たちは彼の思想の下動き出した」(小南)

彼の思想の下(第41巻/50頁)の彼が弥彦であると考えるのは、以上の様な小南と長門の感謝やリスペクトが、その底流を流れていると考えるからです。弥彦は天道としてシステムペインに組み込まれていますから、死亡が確定していて、小南が「あの術はアナタの命を縮める…」(第429話/「痛みを」)と言うところから長門は存命していて、システムペインから切り離された関係に小南があり長門を気遣っている様子から察して小南も存命しているものと、僕は考えています。

「ボクらは皆
家族を殺されたんだ!
分かり合うなら
相手を同じ目にあわせてからだ!

それが痛み分けってことだろ!?」(弥彦)

死んだのは弥彦だけで、残された長門と小南が弥彦の遺志(第41巻/56頁)を受け継いだ…それが、システムペインなのです。多分、弥彦の命は紛争の中で失われ、小南が紙分身で姿を隠している点や、その小南が長門を「看(み)る」(第430話/「ナルト帰還!!」)と言った描写から長門も万全な状態で在る訳ではなく、ある程度、不遇な状態だと思われ、大きな「痛み」を味わいながら現在に至っている…とすれば、それが天道が何度も何度もしつこいくらいに口にする「痛み」の本質でしょう。

「弥彦はボクと小南が
お腹を空かせて泣いている時に
助けてくれた
人の食べ物を盗んでまで…

ボクはただ二人を守りたい
どんな痛みが伴うことがあったとしても」(長門)

あの雨の夜…眠れない午前2時の長門の告白…(第41巻/70頁)、その純粋な想いが尚の事、弥彦の「死」が悔しく長門を嘖み、長門の内で増幅させた…。それが天道から感じる攻撃性を創り出しているのだと思います。それは、綱手が言う通り「言いがかり」としか言いようのない事ではありますが、天道(長門)の綱手に対する粘着は、乳飲み子が母親の乳房を探る行動にも等しく、それ故の無垢さ、純粋さを感じます。そして、それは綱手の歯痒い表情に顕著に現れていました。

(あの形状
あの波紋形状…!
信じられん…!!
あの眼…三大瞳術の中でも
最も崇高とされる眼…
輪廻眼…!!

忍の始祖とされる六道仙人…
現在の全ての忍術は
その輪廻眼を持つ
仙人により生み出されたと聞くが…

それは世が乱れた時に
天より遣わされる創造神とも
全てをゼロに戻す破壊神ともいわれる…

神話のような話だと思っていたが…
本当に輪廻眼を持つ者が存在するとは…)

問題は無垢で純粋な赤ん坊が一瞬で木ノ葉隠れを圧壊させてしまえる程、強大な力を持っているところにあって、その基礎を成すのが自来也に師事した三年間の忍術修行であった事は間違いありません。そして、その自来也の行動の中核には「予言」が鎮座していて、自来也に譲渡された命令とも義務とも似た強制力をもって自らの行動を意識して来た事でしょう。自来也は長門の輪廻眼に大きな期待を抱いてしまったのは、個人的には珍しい…自来也らしくない反応だな…とは思いましたが…(第41巻/62-63頁)。

「自来也先生大変!
弥彦と長門が…!!」(小南)

「案内しろ小南!!」(自来也)

非常に余談ですが、長門が岩隠れの中忍を殺めた術は神羅天征であったのではないか?と、僕は考えています。切り傷などの外傷がなく鼻や口から出血がある内部破壊的な術である描写と、長門が印を結ぶなどの忍術スキルがない状態。そこで発動可能だったのが神羅天征であれば、それが輪廻眼の血継限界の発露とも考えられ、長門の経絡系が発揮出来る固有の能力ではないかと考える道筋ができあがります。そして、それが「長門の在り処」を示す一つの論拠になれば良いな…と思っているところです。

例の岩隠れの中忍を殺めた長門の覚醒(第41巻/58頁)。自来也はそこで長門の輪廻眼に気付いています。そこで想い出した「輪廻眼神話」に長門を弟子受けする意味の大きさを実感したと思います。しかし、自来也は写輪眼や白眼と言った瞳術や血継限界、或いは「才能」などの人がファンダメンタルに有する優越に対して懐疑的な人で、寧ろ、「ド根性」などの精神論を重んずる性格だと思うんですが、何故だか長門の輪廻眼には大いに食い付いています。

「世にそれまでにない
安定をもたらすか………
破滅をもたらすか」(大ガマ仙人)

自来也の回想の「輪廻眼神話」の「創造神」と「破壊神」と奇妙なマッチングをする大ガマ仙人の「予言」(第41巻/127頁)が、自来也を誘引する刷り込みになったんじゃないのか…と言う軽ーい疑念みたいなものは生じます。そもそも、僕が大ガマ仙人の「予言」を胡散臭いと考えるのは、その極端なブレ幅にあって、余りにも抽象的な「夢」を足掛かりにしている点です。どう考えても「予言」は幸せな未来だけを啓示していな訳で、その選択肢の一方に「破滅」も残しているのです。

そして、そのメチャクチャ大きなブレ幅を持った予言の「選択者」として、自来也と言う真っ直ぐで諦めない人格を起用し、それに「輪廻眼神話」に符合する予言を付託し、その執行を譲渡した形で放任しています。そして、三忍が一緒にいる時期に都合良く雨隠れの難民として弥彦・小南・長門が出逢っている。そこで大蛇丸が「殺す?」と言う現実を提示し、自来也が三人の子供たちを引き受ける流れが生まれる…これが「運命」と言う自然なのか、「演出」と言う必然だったのか?…を明言出来ないでいます。

例えば、三忍が20歳頃のエピソードだったと仮定して、この時点で既に大蛇丸が"暁"と関係がもしあったのならドス黒い流れだと感じますし、大蛇丸が綱手の気持ちを巧妙にコントロールしているなどの周到な下地があったのであれば、もう誰も信じれないくらい不安な気持ちになってしまいます(笑)。ただ、自来也単体で長門らの方向性を考えるなら、自来也の弟子受けに関しては「予言」と輪廻眼が出逢った…つまり、大ガマ仙人の「予言」の内包するブレ幅の片方が立ち上がった…と言う事になります。

「みんなを守る!!」(弥彦)

弥彦はそれを真摯に願っていました…(第41巻/57頁)。そして、その遺志はシステムペインに引き継がれ胎動しています。そこには長門や小南の切ないくらい純粋な想いも含有されています。その純粋で無垢な攻撃性。そして、それを決して「悪意」と言い切れる清らかさを人は持ち得ません。同じように…木ノ葉が絶対的な「善」で、システムペインが絶対的な「悪」であるとは誰も言う事はできません。長門も小南もただ自分の「生」を全うしてるだけなのですから…。

ただ、それは「予言」「輪廻眼」が出逢っただけ…
その前提の下にのみ…成り立つと思いますれば…。


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