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第362話「究極芸術 !!」

さあ、いよいよサスケVSデイダラも佳境!二人とも満身創痍で、チャクラもほとんど使い切っている模様です。二人ともヘトヘトのドロドロです(笑)。

「じゃあ もし地雷が不発にならずに爆発したら、どうするつもりだった?」

ペタンと尻餅をつくように座り込んだデイダラが可愛いです(笑)。

「だだの二択だ。そうなればオレにはもう一つ手があった」

コメで対戦時間に関する考察がありましたが、連載の提供は週一で、しかも、サスケVSデイダラは何週にも渡ったものだから、凄く長い気もしてますが、時間経過は10分かそこら…。もっと短いかも知れないくらい。この中で、お互いを分析し合い、「先」を取り合う高度な闘いを披露しています。その中でも、サスケがデイダラを凌ぐ冷静さでリードしているようです。

サスケは引き出しの数が多いです。余談ですが、男のカッコ良さって、この引き出しの多さだと、僕は考えています。かつてのキムタクが主演した人気ドラマ『HERO』のバーだか、レストランだか判らない粋なお店のマスターが、あり得ない…「これはないでしょ」ってオーダーに毎回、毎回、「あるよ…!」って、普通に応えてましたよね。具体的には、アレです。あんな風に、何でも受け止められる大きさって、カッコ良いと思うんです。今のサスケの闘い方もそんな感じがしてなりません。サスケ…。なかなかカッコ良い…ぞ。

「披露する機会はなかったがな」

きっと、あの大蛇丸のアジトでナルトたちに出そうとして止められた術でしょう。あの時も高台の上から発動しようとしていたし、かなり遠距離に及ぶ術のようです。印も結んでましたし。一撃必殺の大技かとは思いますが、これはまだまだ引っ張るでしょうね。でも、どんな局面でも一気にひっくり返せる自信がサスケにはあると言う事なんでしょう。それが、サスケの落ち着きを引き出しているのだと思います。

「こいつ…まだ他に何か術を…」

サスケの引き出しの多さにデイダラは気付いています。<スタスタ>と近付くサスケに恐れおののいているように後ずさりしますが、<ドサッ>と、また尻餅をついてしまいます。膝が<プルプル>と笑っています。前回、C4カルラを絞り出して、カルラの及ぶ範囲から回避しようと粘土細工を練ろうとしましたが、チャクラ切れで術を発動できませんでした。デイダラはサスケよりチャクラの残量が少ない状況なのでしょう。

カカシに千切り取られた右肘や、我愛羅に潰された左腕の修復状況。これまでの描写や、デイダラの掌の口などから総合的に分析してみると、どうもデイダラの身体は粘土製らしい…と推測されます。それを元に今回のデイダラの動きの描写を分析すると、デイダラ自身もチャクラによって動いている可能性が考えられます。サスケと対比してみれば判ると思うんですが、デイダラの場合はチャクラの減少が身体の動きの不自由さとが妙にシンクロしています。やはり、コアでチャクラを発生させて、それで身体を動かす。デイダラもサソリと似たような理屈で自分を動かしているのかも知れません。かつて、チームを組んでいたサソリを「旦那」と呼び、コアの在り方まで知っていた(サソリのヒルコの中を知っていた)親近感みたいな感情も理解できます。

<バッ>

デイダラは両手の掌の口から蛇型の粘土をくり出しています。粘土はこんな使い方もできるんですね。チャクラ切れで身体すら動き難くなってる筈なんだけど、まだ少し残っていたんでしょうか?この描写から判断すると、恐らく、チャクラは常に少しずつ発生(生成)していて、それを蓄積している理屈なんでしょう。リアルのマラソンでも、スタートラインでエネルギーが100%として、40Kmの長丁場では、どんなにがんばってもどの地点かで、一度は空っぽになってしまうそうです。これはトップアスリートもアマも同じで、違いは空っぽになってからの回復力にあるそうです。きっと、チャクラも同じように時間の経過と共に補給と言うか、発生→蓄積をしているものなのでしょう。これは、この後の展開で伏線になて来る描写であると、僕は考えています。覚えておいて下さい。

