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第511話「帰ってこよう」(小南編)

 
<ザーン>

<ヒュー>

<バサ>

<ジワー>

<フワッ…>

トビのまさかの”イザナギ”に屈した小南の骸が雨隠れの湖上に浮かんでいます。もの言わぬ小南の胸元から式紙が一枚…。小南の傷口から血を吸い<フワッ…>っと風に乗ります。これで小南も死んじゃって、自来也の愛弟子は今のところナルトだけになったのかな?未だにミナトの横に居た女の子と大仏君が気になるけれど、描写がある範囲ではナルトが最後の「予言の子」であります。しかし、外道・輪廻天生の術をして予言が成就されたと判定する大ガマ仙人の言葉を重く見れば「予言」は完結していると考えるべきかも知れません。詳しくは「大ガマ仙人は何故、ほくそ笑んだのか?」(疑問の考察)にまとめてありますが、予言と六道の接点がちょっと曖昧つーか、散漫ですよね。


「一番右が小南
中央が弥彦…
で左が長門のものだ」(自来也)

「何だそれ?」(弥彦)

「これはかえる板という」(自来也)

「かえる板?」(弥彦)

「うむ…これは表は赤
裏は白になっていて
このように板はひっくり返る!」<バチン>(自来也)

「………」<ニヤリ>(自来也)

「………」(弥彦)

「?」(長門)

小南の式紙が目指す先…そこには小南が大切にした想い出がありました。小南、弥彦、長門…もう皆死んでしまったけど、この子らの魂が目指す場所があったのです。僕にはこれがとても幸せな事なんだと思えてならないです。そして、人が生きる限りは必ず死ぬ…当たり前の事なんだけど、永遠に続く命がどれだけ美しくないかを、僕らに問い掛けてるようでもあります。また、僕は自来也がこの子らを見捨てずに忍術を教えた事が、この子らを「予言の戦い」に巻き込む事で不幸にしたとも考えてたけど、自来也はこの子らに生き方を示したんであって、この子らの自己決定を制限も誘導もしていません。自来也はこの子らに忍術を教えて、この子らはそれによって「自分」を確立して行ったのです。自来也は成長とは自分で考える事と教えた。

自来也が敵になるかも知れない他国の子に忍術を三年間も教え続け一人前にした。小南はそれを中途半端と責めもしたけれど、恨んでいようと憎んではいなかったと思うんです。あの時、小南は自来也の油でドロドロになり俯いてましたけど、トビを相手にした時は容赦なかった罠(笑)。自来也はこの子らに与える人であって、何ら見返りを求める事はなかったと思うんです。その一点がトビとは違うのね。自来也はいつかはこの子らを独り立ちさせ生きていけるように必死に考えたんだと思います。全てはこの子らの為に。里も予言も関係なかったかも知れない。無償の愛が在ればこそ、自来也はこの子らの心に残ったのです。自来也は親の愛情をこの子らに注いだのです。自来也の<ニヤリ>の意味…こんなに汚れちまった僕ですら子供の頃を思い出したから。


<スッ>「……とにかく
アジトの中に居る時は板をにし

外出する時は
これをひっくり返してにしてから出かける…
ちなみにこの絵はもうすぐ帰るという
合図になっている!」
<パチン>(自来也)

「………」<ニヤリ>(自来也)

「……いや…何なんすか
さっきから…
ガマ仙人だから大目に見てるだけっすよ
このかえる押し」(弥彦)

僕は親と遊んだ記憶というものが無い人なのでアレなんだけど、子供の頃、近所の大っきなお兄ちゃんやお姉さんが遊んでくれたのを昨日の事のように覚えています。そして、その想い出が自来也の<ニヤリ>と激しくダブります。自来也はこの子らにいろんな愛を与える為に必死に考えてたんだと思います。時に父のように、時に兄のように。専門的には目の高さだったり、ミラーリングだったり、テクニックもあるけれど、それだけでは補えない領域は必ずあるものです。人の心を何と捉えるか?自来也とトビでは雲泥の差が存在します。そして、僕の目に映るトビの醜さや汚らしさと、自来也の清らかさの鮮明な差異は心の所在と愛の有無に根差すものである事を、僕は信じて疑いません。


