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「読書」(まっカカ…其の十)


(駄目だ…
気が遠くなる…
ワシは…
死ぬのか?


失敗なのか?

忍は生き様ではなく
死に様の世界…

忍の人生とは
どうやって生きたかではなく
死ぬまでに何をしたかで
その価値が決まる

…思い返せばワシの物語は
失敗ばかりだった…

綱手にフラれ続け
を止めることも出来ず
弟子師匠を守ることも
出来なかった…

火影たちが成した偉業に比べれば
ワシのしてきたことは
取るに足らぬ下らぬことばかり…

ワシも歴代火影たちの様に
死にたかった

物語は最後の”結び”の出来で決まる
失敗も一興!
その試練が己を磨いてくれたと
信じ生きてきた

その代わり…

今までの失敗をチャラにするような
大きな偉業を成し遂げ
立派な忍として死ぬ!

…そのハズだった…フフ…
だが…その”結び”
死に様がコレか…

大ガマ仙人はワシを
”変革者を導く者”と予言した

忍の世界の安定と破滅に関わる
大きな選択をする者と…

ここでペインを倒し
”暁”を止め忍の世界を破滅から救う

結局その選択も失敗してしまった…

…情けないのォ…

…これが自来也豪傑物語の結びだとはの…

下らぬ物語だった…)(自来也)

「いや
そんなことはないですよ」
(ミナト)

「この物語は素晴らしいです」(ミナト)

自来也の走馬灯にミナトが割り込んで来たところ…(第42巻/46-50頁)。自来也がのど輪で声帯を潰され、血刀で体中を貫かれ意識が飛びそうになった…既に飛んでしまった闇に差し込んだ光明…それがミナトの笑顔でした。自来也が走馬灯の最後で述べた「自来也豪傑物語」とは自来也の人生を一冊の本に例えた物書きらしい表現で、自分の人生が一冊の本ならば、ペインを後一歩に追い込みながら返り討ちに遭ってしまった自分の死が、その物語の結びとするならば、その本は駄作だと卑下している訳です。自来也はペインに殺られる前、自来也はペインの正体に気付いていましたから、さぞかし悔しかったんでしょう。その「死に様」…の惨めさが自来也の美意識に反したのです。…そして、それは自来也が綱手に二度と逢えない事を意味していました。

忍が「生き様」ではなく「死に様」と言う価値観は、自来也が憧れる先人達(実はミナトも含まれている…笑)の影響が大きいのだと思います。何かを為すと言うのは「生き様」に他ならないし、でもそれを観察して吟味するには自来也は忙し過ぎました。何せ予言の「変革者を導く者」としての責務が自来也にはてんこ盛りでしたし、同時に木ノ葉隠れの里を取り巻く危機に自来也は東奔西走して立ちはだかっていた筈で、忙しい自来也にとっては「死に際」くらいしか印象に残らなかったからなのかも(笑)。しかし、走馬灯とは人生の断末魔ですから、理路整然としてないのが当たり前で、理性より本能…心より魂が悔恨する想いが溢れているのです。その意味で自来也には混濁があったのだと思います。

ミナトが手にしている本が「予言の書」となった『ド根性忍伝』(第42巻/50頁)で、自来也の処女作で、長門の「答」をパク…否…オマージュして書き上げた若き日の自来也の渾身の力作でしょう。ちなみに主人公の名前はその時食べていたラーメンの具だった「ナルト」NA(RU)TONA(GA)TOでちゃんとを踏んだネタ元の長門に対するオマージュも忘れなかった…自来也の若いエネルギーが漲った作品だったのだと思います。それはちょっと熱くて一本気なナルトなど勿論の事、明らかに大人しく感情を表に出す事の少ない長門すら昂らせ、完全無欠のヒーローに仕立てた熱力が宿ったと言いますか…それを「言霊」(ことだま)と言うのだけれど、自来也の作品には不思議な魅力があったのでしょう。

「ナルト
素敵な名前です」
(クシナ)

「クシナ…」(自来也)

だから、ミナトが賞賛する事にお世辞や遠慮はなく…何故ならば、その物語の主人公の名前を今度生まれて来る我が子に授けようと言うのですから…きっと、ミナトも自来也の文章に震えたのだと思います。それはキッチンで二人の会話を邪魔しない様に静かに休んでいたクシナをこの場に引き寄せるに充分な力でもあった…と(第42巻/52頁)。後述されますが、『ド根性忍伝』は売れなかった…そうです(笑)。僕は別に売れる本が良い本で、売れない本が駄目な本だとは思わないし、作家の名前で本は買わないし…。でも、売れる本と売れない本があるのは事実で、それが時代の気分とか流行とか、文章以外のマーケティングに多くを依存してるのは厳然とあって…ま…『ド根性忍伝』は不出生の名作だったのだ…と、僕は思います。

