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「老人と海」を再び、読んでみた…

 
「老人と海」

デイダラの勘違いな最期に触れて(第362話「究極芸術 !!」)、その時、「賞賛」とは?と言うテーマについて考えた時、僕が少年の頃、読んだ「老人と海」(ヘミングウェイ)が蘇って来たのです。蘇った…と言うよりは、意味が解った!と言った方が良いかも。少年の頃って、小学校の後半だったと思いますから、当時は、この作品に書いてある事の本当の意味なんて解らなかったから…。

メキシコ湾で漁をする老人は84日連続の不漁に喘いでいた。一緒に漁をしていた少年も親の意向で他の船に映ってしまった。しかし、

帆はあちこちに粉袋の継ぎが当ててあったが、
それをぐるぐる巻きにした格好は、
永遠の敗北を象徴する旗印としか見えなかった。

と言う描写から、それはスランプではなく、漁師としての老人の終焉を意味してるのではないか?と感じたのです。その後の老人の漁の後始末に付き合う少年とのやりとりで、

投網などなかった。
それを売ってしまったときのことを、少年は覚えている。
だが、老人と少年とは、この作りごとを毎日くりかえし演じているのだ。
まぜ御飯などありはしない。そのことも少年は知っていた。

とあって、老人の中の現実が物凄く希薄になっているようなのです。投網がない。投網とはこの場合、餌になる小魚を捕まえる道具ですから、老人はどうやって餌を手に入れてたんでしょうか?

「黒豆御飯とバナナのフライ、それからシチューがある」

多分、少年が日々、老人に提供していたんだと思います。餌だけでなく食事も…。もしかしたら、老人は夢うつつの中で生きていたのかも知れません。最悪、惚けてた…と。運が悪くて不漁が続いた…のではなくて、老人は漁を満足に行えるような状態ではなかったのではないか?と、僕は感じました。

84日目の漁が終わった後、老人は夢を見ます。

老人はすぐ眠りにおち、アフリカの夢を見た。
彼はまだ少年だった。
金色に輝く広々とした砂浜、白い砂浜、
あまり白く照り映えていて眼を痛めそうだ。
それから高い岬、そびえ立つ巨大な褐色の山々。
老人はこのごろ毎晩のようにこの海岸をさすらう…
もはや、老人の夢には、暴風雨も女も大事件も出てこない。
大きな魚も、戦いも、力くらべも、そして死んだ妻のことも出てこない。
夢はたださまざまな土地のことであり、砂漠のライオンのことであった。
ライオンは薄暮のなかで子猫のように戯れている。
老人はその姿を愛した、いま、あの少年を愛しているように。
しかし、少年はかれの夢のなかに姿を現さない。

老人の夢に何故、少年が登場しないのでしょうか?もしかしたら、老人は過去の中で生きていたんじゃないだろうか?つまり、少年は現在の象徴。だから、過去に縛られる老人に現在を夢見る事は出来なかったんではないか?自分が終わろうとしている現実を老人は受け入れる事が出来なかったんではないかと、僕は考えています。

そんな老人が85日目、漁に出ます。勿論、少年が用意してくれた餌を持って。幸か不幸か、その餌に大物がヒットしてしまうのです。それはかつて出会った事がないような大物でした。老人は4日間の死闘の末、その大物を釣り上げるのです。それは正に、命を燃やすような戦いと言える。その大物とのやり取りの最中、老人はふと後悔にも似た気持ちを抱きます。

老人は急に自分の引っかけた大魚がかわいそうになってきた。
やつはすばらしい、めったにお目にかかれる代物じゃない。
いったいどのくらい年をとっているんだろう。
おれもきょうというきょうまで、こんな強い魚にぶつかったことはない。
それに、やつの出かたが一風変わっているじゃないか。
よほど利口なやつだ……やつは男らしく餌に食らいついた。
やつは男らしく食いさがる。ちっとも騒がない。
なにかつもりがあるんだろうか、それともこっちと同様、
必至になっているのだろうか。

この時、老人は自分が掛けた大魚を明らかに自分と重ね合わせていました。実際、この後、他の仕掛け(綱)に魚が掛かりましたが、ナイフでその綱を切り落とし、大魚の予備の綱にしています。

余談ですが、僕は「結び」フェチで、いろんな結び方(ノット)を知っていて使いこなします。この場合、老人は「漁師結び」で綱を繋ぎ合わせて延長するのだと思います。「本結び」(普通の結び方)を親と子でそれぞれ一回づづだけ使って組み合わせるシンプルな結び方なんだけど、結び目は絶対に外れない強度を誇ります。結び目より先にラインが切れるほどです

