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大蛇丸は何故、グレてしまったのか?

 
<グシュ>「ハァ」「ハァ」「ハァ」

「大蛇丸様…早くお薬を!!」と言いながら薬を差し出す部下を、腕の痛みに苦しむ大蛇丸は殺してしまいます(17巻/176頁)。三代目の屍鬼封尽の呪いは想像以上に厳しく、「…この腕の焼ける様な痛み………ここまでの苦しみだとはね…」と大蛇丸も耐えかねるような痛みだったようですが、大蛇丸は理由もなく面白半分に自分の部下を殺すような人間ではないと思います。この時、腕の痛み以外に我慢ならない理由が大蛇丸には、きっとあったんです。それと似たような事が、サスケ奪還編の終盤でもありました。

「カブト…
ガキをあやすような物言いは止めなさい…」

サスケの到着を待ちわびる大蛇丸をなだめるような言葉を投げかけたカブトを大蛇丸は叱っています(24巻/177頁)。相手がもし、カブトでなかったら確実に殺していたでしょう。そもそも大蛇丸は他者から、慰められたり、哀れまれたりするのが我慢ならない性格なのです。最悪だったのは、木の葉崩しに失敗した直後。アジトに逃げ帰った時の大蛇丸とカブトとの会話にあります。

「私を慰めるような台詞は止めなさい…
殺すわよ……」

三代目と木の葉崩しで闘い、三代目を倒すも自らの両手を屍鬼封尽で奪われ、全ての術を奪われた大蛇丸をカブトが慰めた時の台詞です(16巻/94頁)。この時の顔が一番ヤバいです(笑)。カブトも一瞬、凍りました(笑)。腕が痛いのもあるし、術を失った後悔もある。その痛手を腹心の部下とは言え、他者に慰められたのが大蛇丸には我慢ならなかったのです。この時、大蛇丸はホントに殺そうと思っていたと感じました。それと、対照的な大蛇丸の回想が残されています。サスケとの対決の終盤の回想です。

若き日の三代目と幼き大蛇丸が大蛇丸の両親の墓参をした時、大蛇丸は白蛇の抜け殻を見つけます(38巻/99頁)。自来也、綱手、大蛇丸はアカデミーを6歳で卒業。直ぐに猿飛に師事しています。この時、猿飛24歳。恐らく、その直後の墓参ではないかと、僕は考えています。大蛇丸の両親も忍で、忍界大戦で活躍していたのでしょうが、不幸にも戦死してしまった。大蛇丸も独りぼっちになったと思われます。幼くして両親を無くし、どんなに大天才の大蛇丸と言えども、やはり子供。寂しくないはずがありません。

「この墓で見つけたのも何かの因縁
お前の両親もどこかで生まれ変わってるかもしれないのォ…
いつかまた…
大きくなったお前と会うために」

大蛇丸が白蛇の抜け殻を両親の墓前で見つけます。きっと猿飛は大蛇丸を慰めるつもりで言ったんでしょうが、「…それっていつだろ…?」と、子供らしく反応しています。この時、猿飛と言葉を交わす大蛇丸は歳相応の子供のようでありました。ありもしないような気休めにもにた絵空事を猿飛は言っていた。その「子供をあやすような」猿飛の言葉に大蛇丸は酔いしれているようでもありました。猿飛に対して、子供としての大蛇丸が曝け出されていた瞬間でした。

「幸運と再生…」

この時、その一身で最愛の両親の死を受け止めている最中なのですから、泣きじゃくっていてもおかしくない。そんな時に慰めの言葉を受けながら、猿飛の言葉は心地よく聞き入れているのです。気分を害するでもなく、黙り込むでもなく…。猿飛はこの後、三代目・火影に抜擢される忍ですから、強く賢い人物であったろうし、きっと尊敬できる人物であったのだと思います。大蛇丸にとっては猿飛こそが亡き父の生まれ変わりにすら思えていたんではないでしょうか。大蛇丸は錯角にも似た期待をこの時感じていたのかも知れません。

一方、猿飛は大蛇丸をどんな風に見ていたのでしょうか?