「…でも
何でそんな事しないとダメなんですか?」(小南)

「この辺はまだ治安が悪い…
いつこの場所が狙われるか分からん……

実はアジトに居る時が狙われやすい
…居場所がバレバレの分
奇襲などをかけられやすいからのう」<ザー>(自来也)

「つまり板が赤のままなのに
アジトにその人が居ない時は
敵にさらわれたとか
白なのに部屋にずっといるって事は
変化した敵って可能性も考えられる…
そういうのがすぐに分かるって事でしょ?」(小南)

「そんなところだ…
よく理解してるのう
小南……
弥彦と違ごーて」(自来也)

「オレだって分かってましたよ!!
……なんとなく……」(弥彦)

「とにかく四人だけの暗号として各々
存在確認を常に意識しておく!
つまりアジトに居る時も
気が抜けない状況だって事だ

…一応地下の隠し部屋
そこから外に出る抜け道を作っておいた<ギイ>

何かあった時は
ここから外に逃げろ

ちなみに
お前らの後ろのがワシの板だ


…さてではそろそろ
”蛙の面に水”の修行に行くか!
蛙に成りきり何事にも動じない忍耐を
鍛える修行だ!!」(自来也)

「よっしゃー!!!」(弥彦)

<サー>「さっさと行こうぜ!
皆ァ!!」<ダダダダ>(弥彦)

<パチン>(小南)

「弥彦…本当に分かってんのかなぁ…
…今回はさっき先生がやってくれたけど…」(長門)

「オレはもっともっと強くなって!!
そんでもってこの国を変える!!」<グッ>(弥彦)

「……!」(長門)

「……」(長門)


<ニコ…>(長門)

「………」<ニヤリ>(弥彦)

「国を変える前にまず
かえる板をひっくり返せのう!!」
(自来也)

(ワシもさっきあんな顔しとったのかのう…?
恥ずかしいのう…)
(自来也)

自来也はこの子らが生き残り、自分を持って夢を持って歩まん事だけを願っていたのです。だから、この子らに力を与えた訳で、その因果によって自来也が命を落とす事になったのは極めて不幸な事ではありましたが、その運命を受け容れ、笑って逝けた自来也の生き様に僕らは震えられたのです。自来也がこの子らに残した合図(かえる板)なんて「愛」そのものじゃないですか。自来也はこの子らの出発点であり、終点でもあったのです。人は何処から来て何処に向かうのか?そんな風に悩む魂にとって、変える場所がある事がどれ程救いになるかを自来也は何故かしら理解していたんだと思います。自来也の示す無償の愛に応える弥彦の無為の笑顔。この光景に僕らは無関心であってはならない。

自来也と別れた後(かえる板が白に反転している)、弥彦らは組織という新しい家族を見出し成長を重ねます。自来也が残したかえる板があるこの庵(いおり)が彼らの拠り所となっています。彼らは自分を持って夢を持って行動する人間になって行きます。何者かと戦い、自分と仲間を守り、いつしか彼らの夢に人が集うようになる。トビはどんな顔をしてこの光景を見ていたのだろう?僕はトビが不憫に思えて来ます。長門のかえる板が白、弥彦と小南が赤…恋もした。思い遣り。優しさ。凡そ本能と対極にある人の知性こそが、この子らに宿り、成長が成長を促し、人としての態を成している。それが「愛」という揺りかごが在ればこそを忘れないで欲しい。そして、自来也に生かされた事実はこの子らの心に刻まれている事も。


「組織も大きくなってきた…
アジトも移らないとな…」(弥彦)

「こことも今日でお別れね…」(小南)

「ああ……」(長門)


「ここでオレ達は変わった…
力をつけた
全てはここから始まった


オレ達は夢の実現のため
ここより出発する!