誰に教えられるでも無く文章を書き、その文字の羅列のみで他者に何かを伝える…その手段に自来也は生来長けていたのです。自来也には元来、文才があったのでしょう。自来也が物書きになったのは、「予言」があったからではなく、自来也自身が文章を書く事を欲したからです。その意味では大ガマ仙人の「予言」(夢)の精度は高いと言える…。「夢」も中で自来也が真っ白な紙にペン一本でカキカキと挑んでいた姿が見えたんじゃないでしょうか。自来也はきっと呼吸をする様に、食事をする様に文章を書いていた筈です。物書きにとって書く事は生きる目的ではなく原因に近いのです。バイクの燃料タンクにガソリンがないとエンジンがかからない様に、文章がなければ動けない…それが「物書き」と言う人種なのです。

「そんな…
これは偶然か
……?」
(長門)

自来也は「予言」があったから、物を書いたんではなく、自来也の文才の上に「予言」が狙い撃って降りたように感じます。そして、三年間の忍術修行で自来也のその「人間力」に触れ、引き出された長門の言の葉が自来也に還元され「予言の書」を成した…。そりゃ、長門が驚く訳だ…(笑)。「ナルト」と言う名前と「諦めないド根性」が長門の「痛み」を手放させた…。それが「予言の成就」とするならば、「痛み」を知る事が「勇者」(救世主)としての最後の欠けたるピースだったのか?しかし、残された破滅や破壊の要因は数多あり、それとの戦いが不可避なれば、これをもって「予言の成就」とするにはやはり早計と言え、それでもほくそ笑む大ガマ仙人には別の黒さがあるんじゃないのか…と言うのがナル×ジャンの見解でしたっけ。

そもそも絶対に外れない「予言」が先ずあって、それに結び付く断片の一欠片が自来也に提示されただけで、自来也はその啓示を手掛かりにズーッとその謎を解いていたのですが、「予言の書」を生み出せるポテンシャルの在る自来也に「予言」が降りたのか、数打ちゃ当たるの末に偶々、自来也がハマったのかが微妙で、妙木山の長閑で牧歌調な穏やかさの向こうに在るかも知れない…黒さは未だに未知数です。ま…結果的にですが…「予言の成就」の一端は人の心に刺さる「文章の力」があったようです。その自来也の処女作をしても「売れなかった」とされる『ド根性忍伝』は、できるだけ人目に触れないように工作された可能性もあるのかも知れません。例えば、手下の蛙たちが買い占めて何処かに隠したとか…(笑)。


「エピソードが先生の数々の
伝説
になぞらえてあって
何か自伝小説っぽくて―」(ミナト)

「だがの…
まったく売れんかった
次回はお得意のエロ要素でも
入れてみるかのォ」(自来也)

「この本の主人公…
最後まであきらめなかった
ところが格好良かった…
先生らしいですね
この主人公」(ミナト)

自来也の走馬灯を一瞬、塞き止めるミナトの光明が続きます(第42巻/50頁)。ミナトが『ド根性忍伝』を片手に絶賛する姿に、やや卑屈に対応する姿に、自来也が生来持つ才能に対する劣等感…子供の頃から大蛇丸に抱いていた憧れ…がそうさせるのかなーと、当初考えていたんですが、ナルトが妙木山で読んだ『ド根性忍伝』と、長門が雨隠れで自来也が書き残した原本(?)を読み込んだ描写の共通点が「主人公のイケメン設定」にあった事が知れ、それをミナトに気付かれてはいまいか…ミナトの事だから当然気付いているんだろうなー(笑)の自来也が感じる痛さ(笑)だったのが解り萌えました(笑)。もっともミナトはそんな他人の傷口に触れる様な無粋は致しませんし…。ホント、どっちが師なのか解らない(笑)。

「次回はお得意のエロ要素でも…」

…で、この時、次回作の方向性が示されてまして、それが大ベストセラーとなる『イチャイチャパラダイス』だったとは!!(笑)。思えば、『ド根性忍伝』の主人公の「超イケメン設定」は綱手の性格をしっかりと取り込もうとしたあざとさがありましたし、『イチャイチャ』の内容は未だに知れませんが、その後継作である『イチャイチャタクティクス』目を覆わんばかりの性描写(意外に大きいのね…とか、椅子がギシギシなって…とか)は、やはり綱手とイチャイチャしたかった自来也の妄想がてんこ盛りだった事は明白で、自来也の練り出す文章に関して綱手が大きく影響していた…って言うか、綱手と出逢って以来、綱手一筋だった自来也の粘着質を考えれば、世の中の誰でもなく綱手だけに向けられたメッセージだったと思えます。