「猿飛先生は
いつも大蛇丸 大蛇丸って
うっせーよ!」

と、幼き自来也も苦言を呈していました(16巻/84頁)。逆にこう言う風にストレートに気持ちを伝えられる自来也だからこそ、心の距離が近く保てたんですが…。しかも、猿飛も憤慨するでもなく耳を貸しています。その雰囲気は仲の良い親子…と言うよりは「親友」のようです。でも、自来也は自来也で大蛇丸との対比に悩んでいたんですね。しかし、能力面においては大蛇丸は他の二人に大きく水をあける「逸材」であったのは確かで、それは自来也のこの「苦言」からも充分に窺い知れます。猿飛も大蛇丸を特別視していた。逆に、自来也はこんな風に普通に叱っていたんです。

「昔よく三人で三代目のジジィに…」

例の「酒酒屋」の暇乞いで、「まさかあいつが死ぬなんてね…」と言った後、綱手が昔話をしようとした時です(第366話「兄弟」)。自来也はバツが悪かったのか、大蛇丸の事を思い出す綱手を見るのが嫌だったのか、別の話題に振ってポシャったんですが、きっと、猿飛(ジジィ)を三人でからかって、自来也だけが捕まって、懲らしめられたエピソードを持ち出そうとしたのではないかと考えています。綱手の記憶の中でも、大蛇丸は決して叱られなかったのでしょう。その代り自来也はしばしば…叱られてた(汗)。

悪意と野望を秘めた瞳…
そういう素養があったのは…
気付いておった…
気付いていて知らぬふりをしてきた…
まだ 戦乱の時代に強く才能に満ち溢れた天才…
まさしく数十年に一人の逸材だったから…
自分の意志と力を受け継いでくれる存在…
そう思いたかった

大蛇丸の禁術開発の現場を押さえた時、三代目は自分の過ちを回想しています(14巻/85頁)。恐らく、三忍の中で大蛇丸は突出した才能を持っていた。「まさしく数十年に一人の逸材」と、多大な期待を寄せていたに違いありません。しかし、それは大蛇丸の「才能」に対しての期待であって、「人」としての大蛇丸への期待ではなかったのです。猿飛は大蛇丸を「忍」とし評価していたのです。自分の夢、果たせなかった心残り、里の戦力…それらを託すスケープゴート(scapegoat…滝汗)としての存在…。自分の「身替わり…」。それは決して「分身」とは同じではない。

それと、対照的なのが自来也の扱いです。例の演習場の鈴取りゲームで、鈴が取れなかった自来也が罰として丸太に縛り付けられて居残るんですが、「ツナデと大蛇丸は帰ってろ」と猿飛も居残るんです。その時、綱手はニコニコしてこの場を離れますが、大蛇丸は猿飛と柱に縛り付けられた方を、「……フン」と一瞥します。大蛇丸は自来也が羨ましかったんじゃないかな?自分も自来也と同じように猿飛に接してもらいたい!と不満に思ってた……。大蛇丸もそれを猿飛に伝えれば良いんだけど、プライドが邪魔した。悲しいスパイラルです。

「………猿飛先生のスケベ…」

猿飛と自来也は同じ目線で、この関係を楽しんでいるようでした(16巻/84頁)。自来也は大蛇丸ほどの天才は持ち合わせていなかったのでしょうが、努力家で賢い子供だった。猿飛も自来也とは非常にウマが合ったのでしょう。三代目の葬式を前に、想い出の演習場で回想するんですが、その時、自来也はきっと…泣いた…と疑っています。

水たまりに映った自来也の目(斜線でツブしてある)。あれはきっと…泣いてたな…(16巻/85頁)。それはそうと、オビトのお墓って、自来也達の演習場の直ぐ近くだったんですね。この時の自来也の気持ちは、カカシがオビトを想う気持ちに似ていたのかも知れません。自来也の「フン」と言うため息。猿飛と自来也は親友か戦友だった…そんな気がしています。

