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「自分」(後編)

 
「僕は……
大蛇丸様が死んでから…
自分が何者か
また分からなくなった……


…………

親も知らず国も知らず敵に拾われ
幼い頃からスパイとして
国や里を転々としていた僕にとって…
国や里といったものは
曖昧な者でしかなかった

大蛇丸様の部下になるまではね…
だがまたいなくなった

自分は一体何者なのか…
アイデンティティーの無いこの苦しみ…

君なら分かってくれるよね…
ナルト君

自分はうずまきナルトなのか…
”九尾”なのか…

かつて君は他人の冷たい視線にさらされ
一体自分が何なのか
分からなくなってたハズだ」(カブト)

「………」(ナルト)

サスケとデイダラがおっ始めそうになるのと並行して、カブトがホラーな独り喋りをしてた行(くだり)…(第39巻/132-133頁)。思えばナル×ジャンが始まって直ぐで、初々しい「感想」を書いてた頃(遠い目)。僕としてはカブトが意気揚々と喋りまくるのを、「馬鹿な事を…」(第39巻/141頁)と門前払いするかのように知覚する描写が好きで、ヤマトは「自分で自分の親になった系」に思えて、激しく感情移入したものでした。「自分で自分の親に…」というのは誤解して受け取る人も居まして、クドクドと説明しようかしらとも考えたんですが、こればっかりは経験者でないと解らない…と諦めました。ま…アレな内容なので…これは「ウン、ウン」と解る人だけにしっかりと感じて貰えれば満足でーす(笑)。

話を戻しまして…カブトは自分のアイデンティティに悩んでる訳です。よーく考えればカブトとヤマトの境遇って凄く似てると思うんですよ。ヤマトだって「自分」を見失ったって仕方ない!!…みたいな陰惨な幼年期を過ごしてる筈なんです。でも、「今」を比べれば雲泥の差。それが何を意味するか…つーと「自分で自分の…」にナル×ジャン的にハマってしまい、解る人だけ解れば良いサ…にループしちゃう訳(笑)。そこに落とし込んじゃって諦めるのも大人げないし、ちょっと補足するなら、ヤマトは「自分」に縋(すが)り、カブトは「他人」に縋った…って事だと思います。具体的には、カブトは大蛇丸にぶら下がる事で辛うじて「自分」を感じられた人なんだと、僕は考えています。

「確かにボクはカカシさんの代理
けどカカシさんとボクは違う

”君達を傷付けやしなーいよ”
…なんて笑って言うのはごめんだよ」(ヤマト)

ちなみにヤマトは…(第33巻/168頁)。きっぱりと「自分」を感じてる人なんです。尊敬する「カカシ先輩」にもぶら下がっておりません(笑)。ま…ナルトとサクラを前に懇々と説教してるシーンでカカシのセリフを吐いちゃったのは、きっと暗部の任務で大ピンチを迎え、その時、一緒に行動していたであろうカカシに優しく励まされたからだと思いますが、その甘酸っぱさを別腹に置いといて、サクッとナルトとサクラに引用できるのがオトナって事で一つ…。しかし、こうでなきゃ「他人」を導くなんてできないです。ケルベロス理論としては心にも慣性があって、ある程度物理法則が適用できまして、「自分」という中心があればこそ回転できる…駒(ジャイロ)のように「自律(自立)」できるのだと考えとります。

それで、「悋気」でも書いたんだけど、大蛇丸は「与える人」であって、それがトビと違うところだと、僕は考えています。しかし、大蛇丸は「(何でも)欲しがる人」でもあって、ここがややこしいと言われそうだけど、欲しがるだけでは得られない事を大蛇丸は知ってたんだな…。これは何にでも通じる要領だと思うんです。例えば種を撒いて水を与えて世話をしないと作物は穫れない。より遠くに跳ぶ為にはより有効な助走が必要だったりするのは、皆さん経験があると思います。それを大蛇丸は天然でしてたんだと思います。だから、カブトが最も欲しがる「居場所」を大蛇丸は与えたんじゃないでしょうか。それをカブトは「愛」だと感じたんだと思います。大蛇丸はその気持ちをコントロールしてたんです。

