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「強化・闇」(終末の谷の決闘…第七撃)

 
「オレは復讐者となり
木ノ葉隠れの里に戦いを挑んだ」(マダラ)

「そしてオレは敗れた…」(マダラ)

”終末の谷”
呼ばれるようになった
あの場所でな」(マダラ)

第399話「すべての始まり!!」…単行本43巻の180~181頁の見開きのカット…千手柱間とうちはマダラが闘った…。僕はこの…たった一枚のカットにインスパイアされて「終末の谷の決闘」を書いています。そして、この見開きで提示されたアイテム「月光」(終末①)、「首斬り鎌」(終末②)、「柱間の大巻物」(終末③)、「七振りの大刀と大型手裏剣」(終末④)…の分析し、「九尾事件」(終末⑤)、「うちは虐殺」(終末⑥)では、「終末の谷」から望む二つの大事件について考察して来ました。その積み重ねで千手柱間とうちはマダラの決闘に震えた当初の閃きが…「終末の谷の決闘」が『NARUTO-ナルト-』の「すべての始まり!!」である予感が、しっかりとした確信に変わって来ました。

「何もここまで大きなものを…」(小南)

「…相手は九尾だ……
…それに六道仙人の作ったと言われる
月に比べれば……
大した事はない」(長門)

これまでの本編での提示で、『NARUTO-ナルト-』の世界観の中で大きく回転するお話が「大ガマ仙人の予言」「終末の谷の決闘」の二つに大別されるものと、ナル×ジャンでは考えていまして、それに第439話「地爆天星」でサクッと提示された六道仙人と「月」との関係。そして、輪廻眼継承者が自来也の弟子…つまり、「予言の子」だった事実が「予言」と「終末」との接点になろうとは……。ま…しかし、この接点こそが『NARUTO-ナルト-』をややこしくしている元凶で…基本、「予言」と「終末」は一部が交錯するものの別の基軸であると認識するべきだと、ナル×ジャンでは考えています。それも、今後の展開で提示される描写で変わりますが、現状の材料では分別して考える方が合理性があると思います。

「どうなったんですかいのう!?」(ガマブン太)

予言通りじゃ…
自来也の弟子共が予言の子として交わり
忍の変革を導く者達だったとは思わなんだが
あの時…自来也が諦めん選択をした時点で
この事はもう決まっていたのかもしれんのう
……あの本(ド根性忍伝)が本当に世界を変える鍵
なるとはのう」(大ガマ仙人)

第449話「希望の花」で提示があったように、妙木山の大ガマ仙人の「予言」とは、六道仙人の影響力外道の消去…寧ろ、「解脱」と言うべきか…輪廻眼の試練を乗り越えるところにあり、それが「外道・輪廻天生の術」の発動をもって「予言の成就」を感じた大ガマ仙人の機微から考察した「大ガマ仙人は何故、ほくそ笑んだのか?」であります。つまり、ちょっと早計かも知れませんが、「予言」に関しては閉じた…と、まあ、一応、ナル×ジャンでは見解しております。これも、大ガマ仙人の早とちり(ボケ?)の可能性…もう少し黒くなるならば”暁”の黒幕の関与…「予言」と「終末」の接点が影響している可能性もあるんですが、ここは一つ、小南がナルトに差し出した「希望の花」に免じまして…(笑)。

…と言う事で、『NARUTO-ナルト-』に残された物語の基軸…「終末の谷の決闘」に向かって全てが収束して行く流れこそが、『NARUTO-ナルト-』の大団円であると考えている次第です。ただ、「忍の変革」に対するアプローチとしての「予言の成就」としては未完であり、大ガマ仙人が夢にも見なかった…”大ドンデン返し”をナルトが魅せてくれる筈で、それこそ「予言の子」としてのナルトの使命であると思います。しかし、ナルトが大ガマ仙人をほくそ笑ます結果を齎した時点で一応…「予言」の課題はクリアしたと…考えても良いかなーというところです。そして、それがサスケの「闇」を…そして、その「闇」を必要とする意味を、そろそろナル×ジャンで書いても良い頃かと考えるに至った理由です。


「我らうちは一族は
図抜けたチャクラと写輪眼を有し
あらゆる戦闘に長けた
いわゆる戦闘一族として
知れ渡っていた」(トビ)

「そしてオレはそのうちは一族の中でも
特別に強いチャクラを持つ者として生まれた」(トビ)

