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第369話「ペインについて」

 
「…西の一番高い塔にペイン様は居らっしゃる…と言われている」

自来也の拷問はスルーします(笑)。自来也も問い返していましたが、「"言われてる"っていうのは…」程度の情報しか持っていなかった。結局、何も判らなかったと言う事です。良い歳(に見える)ぶっこいた下忍ですから相応の吐き方なんでしょうし、これは自来也の人間性に呼応した「人」の反応ともとれます。人には「心」がある。ただ息をして、食物を食べ、水を飲むだけが生きる事ではないと思います。「心」が感じる人間の「生」があるのです。表面的な描写はコミカルに描かれていますが、深層には自来也の高度な幻術が仕込まれているのかも知れません。でも、「ゲロゲーロ」と蛙に変えられた(プッ…)下忍。元に戻してあげて下さいね(笑)。

「風魔一族の血を引くと言われているが、誰も彼の顔を良く知らないし、
実際には存在しないんじゃないかと噂する者さえいる」

風魔一族って、アニナルの「田の国編」(136話 - 141話)で「ふうま」ですけど登場してる筈です。何故だか、ちょこっと観てました。蜉蝣みたいになったヤツですよね。追い剥ぎとかやってるヤツもいたような。アニナルと本編のリンクに関しては意見が別れるし、同じである必要もありませんけど…。でも、そしたら「風魔ペイン」と言う名前なのかな?血継限界の存在も微かながら感じますね。しかし、この下忍、良く喋る…(笑)。

「この街ではペイン様は神と同じだ」

「全て代理者を…」とあるようにペインの存在に関しては徹底した情報管制下にあると言う事なのでしょう。何だか良く判らないけど凄い…と言う「神格化」は絶対的な指導者(君主)のありがちな作られ方ではある。「…誰もがペインの名を口にし崇めていたぞ」と自来也が言うように雨隠れは強固な人心の掌握がなっているようです。それに、顔すら知られないのに、あがめ奉られる…という事は、相当、偉大な行いを示して得いる事になります。

「雨隠れを潰した…たった一人でな」

おしゃべりの下忍の証言によれば、雨隠れの「内戦は収まった」ようです。しかも、ペインが一人で雨隠れをやっつけたとも。これを聞いた時の自来也の「信じられん…」の驚きは大きかった。「"山椒魚の半蔵"として忍の世界では知らぬ者などいない男だぞ…!」と、自来也が言うにはそれなりの理由があるんです。そして、その半蔵をペイン一人で片付けたと言う情報。この驚きが自来也の回想に傾れ込みます。

恐らく、忍界大戦の最中、大蛇丸、自来也、綱手の三人が20代…つまり、30年ほど遡ったエピソードでしょう。激しい雨。辺りのは無数に傷付き倒れた忍たち。そこに、綱手の肩を借りやっとのところで立っている自来也。大蛇丸もかなり弱っているようです。それを、大きな山椒魚(口寄せ動物?)の上から見下ろす半蔵。

「この戦い…おそらく木の葉隠れの勝利だ。
お前たちは生かしておいてやろう」

戦争の大勢としては木の葉勝利なんでしょうが、この「戦域」は半蔵が支配していたのでしょう。多分、この場面は半蔵の大技が炸裂して木の葉の勢力が一掃された直後。綱手が自来也に肩を貸しているのは、その大技から綱手を自来也が身を呈して庇ったのではないでしょうか。自来也は綱手が大好きでしたから、どんな状況においても綱手を意識していた筈です。自来也はこの時、相当な深手を負ったのかも知れません。それでも自分はどうなろうと、綱手だけは守りたかったんだと思います。でも、「情けは要らねー!まだまだ戦える!!」と息巻く若き日の自来也は、何だかナルトに似てますね。