大蛇丸は自分を好きにさせる名人だったんだと思います。それが大蛇丸の部下からは見て取れます。大蛇丸を好きになるから自分の命を投げ出しても…って子が大勢いましたよね。その傾向を積極的に運用したのが大蛇丸の「悋気」だったと思うんです。でも、「悋気」って男女の間の気持ちだろ…と仰られる方も居まして、だったら何でボーイズなんたらなんてあるんだよ!!と返したくなったんですが(笑)、「魂」「性別」はないけど「役割」の違いがありまして(あっちの方で言いますと「タチとネコ」なんですが…)、大蛇丸のバイセクシャルな気持ちのやり取りは常に「男と女」の色香が漂ってるのです。その「色っぽさ」を感じて貰えれば、大蛇丸の操った「悋気」の意味が解るんじゃーないでしょうか。

サスケ奪還編の君麻呂っちなんて、正にそれでして、あの時は間にカブトが挟まれてましたが、確かに「悋気」が既に死んでいた君麻呂の身体を衝き動かしてたと思います。あの時のカブトの嫌らしさといったら…明らかに確信犯で、その意味でカブトは大蛇丸の手練手管には気付いてるでしょう。それでも、大蛇丸が生きてれば従ってしまう…それって「恋」の成せるワザなんだと、僕は確信する人なので(笑)。カブトは大蛇丸が生きてれば「自分」を与えられてるんだから迷わないんです。そして、カブト自身はそれでいいと思ってるんだから、他人がどうこう言えるものじゃーない。もう仕方ない(笑)。それほど、大蛇丸は潤沢に与えたからであって、やっぱ大蛇丸って凄い罠…と、僕は唸ってしまうのだ。

「しかし君は…
自分の力を信じ
自分はうずまきナルトなんだと…
”九尾”に対する視線を力強く乗り越えてきた

だから自分のアイデンティティーもよく知っているし…
君を認めてくれる仲間も出来た

だが僕は…大蛇丸様を超えようとせず
ただその力にすがり付いてただけだ

今なら君の気持ちが本当に分かるよ…
僕は君に気付かされた

僕も君のようになりたいと思えた
だから今度は…

この体に取り込んだ大蛇丸様を超え
新たな強い自分を見つけるよ


新たな自分を見つける…
君はそのヒントをくれた
だから感謝してるのさ
…ナルト君」(カブト)

「大蛇丸様は再生の象徴
僕の超えるべき存在として
僕の中で生き続ける」
(カブト)

先のカブトのホラーな行の続きです(第39巻/135-137頁)。大蛇丸の「不死転生の術」って、大蛇丸が尾獣の如き存在になるような形式だった…と、僕は考えています。実際、依憑(よりわら)の体内に白蛇が巣食い乗っ取る術だったのがサスケに切り刻まれた行で判明しましたよね。君麻呂が大蛇丸をして「情報生命体」と言ったのは、白蛇の内部に更に大蛇丸の頭脳をデータ化して搭載してたであろう含みを感じさせます。と言うのは、カブトが移植した白蛇の細胞?=「サスケくんが倒した大蛇丸様の亡骸の一部を…」(第39巻/140頁)に「情報生命体」としての大蛇丸が全て格納されていたのかは疑問です。もしかしたら、大蛇丸の思考(情報)は今も何処かに残されている…とか…ないですかね(黒汗)。

また横道に逸れちゃったけど、九尾の人柱力でありながら折れ(長門)もせず、曲がり(サスケ)もぜず、しなやかに成長したナルトがカブトは羨ましくてならないのです。ここで、カブトを擁護させて貰えるなら、ナルトには「八卦の封印式」なんてチートな設定があってね、おまけに四代目火影・波風ミナトの子で、六道仙人の弟系の血筋を色濃く継承しているんだよー…と、カブトの耳元で囁いてあげたい気持ちです(笑)。しかし、カブトはナルトが「人柱力」だから、それを乗り越える事でアイデンティティを獲得したと思い込んでますよね。これはかなり大きなミステイクだと、僕は考えてまして…でも、カブトにしてみれば、それがナルトの全てに思えたのかな…と、可哀想になってしまうのです。

カブトにしてみれば大蛇丸は九尾にも等しい強大な存在(=チャクラ?)だったんでしょう。カブトはナルトの冒険譚(ぼうけんたん)の全てを知らないし、ナルトが如何に人間臭くサスケを追いかけ、サクラを想って来たかなんて…考えられない。僕は九尾なんて、ナルトにとっちゃー数パーセントでもいいや…くらいに考えています。人間のカッコ良さって、引き出しの多さ(引き出しの容量も重要なんだけど…)だから、それに気付けないカブトも青いな…(笑)。でも、それで逆にカブトの一生懸命もヒシヒシと伝わって来ます。全てはカブトの大蛇丸への「愛」があればこそで、それは如何に大蛇丸がカブトに与えたかの証拠みたいなもんで、カブトも大蛇丸への「悋気」を噛み締めてる…のかな…と。

