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NARUTO-ナルト-第52巻に寄せて②

 
「とにかく
今のサスケとは誰も闘っちゃダメだ
闘えるのはオレしかいねー…
そういう意味だ」(ナルト)(第52巻/91頁)

(……こいつ…
サスケとは正反対だな…
こいつのチャクラは…すごく……
明るくて温かい…)
(香燐)

「!!」<ゾク>(香燐)

(何コレ!?
…さらに奥に…こんなチャクラを!!
暗い…!!これはまるで…)
(香燐)(第52巻/86-87頁)


「だからって
みすみす逃がす事はねーだろ!
ナルト…お前は強えーんだせ
ペインを倒した英雄ってやつだろーが!
サスケなんか…」(キバ)

「そうじゃねェ…
そんなんで今のサスケは倒せねェんだ…
それが分かった…」(ナルト)

(あいつの中にも…)(ナルト)(第52巻/90頁)

ダンゾウVSサスケの直後の第七班の再会を終え、お話は第488話「それぞれの里へ」で忍界大戦へと傾れ込んで行きます。里に帰ったナルトと若い衆が木ノ葉の発展場で井戸端会議するんですが、どうもサスケの中に得体の知れないものが在る伏線が盛られています(第52巻/91頁)。一時、サスケの中に九尾事件でミナトが屍鬼封尽した「九尾の陰のチャクラ」が搭載されている可能性が持ち上がって騒然となりまして九尾のコントロール(巻ノ五十三)の前半辺りまで引っぱりましたっけ(笑)。しかも、ナルトのチャクラにちょっとほの字傾向のある香燐のスキャニング情報と、件の発展場でのナルトの思わせぶりな態度が乗っかって胸の奥がザワザワと騒いだのを覚えています。

サスケとナルトの「強化」に関しましては「終末の谷の決闘」「強化・闇」(終末の谷の決闘…第七撃)と「強化・八卦の封印式」(終末の谷の決闘…第八撃)にそれぞれまとめてありますが…サスケには「憎しみ」を、ナルトには「愛」を与える形式でアプローチがあって、極めてコントラストの高い「教育論」が展開されていると、僕は考えていました。例えば香燐がナルトの中の(これではまるで…)とナルトの思わせぶりに押し黙ったサスケの中の(あいつの中にも…)が一緒だったら「サスケ=ナルト」になって逆に辻褄が合いませんし、どうしても屍鬼封尽した「九尾の陰のチャクラ」がサスケに仕舞われる提示が見つかりませんでした。正直、サスケまで九尾頼みだと困る…というのが本音でしたね(笑)。

サスケは「憎しみ」に研ぎ澄まされ、ナルトは「愛」に育まれた…その事実をして僕は「サスケとナルトの表裏が合った」と騒いでまして(笑)、アプローチが全く違っていながら仕上がりが同じになる訳で、それがナルトの「闘えるのはオレしかいねー…」の根拠でありましょう。これはナルトの中二病症例ではなくて、「拳」を合わせたからこそ知れたナルトとサスケの共通の認識なんだと思います。だから、サスケはイタチの眼を移植する決心をし、ナルトはそれまで無意識に避けて来た九尾と向き合う覚悟を決めたんです。二人共与えられるだけだった才能に対して、今度は積極的にアプローチする行動に出た訳です。僕は教育論的に、これを「(真の)自立」と呼ぶんではないかなーと思いました。

『NARUTO-ナルト-』の中の「親心」はチャクラを介在させている為に見え難くなっております。普通は親が子供の近くに居て導くもんですが、術式だのチャクラだのがそれを隠しているからです。天涯孤独の筈のナルトが、実は八卦の封印式の中に父であるミナトと母であるクシナのチャクラを組み込んでおり、絶えずその庇護を受けていたなんて誰も知りはしませんから、サスケじゃなくたって「何であんな奴が…」となると思います。僕もナルトは異常者としか思えませんでしたが、そう思えないようだと、僕が壊れてグレてたと思います(笑)。逆にサスケは全てを奪われる事で強化されていて、香燐が驚くようにナルトとサスケのチャクラは極めて近似するのです。その精度をナルトとサスケは「拳」によって確認した…。

「フカサク様…
九尾の力ゆーのは
”九尾のチャクラ”と”九尾の意志”の
二つが合わさってできとんじゃ」
(ゲロ寅)

それを僕らに気付かれまいとキッ神はミスリードの種を植えたんだと思います。これは第490話「九尾の真実!!」(ナルトのチャクラ編)で出てくるけど、九尾の力が憎しみを帯びていて(第52巻/128頁)、それとサスケが与えられた「うちは虐殺」以降の憎しみの累積が匹敵する存在なのでしょう。香燐が見紛うた憎しみのチャクラ。兄系の系譜にはデフォルトで強いチャクラがありますから、手っ取り早く憎しみを増大させる事でそれに応じてチャクラが増加するのだと思います。一方、弟系のナルトには兄系のような強力なチャクラを発生させるエンジンがありませんから尾獣に頼るのが合理的だったと思います。ま、それが九尾で、九尾のチャクラに偶々「憎しみ」が付随していた…というのがご愛嬌だったのかもね(笑)。


