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「…ここに居ていいのよ…」を書き終えて…

 
おはよーッス!!ナル×ジャンのケルベロスです!!全てのアクセスに心より御礼申し上げます。本編が「九尾のコントロール編」に突入して、ナル×ジャン的には「大団円」に向けて一直線のラストスパートを感じてまして、今回もクシナが突然現れて「書かねば!!」老婆心チャクラが湧いてしまいました(笑)。ただ、今回は「八卦の封印式の組成」に関するナル×ジャン的な捏造限界の為せるワザでありまして、信憑性がなくて筆に詰まってしまいました(笑)。それが苦し紛れにではありましたが、「デイダラ→ナルト」のラインを浮き彫りにした次第であります。今にして思えば…デイダラとナルトは似ていたな…特にデイダラが示したナルトへの理解は格段でしたし、二人が命懸けで闘わなかった「妙」も味わい深いです。

デイダラの生き方に僕が共感を覚えるのは「自分で自分の親になる生き方」をデイダラが実践していたであろう臭いからです。対して幸運にも、母親格であるイルカとカカシと父親格である自来也とヤマトをアウトソーシングできたナルトが、その腹の「八卦の封印式」に親を隠し持つ過剰なまでの配慮に、ホントはお金持ちの家の子なのに破れた服を着てる…みたいな。いつかは校門に白いリムジンがお迎えに来るみたいな…(笑)。ま…それをして「チート設定」と呼んでた訳ですが、子育ての社会化を逸早く取り入れ普及せんと努力した木ノ葉隠れに生まれたナルトの幸運と言えましょうか。しかし、ナルトの歪な食生活を丸抱えで補正しまくる「八卦の封印式の介入」を見逃せる程、僕はお人好しでもなく(笑)。

親は子が健やかに成長できるように支える使命を帯びてると思うんです。特にナルトの私生活に関して木ノ葉の親代わりは介入してませんし、世界観として社会保障精度が完備されているようでもないので、ナルトは自力で生活の基礎を確立したように見えます。しかし、ジャンクフードと寒々しい食卓がその一切を否定するのに、如何にもナルトは強くしなやかであり整合性が無い(汗)。僕はこの「異常」「八卦の封印式」に依ってしか説明できないと諦めちゃったのです(笑)。そして、それが「親」にあって唯一できるのは「父親・ミナト」ではなく、「母親・クシナ」だな…と考えるに至る訳です。「八卦の封印式」を観察するにつけ、如何にも「母親的」であり「内向き」であり「利己的」で、それを「母」としか感じられなかった…。

これには大いに僕の「マザコン属性」が影響してるんだけれど、そう思うんだから仕方ない!!<キリッ>しかし、邪悪な九尾のチャクラ毒すら解毒し、剰えナルトのチャクラに還元する…そんな大層な「愛のフィルター」なんて母親にしか出来ませんて…。九尾を殺してしまう事なくその身に抱え込み、可愛い我が子にはしっかりと栄養管理各種欲求のコントロール気付かれずにできちゃうのはお母さんしか「い・な・い」ですって(笑)。ぶっちゃけ「親はなくとも子は育つ」は言えてると思いますが、「育つ」ハード面とソフト面を分けて考えないと危険でしょう。ま…その「裏」「自分で自分の親になる方法論」というものがありまして、今はデイダラは「そっち系」とだけ言っておきましょうか。

詳しくはまた場を変えまして書かせて頂くとして、ナルトになれなかったデイダラと、デイダラにならずに済んだナルトの違いが鮮明に感じられた時、ナル×ジャンの考察に一本筋が通るように流れが見えたように思います。特に意識して書いた訳じゃないんだけど、『NARUTO -ナルト-』が根底に携える「教育論」と申しますか、単なる「忍者アクション」に収まり切らない雄大なテーマをしっかりと内包している所為だと思います。かなり前に書いたものもあって、新展開の新しい情報提示を加味してなかったりしますが、大筋で僕の「一度も自分で子供を育てた事が無い教育論」を恥ずかしげもなく(いけしゃあしゃあと…)書けたと思っておりますれば、お時間のある時にお読み下さい。


「デイダラ」(”暁”の考察)

「デイダラは何故、大蛇丸を恨んでいたのか?」(アイデンティティ)

「おくるみ」(アイデンティティ)

「家族」(愛について…)



「…ここに居ていいのよ…」(疑問の考察)

「タイミング」(…ここに居ていいのよ…①)

「存在」(…ここに居ていいのよ…②)

「承認」(…ここに居ていいのよ…③)


 

第498話「母ちゃんの赤い髪」 | BLOG TOP | 「承認」(…ここに居ていいのよ…)

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