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うちはの力と柱間の力…

 
「あれは…木遁…」(トビ)

(なるほど
どおりで…あれほどの写輪眼の数
うちは一族でもない者が扱うには
何か秘密があると思ってはいたが…

大蛇丸め…
かなりダンゾウと接触していたようだな)(トビ)

(初代の細胞を埋め込んで身体エネルギーを
向上させていたのか)
(トビ)

第478話「”須佐能呼”完全体…!!」で、ダンゾウが木遁忍術まで出して来て、「どんだけー!?」となった人…挙手(笑)。いやいや…「それはやり過ぎだろ!!」と、本来はボケに徹する筈の僕も咄嗟に突っ込んでしまいました(汗)。しかも、ダンゾウの右上腕部の人面疽がどうやら初代様らしい…初代の細胞を埋め込んで…から厄介なのね(笑)。それら一切合切大蛇丸が関与している…とするのがトビの見立てのようです。しかし、よくよく考えると変じゃね?ヤマトって初代の能力を抽出すべく大蛇丸が実験体に赤ん坊を使って拒絶反応でバタバタ死んでいってダメだったみたいな…提示がありませんでしたっけ…。

「全忍の中で唯一
木遁忍術を使い
さらに…
”尾獣”を意のままに
操る事が出来た

初代火影の力が欲しくってね…
クク…」(大蛇丸)

初代の屍から
その中の遺伝子情報を取り出し
遺伝的素質を
六十体の子供の細胞に組み込む

人体実験をした事があったんだけど
拒絶反応が酷くってね…
バタバタ死んでいったわ…
全員死んだと思ってたけど…
まさか生き残りがいたとはね…」
(大蛇丸)

大蛇丸は初代の実験が失敗に終わったと思ってた筈なんですよ(第33巻/39-40頁)。なのに、ダンゾウの右上腕部に初代の顔が収まってる…。大蛇丸はヤマトを確認して初めて実験の成功を知ったと思うんですね。だから、ダンゾウの右上腕の初代の人面疽はヤマトと大蛇丸が対面した天地橋任務以降に施された処置だったんじゃーないかと、僕は思います。しかし、同時に大蛇丸がヤマトを知らんかった…という事は大蛇丸としっぽりの関係にあるダンゾウもヤマトの存在を知らんかった…という事にはなりますまいか?根のボスとしてダンゾウは永々と君臨して来た筈ですから…でないとオカシイです。

「サイの小隊の隊長には
優秀な暗部の者を付けて頂けましたかな?
綱手姫」(ダンゾウ)

「三代目の在任の時から
一番の使い手だった者を選抜した」
(綱手)

…って事はですね、ヤマトはダンゾウに秘匿されるポジションを貫いて今日に至るしかない訳です。三代目の在任の時から…それをダンゾウが特定できんかったという事は、三代目がヤマトを守ってたって事じゃないでしょうか。でないと、ヤマトの存在を大蛇丸が知らない筈ないんです。木遁の実験は失敗したとばかり思ってた訳ですから、大蛇丸は…。ダンゾウはうちは虐殺で大量の写輪眼を収集して、右腕に写輪眼を埋め込んで活用する方法を模索してた筈で、これまで鳴りを潜めてきたと思うんです。それって大量の写輪眼を運用するにはチャクラが如何にも足りなかったんですよ。

カカシの写輪眼の運用を考えれば、通常のチャクラ量だと片目の写輪眼で一杯一杯だと思います。カカシもそんなにチャクラ量が多い忍ではないけど、相当以上に優秀ですから行って来いでチャラとして、条件的にダンゾウもシスイの写輪眼を動かすのが精一杯なんじゃーなかったかと思います。ダンゾウの右腕には十個の写輪眼がありますから、そんなもの動かした日には速攻、病院のベッドか、お墓に入っちゃうでしょう(笑)。つまり、初代の細胞移植による肉体活性ありきの右腕の写輪眼群だったという事で、初代の細胞定着が前提のイザナギであり、ダンゾウの手術は天地橋任務以降に大蛇丸が施した時系列になると思います。