「しぶとく生き長らえているのが
そのと言ってもいい」(トビ)

トビ(マダラ?なのかは未だ認定できず)がサスケの万華鏡の「儀式」の序盤で説明するんですが(第43巻/106頁)、うちは一族の特殊性である「チャクラの強さ」について言及しています。未だにマダラ認定できないでいるトビが生き長らえる根拠としても、その「チャクラの強さ」が引用されています。それは単に写輪眼が瞳力の出力デバイスとして存在するだけでなく、特別なチャクラが支持する力量の発露であり、それが生死を超えるという意味においては、輪廻眼のチャクラにも匹敵する「神秘」があるものと思います。この「神秘」に関しては、そもそも「チャクラって何なのか?」という疑問が存在します。その答を求めて行く事も「終末の谷の決闘」の考察の使命だとも思います。

兎に角、うちは一族とは「図抜けたチャクラと写輪眼…」を有する集団であり、それが忍の世界で頭角を顕す根拠であったと言う事は確かです。写輪眼はカカシへの移植でも機能するかなり独立性の高いデバイスではありますが、それだけでない事は、写輪眼の瞳力を使う度に病院送りになるカカシのエピソードでも明白だと言えるでしょう。カカシは特別に優秀で、恵まれた才能と、”木ノ葉の白い牙”の勇名を馳せた名血に支えられた特殊性があったればこその写輪眼の稼働であり、それが写輪眼を持つうちは一族の特殊性を逆に証明する様なもので、うちは一族が基本的に持つチャクラ特性のアドバンテージを物語っているのだと、僕は考えています。ちなみに忍の優劣に関して「力量」という言葉を頻繁に使うのはその考えに準拠するものでもあります。


「今の…貴様など…
殺す価値も無い
…愚かなる弟よ……
このオレを殺したくば
憎め!恨め!」
(イタチ)

「そしてみにくく生きのびるがいい………
逃げて…逃げて…生にしがみつくがいい」(イタチ)

「そしていつかオレと同じ”眼”を持って
オレの前に来い」<ギン>(イタチ)

「うちは虐殺」でイタチがそう言ってサスケを眠らせます(第25巻/150-151頁)。実際は、これを機にサスケが写輪眼の第一次覚醒を果たし、イタチの万華鏡写輪眼の催眠眼を跳ね返し、反転攻勢に転じ、イタチの額当てを落とさせる一矢を報うのですが、それは後述するとして…、一族を皆殺しにしたとされる(「うちは虐殺」は未だイタチがホントに仕出かした犯行であったとはナル×ジャンでは認定しておりません!!)件の締めに、サスケが醜く生きのびるように命じた辺り、イタチが汚名という泥を被る為の対価と受け取っていいでしょう。トビの「儀式」でもそれを散々強調していて、イタチがサスケを不幸のどん底に突き落とす事に「うちは虐殺」の真意があったのだと、僕は考えています。

(兄さん…
アンタを殺すためなら
この先がどんな闇だろうと
オレは突き進んでやる!)(サスケ)

(どんな事があっても
力を手に入れてやる!!)(サスケ)

第一部のサスケ奪還任務のサスケの長ーい回想が明け(第43巻/162頁)、サスケが明らかに「闇」の中に身を置き、同時にそれが何も無くなってしまったサスケの生きるモチベーションになっている事に気付かされます。サスケの「闇」はイタチが生み出したものであり、サスケはそれにドップリと浸かる…しがみつく?…事で生きているように思います。この一連のイタチの「もしかしたら…良い人?疑惑」に関しては、イタチの残した最後の言葉…「許せサスケ……これで最後だ」(第43巻/236頁)によって事実認定されています。皮肉にも、このイタチの時限爆弾がサスケの万華鏡写輪眼の覚醒を促したのですが、トビの説明云々を抜きにしてもイタチのサスケに対する想いの清さは鉄板と言えるでしょう。

「里を抜けた時より
お前と戦い死ぬことを
心に決めていたのだ」(トビ)

