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「悋気」(後編)(愛について)


「悋気」(前編)の続き…。

ナルトがサスケにギトギトしたり、サスケがダンゾウの示すイタチの深層への理解にソワソワしたりするのに、僕は鼻をクンクンしてる訳です(笑)。その機微は決してカッコ良くもなく華々しくもない。ギトギトの脂ギッシュでガツガツしててはしたなく汚らしい。しかし、見るに堪えない…ってのではなくて、何気に色っぽくて、そこはかと無く美しい。僕はちょっと卑しくて、ちょっと品のない人の心の汚らしい部分が好きな人なんではないかと思います。そして、その汚らしさが何故だか大蛇丸周辺に多量に沈殿してる…。その意味を考えると、僕がギトギトとかソワソワとか形容する「汚らしさ」に幾許の嫌悪感も感じず、寧ろどうしようもなく…愛してしまう「人の心」が見えて来るのではないかと、期待しながらこの考察を書いています。

愛しい汚らしさ…が人には在ると思うのです。


「………
何を企んでる?」(トビ)

「…別に何も…
ボクの興味は忍術の純粋な真理
」(カブト)

「その探求のためには
サスケくんが必要なだけ
生きた若くて繊細な
うちはの人間が欲しい」(カブト)

それで、何でこんなお話に食い付いたのか…ってところから話すと、カブト(カブチ丸)がトビに口寄せ・穢土転生で交渉したシーン…第490話「九尾の真実!!」(100412追記…キラビ)のカブトの一言…否…語尾の「ィ」の所為(笑)。あの時、「ィ」には皆、食い付きましたよね。僕はカブトに大蛇丸を強く感じました。しかし、それがカブトを埋め尽くした大蛇丸なのか、カブトが完璧に理解(コントロール)した大蛇丸なのかは断定できませんでした。どっちにしてもこの時の「ィ」は僕が言う「汚らしい気持ち」なんだと思います。サスケが欲しい。「うちは」の若く繊細なカラダ…。でも、待てよ…この気持ちってカブトは持ってなかったな…と、ふと思い当たる訳。カブトはこんな風にサスケを感じてはいなかった…ですよね。

第一部の中忍試験の行…大蛇丸とカブトがしっぽりと木ノ葉の某所で密会したシーンで、大蛇丸は確かにカブトを計りかねていました。大蛇丸がカブトを「腹心の部下」と位置付けるのは強ちリップサービスではなくて、ある程度の依存が存在していたのかも知れません。大蛇丸は全く何も与えないで欲しがる人では無くて、大切な何かをちゃんと与える人だと思うんですね。それが大蛇丸のカリスマを強固にしてる訳で、大蛇丸がカブトにある程度依存する事には意味があった…。それが狙ったあざといやり口ではなくて極めて天然なのが、僕が考える大蛇丸像にはしっくり来るんですが、実際どうなのか判別し難いです。ま、ちょっとやそっとじゃ解らない人で良いんです。だから大蛇丸は可愛く素敵なのだと思います。


「早く私色に染めないとねェ…」(大蛇丸)

<ゾッ>(カブト)

「では…」<スッ>(カブト)

「カブト…お前…」(大蛇丸)

「私を止めたいなら………」(大蛇丸)

「今
サスケくんを殺すしかないわよ…」
(大蛇丸)

未だに大蛇丸の言葉の真意が諸説在るあの行…(第10巻/129-130頁)。大蛇丸を「止める」為にサスケを「殺す」って、何?!大蛇丸はカブトに何でこんな事を言ったのか?この闇は深い…深いです。でも、大蛇丸って実は単純明快な人でホントに純粋に全ての忍術を我がモノにしたい…と考える「欲しがりスト」なんだと思うんです。先に示した「ィ」が、サスケの才能に対する汚らしい「欲求」だったと考えてまして、それは「純粋な汚らしさ」であり、それが大蛇丸の生き様とキレイに重なります。つまり、カブトは完全に大蛇丸に乗っ取られた…事になりますが…その真偽は今後の楽しみにとっとくとして、それにカブトがトビとのネゴシエーションで併せ持った冷静さは大蛇丸とはちょっと掛け離れてると、僕は思うんですよ。

ぶっちゃけ、大蛇丸は写輪眼というサスケの「才能」を純粋に愛してたんだと、僕は考えています。大蛇丸はホントに「忍術の真理」を解き明かしたくて、六道仙人の兄系の血統が欲しいが故にサスケにアクセスしただけであって、サスケをちゃんと見て、サスケという人間を愛してた訳じゃないと思うんです。例えば、サスケを本気で愛してたとしたら、如何に恩知らずのサスケでも、あんなに躊躇なく大蛇丸を切り刻むなんて出来ないでしょ。ちなみにサスケの内面は大蛇丸を殺った時とダンゾウが殺られた橋梁でサクラを千鳥で背後から串刺しにしようとした時では全く違ってて、それは香燐が感じるサスケのチャクラの変質が如実に物語ってます。サスケが「殺し」に戸惑わなくなってチャクラが「濃く冷たく」なったのね。


「!!」(カブト)