「はじめましてだな…
オレ自来也ってんだ!
ラブレターは後でいいぜ
よろしく!」(自来也)

<ニシシ…>(自来也)

「バカヤロー……」(綱手)

自来也は綱手に出逢った瞬間、恋に落ちていた筈です(第44巻/59頁)。そして、この出逢いの時に綱手に見せた自来也の笑顔<ニシシ…>が、50年後、綱手の中で爆発する自来也が仕掛けた『時限爆弾』だった事を、自来也の訃報の重さに絶えかねた綱手が廊下の片隅で一人涙を零した描写で知れる事となろうとは…。そして、自来也がコレまで「何」を書き続けて来たかと言う事が綱手にも、そして、僕らにも解ったのです。あの時、綱手が泣いてしまったのは正真正銘の後悔だったでしょう。50年間…半世紀ですよ、半世紀!!…にも及ぶ粘着(笑)の影に隠れた「予言」も綱手の知るところとなり、自来也の他人に言うに言えない痩せ我慢が綱手の涙腺と女心を激しく揺さぶったのです。自来也が一生かけてカキカキした…ぶっちゃけ、自来也の著作物とは…

綱手に宛てた「ラブレター」だった!!

自来也は50年間、綱手と言う一人の女性を想い続ける事が出来る男でした。そりゃ、覗きやキャバクラ通いはあったようだけど、それは成就しない恋の代償行動であって、不義不貞はなかったと、僕は考えています。自来也が辛く悲しい任務の合間にふと思い出し幸せな気分になれたのは、綱手のオッパイだった筈です。自来也は正真正銘の『オッパイ星人』だったから、綱手の成長と共に膨らみ、遂には「106だのォ」(第44巻/69頁)と、ちょっと危ない目で見つめるまでに成長した綱手のオッパイに対する想いは「予言」よりも重かったりして(笑)。ま…堅い話は抜きにしても、自来也が書いた文章には、そんな綱手(と綱手のオッパイ)への想いがもうてんこ盛り盛りに盛られていた事でしょう(笑)。

この機微を到底理解できないナルトに自来也は「エロ」と言うキーワードを与え、それがナルトの中では「エロ仙人」としてまんまと定着した訳で(「ナルトは何故、自来也を”先生”と呼ばなかったのか?」参照)、そうでもしなければこんな信じ難く、回りくどく、バカ正直な生き方をする自来也を、ナルトが認識する事すら怪しかったでしょう。だから、ナルトは自来也を「先生」とは呼ばずに「エロ仙人」と言い続けるナルトのナル×ジャン的解釈で、性的にも恋愛経験的にもレディネスが整っていない(八卦の封印式のフィルタリングの可能性あり)ナルトが便宜的に自来也と言う「難解な思想」を受け入れる方便だったのです。それほど自来也は複雑怪奇であり、理解困難な忍だった訳です。そして、ここに一人…そんな難解な自来也を理解しようとする忍がいる事に気付きます。ヤケに棘棘しい人が一人…いらっしゃるじゃないですか(笑)。



カカシはイチャパラの愛読者だった!!

「読書」 illustration:Cerberus

<ドン>(カカシ)

「!?」(ナルト)

「……?どうした
早くかかって来いって」(カカシ)

「…でも…あのさ?あのさ?
なんで本なんか………?」(ナルト)

「なんでって…本の続きが
気になってたからだよ

別に気にすんな…
お前らとじゃ本読んでても
関係ないから」(カカシ)

カカシが第七班の採用試験として行った鈴取りで(第1巻/132頁)、カカシは『イチャイチャパラダイス』(中巻)を取り出しています。ちなみに英訳では『Come Come Paradise』で、「イチャイチャ」って「Come Come」なのね(笑)。面白いのでそっちを採用しました(笑)。カカシの読書好きはのべつ幕無しのところ構わず…って事で、読者の総意だと思いますが、その裏には非常に難解な自来也の生き様に対する興味があったのかと思うと、カカシの自来也に対する棘棘しさが近親憎悪にも思え、カカシが他人に言うに言えないオビトの「呪縛」…代理人生に在った生き様が、「予言の付託」を一身に担いながらも、一人の女性に一生涯の想いを捧げた自来也の一途で難解な生き様に奇妙に符合するのが、とても面白いです。

イチャイチャはCome Comeなのか!?