「その時
お前に新しい力を与えるため…」

トビ的には「新しい力」とは万華鏡写輪眼だったと思います(第43巻/204頁)。しかし、それだけの為にイタチが「うちは虐殺」を仕出かした(とされる…ですよ、あくまでも)訳ではないと、僕は考えています。トビがイタチの真意に気付いていないとも思えませんが、イタチがサスケに与えた「闇」が、トビの言う「新しい力」の本体であろうと、僕は思います。そして、それが「儀式」の序盤でトビがサスケに自慢(エクスキューズ?)した、うちは一族の図抜けたチャクラ…そして、マダラがその中でも特別に強いチャクラを持っていたとする事実に符合するのだと思います。ぶっちゃけ、イタチはサスケに図抜けたチャクラを与える為に、サスケを「闇」に追い込んだと、僕は考えているのです。

「十六年前―
九尾が木ノ葉を襲った事件は
もちろんマダラが起こしたものだ

それも四代目によって阻止されてしまった
つまり…」(イタチ)

「今のマダラは負け犬だ…
うちはの本当の高みを手にするのは
ヤツじゃない」
(イタチ)

イタチがサスケを「闇」に追い込まざるを得なかったのは、「九尾事件」(第42巻/127頁)で九尾を鹵獲(ろかく)されてしまったからだと、僕は考えています。「うちは虐殺」の約7年前に起こった「九尾事件」で、その主犯格=黒幕=「”暁”の一人、面をしている男だ」(第440話/「四代目との会話!!」)をイタチは「マダラ」としていまして、九尾を屍鬼封尽された事で「九尾事件」が終息してしまった事実を、イタチが「負け犬」としているところに注目すれば、九尾と写輪眼のセットが「うちはの高み」を意味するであろう事に気付くと思います。しかし、その九尾を四代目によって奪われてしまった…。その落胆がイタチに別の選択肢を選ばせたのではないかと、僕は考えています。

「かなりの力を持つ忍だ
特別な力がなければ到底太刀打ちできない」(ミナト)

「おそらくそいつは
また里を襲う」
(ミナト)

ミナトがナルトに九尾を授けたのはナルトに「特別な力」(第440話/「四代目との会話!!」)を与える為でした。そして、その命懸けの封印が黒幕の撤退を余儀なくさせた訳であり、それをイタチが「負け犬」としているのです。つまり、「九尾事件」は「写輪眼=うちは」から「高み」を奪う戦いでもあった訳です。それが、「写輪眼+九尾」の写輪眼最強コンボと考える根拠でありますが、ミナトが九尾をナルトという金庫に仕舞ったにも関わらず、黒幕の再臨を予見するのには、黒幕の力量に対する別の不安があった筈です。恐らく、イタチはその…ミナトが危惧する…サイドからアプローチする方法論をサスケに施したのだと思います。別の方法でも「うちはの高み」を掴み取れる…という事なのでしょう。

ここでチクッと疑問に思うのは、九尾が「うちはの高み」を得る為のアイテムであるならば、イタチがナルトを奪取し、サスケに与える手段もあった筈です。しかし、イタチはそれとは別の方法で「高み」を目指した…。これはきっと、四代目の行いに対するイタチの理解が存在したのだと思います。「九尾事件」当時、イタチは5歳。その時点でミナトとイタチの接点がもしあったとして、イタチであればミナトと理解し合える程の知性や認識力があったでしょう。既にうちは一族の監視の任務にもイタチは就いていた訳だし、イタチとミナトが面識があった可能性は非常に高いと思われ、もっと積極的に情報の交換だってあったのかも知れません。ぶっちゃけ、イタチはミナトの意向を了解し、ナルトの九尾を尊重したと考えます。


(何なんだよ!!いったい…!!?)(サスケ)

「父さん!母さん!」<ダダッ>(サスケ)

「サスケ…来てはならん!」(フガク)

イタチが「うちは虐殺」でフガクとミコトを殺めた…とされる行で(第25巻/138頁)、サスケがうちはの集落の異変に気付き、帰宅して両親の居室?の扉を恐る恐る開いた時、その直前までフガクらしき肉声が残っていましたっけ。サスケが居室の中を観た時には既に二人とも絶命し、暗部装束のイタチが折り重なるように倒れる両親の骸を見下ろすように立っていました。辺りには血糊が散乱していましたが、それ以外に室内が荒らされた形跡はなく、大きな窓ガラスも割れていないようでした。この時、イタチは自らの万華鏡写輪眼をサスケに曝すように"月読"を発動し、サスケに阿鼻叫喚の地獄絵図を見せ、自らが「うちは虐殺」の真犯人であるかの様な記憶を植え付けていました。

