スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

NARUTO-ナルト-第51巻に寄せて…③

 
「その右目…
うちはシスイの眼を奪って移植したようですな」(青)

「シスイの瞳術は相手の脳内に入り
あたかも己の意志であるかのように
疑似体験させ操る術だった…」(青)

「操られている事すら気付かない
瞳術でも最高クラス!」(青)

あわやダンゾウが忍連合軍の総大将になりそうな気配が一瞬で水泡に帰した青の見破りで(第49巻/113頁)、ダンゾウの右眼にはうちはシスイの写輪眼が埋め込まれてる事が明かされました。そう言えば、火の国の大名が見るからに胡散臭いダンゾウを火影に任命した行でも、シスイの写輪眼の瞳術で大名のおばちゃんを操ってたのかしらと、それならば仕方ない!!と、溜飲が下る想いでした(笑)。きっとダンゾウは、シスイの写輪眼の瞳術を使っていろいろと悪さをして来たんだろうと思います。ま…悪さっちゅーと主観が入り過ぎでアレだろうけど、ダンゾウの処世術の要所要所をシスイの瞳術が受け持っていたかと考えると、幻術で人々を騙して理想を求めてたベクトルにはトビの「月の眼計画」と非常に似ています。

トビの場合は十尾の人柱力となったアカツキに、六道仙人の遺品である「月」「大幻術・無限月読」を投影して世の中に「安寧秩序」を齎そうとしたスケールのデカさが、高々、火の国の隠れ里である木ノ葉隠れの火影になりたかったダンゾウとはかなり違うけれど、どっちも人々を夢見心地にして誑(たぶら)かす姑息さが何だか似てると、僕は思うんです。ダンゾウの場合、価値基準がライバルである猿飛ヒルゼン(三代目)に在って、ホントは自己無価値観に塗れたデイダラのおじいちゃんVer.みたいて、誰かに面と向かって自分を見られるのがイヤな人だったのだと思います。多分、その点でもトビとは符合してて、お面越しに自分を「マダラ」と名乗る奥ゆかしさにダンゾウ&トビの似た者同士を感じずにはいられません。


<グイ><ハァ><ハァ><シュルル…>(ダンゾウ)

<スウー…><ハァ>「まだだ………
ここからが…眼で……語る戦いだ…」<ハァ>(ダンゾウ)

(右眼の瞳力が戻ったか…
シスイの眼が復活するまでの間を
イザナギでカバーする…

そういう手はずか…)(トビ)

<ダッ><バチチチ>(サスケ)

<ザッ>「!!」(サスケ)

第480話「犠牲」で、ダンゾウがシブトく吠えるんです。サスケの狂気の千鳥鋭槍が香燐ごとダンゾウの急所を貫いたにも関わらず…です。ダンゾウは「うちはの高み」を目指して一直線に直走るサスケに真っ向勝負したがってるように、僕には見えました。そして、ダンゾウの右眼にはシスイの写輪眼が搭載されている…。ダンゾウがサスケの幻術をイタチの「月読」と比較して扱き下ろしていた描写が、才能に対するジェラシーに思えるし、青をして「瞳術でも最高クラス!」の写輪眼を後生大事に使い、その能力を信じ切る様は「写輪眼さえあれば…(オレだって)」と拳を握りしめるダンゾウのトラウマの人生が、僕には感じられてなりませんでした。あんなに不自然に写輪眼をその身に纏うのは強烈な中二病臭がしてなりません。

復活したダンゾウの写輪眼…シスイの写輪眼…が、「黒目→写輪眼(三つ巴文様)」に<スウー…>っとトランスしてる描写…もう一度見て戴きたい。巻ノ五十一の129頁です。僕はこのシーンが、きっとキッ神のタイムマシン訂正されるだろうと考えてました。新刊を購入して、先ずはこの頁を探しましたから。でも、修正されていなかった…。ダンゾウの右眼は「黒目→写輪眼(三つ巴文様)」に確かに変移(トランス)しています。カカシの写輪眼を見れば分かるけど、移植した写輪眼は常時覚醒する前例が既にあるのです。ダンゾウの右腕のイザナギユニットも常時覚醒しています。僕はそれらの差異を「眼軸」に依存しているんではないかと考えてまして、カカシの場合はオビトの「眼軸」が搭載されている点がポイントです。

