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NARUTO-ナルト-第51巻に寄せて…②

 
<スッ>(須佐能呼)

<ダッ>(ダンゾウ)

「ウオオオオオ!!」<ギギギッ>(サスケ)

<カッ>(須佐能呼)

(イザナギ―)(トビ)

<ガッ>(ダンゾウ)

(ほんの僅かな時間だけ…)(トビ)

「ヴッ」(ダンゾウ)

(術者のダメージや死を含めた不利なものを
夢に描きかえる事ができ―)
<スウー…>(トビ)

<パッ><ザッ>(ダンゾウ)

<バッ><バッ>(風遁・真空大玉!!!)(ダンゾウ)

<スッ><ブワ><ドッ>(ダンゾウ)

<ハァ><ハァ>(サスケ)


(そして術者の攻撃などで
有利となるものは現実にできる
幻と現実の狭間をコントロールできる―
己自身へかける究極幻術!!)
(トビ)

<スウ…>(…そして…
イザナギを使用したその眼は光を失い)(トビ)

(二度と開く事はない……)<ピタ>(トビ)

第479話「イザナギ」(前編・イザナギ解説編)で、トビがダンゾウの右腕に埋め込まれた写輪眼の意味に気付いています。ダンゾウはサスケを「(イタチの唯一の)失敗作」と扱き下ろし、サスケの幻術をイタチの「月読」と対比して駄目出ししまてした。その根拠が「究極幻術」たる写輪眼の禁術である「イザナギ」を発動する右手のギミックにあったのだと思います。トビの分析に拠れば、「大蛇丸の実験物」であり、「イザナギ」の為の専用ユニットであったと思われます。言うなればダンゾウの決戦兵器であり、十個の写輪眼を消費する概ね十分間で相手と相打ち以上に持ち込む事でダンゾウが勝利する…かなり狡(こす)くて卑屈な用兵思想で、何気にコンプレックスを引き摺ってるダンゾウが愛しく感じられました(笑)。

イザナギを使用したその眼は光を失い
二度と開く事はない……)(トビ)

ダンゾウのコンプレックス…っていうのは、ナル×ジャン的にはどデカイ意味があって、それをジメジメと、ネチネチと書いてるんだけど、ダンゾウが右手に十個もの写輪眼を埋め込んで、それをドライブする為にわざわざ柱間のデスマスクなんて代物を右上腕に移植するなんて、若い頃に付き合った女子の名前でを入れるみたいなヤンキー的な事をしちゃう姿に泣けます(笑)。でも、トビが説明するように「イザナギ」は写輪眼を使い捨てにする自爆技みたいなもので、「禁術」としたのは背に腹が替えられない状況にのみ発動する躾みたいなものだったのかと思いますし、写輪眼を運ぶ「器」としての「うちは一族」とって写輪眼は命よりも大切である…が大前提としてあったんではないかと、僕は考えています。

だから、うちは的には「うちは虐殺」なんて大した問題ではなく、寧ろ写輪眼がその後どうなったかが争点たりえたんではないかと思えます。事実、大蛇丸の実験物として「イザナギユニット」に十個もの写輪眼絵をダンゾウが保有し、ダンゾウの死後、トビがそのアジトに写輪眼ラボみたいな貯蔵庫を所有してる描写があって、「うちは虐殺」での一族の大量の死の余りにも軽々しい扱いが、写輪眼の行方に起因していたのかも知れない憶測を産みます。もしかしたら、「うちは虐殺」とは器から写輪眼を引き剥がし、写輪眼のみを手に入れる為の謀略だったのかも知れません。そもそも、ダンゾウが「禁術・イザナギ」で写輪眼を使い捨てにするのは、クナイや手裏剣と変わらない罠…と、僕には思えました。

写輪眼への憧れ

ダンゾウのトラウマ「イザナギ」を発動させまくったんだと思います。そして、その相手が(千手柱間→ナルト…に対する)マダラの生まれ変わりみたいなサスケであった事が、最後まで自分の右眼に移植した「シスイの写輪眼」を温存したダンゾウの戦い方に激しくけたたましく共振します。逆にトビが写輪眼を収集しまくるのは、うちはマダラが一族にソッポを向かれ「終末の谷の決闘」でメチャクチャ孤独に闘うを余儀なくされた遺恨を引き摺る反動形成にあり、「器」としての一族ではなく「忍具」としての写輪眼のみを信じる意地のようで、ダンゾウのスタンスとは違うように思います。だから、トビは「イザナギ」「禁術」と言ったのだと思います。そして、写輪眼を使い捨てるダンゾウが、何故だか右眼の「シスイの写輪眼」を大切にするのがイレギュラーしている…。

「そうだな
次は眼で語る戦いにしよう」
(ダンゾウ)

凄く分かり難いと思いますが…ダンゾウはサスケ戦で写輪眼巧者を競う闘いに仕向けていたように思います。写輪眼…万華鏡写輪眼の正統後継者としてのサスケに、ダンゾウは真っ向勝負で瞳力の優劣を競っていたではないですか。そして、その最中に使い捨てにする写輪眼(イザナギユニット)と、温存した「シスイの写輪眼」のヒエラルキーを垣間見せた…。「イザナギユニット」をドライブする為に柱間のデスマスクなんて十字架を背負うのは、トビが(シスイの眼が復活するまでの間をイザナギでカバーする…)(第51巻/129頁)と分析したように、「シスイの写輪眼」に重きを置いたダンゾウの偏愛みたいなものがあったと、僕は思います。決してダンゾウが「イザナギ」として消費する事がなかった「シスイの写輪眼」…。

その想いが照らす先にダンゾウの素性が潜んでいるのです…。


 

第503話「ミナトの屍鬼封尽!!」 | BLOG TOP | NARUTO-ナルト-第51巻に寄せて…①

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