「お前たち三人は強い……
そして、ここでさえも生き残った…」

半蔵は渾身の大技を繰り出した。その上で生き残った三人を賞賛しているのです。たとえそれが殺しあいであろうと、お互いの「生」を認め合う闘いには意味があるのだと思います。「心」のある人間の闘いとは常にかくあるものです。半蔵もその強さをただ享受していたわけではなく弛まない努力と精進があったはずですし、それを成した人生があったからこそ、この若い三人の木の葉の忍の「生」の意味を感じ取れたんだと思います。お互いに「心」があったからこそ、闘いの中で確かな「共感」が得られたのだと思います。

「これよりお前たちを"木の葉の三忍"と呼び称えよう」

「三忍」と命名したのは半蔵だったんですね。もっとも、これは半蔵のブラフ(はったり)で、大技を出してしまってチャクラ切れだし、傷付いているとは言え、自分の渾身の大技を防ぎ切った三人の優秀な忍を相手にするのは、正直、キツイと思ったのかも知れません。殺れるにしても手傷を負う損得勘定があったのかも知れません。「命の代償にそれぞれの名を名乗れ」と言う半蔵が内心、ドキドキしてるのも可愛くて面白いなとも思いますが…。雨で判らないだけで、ホントは冷や汗タラタラとか…ね(笑)。

しかし、口寄せであろう山椒魚も健在だし、半蔵の眼光も鋭い(余談ですが、半蔵の「眼」は角都っぽいですね)。描写的には余力を残しているようでもあります。台詞の流れを見ても、戦況を考慮し、大勢が判明している以上、これ以上の流血を「無益」と判断しての問答であると感じます。やはり、これは「心」のある闘いだったと思います。三人もそれを感じ取っているようでした。

ところで「三忍」と言う呼称を自来也たちが吹聴するような厚顔無恥ではないはずですから、半蔵が積極的に、その知名度と影響力でアナウンスしたんではないでしょうか。きっと、そこには自分が示した「心」を忘れる事なく、しっかりと「生」を感じて欲しいと言う願いがあったのかも知れません。自来也たちも「三忍」と言う言葉に深い意味を感じながら生きて来たのでしょう。ある意味、「三忍」を自分に対して使う時は「蔑称」ですらあったのかも知れません。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)と言うヤツですね。

ここで、第366話「兄弟」で、綱手と自来也が居酒屋・酒酒屋でしっぽりと酌み交わした時の会話が蘇って来ました。単身、雨隠れに潜入捜査を申し出た自来也を綱手が止めようとした時の会話です。自来也と綱手の深いつながりを考えるにあたっては実に味わい深い伏線であると感じる会話です。

「ワシは木の葉の三忍だぞ。お前もその意味は知ってるだろ?」

この時は良く判らなかったんですが、綱手が「………」と言葉に詰まった後、目線を右下に追いやり「悪いな…いつも損な役回りを押し付けて」と謝罪していました。綱手はあの時、この山椒魚の半蔵との闘いで、自来也が綱手を庇い、自分の代わりに深手を負った事を思い出していたのでしょう。同時に、どんな時も自分に注がれていたであろう、自来也の暖かな視線(嫌らしい視線も含む…笑)も思い出していた。綱手はどんな時も気遣ってくれた自来也の存在を、ここに来て強く感じていたのです。


つまり、それ程、熾烈な戦いであったと。半蔵とはそれ程、大した忍であったと…。その死線を潜り抜けた三忍。それを見下ろした「山椒魚の半蔵」。壮絶な過去を踏まえた上で、その大いなる忍が用心深く護身しているにも関わらず、たった一人で打倒したペイン。これが力関係の対比であるのだとしったら、ペインって「どんだけ」強いか判らない!と言う事になります。自来也の死亡フラグが一段と強固になったと言う事なのでしょうか。何か辛いなぁ。心が痛いです。