同じように木の葉崩しの三代目の背中を取った大蛇丸も泣きましたよね。「イヤ…眠くてね…あくびをして涙が出ただけですよ………」(14巻/159頁)と、取って付けたような言い訳をしてはいますが、あれは三代目と久しぶりに対面して泣いてしまったんだと思います。大蛇丸にとっては猿飛は親の生まれ変わりのような存在ですから。あの時、流した大蛇丸の涙は自来也が演習場で流した(であろう)涙とちょっと違う味がしたと思っています。大蛇丸も自来也と同じように、猿飛の事が大好きだったんだとは思いますが…。大蛇丸は自来也と違って涙を見せる事ができる人でもあるんです。なんて言うか…とても純粋な存在なんです。

「このくそジジィが!!
何が可笑しい!!」

屍鬼封尽で大蛇丸の両手を一刀両断にし、笑顔で倒れようとする三代目に大蛇丸は怒鳴っています(16巻/50頁)。まるで、不良のバカ息子が親に逆らっているような感じがしませんか。大蛇丸も素直になれなかったのです。こんな風に、もっと早く自分の気持ちを猿飛に投げかけられていたら…。運命は別の方角に転んでいたかも知れない。賢さやプライドの高さが仇になったのかな。何とも可哀想な気がしますね(←「心配なんかしないでよッ」って大蛇丸に怒られそうですけど…笑)。三代目が微笑んでいるのは、大蛇丸を殺さないで済んだからではないかと、僕は考えています。腕だけで済んで良かった…と。人はそんなに都合良く変わるなんてできませんから…。

大蛇丸は三代目火影の後任に立候補しています。恐らく、自薦だったでしょうが、その「邪悪さ」を理由に三代目が却下しています。この時、三代目は自分の後任には自来也を望んでいた筈です。四代目火影の選抜は忍界大戦の終結の頃(九尾事件の少し前)ですから、自来也も(既に「三忍」と呼ばれている)30歳代後半に達していたでしょうし、不断の努力の末、大蛇丸との差も埋まって来たものと思われます。今の自来也から判断するに、人望や人間性も「火影」の器であった事でしょう。

「火影になるべきは
本来お前だったということだ
三代目はずっと次の火影をお前に…」

居酒屋で綱手が三代目の気持ちを思い出しています(第366話「兄弟」)。「ワシはそんなガラじゃない。自由気ままが性に…」と自来也は謙遜しますが、恐らく、ありとあらゆる理由を見つけだして固辞したのでしょう(笑)。この頃、綱手は「縄樹→ダン」の死を経て抜け殻状態の筈ですから、三代目は綱手の見舞いがてら自分の心中を吐露していたのかも知れません。綱手は猿飛が話す自来也の自慢話を聞かされていたとか…。それは親友の四方山話か何かで、綱手もそれに癒されていたのかも知れませんね。

波風ミナトが三代目の目に止まったのはかなり早い時期であったものと思われます。大戦でも「木の葉の黄色い閃光」と恐れられ、一人で戦局を左右させるような「力」を持った存在でありました。しかも、自来也の愛弟子。文句の付けようもないくらいの男前の好青年です。誰もが納得するような傑物であったのは周知の通りです。

「いやミナトは
十年に一度の逸材だ
あれほどの天才は生まれてこん

優しい男だったが根性は筋金入り
瞬く間に四代目になった」

これは大蛇丸にとっても予想外の展開だったんではないでしょうか(第367話「イタチとサスケ」)。しかし、その品格や才能に関しては大蛇丸も認めたと思います。大蛇丸も本物ですから、本物には本物が認識できるものです。もしかしたら、この時点で大蛇丸より強かったかも知れないし。案外、すんなり大蛇丸も四代目・火影を諦めざるを得なかったんではないかと考えています。しかし、自分の代わりが見つかってあっさりと掌を返すような三代目の行動は大蛇丸には非情に映ったことでしょう。それは裏切りに近い。大蛇丸の落胆ぶりは想像に難くないです。