(万華鏡写輪眼!!)(イタチ)

「ぎゃあぁああああッ!!」(サスケ)

しかし、この時見せたイタチの万華鏡写輪眼の文様(第25巻/140-141頁)が、「シスイ事件」の直後、イタチを疑って怒鳴り込んで来たうちはの上役達とのいざこざの行で、サスケが脳裏に焼き付けたイタチの写輪眼の変化の描写(第25巻/108頁)とは明らかに違います。あの時、サスケが見逃さなかったイタチの万華鏡写輪眼の文様は瞳孔を中心にしたクモヒトデの様な形状であり、「うちは虐殺」でイタチが見せた文様は手裏剣型で、瞳孔の部分は反転して白窓になっていました。うちはのアジトでのサスケとの最終決戦でイタチは写輪眼→万華鏡写輪眼の変異を見せていますが(第42巻/113頁)、それも「シスイ事件」直後にイタチが見せた変異とは違うし、瞳孔が白窓なのは「虐殺」時と同一です。

明らかに、「うちは虐殺」の前後で変化しています。それと、「うちは虐殺」でのフガクとミコトを殺害した…とされる周辺のイタチの描写を考えると、この時点で「フガク→イタチ」で眼球の授受があった可能性があったのではないかと、僕は黒くなっています。サスケが居室に突入する直前までフガクは意識がありました。そして、ミコトに覆い被さるように倒れるフガクは両眼を閉じていて、右頬に血が垂れた痕がありました。サスケにフガクが眼球の授受を見せたくなくて、サスケを制した…。眼球をイタチに託しフガクは逝った。そして、フガクの眼球をイタチが託されなければならない事情がイタチにもあった…。それがイタチの隠し持つ「真相うんぬん」(第44巻/41頁)の正体ではないかと、僕は疑っている訳です。

「あの時…泣いてた」<ポロ……>(サスケ)

「見間違い…だと思った
オレは気付けなかった」
(サスケ)

…しかし、そうなるとイタチが流した「涙」(第44巻/20-21頁)が怪しくなってくる(笑)。なので、イタチファンの方々にはスルーして頂きたい黒い考察ではあります。サスケがイタチの万華鏡写輪眼の催眠眼を跳ね返し、写輪眼の第一次覚醒をもって反転攻勢に転じた行で見せたイタチの「涙」…あれが「フガク→イタチ」で行われた眼球の移植の反動拒絶反応よる涙だった可能性を、僕は感じているのです。イタチの第二部での写輪眼の常時覚醒や吐血などの体調不良や病の描写は、写輪眼の移植のリスク、或いは制限によるものと考えています。イタチもかつてうちは一族内で繰り返された眼球の移植実験については言及があり、そのノウハウがあった上での不合理な移植の強行であったのだと思います。

「まだ生きてやがったか…
が…やっぱガキだな…忍が何泣いてやがる」(カッコウ)

「来な泣き虫!ケリつけてやるぜ」(カッコウ)

神無毘橋で「オビト→カカシ」の移植直後(第27巻/166頁)、カカシの移植された左目からが溢れていますが、移植しなかった右眼からは流れていません。つまり、カカシは悲しくて泣いてる訳ではなくて、移植の反動で涙が溢れている訳です。ま…泣きたいくらい悲しい出来事の直後ですけど、カカシはそれなら尚更泣かない人だと思うんです。辛いとか、悲しいとかを、人前で…しかも敵の前でなら尚更泣いたりはしないと思います。その考えに立って「うちは虐殺」のイタチを観るならば、あの時、イタチが悲しかったり、辛かったりして泣いたのかな…っと、些か不安になります。確かにイタチは優しい人だと思うんですが、あの大事件の大向こうに真の敵が居て、その為の不可避の非道だったとすれば……。

イタチがサスケを生かし、サスケの可能性に懸けたのだと思うんです。それは自分では太刀打ちできない敵、或いは状況があったからだと。その状況で泣けるものなのか?イタチの壮絶な「生き様」を見て来た僕には到底、泣くとは思えんのです。確かに美しい伏線の回収だったし、多分、これまででも屈指のいいお話だったとも思える…『NARUTO-ナルト-』の名シーンの一つでしょう。それを黒い考えで汚したくはないんだけど、サスケの写輪眼の覚醒や、ポテンシャルの高い反攻を見せたおまけはあったにしても、あそこで泣いてしまうイタチが、「うちは虐殺」以降に続くイバラの道を歩めるものか?と考えた時、あの「涙」の原因が悲しみではなく、移植の反動だった方が説明はし易いな…と思えたりもします。

