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NARUTO-ナルト-第53巻に寄せて


NARUTO-ナルト-第53巻に寄せて

僕は『NARUTO -ナルト-』とは親がどんなに厚く子を愛しているかを説く物語だと考えています。苦難の末、やっとこさ生まれた我が子にミナトとクシナが何故、九尾を封印したのか?しなければならなかったのか?…巻ノ五十三では、それを克明に綴っています。第一部でまだまだ謎がてんこ盛りの状態の時、木ノ葉崩しで見せた三代目の走馬灯…あそこで出たナルトのおくるみ…そこで得られた期待が確信へと変わる壮大な伏線の回収にダイナミックに絡み合うミナトの想いとクシナの想い。九尾という災厄が木ノ葉隠れを襲い、激しい動乱の中でオトナ達が子を庇い、時に叱りつけ、時に何かを託し、未来を予感させる。その力強さと美しさ切なさを命の儚さをもって、叩き付けられた気がしてなりません。

そして、それらの象徴としてナルトとサスケが居るのだと再確認しました。

「愛」を託されたナルト。

「憎しみ」を託されたサスケ。

二人の姿を子供達は全く別のものと感じてる事でしょう。でも、それは違うのだと、僕は言いたい。伝えたい。これから大人になり、愛を紡いで行く子供達に、断じて二人は違わないのだと教えてあげたいと感じています。『NARUTO -ナルト-』にハマっているおっちゃんとおばちゃんには既に解っている事だからすごく厄介なんだけど、これは子供達へのメッセージなんだ。しかし、今、このタイミングでそれらを手取り足取りお伝えするのは野暮というものでありまして、『NARUTO -ナルト-』という壮大な物語が持つ旨味を削ぐ事に直結している…その危険性を内包しています。そこでふと思うのが近頃の『NARUTO -ナルト-』の本編の無味乾燥した有り様でありましょう。

もしかして、キッ神も同じもどかしさの中で苦悩してるんじゃないだろうか…。

そう感じた瞬間、僕は面白くなくなった『NARUTO -ナルト-』の近頃に対する不満がキッ神に対する申し訳なさとぶつかって弾けとんだ気がしました。僕は巻ノ五十三のレビューを今は書けないと思っています。書いちゃならない部分が多々あるから。このもどかしさは時間が齎す子の成長を、その傍らで見守るしかない親の気持ちに近いんじゃないだろうかと思うのです。人は傷付き、気付き、築く生き物だから教えちゃならない事があるのです。或いは、小説の最後の頁を開く楽しみを奪うような無粋もオトナならば慎まねばならない…とも思います。なので、今は書けない…そう言えるお気楽な立場の僕も…目を瞑ってどっか隅っこに挟まって、口だけ開けて雨と埃だけ食って辛うじて生きてるべきなんだろう。

せめて…今はこの曲を噛み締めて…お待ち下さい。



「奏」(かなで)/ スキマスイッチ

改札の前つなぐ手と手
いつものざわめき
新しい風
明るく見送るはずだったのに
うまく笑えずに君を見ていた

君が大人になってくその季節が
悲しい歌で溢れないように
最後に何か君に伝えたくて
「さよなら」に代わる言葉を
僕は探してた

君の手を引く
その役目が僕の使命だなんて
そう思ってた
だけど今わかったんだ
僕らならもう
重ねた日々がほら
導いてくれる

君が大人になってくその時間が
降り積もる間に僕も変わってく
たとえばそこにこんな歌があれば
ふたりはいつもどんな時も
つながっていける

突然ふいに鳴り響くベルの音
焦る僕 解ける手 離れてく君
夢中で呼び止めて
抱き締めたんだ
君がどこに行ったって
僕の声で守るよ

君が僕の前に現れた日から
何もかもが違くみえたんだ
朝も光も涙も
歌う声も
君が輝きをくれたんだ

抑えきれない思いを
この声に乗せて
遠く君の街へ届けよう
たとえばそれがこんな歌だったら
ぼくらは何処にいたとしても
つながっていける

 

第529話「金色の絆」 | BLOG TOP | 無題

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