「お前じゃ私を殺せないでしょ……
強いといっても…カカシと同じ程度じゃねェ…」(大蛇丸)

<ゴク>(カブト)

「フフ…冗談よ…」(大蛇丸)

「さぁ行っていいわよ!
お前を信用してるから…」(大蛇丸)


「………」(カブト)

<ダッ><サッ>(カブト)

(フフ…あの顔…
何を考えてるのやら…)
(大蛇丸)

大蛇丸にとってサスケは「才能」そのもので…その「才能」を殺すしかない事情が当時のカブトにはあった…。大蛇丸を止めたいのなら…大蛇丸が不死転生の術の依憑(よりわら)にサスケを使うのを止めるにはサスケを殺すしかない…そう大蛇丸はカブトに迫っているのです。大蛇丸とカブトの絡みは未だに諸説在る。ココ、非常に難解だと思います。実は大蛇丸自身もカブトの本心に関して断定できるには至ってはおらず、人の業と申しますか、心のドロドロした部分の解析とは難しいものです。でも、一つだけ確かなのは大蛇丸は少なくともカブトのドロドロした心を感じ取ろうとしてるところだと思うんです。カブトとの駆け引きの中で大蛇丸はカブトの汚らしくドロドロしたところを弄(まさぐ)っているんです(第10巻/130-131頁)。

僕が大蛇丸がこんな風にドロドロが好きなところが堪んないのです。凄く人間っぽいじゃない。人間って誰も皆、欲しがりで汚らしいものです。大蛇丸は人間が本来持つ欲求に従順なだけだと思うんです。そこが凄く純粋で無邪気で意地らしいです。僕が大蛇丸を好きなのって、そこなんだろうと思います。大蛇丸を慕う部下達もきっとそこに食い付いてる自信みたいなものすらあります。大蛇丸に心酔する君麻呂なんて、まさにソレでしょ。だから君麻呂が汚らしくサスケを感じ、残した気持ち。大蛇丸の為のサスケを奪い、届けた行い。君麻呂を心の底から理解していた…君麻呂と唯一無二の親友だった重吾がサスケの忍道を見極める覚悟を持って受け入れたのは、君麻呂の一途な気持ちが愛しかったからだと、僕は考える人なのよ。


<スタ><スタ>「フー…
優秀過ぎるってのも考えものだね…」(カブト)

「ボクらは目立ち過ぎた
大蛇丸様の目に留まったのは
お互い不幸だったかな…」(カブト)

(こんな幼くとも
心には悪魔が巣くっているとはね…
そこを利用され…
いずれはあの忍術でこの子も…)(カブト)

一方、カブトの心持ちに目を移すと…(第10巻/134-135頁)。カブトもドロドロとした汚らしさを放っていて、それがこの時、「同情」に変換されてサスケに向いてたんじゃーないかと、僕は考えています。カブトが大蛇丸の細胞を取り込んで大蛇丸を感じるアイデンティティを選択したのは、「バカなことを…」(byヤマト)なんだけれど、カブトが抱くサスケに対する「同情」とは決して自分に向く事のない…サスケだけが持ち得る権利みたいなもんで、それが「血継限界」という不公平に対する諦めだったんじゃなかと思うんです。その点に関してカブトは大蛇丸とシンクロしてて、ぶっちゃけ似た者同士…二人共、「千手」でも「うちは」でもない単なる凡小な超天才に過ぎなかった…なんだと思います。

カブトが「不幸」というのは大蛇丸と出逢ってしまった事を指してまして、その何たるかはナル×ジャン的には「恋」そのもので、大蛇丸という人に出逢ってしまったが為に奈落に堕ちる「運命」を、カブトは悩ましく思ってるんだと思います。ここで決して悔やんだり悲しんだりはしてないのがポイントで、それをして「恋」とナル×ジャンでは考えてる訳。理屈じゃないので、これはもう自分で体当たりで経験してもらわないと解らないと思います。この辺の知覚に関しては女子の方が何倍もレディネスが高くて、ナル×ジャンにハマった女子ならば「そんなの当たり前だわサ」なんだろうけど、少年少女にはチクとハードルが高いかもね。何でも練習だから恋愛の荒波に是非とも揉まれてみて下さいな(笑)。

傷付いても若い内は治りが速いから…。

ちなみに、カブトがサスケの心に巣くう「悪魔」と呼んでいるのはイタチが植え付けたもので、大蛇丸がした事じゃないと思います。イタチが大蛇丸という「巣」にサスケという「卵」を忍び込ませた…托卵(たくらん)…だけで、大蛇丸はサスケの素性をそのまま伸ばす為に教育なんてしてない筈です。欲しがるものなら何でも与え、術を教え、成長の場を提供した…だけ。サスケのスペックが向上すれば大蛇丸は満足で、そこに「愛」はあったのか?!(滝汗)もし在るとするなら「自己愛」なんじゃねーのか?と、まるで自分を見る様に…僕は大蛇丸の所行を感じてます(笑)。サスケを教化したたのはイタチであって、大蛇丸じゃない。サスケの「力」だけを伸ばしたのはあくまでもイタチが与えた「孤独という闇」なのサ(余談)。