「当分は安静にしていろ…
万華鏡の場合はなじむまでに時間がかかる
痛むか?」(トビ)

「イヤ…
しっくりきている…イタチの瞳力を感じる
自分が強くなっているのが分かる…!」(サスケ)

第488話「それぞれの里へ」で、サスケが達成感をバリバリ漂わせてますが…、そのほくそ笑みがカブトのホラーな引きつり笑顔と重なってしまって、ちょっと焦りました(笑)。基本的に、「あの人みたいに…」と憧れ、目標にする成長のモチベーションというのはあると思うんです。目標って大事ですから。でも、「あの人になろう!!」ってのは危うい…と思います。「自分」「自分」です。それが「オレが!!オレが!!」になっちゃーいけないけど…司馬先生の「自己中(心)」ね(笑)。だから、大蛇丸の細胞を移植して、大蛇丸の「力」を感じて自信満々になったり、イタチの万華鏡を移植して、イタチを感じて自分が強くなったのを確信しちゃうサスケは心配なの。それはアイデンティティ獲得の過程に過ぎないから。

何か何処か安心したい…みたいな弱気さがあるんですよ、二人には…。そんなだから、ナルトの中の九尾を殊更意識するんじゃーないかな。確かにナルトにしてみれば九尾は厄介な存在だけど、それだけ悩んでる訳じゃないと思うんです。でも、カブトなんか「それしか無い!!」みたいになってますよね。サスケだって「イタチの万華鏡!!」みたいな達成感がアリアリですよね。そして、それで「自分」を確立できたと思ってるんなら危ういと、僕は思います。人間とは複雑な生き物だから、一筋縄じゃー行かないです。僕は「万華鏡」って、絶えず変化する森羅万象を指し示してるんだと考えてるんです。こんなにも複雑な人の本質が何か一つのアイテムで完全に解明できる筈ないですって!!(笑)。

「お前に九尾のチャクラを
半分残して封印したのは
この力を使いこなすと信じていたからだ…」(ミナト)

「オレの息子ならと」(ミナト)

ナルトは雲隠れの孤島(鬼が島?)でこれから「九尾のコントロール」に取り組む訳です。ナルトには「九尾の陽のチャクラ」(第47巻/142頁)が封印されてまして、それを「八卦の封印式」がパッケージングしてナルトに搭載されています。そして、キラビがナルトを導き、ナルトは「自分」の中の九尾と向き合って行く事になるでしょう。問題は九尾をどんな風に感じるかに掛かってると、僕は考えてまして、ナルトの後見人ともいえるヤマトは、ナル×ジャンの分析では「柱間の遺伝子情報」が齎す「木遁チャクラ」「異物」として認識する事で、そのコントロールに成功している…しかし、その発現は柱間ネイティブではなく、かなり人工的で制限が多い。僕は、それが「ヤマトの限界」なんだと考えました。

でも、それが危険だとは書いたけど、間違いだとは書いていない。そういう受容もある…と、「自分」があるならば、「他人」のヤマトがどんな事をしようと受け入れられます。ココ、凄く大事だと思います。どんな時も「自分」が全てで、聞く耳がないのは「自己中」と言えるでしょう。しかし、「他人」と同じ考えになれとか、同じ人間になれとか、そんな気持ち悪い事を勧めてるんじゃなくて、「こういう考え方もあるんだ…」と一旦受け容れる心の余地は必要です。それが出来ないのは「自分」がないからだと、僕は考えています。「自分」「中心」になって回転できないから「自律」できないのです。僕がアサーティブな表現に拘るのも、その関係性を尊重してるからで、考えは自由であるべきだと思うからです。

「…ビーさんは
お前の事をちゃんと見てる
何か訳があってそうしたんだ」(モトイ)

第492話「あいさつ」で、迷い始めたナルトにモトイが凄くいい事をいってました。「人を見る」というのは、その人の「自分」をしっかりと見つめる事なんだと思います。つまり、その人の「中心」です。その人がどんな人で、どんな考えをしてるのか?…それを「人となり」という言葉で片付けちゃうと、その複雑さが上手く伝わらなさそうで悩ましいです(笑)。ま…それをする為に見つめる側の「自分」も必要なんですが…。こんなにもチンケで汚れちまった僕が言うのもアレなんですが、人間なんてホント色んなモノが寄せ集まってますがな。清らかであり、汚らしくもあり、愛もあれば、その逆もある。善良もあれば邪悪もある…清濁が寄せ集まって人はその形を成しているのだと思います。