『Come Come Paradise』の検索結果【google】

カカシはイルカに噛み付いたのは、知り得る情報量の違いに在り、それを理解するアスマや紅を閉口させました(「カカシは何故、イルカに噛み付いたのか?」参照)。同時に、カカシの上位の情報量を持つ自来也にはヤケに棘棘しかったです(「カカシが自来也に刺刺(とげとげ)しい理由」参照)。そこには「イルカ<カカシ<自来也」と言う情報量の階層があって、比較的に接し易いイルカに自来也がナルトの自慢話をしていて、それが「カカシの舌打ち」を演出しているのです(笑)。それでも尚、カカシを「読書」に傾倒させるのは自来也の生き様に対するカカシの興味が優先していたのでしょう。カカシも自来也に比肩するほどのややこしい人生ですから、やっぱこの二人、めちゃくちゃ似てるわ…(笑)。

ここで、ふと気になるのがカカシが自来也の著作の全てを読破していたか否か…です。まさか、カカシが「エロ専」(エロいお話を専門に読む単なるドすけべ…笑)だったとは思えないちゅーか、カカシが「エロ専」だったら、リンなんかは間違いなく喰っただろうし(汗)、夕顔ちゃんだって…(滝汗)。はたまた「男色」(所謂、モーホー)だったら、『イチャイチャパラダイス』なんて気持ち悪がって読まなかった筈です(笑)。カカシは自来也と言う人間に興味があって自来也の作品を読み耽っていたのだと思うんです。ならば、『ド根性忍伝』…あの不出生の名作をカカシが見逃していたとは思えん訳です。蛙ちゃんの工作があったなら話は別だけど…カカシは『ド根性忍伝』も勿論、読破していたのでは…ないかと。

…と言う事は、カカシは主人公の名前が「ナルト」で、「諦めないド根性」の持ち主で…ついでにそれが「超イケメン設定」で…と言う事を知っていたんじゃないでしょうか。その上でカカシは「黙秘」していたんではないかと思うと、僕には言葉がありません。そして、カカシがのべつ幕無し&ところ構わずに「読書」して、おまけに18禁のやっばいオトナ本なのにブックカバーすらしない自己提示には、オビトの代理人生を送る複雑怪奇な人生の無意識のガス抜きの様に思えます。そして、自来也に対する棘棘しさがその共感の裏返しだったならば、それにバランスする使命をカカシが帯びている可能性がある筈です。カカシが何故、神無毘橋で飛雷神のクナイをプレゼントされたのか?そして、カカシがミナトを何故、語らないのか?

「アナタ(=自来也)ですか…
あの技を教えたのは?
あの術を扱うにはナルトはまだ
幼過ぎる
と思うんですがね」(カカシ)

そう言えば、自来也がナルトに螺旋丸を伝授した事を責めてましたっけ(自分もサスケに千鳥を教えたんだけど…やっぱ、似てるわ…笑)(第20巻/98頁)。カカシの中には独特な倫理観があったのか、それがミナトのエクスキューズだったのか?もしかしたら、時が満ちればカカシは螺旋丸だってナルトに教えようと思ってたんでしょうね。それを自来也に先を越されてちょっと拗ねて見せた(笑)。カカシの「用済み発言」(第37巻/35頁)が微妙ですが、もしかしたらカカシはナルトの成長を待っていたんじゃないでしょうか?風遁修行でもナルトの成長はその要件を満たしてはいなかった…。それは自来也が「胸騒ぎ」で漏らした「あの術」(第41巻/17頁)とも、ミナトが言った「特別な力」(第440話/「四代目との会話!!」)ともリンクしている事でしょう。

「どうやらお前はまだ
ここに来るには早過ぎたようだ
お前にはまだやるべき事があるはずだ」(サクモ)

第449話「希望の花」で黄泉返ったカカシに「やり残し」がある事をサクモは示唆していました。それが「九尾事件」で交わされた師・ミナトとカカシの「約束」なんじゃないのか?「ナルトの鍵」であるゲロ寅を自来也に託したミナトが、「もう一つの鍵」をカカシにも与えた可能性は周到で用心深いミナトの行動としては整合性が高いと言えそうです。そして、今もカカシの手に在るであろう「飛雷神のクナイ」。それとオビトが授けてくれた術コピーの能力。その二つがナルトの成長…九尾のチャクラのコントロールと合わさって、時が満ちたと許されるならば、カカシがナルトに「飛雷神の術」を伝授する時合(じあい)が訪れるでしょう。それをカカシは待っていた…。もしかしたらカカシは「読書」で、「我慢のノウハウ」を自来也の「生き様」から学ぼうとしていたのかもね…。まったく…この似た者同士がッ!!(笑)

「読書」(まっカカ…其の十)
まったく…カカシってヤツは…


第450話「歓呼の里!!」 | BLOG TOP | 大ガマ仙人は何故、ほくそ笑んだのか?

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