その可能性を「DEKOTON」(虐殺前夜…第四夜)に切々と…当時の描写を元に書いています。お時間のある方は一度読んでみて下さい。イタチを「さすがオレの子だ」と言い、サスケに「兄さんのように…」と言ったフガクの深層には、イタチがホントの息子ではない機微を感じます。ぶっちゃけ、4歳で地獄の戦場を彷徨って、木ノ葉の上層部がうちは一族に送り込んだスパイのイタチはフガクの養子だったと思う訳で、その頃、ミコトのお腹にはサスケが居て…。しかし、そんなイタチを「さすが…」と言うフガクの心意気に、イタチがサスケを想う気持ちの根っ子があるんだと思うんです。フガクが「さすが…」と言うように、イタチがサスケのオデコを小突き「許せ…」と言う…それは紛れもないだよ…。

追記:僕はフガクとイタチの「非親子仮説」に触れた時、漢・ケルベロス…実は泣きました。イタチに「さすが…オレの子だ」と言うフガクの懐の深さがあり、実子のサスケに「兄さんのように…」と言ってしまう譲れない厳格さと、不器用さがあり、それを甘受し、その深き愛に感謝したイタチが、サスケの欠落感を補う為に「許せ…」デコトンをしたのだから、それはもう…「惚れてまうやろーっ!!」と叫びたくなる訳です。フガクとイタチは凄く似てるのです。ただ不器用なフガクに対してイタチが如才ない…それを見て来たフガクが、イタチに自分の眼を委ねる可能性はあると…僕は思います。やっぱ、これは「愛」だろう…切ないのに温かい…親が子をただ愛する…意味とか理由なんかない…純粋過ぎるくらいの「愛」だろう…あーっ…また泣けて来た…(笑)。(090625)


「イタチのヤツ
自分の真相を知られてるとは
思ってなかったんだろう…
何でそこまで(転写封印・天照)…?」(ゼツ)

「真相うんぬんは抜きにしても
オレがサスケを仲間に引き入れることを
危惧していたんだろう」(トビ)

それがトビとゼツのちょっと噛み合ない会話の(第44巻/41頁)…「真相うんぬん」だと、僕は考えてる訳だ…。イタチは「うちは虐殺」や木ノ葉上層部の任務などがサスケに知れるのが怖かったんではなくて、自分とサスケが本当の兄弟ではない事がサスケに知れるのが怖かった…と、僕は考える訳だ。ただ、これは悪魔でも私説で、「うちは虐殺」でサスケと接触するイタチの眼球が通常の黒目だった描写(第25巻/145頁)などもあって、鉄板ではないのであしからず。ただ、移植後、経時と共に移植の反動が大きくなり、涙が出たり、もっと後には血縁にない移植の拒絶反応で死に至るダメージがイタチを蝕んで行った…それが第二部に入ってからのイタチの写輪眼常時覚醒の原因だったと…黒くなっちゃう訳です。

でも、ま…イタチスキー(←ロシア人?)の方々にはスルーして貰いたい考察ではありますんで、あまり重く考えないで下さい。イタチが命懸けでサスケに「特別な力」を与えようとした…。その事実は何れにしても揺るがないのでご安心を。それにイタチのサスケに対する想いの深さが流させた「涙」だった方が、やっぱズシンと胸には来る。しかし、イタチの想いが分厚ければ分厚い程、イタチを死に追いやったサスケの「闇」は深くなる訳で、僕らがハラハラする以上に、サスケは更に心中穏やかではなく、認め難い自分の行いを認めない為に、ドンドン歪んで行く「闇」の深みに堕ちて行く…その負のスパイラルの中に居る訳です。そして、その全てがイタチの思惑だった…サスケに「闇」を与える為の「生き様」だった訳です。


「何故弱いか…
足りないからだ…」
(イタチ)

「…憎しみが……」(イタチ)