両足に纏わりついて来たデイダラの蛇粘土をサスケの千鳥流しが一蹴します。<バチバチ>っと。これは術的には身体中の点穴から形態変化した雷のチャクラ(千鳥の応用)を放出するもので、前回のC4対策では、これを自分の体内に流す事で、C4の起爆粘土を無効化して危機的状態を挽回したんでしょう。

土遁は雷遁に弱い。サスケとデイダラの相性はかなり悪いと言えます。この場合、デイダラが圧倒的に不利ですね。この件はイタチは織り込み済みだったかも知れません。デイダラがサスケに興味を示した時、「……」だったと思いますが、第一部のイタチ鬼鮫の木の葉強襲で、イタチはサスケの千鳥修得は既に知りましたし、きっと安心していたんじゃないでしょうか?

「急激にチャクラが無くなったようだな」

サスケもへたり込んでしまいます。(ハァハァ)って息が上がってます(汗)。チャクラは精神エネルギーと身体エネルギーを体内で練り上げる事で発生する筈で、当然、チャクラが切れると再度発生させるので、体力も奪われる。サスケも体内でチャクラを生み出そうと必死になっているのかも知れません。へたり込んだのは、その分の体力をチャクラの製造に回してる可能性があります。これまでの闘いの描写で、サスケの不断の行動力と冷静さは明白ですから…。

「クク…勝ちだぜ」「オイラが動けなくても起爆粘土が…」

何度目でしょうか?デイダラの勝利宣言(笑)。デイダラは身体的にもそうですが、非常に口数が多いです(笑)。これって何なのか?あまり気にならなかったんですが、今回の描写でなんだか解った気がしました。

「この状況…少しは動揺してみろ てめーは…うん?」
「今度こそオイラの芸術で殺されんだぜ」

デイダラは常に不安だったんです。自信過剰にも思える悪態や口数の多さは、逆に不安の現れで、デイダラの自信の無さを露呈していたに他ならないのです。吠える犬は負け犬です。闘犬の世界では唸り声(ウウウウッ…ってヤツ)を「セリ声」と言って、それを発するだけで「負け」になルールがあると聞いた事があります。本当の闘いに「言葉」は不要…と言う考えに基づくのでしょう。このデイダラの台詞は自分自身をそのまま表しているかのようです。ちょっと、滑稽ですね。

「ヘッ…ヘヘ」「ククク…」

もう、この辺になると、強がりです。虚勢に過ぎません。デイダラにも判っていることなんだと思いますが…。

「そーゆーとこがむかつくんだよ!!てめーら兄弟のそーゆーとこがァァ!!!」

とうとう、白状してしまいましたね(笑)。

「クール装ってんじゃねーぞ!!」

自分が一番なりたい状態、それが「クール」なんです。とうとう言っちゃいました(笑)。これがデイダラにとっての最高の「カッコ良さ」なんだと思います。かく在りたいと思う姿をイタチとサスケが「素」でやってる。それが悔しくて仕方なかったんです。あのお堂の敗戦で見とれた光景。あれはデイダラの憧れそのものを表現していたのではないでしょうか?

