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例えば…

 
例えば…波の国で「白」を愛している気持ちを認めた再不斬がそのチャクラに鬼を纏い荒ぶった光景。弁慶の立ち往生にも似た死に様。あの時、二人の骸を覆い隠すように雪が降った。その意味を、僕は噛み締め泣いた…。カカシがナルトに刮目せよと叱り、カカシが線引きした前にナルトが出る事を許さない怒気がカカシの再不斬に対する理解と認識した。

例えば…一尾・守鶴を抜かれ、アイデンティティと命を同時に失おうとする我愛羅を、ナルトの友愛をもって救い出し、チヨ様が自らの命と引き換えに新しい命をその魂に与えた。同時にチヨ様の潔さの中に懺悔が溢れ、自らの魂を清流に晒すかのように清めた…。それはまるで贖罪のようで…チヨ様の死がチヨ様の魂に恩赦を与えたかのようだった…。

例えば…うちはイタチは同族殺しの汚名を一新に浴び、”暁”に身を窶し自分を知らしめる事で弟の命を護った。自分の才能やプライドなど何の未練もなく、剰え命すら頓着せず、自分の全てを燃やすようにサスケを愛して逝った。それでもなお微笑んでいた…。謝ってさへいた…。その生き様と死に様が眩し過ぎてサスケは未だに眼を開けられない。

誰かと誰かが闘う。刃が斬り裂き、心を削り合う。命のやり取りの中にそれぞれの人生があり、それを感じ取るお互いの心がある。敵の刃を受け止める心。その生き様こそ「忍」なのだと、僕は思う。僕らが『NARUTO -ナルト-』の戦闘シーンに感じるカタルシス(浄化)には凡そそのような心理が在るのだと、僕は考えて…感じて…いるのです。

しかし、穢土転生はその想い全てを尽く否定してしまう。まるで金縛りに遭ったみたいに、僕の筆は渋る。僕はこんな仕打ちをするキッ神に怒りを感じてるのかも知れない。余りにも無益で、限りなく不公平な…この戦争に興味がない。方や”暁”が要する白ゼツの大軍も穢土転生の兵達と、生者が殺し合わねばならぬ…この戦いに興味が湧かない。

例えば…ミナトとクシナはお産との激闘の末に謁する事ができた我が子に九尾を八卦封印し一生分の愛を託し、逝くしかなかった非情の中にも、百万回生きようとも得られないだろう満足感があった。九尾事件の刹那に自分らの一生を燃やし尽くしたクシナとミナトの生き様に僕は震えた。父の背中と母の抱擁を…二人は充分に我が子に示せた。

『NARUTO -ナルト-』の登場人物は皆それぞれ一生懸命に生きている。これは好ましくない表現だけれど、頑張ってる!!それが敵だろうと味方だろうと変わらない。だからこそ、お互いを賞賛し合うのである。カカシの千鳥の勇姿を岩忍は褒めたじゃない(リンはそんなことお構い無しに罵ったけど…)。デイダラですらサスケを充分に認めてるもの。

その姿を観て僕らは勇気や力を戴いている。僕らが一生懸命に生きる力を、僕らは『NARUTO -ナルト-』から頂戴してるんだ。だから、『NARUTO -ナルト-』の中で一生懸命に生きた…美しく散った命を汚さないで欲しいと、僕は穢土転生部隊を見て思うんです。この戦いは負けられない…って言うか、完膚なきワンサイドでなければならない。

そんなこんなで書けない…いいわけ。

   

第518話「奇襲部隊の攻防!!」 | BLOG TOP | 第517話「オモイの”戦争”!!」(後編)

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