忍法・蝦蟇口縛りの一戦で(第17巻/67頁)、ボコッたサスケの耳元でイタチが妖しく…そう呟きました。サスケだけに聞こえるように…。多分、憎しみや恨みの念がサスケの「闇」を育て、それがサスケのチャクラを図抜けたものに押し上げるのだと思います。チャクラとは「肉体エネルギー+精神エネルギー」(第1巻/202頁)で、正であれ、負であれ、精神を鍛える事はチャクラの質…「力×量」の「力」を向上させる事なんだと、僕は考えています。また、写輪眼のチャクラと精神の負の方向=「闇」の相性が抜群なのかも…とも思います。サスケの里抜け直後、状態2を経験したサスケのチャクラの変質にはカブトがいの一番の気付き、大蛇丸が喜々として舌なめずり(第27巻/49頁)してましたよね(笑)。

「サスケェ!!
お前はオレにとっての
新たな光だ!
お前はオレのスペアだ!!
元来うちは一族は
万華鏡写輪眼の為に
友と殺し合い…
永遠の瞳力を
得るために兄弟で殺し合い

そうして力を誇示し続けてきた
汚れた一族なのだ!!
そしてその一族の中に
生まれ落ちた時からお前も
この血塗られた運命
巻き込まれている!!

さあ来い!弟よ!!
オレはお前を殺して
一族の宿命から解放され
本当の変化を手にする!

制約を抜け己の器から己を解き放つ!
オレたちは互いのスペアだ!!
それこそが
うちはの兄弟の絆なのだ!!」(イタチ)

「どうやら…
心の中のオレがちゃんと見えたようだな」(イタチ)

「名は
うちはサスケ
嫌いなものはたくさんあるが
好きなものは別にない

それから…
なんて言葉で終わらす気はないが
野望はある!
一族の復興
ある男を必ず…殺すことだ」(サスケ)

「全てはこの為か…
やっと…たどり着いた」
(サスケ)

「やっと…たどり着いた」

「闇」 illustration:Cerberus

イタチ…止めてー!!そんなイタチなんて…見たくなーいッ!!のイタチの迫真の煽りに思いっ切り乗っかってしまった(笑)(第42巻/128-133頁)…サスケのオトナ顔。イタチがここまで汚れた演技をしなければ、サスケもイタチに対して黒くはなれなかった訳。イタチはサスケに他者を恨み憎しむ事を教えたのです。精神の「闇」の領域が拡張される事で、当然、チャクラの力量がアップする。それが写輪眼のチャクラには持って来いだったのでしょう。そして、それが九尾を奪われた写輪眼のもう一つの「高み」の求め方だった。きっと大蛇丸に一時的にサスケを委ね、呪印や白蛇(情報生命体としての大蛇丸)をその身に宿させたのも、カッコウの「托卵」に似た…”鷹”が"蛇"に卵を預ける行いだったのだと思います。

【托卵】(たくらん)鳥が他種の鳥の巣に卵を産み、抱卵・育雛(いくすう)をさせる習性。日本ではホトトギス・カッコウ・ジュウイチ・ツツドリにみられる。

そして、サスケの強さを確認したイタチは”須佐能呼”十挙剣(とつかのつるぎ)で呪印や大蛇丸から解放しましたよね。イタチはそこまで読み込んだ上でサスケを泳がせ、サスケに討たれる日を心待ちにしていたんだと思うと、胸が詰まります。…って言うか、そこまでしてサスケに「特別な力」を与える必要があった訳で、それはイタチには成し得ない力量だったと言う事です。不治の病に関しては血縁でない間柄での眼球の授受の拒絶反応と、僕は考えているので、イタチのポテンシャルをもってしても及ばない敵、或いは状況がある筈です。恐らく、その目的は「終末の谷の決闘」に繋がっているのだと、僕は考えています。そこで闘う必要性が写輪眼にはあった…それを「運命」と言えば良いのでしょうか。

例えばトビが”暁”で暗躍する目的とサスケは違う象限にあると、僕は考えています。しかし、それでもトビがサスケをある程度自由に泳がせるのには一定の親心があるように思います。写輪眼の好(よし)みと申しましょうか、写輪眼の審判がかの「終末の谷の決闘」ではないかと、僕は考えていて、やはりその一方に関わる千手の血族との一戦に何かしらの因縁が潜んでいるのではないかと考えています。そして、写輪眼と千手の双方がお互いの戦士を擁立し、強化して行く…それが、「終末の谷の決闘」教育論としての一面です。「うちは虐殺」(終末⑥)で考察したのは、写輪眼が生体兵器としての究極の忍の人為的な進化であり、その対極の自然な営みに拠る正常な進化が柱間の系譜なのかな…と、イメージしています。