しかし、イタチがサスケの写輪眼を奪う描写や、トビがストックする写輪眼を見ても眼球だけが<プカ><プカ>と溶液に浮かんでますから、既に持ち得る者にしてみれば「眼球」こそが写輪眼の個人差なんじゃーないかと思えるのです。つまり、うちは一族間の眼のやり取りに関して限定して考えれば、「眼軸」の移植は必要ないのだと思います。神無毘橋のオビトは一族でないカカシへの移植だったので「眼軸ごと」とエクスキューズを入れたのでしょう。ま…そのような「写輪眼移植マニュアル」が存在したのだと思いますが、それが写輪眼を運ぶ器としての「うちは一族」に課せられた使命であり、命よりも大切な写輪眼を運用する為の心構え「うちは一族」にはその末端に到るまで浸透していたのでしょう。

ダンゾウは開眼しなかった…出来損ない「うちは一族」だった!?

写輪眼とは一族にあっても誰もが開眼しない能力でした。その開眼には、ある程度ドラマチックなイベントが必要不可欠であり、大切な何かを何としても守らねばならんような不退転の窮地に置かれ、尚かつ、エネルギッシュにその難関を打開するバイタリティが必要なのですから、才能だけあれば何とかなる訳でもなく、例えばメチャクチャ恵まれた環境にあったらどんな大天才であろうとピンチが訪れなくて能力を発揮しようがない状況だってあります。サスケの三つ巴なんかナルトが九尾の衣のチートを纏って攻め込んで来なければならなかっただろうし、写輪眼の開眼要件は一筋縄じゃーいかないから仕方ない(笑)。だから、ダンゾウも才能がそもそもなかった訳じゃないと思うんです。

しかも、苗字が「志村」だし、「うちは」とは違う分家とか、駆け落ちの可能性もあるでしょう。でも、ちゃんと「うちは一族」の写輪眼に合った身体だけは持ってたんじゃないかと思うんです。勿論、「眼軸」をしっかり持ってる。だから、シスイの写輪眼を移植した右眼は「黒目→写輪眼(三つ巴文様)」にしっかりとトランスしたんだと、僕は考えるんです。開眼しなかった出来損ないのうちはだからこそ、「瞳術でも最高クラス!」のシスイの眼を大事に使い、「うちはの高み」に最も近いであろうイタチやサスケを意識して行動してしまう。サスケなんか、「瞳術」の背比べみたいな闘い方だったじゃない。あれって、ダンゾウのトラウマがサスケの才能に過敏に反応したアレルギー反応だったと思うんです。

「ここからが…眼で……語る戦いだ…」

だから、息も絶え絶えになりながら、うちはの若僧のサスケに「眼」で迫ったダンゾウの写輪眼に対する憧れ…って言うのかな。乾き…って言えば良いのかな?そんな哀れさが漂って仕方ないのです。そして、イザナギユニットの十個の写輪眼。きっと、あれは普通の三つ巴だったんだと思います。開眼しただけでも凄いんだけど、そこにも”須佐能呼”まで開眼するとか、特殊な瞳術を発動できるとかの「ヒエラルキー」があるんです。それで、その下層にある普通の写輪眼をダンゾウはイザナギの為に、たった「60Secの夢」として燃やしてたんです。ダンゾウはその右眼に最高峰のシスイの写輪眼を搭載して、その上、柱間のデスマスクで身体エネルギーのドーピングしてるんですから余裕で出来ちゃうのです。

ダンゾウがシスイの眼を温存して、自分の主力に据えてたのは、自由に他人を操れたからだと思います。凄く気持ちが良かったでしょう。火影に選任された行でも大名を手玉に取り、眼前のシカクと暗部を欺いたんだから。何よりダンゾウは自分の出来損ないを悟られずに頂点に登り詰めたかったんだと思います。だから、トランスできるにも関わらず、右眼の写輪眼を包帯で隠してたんじゃないでしょうか。カカシが額当てで隠してるのとは意味が違います。ダンゾウは常時覚醒でチャクラを垂れ流すリスクもないのですから。ダンゾウはシスイの眼で世界中を欺いて火影になり、世界を一つにしたかったんだろうと思います。それはまるでトビが想い描く「月の眼計画」「大幻術・無限月読」そのものじゃないか。

悪夢に魘(うな)されるダンゾウ口寄せ動物が…

夢を喰らう「貘」(ばく)だったなんて…

皮肉すぎるよ…(ナイトメアのダンゾウに捧ぐ…)。

NARUTO-ナルト-第51巻に寄せて…
ナルト×ジャンキー ケルベロス 




 

業務連絡(100801) | BLOG TOP | 第503話「ミナトの屍鬼封尽!!」

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。