猿飛は大蛇丸を腫れ物に触るように扱って来たから、叱責する事もなかったのでしょう。大蛇丸も如才なかった筈ですし。当然、大蛇丸の道徳観や倫理観に欠けるような行いにも目を瞑って来た事でしょうから、大蛇丸に善悪の概念が希薄になってしまったのも理解できます。子供は家庭の中で道徳や倫理、それ以前に存在する「思いやり」や「優しさ」と言うものを獲得する必要がありますが、それに対するケアは圧倒的に不足していました。

もっとも、大蛇丸程の人格ですから、たとえ子供と言えども、自分のしている事がどんなにいけない事か解っていたかも知れません。解った上で続けた。一つは「素養」があった。それ以上に「興味」があったのでしょう。大蛇丸は探究心の塊みたいな存在ですから…。これは猿飛の後悔のパターン酷似しています。

つまり、年下で(自分より)男前のミナトが自分を差し置いて四代目・火影になった事よりも何よりも、悪に手を染めている自分を何故、三代目は叱ってくれなかったのか?何故、間違った事をしているのに止めてくれなかったのか?大蛇丸は三代目に咎めて欲しかったのではないでしょうか?だって、もし、自分の本当のお父さんなら叱ってくれた筈なんですから…。自来也は叱るのに、何故、自分は叱ってくれなかったの?と言うところにあるのだと。猿飛に怒られたり心配されたりするのは全然嫌じゃなかった。むしろ、嬉しかったのに…。

「猿飛…お前…」(しかし 殺せなかった…)

猿猴王・猿魔は大蛇丸を殺せたのに殺さなかった三代目の心の動きに気付いていました(14巻/87頁)。この時、大蛇丸も一目散に逃げるのではなく、出口のところで立ち止まって三代目を見ています。最後まで自分を止めてくれなかった三代目に物足りなさを感じているように僕には見えました。この時も大蛇丸は叱って欲しかったんだと思います。自分を殺してでも止めて欲しかったんだと思います。「自分の子供だったら叱るだろうに…どうせアタシなんかッ…!!」(それに、オカマだしッ!!…笑)と言う切ない横顔に見えてなりませんでした。この一件を機に大蛇丸は木の葉を抜けてしまいます。そしてこれが、大蛇丸を更生させるラストチャンスであったと、僕は考えています。

そこで、チョチョイと呪印のお力を借りまして妄想を…ズズズズズズッ………。





猿飛は子育てが滅茶苦茶、嫌いだった!!

実子のアスマを見れば解ります(笑)。アスマの場合は猿飛を自ら見限って離れたんです。それは、賢明な選択でした。だから、ちゃんとした大人になれたんです。そう言う、自発的な「父子分離」もあるのです。逆に猿飛は父親よりも個人(男、仕事、職責…)に傾倒する…家庭を顧みない人だったんじゃないかと想像しています。家にもあまり居ない人だったんでしょうね。アスマは寂しかったんだろうな…。今度こそは…とかなんとか思いながら…たまに帰って来たと思ったら口煩かったり…。

アスマが三代目の墓標に話し掛けるシーンがあります(35巻/95頁)。作品中で息子として話し掛けるのはここだけじゃないかな…。中忍試験の申告の時に宣誓しているけど、紋切り型の言葉。師として、小隊長として言葉を発しているだけです。

「アンタはちゃんと
里長としての役目を果たした」

墓前に今まで吸っていた煙草を線香代わりに置きます。アスマは父親である三代目の「社会人」としての生き方を賞賛しています。「かっこいい父親(オヤジ)だったよ…」とは、子供として見た父ではなく、一人の社会人(忍)として俯瞰した「血の繋がった親」としての外面(そとづら)を言っているのだと、僕は感じました。他人が見た「父親」像です。

この時、既に紅のお腹の中には自分の子が居ました。その上で、アスマは自分が捨て駒になってでも「玉」を守る決意をした直後でした。あんなに嫌っていた「父親」と同じ事を自分も選択した。父・猿飛を嫌悪すらしていた自分が、今、同じ事をしようとしている。子供の頃、自分が味わった寂しさを今度が自分が与えてしまう事になろうとは…。

