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「存在」(…ここに居ていいのよ…)

 
ナルトの中のクシナの「存在」…僕はこれまで何度も何度も感じて来たし、その度にかなり騒いで来たと思います。そして、案の定(ナル×ジャン的にはホントに案の定なのよ)、クシナがナルトの前に姿を現した…。もう九尾なんかそっちのけにしてナルトに面と向かって…。これって何かに似てるなー…とふと思たんです。今や「木ノ葉の英雄」とも「奇跡の子」とも賞され、仙術マスターであり、輪廻眼の長門(ペイン)を退けた力量を持つナルトすら苦しめる(セコ手だけど)九尾を全く意識する事なくナルトに一途に向き合うクシナの姿が「告白」(恋愛論)のヒナタちゃんにダブってしまったのです。ペインの木ノ葉襲撃事件で、天道にフルボッコのナルトに唯一しゃしゃり出た木ノ葉の忍と言えばヒナタちゃんしかいないです!!

あの姿は神無毘橋で今にも襲い掛からんとする岩忍のプレッシャーをどこ吹く風であしらったリンちゃんにも匹敵する「恋愛力」を持ってたと思います。岩忍の一人がカカシの「根性」を褒めちぎって意識を自分に向けようと努力するんだけど、下手したら「うるさい黙れ」の世界だったかも。それでもって、あの一件(詳しくは「神無毘橋は赤く燃えたのか?!」参照)がカカシではなくリンの力量に拠って沈黙したのなら、あの場に居た男共の立場は!?な訳で、やっぱ女の子には敵わん!!特に「可愛い悪魔」(どんだけ可愛くても悪魔は悪魔なのでとても怖いわよ)には手出しは禁物(笑)。もし「彼の地」が赤く燃えたなら…それをカカシが「九尾事件」で知ったなら、「もう恋なんてしない!!」なんて言うだろうなー…(笑)。

『NARUTO -ナルト-』「恋愛論」を考えると、どうしても萌えられない部分が僕の心の中には在って、それを近々書こうと思ってるんだけど、ここでは置いときまして(汗)、ナルトが内から支えられてたナル×ジャンの疑惑はクシナの登場で一応払拭さたんじゃーないでしょうか(笑)。ま…こういうのをして「チート設定」と呼んでた事だけでも納得して貰えれば嬉しいです。サスケがナルトを見てると不安になって木ノ葉隠れを抜けて大蛇丸に奔ったのも、その「チート設定」に拠るところで、ナルトを見てグレない子が居るんなら「異常」だな…とすら思ってましたから、サスケが「ココに居たらダメになる!!」と追い込まれたのは、僕には至極当然な出来事であったのを昨日の事のように(ry

でも、これがサスケだから良かった訳で、もっと「ナルトに逢わなくて良かった人」が居まして…正確には逢ってるんだけど、ナルトと心を通わせてない。それを「逢う」とはナル×ジャンでは言わないので…デイダラちゃんであります。そして、デイダラをサスケと対戦させたのはキッ神の悪意なのか!?善意なのか!?未だに不明ですが、デイダラがサスケと出逢い、心を通わせ、命を燃やすかのように果てた姿に、僕は凄く複雑な心境なのであります。ぶっちゃけ、デイダラがナルトと真剣に殺り合ってたなら死なないで済んだんじゃーねーの?と考えたり…。デイダラが死ぬ事でその「存在」を知らしめるか、生きる事で「存在」を知らしめるかを、サスケとナルトは分けたと思います。

そんな想いがあって、デイダラの死の直後、ナル×ジャンには「デイダラの考察」が残っています。一度も逢った事のない大蛇丸(デイダラは大蛇丸の欠員を補填する為に”暁”に勧誘された)を何故だか恨んでいたのは変じゃないかと叫んだ「デイダラは何故、大蛇丸を恨んでいたのか?」…そして、それがサソリの仕業だった…とナル×ジャン的に告白した「ケルベロスは何故、サソリが苦手なのか?」(笑)。デイダラにはアイデンティティが欠如していたのです。サスケには当然ありましたし(アナタはアナタ。イタチはイタチ…ミコト)、デイダラがサスケにガツガツ行ったのはイタチの「存在」があったと思います。何故なら、サスケはイタチに愛されてましたから…それをデイダラは見逃せなかったのです。

僕はそんなデイダラが愛おしくて放っとけなくて書いた…「デイダラ」。この考察は未だに高い評価を受け(←自分で言うなーッ!!)、僕もお気に入りの一本です。そして、リアルの世界を見回してみると、デイダラに似た子のなんと多い事か!!……僕はそれが堪らなくて、「デイダラ」を書いたんだと確信しています。何で大人が子供の「存在」を素直に認められないのか。許せないのか。僕はそれが歯痒くてならなかったのです。僕らにも子供の頃が必ずあった。あの時、感じただろ…悔しさ。不条理。遣る瀬なさ何で忘れちゃうんだろう…何で「存在」を認めるのに「条件」が介在するんだろう…って、子供の頃、言葉にできたなら世界は変わってた事だろう…と、僕は悔しくてならなかったのです。

そして、「デイダラ」を書いた。

泣いた…。

その想いがあるから、キッ神がデイダラとナルトではなくサスケを闘わせた思い遣りがあったのかしら…とも思うんです。デイダラはイタチの中の「何か」に興味を示しています。認めない!!と叫んでますよね。そして、サスケと逢って、イタチと凄く似てるサスケを見て虐めたくなった。才能。努力。そのどちらもを有し、イタチが黙々と愛した(であろう)サスケの大向こうにイタチを感じた時、サスケの「存在」を許容できなくなった…。デイダラはサスケ諸共の「死」を選択してしまう。それはあくまでも人間的な反応に思えます。もし、デイダラの相手がナルトだったら…ナルトと本気で魂を削り合うような対戦をしてたら…を想定すると、あんなに華々しい花火は上げられなかっただろうな…(遠い目)。

そう考えると、あれはキッ神の「優しさ」だったんだよな…と思えてくるでしょ。サスケですらナルトの「存在」にはたじろいで仕舞った訳です。ましてや、デイダラをやを…と(笑)。つまり、何を言いたいのかと言うと、ナルトがそんだけ「異常者」って事。だって、クシナが出て来たじゃない。ミナトだって「あわや!!」に登場したじゃない!!そんなスッコイ(=チート)な子が何処に居ますか!?ってーのよ。だから、僕は「…ここに居ていいのよ…」(第497話「九尾VSナルト!!」)でクシナが出て来たのが「タイミング」という言葉を使うのはどうなのーって思っちゃった訳。それ認めちゃったら、サスケは兎も角、デイダラなんて浮かばれないです。ほんと…大爆発して消えちゃうしかないですから…。

ナルトは、意識してないのに「存在」許容されている…。
それが「デイダラ」にとっては最大「暴力」だった筈です。

…ここに居ていいのよ…



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