「その目だ!そのよゆーこいた目が目障りなんだ!!」
「オイラの芸術を否定するかのような その目が許せねェ!!」

写輪眼には何でもお見通し…と言う「血」の特権が許せないんでしょう。これは不公平極まりない状況でありますが、この状況が、デイダラの琴線をかき鳴らすのでしょう。コンプレックスを激しく刺激され、怒りがドンドン蓄積されて行きます。

「オイラの芸術を見て少しの驚嘆も表さない その目が…」
「オイラの芸術を無視する その目が許せねーんだよ!!」

カブトが大蛇丸の細胞を取り込んで、僕らを「ゾッ!!」とさせたシーンでも感じたけど、みんな、自分らしさの「檻」の中でもがいてるんだなァ。デイダラも同じですね。アイデンティティがないんです。自分の中に。自己同一性(アイデンティティ)とは、自分で自分を感じれるかにあるんです。デイダラはそれが判って無いんです。トビと仲が良いのもそれで頷けます。トビはリアクションが大きいですから。デイダラはトビを見ていると自分が分かりやすかったんでしょう。デイダラはトビと居ると安心できたんだと思います。

他人の笑顔や言葉の中に自分は在りません。他者が自分をどう思っていようが、ハッキリ言ってそんな事どうでも良い事です。僕はそう考えています。間違ってはいけないのは、「自己」がある事と「自己中」とは違います。その違いは「思いやり」があるかどうかです。これは自覚と訓練が必要です。知性を根にして「思いやり」や「優しさ」が咲き誇る事を忘れてはいけない。でも、自分は自分です。自己は他者の中には断じて無い。

雨が振っていたら傘を差します。道行く人の誰も差していなくても、自分が差したければ差せば良いんです。自分で決めれば良い事なんです。少年少女たちよ!どうか、一人きりで傘を差せる人間になって下さい。自分の意志で傘を広げられる人になって下さい。それが「自己の獲得」と言うものですから。同じように他者の表情や言葉の中に自分の評価を探すようでは、いつまで経っても「不安」から解放される事も無いです。デイダラの不安は正にこの状況で、自分の作品=術に驚かないサスケとイタチは、自分を否定してる事になってしまうのです。

でも、それが一番、大きく「ズレてるわね」(大蛇丸風)で、イタチもサスケも驚いたリアクションは無かったけど、デイダラを認めてると思うんです。デイダラが出した術をしっかり見据えてますから。観賞してますから。特にサスケなんかは、いつになく良く語り合ってましたもの。闘いの中でお互いを尊重し合うかの描写があったと、僕は感じていますから。それに、デイダラは気付けなかった。サスケがトビみたいにリアクションしないから…(笑)。

「そんなものは眼中にねーよ」「それよりイタチの居場所を教えろ」

これじゃ、「うちは一族」改め「魚手一族」(さかなで一族)ですよ!(笑)。これはいけない!サスケの青さです。ちゃんと受け止めてあげないと(汗)。

「ブチン」

この瞬間、デイダラは最後の一手を決断したんだと思います。そう、自らの「死」を。

「…写輪眼まで引っ込めたか… どこまでもナメやかって…」

これが、先に言った伏線に対する行動です。写輪眼は膨大なチャクラを消費しますから、その発動を停止すれば、かなりのチャクラの節約になります。その前段階で、デイダラがベラベラと喋る間中ずっと、サスケはデイダラの身体を分析していたと思います。サスケはこの闘いの中で、その思考を一度も緩めていません。非常に冷静に判断して行動を継続しています。そして、今、サスケはチャクラを練り込んでいるんだと思います。次の一手の為に…。

「痛っ!」

デイダラが上半身を露にします。左胸には何やらタトゥー(術式)見たいなモノと、角都の縫った痕が…。左掌の口でその糸を切り、糸を抜きます。<ズズズズズッ>って。そこにはでっかい口がありました。長い舌を出して、<グパッ>と開口します。今まで苦しかった~みたいに(笑)。それに右のポーチから粘土を取り出して喰わせます。<ガツガツ>と食べました。

