スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「動機」(愛について…序)


エーッと、ナル×ジャンのケルベロスです。全てのアクセスに心より感謝申し上げます。気付いてる方もいらっしゃると思うんですが、最近、どうも乗らない…。『NARUTO -ナルト-』を読んでいる時もそうだし、考察してる時も同じ。何だか乗らないのです…。具体的にはトビが五影会談に乱入し、サスケを回収した直後。うちはの集会場にある六道仙人が遺した「石碑」の秘密を話し、トビが企む「月の眼計画」の全貌までを明かした段階で物語の着地点が明確に示された…と、僕は思ったんだけど、そこからお話が散漫になり始めたと言うか、緩慢になったと言えば良いか…もう「サクラの告白!!」(ep469)に至っては、実はもう辞めちゃおうかしら(←ちょっと言い杉)と思うくらい不純に感じたのも事実です。ホントに言い杉なんだけど、「白」と再不斬の「愛」に震えた「波の国任務編」や、我愛羅が「愛」に気付いた「木ノ葉崩し編」の澄み切ったキッシーの想いを、僕は感じられなくなっていた…と思います。他にも沢山ある…イタチの「涙」もそうだし、それを数えたら一晩でも足りない。でも、今の流れに僕が違和感を拭えずにいるのは確かです。

僕は『NARUTO -ナルト-』という作品が大好きで、こんな風に魂を剥き出しにして、命を削りながらも物語の奥底に潜む旨味を引き摺り出し、牛が食物を反芻(はんすう)するように味わっています。そして、僕の中のおばちゃんの成分が「こんなに美味しい作品があるよ!!」と、黙ってられなくなって始めたのが「ナル×ジャン」であり、僕の中の父親が見るに見かねて懇々と語ってしまうのもまた「ナル×ジャン」であります。僕はブログ運営のポリシーとしてアフィリエイトをやらない。そう心に決めています。もしFC2がアフィリエイトを強要するシステムになれば移籍するか、辞めちゃうかすると思います。と言うのは、「ナル×ジャン」をする事で金銭的な利益を受けたくないからです。ホントに純粋に『NARUTO -ナルト-』をいう物語を味わっているし、不遜な言い方で大変申し訳ないですが…そのお裾分けをさせて戴きたいと、僕は真剣に考えているのです。そして、それは岸本斉史大先生という神とも言える存在が生み出す『NARUTO -ナルト-』に対する絶大なリスペクトがあればこその行いである事を、先ずはご理解戴きたいと思います。

「ケルベロス」とは架空の人格です。『NARUTO -ナルト-』を含む文学の中を浮遊する意識であると考えて下さい。ちょっと…いやいや…かなり遊び人で、キャバクラ通いに明け暮れ、フルーツを「ア~ン♡」と頬張り、何故だか小鳥の様に羽ばたいてる風な…これまで何人もの似たタイプの「可愛い悪魔」と浮き名を流した様な…「ケルベロス」と、実際の「僕」はかなり違います。もっと地味で真面目なフツーの男子であります。基本的に「ナル×ジャン」における「僕」「ケルベロス」の事でありまして、アサーティブに「僕は考えます」とか、「僕は思います」なんて言ってるのは「ケルベロス」がそう思ってて考えてる…ちゅー意味になります。ま…架空の人格だからこそ言える…熱苦しかったり鳥肌ものの言葉を吐ける訳で、自分では出来ない様な事を偉そうに言える訳です。ただ、「ナル×ジャン」の記述の全てが「ケルベロス」の言葉かと言われると、ちょっと自信がなくなる…「僕」には「ケルベロス」でない「生身の僕」もある。そりゃ黙ってられない事だってあるし、キッパリと機械みたいに割り切れない。人間ですもの。そして、「生身の僕」が特に黙ってられないお話…それが…

愛について

…であります。個人的に「生身の僕」は親との縁が薄かったです。無いに等しい。しかし、愛されなかった訳ではなく、寧ろ潤沢に「愛」を注がれて育って来れたと感じております。だから、感謝しています。僕の書いた物に震えて下さる方がいらっしゃる。有り難くも涙を流して下さる方も居る。きっと、その方には僕の「愛」が届いているんだと、僕は考えています。僕は大量の「愛」を与えられて育ったし、一時やさぐれた時期があったにせよ…今はそれを認識出来るし、ありがたく、有り難く感じています。「愛」は与えられなければ与えられないものだと、僕は考えています(←ね、ケルベロスと生身の僕が混ざってる…でしょ)。間違って欲しくないのは「愛」を与えられない命なんてのはないってところで、じゃ何でこんな熱苦しい事を言うのサ…となるのだけれど、その事実に気付けなくてウロウロしてる子が実に多いのよ…。我愛羅がそうだったじゃない。「白」はナルトにちゃんと教えたじゃない。「愛」を与えたじゃない!!僕はこの手のお話を練ると泣けて来るんです。もう完全に混ざっちゃってる…。サスケなんて「どうすんだよ!?」って話しですよ。

キッシーが一度お話を閉じようとしてたのを、編集サイドの働きかけで心を動かした…と、僕は考えています。「ナル×ジャン」の考察において、このような不純な考えは存在し得ない。だから、この「僕」「生身の僕」と考えて下さい。ややこしいですが、この手のお話をする場合は混ざってしまいます。キッシーは『NARUTO -ナルト-』においていろんなメッセージを我々に贈って下さっている。鶴の恩返しのツルが、障子の向こうで自らの羽を毟り、美しい機を織るか如く命を削って描いておられる。そのご苦労、ご心労たるや筆舌に尽くし難いです。だからこそ、ケルベロスとしても、「生身の僕」としても感情移入していられるのです。だからこそ、その想いを綴る場にアフィリエイトを貼らないのです。キッシーは「愛について」を語っていらっしゃるんだから…「愛」を僕らに与えてくれてるんだから…僕はそう考える人だから。そして、そんな感じに「ナル×ジャン」があって、ちょっと近頃は変だなー…と思ってる…と。最近、書けないお話が多いなー…と言うのもそういう事です。でも、勇気を出して書いてみようと思う様になりました。

「ケルベロス」「生身の僕」も曲がりくねってるし、捻くれてるし…それでも今、書くべきだと僕は思った。「ナル×ジャン」を初めて二年と半年…いろんな事がありました。これは書くべきかどうか凄く悩んだ事ですが、「ナル×ジャン」を通して魂が触れ合った方が数ヶ月前逝かれた…。病魔が無惨にもその方の輝かしい未来を奪ってしまった。その方は「ケルベロス」の書くものがが好きで、ついでに「ケルベロス」の事も好きになってくれました。そして、その方は悲しいかな『NARUTO -ナルト-』の最終回を見る事なくその方は逝かれてしまった。僕はその方に「愛」を戴いたと思っています。リアルには一度も逢えなかったけれど、僕は愛された。僕も最期までその方の魂に寄り添いました。そして、僕はまた「愛について」を教えられた…。僕はいろんな約束をその方と交わしました。その約束を今も履行しています。先日、ある事があって、僕の心は数ヶ月前に戻ってしまった。それに『NARUTO -ナルト-』の今が絡み付いて…「ケルベロス」「生身の僕」が混ざり合って、もうじっとなんかしてられない…となった訳です。だから、ボチボチとですが書こうと思うのです。

愛について…を。
 

 

第471話「八尾、バージョン2!!」(キラビVS鬼鮫編) | BLOG TOP | キバは何故、溜め息を漏らしたのか?

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。