恐らく、ヤマトは「木遁チャクラ」「異物」として受け入れコントロールしていると、僕は分析しています。きっと、そうしなければヤマトは柱間に飲み込まれてしまったのかも知れないです。ヤマトは生きる為にその身に宿った「柱間」と闘い、「自分」の中でバランスする距離感を掴んだのだと思います。僕はそれを責めたりなどしない。それはヤマトの問題だから、他人の僕が弄くれる問題ではないです。これが理解できない人は「自分」を疑ってみて下さい。「こういう考えもあるんだ」と思えるかどうかです。その上で、ナルトの中の九尾に目を移せば、九尾もナルトの「一部」なんじゃないかと、僕には思えるのです。真っすぐで大らかなナルトの中の邪悪なチャクラの塊…九尾。それもナルトなんだ!!

人の心の万華鏡の中にはいろんなモノが渦巻いてますよ。それが「パンドラの箱」の示したかった宇宙なのかな…なんて思うんです。宇宙も自然も人も…みんな同じ構造なんじゃないかと、僕は考えています。そして、八本目→九本目の大ピンチでナルトの前に姿を現したミナトがナルトに告げた「この力を使いこなすと信じていたからだ…」(第47巻/142頁)をもう一度噛み締めれば、ミナトがナルトに「自分」をしっかりと見つめて欲しい想いを示唆したんじゃないかと、僕には思えるのです。ミナトはナルトに九尾すら「ちゃんと見て」欲しいと考えてる…そんな親心のほろ苦さが滲んでる気がしてならないのです。ま…それを「そんな考えも…」と受け容れられるかはそれぞれの「自分」に掛かってる…と、僕は思うんだな…。

「九尾のコントロール」とは「自分のコントロール」である。

そして、それは「ナルトだけの特別」ではない(続きは…いつか)。

「自分」(アイデンティティ)
ナル×ジャン ケルベロス


 
業務連絡(100516):皆さん、こんにちは!!ナル×ジャンのケルベロスです。全てのアクセスに感謝致します。今回、「自分」(アイデンティティ)を書こうと思ったのは、いろんな状況、事情に僕が直面したからでして、自分の周りの方々、主にネットの関係です。その尽(ことごと)くで「自分」「他人」…正確には「他人の中の自分」で悩みを抱えていらっしゃる。少なくとも「自分」「他人」整合性なんてのあり得ないので、考えなんて違って当たり前です。その辻褄を合わせようと考えるとホントに真っ暗闇に落っこちてしまいます。それを想像できれば、その逆だって見えて来ます。「他人」「自分」整合性も無いと思った方が良いという事。僕が「表現なんて全ては伝わらないよ」…って言うアレ。

それがナル×ジャンで言う「そんな考えもあるんだ…」です。この人はこんな風に考えるんだ。僕はこんな風に思う。考える。感じる。それで良いと思うんです。「自分」「他人」の境界線付近で、人は焦り戸惑うようです。それは「他人の中の自分」「自分の中の他人」が混ざり合ってるからなんだと、僕は考えています。ややこしくてアレですが、如何にして「自分」を受け容れるかで、「回転軸=中心」の強固さが決まるのだと思うんです。軸がしっかりしていれば思い切り回転できますから、ジャイロ効果が高まり、外力を受けたとしても揺らぎこそすれ、揺れの終息も早いのです。……と、まあ、そんな事を偉そうに書いて励まそうと思ったんですが、どうしてもお話に詰まってしまう…。

…と言うのも、『NARUTO -ナルト-』自分が自分になるお話だからで、ナル×ジャン的にはライフワークとも言える「終末の谷の決闘」の旨味が詰まった部分に思いっ切り被ってしまうのです。いっその事、このまま「終末」のラストの考察を書いちゃおうかしら…と思ったんですが、それはナル×ジャンと皆さんのお別れの刻まで大切に取っておくべきだと踏み止まりました(汗)。これからナルトの「九尾のコントロール」を中心にお話は回転して行くでしょう。ナルトももう一度、「自分」と向き合う流れになると思うんです。どうか皆さんも、もう一度、ご自分と向き合って、自分の「中心」を探してみて欲しいです。ケルベロスもそうしてみます。一緒に泥沼でもがいてみましょうYO!!成長に終わりなどありません。何故なら…………

人生とは「自分探しの旅」なのだから!!



あるがままので生きようと願うから
人はまたついてゆく
知らぬ間にいていた自分らしさのの中で
もがいているならだってそう
だってそうなんだ

 

第494話「キラービーとモトイ」 | BLOG TOP | 「自分」(前編)

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