そもそも、六道仙人が「忍教」など考え出さずに、それが「忍術」として広まらなければ、忍のシステムなんてものはできなかったのだし、混沌を意図的に生み出す意図が輪廻眼にあって…きっと、写輪眼も六道仙人(輪廻眼)が白眼を基本に人工的な進化を促し生み出した忍の特化形態で、それが忍の在り方を世に問う一つの問題提議であり、それに釣り合うのが、自然発生した強力なチャクラを有する千手一族だったんではないかと、僕は考えています。イタチがここまで周到にサスケを強化して来たのは、「写輪眼の高み」を持ってその審判に備える事が、イタチにできる最善であり、イタチを受け入れ、愛してくれたフガクに対する答礼と言え、フガクの一粒種であるサスケを生かし、サスケに写輪眼の存亡を托す事がフガクへの敬意であったと、僕には思えます。

そして、写輪眼の最強コンボである九尾を四代目火影に鹵獲された状況で、写輪眼・うちは一族が抱える社会性の中で、不可避だった「うちは虐殺」に主導的な立場で関わる事で、コントロールし、「終末の谷の決闘」に繋がる希望の光=サスケを残す事がイタチの為せる最善で、その為にイタチの滅私があり、壮絶な「生き様」が存在したのではないかと思うのです。そして、その対極に存在する千手一族の流れが波風ミナトであり、「九尾事件」の試練の中で最大限の譲歩が九尾の鹵獲であり、ナルトへの九尾の封印だったのだと思います。勿論、ナルトへの九尾の搭載はナルトの強化を意図して事に異存はありません。それはイタチがサスケの「闇」を利用して強化したのとは全く違ったアプローチで…(つづく)。

それと、”暁”もまた写輪眼の意向を汲んだ組織だとは思うんですが(イタチのように正攻法ではなく…ナル×ジャンでは「月の破壊説」を支持しております…)、ぶっちゃけ、六道仙人の創り出した「忍教」「忍術」と言った世界観を破壊し、マダラがかつて享受した戦いの中でのアイデンティティ…「力が全て」の乱世を生み出し、「写輪眼」こそが忍の秩序となる様なクリエーター(輪廻眼)に対する謀反を考えているんじゃないかと思います。そして、その混沌を生み出す為の火種として、サスケを泳がせ、方や輪廻眼所管の外道魔像を管理下に置いた尾獣集めに暗躍しているのではないでしょうか。それを、現状ではトビが支配しているように見える…それがお話をややこしくしている元凶だと考えているのです。

えっ!?…ナル×ジャンがややこしくしてるって!?
あ”ーッ!!…聞こえない!!聞こえない!!(笑)



追記:待ち受けのサスケの顔が黒過ぎるのに気付き修正しました。余りにも僕の心が黒かったせいだと思います(笑)。再度、ダウンロード願います。待画を右クリックで「保存」か、プレス→ドラッグでデスクトップに落とせばダウンロードは完了すると思います(僕はMacしか解らにゃいのだ)。後はメールで携帯に添付画像として送れば待ち受け画面に設定できると思います。他にリクエストがあったらメッセージを下さい。僕に描ける絵柄であれば何とかしてみます。あまり難しいのは無理でーす(笑)。

サスケが「やっと…たどり着いた」と宣言した時、イタチはきっと嬉しかったんだろうな…と考えながら描きました。サスケの勘違いも甚だしいんですが、それ以上のイタチの名演があって、しかも、それに気付いたサスケが更に「闇」に沈む…そのスパイラルも狙いだったのでしょう。スターウォーズのフォースの暗黒面の様に、人の心の「闇」は力を手っ取り早く得るのに都合が良いのかも知れません。それを「悪」とは思わないけど…。

サスケのこの時の怒りの盛り上がり具合と、あの…波打ち際での悔恨とが正弦波の正と負を描いている…その美しさに震えて下さい。サスケが流した涙をイタチは見る事ができなかったけど、心はいつもサスケと一緒の筈です。イタチが命と引き換えに運んだ写輪眼もいつかサスケに渡る事でしょう。それが二人の「永遠」となる。それが悲しき写輪眼の宿命…悲しいけど、イタチはそれをサスケに託したんだと思います(090625)。


  

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