「…今ならアンタの言ってた事も
少しは分かる気がするよ」

これはアスマの言い訳でもあるのです。運命とは残酷なもので、自分が嫌いなものに似てたり、行きたくない方向に得てして進んでしまう。人は自分の考えすら自由にはならないくらい不自由な生き物なのです。人は人生と言う激流の中で翻弄される木の葉にも似て無力なのです。でも、その中で「もがく者」のみが、向きたい方向を向けるものだとも思いますが…。

猿飛は優秀な忍ではありましたが、子育ての方はカラッキシ駄目だったんだと思います。きっと、父親と言う役目に向いてなかった。もしかしたら、親がちゃんと居た(だろう)自来也や綱手には自然に接する事ができるのに、孤児だった大蛇丸だと何だか緊張してしまったとか。自分が親として子供を育てるイメージが持てない人だったんではないでしょうか。親として在る責任を面倒臭く感じる。そして、仕事に逃げてしまった…。

大蛇丸の最大の不幸は幼くして両親を亡くしてしまった事でしたが、止めを刺したのは、親としての能力が圧倒的に不足した猿飛に師事し、尊敬してしまったところにあると思います。そして、もう得られる筈もない、親の愛情を猿飛に期待してしまった…。猿飛は大蛇丸の両親の墓前で、口先だけで優しい言葉でも掛けてしまったんではないでしょうか。慰めようと言う善意だったとは思いますが、大蛇丸が勘違いしてしまうような素振りを見せてしまったんでは…。あの白蛇の回想で…。

一方、大蛇丸と自来也。

二人の関係はどうだったっでしょうか。

第一部終了間際、ナルトがサスケの奪還に失敗し、木の葉病院で怪我の治療に入院しているところに自来也が見舞いに来ます。そこで、サスケを止めようとするナルトをかつての自分と大蛇丸に重ね合わせる回想があります(27巻/38頁)。カカシが皮肉っぽく「かつてのアナタと大蛇丸みたいな関係ですかね」(20巻/99頁)と言った通り、終末の谷での衝突を思わせる激闘が、自来也と大蛇丸にもあったようです。きっと、三代目と猿魔が取り逃がした大蛇丸の追撃戦を自来也が受け持ったとこら辺りでしょう。

「オレ達は"三忍"と呼ばれ…
ガキの頃からの同志じゃなかったのか!?」

自来也・大蛇丸・綱手の三人は半世紀に渡る幼馴染みです。山椒魚の半蔵が闘いの中で認め、残した命。「三忍」と言う証。死線をかいくぐって来た心の繋がり…。その中で、子供の頃から自来也は大蛇丸を意識して来ただろうし、憧れもした。目標ですらあった…そして、大切な友だちであった事でしょう。ナルトが「必死」にサスケを止めたように、自来也も大蛇丸を止めようとしていたのです。

「どこまでもめでたい奴ね
自来也
何をするにも考えが足りない
そんなんだから
私のやっていた事にも気が付かなかったのよ…」

大蛇丸は自来也を責めます(27巻/38頁)。大蛇丸の事ですから、自来也がどんな風に考え、この場で大蛇丸に対峙しているのかは全て認識していることでしょう。しかし、自来也は大蛇丸の本心には気付いていない。「考えが足りない」とは、そう言う事です。これは猿飛にも言える事でしたが、鈍いところが二人はそっくりでした。決して大蛇丸からは言い出せる筈もないのだから…。賢さやプライドが邪魔をするから…。だから、二人には本心を解って欲しかったのだと…。これは大蛇丸の酷く我侭な恨み節でもあったのです。

「バカにも程がある」

大蛇丸の自来也との惜別の言葉です(27巻/39頁)。人の考えは伝わり難いものです。大蛇丸は非常に賢かったから、自分の周りの人間の理解力の低さには辟易としてたんじゃないでしょうか。それは猿飛にしても、自来也にしても代わりはなかった。最早、諦めるしかない。もうグレるしかない!!グレてやるッ!!(笑)自来也…どうして解ってくれないのッ!!

