スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「九尾のコントロール」⑤

 
<ゴゴゴゴ>「我愛羅…
お前以上の絶対防御だ」(サスケ)

「ワシの攻撃を
ガードしていたのもアレか…」(雷影)

(このチャクラ…
あの時の幻術と同じ…!)
(シー)


「なんか…
ヤバそうだな……」
(水月)

「う……」(試したかった
ってのは……これか!?)(重吾)

(…このチャクラ…
もう前のサスケじゃねェ
冷たすぎる……!!)
(香燐)


「何だ…アレは?」(侍)

「闇の…力か…」(我愛羅)

「両目の万華鏡を
開眼した者だけが手にする力…
第三の力……”須佐能呼”だ」
(サスケ)

サスケの五影会談襲撃でチャクラの感受性の高い雲隠れのシーと”鷹”の香燐の反応が顕著だったんだけど…(第50巻/22-23頁)、サスケの強化がいよいよ本格的に成し遂げられそうな気配を、この時、僕も感じとりました。シーはこの直前に一瞬の隙を衝かれサスケの幻術に押し負けておりまして、その折りに感じたサスケのチャクラの圧力と”須佐能呼”を同一視しています。シーのチャクラ感知能力を重くみれば「同じもの」と考えていいと、僕は思います。そして、これがナル×ジャンで騒いでいる「万華鏡写輪眼の血継限界チャクラ」であり、唯一、"天照の黒炎"をコントロールし得る「炎遁」なのだと考えとります。ここで重要なのはサスケが「万華鏡写輪眼」が両眼に備わった「うちは一族の完全体」である事なのでしょう。

それにはイタチがどんな想いで「うちは虐殺」をサスケに与えたかが関わるでしょう。イタチは「うちは虐殺」でサスケを「復讐者」(リベンジャー)としての人格を刷り込む事に成功しています。何より最愛のサスケに自分を憎ませ恨ませるなんて「ドMなシナリオ」を書き上げたのは、両親、家庭、一族、日常、幸せ…全てをサスケから奪い尽くしてしまった結果、サスケが生きるモチベーションを失ってしまう想定を排除する為だったと思います。サスケに恨まれる状況がサスケを生かすなら、イタチは喜んで泥に汚れ塗れられる「愛」に溢れた人だったと、僕は信じています。そして、シナリオ通り事は運び、イタチはサスケに「万華鏡写輪眼」を授け、逝きました。つまり、イタチはサスケに二つのアイテムを授けたのです。

香燐がシー以上にサスケの変貌に<ガク><ブル>なのは、サスケの笑顔を絶えず探す乙女だったからで(巻ノ51、早く買わねーと)、勿論、シーよりもズッとサスケとの付き合いが長いし、ベッタリですから、サスケのチャクラの変節を一番間近に感じる…ちょっとストーカーっぽくもある…サスケの語り部みたいなもんです。その香燐が危惧する「濃く冷たいチャクラ」に震え始めるのが、サスケが「殺し」にその手を染めた辺りだったのはお気付きだと思います。大蛇丸の弟子だった頃は決してそんな事しなかったし、返り血も浴びないくらいに「血」に対する敬意と畏怖が、サスケにはあったと、僕は考えています。そのサスケが鉄の国に入ってダンゾウをその眼で捕えてからというもの、一変するのです。

サスケは躊躇なく…ほぼ100パーセント「うちは虐殺」に関係ない…だって中立国なんだもの…鉄の国の侍をダンゾウに向かうサスケの行く手を阻んだだけで、バッタバッタと薙ぎ倒し…殺した…。その姿に水月と重吾が呆れる程だったし、僕らも何だか悲しかった筈です。そして、サスケが”鷹”に示した唯一のルールらしき「殺さずの禁」の破棄が重吾を動かし、瀕死とは言え侍を喰らわせた。キラビ戦でめっちゃヤバかったサスケに自分の身体を分け与え、少年の風体になってしまった重吾が大人のガタイに戻ったのは細胞の補填をこの時成したからであり、描写にはなかったけれど水月だって疲弊する体力を似たような方法で回復した事でしょう。この禁忌に、ホントにサスケが堕ちたのを実感せずにはいられなかった。

しかし、サスケの変貌がイタチのシナリオから外れるとは、僕は考えていません。寧ろ、非常に正確にサスケはイタチの敷いたレールを突っ走ってると思います。それが「うちは虐殺」に大きく関与したダンゾウを前に噴出した…サスケのチャクラが大きく変貌を遂げた理由でしょう。サスケは「うちは虐殺」で多大なる「悲しみ」を託されたんだと、僕は考えています。愛する人が愛する人を殺す。平和で豊かな日常を無にする。人が人を殺める。自分以外の存在を許容しない極めて鋭角な利己が、サスケには「悲しみ」として刷り込まれたんではないでしょうか。しかし、到底受容し切れない量の「悲しみ」が皮肉にもサスケを生かし歩ませた訳です。それがイタチが描いた絵…シナリオだったんだと思います。