ところで…僕はヤマトの毅然とした父親の風格は誰かに導かれなければ成らないと考えてまして、それが意外に筋の通った事を言うダンゾウかしらと危惧してたんですが、それが完全に否定され、尚かつ、三代目在任中から一番の使い手であるにも関わらず、その存在がダンゾウに伝わらないほどシークレットだったヤマト(テンゾウ)の存在は、完全に三代目の管理下にあって手厚い庇護があった…ぶっちゃけ三代目が大切に囲っていた…と考えるのがフラットであり、当然、ヤマトの人格形成にに三代目が大いに影響したと考えられる訳です。つまり、三代目はヤマトの父親代わりでヤマトをこんなにも立派な人格に育て上げたのです。

これでヤマトの根との関係や、ダンゾウに感化された過去がある想定はナル×ジャン的に一掃され、個人的に非常に爽快な気分であります。何よりナルトの心を削る不安要素が無くなったのは嬉しい限りです。ヤマトが持ち得るナルトに対する影響力は父親のそれ(ミナト)に匹敵するものであり、決して母親役のカカシやイルカには為せない質と量があります。ナルトが無意識に抱くヤマトへの畏怖とは凡そ家長である父親に従う子のそれであり、ナルトに擬似的な家庭を味わわせるに足る存在感をヤマトが分担しているのです。だからこそ、ダンゾウとの因果な繋がりがないだろう可能性が、僕には嬉しかったのだ!!


「見るかぎり腕の写輪眼は十個
そして初代の細胞…」(トビ)

「うちはの力と柱間の力…
九尾をコントロールするつもりでいるようだな」(トビ)

(こいつもナルトを狙っている…)(トビ)

第478話「”須佐能呼”完全体…!!」で、ダンゾウの身体の構造をトビが観察して、その狙いが「九尾のコントロール」と言い切るんですが、その意味を、僕は研修を受けながら心ここに在らずで<ジメー>っと考えてた訳です(笑)。そう言えば、写輪眼は九尾と関係があって、万華鏡写輪眼が失明と引き換えに九尾をコントロールできる瞳力を得るとか、初代は尾獣をコントロールする異能があったと、これまで提示されて来ましたけど、何で「うちはと千手」の両方を搭載したダンゾウを見たトビが「九尾」と見立てるのか?その答えが見つからずに研修もグダグダで一体全体、何してたんだかなー!?…な一週間だった訳です(汗)。

それが、泥の様に眠ってリフレッシュした脳味噌でサクサクと書いた「サスケの幻術は何故、塩っぱいのか?」で大いに弾けたのです。具体的には「炎遁」の考察で、「天照の黒炎」をコントロールできる能力が「うちはの高み」じゃないかと考えたんですが、「高み」がそんなにショボイのかね…と思ったりもするけれど、言わば毒の様な黒炎を解毒剤無しに扱うのは自分にも危害の及ぶ「諸刃の刃」な訳で、「天照」を使いこなす…或いは実用化する為に「炎遁」は必要不可欠のセットメニューなのです。黒炎を意のままに使いこなせて初めて「うちはの高み」を手にする…それが…

うちは一族
火遁が使えて初めて一人前と認められる)(サスケ)

(うちはの家紋は
火を操るうちはを持つ者の意)
(サスケ)

フガクに豪火球の術の伝授を懇願した桟橋の修行の行で(第25巻/115頁)、サスケが噛み締める家訓?にもあった通り、うちは一族のあるべき姿を高次元で実現するのが「炎遁」(チャクラ)なのです。「火+風」もこれから大きく外れてないと確信めいた手応えまでありますね。ちょっとお話が横道に逸れまくりですが、万華鏡写輪眼が発動する「天照」の存在が、同時に消えない黒炎を消す能力の存在が実用化してる図式が、トビが九尾のコントロールと「うちはの力と柱間の力」とを関連させる考え方に非常に酷似してると、僕には思えた訳です。「ON/OFF」こそが制御系の基本でありますから…。


「六道仙人は忍宗の力と意志を
二人の子供に託す事にした」(トビ)

は生まれながらにし
仙人の”眼”
チャクラの力と精神エネルギーを授かり
平和には力が必要だと悟った」(トビ)