非常に余談ですが…。自来也はナルトの見舞いに来て、サスケを諦めるように説得しようとするんですが、ナルトの「賢いってのがそういうことなら…オレは一生バカでいい…」と言う眩しい言葉に、「バカ」の真意を逆に教えられます。この時の自来也の「じゃあの………」の何とも言えない表情(27巻/45頁)。もしかしたら、自来也はこの時、大蛇丸の苛立ちの真意にも気付いたんじゃないか…。それをこの表情が物語ってるんじゃないか…と疑っています。

ナルトは中忍試験の時も「もし一生、下忍になったって…意地でも火影になるから別にいいってばよ!!!」と言い放ちましたね(4巻/139頁)。ナルトはタロットカードの「0」。「愚者」(The fool)…なのではないでしょうか。そして、もしかしたら、「愚者」こそ、「愚者」になれる者こそ、人生を切り開けるのではないか?と、僕は思います。他者の運命すら左右してしまえるくらいの影響力の根源ではないかと…。そして、この姿こそナルトの魅力なのだと思っているのです。


ここで、また…ズズズズズズッと…(いっそにして下さい…笑)。




大蛇丸は自来也に恋していた!!

自分にはない、おおらかな空気。大蛇丸であればそれに気付けたと思います。自来也の、太陽のような笑顔。海風のように心地良い笑い声。大地のように果てしない大きさ…。大蛇丸は自来也を自然に愛してしまったのだと、僕は考えています。

自来也が猿飛とウマが合ったのは、自来也の人間的な魅力が大きかったと思います。また、自来也は三代目と似ていました。いろんなところがそっくりでした。中でも「鈍い」ところが…。これが大蛇丸にとっては一番不幸な類似点でした。悲しいかな、大蛇丸は自分の好きな二人には尽く理解されない…悲しいループの中を彷徨っていたのです。

螺旋丸を会得したナルトはカブトを打破するも、自らも瀕死の重傷を負います。それを、血のPTSDを乗り越えた綱手が医療忍術で回復に当たります。そこに大蛇丸が割り込んで来て、間違えて綱手を草薙で貫いてしまった時の事です(19巻/129頁)。

「綱手……
アンタだけは殺す気なかったのに…」

綱手は大蛇丸に恋していました。愛していました。綱手の事ですから、特に解り易かったと思います。三忍と猿飛(三代目)は大蛇丸の中でも別格。その中で、綱手だけは殺すつもりはなかったと言う大蛇丸。何故なら、綱手だけが大蛇丸の本心を理解していたからです。それを勿論、大蛇丸も理解していたのです。綱手は大蛇丸は自分が何とかしようと考えていたのでしょうが、残念ながら、大蛇丸の気持ちが自分にはなかった…それは大蛇丸が自来也を愛していたからです。

かつて、綱手は大勢の前で「ド変態」と大蛇丸の事を例えています。あれは、美しい異性(女)である筈の自分ではなく、むくつけき同性(男)の自来也に心を奪われた大蛇丸への痛烈な批判であり、「女」としての自尊心をかつて傷付けられた事へのささやかな反攻だったのです。また、大蛇丸が里を出た事で、自来也がその見張り役になった。それを大蛇丸が喜んでいる事も綱手は感じ取っていたと思われます。それに対するジェラシーもあったでしょう。

蝦蟇・蛞蝓・蟒蛇…「蝦蟇」が「蛞蝓」を食べると、その後、「蟒蛇」に食われてしまうから、「蛞蝓」を食べられない、このため、三者とも身動きがとれない。つまり、微妙な位置関係と互いの距離によってバランスされている…これが「三竦み」の関係です。そんなに近くに居るんだから、憎む事もあろう。愛する事もあるだろう。しかして、遠く離れらてしまえば成立しない関係…。それは、離れられない絆…「三忍」の意味……自来也→綱手→大蛇丸→自来也……今にして思えば、それぞれの「恋」の関係も「三竦み」だったんじゃないかと、切ない想像が胸の奥からワラワラと這い出して来る…まったく…大蛇丸の意地っ張り!!と呟きながら、同時に確かに僕の心の底に居座(いすわ)る…

大蛇丸への好意を、僕は感じてしまうのです。


写輪眼と九尾の「接点」を考える! | BLOG TOP | 第370話「胸騒ぎ」

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