そして、サスケの内に宿った「悲しみ」はドンドンと増殖し、イタチを殺す事で得られた…って言うか授けられた…万華鏡写輪眼と結び付き、「魔獣のチャクラ」となった訳です。万華鏡写輪眼とは人が奇跡的に有する血継限界にあって希有なチャクラのエンジンなのだと、僕は考えています。そして、それが「悲しみ」という「闇」と極めて高い親和性を示す事は見逃せないです。イタチがスッゴくイヤな奴だったら草葉の影でほくそ笑むような…そのくらい見事にオンコースにシナリオが運んだ結果、サスケの万華鏡写輪眼のチャクラは尾獣(魔獣)クラスに成長したのです。そして、「拳」を交えたナルトがそれを感じ、頑に否定し続けた「九尾のチャクラ」頼らざるを得ない選択をさせたのです。


「タコのオッサンに気付かされた
自分ってのを全く疑ってもねェ…すねてもねェ
自分に誇りを持ってる!」
(ナルト)

<バッ>「お前は…オレが邪魔なのか!?
なら…オレはいったい…何だったんだ!?」
(闇ナルト)

「………」(ナルト)

「お前がいたからオレは強くなれた…
おかげでここまで来れたのかも…」
(ナルト)

<スッ>(闇ナルト)

<ダッ>「なら!オレは…
オレはどうすりゃいい!?」
<バシャ>(闇ナルト)


「ンなもん簡単だろ」(ナルト)

「!?」(闇ナルト)

「お前はオレになりゃいい…!
お前もオレなんだから」
<ドッ>(ナルト)

「!?」(闇ナルト)

「…今までありがとうなぁ…
もういいんだ」
(ナルト)

第495話「闇ナルト撃破!!」で、自己同一性をより強固なものにしたナルトは自らの内にある「憎しみ」を受容できました。人の清濁を理解した…と言いますか、汚れた自分も自分と認められる大人になったのだと思います。これを「元服」と言えば良いのかしら。「割礼」でも良いかな…(汗)。もうお母さんは見てらんないッ!!「性徴」(せいちょう)と言うのかしらね(笑)。「真実の滝」がその行く手を指し示したんですが、そうなうようにミナトがプリセットしていた…シナリオを書いていた…とするなら、愛する我が子に「憎しみの塊」とも言える「九尾の陽のチャクラ」を封印した意味がゲロ寅にも理解できるんじゃないかと思います(笑)。そして、「ミナトの親心」に震えられるならイタチの想いも理解できるでしょう。

ナルトは「闇ナルト」という「憎しみ」を受容することで、自分の中の「憎しみ」を正当化したとも言えます。この場合、「憎しみ」の善悪に囚われる子供じゃない事が大切なのだと思います。そして、それがミナトの望んだ「成長」だったと思うんです。ナルトは今、「八卦の封印式」の内に入り込み九尾と戦っています。九尾とは「チャクラの塊+憎しみ」であり、九尾のチャクラのみを引っ張り出すミッションに挑んでいるんです。九尾のチャクラはナル×ジャン的には「閃遁チャクラ」であり、サスケの万華鏡写輪眼「炎遁チャクラ」を生み出すのと同等の高速増殖リサイクルの超高出力のチャクラの発生エンジンと言えます。そして、それを制御する「憎しみ」をナルトは既に我がものにしているのです。

イタチは「うちは虐殺」においてサスケに「悲しみ」を与え、自らの死をもって「万華鏡写輪眼」を授けました。ミナトは「九尾事件」でナルトに「憎しみに塗れた九尾のチャクラ」を託し、ナルトはそれをコントロールすべく、自らの「憎しみ」を受容し、自らの汚れを認める事ができる大人へと成長しました。後は「九尾のチャクラ」から「憎しみ」を引き剥がし、自分の中の「憎しみ」と引っ付ければ良いのです。それがナル×ジャン的な「九尾のコントロール」であります。そして、アプローチが全くもって違うけれど、ナルトとサスケは「ほぼ同じ力」をその手にする事になる…その相似形が指し示すものこそ、ミナト(とクシナ)とイタチが命を燃やすようにそれぞれに注いだ「親心」という「愛」に根差すのだと…。

いつの日にか…気付け…少年少女よ。

「九尾のコントロール」
ナル×ジャン ケルベロス


 

「九尾のコントロール」を書き終えて… | BLOG TOP | 「九尾のコントロール」④

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。