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「九尾のコントロール」③

 
「!」(ナルト)

<ズッ>「うぐっ!」(ナルト)

「お前にオレの力を分けてやった
その力…使う日が来なければいいがな」
(イタチ)

これまた僕の大好きなお話…第403話「涙」の中のナルトとイタチ(正確には烏分身)がイチャイチャするシーンで(第44巻/14頁)、イタチがナルトに「力」を授けています。病に蝕まれた身体で、自分の身体に埋め込まれた宝石を人々に分け与える姿が、「幸せの王子様」のようだと、愚痴の一つも零す事なく笑ってサスケの足下に崩れ落ちたイタチを今も痛々しく感じますが、この時、ナルトの口に嫌らしくもねじ込んで「うぐっ!」っとさせた烏が(九尾のコントロールに関係する…)「うちはの力」ではないかと、何通かタレコミがあったんだけど、僕は違うと考えています。ダンゾウを見れば「うちはの力」とは写輪眼の「瞳力」であり、それを完璧に使いこなすにはカカシが煮え湯を飲む…「うちはの身体」が必要になります。

トビが「千手の力とうちはの力」から「九尾のコントロール」を察したのは一般の忍に過ぎないダンゾウの「限界」を指摘したものであると、僕は思うんです。ナルトは恐らくは「千手柱間」の直系か、或いは六道仙人の弟系の「特異点」とも言うべき資質の所有者であり、既に「仙人の肉体」を持っている筈です。九尾のチャクラ毒に耐え、四本目の高密度チャクラに取り巻かれようとも動ける…ヤマトをして(ナルト…君はいったい)(第33巻/102頁)と考え込ませた特別に強い身体と強いチャクラを持っているのです。ダンゾウは悲しいかな「うちは」でも「千手」でもなかったから、それぞれを嫌らしく自分の身体に盛っているのです。そこまでしなくては「九尾のコントロール」がかなわない訳です。

「うちは虐殺」の八年前に「九尾事件」が起こりました。それが九尾の鹵獲戦だったのではないかとナル×ジャンでは考えてるんだけど、「教育論」として『NARUTO -ナルト-』を考えるに、ナルトとサスケを「強化」する慮りが「終末の谷の決闘」に向かう道筋が鮮明に浮かび上がって来ます。それをナル×ジャンのライフワークとも言える「終末の谷の決闘」「強化・闇」(終末の谷の決闘…第七撃)と「強化・八卦の封印式」(終末の谷の決闘…第八撃)にセッセと書きましたっけ。何が言いたいのかと申しますと…「九尾事件」で先にミナトが九尾を押さえてしまったから、イタチはサスケに「うちは虐殺」という「悲しみ」を与えた…九尾がない状況で「うちはの高み」を目指す「強化論」をイタチは実践しているのです。

「その力…使う日が来なければいいがな」

そこまで考えて行動するイタチがナルトの「九尾のコントロール」を手助けする合理性がない…と言いますか、「うちは」から「千手」に擦り寄ったりしない結果(その逆もない)、現在のような強化へのアプローチになっている筈です。だから、ナルトの口に嫌らしくねじ込んだ烏は「九尾のコントロール」に関係したものではないと思います。それにサスケの為に自分の命を使い切るような生き様を示すイタチがサスケ以外の為に何かをする事が考え難いです。強いて言うならばサスケがやらかした「粗相」(そそう)の尻を拭く色合いの「力」ではないかと思います。例えば、サスケの天照の黒炎を消す「力」とか…。対象物が燃やし尽くすまで消える事のない黒炎…それを唯一消す事の出来るチャクラのパッケージ

「炎遁チャクラ」「万華鏡写輪眼の血継限界チャクラ」


 

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