「オイラの究極芸術だ…!!」

胸の口を開口すると同時に呪印のような紋様がデイダラの身体を侵食しているかのように広がって行きます。

「これからオイラは自爆する!!」

辞世の句…でしょ。恐らく…。今度こそ…です(笑)。

「…こいつ…」

鋭いよ!サスケ。悟ってます。戦闘民族の嗅覚が危険な香りを嗅ぎ分けてますね。

「死んでオイラは芸術になる!」
「今までに無い爆発は、この地に今までに無い傷跡を残し…そして」

左胸の口から広がる呪印状の紋様は次第にデイダラの身体中に広がって行きます。文字通り、侵食しているかのようです。先にデイダラはチャクラのほとんどを使い果たしている…と分析しました。それからすると、この術は他の何かを動力源にしているかも知れません。例えば、デイダラの「命」とか。もしかしたら、呪印状の紋様は体中に点在するデイダラのコアを集めているのかも知れない…。描写的にも紋様は胸の口の辺りに集中して、球体のパーツになって行きます。これが、デイダラの秘匿されたコアなのかも知れませんが…。どっちにしても、デイダラに大量に練り込むチャクラも残ってはいないだろうし、術的には「命」を対価にした形式のモノではないでしょうか?爆発の前の「喝」の号令は、この黒い球体が発していますから、恐らくはこれがデイダラのコアか、コアを終結した存在であるのでしょう。

「オイラの芸術は今までに無い賞賛を受けるだろう!」

これが、デイダラの視点です。自分にありませんよね。これこそ、デイダラの未完成さの根源なんです。ま、芸術なんて万人に理解されるものばかりではないですから、同情もしますが。評価は求めるもんじゃないし。だから、自分から話し掛けて相手の反応を探らないといけなくなるんです。そして、反応がないと言い知れない不安に苛まれる事になるんです。これが、アイデンティティ獲得における「負」のスパイラルです(笑)。若い時は、みんなこれに苦しめられるんです。そして、これが「自分らしさ」と言う名の「檻」なんですね。

「トビ 悪りーな……」

トビでも逃げれない広範囲の攻撃と言う事なのでしょうか?巻き込んでしまうけど「ごめんな」と言う意味なのでしょうか?それとも、先に逝くことの贖罪なんでしょうか?でも、終止、デイダラはトビを気づかっていましたね。ホントにトビの事、友だちだと思っていた。これがデイダラの優しさの本性なんだと、僕は考えています。

「そしててめーは確実に死ぬ!」
「半径10キロが爆発範囲だ!」
「逃げきれゃしないぜ!うん!!」

何でこんな事言うんでしょうか?これは逆にその範囲から逃げてみろ!って言う気持ちがあるんじゃないでしょうか?デイダラはサスケを殺したくはないのかも知れない。激しく嫌ってはいたけど、やっぱり、サスケとの闘いの中で、サスケの強さや賢さ…それの大元の「努力」を感じていたんじゃないでしょうか?僕がデイダラの考察で感じた「苦労人」の側面。そこから湧き出る理解力。それは見誤ってない気がしているんだけど…。

「さぁ怯えろ!!」
「驚嘆しろ!!」
「絶望しろ!!」
「泣きわめけ!!」

デイダラ、違うよ!自分の価値は自分が判っていれば良いんだよ。自分の価値の評価とは自らが下すもの。他者がデイダラを、どう考えようと、結局、「自分」(デイダラ)は「自分」(デイダラ)なのだから。そして、作品は自分自身なんだし、何かを生み出すにしても、それを介して自分を表現しているに過ぎない。それが、「表現」なのだよ!そして、それに対する考え方、感じ方は、それこそ「万華鏡」ですから(笑)。もう、無限に存在します。人それぞれの受け取り方があって、千差万別の感想が生まれるのです。結局のところ、自分と同じ考えなのは自分だけです。その事実を理解する。その考えを受け入れる…と言うのが「アイデンティティ」(自己同一性)なのです。人は成長の中で、それに気付かないといけないんです。この終末は、デイダラの自己崩壊に過ぎません。勘違いの究極なんです。

「オイラの芸術は…爆発だ!!」

なんだけど、この爆発の形って…。真横から見たらどう見えるんでしうか?気になって夜も眠れない(笑)。

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