「穢土転生…」(トビ)

「二代目火影と大蛇丸様しか使えなかった禁術…
しかし僕で三人目
そして今はその二名も越えている」<スッ>(カブト)

「これは君へのパフォーマンス…
ボクの力を信用してもらうためのね…

安心して下さい
ボクはここへ戦いに来たんじゃない」(カブト)

第489話「忍界大戦へ向けて…!!」でカブトがトビと密会しますが、ぶっちゃけ「自分で自分の親になる」を実践したんだと思います。基本、それが中二病っぽく見えちゃうのはカブトが底の浅い小物だからだと、僕は考えています。『NARUTO -ナルト-』の登場人物で同じ方法で強化されたのはヤマトだったと思います。それがカブトがヤマトに対して抱くそこはかと無い好意に表れていると思います。逆にヤマトからカブトに送られる視線(馬鹿な事を…のアレ)にも近親憎悪にも似た苛立ちが感じられます。カブトとヤマトの違いは自分の力に酔ってるか?酔ってないかの違いで、やはり中二病の症状が顕著に見られるカブトは大蛇丸の力に酔いしれてます。大蛇丸の力を制御してるのが薬物であるのもポイントかな。

逆にヤマトが凄く紳士に見えちゃうのは柱間の力を借りている事実をしっかりと認識してるところにあると思います。ヤマトがナルトが九尾のチャクラに耐えて動けるのに驚いた時に、ナルト自身の力を賞賛したのを覚えてますか?大蛇丸の力を薬物によって制御してるのを横っちょに置いといて、大蛇丸だけでなく扉間をも超えたと豪語しちゃえるカブトに、あの言葉は吐けない筈です。問題は自己の境界線がどんだけはっきりしてるかってところにあると思います。自分をちゃんと知っているというのは自分の大きさではなくて、小ささを知っているという事です。ヤマトが決して不遜でないのも自分の小ささを知っているからです。それがホントにホンモノの大天才のネジが言う「凡小」でありましょう。

呪印や大蛇丸を抜かれる前のサスケが凛としてたのも(イタチ戦の終盤にはやや中二病が出ましたが…)、呪印や大蛇丸をクナイや刀と同義の単なる「道具」として受け容れてたからかと思います。第一部の仔サスケの頃、天の呪印を打ち込まれ死の森でザクの腕をへし折ったり、木ノ葉に音の四人衆が忍び込んでサスケにちょっかい出した時と、「蛇」でブイブイ言わせてデイダラとやり合ってた辺りのサスケは明らかに違って、第二部のサスケは自己の境界線を認識しています。ただ(ただしイケメンに限るの法則)だし「オレ様系キャラ」でもありまして多少ドヤ顔しちゃってるところはあるけど、カブトみたいに痛々しくないです(笑)。その差異がカブトを「大蛇丸のとこに居た…もやし」と呼ばせるのでしょう。

「ボクが何の手札もなく君に会いに来るとでも?
…そう……君は断れない!」(カブト)

「キサマ…
それをどこで手に入れた!?」(トビ)

第490話「九尾の真実!!」で調子に乗ったカブトが勢い、トビのお面の下の顔を青くしちゃうシーンがありました(笑)(第52巻/122頁)。カブトはトビとの交渉に切り札を出して来ます。恐らくお面の下の顔面蒼白の見た穢土転生は「うちはマダラ」だと思います。トビがあれ程驚く事ができるのはマダラ以外ないと思います。サスケを戴く交渉の材料としても適当でしょう。その前に「今はマダラと名乗っているとか」(第52巻/114頁)と牽制してました。そもそも穢土転生で呼べるという事は死んでるのが確定しますから、全世界を向こうにまわして「うちはマダラ」と大見得切った以上、うちはマダラが死んでる…とバレてしまったら恥ずかしくて戦争どころじゃなくなってしまいます(笑)。

カブトはトビの痛いところをがっしりと掴んでて、カブト的には優位に立ってると思ってるんですが、トビはその上でカブトを利用しています。しかし、トビが掌で転がしてると思ってるカブトが実は知ってて転がされてるかも知れないし…その微妙な関係性が二人の丁々発止のやり取りの危なさを増幅してる訳です。決めてはどっちがオトナか?になると思うんですが、どちらもアイデンティティの確立がイマイチあやふやで怪しい(笑)。よーく考えてみると、アイデンティティの獲得と中二病からの脱出は物凄く似ています。そこに気付けるなら『NARUTO -ナルト-』の中のチャクラとか写輪眼が何を意味してるのか解ると思います。僕はその先に『NARUTO -ナルト-』の落としどころがあると見ているんだけど…。

ケルベロスの中二病も未だ癒えず…。


 

第523話「伝説の忍刀七人衆!!」① | BLOG TOP | NARUTO-ナルト-第52巻に寄せて①

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