は生まれながらに
仙人の”肉体”
生命力と身体エネルギーを授かり
平和には愛が必要だと悟った」(トビ)

ちょっと…六道仙人の二人の子の話を思い出してみて下さい(第49巻/164頁)。ザックリ考えるなら、六道仙人の子の兄系の子孫「うちは」で、弟系「千手」です。六道仙人は「十尾」九種類のチャクラに分離する手法で「十尾」をある程度、無害化する事に成功していまして、きっとそれと同じ方式で六道仙人の能力を当たり障りない程度に無害化する選択をしたんだと、僕は考えています。六道仙人が永遠に生き続けられるならば問題はなかったんでしょうが、六道仙人にも「死」だけは平等な真理だったのでしょう。恐らく、六道仙人を二分した存在が「うちはと千手」だったのだと思います。

自分を二分する選択には六道仙人の迷いが見え隠れします。それが「兄」が悟った「力」なのか、「弟」が悟った「愛」なのかを計りかねる心の揺れなのだと、僕は考えています。そして、「うちは」「千手」も元はと言えば一つだった訳で、それが引かれ合い、求め合う様は必然とも言えるでしょう。陰があるから陽があり、陽があるから陰がある…愛が憎しみを求め、憎しみは愛を糧に膨れ上がる…全ては同じものから生まれ、違うもののようであるけれど実は同じものなのです。それを仏教の「色即是空空即是色」と言えばしっくり来るでしょうか。ま…これを僕は「六道仙人のトラップ」と呼んでおりまするが…。

毒である「天照」(ON)を「炎遁」が制御するように「千手のチャクラ」が「九尾」を鎮める…解毒剤(OFF)のように機能するシーケンスをイメージしています。「ナルトは何故、過呼吸に陥ったのか?」ナル×ジャンパクリ疑惑で書いたんだけど、九尾にとって「うちはと千手のチャクラ」が交感神経と副交感神経の関係に似てて、頑張る神経(うちは)と頑張らない神経(千手)が交互に補完し合って人体のバランスが取られる摂理に非常に似ています。元はと言えば二つは一つだった訳ですから、自分を真っ二つにして次世代に託す六道仙人の選択は恣意的に混沌を遺そうとしたようでもあり、その選択が忍界の不安定な土壌を造り出していた訳です。

トビがダンゾウの継ぎ接ぎだらけの身体を見て「うちは+千手=九尾のコントロール」を連想したのにはうちはの攻撃的なチャクラと千手の鎮めのチャクラが渾然一体となった姿を垣間見たからで、極めて歪ではありましたが、両者が憎み合いながらも愛し合う不条理を具現化する涙ぐましい努力に見えたのかも知れません。そして、それがダンゾウと大蛇丸の限界だった…と、僕はふと思い当たるのです。ぶっちゃけ、美しくないじゃない…ダンゾウの身体って。それは「自然」ではないという事です。余りにも「不自然」だという事です。そこにトビがダンゾウの目的を「九尾」に限定した理由があったのでしょう。

「…そうだな…
しいて言うなら…」(トビ)

「完全体になる事か…」(トビ)

件のトビの半落ちでその兆候は既に示されていました(第49巻/182頁)。トビは「十尾」人柱力に成る意向がある事も「宣戦」(ep467)で高らかに宣言されています。その為に「うちはと千手」の力が必要になる筈です。トビの見立て通り、ダンゾウの手法は間違いではなかったのだと思います…が、コントロールする相手が「十尾」ともなれば、フルスペックの六道仙人に匹敵する筐体が必要になるでしょう。恐らく、それがナルトを泳がせ、サスケの瞳力を鍛えさせる…そこに最終的なトビの目的が隠れているのだと思います。ぶっちゃけ、トビはうちはのサスケと千手のナルト両方が欲しい訳です。うちはの力と千手の力…を「形骸化した存在」うちはマダラを担(かつ)ぐ…トビが狙っているのです…(多分)。


 

第479話「イザナギ」(前編・イザナギ解説編) | BLOG TOP | サスケの幻術は何故、塩っぱいのか?

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