(カブト…)(大蛇丸)

(ひょっとするとホントに…
…サスケくんを殺しちゃうかもね
………)(大蛇丸)

大蛇丸ですら、ちょっとビビるくらいカブトは解り難くて、大蛇丸亡き後の大蛇丸にならん事を、この頃、誰が想像できたでしょうか。そもそも大蛇丸がサスケごときに切り刻まれるなんて「申し合わせ」にしか思えんかったし。サスケも大蛇丸を殺った事は自慢できる戦果(大蛇丸は弱ってた…的な)とはしてないので「含み」はバリバリあると思います。大蛇丸が誰よりも自分を愛する人でなければ、イタチの幸せの王子様的な「情報生命体」の存在意義もあったんだけど、大蛇丸の気質からすれば自分の「欲求」こそが最優先だから、全人的な「愛」に溢れた生き様は想像できません。それよりも、もっとドロドロしたカブトや、天地橋のナルトや、イタチを理解するダンゾウを呪ったサスケの様な…汚らしい生き様が大蛇丸には似合う。

…と言うか、大蛇丸はそれを自らのカリスマに変えてた人だと思うんです。人が最も人らしい…利己的で排他的…自己愛の真骨頂が大蛇丸でしょうよ。でも、大蛇丸は他の何かじゃなくて「自分」に気持ちを向けさせてるんです。大蛇丸の部下は誰もが大蛇丸に心酔する傾向がありましたよね。簡単に言うと、誰もが大蛇丸を愛してた状態。カブトだってそうだと思います。それが大蛇丸です。大蛇丸は愛される事で人をコントロールしてたんです。それが大蛇丸のカリスマだと、僕は考えています。大蛇丸は極めて純粋に生きてるから人の汚らしい…本能的な欲求に訴えるのが上手だったのだと思います。「上手」…といううよりは「天然」と例えるのが合理的。大蛇丸に「人間失格」の血の付いたハンケチは似合わんですよ(笑)。

その真逆がトビだと言えば解って貰えるでしょうか。大蛇丸は人間っぽくて、汚らしくドロドロしています。その波長が大蛇丸に触れるいろんな人の汚らしい部分を刺激してこれまでも物語に大いに関与して来た訳です。少なくとも大蛇丸には「愛」があったと思うんです。大蛇丸は手ゴマの気持ちを自分に向けさせる人ですから。そこがトビとは決定的に違う訳。トビはトビじゃなく誰か他に向けさせてたよね。それが大蛇丸とトビじゃー180度違うのよ。トビは人の心の闇…「憎しみ」を暴走させる手法で人を操ったのであって、そこに「愛」なんてのはないと思います。それに対して大蛇丸はその人の興味を自分に向かせています。大蛇丸は体を張っているのです。生き様として大蛇丸は正々堂々としてると、僕は思うんです。


「お前と会うのは二度目だが
千手の火の意志がお前の中に宿っているのが分かる
今もお前の中に初代火影を見る事ができる
死んでもなおあいつは生き続けている

オレの憧れであり…ライバルであり…
オレの最も憎んだ男」
(トビ)

「………」(トビ)

「千手とうちは
火の意志と憎しみ
ナルトとサスケ…

お前達二人は運命に選ばれた
次の二人になるだろう」
(トビ)

ヤマトの木遁チャクラにはピクリとも反応しないトビが何故だかナルトとサスケにパクリと食い付いてますよね(笑)(第49巻/166頁)。この辺は「トビの溜め息」(第463話「サスケVS雷影!!」補足)に書き尽くしたんですが、トビにも嫌らしい気持ちはあります。しかし、それが自分の欲でなく誰かの為にあるように響いて、トビの人間味が感じられないのです。そのサラサラした感じが大蛇丸と決定的に違うのです。これが、トビにカリスマを感じない理由なんだ…と、僕は考えてまして、トビの描写に絶えず付きまとう物足りなさの正体なんだと考えています。そして、その物足りなさこそ「トビ=マダラ」だとは思わない根拠であり、恐らく「トビ=ラスボス」にはなり得ないとする予想の根拠でもあります。

人は汚らしく卑しい生き物です。しかし、それが嫌だとはこれっぽっちも思わないし、だからこそ人は愛しく可愛いのだと、僕は思います。ナルトがサスケの「名」に激情し、サスケが自分よりもイタチを理解してそうな予感に慌てふためき、大蛇丸がカブトの心の奥底を弄り、トビがナルトの中に今も息衝く千手柱間に憧れと憎しみを漏らした…皆、悩みながら躓きながら生きてるから汚らしい気持ちを垂れ流してしまうのです。でも、それが人間なんだから、恥ずかしいことじゃない。それを感じさせない方が可笑しいです。もっともっと人間味を受け入れて欲しいです。そして、そんな人の可愛らしさ…『NARUTO -ナルト-』のあちこちに描かれる「悋気」に気付ければ、物語の味わいが一層深まって行くことでしょう。

「悋気」(愛について)
ナル×ジャン ケルベロス

りん‐き【悋気】:[名](スル)男女間のことなどでやきもちをやくこと。
嫉妬(しっと)(大辞泉)。


  

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