老人はこの大魚との対決一本に絞り込んでいます。

「この舟より二フィートも長いぞ」

と大きさも認識しています。果たして、釣り上げた後の事もちゃんと考えていたんでしょうか?恐らく、老人は釣り上げても無事に港にこの大魚を連れ帰れない事を知り得たんではないか?と僕は疑っています(笑)。それでも、老人は自分を手放す事は出来なかったのではないか?と。老人にとって、この「一風変わった」大魚はもう一人の自分だったのです。

大魚とのやり取りの最中、老人の悔恨は過去の出来事にも及びます。自分が殺した魚たちの事。少年と共に捕ったマカジキの夫婦(雄雌)の事。ニグロとのアームレスリング(←こう言う回想ってヘミングウェイっぽいなぁ…)。

あらゆるものが、それぞれに、
自分以外のあらゆるものを殺して生きてるんじゃないか。
魚をとるってことは、おれを生かしてくれることだが、
同時におれを殺しもするんだ。
いや、あの子がおれを生かしてくれるんだ、とかれは思いなおす。
あんまり自分をだますようなことをいっちゃいけない。

多分、老人は少年が援助してくれる事で自分が生きていられる事を感じないようにしてたのかも知れません。少年の存在そのものが、自分が生きていく希望だったのかも知れません。

漁を終えた老人は満身創痍でした。

朝、少年が小屋の戸口からのぞきこんだとき、老人はぐっすり眠りこけていた。
風がひどくなり、その日は舟が出なかった。少年は朝寝をした。
そしていつものように、きょうも老人の小屋にやってきたのだ。
少年は老人の寝息に耳をかたむけ、その両手を見、声を立てて泣きはじめた。
それからコーヒーをとりにそっと小屋を出ていった。
道々、かれは泣きつづけた。
…………くずれた珊瑚礁の道を歩きながら少年はまた泣いた。

少年の描写からは、多分、老人は再起不能か、極めて深刻な痛手を負っている様子が感じ取れました。このまま死に至るような深手かも知れません。

「闘ったらいいじゃないか」とかれははっきりいった。
「おれは死ぬまで闘ってやるぞ」

と、鮫に獲物が喰い散らかされていく中で、そう誓っていました。文字通り、老人は命を燃やすように、この大魚と闘ったのです。

しかし、苦闘の末、釣り上げたものの鮫の大軍の襲撃に遭い、獲物は頭と胴体の骨と美しく大きな尻尾を残すのみ。漁としては明らかに失敗です。

「鼻の先から尻尾まで十八フィート(約5.4m)ある」
魚の長さをはかっていた漁師がいった。
「あたりまえさ」と少年はいった。

しかし、その魚がどんだけとんでもない大きさか?どんだけ「大した」獲物であったのか?この"大物"とのやり取りがどんだけ大変な事か……。見る人が見れば解るものなのです。皆が皆、口に出して賞賛しないかも知れない。結果が全てと考える人もいるでしょう。

「あら、鮫って、あんな見事な、形のいい尻尾を持っているとは思わなかった」
「うん、そうだね」

酒場の給仕が「鮫に喰い散らかされたマカジキ」と説明しますが、それすら解らない。魚の姿とか名前も解らないような、正に通りすがりの勘違い。命を燃やすように闘った老人とのコントラストが際立ちますが、その通りすがりの勘違いだとしても、これも一つの、立派な「賞賛」であると思いました。

むしろ、「賞賛」とはこのくらい仄かなものなのです。自分の思ってるようなリアクションの方が希有なことなのです。そのくらい「人の行い=表現」とは伝わり難いものなのです。

道のむこうの小屋では、老人がふたたび眠りに落ちていた。
依然として俯伏せのままだ。
少年がかたわらに坐って、その寝姿をじっと見まもっている。
老人はライオンの夢を見ていた。

終幕で、老人はライオンの夢を見ます。きっと、満足だったんじゃないでしょうか?自分が満足する。これこそ、真の「賞賛」ではないでしょうか。自分で自分を褒める。結局、ホントのところは、自分しか解らないのです。でも、それで良いと、僕は思いました。

今回、改めて新刊を購入しました。僕の記憶違いでなければ、僕が少年の頃に読んだ作品とは明らかに違う。翻訳がかなり違うのです。特に、最終頁。骨だけになった魚が舟に縛り付けられた姿をバスの車窓から少女が見て、「大きな魚…」と呟くのが、確か、ラストだったような…(実はこのエンディングの方が好みです。デイダラの最期にもフィットした台詞だとも思います)。かなり遥かな記憶なので、定かではありませんが。夢に出て来る「ライオン」にしてももう少し強調されていた気がしています。翻訳の技術も上がったのでしょうし、時代も変わった(汗)。何より、僕も変わってしまった(遠い目…)。人の感じ方って変わるから…。

「ヘミングウェイ読むと、船酔いするよ!」って、友達に言われました。一気に読み耽りながら、確かに僕は小舟に乗って大海を彷徨っていたようです。

そして、今も…少し揺れているような感じがしています。

 

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