そして…」(弥彦)

<ザー>

<パタン>(小南)

<スッ…>

弥彦らの成長は自分達のコミュニティの成長と同調していて、自来也の残した器からはみ出す大きさになります。この頃はまだ長門が外道魔像とリンクする前ですんで、額当てに傷が在りません。勿論、弥彦も存命している…あの忌まわしい「半蔵事件」のかなり前でしょう。組織の名が”暁”だったのかも疑わしい。雨隠れの血の色をした雲のモチーフも未だ無いです。出発の朝、やはり降り続く雨隠れの雨の中、静かに魔の手が近付きます。小南は自分のかえる板を白に反転させます。これから外出する…いつかは戻る…から、自来也との約束の合図を守り続けていたんです。ついで弥彦が…かえる板に手を伸ばそうとした時、事件は起こります。恐らく、そのドサクサで弥彦と長門はかえる板をひっくり返せなかった筈です。


<カッ><カッ>

「!!」(弥彦)

<ドウ>

<バッ><バッ><バッ><バッ>

<ボフ><ボフ><ザッ><ザッ>


「!」(敵)

「どこへ行った?」(敵)

<ザッ>(小南)

「隠し部屋が最後で役に立つとはね」(長門)

<ザッ>(小南)

<スッ>「とんだ出発になっちまったけど
この国らしい感じだな」(弥彦)

「さあ行くぞ!長門!小南!」<ザッ>(弥彦)

三人は自来也の遺した地下室と逃げ道を使ってまんまと敵から逃げます。この頃の三人の力なら真っ向勝負でも問題はなかったでしょうが、無用な衝突は避けるのが賢明でしょう。そして、何が在ろうとこの子らを生かしたい。傷付けたくない。それが自来也の想いであった事もこの子らには理解できた事でしょう。この子らは「愛」を感じられる人間に成長できたのです。「愛」を感じる為に人には「心」が必要なのです。生まれてきただけで、人は人では在りません。何かに支えられ励まされ愛されて人は人になる生き物なのです。生まれただけでは人は心の無い肉塊であります。何者でもない肉塊に心が宿り人は人になるのです。その為に「愛」というものが在る。「愛」を感じる為に「心」がある。自来也は三人に「心」を与えたのです。


「オレ達は夢の実現のために
ここより出発する!

そして…オレ達の夢が叶ったら

たとえバラバラになっていたとしても……」(弥彦)

<フワ…>(小南)

「いつかここへ帰ってこよう」(弥彦)

<スッ>(小南)

「そして三人で祝福すんだ!」(弥彦)

「…ならその時は
自来也先生も呼ばなきゃ…」
(小南)

「そうだね……」(長門)

「ま……そうなるか…」(弥彦)

そして、自来也と三年間を過ごしたこの庵がこの子らの「帰る場所」になった。自来也の「心」がこの庵には宿っているのです。三人の子らは自来也の「愛」を祝福したいと思っていたのです。そう思える「心」がこの子らには宿ったのです。「心」「愛」に応えたのです。だからこそ、僕は自来也の雨隠れ潜入戦で長門(ペイン)が自来也を殺めたのが信じられないでいます。ホントに長門は自来也を殺したんだろうか…そんな期待めいた疑問が今も僕の心の中には渦巻いています。蝦蟇瓢牢の中で初代畜生道を破り、何故だか自来也は表に出た。フカサクの言葉を無視して。不必要、且つ無意味な特攻だったと思います。自来也が長門に与えた心が潰えていただけなんだろうか…。

自来也が三人を放免し、雨隠れを去る時、自来也のかえる板は「不在」の白にされた筈です。弥彦と長門は出発時の奇襲で「在宅」の赤のまま。小南のかえる板は小南が白(不在)にしてたけど、自来也のかえる板が赤になってるって事は、自来也がこの庵に帰った…って事ではないのかな?もしかしたら、全てをトビがコントロールしてるように見える展開とは裏腹に、トビだけが欺かれてるって事はないかしら。トビが何でも見える眼を持ちながら、実際、何も見えないでいるのもまた真実ですから、トビすらまた、一つのコマに過ぎないかも知れない。それに…お面をしたまま「ともだち」になってくれなんて叫ぶの…どっかの他の作品であったよなー…(笑)。この物語のオチって意外とその辺りにあったりして。

「孤独の反対は無知」(宇多田ヒカル)


  

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