「本当に恐ろしいのは、その容赦無い強い刃の心」

己の理想を脅かす不安分子は徹底的に潰した…倒したのは半蔵だけじゃない。その両親と妻子を殺め、離れた親類や友。その赤子にさえ手をかけた…そして、その住処を焼き払い繋がりのあった里の依頼主たちまで全て殺して…全てを無にした…とおぞましい話をします。「心」の上に「刃」を置くのか、「刃」の「心」にするかで、「忍」と言う言葉は、丸っきり正反対の解釈になって仕舞うんですね。これを、先の三忍と半蔵の回想に対比することで一層際立ってきます。

「裁きだ…まさに神のようじゃないか?」

これを僕はよく喋る下忍の言葉だと受け取りました。ペインの所行を「神」と言って仕舞える考えは危ないと感じました。これは信仰に近い。確かに何もかも投げ出して縋り着く事で楽になる「幸せ」もあるのだろうけど、それは何かを放棄しているともとれます。人が「人」として生きる上で、判断するのは自分自身である事が重要であると思います。そして、大切な事は「心」が決めるべきだと、僕は思います。それを放棄してしまうのは危険な事だと思います。

一方、ペイン。何だか怪しい入り口から薄暗い部屋に入って行きます。寝室のようですが、サンダルも脱がずに、ペイン、アナタ!眠ると言うんですか!!(笑)ベッドの下側に「壱」と書いてあるのが気になったんですが、次の最終頁の見開きで「ドンッ!!」「暁」のマントを着た人形(ひとがた)が「壱」「弐」「参」「四」「五」「六」と六体。一瞬、ここが「暁」の寮か何かなのかな?とも思いましたが、特に「六」の体型は「暁」の誰とも結びつかないし、小南もここに居るはずがない。どう見てもゼツも居そうもないし…(笑)。しかし、6人が横たわっている。

ペインが静かに瞳を閉じて眠りに就いたようです。と、思ったら<パチ>と目を醒ましました。もしかしたら、この六体の全てがペインであるのではないか?!と、僕は考えました。ベットらしき匡体のバイザー(覆い)の上部から何本もチューブが延びるさながら、パソコンのUSBに繋がるデバイスのようでもあります。僕らが知るペインが眠りに落ち、別の一体が覚醒した。そんな描写だと感じました。

つまり、ペインの中身が移動したのか?それとも、何かの情報なりエネルギーを注入したのか?もしかしたら、目的に応じて身体を変更するシステムなのかも知れません。「六体」と言う数字も、これまで「暁」が集めた尾獣の数と符合しますね。このペイン(人柱力)を作るのが「暁」のホントの目的であったりして。でも、それだとベット(らしき)デバイスは「九」までないとおかしいか…。

「善と悪」で考えると「NARUTO-ナルト-」は見え難いです。何故なら、「善悪」と言う概念が「相対」であり「絶対」ではないからです。「善悪」のどちらにも戦いに至る「意味」がある筈ですから。そして、それを決するのは「心」であるべきと、僕は考えています。最近、漠然と思ってはいたんですが、もし、戦うべき絶対的な「悪」が存在するとしたら、それは「心なき存在」ではないでしょうか?「心」を否定する考えは人の「生」を否定するのと同義です。そこにはきっと何もない。それは、虚空そのものです。初めと終わりの戦い。「0」と「1」。ある意味、これは宇宙の成り立ちそのもののようであります。

「さて…侵入者を狩るか」

見開いた瞳は、あの独特な瞳の紋様でした。ペインのあたかも電脳の部品の一つのような描写に薄ら寒い戦慄を感じます。この無表情に「心」のない「痛さ」(ペイン)を感じてなりません。大した情報はないようだし、自来也……今の内に木の葉に帰ったら…。でも、逃げ出す前に、蛙に変えた下忍を元に戻すの忘れないように…ね。「ゲロゲーロ」(笑)。

大蛇丸の「九尾事件」への関与と「暁」の臭い | BLOG TOP | カカシとイタチの万華鏡写輪眼の差分解釈

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